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#3782 アリとキリギリス②:水とトイレの災害対策 July 16, 2018 [自然災害への備え]

 根室半島にも北海道の太平洋沿岸の各地域にも、地層を調査すると過去5500年の間に15回の津波の痕跡が確認できるという。砂の薄い堆積層が縞模様になって現れるのだそうだ。おおよそ400年弱に一度、根室半島沖で巨大地震が起きて20mもの津波が発生している。前回起きてから400年が過ぎているそうだから、今日その自信が起きて高さ20mの津波が道東太平洋沿岸を襲うかもしれぬ。巨大地震が起きたら、海岸近くに住んでいる人は何もかもそのままにしてすぐに30m以上の高台へ逃げればいい。

 さて、問題は逃げた後のことである。大災害に備えていくつか手を打っておけば、困難な避難生活をいくらか緩和できることを述べてみたい。
 根室では来年春に根室西高校が、そしてそのあとに市街化地域の3小学校と3中学校が廃校になる予定だが、各学校に井戸を掘って蛇口を20個ほど用意しておけば、地震で水道パイプが破断して水道がとまっても、避難所で水に困ることはない。
 避難所生活で大問題となるのはトイレである。水がなければ水洗トイレは糞便であふれかえり、周囲に悪臭を放つ。体育館で雑魚寝、食事をするところへも容赦なく臭いが侵入してくる。水道が止まってしまえば飲み水の確保も困難となる。
 飲み水とトイレの水が確保できるか否かは災害対策の重要なポイントである、そしてそれはあらかじめ用意できるのである。

 井戸を掘るだけではダメで、昔井戸についていた梃子式のポンプ、自家発電装置と電動ポンプも備えておきたい。廃校にする小中学校には井戸水をトイレにひくためのパイプを設置して、切換え弁をつけておきたい。そうすれば四百年に一度の巨大地震が襲っても、即座に切り替えができ、トイレの水を心配しなくてよい。
 周囲に住んでいる人、住宅に損傷のない人は、避難所までトイレを利用しにくればいい。

 電気も止まる可能性があるから、太陽パネルを設置して、井戸のポンプとトイレの照明などにあらかじめ配線して置き、これも切り替えスイッチを用意しておくといい。
 こういう準備はどこでもできるのではないか?
 準備していないと、避難場所のトイレは水を確保できずにトイレは糞便であふれかえり、家を失った避難者はトイレの回数を減らすために水分を摂るのも控え、弱って死んでいく人がでる。トイレの我慢は子どもたちだって同じだ。避難所で一か月間あるいは数か月間暮らさなければならない人たちの精神衛生を保つためにもやっておくべきことがいくつかあるのではないか?

 こういう仕事は公的部門、市町村や都道府県そして政府の仕事である冬の到来は自然の摂理なのに、夏の間何の準備もしないキリギリスの生活スタイルとはおさらばして、アリさんのように、冬の到来に備えてちゃんと手を打っておきたいものだ


*#3780 アリとキリギリス:西日本豪雨災害⇒死者203人、不明50人近く July 14, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-07-14

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大人も眠れないほど恐ろしい初版『グリム童話』: メルヘンの奥にある血と残虐、秘められた性愛の香り
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ほんとうは怖いグリム童話
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#3781 よさこいソーランと根室太鼓の演奏 July 14, 2018 [根室の話題]

 7時半から、緑町2丁目交差点付近で3グループのよさこいソーラン演舞があった。「四島踊り隊」「歯舞中学校3年生15人」と「啓雲中学校3年生50人くらい」の三組。

 四島踊り隊は小学生から60歳までのグループ18人(今日の出演者数)だそうで、札幌のよさこいソーラン祭りに出場している。2曲目はアレンジしたソーラン節でチャップリンの扮装で踊った。ちょっと変わったテイストのよさこいだった。
 歯舞中学校は9年前「タクヤとカズキ」の時代*には30人ほどいたのではなかったか、15人という人数にびっくりした。歯舞で仕事していても根室市街地から車通勤する人が増えているので、郡部のほうは子どもの人口減少が激しいようだ。人数は少なかったが元気のよいきびきびした踊りだった。
*#2132 歯舞 コンブ浜 晩秋  Nov. 18, 2012
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-18


 啓雲中学校も70人ほどいたのが50人を切るようになっている。少し太った生徒が元気に躍っているとおもってよくみると、体育の先生がおそろいの法被を着て一緒に飛び跳ねていた。とっても楽しそうだった。(笑)

 夜店が出ており、観客は300人ほど集まってにぎわっていた。よさこいソーランが終わると100人くらい帰ってしまった。子どもの演舞を見に来ていた親たちだろう、連れて帰らなければならない。
 8時ころから根室太鼓の出番だった。ひとり顔の小さく目のぱっちりした外人女性が太鼓をたたいていた。ケルシー・エリザベスさん、ALTでニュージーランドから来ており、8月に帰国の予定だという。このチームに所属して2年間和太鼓を叩いたが、これが最後。技術レベルの高いメンバーと一緒に練習できたのは幸運だっただろう。
 2曲目だったかな、中央にドラムのように4個の太鼓が並べられ一人で叩くと、それに合わせてほかの太鼓が鳴り始める、とってもかっこよかったね。アスファルトを伝わって振動が体とこころを震わせる。低周波のあの振動が和太鼓の凄さの秘密だろう。10人で叩いているのに音がピタッとあう、なかなかああはいかない。
 3月に東京多摩センターで3組の和太鼓の競演を聴いた。ときどき音がばらついていたので、根室太鼓の技術レベルの高さがわかった。S藤さん、あれだけ太鼓叩いているからすごい運動量のはずなのに、一向に痩せないね。それとも名人クラスの腕前になると無駄な力がはいらないから運動量が小さくなるのかもしれない。(笑)
 元気にチームを引っ張っている、こういう人がいるから技術レベルが上がるし、和太鼓チームがレベルを上げながら継続する。そのうちに二人目のS藤さんが現れ、バトンを受け取るのだろう。百年後にもっとすごいことになっていたらいいね。

 わたしは18歳まで根室にいて、それから35年間東京暮らしだったが、根室太鼓はその35年間のどこかで始まった、金刀比羅神社祭りの先太鼓を叩いた誰かがはじめたのだろう、年季が入って見事なものだ。根室の伝統文化の一つに数えたい。
 速いものだ、ふるさと根室に戻って16年目、あと1年余で「東京35年・根室35年」のフィフティー・フィフティとなる。

<余談:文武両道>
 太鼓が大好きな看護学校志望の高3が四月からきているが、数学の勉強も熱心で、先日「数検準2級」に合格したと喜んでいた。受験勉強で忙しい時期なのに太鼓も数学も両方頑張り通している。いま英語の勉強に力を入れ始めたばかり、どこまで成長するか楽しみ。20年後には根室太鼓の主力メンバーの一人かもしれないな。受け継ぐものがしっかり育っている。

 帰り道、合同庁舎前の温度計をちらりと見たら12度、極東の町の7月の夜はまだ寒い。


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#3780 アリとキリギリス:西日本豪雨災害⇒死者203人、不明50人近く July 14, 2018 [自然災害への備え]

 今朝(7/14)の北海道新聞一面の見出しによれば、西日本豪雨で死者203人、行方不明50人近く、避難者5800人と出ている。地震でもない、台風でもない、それなのにこの甚大な被害である。浄水施設が土石流で埋没し、1年先でも水道復旧の見通しの立たぬところもある。道路、水道、電気などのインフラが途絶してしまえば、もどって生活が成り立たないから無人地帯になるしかない。

 わたしがこのような災害に遭えば、どうしようもない。スキルス胃癌を患い胃の全摘、胆嚢切除、大腸一部切除手術をしているから、体育館で避難生活をしたら急速に体力を消耗するだろう。水道が止まればトイレの使用が制限されるから食べる量を減らすしかない。血糖値は下がるし、血圧も普段から50-90程度しかないから、生きているのがたいへんだ、まあ、これまでか、しかたなしとあきらめればいいだけ。若い人たち、とくに子どもたちが気の毒だ。

*読売オンラインニュース
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180713-OYT1T50127.html?from=ytop_main3

*平成最大の豪雨災害 被災前後の写真で見る爪痕(日経新聞)
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/disaster-map/?n_cid=DSPRM1489

 一月以上も体育館での避難生活があたりまえとなっているようにみえるが、世界第3位の経済大国であり、産業の技術水準も高いのにどうしたことだろう。ほんとうに改善できないのだろうか?民間企業は日々仕事の改善をして仕事のレベルを上げているが、公的セクターは改善が下手なように見える。他の地域の失敗に学ばないからだろう。

<スフィア基準>
*https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0501.html
「スフィア基準」は、アフリカ・ルワンダの難民キャンプで多くの人が亡くなったことを受けて、国際赤十字などが20年前に作りました。
居住空間:「1人あたりのスペースは、最低3.5平方メートル確保すること」
トイレ設置基準:「20人に1つの割合で設置」「男性と女性の割合は1対3」
2年前、大地震が起きたときのイタリアの避難所。発生から72時間以内に、家族ごとにテントやベッドが支給され、衛生的なトイレも、整備されたということです。」、日本もそうありたい。
海外では、被災者の置かれた環境が悪いことを人道的な問題ととらえている

<イタリアの災害対策事例>
 イタリアは災害があれば被災地へ三つのものが届くそうだ。
トイレ
キッチンカー(千食調理できる)
プライバシーが確保できるベッド及びテント
 
テントにはダクトで空気を送るようになっている。それぞれが被災者の窮状を緩和するためにグレードが高い。食事は1週間後にはフルコースへと変わる。
 URLを添付しておくので写真をご覧いただきたい。

 普段から準備できるものばかりだ。道路が途絶したときのことを考えて、輸送機器を開発しておけばいい。物資を被災地へ運ぶのと被災地から被災者を救い出すための輸送機器の両方を。
*イタリアの避難所に真っ先に届く三つのものとは
https://diamond.jp/articles/-/171495

  学術論文では次のような研究があります。
*イタリアにおける大規模災害と公共政策 −2009年アブルッツォ州震災の事例を中心に−
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19954605.pdf


<数百年に一度あるいは千年に一度の巨大災害>

 東南海連動型巨大地震と津波過去5500年間に15回起きている四百年に一度の根室沖巨大地震は道内太平洋沿岸各地に20mの津波を生じる、関東大震災からすでに95年がたったから次の首都圏直下型地震、富士山大噴火、これらは明日起きても不思議ではない。九州鹿児島湾内の巨大カルデラ火山噴火はいまのところは確率が低いが起きたら未曽有の大災害となる。
 
こうして列挙すると日本列島には大災害は目白押しだが、わたしたちに準備はできているだろうか?

<まず、小さなことからやろう>
 根室市はふるさと納税で潤っている、浮かれてそのお金は使っている余裕があるだろうか、災害に備えて全額備蓄すべきだ。根室沖巨大地震が30年以内に起きる確率は78%で全国でもトップクラスの高さだ。広報根室によれば13億円も使ってしまうという、イソップのキリギリスそのもの。
 成央小学校のところは昔、「北の勝」とは対照的な「色媛(いろひめ)」という甘口の酒の酒蔵の水源であった。そこから現在のヒシサンのところまで湧き水を引いていた。わたしの家では、小学生のころまでその水を汲んできて飲み水にしたりお茶を淹れて飲んでいた、まろやかでおいしい、なによりカルキ臭くない。災害に備えて井戸を掘って蛇口を20個ほど用意しておいたら、ずいぶん助かるだろう。災害用の井戸には自家発電設備も必要だ。落石地区にも歯舞地区にも納沙布にも井戸が用意してあれば、災害時に水道管が断裂してもしのげる。水があれば水洗トイレも使える。
 耐震改修済みの小中学校がまもなく4校廃校になるから、その教室を簡易パーティションで仕切れば体育館よりはましだろう、組み立て用の部材を備蓄しておけばいい。教室もいくつかを食堂にできるから、これもテーブルや食器などの備蓄があればスムーズにいく。みんなで英知を集めたら、自助努力である程度の備えはできる。そうする意思があるかないかが問われている。
 根室沖巨大地震と津波が起きたときに備えて何ができるのか、市民自由参加で月2回日曜日に市総合文化会館の一室で議論したらどうだろう?閉鎖的な「~委員会」はつねに判断を誤ってきたのではないか。災害が起きたときの具体的な行動計画や被災地域の具体的な復興ビジョンが用意してあればただちに実行できる。
 根室だってやり方次第で有効な災害対策は立てられる、では国はどうだろうか?

<備えあれば患いなし>
 60兆円しか歳入がないのに毎年百兆円の歳出予算を組む政府、ここにもイソップ童話のキリギリスがいる。借金を増やし続けることに一生懸命で、災害への備えがまるでない。災害対策の半分は災害が起きる前に備えておくのが本来のやりようだろう大災害が起きてからでは間に合わない、後の祭りのことがいくらでもある、東北大震災による福島第一原子力発電所の3基の原子炉メルトダウン事故でも、今回の西日本豪雨でもはっきりした。
 泊原子力発電所でメルトダウン事故が冬の西風の吹いているときにあったら、190万札幌市民の大半は避難できない、ただ被ばくするのみだ。放射能は日高山脈を越えて十勝平野と根釧原野を汚染する。そして降り注いだ放射能はいずれ川を通じて豊かな漁場を汚染していく。地元でとれる農産物や水産物が食べられないという状況が生まれる。農産物も水産物も北海道からの供給がとまれば価格が暴騰するから、首都圏の消費者も他人事ではない。そういう事態を招かぬためにいま何をすべきか、原子力発電所に関しては論を俟(ま)たないだろう。即時廃炉である。

 アリさんはせっせと働き備蓄をする、その備蓄は何かあったときに取り崩すことができる

 異次元の金融緩和で金利をゼロにして借金の山をさらに膨らませたところへ、大災害が二つ立て続けに襲ったら、どうなるのだろう?
 ない袖は振れないということになる
 千数百億円の国民の金融資産がゼロになる危機が迫っている。終戦前後に2度、大蔵省令で預金凍結措置がとられ、預金はパーとなった。あの悪夢を知っている人たちのほとんどがすでにこの世にいない。
 返さなくてよい借金などないのだよ、政府の借金だからと油断していると、政府が払えなくなれば、国民の金融資産を凍結して贖うことになる。
 円からドルやユーロの外貨資金へ転換しておいた方がよさそうだが、海外の銀行はよくつぶれるから信用できない。ほとんどの国民はなすすべがないだろう。座して大災害をまつことになる。

<koderaさんの提案>
 koderaさんが面白いことを書いている。災害救助やその後の復興活動という大きなニーズがあるから、ビジネスチャンスだというのだ。内需拡大というやりかたで日本の産業界が目指すべき方向を示している。今回はkoderaさんのブログとのアンサンブルだ。

*災害対策こそニーズ
https://blog.goo.ne.jp/badmintonmusume/e/e3f35ba4386c6d07da7d3651a41694f4

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 豪雨災害のニュースを見るたび、もう少し自衛隊の装備を近代化できないものかと考えてしまいます。無限軌道のバス水陸両用に創れば避難は楽。山間の農村をGPSと小型無人ヘリで誘導し、犬ロボットで先導すれば被害は最小にできるかも

 駆逐艦級の病院船を創り、海の有る都道府県に停泊させておく、自衛隊の海外派遣もこの病院船に活躍してもらう。きちんと赤十字のマークを付け、敵兵でも手当てする。救急車の創設者のように、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れても、感謝されていた敵から保護されることもある。

 上陸用水陸両用車を創り、津波や土砂の災害に迅速対応できるようにしておく。井戸を半日で掘る機械を創り、アフリカやイスラムの国を支援する。それは水に困った被災者に役立つはず。川沿いの市なら、どこでも水脈はあるだろう。水脈感知犬ロボットなど役立つはずである。

 日本なら3キロほど掘れたらどこでも温泉は湧くだろう水さえあれば、エンジンでお湯も沸く電気も発電できるだろう。ヘリコプターで固体リチウム電池を運び、避難所に電気を配達し、クーラーを使ってもらう

 日本は技術立国で生きるのが当面の策だろう。高齢者が多く、天災が頻繁する国だから、ニーズ分析で市場を創出できるはず。お金がかかる、素粒子研究や宇宙探索はアメリカや中国に任せ、弱者のためのロボット研究に集中すべきと高齢者のヨイヨイは考えてしまいました。
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 イソップ童話のキリギリスは夏の間歌ってばかりいたから、食べるものがなくて飢え死にするのだそうだ、アリさんはキリギリスを助けない。冬支度もせず夏の間に歌って遊んでばかりいたら、だれも援けてくれる者はいないというのがこのお話の本来の教訓、本当は怖いイソップ物語。

*#3782 アリとキリギリス②:水とトイレの災害対策 July 16, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-07-16


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#3779 オウム地下鉄サリン事件:被害者の脳幹や延髄が溶けていた July 10,2018 [時事評論]

 オウム真理教の教祖の死刑が執行された。昨日東京府中で骨になったがその引き取り先でもめているようだ。
 地下鉄サリン事件で13人が死亡しているが、脳幹や延髄がドロドロに溶けていたという。検死解剖をした元東大教授石山昱夫氏から直接聞いた話を、(遠い昔に東大野球部員だった)甥のkoderaさんがブログにアップしている。

 サリンという神経ガスが体のどこにダメージを与えたのか、わたしは今まで知らなかったし、ほとんどの人が知らないだろう。オウム真理教の教祖と幹部の信徒たちはサリンを70トン*作って東京の空からばらまく計画であった。ウィキペディアによればそのための薬品材料はすでに手に入れていた。

*地下鉄サリン事件 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/地下鉄サリン事件

 koderaさんのブログの当該記事のURLを貼り付けるので、ご覧いただきたい。
*「オウムの被害者を想う」
https://blog.goo.ne.jp/badmintonmusume/e/0207fa0e519f75beb3798cbecc2e1b72

<脳震盪は脳幹に傷をつけ、認知症の発症素因となる>
 彼が叔父さんの石山氏から聞いたことで、聞き逃してはならぬことがある、それは脳震盪に関する下記の記述である。
彼曰く、脳幹の障害はMRIで見つからないほどの微かな傷でも、酷い認知症をすぐに発生するそうです。遺体解剖でしか、その傷は見えないそうです。短い脳震盪ですら脳は傷ついている可能性があり、認知症の発生の可能性を高めるため、危ないそうです。
 ボクシングで顔面を殴られると衝撃でその都度脳震盪を起こす。頭部の骨格が揺れるのと脳が揺れる速度が異なるからだろう。ボクサーは老年まで生き延びられたら、認知症を起こすということ。知らずにやっている人ばかりではないだろか。フルコンタクトの空手もあふない。

<余談:科学鑑定と臨床検査>
 鑑定にはさまざまな理化学測定機器が用いられており、この『科学鑑定』にのそれらの測定方法や技術が紹介されている。DNA検査だけでも電気泳動法白血球の血液型による方法(HLA検査)サザンブロット法PCR(Polymerase Chain Reaction)法などが紹介されている。最初の2つはずっと以前からSRL八王子ラボでやっていた検査法だが、後者2つは1980年代後半に導入している。ちょうどその時期にラボの機器購入担当をしていたので記憶がある。
 HLA主要組織適合抗原、いわゆる白血球の血液型)検査は免疫に関する検査であり、クラスⅠ抗原、クラスⅡ抗原、クラスⅢ抗原に分かれ、それぞれが数個から40ほどのタイプに分岐するので、その組み合わせは数万を超える。だからDNA検査が世に普及するまではこれが個人の特定に最強の検査だった。臓器移植や白血病治療のための骨髄移植の際にドナーとレシピアントの組織適合性判断に使われていた。1980年代終わりごろのSRLのこの検査分野の国内シェアーは8割ほどあった。米国でこの検査は親子鑑定に数千件需要があったが、日本では親子鑑定が目的でSRLに検査依頼があったことは一度もなかった。米国からのラボ視察に訪れたドクターにそう説明したら、びっくりしていた。文化が違うのである、育てたら自分の子どもであるというのが千数百年前からの日本人に共通した価値観だった、じつにおおらか。

 万葉集802に「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ」「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子にしかめやも」(山上憶良)とある。育てることで愛情がわいてくる、子に優る宝はないというのが日本人の情緒である。種が誰であろうと育てりゃ自分の子どもという感覚は今の日本人には理解しがたいかもしれぬが、この感覚は日本人の伝統的な性風俗と分かちがたく結びついていた。

 HIV(Human Immunodeficiency Virusいわゆるエイズ)検査はスクリーニング検査と確定検査の2段階でなされていた。スクリーニング検査で陽性反応が出るとウェスタンブロット法で確認検査をしていた。スクリーニング検査には擬陽性が含まれているので、確定検査が必要だった。あの当時で毎日1-2検体(年間500)の割合で陽性が出ていた。検査報告書は封緘されて病院へ届けられて、ドクターと患者本人以外は見ることができないようになっていた。封筒に検査報告書をいれて封をするのは単調な作業なので、この検査の報告書のためだけにフェニックスというメーカの自動封緘機を導入した。「エイズ検査室」は陰圧になっており、室外に空気が出ないようになっていた。空気感染はしないが、ワンランク上の安全装備をするというのがSRLのラボではあたりまえの思想だった。エイズ検査室では陽性検体が混ざっているという前提で取り扱っていたから、そこで働く社員たちは「ここが一番安全」と言っていた。HIV検査のための検体でなくても、その中にはHIV陽性のものが混ざっているかもしれないのである。他の検査室はHIV陽性の検体があるという感覚で検体を取り扱ってはいない、漠然とした不安はあったかもしれぬが。とにかく、検体の取り扱いは標準作業手順書に従って安全にそして慎重に行わなければならない。HIV検査を受託しだしたのは1987年ころのことである。
 サザンブロット法とウェスタンブロット法の2つがあるが、HIVの確認検査に使用されていたのはウェスタンブロット法である。ノーザンブロットとかイースタンブロット法というのは当時は耳にしたことがなかったが、いまはノーザンブロット法がある。元々は開発者の名前にサザンに由来する。そのうちにイースタンブロット法も出現するのだろう、ネーミングから検査方法を想像することはできない。(笑)
 PCR法は温度を一定時間上げ下げしてDNAを数時間で1,000,000倍に増幅する方法であるが、検査機器はいたってシンプル、温度を精度よくコントロールできればいいだけの装置である。1980年代後半とは事情がだいぶ違っているようで、性能のよいDNAポリメラーゼが開発され最近の装置では増幅時間はわずか2時間。

 統合システム開発が84年12月に8か月で終了、並行して予算編成と予算管理と固定資産管理を担当していた。1986年11月に検査試薬の価格交渉で社内出向、その後1月1日付で購買課に異動辞令がでて、機器購入担当となり、仕事柄ラボ内検査課へはしょっちゅう出向くから、すべての検査室にフリーパスで出入りができるようになった。用事があるついでに現場の係長クラスにいろいろ質問して、その人の担当している検査の要点を現物を前にしながらヒアリングしていた。使用している機械のカタログを集め目を通したし、取引業者に頼んで関連論文の写しをもってこさせた。現場で説明を聞く利点はある、モノがあると理解しやすいし、何しろ具体的な作業の様子がわかる。ラボは検査課あるいは検査係ごとに専門の職人で構成されており、検査の種類が多い(3000項目)から、検査課を横断したコミュニケーションは使う言語(専門用語)が異なるので少なくなる。だから縄張り意識も強くなり、他の検査課に立ち入ることができない。入れば、「何の用ですか?」とぶぜんとした表情でとがめられること必定、しかし、機器担当のわたしだけは例外で、どの検査課とも機器購入で購入協議書の内容を確かめたり、時に書き直しの文案を作成してあげているから。現場まで出向いて、用途やニーズを確かめたり、設置に立ち会ったり、トラブルがあると業者との間に入って調整するから重宝がられていた。検査機器開発の失敗のしりぬぐいもいくつかやってあげた。本社で統合システム開発と予算編成を担当する傍ら、固定資産台帳も担当して、自分の手で本社とラボの設備と機器の実地棚卸をして、検査管理部のH間さんに協力してもらって固定資産分類コードをつくり、投資案件も入力できるように固定資産管理システムを全面的に作り直した。ラボへ異動する前に検査機器と設備は固定資産台帳と突き合わせて全点チェックがすんでいた。固定資産台帳に5000万円で載っている特注の検査機器にブルーシートがかぶっているなんて例があった。使い物にならなかったのである。上場前に不良資産は全部処分する方針を本社経理担当役員に説明して了解をもらって、廃棄協議書を提出させて全部処分した。ラボ副所長がかかわっているものがいくつかあった、現場の担当者は大迷惑。使わない危機が狭い検査室にどんと置かれたままになって困っていた。仕様書も書かずに口答だけでやっていたら大きな案件は失敗することになる。RI部と染色体検査課に失敗した機器があった。ラボ側は本社側に失敗の報告をしたくない、開発案件に失敗はつきものだが、ちゃんとした仕様書も取り交わさずに数千万円単位の開発に着手してしまう杜撰さは上場準備上解消しておかなくてはならなかった。ちゃんとして手続きを踏んでやっていたら失敗してもいいのである。そのままでは上場審査で資産管理の不手際が問題になりかねない。購入協議書を整備し、決裁権限を定め、責任の所在を明確にした。たくさん儲けていれば、開発費に資金を潤沢に投入できる、そのころのSRLは売上高経常利益率が12%の高収益会社だったから、開発に失敗しても責任を問われることがなかった。失敗は構わぬが、上場企業に濫費は許されぬ。
 ニコンの子会社との染色体がぞ解析装置の開発は見込みがないので2000万円ほど投入したところだったが中止させた。その直後に英国の企業が染色体画像解析装置を入初して虎の門病院に導入されたという話を検査管理部の機器担当者O形さんが聞き、業者を通じて染色体課長I原さんと一緒にサンプルを持ち込み実機でテスト察せてもらった。開発目標にしていた1検体10分がクリアされていた。5検体を20分で処理できたのである。レンズにこだわったのが間違いだった、CCDカメラで画像で取り込むと後処理が簡単なようで、なんと自作のボードコンピュータ3枚ほどでデータ処理していた。ニコンは日本で最高の技術をもつレンズメーカであるからレンズにこだわり、レンズで画像を取り込み、当時画像解析用のミニコンでは最高性能のDECの製品を使い試作機を作ろうとしていた、開発は最初の構想から隘路に入り込んでいたのだ。英国メーカIRSの染色体画像解析装置に採用されていたプリンターも品質の高いものだった。染色体を大きさの順に自動的に並べ替えて印刷する。二十数種類のプリンタをテストして、これがベストだったとスコットランドなまりの強い英語でエンジニアが説明してくれた。自作のボードコンピュータを見て、このエンジニアの技術レベルがすぐに判断がついた、こういう人材がニコンの子会社にはいなかった。産業用エレクトロニクスの輸入商社で勤務していた時にマルチチャンネルのマイクロ波計測器の販売価格が2000万円もするので技術部で開発しようということになった。N中さんという優秀な技術者がいたのでかれに白羽の矢が立った。半年余りをかけて半田ごてでマッピングして試作機が完成すると、2台目からはプリント基板に変更、製造原価は200万円ほどに低下した。販売価格が1000万円ならマルチチャンネルアナライザーは市場を席捲できる。半田ごてで線をつないでいくマッピングでは手間がかかるから、製造はプリント基板でやるのがあたりまえ。スコットランド人のエンジニアがN中さんと同じレベルのコンピュータ技術者だと感じた。製品への信頼度がそれで一気に固まった。ドイツ人が話すようなごつごつした英語だったので余計に親しみがわいたのかもしれない。(笑)


 メーカが新しい検査機器を開発すると早い段階で教えてくれるという特別なルートも数本あったから日本初導入の機器をいくつか扱った。会社の上層部に貸しのできたところは外部にまだオープンになっていない新製品開発情報を教えてくれた。だから市販予定の大型検査機器の最終調整を八王子ラボでやってやる代わりに、半年間の独占使用を認めさせる交渉もできたし、していた。半年間の独占使用権で一気にその分野の外注検査シェアを確保してしまう。1987年ころだったと思うが、ラテックス凝集法の大型分析器LX3000の開発情報を入手できたので、市販前の問題点の確認とクリアを目的としてSRLでのインスタレーションテストをメーカ側に提案した。半年間の独占使用が条件である。快く受け入れてくれた。
 従来の方法で測定済みの検体を流してデータ比較をするとともに、電源投入直後の立ち上がりから1時間に同じ検体を再度測定してデータの再現性もチェックする。LX3000 はデータの再現性に問題を生じ、暗礁に乗り上げ、使えないという話が現場から聞こえてきたので、間に入って調整することにした。輸入商社にいたときにオシロクォーツ社の時間周波数標準機が火入れしてから1か月しないと規定の精度がでないという話を思い出した。ヒアリングしたら朝立ち上がり1時間ぐらい再現性が悪いということだったので、検査2時間前にタイマーで電源を入れてスタンバイするように変更をお願いしたら、問題がなくなった。立ち上がりの精度の悪い機械だったのである。その間にできた3か月ほどの時間を使って再現性の問題を根本的に解決するようにメーカ側にお願いした。どのように根本的に解決したのかは聞いていないが、栄研化学はSRLで数か月のインスタレーションテストでえられたデータから、問題点をすべてクリアした信頼性の高い新製品を予定通りに市販している。同じタイプだが病院で導入できるような小型のものもシリーズで出し、ずいぶん売れたようだ。RI標識の検査に比べてラテックス凝集法は特別な管理区域で実施する必要がないし、検査精度が飛躍的にアップする。検査データを利用して診断しているドクターたちとその恩恵にあずかる患者のためにも、精度の高い検査の導入努力を日々怠ってはならない。業界ナンバーワンのラボはそういうことに積極的に協力する社会的な義務を負っていると考えていた。
 栄研化学から取引契約書を取り交わしたいと申し入れがあった、何年も取引していて急な要請で、すぐに上場準備中だとわかった。同じ作業をSRLも3年前にやっていたからだ。「上場準備中だから、契約書が必要だろう?」そう告げると、「顔色を変えて、外部に言ってはいけないことになっています」と慌てていた。そのご上場準備でなにか困ったことが持ち上がり、話が聞けた。解決策を教えてあげたら、それからあとは新製品開発に関する情報が入手できるようになった。だから、インスタレーションテストを提案できた。試験が終わった後3台導入した。数年たってからラボに用事があって各検査部をまわって歩いたら、LX3000が7台くらい並んでいた。大型検査機械であれだけの台数が一つの検査室に並んでいるのはめったにない。人工透析患者に必要な血中アルミニウムの測定に使われていた原子吸光高度計とRIA検査室のRIカウンターくらいなもの。RIカウンターはアロカ社のものがそろえられていたが、ファルマシアLKBに日本仕様(10×10ラックあるいは5×20ラックだったかも、とにかく100本/ラック)のRIカウンターを製造・市販するように勧めたら、すぐに作ってくれた。SRLの社内規格(100本ラック)が実質的な日本標準規格であった。HP社の社内規格である双方向のインターフェイスバスHP-IBが国際規格GP-IBになったケースと似ている。LKBの製品はデザインがとっても見栄えのするものだった。1台だけ入れたが、数年後に見たら、全部LKBのRIカウンターに置き換えられていた。真っ白で余分な飾りのないデザインが、機能美の極致を表現しているようで美しかった。こういう美的感覚もラボの機器選定には大事な要素なのである。性能がよくて美しいものがいい、年間数千人のラボ見学者を受け入れているのだから。日本製品はこういうシンプルで美しいというところへの配慮に乏しい。

 話をLX3000に戻すが、製薬メーカ単独でこういう密度の高いインスタレーションテストは不可能である。従来の精度の低い方式での測定と新製品での並行テストを大量にやり、問題が起きるかどうかを見守ることができる。そして問題が発生すれば市販前にそれらをクリアできるのだ。メーカと国内最大手の臨床監査会社のラボとの間には共同で大きな成果を上げられるプロジェクトがいくらでも見つかる。市販してからトラブルが続出したら、次に新製品を出すときにユーザが二の足を踏む。信頼性の高い機器を発売するというのはメーカにとって重要なマーケティング戦略なのであるそこを理解して交渉すればいいだけ。もちろん機械の原理、測定方法の要点は資料見て話を聞いただけで理解できる力がなけらばならない。産業用エレクトロニクス輸入商社で五年間欧米50社の世界最先端の製品の技術的説明(海外メーカのエンジニアによる英語での新製品説明会)を毎月2製品ほど聞き続けたからできるのである。最新のマイクロ波計測器の測定原理についても技術営業向けの社内講習会が東北大学の助教授がきて毎月1回開かれていた。予算編成、経営分析と経営改革、そして統合システム開発を同時に担当していたが、面白そうなので新製品や計測技術に関する社内講習会には片っ端から参加した。そのときの専門知識の蓄積がSRLで臨床検査機器の理解にたいへん役に立った。ラボの職人さんたちとはそれぞれ数回コミュニケーションしただけで、お互いの専門知識の程度がわかってしまうので、とってもやりやすかった。
 とくに予算がらみになると、わたしがOKだすと、本社の予算管理担当役員I本さんも管理担当副社長のY口さんも「ebisuがOKを出したのなら」と一度もダメと言ったことがなかった。本社からラボへ異動したときにラボ部門の仕事が理解できない本社役員がわたしを自分たちの目や耳の代わりに利用したのである。原価低減のために検査試薬の価格交渉が必要で、ラボの購買課に任せていても埒(らち)が明かないので、価格交渉を提案すると3か月間という「社内出向」で価格交渉担当として派遣された。予定通りの価格交渉をやって検査試薬原価をカットして見せたら、そのまま異動辞令が出された。本社側の意向通りにラボを動かすには便利だったのだろう。わたしのほうも利用した、「予算についての話は本社に通しておくから任せてくれていい、通常通り検査管理部を通してやってください、そちらにも根回しはしておきます」と検査課長たちに言い切れた。金額に応じて決裁権限に差がつけられているが、このように設備投資予算や予備費からの予算振替の実質的な権限があったから、本社とラボの風通しがよくなった。ラボ側にとってはありがたいことだっただろう。


 3年間ラボの機器購入とメーカとの検査機器共同開発を担当した後に学術開発本部に異動した。本部スタッフとして開発部の製薬メーカとの検査試薬のとの共同開発案件2つを担当する傍ら、学術情報部のラボ見学のうち海外からのお客様を担当したから、その時にもラボツアーの都度、見学希望の検査課をお客様を連れて回って解説しており「門前の小僧習わぬ経を読む」のに慣れていたのである。八王子ラボで仕事をした四年半はとってもたのしく、好奇心を満たしてくれた。
 ラボの後は社内公募された新設部署である関係会社管理部へ異動したが、このときは公募の書類を人事に送付した翌日に本社から副社長のY口さんが八王子ラボまで来て「話がある」と応接室へ誘う。Y口さんは管理部門担当の副社長だから、八王子ラボには年に一度来るか来ないかの人。応接室は社内の打ち合わせに使わない、取引業者はお客様との打ち合わせのためにある、そこで話があるというのだ、異例のことだった。学術開発本部担当役員のI神さんが異動に強硬に反対して、異動できないことになるので人事異動が公表されるまで絶対に報告するなとキツイお達し。あとで公示直前に人事部門からの通知で知ることになったI神さんからキツイお叱りを受けた。副社長から口止めされていましたとは言えない。「すみません」としか言いようがなかった。学術開発本部には開発部と学術情報部と精度保証部の三つの部門があったのだが、開発部の検査試薬開発のマネジメントをできる任癌がいなかった。属人的な仕事になっていたが、PERT chartを利用して、仕事の手順を標準化して相互に進捗具合が確認できるように変えた。慶応大学病院のドクター数人と出生前検査MoMの日本人基準値の共同研究のマネジメントもしていたし、臨床病理学会の櫻林先生と検査項目コードの日本標準制定のプロジェクトにも異動の前からかかわっていた、かかわっていたというよりも、臨床診断システム事業化案をつくり、10個のプロジェクトに分解、そのうちのひとつが臨床検査項目コードの日本標準制定で、臨床病理学会の臨床検査項目コード検討委員長の櫻林先生を大手6社の項目コード検討会に引っ張り出したのはわたしだった。海外のお客様のラボ見学対応もあったから、これらの仕事を一人でできる人材がいなかった。だから、副社長は上司のI神取締役に社内公募に応じたと話してはならないと口止めしたのである。この新設部門である関係会社管理部への公募については別途経緯があるが、別のところで書いた。やむにやまれぬ事情がわたしのほうにはあった。
 新設部署にとってわたしのスキルは二つの点で重要だった。一つは経営管理系情報システムの開発経験者としてのスキル、もう一つは経営分析と経営改革スキルだった。この部署へ異動してから子会社の経営分析と臨床検査会社の買収や資本提携のための資料分析と経営改革案作成と実際の交渉を担当して、資本提携先へ役員出向することになるのである。このときは5ディメンション25経営指標のレーダチャートによる総合偏差値評価方式を開発して、画期的な子会社業績評価システムを作った。一つの経営改革モデルと言って差し支えないだろう。関係会社管理部にいたおかげで千葉の子会社のラボシステム開発も親会社側という立場で担当できた。生産性を2.5倍にアップする目標をクリアした。システム開発スキルと経営計画のシミュレーションスキルがこの仕事で役に立った。この経験を通して国内の赤字の臨床検査会社はどこでも黒字化できるノウハウが身についた。生産性を3倍にアップできたら業績は劇的に改善できる。赤字会社は高収益会社へ化ける、実績が出るとボーナスが跳ね上がるからそれを手にした社員のやる気もまるで変ってしまう。こういう時は5年の長期計画シミュレーションを稟議書に添付しており、実績が初年度からそれを上回るので、社員に自信と安心感が生まれる。
 関係会社管理部で北陸の臨床検査会社の買収と福島県の臨床検査会社への資本提携交渉を担当し、福島県の会社へ役員出向することになった。3年の約束のはずが、黒字化の経営改革案をつくって親会社社長と副社長の了解をとり実行しようとしたら、15か月で本社に呼び戻された。F田社長は福島県の臨床検査会社を高収益会社にしたくなかったのである。そうなれば子会社化してその会社の社長をSRL本社役員に据えなければならなくなる、それが嫌だったのだろう。毛色が違っていた。出向解除と引き換えに異例の3部署(社長室、経営管理部経営管理課、資材部)兼務異例が出た。後にも先にもほかに3部署兼務の例はなかった。意に添わぬ人事があったので、半年ほどで無理やり本社勤務を解いてもらい、一番古い子会社東京ラボへ出向した。本社の仕事が楽すぎてつまらなかったこともある。SRL東京ラボへは経理部長として出向したが、すぐに経営企画の仕事も兼務することになった。ラボ建物が老朽化していて危険だったのでラボ移転を計画し、親会社を含めたラボの再編構想を練り、あと3か月ほどで具体案に練りあがってから東京ラボのM輪社長と一緒に親会社のK藤社長に相談に行こうとしていたところだった。そこへ突然の異動発令があった。帝人との合弁会社の立ち上げが新聞公表スケジュール通りにいかなくなったので、担当しろと本社社長のK藤さんから直接の指示。東京ラボのM輪社長、社長室にわたしを呼んで「K藤社長の直接の指示だからノーと言えない」とがっくりした様子。東京ラボの移転も親会社を含む首都圏のラボ再編構想も雲散霧消となった。
 そういう経緯で11月から合弁会社立ち上げのプロジェクトに参加することになった。帝人との合弁会社は1月のスタート・スケジュールだったから立ち上げまで3か月。半年前からプロジェクトが走っていたが、暗礁に乗り上げ、メンバーの一人、W辺が、「スケジュール通りにやれるのは社内にはebisuさんしかいない」と発言したと本人、それでお鉢が回ってきたらしい。「そういうときは事前に相談しろ」と叱っても手遅れ、「SRLグループ企業全体の未来を左右する大きな構想の仕事が走っていたんだ」と笑うしかなかった。臨床治験の合弁会社で、帝人と出資比率は半々、役員も半々、K藤社長の指示は三つ、じつに明快だった。
 ①赤字部門の合弁会社だからその黒字化、そして②帝人の臨床検査子会社の買収、③合弁解消しSRL100%とするという三項目、これを3年間でやり遂げること。「やれるか」と念を押すので、「合弁会社経営に関して全権をいただきやりかたを任せていただけるなら、期限内にクリアします」と応えると「わかった、任せる」と二つ返事。これが最初のプロジェクトミーティングに参加するために本社建物のエレベータ前で外出しようと出てきたK藤社長との会話である、決断の速い人だった。
 そういうわけで11月にプロジェクトに参加、両社の保管しているファイル資料の棚卸をすぐにやりながら、不動産会社に物件を大急ぎで探してもらって、予定通り1月に日本橋本町のビルに本社と検体の分離ラボを設置、稼働した。3年の約束だったが、これも期限前(二年目)にすべてクリアした。合弁解消の時に、帝人のI川常務から「いままで合弁会社がうまく行ったためしがなかった、赤字が膨らんで帝人側が引き取っていた、こんなケースは始めてだよ、次の社長はebisuさんがやれ」と言われた。わたしは帝人の本社役員からいくらか経営手腕を買われていたようだ。
 三つ目標をクリアしてすることがなくなった、あとは誰でもできる、そういう時に、再度誘いを受けた。以前から老人介護・医療に興味があり、病院を中心に老健施設・ナースステーション・有料老人ホームなどを配置したシームレスな介護を夢見ていたので、首都圏の300ベッドの老人病院の病棟建て替えの仕事を依頼されたのを機会に、常務理事として10年間仕事をする契約で引き受けた。年収1800万円で10年契約、転職に当たっては契約書を取り交わした。16年間のSRLでの仕事にこうして終止符を打った。人生の残りの1/3は儲け仕事ではなくて、故郷に戻ってなにかするつもりであったが、まだきっかけがなかった。人生を勉学の時期、一生懸命に働く時期、社会的な貢献の時期と漠然と三つにわけていたから、50歳くらいで故郷に戻るようなきっかけがでてくるような気がしていた。それは少し遅れてやってきた。

 SRLでのスタートは上場準備のための統合システム開発担当と全社予算編成と管理の実務担当責任者だった。こういう一見してめちゃくちゃな異動は前にも後にもない。3分野あるいは4分野にわたる専門家は社員が千人いても一人しかいない。そして現実の経営上の難問題はつねにいくつもの領域にまたがっている。難易度の高い仕事がしたかったら、いくつもの専門分野をもて!

 実際の科学鑑定はつねにあたらしい検査方法と技術の習得との戦いでもあり、そういう視点でこの本『科学鑑定』を読むのも楽しい

*サザンブロット法
https://ja.wikipedia.org/wiki/サザンブロッティング

 PCR法 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリメラーゼ連鎖反応

 HLA検査 SRL検査案内より
http://test-guide.srl.info/hachioji/test/detail/01284A101
 HLA検査 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒト白血球型抗原



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 石山昱夫著『科学鑑定』文春新書


科学鑑定―ひき逃げ車種からDNAまで (文春新書)

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  • 作者: 石山 いく夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1998/11
  • メディア: 新書



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#3778 ハマナスの花が咲き始めた July 6, 2018 [ゆらゆらゆ~らり]

 ハマナスは砂地だと樹が大きくならないが庭土に植えると人の背丈ほども伸びる。30輪ほど大ぶりの花をつけた、実をジャムにするとおいしい。
 
ハマナスは強い香りを周囲に放ち、香水をまとった女性が歩いた後のようだ。
 
ハマナスの精が花の数だけふわふわ舞っていたのだが、カメラを向けたらさっと花影に隠れてしまった。

 今日の気温:8.8度~13.4度

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 左クリックしたままマウスを任意の方向へ動かしてください、全画面がでます。
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 根室市総合文化会館で学校祭の催し物の一つである合唱コンクール(全学年全クラス対抗)が開かれた。明日(土曜日)午前中に明治公園で恒例の「仮装&ダンスパフォーマンス」が行われる。


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