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#3989 腸内細菌と認知症:適度な運動の役割 May 11, 2019 [36. 健康]

 国立長寿医療研究センターの調査・研究で腸内細菌と認知症との間に関連があることがわかってきた。バクトロイデスという腸内細菌の多いタイプが認知症が少ない。
 ブログ「オータムリーフの部屋」さんが、その調査研究をまとめてくれているので、認知症の危険因子を減らして、ピンピンコロリがお望みの50代から上の方たちにお読みいただきたい。

*オータムリーフの部屋「認知症の危険因子」
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100?fm=rss

 ほどほどの量を食べ、適度に運動してBMI*値をコントロールすれば、健康でしかも脳の方も認知症を起こさずに済むなら、結構な話ではないか。
 毎日ほどほど歩くもよし、スポーツジムの会員になって運動するもよし、週に1度くらい泳ぐもよしだ。わたしは、サイクリングがいい。30-60分程度のサイクリングなら無理がなくて楽しい。
 今日は土曜日だから33㎞走ってきた。写真付きで根室の原野やオホーツク海に浮かぶ国後島の島影、そして太平洋の景色をお楽しみいただきた。#3990でアップします。

*BMI
https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228732



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#3982 胡坐から立ち上がれますか:老化度チェック May. 3, 2019 [36. 健康]

 昨日(5/2)のことである。テレビを見ていたら、老化を判定する動きをやっていた。
 胡坐(あぐら)をかいて足を交差させたままゆっくりと立ち上がれなければ、歳を召した証拠で筋力が弱っているといってトレーナがやってみせた。確かにその通りなのだろう。今どきの言葉ではロコモティブ・シンドロームというらしい。ロードバイクに乗って飛ばしているから、それくらい簡単だろうとやってみたら、こけた。こけただけならいいのだが、左側に座卓があった。133㎝×77㎝の無垢板だから重い、腕が当たっても座卓はびくともしなかった。したたかにぶつけ、しばらくしてもヒリヒリがおさまらぬ、腕をまくってみたら、2か所3㎝くらい擦り剝けていた。
 散歩すらしないから脚の筋力が衰えっぱなし、自転車で使う筋肉は座ったり立ったりするときに使う筋肉とは違っていることがやってみてわかった。

 そういうわけで、今朝から庭で四股踏みを再開、そして昨日の復習である。足を交差させてから、お尻が地面につくほど下げて、ゆっくり立ち上がる、これを20回ほど繰り返したら、身体が暖かくなってくる。
 転んでも大丈夫なように畳の部屋でやってみた。胡坐をかいてから勢いをつけると立ち上がれるが、ゆっくりは無理だ。1か月後にできたらいい。これなら、気が向いたときに1分間でも家の中でやれる。

 ブログ「オータムリーフの部屋」さんが「危険な高齢者」と題して、高齢者の車の運転の危険に警鐘を鳴らすと同時に、「フレイル(虚弱)」、「サルコべニア(加齢に伴う筋量減少)」「ロコモティブシンドローム」の解説をしている。ブログ主はいつもよく調べて丁寧な解説をする女性である、分野が多岐にわたるから好奇心の強い人の様だ。クライミングそれも岩山登山が好きだったようだ。興味のある方はお読みいただきたい。どういうわけか、わたしはずっと男の人が書いていると思っていた。2年ほど前に女性だと気がついた。ebisuと年齢はあまり違わないのかもしれない。

*ブログ・オータムリーフの部屋
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/f06582f917b3fede44f46d6f7af43c98
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/c/f68e7cc89f1dc9cb61f1a78b6fd186fb

*長寿社会のフロントランナー 秋山弘子
https://www.platinum-handbook.jp/contents/5/?fbclid=IwAR0RJb_TwncvmbflWqVY9SHMCZwGw8Z34Jt9D4z55ZgXJoYio_whbDFOGGs

①痩せてるから、骨にぶつかって皮膚が擦り剝けます、太りたい(笑)
SSCN2633.JPG

②「犯人」はこの座卓です
SSCN2636.JPG


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#3955 眼科受診:それぞれの人が仕事をまっとうして社会がなりたっている Apr. 4, 2019 [36. 健康]

<最終更新情報>
4/6 朝8時追記

 2年くらいまえから左目の視力が落ちて気になっていた。東京へ遊びに行ったついでに、度の合うメガネを作ってもらおうとメガネ屋さんで視力検査をした。年配の人が対応してくれて、視力検査と度の調整をした後で、左目の視力低下は何らかの目の病気によるものかもしれないので眼科受診をしてから眼鏡を作ったほうがいいといわれ、翌日近所の眼科クリニックで受診した。
 眼科クリニックで再測定してくれたが、眼鏡屋さんとまったく同じ結論で、眼鏡で矯正しても左目は0.5、右は1.0、左は白内障だとの診断。手術をしてから眼鏡をつくるべきだとのご託宣。
 左目の被写界深度が15㎝ほどしかないので、本を読むのに右目だけで読んでいる。右目だけからの入力だと脳の働きが違うような気がする。ドライブは右目が遠くまではっきり見えるから問題なしだ。ふだん、本を読むのにうっとうしい、そして右目がつかれる。右目へ過度な負荷がかかり続けたらいいわけがない。右目から「きついよー」とサインが出ているような気がする。気のせいだろうが…
 血圧を測ってきてくださいと言われて、2台設置してある自動血圧計測定器の右側のほうへ右手を入れ、スイッチを押した。プリントされた測定データを見てびっくりした。75-125、普通の血圧である。スキルス胃癌の手術(2006年)後はほぼ50-90の値で、最高血圧が100を超えたことなど一度もない、事前に言っておかないと看護師さんが首をかしげて測定しなおすほど低いのである。「50-90でしょ、それでいいんです、わたしが気がついていないだけで死んでいるのかもしれません」、冗談のつもりだが、一瞬ぎょっとして、間をおいてからほほ笑んでくれる。
 どういう具合だろう?ほんとうにこんなに上がっているとすれば、なにか疾患が隠れている可能性が大きい。歳をとると毎年どこかに異変が現れるから自分の身体に自信がなくなる。要するにポンコツ、ここを直せば次はあちらが悲鳴を上げ始めるという具合。

 東京の眼科医羽藤先生の説明だと白内障には単焦点レンズと多焦点レンズがあり、前者は保険適用、後者は自由診療で30-40万円。多焦点レンズを選択した患者さんにクレームが多いという。元のように見えるわけではないからそんなに期待しないほうがいいとのこと。わたしと年齢が近いその女性眼科医に、「あなたならどちらを選びますか?」と訊いたら、「単焦点レンズを選びます」はっきり。「いま眼鏡を作っても無駄です、白内障の手術をしてからです」とこともなげにおっしゃた。眼科医からみたら白内障の手術は眼鏡を新調することとそんなに変わらぬどうってことのないもののようだ。50年前の眼科医が聞いたら現代医療技術の進化に仰天するだろう。

 根室へ戻ってきて、まず主治医の岡田先生へ相談、根室の眼科と釧路、日帰りなら札幌があると説明された。市立病院の眼科医は同じ大学の後輩で腕がいいという。根室高校同期の数人からも市立の眼科の大谷先生の評判が耳に入ってきていた、すこぶるよかった、それで紹介状を書いてもらった。

 スキルス胃癌と巨大胃癌を併発した2006年のとき紹介してくれた入院先は国立旭川医科大学の先輩、消化器内科医の冨田先生が副院長の病院で、巨大胃癌が胃の出口を塞いでいてモノが食べられない状態だったから緊急手配してくれた。釧路市立は入院まで一月ほど待たなければならない、スキルス胃癌の自覚症状もあったので、手術は緊急を要した。釧路医師会病院なら同門なのですぐに手配できるとのこと、ありがたかった。手遅れだったが、どいううわけか生きている。執刀医の後藤幹裕先生に感謝だ。あのころ30歳前後ではなかっただろうか、思い切ってやってくれた。開いて手遅れだと思ってしばしためらい、閉じようとしたら、院長の浅川先生が「ざっくり取ったらいい」とおしゃった。リンパ節に転移、大腸に浸潤していたし、開腹時の肝臓触診でも肝転移が疑われた。病理標本はSRL八王子ラボへ送られた。病理課長は旧知の名取さんだったかもしれないが、ebisuさんこれではアウトと思っただろう。「巨大胃癌とスキルス胃癌の併発」と所見が書き込まれていた。助かるはずがない症例だったが、生きている。
 いましばらく猶予してやるから何か世の中のお役に立つ仕事をやれということだろう。縁とは不思議なものだ。また同じ医大系列のドクターにお世話になる。

 再度一通り検査を済ませたが、メガネで強制すれば左目は0.7、右目は1.1にできるので、白内障手術は数年先にしてもいいし、いまやってもいい。左目は少し緑内障にもなっているとのこと。これは自覚症状がなかった。わたしの希望は、被写界深度が15㎝くらいしかないので、本を読むのに右目で読んでいる、両目を使って読みたいので右目と同じくらいの被写界深度が欲しい。車の運転時は眼鏡で調整できればいいと伝えた。白内障手術で左目の被写界深度を右目と同等程度の50㎝くらいにできるそうだ。

 ようするに老化だ。昨年正月は尿管結石、今年は軽い喘息症状と白内障、来年のことは鬼が笑うので心配しないようにしておこう。何がでてくるのか、楽しみというわけにはいかぬ、何もないのが一番だ。
 先月とうとう70歳になった。生徒にそう伝えると「おめでとうございます」と言われた。突然言われて、ああおめでたいのだなと合点がいった。2006年に巨大胃癌とスキルス胃癌の併発で死にかけたことを忘れていた、生徒のほうが普段のわたしを見ているのでよくご存じだ。とりあえずこれで東京暮らしが35年、ふるさと根室が35年のfifty-fifty、分岐点に立っている。ほんとうにめでたい気がしてきた。こんなことを言ってくれるから生徒たちはとってもメンコイのである。
 医療技術の不断の進化のお陰でなんとか生きている、ドクター、看護師さん、薬剤師さん、レントゲン技師さん、薬剤師さん、掃除のスタッフのみなさん、事務スタッフのみなさん、それぞれの役割を受け持って医療を支えてくれている、ありがたい。

 わたしもせっせと自分の仕事に励み、地域医療を支える医者や看護師やレントゲン技師や薬剤師や理学療法士を目指して勉強に励む生徒たちも応援したい。なりたいものが決まったら、そこを目指して努力する、そういう生徒たちが希望をかなえれれるように力が貸せるのはじつに楽しい。まだしばらくある寿命、自分にやれることをしっかりやり続けたい。
 今日診察してくれたのは大谷真一先生、よろしくお願いします。

<余談-1>
 急にテレビがつまらなくなり、昨日から見ていない。見て楽しければ、またそのうち見るようになるだろう。

<余談-2:三代のお付き合いと人材育成共同プロジェクト>
 大谷先生が紹介状をみたあとで、わたしの職業を尋ねた。岡田優二先生との関係が知りたかったのだろう。「塾をしてます、岡田先生は主治医であり、高校2年になる先生のご子息は教え始めて6年目の塾生です」、ついでに直近の全国模試の偏差値を内緒で伝えた。市立病院へ子どもを連れて赴任してきても医学部受験は問題がないことを知ってもらいたい、根室はいま首都圏と変わらぬ体制で受験準備ができる。市立根室病院に30-40代の先生が増えてくれたらうれしい。件の「ご子息」は数学と英語の2科目なら全道一の進学校の札幌南へ転校しても5番以内の偏差値だろう。根室高校からでも国公立大学現役医学部受験はできる。生徒を挟んで阿吽の呼吸で、根室高校と私塾との「産学共同」プロジェクトをやっているようなものだ。生徒が学年担任と学年主任とのミーティングで要望事項を述べ、高校側がニーズにかなうように動いてくれるようになった。首都圏でもトップクラスに位置するような学力の生徒を産学共同で育てた経験が根室にはなかったが、事実上三月から始まった、慶賀すべき変化が起きてしまった。
 根室の学校と私塾の教育システムへの信頼がないから学齢期の子どものいる若い医師が赴任して来ない、ならば実績をつくり広く知らしめることだ。そうしたシステムをつくりたいから、オープンに協力する体制を築きあげる方向で仕事している。
 鮮明な旗を高く掲げれば、このプロジェクトに必要な人が自然に集まってくるのがモノの道理というものである。そうなりつつある、わたしは状況の変化をじっと観察していればいい。天の配慮としか言えない、予想もできないことの連鎖が生ずる。業種を変え転職を繰り返した東京のサラリーマン人生でこうしたことは何度も経験した。私的な利害損得を離れ、情緒をきれいに維持するだけでいいのである。あれこれ画策する必要はまったくない。

 岡田医院の前院長、「おじいさん先生」(わたしはいまはそう呼んでいる、数年前までは「お父さん先生」と呼んでいたが、孫を教えるようになってしばらくしたら「おじいさん先生」と呼ぶようになった。年寄りということではなく、親しみを込めて敬称のつもりである。おじいさん先生もあるとき、「助かるはずのない症例だった」と無事であることをワインを飲みながら喜んでくれた。あれは極東の名店、ワインバーサリーだった)はオヤジの主治医だった。おじいさん先生に大腸癌の疑いアリと診断をしてもらって釧路市立病院で手術し、執刀外科医森山先生の予告通り2年後に再発し亡くなった。オヤジの癌の最初の手術の時は、釧路市立病院からSRLに免疫電気泳動検査が依頼されていたので、事情を話してデータを教えてもらった。担当者で女性の鈴木さんは「悪性新生物です」と申し訳なさそうに云った。彼女はそれ以前から知っていた。臨床病理医の櫻林郁之助先生が免疫電気泳動検査の顧問をしていたので検査を担当していた一人であった。臨床化学2課ではめずらしい院卒だった。あの頃私はSRL学術開発本部スタッフとして、開発部の仕事と学術情報部の仕事と精度保証部の仕事を兼務していた。検査データは親子だから、そして管理しているのが学術情報部だから聞くことができた。他の部門の社員では不可能だっただろう。社内手続きが面倒だし、おそらく学術情報部門は丁寧にお断りする。このとき、わたしの発案で始まった臨床検査大手5社と病理学会臨床検査項目検討委員会委員長の櫻林先生と産学共同プロジェクトが3年目に入っていた。学術部長はSRL側のコントローラの役目をお願いした川尻さん(スタート時は臨床検査部長)だった。データ開示はもちろん直属上司の石上取締役の了解ももらってのことだ。人間関係は大事なのだ。このときには、慶応大学産婦人科との出生前診断に関する産学共同研究プロジェクトのマネジャもしていた。これも5年くらいかかりトリプルマーカMoM値は事実上の日本標準基準値となり、数年前までそうだった。現在は新しい検査法に変わっている。臨床検査項目コードの産学共同プロジェクトのほうはその2年後くらいにプロジェクトが終了し、いま全国の病院の医療システムが、臨床病理学会の標準臨床検査項目コードで動いている。もう20年以上たつが保険点数の改定がある都度、標準臨床検査コードを配信しているのはいまでもSRLに設置した事務局だろう、もちろん市立根室病院の医事管理システムもその臨床検査項目コードで動いている。
 あのプロジェクトは臨床診断支援システムを開発して事業化するための10個のプロジェクトの一つだった。1985年の構想である。臨床検査項目コードは世界標準をめざしていたのだが、わたしが関われたのは立ち上げ1年間ほどだけ。櫻林先生は世界標準へと昇華させることを断念した。日本が世界標準制定に寄与したことは台風の藤田スケールぐらいなものかな。臨床診断支援システムは医学生の教育にも絶大な効果の期待できるシステムだった。通信回線がネックになっていたので画像が安価に伝送できるようになるのはいつころか見通しを聞くためにNTTデータ通信事業本部と数回ミーティングした。誰に聞いたってわからなかっただろう。専門家の意見を聞かずに自分で判断すべきだった、わたしのミス。もう十数年も前から通信速度もコンピュータの計算速度も要求仕様を満たしている。大きな視点で仕事する日本人が現れてほしい。

 オヤジの大腸癌が再発し肝臓転移、骨転移したときには、関係会社管理部へ異動し、2社の取引先臨床検査会社からの依頼で経営診断や経営改善の具体策作成、ついで買収交渉を担当し、北陸の太陽構成研究所を買収し子会社化、そして資本提携を決めた福島県の臨床検査会社へ出向役員として赴任したばかりだった。「どちらにしますか、どちらでもどうぞ」というのがSRL創業社長藤田さんの意向だった。北陸のラボの経営改善は簡単だった。千葉ラボで生産性を3倍にアップするラボシステムを開発済みだったから、其れをブラッシュアップすればいいだけ。福島県の赤字の臨床検査センターのほうは事情があってその手が使えない、別の手を考えなければならなかった。だから手ごわい方を選んだ。黒字の改善案を作成したとたんに出向解除、本社経営管理部へ異動した。2年弱ごとにまったく異質な部門へ次々に異動していた。(笑)
 学術開発部門にいたときに本社で原価計算システム見直しと、わたしが一月ほどで外部設計書を書き上げた統合システムが9ケ月の開発期間を経て84年末に本稼働したが、パッケージシステムへの載せ替えがテーマに上がっていた、90年ころだったかな。副社長はわたしに担当させようと上司の石上取締役に異動の打診をしたようだが、断られたのだろう。システムは載せ替えただけ、結局原価計算システムの見直しもできなかった。必要な技能を担当した者がもっていなかったから当然の結果で、NCDさんの宇田さんに「載せ替えお願いします」と依頼するだけで済むような仕事になっていた。宇田さんは85年から統合システムのメンテナンス業務を委託していたNCD社の担当者だった。上司の女性のSEへわたしが依頼した仕事の大半を彼がこなしてくれたいたから、スキルがずいぶん上がっていた。数年してから、ebisuさんから指示のあった仕事は「宇田、やれるだろうと上司の女性SEである鈴木清美さんから丸ごと預けられ、たいへんでしたが、スキルは上がりました」、そういって笑った。わたしの指示は具体的で、自分がやれない仕事は依頼しない、ギブアップしたときにはわたしがでて全部解決するから、NCD社のSEさんたちは、「できません」と言ったことは一度を除いてない。稼働後最初の半期決算でデータの移し替えの時に買掛け金支払い管理システムのデータが移せないと、NCD社のトップレベルのSEが三人が雁首を揃えてきたことがあった。話を聞くからファイル関連図をもってきてほしいと頼んだ。村山SEと塚田SE、そしてその時担当だった女性のSE栞さんがきた。ファイルフロー図を広げてもらい、どのファイルを使って処理して、どの部分で処理不能になるのか、説明してもらった。素人が百数十もあるファイル処理関連図を見てわかるわけがないという顔していた。5分ほど眺めて質問をいくつかしてから、処理方法を提案した。「これでできませんか?」、しばらく声がなかったが「…できます」、この手の事務系統合システム開発ではおそらく国内トップレベルのSE三人だった。それ以降、「できません」とはけっして言わなくなった。言えばわたしがまた何か持っておいで、相談に乗るというから。(笑) あれは稼働半年後、1985年のこと、SRLへ転職して2年目だった。全社予算編成と統括管理もわたしの仕事になっていた。決算処理と翌期へのデータ移行までちゃんと見てシステム開発の仕事は完了する。
 90年当時ならパッケージへの載せ替えだけなら、NCD社の宇田さんへ伝えるだけであいつが全部処理できた。6年間のメンテナンスで宇田さんは統合システムの隅から隅まで知り尽くしていた。若い人の成長は短期間でも目を見張るものがある。
 原価計算システムはじつは画期的な構想があった。5つのディメンションに分割した財務指標の偏差値を利用したの利益管理システムの一環として、利益シミュレーションを組み込んだ構想を途中までまとめてあった。25項目の経営指標偏差値による業績評価システムは91年ころに子会社業績評価システムとして実用段階にあった。その関連で原価計算システムをベースとする、新規商品導入の利益を極大化する利益シミュレーションシステムを考えていた。論文にまとめれば世界で初事例の画期的な原価計算システムだっただろう。臨床検査業界No.1のSRLには面白い仕事がいくらでも転がっていた。

 ある日、突然副社長の谷口さんから電話があり、八王子ラボへいく、応接室で話があるので部屋の予約をしておけという。何のことかと思ったら、「関係会社管理部への異動は石神取締役に伝えるな、社内公示があるまで厳秘だ、話がもれたらこの異動はご破算になる」、これには困った、石神さんとの信義の問題があるからだ。学術開発本部のマネジメントはわたしが担っていた。あとで社内公示で異動を知った石神さんに叱られた。「申し訳ありません、言えませんでした」とだけ伝え、副社長がラボまでわざわざ来たことは言わずじまいだった。海兵と陸士の両方に合格した谷口さんは、戦後東大に入りなおして富士銀行へ就職している。なかなかの切れ者。何度か彼の部下で仕事した。助けたことが一度だけある。(笑)

 1年と5か月で福島県の臨床検査会社の経営改善案を作成し赤字会社が黒字に転換するめどがついたら、親会社の社長と副社長に本社へ来るように言われ、実行をストップした。本社には本社の思惑があった、画期的な経営改善をされては困る事情が創業社長の藤田さんにあった。手じまいのジャフコとのミーティングは浜松町の本社までわたしが藤田さんに同行した。こちらはふたりっきり、向こうは役員が並んでいた。当時1部上場を現役社党として2社やったのは日本で藤田さん一人だけ。扱いは低調だった。帰り際、「お車を正面玄関へ回します、どちらへ止められましたか?」と訊く、「電車で来たので電車で帰ります」と伝えると、びっくりした顔をされていた。ジャフコは安全に留意している、社長が電車ででかけるのは安全上してはならぬことだった。その数年後に野村證券子会社ジャフコの社長は中学生の時の隣のクラスの伊藤君が就任した。野村証券役員の時から彼の住所欄は空欄だった、これも「安全上の配慮」だろう。藤田さんのあとに社長になった近藤さんも電車で動く人だった。そもそもSRLには社長専用車がない。高収益会社だったが、社員の福祉へ大金を払ってもそういうところへはお金を使わぬ会社だった。藤田さん、いい経営者だった。そういうところは次の社長だった近藤さんへも引き継がれていた。
 社長は近藤さんに交替した直後だったが、会長の藤田さん申し訳ないと思ったのか、辞令は経営管理部経営管理課長、社長室兼務、購買部兼務の三部署という異例のものだった。それぞれ担当すべき事案がくっついていた。仕事の時間配分にはじめて戸惑いを感じた。部下の中に優秀な社員が3人いたので指導しろということだったのかも。有能な部下を無能な上司が使うほど不幸なことはない。そして当時のSRLにはマルチの人材が必要だった。どこの企業でも一緒だよね。(笑)

 癌の自覚症状があったので2006年6月の現院長の優二先生に内視鏡検査をお願いした。「癌だと思うので内視鏡検査をお願いします、ちなみにオヤジの男兄弟は全員癌で亡くなっています、部位はそれぞれ違っています、胃癌の人は一人もいないので多分今度は胃癌」そう伝えて内視鏡検査をはじめたら、「あ!」という声が上がり「鉗子用意して!」、病変部の検体を採取して病理検査に回すのだとすぐに了解した。こういうところは国内最大手の臨床検査センターにいて、八王子ラボ内の各検査部に4年間ほど自由に出入りできたので、病院から依頼される仕事の流れが頭の中に入っていた。検査のあとで内視鏡カメラで撮影した胃をドクターが見せてくれた。見事な癌が胃の出口付近を塞いでいました。「これ癌組織ですね」と訊ねたら、優二先生、気の毒と思ったのかうつむいて「そうです」とお応えになった。ああ、素直に育ったいい先生だなとそのときに感じたのである。


 おじいさん先生(数年前に引退)と現院長の優二先生は焼き肉「酒悦」ファンで、優二さんが中学生のころ、おじいさん先生が頻繁にお店に連れて来た。オヤジが「食べっぷりがいいんだ」と嬉しそうに言っていたのを思い出す。まさかそのときに中学生だった優二さんに癌の診断をつけてもらい、その子どもの勉強の面倒を見るなんて夢にも思わなかった。50歳前後で根室へ戻るつもりはあったのだが…縁は異なもの味なものということか。わたしから見ると3代にわたる濃密なお付き合いということになる。こちらは2代。死ぬまでおつきあいをお願いするつもり。わたしの死亡診断書は優二先生が書くのか、息子が書くのか、それともターミナルケアを受け持ってくれる病院の担当医だろうか、さて、ニムオロ塾を巣立った看護師さんが数人ターミナルケアを受けるわたしに笑顔を見せてくれるのか、天のみぞ知る。臨終もまた楽し(笑)
(地元の歯科医福井先生とも3代のお付き合いである、ありがたい)

*スキルス胃癌と巨大胃癌の執刀をしてくれた消化器外科医の後藤幹裕先生はいま音更町で東木野クリニックを開いています。首都圏で3年ほど消化器内科医としての内視鏡技術を磨いてから開業しています。消化器外科と消化器内科の両方のできる稀有な専門医です。若いけどこの先生の執刀でいい、わたしの見込み通りでした。(笑) ベテランの外科医だったら、すぐに「開け閉じ」して手術終了、2006年に寿命が尽きていたでしょう。経験を積むほど無駄なことはしないのがモノの道理です。
*東木野クリニックホームページ
https://www.kinohigashi-clinic.com/

 手術の数日前に鼠径部の動脈血の採血に後藤先生が病室に来た。注射器をもつとまよいなく垂直に針を深々と刺した。採血した後、手で抑えてくれている。「人の身体だと思ってずいぶん遠慮のない刺し方ですね、外すおそれはないのですか?」と訊いたら、「動脈は太いし、外科医には見えているんです、だから外しません」、「それ、先に言っくれませんか」。まるで居合抜きのような刺し方だった。



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#3943 咳がでる、呼吸が苦しい、で診察 Mar. 4, 2019 [36. 健康]

 3週間ほど咳が止まらないので主治医のO先生に診察をお願いした。20代前半のころにやはり風邪をこじらせて診察を受けたことがある。大気汚染による公害病に認定できるとその時の医師が説明してくれた。
 2000年にある病院の常務理事をしていたが、そのときに風邪をこじらせたら副院長が診察してくれた。大判のフィルムで肺のレントゲンを撮ると全体に白く写っていた。肺の線維化が進んでいるという診断。
 そういう背景があったので、一度肺のレントゲン写真を撮ってどの程度線維化が進行しているか確認したかった。
 症状は鼻水と咳、とくに入浴後とか、就寝直後に身体が温まってきたときに、激しい咳が出て息苦しい。

 身長と体重を計測したら、身長が172㎝、また1cm縮んだ。元々は174.5㎝だがスキルス胃癌で入院した40日間で1.5㎝低くなり、その後13年間でさらに1㎝低くなった。脊椎が圧迫骨折を起こさぬようにあまり重いものをもたないほうがよさそうだ。大きなスコップを購入して、載せる雪の量が1.5倍くらいになっているので、満載して持ち上げて運ぶのは危険だ。ほどほどにしよう。

 呼吸機能検査をしたら、肺活量は3500㏄ほどあった。思いっきり吐く検査では3.7という数値がでていた。呼吸機能には問題なしだ。
 
 肺のレントゲンをみたら、じつにきれいだった。2000年のときは白くなっていたが、今回のフィルムはしっかり黒く抜けていた。だから、肺機能には不安がなくなった。
 人差し指の先で酸素飽和度を測ると、93くらいから数値がどんどん上がって97くらいで止まった。あの機械はパルオキシメータといったかな。

 何かのアレルギー症状で咳がひどくなるのかもしれない。喘息用の薬の処方箋を出してくれた。
 藤薬局によって「レルベア200エリプタ」を受け取ってきた。気管支を拡張する薬だそうだ。製薬会社はグラクソ・スミスクラインである。1984年に臨床検査会社SRLへ転職した当時は、世界No.1の臨床検査ラボはスミスクラインだった、当時SRLは世界第2位の規模の臨床検査ラボ。
 薬剤師さんはわたしと同期、同じ学年だそうだ。高校は札幌と言っていた。愛想のよい人だ、笑顔の対応は具合いの悪い病人にはありがたい。

 3か月に一度の定期検診も兼ねているので、いつもよりも検査項目を増やし、鉄剤とビタミンB12の静注もしてもらった。主治医がいると安心できる、ありがたい。
 まだ数年はがんばれそうだ。(笑)

<余談:使用後> 午後11時50分追記
 「レルベア200エリプタ」、効くね。一息吸っただけで気管支のガサガサ感がすっと消えました。まるで魔法!



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#3916 雪かき道具の紹介とMTB「8の字乗り」 Feb. 2, 2019 [36. 健康]

 冬は雪かきと車庫前でのマウンテンバイクの「8の字乗り」が趣味、雪かき道具はいろいろある。
 最近よく使うのは鍬、鋤、鋼鉄製の各スコップとプラスチックにステンレス製の刃がついたスコップ。


SSCN2562.JPG

 赤いのがステンレス製の刃がついたプラスチックのスコップ、これだと左側にある鋼鉄製のスコップの3倍の雪が載る。凍りついた雪の塊は鋼鉄製の頑丈な鍬か鋤の出番だ。これを大きく振りかぶって打ちおろすと、ときに抜けなくなる。頭の部分に手をかけて引けば抜ける。


SSCN2551.JPG

 赤いママダンプは中央部分が罅割れた。重い氷の塊を載せると、割れた部分が下がって引っかかり、滑らない。雪かきシーズンを乗り切るには買い替えが必須、それで柄の長い緑色のママダンプを購入した。作業が楽だね、柄が15㎝ほど長いだけで、押すのにかがまないですむから、とっても楽。赤いママダンプは今月粗大ごみとして処分予定、いままでありがとさんでした。


SSCN2558.JPG

 家の前にバス停がある。右側に影になってパイプが写っているが、バス停の標識である。以前はバス会社のブルがきて、バス停前の雪を道路向こう側の中学校のテニスコートの前まで運んでいた。予算が厳しいのかブルが回ってこなくなった。だから1/10馬力くらいしかないが、柄の長い緑色のママダンプで道路を横断して雪を運んでみたら、案外やれる。ブルで運ぶのとそん色ない。そんなわけで道路の向こう側に雪山が出現した。(笑)
 道路が乾くとママダンプでは運べない。乾いたアスファルトを引きずるとすぐにひび割れしてしまう。だからその時は、写真①の赤いスコップの出番である。あれに一杯雪を載せて、せっせと道路を横断して運ぶ。「右確認よし、左確認よし、ゴー」、その都度左右確認して運んでいるが、横断しているのを視認したドライバーが安全のため速度を緩めて通過してくれる場合もある。
 バス停の利用はお年寄りが多いから、雪をしっかりかいでおいたら滑って転ぶこともなくなる。骨折したら寝たきりになり、生活が楽しくない。でも、バスで病院に通う年よりも減った。隣近所の年寄りは夫婦いずれから亡くなると、子どものところへ行くケースが多くなる。二人とも亡くなると、家を処分。いまはまだ買う人がいるので、空き家にはなっていないが、いずれ買い手がいなくなるだろう。それまで10年ないかもしれぬ。


SSCN2549.JPG


SSCN2561.JPG

 ④は1/30に撮ったもの、MTBのタイヤの跡がくっきりついてます。⑤は2/2の写真。アスファルト面はすっかり乾いています。
 車庫前の除雪がすんだら、MTB(マウンテンバイク)で「8の字乗り」だ。半径1.6mの円が二つつながっており、それをトレースする。平均時速は3-4㎞くらいだ。あまりゆっくり回ると、MTBの速度計が反応しなくなり、ゼロ表示となる。時間のカウントがストップするようだ。ヘッドフォンでラジオ英会話を聴きながら時間を計測したら、2割くらい時間が短くなっていることが分かった。時速3㎞を切るとどの辺りかわからないが、時間のカウントがなされない。ときどきストップしてどこまでバランスがたもてるかガマンしてみる。面白いんだ。
 ④の写真では昼間の陽光で雪が溶けてアスファルトが濡れている、凍りついたら危険だ。⑤の写真の状態になってしまえば、夏と変わらない。


SSCN2557.JPG

 この写真は今日、2/2に撮ったもの。雪を掻いた歩道は乾いている。気温は-9.3度~-3.8度、終日氷点下だ。昨日はとっても風が強くて最大風速が20.8m/sあった。西北西の風だからとっても寒かった。

<MTBの8の字乗り>
 正月からMTBの「8の字乗り」は累計18000mだ。一周22mだから、818周した計算になる。気が向いたときに10分とか30分できるところがいい。平均時速3.2㎞だと分速53mだが、337分間もMTBに乗っていた計算になる。運動量は小さいがバランス感覚を維持するのにいい。



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#3895 新年会:高校時代の同級生「9人会」 Jan. 3, 2018 [36. 健康]

 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし…一休宗純

  昨日、恒例の新年会があった。近くに住むNさんの家でもう30年以上続いている。高校同級生のほかに、中学時代の同期で親しい人もいる。狭い根室のことだから、いろんなところで人間関係が接点をもっている。

 5年前にメラノーマ(悪性黒色腫)を患い手術したYが肺に小さな癌ができて内視鏡で摘出、話題のオプジーボで治療中。本人はいたって元気のようだったが、内心穏やかではないだろう。Aと話をしていたがいつもならやんわり受け止められる議論ができなくなっていた。横でしていた議論が時折耳に入ってきたが最後まで平行線だった。なんにもできぬ、そうした姿を見守っているだけの無力な自分がいる。
 肺機能の異常がでている者が二人、わたしの両側に座っていた。一人は煙草を吸ったことがない、もう一人はヘビースモーカだったが数か月前にタバコをやめた。呼吸するときにヒュウ―ヒュウー音がしたのだそうだ、そりゃあ慌てるわな。他にも悪いところがあり昨年2か所にメスを入れたと言っていた。胸と下腹部の辺りを手のひらでさっと撫でて示した。向かい側に座っていたEが「おれは胸膜に水が溜まって抜いた」と言った。タバコを吸うのは三人から一人になった。
 数人が帰った後で、いつになくはしゃいでいたAがじつは多発性骨髄腫を告白。まだ症状が出ていないが、数年後には発症すると医者に言われたそうだ。英語名はマルチプル・ミエローマ、造血幹細胞の機能異常が現れる。奇数の番号の染色体に異常が出るのも特徴だ。ようするに遺伝子レベルで異常がたくさん出てきて造血機能に異常をきたす始末に負えぬ悪性癌である。もちろん本人は調べてよく知っていた。癌患者の1%しか存在しない稀な癌、老齢になるとともに増える癌だ。歳をとるということは傷のある遺伝子が増えるということ、そういう意味では老人は誰もが癌の予備軍だ。この数年間は自分で車を運転して子どもと孫のいる東京や関西へよくでかけていた。九州も四国も旅は自分で車を運転してまわっている。タフな奴だ。今年と来年は無事に運転できるだろう。発症したら疲れがどっとでてしまうから長距離運転ができなくなる。車を運転して全国旅をしたほうがいいとわたしにも勧めてくれた。
 九州の旅を勧めてくれるのはありがたいが、胃の全摘、胆嚢切除、リンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸一部切除。わたしには車の運転は80㎞が限界、外食もままならぬ、時すでに遅し。年に一度東京へ行っても電車に乗るのは羽田空港へ行くときだけ。住まいの周辺を移動するだけというしだい(笑)
 話を聞いていると、それぞれの友が、自分の性格に応じたやりたいことをやっているのがよくわかる。

 それにしてもどうしたことだろう、70歳を境目に、みんなの身体が一斉に壊れつつある、何もなかったのは二人だけ。わたしは57歳の時にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で入院・手術をしてもらったが、どの病室も70歳前後の患者が多かった。義父は70歳、オヤジは72歳でどちらも大腸癌で逝った。70歳前後のみなさん、身体に異常を感じたら診察を受けよう。母校で哲学の教授をしている同期のIさん、どうしてるかな、昨秋葉書をもらってからちょっと気にかかっている。
 癌細胞が体の中で増殖し始めたら、生命エネルギーをもって行かれるから、とっても疲れやすくなる。それが最初のシグナルだからご用心。ふだんから自分の身体の声を聞くようにしていたら「ヤバイ」という体の発する声が聞こえてくるよ。ヨーガや座禅瞑想をしていたらわかる。
 癌仲間が増えるのはありがたくない。Yが五年前に「トシ、おれも同じになった」と言ったときの表情を思い出した。なってほしくなかった。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発、そして広がっていき、リンパ節に転移、横行結腸へ浸潤していた、そんなわたしでも12年たって生きている。いや生かされたと言うべきだろう。死はいつ訪れるかわからぬ、くよくよせずにいまを精いっぱい生き、ただ生を謳歌する。再び病を得て自分で食事ができなくなったら、そのまま枯れるように死んでいくつもりだ。12年前に一度死を覚悟したので、死を当たり前のこととして受け入れる心ができた。ありがたい。
 12年前に、入院先の釧路医師会病院までYoがわざわざ見舞いにやってきた。中学時代からの大事な友、これが最後かもしれぬ、長い付き合いだったと思ったら、あいつが帰った後でほろりと涙がこぼれた。平然と死ぬ覚悟はできても情は別なのだよ。

 新年会メンバーはあと3人を残して70歳になった、3月末までに残りの3人が70歳を迎える。ピンピンコロリと逝きたいものだ、それがみなさん共通の願い。

 風力発電はほんとうにエコかなんて尖がった話を隣でしている、そしてこちらでは根室の水産業の現状と未来、改革の方途、そして公共交通機関維持について和気藹藹の議論あり。
 花咲線はいずれなくなる、道内から在来線が徐々になくなり、新幹線も赤字だからいずれ道内の鉄道網が消滅する。新幹線だけJR東日本に買収されるのではという意見もあった。JR東日本にとって函館―札幌間の新幹線網は東北新幹線の顧客を増やす手段としても必要性が高いので、そうかもしれない。
 根室はバスだって利用者が少ないから危ない、数名が運転免許証を返上した後の生活を心配していた。

 10年後、20年後を考えて街をいま創り変えなければ自分たちが困る、知恵を絞り、動かなければにっちもさっちもいかない近未来のなかで暮らすことになる。どういう未来を設計してつくりかえるのか、まったなしで団塊世代が試されている。

<余談>
 元旦、二日と続けて車庫前で半径1.6mの円がふたつの8の字コースをマウンテンバイクで60周、平均時速3.6㎞、分速に換算すると60m/分。歩く速さで8の字をトレース。時々2-3秒くらい静止できるようになればうれしい。
  
 有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らばふれ風吹かば吹け

*多発性骨髄腫
https://ganjoho.jp/public/cancer/MM/index.html


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#3881 連日の降雪:雪かきで汗だく Dec. 13, 2018 [36. 健康]

 気象庁発表データだと積雪29㎝、だいたいそんなもんだ。
 
①計測
 板に10㎝刻みで目盛りを入れて積雪深を計測、車庫前は22㎝ほど、風がまいていたから場所によって雪の深さが違います。
SSCN2419.JPG

②車庫前の歩道は30㎝を超えています。その奥に際して車道を遮っている雪の山(高さ60㎝)はブルが車道を除雪してのけた雪です。圧雪されてるから硬い。鋼鉄製のスコップで崩してからママダンプへ乗せて運びます。
SSCN2420.JPG

③歩道の雪は厚さ30㎝です、これを幅6mほど開けます。この部分は新雪ですからママダンプの出番です。左側にもっていって積み上げます。
SSCN2421.JPG

④道路の角にブルが寄せてきた雪でできた山です。80㎝ほどありますが、この上には積めません。左から出てきて本道へ右折する車するのドライバーが、左からくる車を確認しなかればなりませんが、こ雪山が1mを超えたら見えません。
SSCN2422.JPG

⑤車庫前です。車庫のシャッターに吹き付けられた雪を竹ぼうきで半分だけ落としたところで撮影しました。全部尾をしておかないと凍りついて、シャッターが上がらなくなります。
SSCN2423.JPG

⑥除雪完了です。バス停の前に小さな雪山がありますが、午後になってから硬くなっているので鍬で崩して弊の内側へなげいれました。だから、バス停まで全部除雪しました。向かい側のバス停も幅1mほど開けました。
SSCN2424.JPG

⑦11時8分に除雪完了です。このあとお風呂に入ろうと思ったらブルが来て、歩道を除雪して通路の幅を広げていきました。ご苦労様。
SSCN2425.JPG


 今日もずっとマイナスの気温ですから、雪はちっとも溶けません。
 約2時間、汗びっしょり、いい運動です。天の神様、雪をたくさんありがとう。



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#3874 さあ、やるぞ!:二日続き趣味の雪かき Dec. 8, 2018 [36. 健康]

 昨夜は2時間ほどすごい吹雪になった。大きな雪が北風にのって舞っていた。一時はホワイトアウト、すごい雪だったな。夜8時にはやみその時の積雪深22㎝、朝は18㎝。どちらも気象庁データだが、朝8時に計測したら16㎝だった。気象庁が気象庁計測している場所から1.5㎞ほど離れているから、これくらいのばらつきは当然だ。
 朝7時:気温-5.9度

①積雪深計測 16㎝
SSCN2387.JPG

②除雪前
 電信柱の奥を幅5mほど車庫前から車道まで開けなけらば車が出せない。奥側の隣の家は昨夜雪がやんでから二人で雪かきして車庫から車道まできれいに除雪していた。
SSCN2386.JPG

③不揃いのスコップたち
 左から、a:プラスチックの軽いスコップ、b:ママダンプ小、c:鋼鉄製スコップ、d:ママダンプ大、e:鋼鉄刃付き樹脂製スコップ、f:アルミ製スコップ、これら6本を使い分けて除雪する。ブルが圧雪して運んできた半分氷のような雪の塊はc鋼鉄製のスコップでないと割れません。そういう大きな塊をdママダンプ大を下に入れて持ち上げると、割れることがありますからご用心。ブルの圧雪塊はbママダンプ小の分担です。数日たった雪は縮んで体積が小さくなります、そういう時にはfアルミ製スコップの出番です。これで立方体にカットして、ひとつずつスコップに載せて運びます。きれいに積み上げられます。aプラスチック製スコップはじつに軽くて使い勝手がいい。その代わり先端の減りも早い。先端にステンレスのついたfを昨年購入したのですが、とっても重いのです。雪もaに比べると1.5倍くらい入ります。
SSCN2381.JPG

④車庫前から車道まで開通!
 一仕事が終わった。
SSCN2385.JPG

⑤道路の向かい側のバス停の除雪
 バスは年寄りの利用が多い。車道から歩道へ上がる部分がブルがかいだ雪でふさがれている。60㎝ほどの段差なのだが、老人は脚が上がらないから、圧雪された車道を50mほど歩くことになり、とっても危険。幅1mほどの通路を開けてやれば歩道へ上がれる。
SSCN2384.JPG


⑥家の前のバス停から反対側のバス停を臨む
 雪山が高くないので、家の前のバス停も通路を開けた。でも、門の前が幅5mほど開けてあるのでこちらを利用してもらいたい。バス・ドラーバーがとめやすい。
 夕方、幅を2倍にしておきました。
SSCN2383.JPG

⑦雪かき終了
SSCN2380.JPG

⑧(⑦と180度)反対側を撮った
 太陽がまぶしい。
SSCN2379.JPG


<根室へ移住を考えている人へ>
 移住に当たってはマイナス情報こそが重要な情報です。股関節に故障を抱えている人は冬の外出が厳しいでしょう。圧雪した雪や交差点がブラックアイスバーン。膝や腰が悪い人は雪かきできないでしょうから、考え直した方がいいかもしれません。
 水道代は東京の2倍以上、来年値上げが予定されているので3倍くらいになりそうです。それと冬季間中の暖房用灯油代も考慮してください。2-3万円/月かかります。冬の車の運転もあります、ブレーキは2回軽く踏んで減速し3回目で止めます。車間を夏の3倍とっていても緩い下りのブラックアイスバーンでは止まりません。路地のカーブがブラックアイスバーンのことがありますが、時速20㎞でも滑りますから、怖かったらもっと減速してハンドルを切りましょう。下り坂は要注意ということです。上り坂は対向車線が下りですから、対向車が滑ってセンターラインを越えてくることもあるので、周りの道路の状態をよく見極めて運転します。でも、日中はほとんど大丈夫です。道路が乾いていることが多いですから。

 いろいろ不都合なことを書きましたが、もちろんいいこともたくさんあります。
 秋には朝水揚げされた秋刀魚を鮮魚店で買って食べられます。刺身でよし焼いてよしつみれ汁にしてよし、抜群の鮮度、そしておいしい。オヒョウや螺も絶品です。高級レストランへ行ったつもりで、オヒョウはフライで食べましょう。オリーブ油のなかにニンニクをいれて弱火であぶりカリカリにします、強火にして一気に細かく刻んだマツブをいれましょう。フランスパンを縦にカットして軽くトーストしておきます、オリーブオイル炒めの刻みマツブをジュ―という音とともにかけます。美味しいのなんのって、東京では同じものをつくって出したらそのお店は長い行列ができます。ビールでもワインでもあいます。
 落石組合のホッキ貝も湾中組合の牡蠣も絶品です。牡蠣は癖がなくとっても上品な味ですが、量が少ないので地元でしか食べられません。タラチリ鍋はタラが新鮮で身がぷりぷり、値段が安い。地元でとれる魚は総じて新鮮で美味しい。


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#3873 趣味=雪かき(笑) Dec. 7, 2018 [36. 健康]

 昨夕から雪が降り始め、11㎝積もった。風がないので吹き溜まらない。雪はずっしり重かった、気温が高かったせいだろう。今朝7時の気温は0.4度、さっそく雪かき。
 雪に刺した定規は富士通製EDP定規、34年前に使っていたもの。
 1978年に三菱電機のEDP定規を使い始め、1983年にはNEC製の大きめのEDP定規へ。つきあうコンピュータメーカが変わるごとにEDP定規が変わった。オービックとNEC情報サービスの2社はトップレベルのSEと仕事して、勉強させてもらいました、ありがたかった。オービックのSEのS沢さんはその後取締役に、開発担当だった。NECのT島さんのその後の消息は知らない。SRLへ転職してすぐに担当した統合システムはNCDさんのSE3名とやり、一人はやはりすぐに取締役に。システム開発では超速、そして「一度も失敗しないので」ebisuはゲンのいい男のようです。システム開発と相性がよかったのでしょう。(笑)
 この定規は左端の目盛り単位が㎝、アスファルトまで突き立てて測ったら雪の深さは11㎝、気象庁発表通り。
SSCN2361.JPG

 通学路だから歩道の除雪はすでに小型ブルがやり終えていた。朝5時ころに音がしていた、除雪の職員さんたちご苦労さん。向かいの中学校も5時前から除雪車の音がしてました。広いから忙しいね。
SSCN2360.JPG

 せっせとママダンプで雪を写真左側の塀の際に積んでいった。バス停があるが、家の前から乗ってもらったらいい。バス停のところの雪をのけて奥の方に積むと、隣の車が車道に出るときに雪山が視界をさえぎることに気がついたので、バス停のところは時刻表がみえる程度に除雪して終わり。
SSCN2359.JPG

 塀の脇に積んだ雪、ちょっときたないので、あとできれいにしておこう。
 除雪は二回に分けてやるのがいい。一回目は大雑把に、二度目はちらかった雪やアスファルトにこびりついた雪をきれいにこそげとる。
SSCN2358.JPG

 雪を掻く前にお風呂のスイッチを入れて、雪かきが終わった後に入った、爽快、爽快。
  夏はサイクリング、冬は趣味の雪かき、ワッハッハ。

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#3849 ベッドに羊毛敷き布団を使ってみた Nov. 7, 2018 [36. 健康]

 冬になると寝ていて寒いので電気毛布をマットの上にのせてその上に薄い羊毛布団を載せて寝ていた。寝る前に電気毛布のスイッチを入れて温め、切ってから寝るので、時間がたつにしたがって冷えてくる。かといって電気毛布を一晩中いれていたら体に良くない気がする。
 女房殿が一昨日厚手の羊毛敷布団に替えてくれた。ベッドのマットの上に厚手の羊毛布団を敷いたのである。そうするととっても身体が暖かい。4時ころオシッコがしたくなり目が覚めていたのだが、6時過ぎまで目が覚めぬ、身体が芯から温まってぐっすり眠れるからありがたい。

 年に1-2度東京へ戻るが、布団は日光に当てて乾かすから、まるでお日様が当たっているかのように暖かい、厚手の羊毛布団をマットの上に敷いただけでそれと似た感触がある。
 根室は湿度が高いので外で布団を干すという習慣がない。かえって湿気るからだろう。8月の日ごとの最高湿度を調べてみたら、90%を切った日がかなった。南側を太平洋と北側をオホーツク海に挟まれた幅4-6㎞ほどの根室半島だから、春夏は湿度が高いのである。
 ベッドのマットだけでは下から冷えるから、身体が温まらない。身体が冷えていると癌になりやすいと言われている。癌になるかどうかの真偽は別にしても、寝ていて身体が冷えるのはたしかに体調が悪くなりやすい。第一、睡眠の質がちがう。厚手の羊毛敷き布団一枚を加えただけなのに、じつに暖かいのだ。身体の冷える人は試してみたらいかが?


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