So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
ゆらゆらゆ~らり ブログトップ
前の10件 | -

#3778 ハマナスの花が咲き始めた July 6, 2018 [ゆらゆらゆ~らり]

 ハマナスは砂地だと樹が大きくならないが庭土に植えると人の背丈ほども伸びる。30輪ほど大ぶりの花をつけた、実をジャムにするとおいしい。
 
ハマナスは強い香りを周囲に放ち、香水をまとった女性が歩いた後のようだ。
 
ハマナスの精が花の数だけふわふわ舞っていたのだが、カメラを向けたらさっと花影に隠れてしまった。

 今日の気温:8.8度~13.4度

SSCN1738-1.jpg

 左クリックしたままマウスを任意の方向へ動かしてください、全画面がでます。
SSCN1738.JPG


SSCN1739-1.jpg

 根室市総合文化会館で学校祭の催し物の一つである合唱コンクール(全学年全クラス対抗)が開かれた。明日(土曜日)午前中に明治公園で恒例の「仮装&ダンスパフォーマンス」が行われる。


     70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

nice!(1)  コメント(0) 

#3714 ブログ2週間お休みします(お知らせ)Mar. 16, 2018 [ゆらゆらゆ~らり]

 陽射しが強くなり、日没が5時、道端の雪がほとんど溶けました。
 高校の合格発表も終わったし、2週間のんびりします。
 たまった「毒」を抜く2週間です。(笑)
 4月になったらまたアップします、ごきげんよう!


 今日の北海道新聞記事から
 五十嵐議員の質問に答えて、市内の高校卒業者数を市長が164人と答弁していますが、これは根室高校だけでしょうね。今春卒業の根室高校の定員は200名、根室西高校の卒業者数が抜けていると思われます。事前通告の質問でしょうから、教育部長と学校教育部長がドラフトをチェックしたはず。よそからおいでになった教育長がチェックできないのはしかたありませんが、教育部長がチェックできないのでは仕事になりません。市教委の体制に問題ありですね。
 市内への就職希望者数は43人と出ていますから、26.2%ですね。地元企業は経営改善しないと人材を補充できません。1月末時点の求人数は131人だそうです。88人も人手不足です。
 人を大事にしない企業、経営改善をしない企業は、人員不足からいずれつぶれるということ、その点では都会も田舎も同じですよ。ブラック企業からつぶれていく。経営改善しない、閉鎖的な経営は外から見たらブラックです。
 ふだんの学力テストデータすら見ようとしない市教委も、市のほうで7割の委員を指名する「〇〇市民委員会」を利用している市政も同じブラックです。職務権限を持っている大人たちが、真摯に足元から改善すれば、町はずっと住みよくなります。春です、新しいスタートを切ったらいかが?

      70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#3688 雪かき道具とアフター Feb. 7, 2018 [ゆらゆらゆ~らり]

 雪かきには道具がいる。雪の少ない地方にお住まいの方に道具の紹介をしたい。わたしが使っているのはつぎの5種類である。

<写真:#①>
SSCN1362.JPG

 左側から、
 ●竹箒
 ●プラスチック製スコップ(金属ブレード付き)
 ●ママダンプ(小)
 ●アルミ製スコップ
 ●鋼鉄製スコップ

 竹ぼうきは数センチの積雪で、冷えているときに便利だ。雪はダウンのようにふわふわだから、簡単に掃き寄せられる。
 ママダンプは大きいのがひびが入ったので、最近小さいものを購入した。大きいママダンプだと1mくらいの高さに揚げるのに、全力でやらないと上がらなくなったので小型のものにした。これなら1mぐらいの高さなら簡単に上がる。ステンレス製の覆いが先のほうについているので、硬い雪でも平気だ。中央部分に横棒がついているが、ここを握るとスコップのように雪をのっけて投げることができる。大型のママダンプはこの小型のママダンプの3倍くらいの雪が載る。
 アルミ製スコップは雪がたくさん載る。車用のワックスを塗って磨いてあるから、雪離れがよい。アルミは弱いから真ん中の部分がめくれて、端がとがってくる。2cmほどとがっていたので、モンキーレンチで挟んで折り取った。ペンチでは握力が80㎏あっても折れないだろう。
 鋼鉄製のスコップは、梅ヶ枝町に住んでいたころからのものだから、ひょっとしたら60年使っているかもしれぬ。これが一番頑丈で、ブルが圧雪した雪でも平気で断ち切ることができる、昔の道具は丈夫だ。これも車用ワックスを塗って磨いているから雪離れがいい。スコップに雪がくっつくと重たくなる。放り投げたときに雪離れのよいスコップは使っていて気分がよいものだ。

<写真:#② after>
SSCN1369.JPG

 この写真は塀際に積んだ雪だ。道路の角に寄せられた雪を全部ここに積んだ。この道路はバス通りに接続している。塀の切れたところがバス通りだ。

<写真:#③ after>
SSCN1372.JPG

 バス停前の除雪が完了。奥の塀の切れたところを右折すると東根室駅だ。角の所にあった雪は全部右に曲がったところにある塀沿いに積んだ。バス停前の雪は塀の右側に見えている雪山にかわった。庭に全部積んだら1.8mほどの高さになってしまった。南に面しているから、太陽が出て気温が上がれば、雪山がどんどん融ける。冷え込めば凍結乾燥して表面がスカスカになる。

 趣味は雪かき、冬はとってもいい運動になる。夏はロードバイクで「牧ノ内専用コース」を疾駆する、昨年は1857㎞走った。根室最高!(笑)

#3687 道路やバス停の除雪と地域住民の役割 Feb. 6, 2018
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-02-06


      70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

nice!(1)  コメント(0) 

#3687 道路やバス停の除雪と地域住民の役割 Feb. 6, 2018 [ゆらゆらゆ~らり]

 7日朝、福井県坂井市では136cmの積雪で、10kmにわたって車1500台が立ち往生している。
*「<大雪>1500台が立ち往生 福井の国道 
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0206/mai_180206_6612498946.html

 根室では日曜日(2/4)に23㎝の積雪があった、根室では今年初めての「大雪」である。月曜日まだ雪が降り続く中、朝の通学路確保のために暗いうちから歩道の除雪が始まっていた。雪が降った後は関係者の皆さんは除雪に大わらわだ、ご苦労様。
 国道とバス通りの車道が優先除雪区域だろう、バス通りへつながる脇道がその次の優先順位。
 家はバス通りに面した角地にあり、わたしは車庫前の除雪を最優先している。車を車道に出す通路を開けないと、買い物にも行けない。車庫前は塀の関係で風が舞い吹き溜まりになる。敷地内の雪は庭に積み上げることにしたので、ご覧の通り1.6mほど乱雑に積みあがっている。①の写真が庭に積みあげた雪山である。同じ面積ぐらいはまだ積む場所がある。
 雪の多い青森に住む人たちの除雪は実に上手だ。歩道に2mほども積み上げている。立方体にカットした雪をきれいに積み上げる、あれはまねができない。

写真#①
SSCN1329.JPG

 ②の写真はバス通りへの出口である。ここをふさぐように高さ1m幅2m長さ2mほど雪がたまっていた。右側からブルが来るので、左側の角地に雪を押し付けていく。普段は別のブルがこの写真の下側から上がってきて角にたまった雪を取り除くのだが、どういうわけかそのまま放置された。1日たっても来なかった。バス通りの除雪を担当したブルの運転手は、いつも通りの仕事だったのだろう。以前は高く積み上げる人もいたが、そういう時はわたしが山を崩して低くする。バス通りへ出る車の左側の視界を確保するためだ。
 今回は左車線がふさがってしまっているので、下側から上がってきてバス通りへ出る車は車線が雪山でふさがっているから反対車線に出て左右確認をしなければならない。バス通りから左折してくる車がすれ違えない、危ないので除雪することにした。左側がコンクリート塀なのでそこに積み上げた。端から端まで16m、幅が1.3mほどしかないので高く積み上げるにはちょっと工夫がいる、そこが楽しい。

写真#②
SSCN1341_LI (2).jpg

 ③はバス通りの歩道側から撮ったもの。白ペイントの部分に雪山ができていた。ブルを操作している人も迷うのではないか?角まで雪を押し付けると、雪山の背丈が高くなり、脇道からバス通りへ右折する車から左から走ってくる車が見えなくなる。かといって、雪山の背丈を低くしようと思うと今回のようになる。いつもは脇道を除雪するブルがバス通りまでバックして一気に押して下まで通路を開く。今回は連携が悪かっただけかもしれない。脇道のブルがバス通りまで上がってこなかった。そういうときはわたしの出番である。趣味は「雪かき」、身体の血の巡りがよくなる。汗びっしょり。
 この歩道の手前から奥に向かって20mほどコンクリート塀がある。ブロック塀では地震があったときに倒れるかもしれないので、小・中学生の通学路であること考慮してオヤジがコンクリート塀にした。地上に出ている部分と地下の部分が同じくらいあるからどんなに大きな地震が来てもこの塀が倒れることはないだろう。

<写真#③>
InkedSSCN1340_LI.jpg

 ④はバス停である。車庫前からバス通りまで除雪が終わると、今度はバス停が家の前にあるので、そこの除雪をする。老人が乗るので除雪しておかないと危ない。向かい側の道路にもバス停があるが、そこは最後だ。
 除雪して置いたら、今日(2/6)バス会社のブルが来たようで、幅が広がっていた。
 
家の前のバス停から午前中にバスに乗った人は、午後戻ってきて道路の向こう側のバス停で降りる。除雪してないと歩道へ上がれないので、50mほどつるつる滑る車道をお年寄りが歩く、見ていてとっても危険だ。転倒したら骨折して、寝たきりになりかねない。この中学校前の道路は根室で一番高台である浄水場から緩い下りカーブで、圧雪されていると車のコントロールが利かないことがある。ボックスカーが滑って屋根が下になったことがあるし、道のわきの雪の山に軽四が突っ込んだこともある。夏のことだが、下りの緩いカーブを曲がり損ねて死亡自損事故も起きている。
 家の前の雪かきを終わって家で休んでいると、女房殿から「向かいのバス停の除雪しておかないと」と叱咤激励が飛ぶ。「はい、行ってきます」とスコップをもって道路を渡る。道路の向かい側のバス停の除雪をやることで事故が未然に防げるかもしれない。

 さて、バス会社の除雪がずいぶん減ったように感じる。十数年前はバス会社の雇った人がバス停の除雪に来ていた。細い通路を開けた後、翌日にバス会社のブルが来て、幅を広げていた。いまではバス会社のブルも滅多に来ない。
 観光バスが冬場でも毎日のように来ている。日本最東端の(無人)駅があるからだ。そのバスもバス停の前でとまって観光客を降ろし、また乗せて去る。広く除雪してあるので、雪道を歩くのに不慣れな観光客を降ろすには、雪のないところがいい。観光客もお年寄りが多いのである。数日前に買い物をして戻ってきたら、観光バスが停車していて車庫入れできない。車を降りてバスの運転手さんに事情を話し少し前に移動するようにお願いした。「日本最東端の駅」へ観光客を運んできてくれる運転手さん、ありがとさん。
 根室の観光スポットの一つである「日本最東端の駅」には観光客のためにトイレを設置してもらいたい。JR北海道は経営が苦しくて無理だろうから、観光を推進している根室市のほうでやるしかない。切羽詰まった声で「トイレ貸してください!」と女性が飛び込んできたことがある。

 乗客が少ないからバス会社も除雪費用を削らざるを得ないのだろう。公共交通を維持するために、地域住民の協力が必要な時代になった
 住宅の1/3が空き家になる20年後がどうなっているか想像してもらいたい。いまのうちに手を打たなければならないことが見えてくるのではないか?

 全部除雪するのに3時間あまりかかかりました、もちろん、休み休み数回に分けてやりました。右側に残っている雪山は、少しずつ塀の中へスコップで投げ入れて、しまいにはなくなります。

<根室へ移住のススメ>
 夏はサイクリング、冬は雪かき、すてきな根室暮らし、夏のサイクリングと冬の雪かきの好きな人はどうぞ移住してください。地元で獲れる新鮮な魚貝類と適度な運動で健康に暮らせます。ちょっと郊外に出ると、人と出会うことなく自然の中を散策できます。

<写真#④>
SSCN1344.JPG


<達成感!>
 塀沿いに積み上げた雪の山を眺めて、にんまり。やったぜ!

<写真#⑤>
SSCN1345.JPG



       70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村


nice!(1)  コメント(0) 

#3617 真夜中の地震 Sep. 21, 2017 [ゆらゆらゆ~らり]

  今日(9/21)の真夜中に地震があった。ゆっくりとした揺れで長かった。寝入りばなだったので起きるのも面倒くさいし、秒数だけ頭の中でカウントしていたら、30を数えても同じ調子で揺れ続けている。
  2011年3月11日の東北大震災の時の揺れによく似ていたが、大きくならないところが違っていた。揺れがゆっくりなのは震源が根室から遠く離れているからだろうと考えながら、また眠りに落ちた。

  気象庁の地震データを検索してみたら、午前1時37分に三陸沖、深さ10㎞のところを震源とする地震があった。マグニチュード5.9、なるほど揺れが大きくならないはずだ。根室から青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県の太平洋岸にある地域のほとんどが震度2の揺れを記録している。

  地震があると、半分眠っていても揺れている時間をカウントし、マグニチュードの予測や震央がどのくらい離れているのか見当つけるようになっている。揺れが激しくなったら、ベッドから跳ね起きたのだろう。

*気象庁地震データ
http://www.jma.go.jp/jp/quake/20170921014316395-210137.html

----------------------------------------------------

平成29年09月21日01時43分 気象庁発表
21日01時37分頃地震がありました。
震源地は三陸沖(北緯38.0度、東経144.4度)で、
震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.9と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

北海道  震度2  函館市泊町* 新冠町北星町* 釧路市黒金町*
          釧路町別保* 標津町北2条* 別海町西春別*
          根室市厚床*

----------------------------------------------------
  
  ところで、北朝鮮が9月3にに地下水爆実験をしてから、地震が多くはないか?日本各地で起きているだけでなく、メキシコでは9月8日にM8.2、そして12日にM7.1の地震が起きて大きな被害が出ている。規模の大きい地下核実験は地震を誘発するのではないか?
  この次に北朝鮮が水爆の地下核実験したら誘発地震に要警戒。


               70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#3543 春の野付半島 May 21, 2017 [ゆらゆらゆ~らり]

 昨日(5/20)は天気が良かったので女房殿を誘って野付半島までドライブしてきた。行きは風連湖の脇を通ってオホーツク海沿いを走る。
 道の駅「おだいとう」に寄ってソフトクリームを食べた。建物の横に木製の頑丈なテーブルとベンチが3組並んでいたので暖かい日差しを浴びながらまったり。半分はバナナを入れたヨーグルトに混ぜて食べたら案外おいしい。ほんのりとした甘みがヨーグルトにつくのである。別海牛乳を原料につかったソフトクリームだった。ヨーグルトも別海牛乳で自家製造しているもの。
 札幌から来た観光客が「ホッキカレーがおいしかった」と叫んでいた。1階に小さなレストランがある。

 1時の根室の気温18.7度 東南東の風2.1m

 根室にしては珍しく穏やかで温かかった。道の駅「おだいとう」の3階展望室には3台の望遠鏡があって、20倍だったかな、それで見ると野付半島を走る車が見えた。すぐ目の前の海にはカモと白と黒がはっきりした水鳥がいた。
 そこから野付半島トドワラの道の駅までは30分ほどだ。野付半島の道路はところどころアスファルトが陥没していた。80km以上で走ると穴を回避しそこなうから危険だ。トドワラの道の駅を通り越して灯台へと向かったが、道は途中で立ち入り禁止になっていたので、そこにある駐車場でUターンした。野付半島の左側が北で外海、国後島が見えるはずだが、陽気がいいので16㎞先にそびえる国後の連山がまったく見えない。海上に水蒸気が多いのだろう。冬のシンと冷えている時がはっきり見えてよい。

 トドワラの道の駅で車を降りて、建物内に入り、すぐ前のベランダへ出ると、キタキツネが飼い犬のように寝そべっていた。親子連れがいたがもちろんだれも餌はやらない。餌付けすると人間に寄ってきて車の事故に遭ったりするからだ。2階には野鳥の写真がたくさん展示されていた。
 トドワラの40年前の写真があったが、現在とまるで様子が違う。湿地帯に木が枯れたまま林立していたのがほとんどなくなっている。52年前、高校生のわたしに写真の引き延ばしを手ほどきしてくれた人は、トドワラの写真で運輸大臣賞をいただいたが、あの写真の迫力のあるトドワラはいまはもうない。50年の歳月の大きさを思う。
 2階に展示してある40年前のトドワラの写真は自然の迫力が伝わってこない平凡なものに感じた。出来上がった写真には、撮り手の思い入れや執念が映り込むもののようだ。50代で亡くなった根室の写真家「浜ちゃん」の写真には光と影が織りなす一瞬を切り撮る執念を感じさせる作品があった。わたしには撮れない。


 ナラワラまで5分ほどだ、そこで車を停めた。こちらの方が立ち枯れた倒木の数が多いが、逆光で写真が撮れなかった。3時少し前にナラワラを出て、中標津経由で帰ることにした。
 中標津の東武サウスヒルズに回転寿司の「花丸」があるのでそこで食事。ホタテと本マグロの生があった。私は好きではないのだが、北寄貝は女房殿の好物だ。マツブもおいしい。根室の子供たちはサーモンの炙りが大好きなようだ。醤油を垂らすと脂をはじく、いかにもうまそうだが、チリ産の養殖サーモンだろう。根室が本店の花丸は東京丸の内の切手ビルにも出店しているが、他の回転寿司とは比べ物にならないほどネタもシャリもよい。いい店だ。

 根室産のトキが旬で安くなった。このところ朝食によく出てくる。一時は一切れ500円だったが、100円に値下がりしている。漁がいいと漁師さんたちも消費者もうれしい。
 家に5時半ころついた。

 全行程224.5㎞、ずっと運転したが、途中で何度も車を降りて休憩したので楽だった。

 
<余談>
  数日前から庭の桜が咲きだした。紫つつじも細い枝に小さな花をたくさんつけてにぎやかだ。3日ほど暖かいのでチューリップも黄色と赤の彩を添えている。隣の家の桜もその隣も、桜が満開。
  光洋中学校の桜は今が盛り。

#3527 「九人会」川湯温泉旅行 Apr. 10, 2017 [ゆらゆらゆ~らり]

  高校時代の同級生が「九人会」という会を作っている。根室人は会が好きだから様々な会が根室にはある、そういうものの一つと考えてもらいたい。恒例行事が年に2回ある。正月2日の新年会と春の川湯温泉旅行だ。
  昨年の高校同期会の折に、散布漁協で仕事をしていたN田が「俺も参加したい」とメンバーの誰かに告げたようだ。もちろん歓迎で今回はゲストだが次回からは「正会員」である。東京から故郷へ戻った私もすぐに受け入れてくれた。
  土曜日のお昼ころに、根室の魚屋さんで刺身や冷凍煮エビを買い込み、酒も仕入れて、A野の車に6人同乗して川湯へ向かう。2時40分に到着した。
  羅臼のD目と釧路のH谷が先に到着して部屋割りを決めてくれていた。自然に役割分担ができている。わたしは根室漁協に勤務していたE藤と同室だ。さっそく風呂に入り、3時から宴会を始めた。
  他のメンバーはビールだが、わたしは北の勝「大海」をいただいた。北海島エビの剥き方下手くそなのを見かねたA野がやり方を教えてくれる。数尾やってみたら少しできるようになった。味噌の部分を落とさない剥き方がある。E藤が見かねてA野を突っつき、小声で「トシに剥いてやれ」と言う。A野が数尾剥いてわたしの皿に放り込んでくれる。胃のない私は十数尾食べたら満腹だ。6時までみんなでワイワイガヤガヤやりながら飲んだ。もう一度風呂に入って6時半から宴会である。
  コンパニオンが2名きた。御馳走が並んでいるが満腹でほとんど食べられない。N田が特別な牡蠣を持参してくれた。養殖の手のかけ方が違うのだそうだが、癖のないうまい牡蠣だった。二つだけいただいた。
  九時少し前に近くのスナックに6人で繰り出した。「ザックバラン」という店名だった。カラオケで歌って騒いで10時半すぎにお開き。店を出てラーメン食べて帰るというので、わたしは寄らずにまっすぐホテルへ帰るからと告げると、A野が一緒に帰ろうと強く誘うので、暖簾をくぐった。醤油味のさっぱり系のラーメンだった。A野が子どんぶりを頼んで、わたしに少し分けて「食え」という。これぐらいなら、明日朝に下痢を起こさずに済みそうなので食べた。優しい奴だ。高校時代から共産党でがんばっている。
  漁協関係者が多いから、牡蠣やウニの養殖の仕方、同じものでも栽培場所が異なれば味も違ってくるし、手のかけ方も千差万別。ウニの養殖には餌として草のイタドリを使うところが多いそうだ。最後に食べさせるのが昆布だ。品質の良い昆布がウニの味を決めるという。道内各地は宮城県の種苗センターから牡蠣の種を買い入れて養殖栽培しているという。厚岸には種苗センターがあり、自給自足できるようだ。厚岸湾の大黒島には固有種が棲み着いており、固有種の保存に努力している。偉いものだなと感じ入ったしだい。知らないことだらけだから、漁業組合関係者であった彼らの経験と知見を聴くのは楽しい。

  来年は夫婦同伴でどうだという提案が羅臼のDからあった。子どもの年齢が同じ友人同士は家族ぐるみの付き合いがあった時期があるが、そうではない者もいる。奥方同氏は友人関係ではないからそのあたりの配慮をどうするか、幹事さんが考えてくれる。女房殿は3人の奥方と付き合いがある。
  初参加のN田が喜んでいた。根室と浜中は離れているから、すんなりと仲間になれるか心配だったのだ。飲み始めたらすぐに高校時代の和気藹々とした気分に戻っていた。

  A野は一人ずつ家まで送ってくれた。往復の安全運転ありがとう。


<余談-1:Y岡>
  九人会は同級生の会と書いたが、一人だけ例外がいる。Y岡である。太平洋石油の根室元支店長といえば根室では大概の人が知っている。彼だけはクラスが違う。しかし、高校を卒業してからわたしのクラスのメンバーと「酒悦会」を毎月のようにやっていたから、クラスのメンバーのようなものだ。Y岡は中学校時代の同級生で、そのときの三人の親友のうちの一人である。
  高校の担任だった富岡先生は50歳を過ぎたころ、ご両親の介護のために教員をやめて東京大田区に戻られた。東京では二年に一度くらい同期会をやったが、富岡先生は毎回出席してくれた。あるとき、先生がこんなことをおっしゃった。
 クラス会に見慣れないやつが混ざっているので、「お前は誰だ?」って訊いた。そうしたらY岡が「ebisuの友人です」と応えた。「みんなも(違和感なく)認めているようなので、お前の友人ならいいかと思って、「名誉市民」として認めた」と笑っておられた。先生はY岡の人柄を一目で見抜いたのだ。
  先生は最初の癌の手術のと数年して癌が見つかり、3度手術をした。最初の手術から数えて二十年ほど、一昨年亡くなられた。好い先生だった。

<余談-2:体調>
  2月から首と右肩から腕にかけてしびれた感覚があり、だるくて重い感じがして睡眠がとれない。神経を痛みが走るので、その都度寝返りをうち姿勢を変えるがダメ。そのうちに疲れ切ってしばらく睡眠がとれる。
  35歳の時に首と左肩から腕にかけて同じ症状を起こしたことがあった。新宿西口のNSビル22階で仕事をしていたから、4階にある東京女子医大循環器センターで治療を受けた。1か月ほど通院治療を続けたが治らなかった。首の神経を切ればよくなると言われたが、神経を切断するのは乱暴な話なのでお断りして、通院をやめた。毎日冷たい牛乳を2L飲んでいたのでそれをやめた。そして肉食を減らしてみたら、徐々に症状は改善を見せて、完治した。対処が適切だったかどうかは不明だ。自然に治ったのかもしれぬ。
  今回はカイロで温湿布すると症状が改善することが分かったので、痛みがひどくて眠れない時にはやっている。東京へ2週間行っていたのでそれもあって、体重が3㎏も減少し、58㎏になった。体力が著しく低下してしまった。
  この旅行で1kg増えた。川湯の水(摩周湖の伏流水?)がおいしくて、宴会の間ずっとちびちびと水を飲み続けていた。少し元気になった、ありがたい。

#3388 北海道っていいな:2泊3日720kmの旅 Aug. 9, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 たまには少し遠出してみようと、女房殿と車で出かけた。網走を回って北見で一泊、翌朝に層雲峡を回って十勝川温泉でもう一泊という大雑把な予定だった。
 摩周温泉(道の)駅でちょっとだけ休憩し、ソフトクリームを食べて、温泉卵を二つだけもとめ、美幌峠で食事をしようとすぐに出発。気温は30度を超えていた。美幌峠に車を止めて、涼しいところで食事。
 屈斜路湖を眺めおろして後ろ側はどうなっているかと振り返ると、こちらもはるか遠くに山また山、見晴らしがよい。ここでのんびり遊んでいたら、網走へ行くのが面倒になり、北見へ直行することになった。網走市呼人の「そば切り温」の蕎麦を食べたかった。
 北見には焼き鳥を食べたくて一泊、偶然に同じホテルの同じ部屋だった。ついた日がお祭りの最終日。胃がないので食事に制限があり、駅前のビル6階でお蕎麦を食べたが、5割蕎麦いや4割かも。量が多いだけ。専門店ではないからこんなもの。例によって、わたしは半分ほどしか食べられず、女房殿は1.5人前食べさせられて大迷惑。(笑)
 ホテルの前のお店で焼いていた焼き鳥はおいしかった。これが食べたかったのだ。大きく切った鶏肉の間に申し訳なさそうに北見産の玉葱がちょこんと挟まっている。柚子酒を飲みながらいただいた。北見の気温は33度、寒い根室から真夏の国・北見へ「夏体験」に来たようなもの。(笑)
 東京で35年間暮らしたので、33度はそれほど暑く感じない。ここは北海道、空気がさわやか、水もおいしい。

 翌日(8/9)は層雲峡へ向かう。女房殿は4回ほど来たことがあって、流星の滝を見たかったのだが、トンネルができていて道路沿いにはなかった。トンネルを出るともう層雲峡温泉街だった。川沿いに散策道路があるようだ。車は入れない。進入禁止になっていたから、一方通行道路なのかもしれない。
 トンネルに入る前に「大函、小函」の標識があったから、そこの駐車場へ車を止めて歩けばよかったのだろう。普段歩かないわたしは億劫だった。女房殿は雨が降らなければ毎日5~7kmくらい歩いているから平気だろう。
 三国峠を通って帯広へ向かった。道路の向こうに見えた大雪山には8月だというのに雪が残っていた。途中、高いところに橋が架かっていたが、運転しているわたしはまっすぐ前だけみていた。高所恐怖症なのである。地震があったらどうしようなんて余計なことが頭を掠める、怖いだけだ。
 途中にある、糠平湖で車を降りた。「ひがし大雪山自然館」という環境省の建物があった。木造でデザインも立派、トイレも最新設備。鳥類の剥製・昆虫のコレクションがきれいに陳列されていた。鳥類や虫が好きな小学生にはいいスポットだ。
 湖のすぐ近くまで車を乗り入れられるので、そちらへ移動し木陰へ車をとめた。北見のデパ地下で買ってきたものを広げて食事。湖畔を歩いたら、キリギリスが鳴いていた。

 上士幌のナイタイ高原牧場へと向かう。女房殿は30年ほど前に訪れたことがあるというので、わき道に入り、10kmほど畑と山の中を走って牧場の中に入ると、実に見晴らしのよいところだった。空と山の境目が見えなくなり、頂上付近の目的地へ着いた。景色の様子が違うので、女房殿、確かこの辺に2階建ての建物、ビジターセンタのようなものがあったはずだという。四葉乳業のソフトクリームを食べていたら、霧が這い上がってきて、雲の中にいるようだった。写真を撮ろうにも、すぐ目の前しか見えなかった。
 昔あった建物は1階部分だけ残して解体してしまったようだっだ。建て替え資金の募金箱があった。昔は国営の施設だったようだが、上士幌町へ払い下げになってから、維持がたいへんなのだろう。

 帯広市内で買い物をして、十勝川温泉「ホテル大平原」へ泊まった。ネット予約を入れてあったが、部屋が広かった。4畳と6畳の和室、5坪のベッドルーム。洗面台は広くて豪華、内湯のバスタブは1.8mほどもある広いもの。もう建ててから40年近くもたつのではないかと思うが、トイレとバスタブと洗面台は最新の設備になっていた。建物の外装も手入れがしてある。昔は十勝川温泉でナンバーワンホテルだったが、新しくて立派なホテルがいくつも建ったので、建物ではないところで勝負をしている様子。古い建物に手入れをしながら、アイディアを絞っているようだ。ネットで、夕食抜き・朝食付きという選択肢を見つけて歓んだ。胃がないわたしは料理を並べられても半分も食べられないから、温泉ホテルは敬遠していた。団塊世代のわたしは食べ物を残すのが嫌いだし、第一半分も残したら、料理を作ってくれた人がどういう思いをするかを想像しただけで気の毒になる。だから第一ホテルの「夕食抜き」をいう選択肢がありがたいのである。
 空調がセンターコントロールになっており、自動的に冷房が入ったり切れたりする。ダクトを送風装置の音が伝わってくるのが、ちょっとうるさく感じた。送風機のファンを交換するだけでカラカラとうるさい音はなくなるのではないか。部屋のドアもオートロックではなく、昔の鍵のままでドアも安っぽかった。オートロックにしたり、各部屋で空調のセットができるように直すのは、配線やダクトの撤去、部屋ごとの空調機取り付けなど、かなりの無理がある。経営者は10年後にどういうホテルにするのだろう?川湯温泉街は老朽化して維持費の捻出できないホテルが目立つ。

 8時ころお風呂に入り、夜中の4時過ぎにもう一度入った。どちらの時間帯も数人しか客がいなかったのでのんびり楽しめた。朝の露天風呂では新鮮な空気と鳥たちの囀り、透明感のあるこげ茶色のモール温泉は肌がつるつるして気持ちがよい。お風呂の周りには暑さ3cm、幅40cmくらいの檜板が貼り付けてあるので、うっすら香りがした。肩まで湯につかるほどの深さだった。湯温は42度くらいに感じた。三つの浴槽のうち露天風呂が一番熱い。
 檜の板の上で半跏趺坐して鳥の声に耳を傾ける。すると「ホーホー、ホッホッホ」と3度フクロウが啼いた。低音でよく響く声だ。しばらくそのまま呼吸を整えていたら、また2度啼いた。森の神様が歓迎してくれているような穏やかな気持ちになれた。
 内湯は3つ、二つはモール温泉、もう一つは一番大きいジェットバス。内湯は湯温が41度くらい、深さは肩が10cmほど出る。浴槽ごとに微妙に深さを変えている。

 朝食はバイキングである。料理の種類が多かった。250席ほどのホールに7割ほど人が埋まっていた。7-9時までが朝食時間だから、2回転ぐらい、350人ほどが宿泊していたのだろう。ピーク時にはお風呂は相当混雑していたはず。
 右隣のテーブルと同じテーブルの左側に来た人は台湾か中国の家族連れだった。意外に思ったのは、中国人は箸の使い方が下手だということ。箸の持ち方が悪い、家庭での躾がなされないのだろうか?箸の文化は日本には古来からあったものなのか、中国から伝わったものなのかは知らぬが、日本人の箸使いは洗練されている。しかし、その日本でも、箸の使い方の躾がちゃんとできる親が激減しているようだから、30年後の姿は想像したくない。洗練された文化はしっかり受け継いでもらいたい。中国人が日本人の箸使いが美しいから真似てみようと言われる様であってほしい。

 旅行をすると体重が減り疲れる、すると耳の中で自分の声が響く。声の調子が変わるようで、女房殿にはそれがすぐにわかるようだ。「耳、おかしいでしょ」とバレる。
 体重が1kgほど減っただけで、耳の中のどの部分かがやせてしまうのだろうか。家に戻って飲み食いしたら戻った。

 台風は去った。宵宮の太鼓の競演は中止になったが、明日(10日)のお昼に神輿が金刀比羅神社を出発する。お祭りに戻ってくる若者が多い。うれしい日だ。


<余談:ルーツ>
 帰り際、女房が木彫りのフクロウのストラップに名前と日付を入れてもらっている間に、彫っている人と雑談をした。経営者は今でも中津川さんですかと訊くと、そうですという返事。さらにいくつぐらいか訊いたら40代半ばだという。わたしの父方のご先祖は中津川から釧路の「カネ吉」伊勢旅館は養子に入ったと聞いている。「ホテル大平原」の中津川さんとは縁戚関係で親父の代までお付き合いがあったが、わたしは面識がない。大平原の先代は気球の好きな人で、気球を飛ばして遊んでいた趣味人でもある。その息子さんの現会長は60代後半、ドアの向こう側で、気球をいじっていたようだ。親子はどこか似たところがあるのだろう。
 釧路で明治10年代に旅館業をはじめたのが重兵衛だから、この人が養子に入ったとすると実家と同じ旅館業をはじめたことになるし、その次の代の寛三だとすると、同じ旅館業ということで養子縁組されたのかもしれない。この辺りは聞いておらずはっきりしない。中津川の先代なら知っていただろう。釧路に中津川姓のおばが一人いる。子どものころどういう親戚かわからなかった。オヤジがいとこの一人だといっていたような気がする。ホテル大平原との関わりは、根室管内のお袋関係の親戚の会を十勝川のホテル大平原でやった写真があったからだ。気球好きの先代と落下傘部隊の生き残りのオヤジはウマがあったようだ。当時私は東京住まい、帰省した折に写真があり、親戚だというので、どういう親戚かオヤジに訊いた。

 カネ吉伊勢旅館は北海立志図録に2階建ての建物の絵が載っている。佐藤尚著『釧路歴史散歩(上)』釧路新書126ページに重兵衛の名前と絵図が載っている。重兵衛の養子である寛三がわたしにはおじいさんにあたる人だ。多少勉学に興味があったのか、東京の大学へ通っていたが、重兵衛さんが亡くなると、親戚が財産を使い始めたので、人に使い尽くされるくらいならと、大学を中退して釧路に戻り、飲む・打つ・買うの三拍子で当時50万円あった財産を蕩尽したそうだ。1万倍するとほぼ現在の金額になるだろう。京都のお寺へ嫁に行った婆さんの姉か妹の話だが、「50万円も財産があったのによく使えたね」とあきれていたという。自分の住まいもなくして長屋住まいで亡くなった。バカで豪快で面白い人だったようだ。婆さんから面白い話を聞いているが、教育上よろしくないので書かない。(笑)
 オヤジはなかなか元気のよい子どもだったようで、釧路のやくざの親分から養子にほしいと乞われたことがあったそうだ。
 落下傘部隊の生き残りだったから、戦後まもなくのことだが、富良野の映画館でやくざ5人に絡まれて、数分して甥っ子が行くと、みんなぶっ倒れていたという。もともとボクシングもやっていたし、秘密部隊だった落下傘部隊の訓練は厳しく、1人で正規兵を3人相手にできたというから、因縁をつけた相手が悪かった。それ以降、オヤジが歩いていると、富良野のやくざはさっと道を開けたという。
 「加藤隼戦闘隊」という戦時宣伝映画の降下訓練撮影で、直前の隊員が躊躇して飛べなかったのを両手で押しながら飛行機の外へ飛び出したときに、右腕に主導索が絡まって複雑骨折し、左腕でパラシュートを開きなんとか降りた。右腕はブランとぶら下がっていたから、バランスがとれずに降りたのだろう。戦場でないところで危うく死ぬところだった。映画が上映されたときに釧路の丸三鶴屋デパートへ宣伝用にオヤジの大きな写真が飾られて、兄弟姉妹の知るところとなった。秘密部隊だったから、親兄弟にも部隊に関することは言えなかったのだ。右腕複雑骨折で療養している間に部隊はばらばらになって南方へ送られた。いつもの出動の通り行く先は秘密だから、何も訊かない、何も言わない。これが最後、左腕で敬礼して仲間を見送った。
 一部は輸送機からパラシュートで降下して、3日間南方の島を米軍から取り戻したが、後方支援が来ずに、追い詰められて玉砕している。他の者たちは「空の神兵」として戦意高揚のために現地支援へ船で送られ戦死しているから、ほとんど生き残っていない。戦後、自衛隊から空挺部隊の教官として来てほしいと何度かお誘いがあったが、断っていた。みんな戦死したから、結婚もせずに散った仲間の分も幸せになるんだと、オヤジが言っていた。若い者を訓練すれば九州の部隊から仲間を見送った当時を毎日思い出すことになる、「靖国で会おう」と言い残した仲間に左腕で敬礼してただ見送った。大腸癌の手術をしてから、一度だけお袋と二人で靖国神社へ行った。執刀外科医が再発まで2年と言い切っていた。オヤジには知らせなかったが、命の終わりを感じていたのだろう。
 オヤジは戦死ではなく癌死だから靖国へは祀られないが、本望だったろう。寿命いっぱい生きた、生きたくても死ぬしかなかった仲間たちの思いを背負って生きた。
(大腸癌治療の際に、治験薬で口が渇き、口内の皮がはがれたが、一ヶ月間水を飲まずに協力した。治験期間が終わってスプーンでいっぱいだけ水を口に含んだときに、「あ~あ、うまい、こんなうまい水はない」と言ったそうだ。担当医は1ヶ月我慢できる人はいないと言ったが、弱音は一度もはかなかった、あれがオヤジなりの戦いだったのだろう。)
 お袋と一緒になったときに、後遺症があってしばらくの間は右腕が上がらず口を腕のほうへ近づけて食事していたという。お袋は長兄が終戦後のソ連軍の侵攻時に戦って満州の荒野で亡くなっていたから、親父に会ったときに戦傷で体が不自由になった兵隊さんと結婚してあげたいと思ったそうだ。2002年にふるさとに戻って一人暮らしのお袋と一緒に住み始めたころそんな話を聞いた。そういう話を聞けただけでも戻ってきてよかった。わたしの記憶ではオヤジの右腕が不自由だったということはない、運動神経が抜群で何でもこなす器用な人だったのである。なにしろ60歳になってから、本を読んで一輪車に乗り、体協の資格を取って、地元の小学生に一輪車を教えたいたくらいだから。いま40歳前後の根室っ子の中にはオヤジに一輪車を習った人が百人はいるのではないか。


<美幌峠>
 屈斜路湖と中ノ島が後ろに見える
SSCN0663.JPG

<雪が残っている大雪山>
 三国峠の下り道です、左右横に2筋ずつ雪が写っています
SSCN0662.JPG

<糠平湖>
 左側の湖畔に丸太組みの喫茶店があります。
SSCN0659.JPG


      70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村


#3352 いらっしゃ~い:東京から1ヶ月の避暑に根室へ  July 6, 2016  [ゆらゆらゆ~らり]

 家の前の草取りをしていたら、私と同じくらいの年配のご夫婦から「東根室駅はどこですか?」と聞かれた。
「まっすぐ下へ降りていけば東根室駅ホームです、駅舎はありません、どちらから来られたのですか?」

 そう訊くと、東京だという。わたしの住んでいた市の隣にお住まいであることがわかった。小学校のときに根室へ転校し、花咲小学校の卒業生だという。光洋中学校を指差して、
「校舎はもっと右寄りになかったですか?」
 そう訊かれた。昔は右よりのところに校舎があって、一部は厩舎を改造して造ったものであった。一番右端が畑になっていたはず。戦後すぐのころは食べ物が不足していたから、当時の根室中学校の生徒は畑を耕して大根やジャガイモを植えたそうだ。トイレから長柄の柄杓で人糞を掬い取ってバケツにいれ、天秤棒で担いで運んだそうだが、チャップンチャップンはねて服についたそうだ。天秤棒がしなって揺れるので、はねるのである。この話は一回り年上の親戚のおじさんに昔聞いた。

 東京郊外からいらっしゃったご夫婦は団塊世代の私よりも一回り近く年上だが、ずいぶん若く見えた。
 1ヶ月間、教員住宅を借りて過ごすのだそうだ。奥さんが「涼しい!」と喜んでいた。
 東京に比べると根室は夢のように涼しい。のんびり楽しんでください。

 その暑い東京から女房殿が今夜戻ってくる。「寒い、寒い」というだろう。家に着けば床暖房がないっている。好きな森永パルムアイス・アーモンドを食べたらいい。(笑)

〈 余談 〉
 冬場も1週間程度の滞在希望の人は首都圏にたくさんいます。流氷を見てみたいのです。岸壁だらけになっていまでは砂浜も石の突堤もなくなりましたが、昔は浅いところで流氷に乗って遊べました。岸壁を崩して流氷に乗れる浅瀬があったら、写真をネットにアップすれば、結構な数の観光客が来ますよ。ホラー好きの若い女性には夜の流氷がおススメです。大きな氷塊が波でこすれて、ギギギィ、ガリガリ、いろんな音がして、そこいらじゅうに魔物がいるような気がしてきます。とっても怖いのです。「深夜に流氷のざわめきを聞く会」2月下旬から2週間ほど試してみたらいかが?


      70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村


#3333 攻めの健康法(2):四股踏み  June 19, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 「攻めの健康法」の二つ目は、2週間前からはじめた「四股踏み」です。スクワットはしていたのですが、テレビを見ながら時々やっても楽しくありませんでした。四股踏みをやってみようと、これもネットで検索して動画をみて真似しています。
 ネットで検索して白鳳の土俵入りの画像を見ました。すごいですね、爪先が180度、正反対の方向を向いています。あれだと左右の重心移動には強いですが、前後のバランスがとれません。体幹がしっかりしているのですね。実に見事、美しい四股踏みです。股割と四股踏みという基本を徹底的に繰り返してああなったのでしょうね、白鳳はすごい!
 開脚して胸が床にぴたっとつくわたしでも、白鳳のように足は上がりません。足が完全に180度に開かないとあの形は真似ができません。股割りと四股踏みを毎日繰り返して柔軟な身体を造りあげたのでしょう。

 右足を左足にひきつけ、それから右足を上げると、最初の一週間はバランスを崩してよろけました。でもだんだんに慣れてきます。2週間やったら、ほとんどよろけなくなりました。身体を支える骨と筋肉と、身体を動かす筋肉の連動(これすなわち体幹)がよくなります。
 教室で四股踏みの型を披露。片足上げてちょっとやってみせて、女子バレー部の中学生に「バランスとるのが難しいから、やれるかな?」と言ったら、二人ともぜんぜんぐらつかない。体幹と足の筋肉がずいぶん鍛えられてました。見事なもの、あっぱれ。
 
 四股踏みはいつでもできます、道具も必要ありません。テレビを見ているときに気が向くと四股を踏みます。たった10回でも、身体は温まります。小分けにして10×5セット、いや10セットくらいやってるかな。
 効果覿面、体がふらつかなくなりました。腿に筋肉がつきが少し太くなりました、腕も木刀を振っているのですこし太くなったようです。

 自転車は使う筋肉が違います。ほんとうは歩くのが一番よいのでしょうが、ものぐさなわたしには向きません。
 気が向けば素振り用木刀を振ったり、足を鍛えたくなれば四股を踏む、程々がよろしいようです。


*#3332 攻めの健康法(1) June 19, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-19

      70%       20%      
 日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

前の10件 | - ゆらゆらゆ~らり ブログトップ