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#3871 根室市長「いかなる結果でも全面的に支持する」 Dec. 2, 2018 [21. 北方領土]

 「北方領土返還要求中央アッピール行動」が12/1東京都内で行われた。
 「四島を返せ」の掛け声は封印、いったいなにしにいったのだろう。

 水晶島出身の柏原栄先生がテレビの取材に、「70年も実効支配が続いて…四島は日本の領土だと主張してもらいたい」と言葉を選びながら苦渋に満ちた表情で応えていた。2島で妥結すれば、それでジ・エンドであることが分かっていながら、そのあとに2島返還交渉をというのはまやかしの思いだろう。小中高と団塊世代と一緒に学校を転任した唯一の先生である。そういう意味で団塊世代と縁の深い先生だ。昨年亡くなられた元択捉島出身の岩田先生とは花咲小学校教諭時代の同僚である。わたしは中学2年生の時に柏原先生に1年間「歴史」を習った、楽しい授業だった。あの時から成績が飛躍的にアップしたので、恩人だと思っている。黒板に字の大きさをさまざまに変えて場所もときに隅っこを使ったりして書いていた、印象(=記憶)に残る板書でかつ達筆であった。ある日、緑色の「黒板」に書かれた字を丸ごと記憶でき、ページをめくるように3か月間は保持できることに気がついた。家業のビリヤードで幼稚園のころから毎日遊んでいたビリヤード台はグリーンのクロスが張られて、その上を白と赤のボールが幾何学的な軌跡を描く。小学3年生のころには頭の中で無限にビリヤードができた。それを勉強に応用しただけで成績は簡単にあがってしまった。緑色の黒板に書かれた字や図を、苦も無くそのまま頭に浮かべることができた。子どもの頃の記憶力がなぜあんなに大きいのかわからないが、何十枚でもOK、ビリヤードを頭の中でやるのと一緒。頭の中の引き出しから引っ張り出しては確認し、書かれたことを整理してまた格納する。数分単位で暇なときに繰り返せばいいだけ。ノートも鉛筆もいらぬ、ビリヤードの店番をしているときにときどき頭に思い浮かべるだけでよかった。ビリヤードが勉強にそのまま使えることに気がつくきっかけをつくってくれたのが柏原先生の歴史の授業、そして小中高で数人の尊敬する先生のお一人。先生らしい発言だと思いながらテレビを見た。おいくつになられてもブレないインテリである。

 すごいのは根室市長の発言だ、3か月前の市長選挙のときの北方領土返還政策とはまるでちがって、ブレブレ。自分の言っていたことを忘れてしまったのだろう。北海道新聞12/2朝刊31面の記事を引用する。
日ロの交渉が)いかなる結果でも全面的に支持する。それが(領土返還運動)原点の町の思いだ

 関係者や根室市長としての公的立場に配慮した発言をしてもらいたいね。北方領土問題に関心の薄い大多数の国民がこの発言を見たらどう思うだろうくらいの想像力はもってほしい、北方領土の玄関の町根室市長なんだから。地元根室市長ですら北方領土については「この程度の認識と思い」であると受け取られかねない。
 根室市が四島返還を強く要求しているほうが、政府は外交交渉がやりやすい、カードが一枚増えるからだ。ロシアが強硬なのは、一度分捕って自国領土に組み入れた土地は絶対に返さないという国民が圧倒的に多いからだ。地元市長すら政府に下駄預けでは、強い交渉を政府ができるわけがない。対ロシア弱腰外交には地元の領土返還運動に熱意が見られないという理由がある。今度こそは、安倍総理の対ロシア外交を下支えするために、北方領土玄関口の根室市長がどれほど強硬な領土返還論をぶち上げるかと思いきや、「いかなる結果でも支持する」と後退発言、はなから負け犬、戦う意思すらない、がっくりきた。
 日本が抱えている領土問題は竹島も尖閣列島もある。領土に関して日本国民は腰が引けているとロシアや韓国や中国に間違った印象を与えることになる。実効支配すれば、国民も日本政府も強くは出てこないと思うだろう。尖閣列島も日中中間ラインの資源紛争もが危うくなる。
 東シナ海には日中中間ラインをまたぐ形でガス田が広がっているが、中国は井戸を掘り天然ガスの生産をはじめている。やりたい放題だよ、既成事実を積み重ねれば日本は手も足も出ないとなめられている。そうした国際関係にも配慮のできる市長であってもらいたい。
*東シナ海ガス田問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/東シナ海ガス田問題
 タイムリーですね。昨日(12/3)夜配信された記事です。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/中国、ガス田試掘を正当化-「主権と管轄権の範囲内」/ar-BBQpR4L?li=AA4RHB&ocid=spartanntp

 市長発言は領土返還交渉は政府マターで根室市は関係ないといっているように聞こえる、なんにもわかっちゃいない、北方領土の玄関口の根室市長の発言は外交問題に影響するのだよ。根室市の在り方次第で北方領土返還外交は劇的に変えられる。弊ブログ#195を一度読んだらいい。ロシアが震撼するような圧力をかけてやればいい。
 北方領土は外交マターで根室市は関与しない、9月の市長選挙の時に政策にそう書いていたのは対立候補の保坂いづみさんではなかったか?弁護士らしい割り切った考え方に頷けなかった覚えがある。他方、石垣氏は長谷川前市長の政策を継承すると宣(のたま)わっていたはずだが、長谷川前市長は昨年の「北方領土返還要求中央アッピール」行進で「四島を返せ」と叫んでいた。「いかなる結果でも…」ではなく、四島返還だった。そして根室市の役割は市民の声を政府に届けることとなっていたはず、石垣氏はいつ宗旨替えをしたのだろう?まだ、市長選挙から3か月たっていない。領土返還に関する市民の意見どころか、千島歯舞居住者連盟内部ですら、2島返還かそれとも四島返還かについて議論も意見のとりまとめもなされていないのである。いつ、どこで市民の声を聞いたのだろう?


 千島歯舞居住者連盟の国後島と択捉島出身者たちは市長の発言に迷惑しているに違いない。水晶島出身の柏原先生は自分の出身の島は返ってきても、93%を占める国後島と択捉島が返ってこないことが確定してしまうことに心を痛め素直に喜べない、だからテレビ取材に一言一言絞り出すように苦渋の表情を浮かべて応じていた。一緒に返還運動をしてきた仲間の思いが犠牲になって、自分の出身の島だけ戻ればいいなんて考える元島民はごく少数だろう

 水晶島出身者の吉田義久さん(81歳)=富山県黒部市=は次のように言っている。
元島民は故郷を追われた点でみんな同じ立場。やはり『島を返せ』が正直な気持ちだ

 国後島出身の岩松昇さん(78)=根室管内標津町=は次のように言っている。
今の状況はわかるが、気持ちをもっと出したかった。四島返還を言い続けて来たから」と本音を漏らす。11月の首脳会談で「交渉が前進してきた」と感じるが古里の返還は見えないままで、「ロシアとの交渉では、日本も態度をはっきり示すべきだ」と訴えた

 12月4日付の北海道新聞15面に載った記事も転載しておこう。「どうなる北方領土」というタイトルの記事に、歯舞諸島多楽島出身者元島民である東狐貢さん(88)の意見が載っていた。東狐さんは根室市から都内のデモに参加した元島民最高齢者である。
「「島が返ってきてほしい。だが、国後、択捉出身の元島民もいる。この方針でいいのか、一言では言えない難しさがある」と胸中を明かす」

 別の紙面に掲載された写真の中の元択捉島民の叔母の表情はめずらしく苦虫をかみつぶしたようだった。昨年亡くなった択捉島蘂取村出身者の岩田宏一氏の望郷の思いが頭をよぎっていたのかもしれない。

#3662 NHK朝までドキュメント72時間:岩田先生 Dec. 16, 2017

<領土は渡さない:サッチャーの毅然とした対応>
 1982年アルゼンチンとのフォークランド紛争時の英国首相サッチャーは毅然としていた。ただちに航空母艦2隻と原子力潜水艦、駆逐艦、フリゲート艦などの軍艦を派遣し、航空機によるアルゼンチン飛行場爆撃を開始、軍隊を上陸させ、アルゼンチン群を英国領から追い出し、鎮圧した。領土は絶対にわたさないという決意を全世界に示したのである。
 四島返還の原理原則の主張を引っ込め、7%の歯舞群島と色丹島で結構でございます、見返りにシベリア開発で兆円単位の経済協力をしますでは、日本人は世界中から腰抜けと思われないか?
 ことと次第によってはロシアと全面的な経済断交へ突き進むくらいの覚悟を決めた外交交渉はできないのかね。

*https://ja.wikipedia.org/wiki/フォークランド紛争

*#2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012

#2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012

#1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012

#195 すこし過激な北方領土返還論:MIRV開発・組み立て・配備・解体ショー



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#3860 北方領土は2島(7%)返還でおしまい、これでいいのか? Nov. 24, 2018 [21. 北方領土]

 このままいけば、北方領土返還交渉は2島返還でいいのか?
  歯舞群島と色丹島はわずか7%、返還されない国後島と択捉島は北方領土の93%を占める、国後島と択捉島はどちらも沖縄本島よりも大きい。
 北方領土の面積は5,038平方km国後島1,499平方km択捉島3,184平方kmの2島は北方領土全体の93.0%を占めている。比較のために書いておくが択捉島は沖縄本島1,206平方kmの2.6倍も大きい
 週刊現代がタイムリーな解説記事を掲載してくれた。近藤俊介氏が書いている、この記事をお読みいただき、いま一度北方領土問題についてお考え下さい。

 「北方領土交渉、このままいけば「ロシアの圧勝」で終わる可能性
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58551

<要点抜粋>
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安倍首相は緊張からか、疲れからか、顔色が優れず、虚ろな表情をしていた。だが、発言内容は重大で、日本の戦後外交を歴史的に転換させる舵を切ったのである。端的に言えば、北方領土の4島返還を諦めて、2島返還で決着させるということである。歯舞島と色丹島のみロシアから返還させて、国後島と択捉島は諦めるという決断をしたのだ。
しかも安倍首相は、いま日本で喧伝されているような「2島+α」ではなく、2島の日本帰属を認めさせて返還を死守する、すなわち「2島-α」を出さないことを目標に据えているように思える。


これだけ長く首相をやっている割に、成果が乏しいのである。
私は以前、ある元首相に、「日本の最高権力者の座に就いて考えたことは何ですか?」と聞いてみたことがある。すると元首相は、こう答えた。
「首相なんて結局は、3つのことしか考えないんだよ。第一に、自分の在位中、日本が平穏無事であること。第二に、一日でも長く首相の座にとどまり続けること。そして第三に、自分の時代にこれをやったというレガシー(遺産)を残したいということだ。おそらく首相が考えることは、誰がなっても同じだろうよ」
こういった証言から推論するに、安倍首相もいよいよ、「2019年は自分のレガシー作りに邁進する年にする」との決意を固めたということではなかろうか。


日本は、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約でも、ミスを犯している。吉田茂首相がサインした講和文書の第2条(C)には、こう書かれている。
〈 日本国は、千島列島並び日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する 〉
吉田首相は受諾演説で、北方領土の取り扱いに、一応は異議申し立てを行っている。
「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何らの異議を挿まなかったのであります」
だが吉田首相は、図らずも異議申し立ての中で、「千島列島」の中に択捉島と国後島が含まれることを認めてしまっている。その上でサインしたのだから、これまた日本の自己責任論だ。ただ一つの救いは、ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印を拒否したことだった。

これだけ長く首相をやっている割に、成果が乏しいのである。
私は以前、ある元首相に、「日本の最高権力者の座に就いて考えたことは何ですか?」と聞いてみたことがある。すると元首相は、こう答えた。
「首相なんて結局は、3つのことしか考えないんだよ。第一に、自分の在位中、日本が平穏無事であること。第二に、一日でも長く首相の座にとどまり続けること。そして第三に、自分の時代にこれをやったというレガシー(遺産)を残したいということだ。おそらく首相が考えることは、誰がなっても同じだろうよ」
こういった証言から推論するに、安倍首相もいよいよ、「2019年は自分のレガシー作りに邁進する年にする」との決意を固めたということではなかろうか。
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*#3859 北方領土は現状のままでええじゃないか Nov. 23, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-23

#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-15

#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2,
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02

*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28

*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14


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#3859 北方領土は現状のままでええじゃないか Nov. 23, 2018 [21. 北方領土]

 北海道全域で初雪が降りました、いよいよ冬の到来です。根室の今朝の最低気温は0.2度(午前9時19分)、強風で水たまりが凍りついていました。

 弊ブログ投稿欄へときどきコメントを寄せてくれる阿波の国の方がいらっしゃいます。もちろん、異論を対置して見せてくれるのですが、阿波の言葉でのその語り口も素敵です。
 なるほどな、北方領土問題は外側から見ていたらそういう見方もあるのか、「名無しのゴンベイ」さんとの対話部分だけ紹介します。
(サリーさんも投稿してくれてます。サリーさんはお父さんが引揚者ですから、北の島々にはわたしと同じような思い入れがあります。投稿欄の冒頭にあるので、クリックしてご覧ください。)

#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-15

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大昔、に自由に闊歩して生活していたアイヌが和人に土地を奪われ生活の変容を余儀なくされた。
昔、日本人が生活していた土地がロシアに奪われて追い出された、もしくは、不便を感じて脱出した。
今、すでに多くのロシア人が生活を営んでいる。
将来、この人達を追い出して、もしくは、不便を感じて移住することになるかもしれない土地の所有者を変えることになるのか?
主権と所有権が違っても良いのかもしれん。住んでる者の事を考えてあげたらば。
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 09:50)
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戦って負けたら、土地も財産ものうなってしまう。
平安の昔から東北、そして北海道、北方の島々で和人とアイヌの戦いが、そしてロシアとの戦いがあった。負けたら盗られる、勝てば分捕る、それだけのこと。
領土と領海をめぐる戦争はこれからも隣接する国との間で起る。経済を武器にして戦えばいい。やれんじゃろな、もうけが先だわい。幸か不幸かカルロス・ゴーンと根っこのところは一緒の日本人が増えている。
by ebisu (2018-11-21 15:20)
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いや、わしの言うとることは、この4島が心底必要なもんが今の日本におるのか?ということや。そりゃあればあったで経済開発やらに名乗りをあげるもんもおろうけど、それは余剰のことや。今現に島で生活しているもの達にとっては心底今の状態が続く方がええと思うてるやろ。日本に返還となったらまた新たな悲劇を生み出すことになる。住んどるもんには何の罪もないのにや。
色んな面子もある、うまく話合うて返還して所有権は名目上日本とするが、主権は今のままロシア、ちゅう線もええなあと思う。みんなの面子が立つやろ?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 18:19
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誰でも故郷へのノスタルジーはある。
ノスタルジーやない、実際に辛い体験もある。
そしたら相手のこともわかるやろ。
生活の拠点が変わる事がどれだけ辛いことか。
政治や経済といったうわべに囚われていたら個々の人の生活が見えんようになってしまう。そして戦争や。
大事なんは実際にそこに住んどるもんの生活やないやろか?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 18:37) 
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あんたの主張は
今あの島に住んでいる人達を追い出すことになる、
悲しませることになるかもしれんけど、
それを超える程の価値があるんやろか?
今の状態でこの日本で憂いてる人の価値と、
もし返還になったら憂うことになる人達の価値と、
を比べて勝るんかいな?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 23:23)
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価値があるのかないのかと問われたら、あるんよ。
理不尽なことには妥協はしないという意志を見せることは、価値のあることなんよ。
そのうえでの外交交渉に意味があるんよ。どういう形の返還が実現できるのか、具体的な検討が必要なんだろう。

たとえば、主権も権利関係も戦前に戻す、そのうえで、ロシア人住民の数を半分にして居住を認めることだって、外交交渉のまな板にのせられる。
な~にもせんと、ただ現状追認は納得いかんというこっちゃ。

このままあと二十年の時が過ぎたら、島に住んだことのある人間はきれいさっぱり一人もいなくなる。ふるさとへのノスタルジーがなくなり、静かになるわ。それでおしまいっちゅうことや。

そういうことが、「隠れたカリキュラム」になる。ロシア相手に真っ向から領土返還交渉すらできないヘタレだと、中国は日本をなめてかかる。
73年前にロシアがやったことは、いま中国ならずっとスマートにできると思うだろう。接続海域に中国潜水艦が出入りするようになった。既成事実をどんどん積み上げて侵食してきおる。尖閣列島だけでなく、沖縄も危うくなる。
琉球王国は中国へも朝貢していた歴史があるから、中国の一部だくらいのことはいいよる。日本の未来は危ういのう。ここからは退かぬというラインがない。
by ebisu (2018-11-22 00:14)
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#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018 [21. 北方領土]

<最終更新情報>
11/16朝、柏原先生のニュースステーションインタビューに関する感想と昨年亡くなった岩田先生のことを追記した

 安倍総理が2島返還で決着をつける方向へ舵を切った。ロシア大統領プーチンの思惑通りである、喜んで手を叩いているだろう。北方領土の7%に過ぎない歯舞諸島と色丹島だけを返還して領土問題に決着がつけられる、そしてシベリア開発に日本の技術と資本が利用できるようになる。平和条約締結後は米国といさかいを起こして経済制裁されても痛みはずっと軽くなる。国際政治で日本という有力なカードを手に入れることができるのだ。

 平和条約締結の目的は三つ。
①戦争状態の公的な終結
②請求権問題の解決
③領土境界線の確定

 ①と②は日ソ共同宣言で解決済みだから、平和条約をいま結ぶとしたら③の問題が確定すること以外にはない。2島返還で平和条約を締結すれば、それで領土境界が確定することになる。国際法上領土返還請求権が消滅する。
 国際法とは畳分としてあるのではない。国際的な取り決めである条約や、国際慣習法で構成されている。平和条約には領土境界画定が含まれるというのが国際的な常識である。平和条約が締結されたら、以後2国間に領土問題は存在しないということ。存在しない問題に継続協議なんてありようはずもない。

 千島歯舞居住者連盟の宮谷内根室支部長(理事)がテレビで2島返還で平和条約を締結し、そのあとで国後島と択捉島の返還交渉をすればいいと言っていたが、「のんきな父さん」だ、取り返しのつかぬことになる。宮谷内さん(国後島出身)はこれで国後島の返還はなくなったとわかって言っているのです。立場上、本音が素直に言えない、気の毒ですね。顔に苦渋の色を浮かべていました。

 米国と2国間FTA交渉はしないと安倍総理が言い続けてきた。商品だけの貿易交渉TAGを始めるとアナウンスされた。TAGはFTAではないと茂木経済担当大臣も説明している。ところが米国側の文書にはTAGの文字はないことがマスコミ報道によって明らかになっている。正本は英文のほうだから英文原本を見なければならない。英文原本にはFTA交渉と記載してあるらしい。最近日本へ来たペンス副大統領も商品に続いてサービスと投資についても交渉すると記者会見で言明したから、二国間のFTA交渉が始まるのだろう。為替の円安誘導についてもやめる方向でテーブルに載せるつもりのようだ。通常のFTA交渉よりもさらに幅が広い。これをTAGだと言い、FTAではないと国民に説明しているのだから、あきれる。ここまできたらこんな詭弁に騙される方が悪い。

 政府は日露平和条約締結後に国後・択捉の2島半間交渉を続けると言い募るのだろう。だが、平和条約締結の目的はもう③の領土境界の確定以外にはないのである。国後島と択捉島をロシアにくれてやるということだ。平和条約締結後に国後島と択捉島の返還交渉をするというのは詭弁である。

 千島歯舞居住者連盟はメンバーにちゃんと説明して、2島返還で領土問題は決着とする合意をまとめるべきだろう。四島返還の筋論を通すなら、日ロ平和条約締結は四島返還が譲れない前提条件だとはっきり主張すべきだ。いったいどっちなの?
 政府の方針に唯々諾々としたがって来たのは政府の補助金で運動が支えられてきたから。今回もそうなのだろうか?これでは国民の関心が薄くなるのは当然だ。存命の引揚者は残りあとわずか、引揚者であるわたしの叔母も80歳を過ぎた、そして10年後には住んだことのあるほとんどの人がいなくなる。いまのままでは運動の支え手が消滅し、日本人はだれも住んだことがない島ということになる。
 先週まで政府の方針は四島一括返還だと国民に説明していたではないか。こんなに大きな方針転換をするなら、領土にかかわる重大問題だから、2島返還で国民投票と衆議院解散を行い国民の信を問うべきだ

 それにしても、日本の外交交渉は下手だね。面積で2等分しましょうくらいのしたたかな主張ができないのかな。北方領土返還運動団体もそれくらいの要求をまとめられないのかね、ちっとは頭を使ってくださいよ。

<母は択捉で生まれ育ちました>
 おばあさんのお墓がありますが、母は一度も択捉島の土を踏むことなく平成23年に亡くなりました。千歳の叔母は母より先に逝きました。どちらも一度も古里である択捉の土を踏むことはありませんでした。
 爺さんは宝島と言ってました。そうとしかいいようのないほど水産資源が豊富だったのです。

<柏原先生と岩田先生:11/16朝追記>
 昨夜(11/15)午後9時からのニュースステーションでインタビューを受けていた柏原栄先生(元花咲小学校、光洋中学校、根室高校教諭)もうつむいて、「明るい光ではない、鈍い光が見えただけ、今までと変わらない、素直に喜べない」、重苦しい表情で語っていた。国後島や択捉島出身者の知人や一緒に運動してきた人たちのことを慮(おもんぱか)っての発言である。先生は水晶島出身者で終戦後、命懸けで小さな船でオホーツクの海を渡って根室まで逃げてきた。そうした先生の表情に年輪を重ねて磨かれた人格の輝きを見た気がした。中学校の時に1年間だけ「歴史」をならったことがある。2002年晩秋にふるさとに戻って小さな塾を開いてから数年後に、写真店展があり満開の桜の写真に先生のお名前を見つけた。都内ではなさそうなので電話をかけて撮影場所をお尋ねしたことがあった。大阪造幣局だった。いつまでもお元気でいてほしい。
 習ったことはなかったが、岩田先生が昨年亡くなっている。岩田先生はebisuの母親と同じ択捉島出身で、千歳の叔母とは幼馴染だった。母は岩田先生にとっては近所のお姉さんだったのだろう。千歳の叔母はもう10年ほどまえに逝ってしまった。4人いた叔母のうち存命なのは末っ子の「語り部叔母さん」のみ、ebisuとは一回りほどしか年齢が離れていないので、叔母というよりお姉さんという感覚である。昨年7月に択捉島蘂取村出身の山本昭平さんの講演会を聴きにニホロの北方館まで行ったときに、叔母の紹介で56年ぶりにお会いした。ニコニコしながら、「話をしに遊びにおいで、退屈してるから」そう言ってくれた、半年もしないうちに旅立つとは思わなかった。昔話のできる人たちがいなくなる。高齢だから今日元気でも一月後はわからない。
 ebisuの母親は平成23年に一度も島の土を踏むことなく逝った。自分の母親の墓参りが気になっていたようだった。できれば長男のわたしに墓参りしてほしかったに違いない。秋になると鮭が家の前の川に遡上してきて、川に竹竿を挿すと倒れないほど魚でびっしり、兄の初男さんが河口付近で川に入り鮭を手で救い上げて川岸に次々に放り投げ腹を裂いて、樽に筋子を入れる、「そんなにとっても腐るだけだからよしなさい」とのどかな秋の風景を懐かしそうに話すことがあった。長男の初男さんは満州の国境警備の任に当たっており、終戦時に侵攻してきたソ連軍と戦って死んでいる。満州の荒野に一本立っている木の根方に眠っている。霊感の強かった母はその光景を夢に見ていた。戦後満州から引き揚げてきた戦友が最後の様子を知らせに訪ねてきたことがあったという。母親が夢に見た景色を言うと、「どうして知っている、だれか伝えに来たのか?」と不思議がったと言っていた。〇〇さんがなくなったといい、窓辺にお酒を備えることがあった。あとでその人が死んだと知らせが入るのである。
 二女の叔母が一番霊感の強い人だった。前もって見えてしまうのである。幼いころに病床に就いた父親がなくなると1か月も前から泣くのである。訊くとそうではない、両方とももうすぐ亡くなるというのだ。父親の死後、1週間で元気だった母親が急逝してしまう。このように未来が見えるというのは人を幸せにしない。何が見えても人に言わないようになっていった。高校柔道部の同級生が腎不全でなくなったときに、ちょど亡くなった時間に二階のリビングに叔母と一緒にいた。大きな敷布のようなものがゴーッと音を立てて飛んで行った。あわてて窓を開けたが何もなかった。叔母に「みた?」と訊いたら、「見た」と一言。翌日死亡通知の折り込み広告が入った。ちょうどその時間に亡くなっていた。腎臓が悪くてしばらく釧路の病院に入院していたのだが、お盆のころ戻ってきていた。歩いていてすれ違い、「N西、治ったのか、よかったな」と声をかけた、当時は人工透析がなく、治療の方法がないので退院したことが後でわかった。「オー、よくなった」といって笑顔で別れて数日だった。霊感の遺伝子は女系に伝わっている。やはりときどき時間と空間を超えて見えてしまう能力のある者が身近にいる。見たくなくても見えてしまうことがある、本人に選択の余地がないのだから、始末に負えない。択捉に眠っている婆さんが、一番の霊能者だったようだ。その婆さんの墓参りに行ってみたかった。墓の前に立てば、婆さんが母親のことで何か孫に伝えたいことがあるはず、それを聞くくらいのことはできるのだろう。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で胃の全摘、胆嚢全摘、大腸一部切除をしたので、体力的に無理。3日間船上暮らしをしたら2週間ほど寝込み、体重を元に戻すのに2か月間もかかることになりかねない。小さな私塾をやっている間は無理。
 岩田先生には一昨年に北方領土返還運動関係者の講演会があり、五十年ぶりにお会いした。末っ子の叔母が「貞子お姉さんのところの長男」と告げると、「遊びにおいで、話し相手がいないので退屈しているから」きさくにそう言われた。なかなか行く機会がみつけられないまま、半年たったころに逝ってしまわれた。ご自宅へ線香をあげに伺ったら、奥様と話しているうちに厚岸の「てっちゃん」と同級生だということが分かった。「てっちゃん」はebisuの婆さんとてっちゃんの父親が兄弟だから、母親の従弟であるが、てっちゃんが中学生の時にちょっとの間一緒に暮らしたことがあるので、わたしにとっては兄弟のような人、このように択捉島を通じて、人間関係の網の目がいろんなところに広がっている。択捉島で暮らしたことのある人々は年々減って、あと10年もしたら一人もいないなんてことになりかねない。
 それでも、政府には「四島返還がなされないなら、未来永劫日露の経済協力はなしだ」というぐらいの毅然とした返還交渉をお願いしたい。(16日朝追記)


<国後島と択捉島の面積>#3304より引用
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28
 国後島と択捉島は北方領土全体の93%です、それを放棄して7%だけでいいのでしょうか?2島返還論を声高に主張していました。
 根室の町にはいろんな意見があります。水産関係の人のようでしたから、切羽詰って自棄(やけ)を起こしているようで、いい大人が駄々っ子のように見えました。根室の町のためだそうですが、話を聞いていてわたしにはさっぱりうなずけませんでした。おそらく中学生に聞いてもらっても大半がわたしと同じような感慨を抱いたでしょう。2島返還ならそれはそれで結構ですが、60歳を過ぎたらもっと説得力のある意見が言えなくては情けない。もっと大人の議論が聞きたかった。
 4島の面積がどうなっているのか、それすら挙げずに議論しても不毛でしょう。事実を踏まえて意見を述べてもらいたかった2島返還論を主張するときには、「歯舞色丹群島は北方四島の面積の7%に過ぎない、国後島は沖縄本島よりも大きいし、択捉島にいたっては沖縄本島の2.6倍あります」ちゃんと事実関係を説明してから、自分の意見を述べるのが大人のやり方、違いますか?

 弊ブログ#2794で各島の面積を挙げて論じているのでご覧ください。

*#2794 争点整理④: 北方領土問題 Aug. 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-31
=======================
 北方四島が返還されたら、羅臼の漁師は漁獲量激減で困窮するだろう。違法操業はしなくても安全操業A地域とB地域へ出漁しているから、根室の漁師への影響も小さくない。
 つまり、根室管内の漁師たちは北方四島が帰ってこない現状の方が都合がよい。2島返還で国後島と択捉島が戻ってこないことが根室管内の船主にとってベストチョイスだ。北方領土の面積は5,038平方km国後島1,499平方km択捉島3,184平方kmの2島は北方領土全体の93.0%を占めている。比較のために書いておくが択捉島は沖縄本島1,206平方kmの2.6倍も大きい
 北方領土面積の93%を占める国後島と択捉島を外した返還交渉はありえない話だ。7%に過ぎない歯舞群島と色丹島の2島返還でいいならロシアはいつでもそれで決着をつけるだろう。
=======================

 2島返還なんて言い出したら、日本が世界中からバカにされます。尖閣列島や竹島問題にも影響しますよ。日本は領土問題で原則論を簡単に曲げる国だと中国にも韓国にも思われるでしょう
 四島返還はありえないとお二人の方が仰いましたが、自分の智慧が足りないとは考えないのでしょうか?

#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2,
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02


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#3748 貝殻島コンブ漁の行方:今日解禁、採取料1億円弱 Jun. 2, 2018 [21. 北方領土]

 貝殻島コンブ漁が解禁された。貝殻島は納沙布岬の目と鼻の先にあるれっきとした日本領土だが、ロシアが実効支配し続けているから採取料を支払わなくてはならない。そして採取料は毎年引き上げられる。
 北方領土は日本固有の領土と主張しながら、ロシアの実効支配海域と認めて採取料を支払うのは1964年からのことである。現実は矛盾に満ちている。

*6/2朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL6230NXL62IIPE00D.html
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 北方領土・歯舞群島の貝殻島周辺で2日、コンブ漁が始まった。本土最東端の北海道根室市・納沙布(のさっぷ)岬沖に集まった241隻が、3・7キロ先の貝殻島に向けて一斉に出漁した。
…1963年にソ連側に採取料を払って漁をする民間協定が結ばれた。(神村正史)


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 ロシアは北方領土沿岸のカニを獲りつくして資源量が激減した。ついで金額の張るウニを獲りだしたがそのウニも資源が減った。昨年来「鮭流し網漁」が禁漁となり、根室の水産業界にとっては大きな打撃となっている。

 ロシアは資源の囲い込みをしているから、このまま拡大していけばコンブ漁も、いずれ日本側には禁漁になるのではないか。そうなれば日本はロシアから昆布も輸入することになる。

 経済交流ばかり拡大しているが、北方領土問題は置き去りの感がある。外交はまず国益を第一に考えてもらいたい。

 歯舞地域の昆布漁に携わる人たちは、貝殻島コンブ漁が禁漁になる日が来たらどうするのか、死活の問題である。そうしないためにいま何をしておくべきなのか、よく考え、具体的な手を打たねばならないのだろう。
 誰も何もしてくれない前提で、自分たちでなんとかすることをベースに考えよう。
 根室の沿岸漁業四組合のなかでは歯舞漁協がナンバーワンの商品開発力、情報発信力をもっている。その歯舞でコンブ漁が続けられなくなる事態が起きれば、歯舞地域だけの問題ではなく、水産業界のみならず根室全体にかかわる問題となるは必定。

 数年前に北海道新聞記者K田さんがシリーズで採り上げた2013年の記事に、歯舞昆布漁師の新鋭が二人載っていた。高校を卒業した春、初めての漁だった。もう6年目の春だ、隣同士で幼馴染のタクヤとカズキ、話し合ってなんとか具体策を考えだし行動に移してみたらいい。未来は君たちのものだ、君たちのパワーに期待してる。
(二人の体重を加えると200㎏を尤(ゆう)に超える、どちらも180㎝を超える巨漢、腕力も握力も抜群に大きい。小学生のころから昆布干しを手伝っていたから握力は80㎏前後もあるのでは?)

*#1954 味わいのある記事:「歯舞 コンブの浜 春」 May 30, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30


 #1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」  May 31, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-31


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#3662 NHK朝までドキュメント72時間:岩田先生 Dec. 16, 2017 [21. 北方領土]

<更新情報>
17日朝10:15 追記 術場(手術室)の看護師さん他

 NHKで表記の番組が12/15午後10時50分から25分間放送された。西浜町のタイエー(地元のコンビニ)の72時間だ。おにぎりを買った90歳の老人がこれから車を運転して中標津へ戻る、いとこの葬儀に来たとレポーターに応えた。

 16日からの72時間だから、日付から考えて岩田宏一さんの葬儀に参列されたのだろう。いとこだからお顔が似ていらっしゃった。
 2日前の14日の午前中に電話してから岩田さんのお宅を訪問し、お線香をあげてきた。四七日(よなぬか:亡くなって28日目)のお経をあげにお坊さんが来て、帰ったところだった。

 7月2日にニホロで北方領土関係の後援会があり、択捉島蘂取村出身の講師の山本昭平さんと、岩田宏一先生と、叔母とわたしの4人で会場で写真を撮った。昭平さんのことは母から何度も聞いていたので、一度お会いして話がしたかった、念願がかなったのである。叔母の車で送ってもらったのだが、岩田先生が車から降りたときに、「退屈してるから話しにおいで」と誘われた、お元気だったからそのうちに伺おうと思っていた。わたしを含めて、周りのだれもがこんなに早く逝ってしまわれるとは思わなかっただろう。
 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、手遅れだったわたしが死なずに術後11年が過ぎた。初診の内視鏡検査で癌の診断をつけてくれた岡田医院は岩田先生のお宅から1分の距離。お父さん先生に大腸癌でオヤジがお世話になり、若先生にわたしが胃癌でお世話になった、いやいまもお世話になり続けている。 (現在は音更町で開業され、「東木野クリニック」の院長の)後藤幹弘先生が釧路医師会病院の勤務医で執刀担当医だった。FBでアップされている写真を見ても今でも十分若いのだが、あのころは35歳くらいのピッカピカの若き外科医。進行性の癌でしかも併発、「わたし失敗しませんから」とは言わなかった。それどころか「開いてみないとわからないので、状態によっては、胃と胆嚢だけでなく膵臓をそして脾臓も…」「肝臓も怪しいのでCTではどっちとも判別できないので開いたときに手で触って感触で確認します」と微に入り細にわたる具体的な説明をしながら、同意書に判を押すように促された、初夏の正午の木陰の芝生の上でくつろいでいるような雰囲気で聞いていたのを覚えている。入院して3週間、自覚症状から診て必ずスキルスがあるはずだからと訴えたので、消化器内科医の副院長富田先生が丁寧に様々な検査を繰り返してくれた。そういう過程があり、巨大胃癌とスキルスの併発という内科的診断が確定した。助からない際まで来てしまっているというのに、ああ、手術してもらえるんだとなんだか妙に明るい気分だった。膵臓は胃の裏側だから、横の裏側に近い部分にスキルスが粘膜の中を走っていたから、膵臓にすでに浸潤している可能性があった。案の定、開いたら手遅れ状態で、後藤先生の手が一瞬止まり、あきらめて縫合しようとした、その一瞬の隙をベテラン外科医のA院長が「ざっくり取ったらいい」と促してくれて、手術は続行することになった。若い外科医はたくさん切らなきゃ腕をあげることができない。ダメでもともと、切ってよいのである。覚悟はしていた。この若い外科医なら腕を上げるためにわたしの体を使ってくれていい、そう思えたのだ。だから、不安はなかった、ただありがたくて手術室へ運ばれたときに涙がこぼれた。うれしかったのだ、術場の看護師さんは涙の意味を理解してくれただろう。偶然とはあるもので、術後1年くらいしたときに検査で釧路医師会病院へ行ったときに、外来カウンターにいた。名前と顔を確認して、「ebisuさんの手術を担当した看護師です」と名乗ってくれた。「会って、直接お礼が言いたかった、ずっとそう思っていました、あの時はありがとうございます、おかげさまで生きています。ほかのお二人にもよろしくお伝えください」、そういうことができた。思いがかなった瞬間だった。30歳前後の美人な看護師さんだった。
 癌は進行していたので、リンパ節に転移し、大腸へも浸潤していたから、横行結腸も10㎝ほど切除した。予定の倍の6時間の手術だった。出血量は700cc、輸血なし。技術の進歩はすばらしい。
 助かるはずのないebisuが助かり、末期じゃなかった岩田先生がお亡くなりになる、なんだか申し訳ない思いもした。いろいろな人たちがその仕事を通じて私を助けてくれた。そういう命を世のため古里のため、人のためにすこしでも使えたらうれしい。

 光陽堂で写真をプリントして持参した。祭壇に遺影が飾られていたのでお線香をあげて、「(伺うのが)遅くなりました、ご存命のうちにゆっくりお話ししたかった、逝くのが早すぎます」と話しかけた。
 7月20日に市立病院へ入院したのだそうだ。その後手術をされたが、予後が悪くてお亡くなりになった。人間の死はいつ訪れるかわからないものだ。
 わたしは岩田先生には一度も習ったことはないが、独身時代に裏庭に面した隣の家に下宿していたことがあったので、知っていた。ご結婚をされてからも、梅ヶ枝町3丁目にあった家から岩田先生が住んでいる家が見えた、100mほの距離だった。星野薬局(現ホシノホール)の向かい側、木村生花店の斜め向かい花咲街道沿いの四つ角のところにお住まいだった。
 ebisuの自宅(兼店舗)は梅ヶ枝町三丁目にあった。根室で一番最初に信号のついた交差点から紹介すると、幼稚園に行く前から仲よく遊んだやっこちゃんの「緑菓子店」、お菓子の問屋の「第一商事」、そして根室で一番の老舗時計店であった「奥田時計店」、そしてebisuの家のビリヤード店と根室初の居酒屋「酒悦」(のちに焼き肉店)があった。その隣には明光商事、広小路の道路を隔てて緑町三丁目の根室印刷という配置である。花屋さんのケイコちゃん家は根室印刷の隣だった。魚屋「魚茂」の女将さんになっているマーちゃんも道路の向かい側に住んでいて一緒によく遊んだ、おとなしい子だった。洋服店のおてんば娘ユッコも遊び仲間。NTTのところが空き地になっていて、5~10人くらいでよく遊んだ。缶蹴り、ケンパ、ドッジボール、小学生のうちは男女の体力差が小さいから、一緒に遊べたのである。よく遊んでよく動いた。お店を開ける前に早めの夕食をすませると、そのあとはビリヤード店で新聞を読み、お客さんの相手をしていた。様々な職業の大人が入れ代わり立ち代わりゲームに興じる。ゲームは人の本性をあらわにするから、人間を見る目が自然に養われた。ゲームのやり方を見れば、仕事の程度が想像がつくようになった。

 北海道銀行のところが半分くらい空き地になっていて、そこが子どもたちの格好の遊び場だった。平屋のNTTの建物があり、女性の電話交換手が並んで座って仕事していた。昔はハンドルをぐるぐる回して交換手を呼び出し、番号を告げて電話をつないでもらった。家に電話がついたのは小学生の終わりごろのこと。冷凍冷蔵庫も小学5年生のころに初めて購入した。まだ製氷所から氷を買って木製の冷蔵庫にいれて保冷剤として使っているというのが主流だった時代のこと、昭和30年代の中頃の話だ。お店で使っていたから冷凍冷蔵庫があったが、当時は一般家庭で冷凍冷蔵庫のあるうちはほとんどなかった。テレビがついたのは小学6年生のころ。電波状況が悪くて画像は大きな雪が降っているように見づらかったが、食い入るように見た。当時、「チロリン村とクルミの木」という人気番組があった、並みをちゃぷちゃぷかき分けて♪ ひょうたん島はどこへいく♪、あの「ひょっこりひょうたん島」はそのあとの人形劇の人気番組である。レスリングも全盛時代で力道山が活躍していた。

 物心ついたころからのご近所さんの幼馴染だから、それぞれの家には勝手に出入りしていた。親たちがそういうことを認めていた。人のお家にお邪魔するときは、脱いだ靴をそろえて上がり、ちゃんと正座してから両手をついて、「こんにちは」と挨拶するのが決まりだった。帰る時もちゃんと挨拶する。幼馴染だから、ちゃん付けして名前で呼び合った。わたしも名前にちゃんを付けて呼ばれていた。なぜかユッコだけがちゃんなしだったのは、おてんばだったからかな。
 ヤッコちゃんはもう10年ほども前に乳癌で亡くなった。一度ゆっくり昔が話したかった。中学生になってからは一度も話したことがなかったのである。ヤッコちゃんのお父さんはビリヤード店の常連で、わたしとよくゲームして遊んでくれた。男の子がいなかったからだろう。歯医者の田塚先生もよく遊んでくれた。同級生のケイコちゃんより一つ上の美人のお姉さんがいた。田塚先生もやはり男の子がいなかったからかまってくれたのだろう。長身の紳士だった。歯医者の福井先生は3代のお付き合いである。先代は時代小説も現代小説も書ける文人だった。根室新聞に連載していた。
 いろいろ書いたが、ebisuと同じ歳ごろの子供は近所に女の子しかいなかったのである。緑菓子店の向かいは根室信金本店だから、根室にお住いのみなさんはどこにだれが住んでいたか、容易に想像できるに違いない。

 閑話休題、姉とワイフが花咲小学校で岩田先生が担任だった。だから先生はebisuの姉、ついでワイフと連続して担任を受けもたれたわけだ。
 ebisuの母親が択捉島蘂取村の出身で、岩田宏一さんとは同郷、小さな村だから、ebisuの母親が近所のお姉さん、お転婆な千歳の叔母とは同級生、楽しい話をたくさん知っている。千歳の叔母は話し上手でとっても面白おかしく話してくれた。笑い転げて茶の間のガラス戸にお尻をぶつけて割ったことがあった。癌で亡くなってからもう10年くらいにもなる。択捉島へは一度も行けなかった。一人娘のいとこが遺灰を一つまみ身に着けて、択捉島の見える海か、島へ上陸してそっと撒いてきたいと言っている。60年近く前に、根室に来た時に、本町の石の突堤の近辺で、海に入り、ここにもあ、またここにもウニがいると足で探りながら夢中で獲って、石でたたいて割って塩水でさっと洗い、シュルっと食べて歓声を上げていたのを思い出した。蘂取の海岸でもあんな風にしていたのだろうか?大きな声で全身で喜びを表すな陽気な叔母だった。

 お線香をあげた後で、奥さんと話した。択捉島の蘂取村の関係だから、いきなり「てっちゃんと同級生」だと聞いてびっくり。苗字を言わなくてわかると思ったのか、話の勢いで名前が出たのかわからない、てっちゃんとは13歳離れているが、まだオムツが取れないころから数年間一緒に暮らしていた時期があるので、気分的に兄弟のような気持ちがある。急に岩田先生の奥さんが身近に思えて話し込んだ。「語り部おばさん」をしている叔母は、血縁上は叔母なのだが、歳が10歳しか離れていないので、お姉さんだ。姉と妹はいまでも彼女の名前にお姉ちゃんをつけて呼ぶ、旦那さんのほうも「〇〇お兄ちゃん」と呼んでいる。
 幼いころからの名前の呼び方には、その音の響きの中に懐かしい思い出がふんわりと浮かび上がって、包んでくれるような心地がする。80歳になった「てっちゃん」も、78歳の「サキコお姉ちゃん」も「タカオおにいちゃん」も心の琴線に触れる懐かしい響きがある。

 岩田先生の奥様は中学時代の副担任の半田(旧姓大岩)トモコ先生もご存じだった、親同士が同じお米屋さんでお店は150mくらいしか離れていなかった。田舎は人間のつながりが密だ。だから、ものが言えなくなるのかもしれない。正論を主張すれば、親戚知人のだれかを批判するか、周りの人が迷惑することになる。
 ものはついでだから、お米の配給制度について若い人たちは経験がないだろうから言及しておこう。戦後二十年以上の間、お米は配給制で「米穀通帳」という配給手帳がないと買えなかったから、お米屋さんは軒数が多かった。ebisuは根室高校を卒業して東京へ移り住んだ時に米穀通帳がなくてお米を売ってもらえず、慌てて根室から取り寄せたことがあった。信金と花咲街道を隔てた向かい側にあったお米屋さんの娘だった半田トモコ先生は数年前に癌で亡くなった。半田トモコ先生も近所のお姉さんだったのである。中3の時に新卒で赴任してきたから、8歳上だろう。お昼少し前にヤママンへパンを買いに行くとよくお会いした。「ebisu君とは癌仲間だね、わたしは薬をやめて自然食療法に切り替えた、ebisu君も頑張って」と何度も励まされたが、昨年だったか、先に逝ってしまわれた。薬をやめたのは抗癌剤の副作用がきつかったのだろうか。担任だった「肝っ玉おっかさん」の山本幸子先生はさらに数年前に亡くなった。根室へ戻ってきて挨拶に行ったときはずいぶん喜んでくれた。いくつになっても恩師はありがたいもの。小学校で5・6年の担任だった鶴木先生は今年お亡くなりになった。高校の担任の冨岡良夫先生は昨年東京のご自宅で亡くなった。根室へ帰ってきてから15年目だが、その間に知っている先生たちが相次いでお亡くなりになった。
 奥様からは「ときどき遊びにおいで、奥さんも一緒に」と優しい言葉をかけていただいた。ワイフの担任だったことを岩田先生は奥様に話していたのだろうと、そのときに感じた。
 一人、また一人、さみしい気はするが、向こうへ行ったときには大勢でお迎えしてくれるだろうから、よしとしよう。
 でも、まだお迎えはいらないから、みなさんよろしくそちらでにぎやかにやっていてほしい。
 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多事 … 諳(そら)んじていたお経も書けなくなった。
 やるべきことがすんだら、じたばたせずにそちらへ逝きます。恩師の皆様、いつかまたお目にかかりますので、その時はよろしくお仲間に加えてください。

 合掌  m(_ _)m



*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28



*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14



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#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2, 2017 [21. 北方領土]

更新情報
 7月4日夜 <余談-4>追記
 7月5日朝 <余談-5>追記

  7月2日13時から道立北方四島交流センターで標記講演会が行われた。これは北方領土遺産発掘・継承事業講演会として行われたものである。「語り部」は択捉島蘂取(しべとろ)村出身の山本昭平氏(89歳)。
  同名のノンフィクション(昭平さんの家に寄宿した軍医との心の交流が描かれた)小説が北海道新聞夕刊に連載中で、最新の6月30日が67回目、7月で連載が終了するという。ビザなし交流で同じ船に同乗したロシア語通訳の不破理恵さんが昭平さんの話を聞いて資料として残すべきだと思ったのが、この連載小説のきっかけである。最初の内は小説になるとは思わなかったそうだ。十年をかけて不破さんは埼玉県に住む昭平さんを訪ねて取材した。不破さんの話ではあの小説は昭平さんが話したままをテープ起こしを中心にして書き上げたという。本は不破さんの自費出版。
 昭平さんは記憶の良い人のようだがなにぶん古い昔のことなので、記憶の糸を手繰るのがたいへんだっただろう。本の出版に関しては次の弊ブログで取り上げた。
*#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-02-07 

  根室空襲前後の話から始まり、ソ連が進駐してきたときの実話、そして1947年7月にトッカリ湾から引揚げ船が出ていくときの状況までが話された。飼い犬が一頭海に飛び込むと、次々に6-7頭があとを追ったという。そのあたりの事情は十数年前にジャパンタイムズが山本昭平さんに取材した記事が載ったので、時事英語授業で使ったので覚えている。叔母に記事をあげたら、翻訳してほしいというのでWORDで作成したから、古いパソコンのどこかにあるだろう。

  講演会が終わった後で、運よく昭平さんがこちらのほうへ歩いて来てわたしの近くにいた人と話し終え、視線が合ったので一歩前へ出て、右手を差し出しながら「サダコの長男です、母に話を聞いていたのでお会いしたかった」と挨拶した。とてもびっくりしていた。そこへ11歳年上の叔母と岩田宏一氏(元花咲小学校長)が来た。叔母が岩田先生に「サダコお姉さんの長男」だと紹介してくれた、56年ぶりにお会いした。昭和20年は昭平さんは17歳、叔母は7歳である。岩田先生は友子叔母と同学年だったはずだから昭平さんと同じくらいだろうか。東京大空襲で大学は授業ができない状況だったので、昭平さんは大学進学をあきらめてエトロフ島へ帰るために根室で船の出港を待っていたのである。

  末っ子の叔母にとっては14歳離れたお姉さんがわたしの母「サダコお姉さん」であるが、岩田先生にとっても昭平さんとっても「お姉さん」のようなもの。
(ここでは血縁関係を正しく表すために「叔母」と書くが、一度も「おばさん」とは呼んだことがない。小学生のころから名前を冠して「○○お姉さん」と呼んでいたから、向こうも「おばさん」の意識は薄いだろう。)

  山本さんは択捉行きの船にお父さんと妹さんと三人で乗船した。制海権を奪われていたので船は夜中に出港するのが常になっていた。ところがその夜は軍の命令で出港を止められ、港を出て弁天島の横で停船していた。そこへ根室空襲が起きた。シュッという音でロケット弾が発射され十畳ほどの2等船室を直撃し、そこにいた十数人で生き残ったのは、昭平さんと妹の徳恵さんの二人だけ。その後バリバリとすごい轟音とともに船は機銃掃射を何度も受けた。周回してきて撃つから、どの方向から狙ってくるのか弾痕の入り口と出口から、方向と角度が計算できたという。機銃弾が防げるはずもないと思うが、畳を持ち上げて弾除けにしたという。助かってから見ると、船はマストを海上に残して沈んでいた。弁天島のすぐ近くだったから、浅かったのだろう。
  根室空襲は港を中心として扇形に焼夷弾を落とし、逃げ道をふさいでから、扇の中に取り残された住民を機銃掃射したり、焼夷弾を落として焼き払った。東京空襲と同じ方式である。日本全国の都市が米軍の空襲に見舞われたが、戦意をくじくために市民を多数殺すことを目的としていた。
  母はハッタリ方面、ホロムシリまで逃げたという。働いているところの息子の手を引いて「扇の外」へ逃げたのはなんの偶然だったのだろう。内側に逃げた人たちのほとんどが焼き殺された。母は何も持ち出せなかったそうだ。空襲の翌日に戻ってくるとけが人や黒焦げの死体だらけ。けが人を病院に運んだり、処理しきれないので弥生町の海岸までリヤカーに死体を積んで海に流すのを手伝ったという。出稼ぎの人たちも多かったので、死者数は判然としない。一説には五百人ともいう。小学生のころ弥生町の浜で遊ぶと小石や砂に交じって手の甲のような白い細い骨があった。大人になって母親から根室空襲の話を聞いてなるほどと思った。
 昭平さんと妹の徳恵さんは沈没する船からばらばらに脱出したが、船が弁天島のすぐ沖に停泊していたので助かったという。昭平さんは足を撃ち抜かれていることに、停泊していた別の船へ泳ぎ着くまでわからなかったという。大混乱の中では自分の足の大けがにすら気が付かない、戦争の現実だ。

  昭平さんの妹の徳恵さんが「さだちゃんがわたしの名前を呼ぶ声を聞いた」という。空襲の後の混乱の中でどこかですれ違ったようだ。

  軍医が蘂取村に着くと、寝泊りするところがないので、広い山本家へ寄宿の申し入れがあった。お父さんを空襲で亡くした昭平さんは17歳で家の主となっており、母親と弟と2人の姉妹だから軍医を迎え入れたほうが安全だと判断して受け入れたのだという。
  山本家というのは択捉島蘂取村の裕福な商家だった。季節ごとに東京三越や高島屋のカタログが来て、洋服などほしいものがあればそれで注文すると船便で品物が届く、戦争が始まってしばらくは砂糖にも不足したことがなかったという。択捉島は根室の三倍の漁があり、漁業権をもった漁師たちが裕福だったから、物の買い方も豪勢だった。
  昭平さんのお父さんは根室商業卒業ということを今回知った。昭平さんのおじいさんの長兄である山本忠令氏は黒田清隆の副官である。当時の村長や町長人事は北海道開拓庁で任命していた。昭平さんのおじいさんが根室町長に交渉事があって面会に出向いたときの面白い話があるが一度書いた。町長にけんもほろろに扱われたおじいさんはカンカンに怒りそのまま札幌まで汽車でいった。戻ってきたときには町長へ開拓庁から電報が届いており、助役など町役場の幹部が駅の改札口に並んで出迎えたという。お袋が昭平さんのおじいさんから直接聞いた話だ。あの時代は町長は公選ではないから北海道開拓庁の意向次第で首が飛ぶ。

  山本家には蓄音機があったしラジオもあった。お父さんの勝四郎さんは写真が好きで、蛇腹の旧式のカメラで撮った写真が残されている。ピントも現像もしっかりしている、腕はプロ。写真には「k.Yamamoto」と刻印してあるので、誰が撮影したかわかる珍しいもの。わたしも高校時代、現像道具一式を持っていたのでモノクロ写真の引き伸ばし経験があるが、昭平さんのお父さんの残した写真はプロの技術だということがよくわかる。道具一式をもって現像液や定着液や印画紙を手に入れて写真を残しているころからも、文化的な水準の高さと裕福さがわかる。エトロフ島に不時着したリンドバーグ夫妻の写真や報知新聞が講演した太平洋横断飛行機(1931年)の写真もあった。エンジンの不調で紗那に降りたのでその時に撮った写真だ。そういうわけで山本家は択捉島蘂取村でも特別の存在だったようだ。
 (トッカリ湾から船に乗った後、樺太へ送られて、そこでしばらく足止めを食らう。そこでずいぶん悲惨な話がある。昭平さんの弟や引揚げ者数名の方がビデオで述べている。千島歯舞居住者連盟のホームページを検索すれば何人もの人の証言を聞くことができる。)

  択捉は根室の三倍の漁があったので、出稼ぎ漁師の間では「宝島」と形容されていた。戦前のエトロフ漁業はとっても豊かだったのである。
  ソ連進駐後の生活はソ連軍のドクターが居候していた山本家と他の蘂取村民とは生活実感にだいぶ隔たりがあるようだ。昭平さんは、根室商業ではなくて、大学進学のために旭川の旧制中学へ進学していた。現在の旭川東高校である。

  お袋から何度も話を聞いていたので、昭平さんには一度会いたいと思っていたが、今回それがかなってうれしい。叔母が昭平さんを入れて四人で写真を撮ろうというので撮ってもらった。叔母は新聞社の人に撮影をお願いした。北方領土返還運動関係で知っている人なのだろう。
 叔母はこの数年ロシア語の勉強に余念がない。近々また国後島と択捉島に行きロシア語で交流するという。アニメになった「ジョバンニの島」の得能さんや軍医との心の交流があった昭平さん、こういう話がいまの日本の北方領土政策にとって都合がいいのだろう。
  実際の当時の住民感情の代表例とは言えないかもしれない。連盟ホームページにある引揚げ者の証言ビデオを見たらもっともっと厳しい現実のあったことがわかる。

 長谷川根室市長が経済交流・調査を目的とした渡航リストから外されて島へ行けなかったと、最近テレビや新聞報道がなされた。根室市議会は抗議の声明を公表している。
  ロシアはもう領土返還の話などする気はないからだろう。領土問題は棚上げして、国後島や択捉島、そして東シベリアの経済開発に協力するという合意が、日本政府とロシア政府の間にできているような気がする。外務省は長谷川市長の渡航拒否の理由を明らかにしていない。明らかにしたら不都合な真実が明るみに出るからだろう。二島返還だと騒いでいた安倍首相と外務省、あれは何だったのか。
  不都合な真実には口をつぐむ政府と外務省、そして簡単にだまされ続ける北方領土関係団体、人が好過ぎはしませんか?


< 余談 >
 お袋の兄は満州で国境警備の任に当たっていたが、ソ連軍が侵攻してきたときに戦って戦死している。満州の荒野に一本だけある木の根方に埋められている。初夫というが、その人にわたしが似ているそうで、初夫さんを知っている何人かの人によく言われた。六尺(180cm)近い身長で運動能力の高い人だったそうだ。母は漁師の長女である。権利は叔父貴が引き継いで記録があるようだ。戦争がなければ、蘂取村で家業を引き継いで漁師をしていたことだろう。秋になると川にはシャケがいっぱいで、竹竿が立つほどだという。
  お袋がオヤジと結婚を決めたのは、落下傘部隊だったオヤジが降下訓練で右腕複雑骨折をして戦後しばらくの間は右腕を挙げることができなくて、食事をするときには口を腕のほうにもっていって食べていたからだと聞いた。兄が戦死しているので、戦争でケガをした兵隊さんの役に立ちたいと思ったという。兄の初夫が満州で戦死しなければオヤジとの結婚はなかっただろうし、わたしも生まれていない。
  運命の糸は複雑だ、戦争は何もかも変えてしまう。

< 余談-2 >
  母は霊感の強い人だった。知人が亡くなるとすぐにわかる人だった。亡くなると会いに来るのである。映像としてはっきりと見える場合と気配がする場合と2種類に分かれる。そんなときはそっとお酒を窓際に置いたりする。そういう母親を知るわたしは、根室空襲の際に唯一の脱出口だったハッタリ方面へ避難したのは単なる偶然とは思えない。
  寅年生まれの叔母トクさんが姉妹の中で一番霊感が強かった。父親が亡くなる1か月前から泣いているのである。病気の父親だけでなく、元気だった母さんもすぐに死ぬと一月前から泣いているような子供だった。実際に父親が亡くなって1週間後に母親が死んだ。都合の悪いことに、よいことも悪いことも自分の意思とは関係なく、ときどき未来が見えてしまう。自分のことだけでなく他人様のことも見えてしまう。

  高校生の時に同級生の柔道部員のN西君が腎臓病で亡くなった。同じ部活で仲が好かった。釧路の病院で治療を受けていて7月に戻ってきていて鳴海公園近くの道路ですれ違い「おー、治ったのか?」と聞いたら笑ってうなずいたので「よかったな」と声をかけた、それから数日後に亡くなった。人工透析のない時代だったから治療法がなく手の施しようもなく戻ってきていたのである。二階が住まいになっていたので、夕方6時近くにゴーという音がして敷布のような白いものが窓のすぐ近くを飛んでいくのが見えたので、窓を開けて見たが何もない。窓は縦に曲面が走っているガラスだった。近くに座っていたトク叔母に「みた?」と訊ねたら、「見た」と言った。叔母は気味悪がられるので見えたことを言わないようにしていた。わたしに関わりのある誰かが亡くなったことを見抜いていたのだろうが、トク叔母は「見た」としか言わなかった。ちょうどその時間にN西君が亡くなってた。そのことを知ったのは翌々日に入った死亡通知の折り込み広告を見たときである。わたしのアンテナは鈍感なようで、それ以来一度もそうした経験がない。自分の未来ももちろん見えないことはじつにありがたい。
  霊感が強すぎることはその人の人生に暗い影を投げることになる場合がある。未来が見えないからこそ希望をもって生きることができるとわたしには思える。母の母、わたしのおばあさんが霊感の強い人で、若いころにお坊さんから成田山新勝寺での修行を勧められたという。女系に霊感の強い者が出る事実から、どうやら「霊感遺伝子」は女系で伝わっているようだ。姉にはたまにはっきり映像として見えてしまうことがある。アンテナの感度が標準よりも高いのだろう。面白いこともあるが、そうではないこともあるから、本人にとっては迷惑な話だ。


<余談-3 :昭平さんとわたしの母親サダコ>
  わたしの母親が餌取不蘂取村の漁師の娘であることはすでに書いた。父親は青森の腕のよいヤンシュウ(出稼ぎ漁師)だった。漁場の権利を持っていたばあさん(もちろん当時は若かった)と一緒になって一男一女が生まれるが、青森の両親の具合が悪くなり、農業の手伝いが必要で1年ほど戻っていた。その間に、ばあさんは再婚させられたのである。蘂取村の漁業のボスはKさんというアイヌ人だった。よそ者に資源が漁業権がわたるのを嫌い、籍を入れることができなかった。そして爺さんが青森に戻っていた間に再婚させられたという。エトロフの前浜の漁業権は大きな財産だった。その後に女の子が4人、男が一人生まれた。サダコとは異父姉妹弟である。長男と長女は新しく来た父親とはそりが合わなかった。まだ幼かった長男の初夫が新しい父親によく殴られていたそうだ。そういう光景を目にしているからサダコの心が新しい父親になじむはずがない。そういう事情を斟酌して、ばあさんはサダコを商家の山本家に行儀見習いに出した。そうしてサダコは山本家で東京標準語と行儀作法を身に着けた。同じ家で暮らしたから、山本家の子どもたちは弟や妹のようなものだった。
 40歳のころに(ebisuの)オヤジが大腸癌になり2度目の手術の後根室へ帰郷した折に、お袋が市役所に用事があって電話するのをそばで耳にしたことがあった。実に見事な電話で、全国コンクールでも優勝を争えるくらいの水準であることにその時気が付いた。SRL八王子ラボに勤務していた時に、取引先のオリンパス宇津木台研究所を見学したくて職権を利用して電話で依頼したことがあった。そのとき電話に出た女性社員の応対が見事だった。オリンパス宇津木台研究所は電話応対のNTT全国コンクールでそのころ優勝したことがある会社だった。それと比べてお袋の電話の掛け方が遜色なかったのである。オフイッシャルな場ではスイッチを切り替えたように、お作法通り上品にふるまえる人だった。それは山本家にいた数年間のお陰だろう。母親の一生の財産となっていたと思える。暇な折には山本家にある本を読ませてもらい、介護が必要になったおじいさんの世話をしたという。母はよく本を読む人だった。黒田清隆の副官だった山本忠令の弟だったお爺さんには可愛がられたようで、村長を決めるときの話などお爺さんを通して当時の村内の事情をよく知っていた。
  母はオヤジと結婚してから中学生の従弟を数年間引き取ったことがある。親戚のおばさんが再婚してその従弟は新しい父親になじめなかった。そして蘂取村で自分の兄にあったのと似たようなことが起きていた。見ていられなかったのだろう。姉も妹も一時期一緒に暮らしたその人を「お兄さん」のように思っている。体の弱かったトク叔母は仕事を変わる都度数か月間根室に滞在した。トモ叔母も1か月ほど滞在することが何度かあった。釧路のばあさん(オヤジの母親)を1年間ほど引き取っていたことがある。根室高校野球部キャプテンで総番長であった5歳上の親戚も、事情があって高校卒業後1年間ほど一緒に暮らした。総番長に代々伝わる「仁義の口上」をやって見せてくれた。根室高校生がヤクザともめ事があったら、総番長が出て行って話をつけないといけない、そのときに必要だというのである。口上を間違えたらその場で殺されても文句は言えない。小さく折りたたんだ口上書を手渡されたが残っていない。腰をかがめて右手を前に出し、左手を後ろに回して「お控えなすって、さっそくお控えなさって下さってありがとうさんにござんす。手前生国発しますところ…」というあれである。総番長には責任が伴っていた。お祭りのときには目つきが鋭くてトッポイ高校生が5-6人一歩後ろをついて歩いていた。そのころは気の優しい彼が総番長だとは知らなかった。あとで確認したが、わたしの前の代にもわたしの友人の総番長にも仁義の口上は伝わっていなかった。総番長にはすでに肩書に伴う責任がなくなっていた。そこが総番制度を終わらせるわたしの動機だったかもしれない。2年生になった時にクラス替えになり総番長のヒロシと同じクラスになった。妙に馬が合った。あいつは野球部だった。総番制度の廃止は共産党のA野とヒロシと三人で決めた、まったく面白い組み合わせだった。ヒロシには苦労を掛けた。もちろん内部でもめたはずである。とばっちりはあったが、あいつは一人で背負った、いい男だ。人望がなければ総番長はつとまらぬ。大学進学は3年の12月に決めたが、ずっと店(ビリヤード店)の手伝いをしていたし、大学進学のつもりがなかったので受験勉強していなかった。受験は失敗した。そんなときにヒロシが3月に来て「ebisu、代ゼミに一緒にいくべ」と誘ってくれたのである。これも不思議な話だ。1年前に担任の富岡先生に金融機関に就職希望を伝えると、釧路の日銀を受けろ、学校推薦するからと言われた。都市銀行ならどこでもOKだが、ebisuが受験すれば一人いけなくなる同級生がでると言われて、銀行への就職を見送ってしまった。
  総番長のヒロシがいなければ、わたしは根室で店番をしながら、公認会計士受験をしていただろう。独力で勉強して合格するくらいの学力とガッツはあった。高校2年生の時から公認会計士二次試験参考書を使って独力で勉強していた。試験科目の中では原価計算と経済学が特に面白かった。ヒロシはわたしの運命を変えた友人である。大学へ進学してから経済学への興味がさらにわたしの人生を変えることになる。

  幼少期にオヤジもお袋も家庭的な苦労が大きかったから、人の苦労がわかる人だった。昭和の30年代は日本中が貧しい時代だったが、食べ物に困ることはなかったから、いつまでいてもOKだった。そういうわけで親戚の出入りの多い家だったと言える。あんなことは苦労の少ないわたしにはできない。
  オヤジも母も苦労人である、若い時の苦労は人を磨く。

< 余談-4:蘂取の言葉 > 7月4日追記
  蘂取には営林署関係者(公務員)やお寺さんなど言葉のきれいな人が少なくなかったようだ。一般に道内の漁師町は言葉が荒い。函館や根室を基準に考えてもらえばわかる。たとえば、根室っ子には北海道訛りがあるが、本人たちは自分の訛りに気がつかない。蘂取には訛りのない、つまり、きれいな東京標準語でしゃべる人が少なからずいたようだ。山本家だけが特別だと思っていたが、そうではないようだ。
  わたしのいう東京標準語は威勢のよい江戸っ子言葉とは違う、下町ではなく山の手で話されていた言葉をイメージしている。
  根室高校を卒業してからわたしは35年間東京で暮らした。根室に戻って友人たちを会うと根室の語彙やアクセントで話している。東京へ戻ると東京弁でしゃべる。意識しているのではなく、無意識に語彙やアクセントが切り替わるのである。「場」に応じて自動的に切り替わるもののようだ。他の人でも同じだろう。不思議だ。

< 余談-5: 戦前の根室町と蘂取村の繁栄 > 7月5日朝追記
  昭和41年だったと思うが、高校生のわたしはひょんな縁から根室のある呉服屋の棚卸の手伝いをしたことがある。正確に言うと「手伝いの手伝い」である、断れない事情があった。帳簿に仕入原価と売値が記載してあった、それを集計する。着物は仕入原価の2倍、小物類は3-4倍の売価設定になっていた。当時の根室の呉服屋ではこういう価格設定が当たり前だったのだろうと思う。
  根室は漁師町だから、商慣習のベースは大きな得意先である漁師がつくった。ツケ買いをして、漁があった時にまとめて支払う。だからその分根室の商人は資金負担が大きいというデメリットと利幅が大きいというメリットがあった。呉服も雑貨も食料品も同じ。
  昭和30年代後半には「やすやす屋」という安売り販売のお店が緑町にあった。根室商人としては異色だった。2階建てで天井近くまで商品を積み上げて安売りをした。ずいぶん繁盛したお店だが、経営者は仕入に大きな努力を払ったと思う。規模を大きくして潰れてしまった。そうしてみると、中標津町のサウスヒルズの経営者は仕入に並々ならぬ努力を払った経営者であることがわかる。そういう商人が根室という町からは出なかった。昭和40年代まで努力する必要がなかったからだ。
  雑貨類は道内仕入が当たり前で、それをベースにして売値を決めていたから、根室の商品は釧路に比べても高かった。だが、それでも売れたのである。利益率を維持するために地元業者間の「団結」が強くなった。それは反面、他の地域の業者の参入を排除するという排他性にもつながったのではないか。わたしは「オール根室」にそういう影を見る。

  昭和50年代に入り、普通の家庭でも車をもてるように経済社会が変化した。「高度経済成長」「所得倍増」「生産性アップによる急激な製造原価の低下と売値の変化」「幹線道路の整備の進行」、こうした変化に根室の商人は対応できなかった。それまでイージーな仕入と価格設定に慣れすぎたためである。西浜ショッピングセンター、マルシェ、イオン、札幌コープの4店舗あるが、地元資本は一つもない。
  イージーな仕入が習慣となり何十年も続くと、遺伝子として後継者に受け継がれてしまう。それが根室資本の経営改革を阻み、今日の衰退を招いたとわたしは分析している。だから、ふるさと納税の悪影響を心配する。三十数億円のふるさと納税への返礼品に地元産品が使われているが、地元業者は一定量の売り上げが確保できる。それが地元資本の経営改革を阻むことにならなければよいのだが、わたしの目にはふるさと納税はアヘンのようなものに映っている。

  さて、戦前のエトロフ島蘂取村も商売のやり方や商慣習に関しては根室と似たようなものだったと想像する。客の大半は漁師であり、それも根室の3倍の漁がある漁業関係者である。根室よりもさらに仕入に努力する必要はなかっただろう。仕入コスト低下ではなく品ぞろえが大事だった。エトロフ島は漁業資源が根室とは比較にならぬほど豊かだったから、根室の3倍の漁は3倍の収入を保障したということ。蘂取村の大店だった山本家の繁栄を支えたのは蘂取村の漁師の経済的繁栄であることは想像がつく。
  蘂取村の漁業者の側から見たら、ソ連軍進駐による政治支配や生活がどのようなものであったのか、聞いてみたい気がする。叔父貴が引揚げ者であることを数日前まで知らなかった。ソ連の支配下で漁をした経験があるようだが、聴く機会があるだろうか。




*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
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*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
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#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017 [21. 北方領土]

 1855年2月7日の日露和親条約締結日をもって北方領土の日とすることが1986年1月6日に閣議了解で決まった。ソ連が択捉へ侵攻した8月28日にすべきだという意見もあったという。

 今朝の道新釧路根室版によれば、札大大学院生の佐藤さんが、ソ連侵攻時の島の状況を当時の島民が記録した資料を読み修士論文にまとめている最中だという。
 北方領土返還運動団体のなかでは千島歯舞諸島居住者連盟が最大で、元島民の回想ビデオを団体ホームページで公開しているが、資料の編纂や聞き取り調査をして本にまとめたという話を聞かない。
 元島民を多数抱えているのだから、資料編纂をして後世に残す義務があるのではないか。できたら本にして出版してもらいたい。この団体のメンバーには柏原栄先生(元根室高校社会科)や岩田広一先生(花咲小学校)など元教員がいる。きついだろうがいまなら若い人と協力してやれないことはないと思う。

 2月2日道新夕刊に次の記事が載っていた。
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ロシア軍医と元島民の友情
 激動の体験一冊に
  逗子市の通訳・不破さん
   11年かけ自費出版
 ロシア語通訳・翻訳者の不破理江さん(52)=神奈川県逗子市=が択捉島蕊取(しべとろ)村の元島民・山本昭平さん(88)=埼玉県行田市=の体験談を記録した「セルツェ(心)」を自費出版した。足掛け11年、何度も聞き取りを重ねた労作。父親を亡くした根室空襲、ソ連分の島への進駐、同居したロシア人軍医との友情を中心に、廃線をはさんだ数年間の体験談が短編小説のような切なく、美しい語り口でつづられている。(編集委員 本田良一)
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 山本昭平さんは医者になるために択捉島蕊取村から旧制旭川中学へ進学した。戦争がひどくなり大学入試が中止、卒業後も旭川へ滞在。1945年7月17日に根室町役場と交渉ごとのあった父親と根室で落ち合って択捉島へ向かう船に乗った。出航してすぐに突然の空襲に見舞われ魚雷と機銃掃射により船は沈没、父親は魚雷で即死、妹と一緒に甲板へあがり海へ投げ出され、重油まみれで岸辺に泳ぎ着き九死に一生をえた。その後島へ帰り終戦を迎える。医者志望だった山本さんの家へ同居したのがソ連の軍医イワン・ゴロフコ少尉である。不思議な縁だ。
 ジャパンタイムズが山本昭平さんから聞き取った記事を10年位前に掲載したことがある。弊ブログに書いたかもしれない。「語り部おばさん」の一人である叔母に頼まれて翻訳したことがあった。

 返還団体がまとまった記録を残す最後のチャンスだろうと思う。ebisuは元島民2世。母親が択捉島で生まれ育った。山本家とは縁がある。柏原先生には光洋中学時代歴史を教えてもらった、恩師である。岩田先生に教えてもらったことはないが、私の家の裏手に住んでいたことがあるのでよく知っている。千歳の叔母が択捉で幼馴染と聞いている。
 記録を本にして残すなら、ボランティアの一人として少しの間協力できるだろう。

〈 余談 〉2月9日午前9時追記
 昭平さんの祖父の兄弟は山本忠令、黒田清隆の副官である。事情を何も知らぬ根室町長は何か交渉ごとがあってきたお爺さんを粗略に扱ったことがある。怒った爺さんはそのまま道庁へ出向いた。すぐに根室へ汽車で戻ると、町長、助役以下町役場の幹部が並んで出迎えたという。当時の町長は任命制で、開拓使長官の覚えがめでたくなければ簡単に首が飛ぶ。ずいぶんとあせっただろう。
 蕊取村の村長もそのお爺さんが兄弟を通じて根回しして決めていた。
 山本家は薩長雄藩の出身ではない、どういう経緯で兄弟が黒田清隆の副官になったのかはわからぬ。山本家のお婆さんが東京山の手の品のよい標準語を使えた人。あの時代の政府高官たちは芸者さんを嫁にしたのが流行である。自宅でさまざまな人を接待する必要があったのだろう。山本家のお婆さんもそういう人。択捉の漁師の長女として生まれたおふくろは事情があって山本家で暮らしたお袋は完璧な東京山の手の品のよい言葉と行儀作法を身につけていた。漁場の権利は母の旧姓で登記が残っている。母方の爺さんは「根室の3倍の漁があった、(択捉島は)宝島だった」と話していた。秋になると川に竹竿が立つくらいびっしりと鮭が遡上していた。
 40歳ころに用事があって帰郷した折に、市役所へ電話するのを聞いていて驚いた。オリンパス宇津木台研究所が電話の全国コンクールで何度も優勝したことがあるが、それと比べても遜色のない電話の掛け方だったのである。改まった席に出ると言葉と行儀作法が見事だった。山本家のお婆さんの躾けがすばらしかったのだろう。残念ながら、子どもは誰もそれを受け継いでいない。(笑)



*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
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 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
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*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
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 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
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  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
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 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
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#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
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 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
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 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
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 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
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#3481 プーチン大統領へ元島民からの手紙と叔母 Dec. 16, 2016 [21. 北方領土]

 プーチン大統領へ元島民からロシア語で書かれた手紙が渡された。彼はそれをすぐに読んだという。7人連名の手紙だったようだ。

時事ドットコムニュース
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121500850&g=soc
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 山口県長門市で15日夜行われた日ロ首脳会談で、北方領土返還に関する具体的な進展があったかどうかは明らかにならなかった。北方四島の元島民らは、解決を待ち望む思いを込めた手紙をロシアのプーチン大統領が読んだことに喜び、交渉継続に希望をつないだ。
 北海道根室市で記者会見した千島歯舞諸島居住者連盟理事長で国後島生まれの脇紀美夫さん(75)は「あくまでも途中経過だ。自由訪問や墓参の拡大など訴え続けてきた点がテーマになったのはうれしい」と冷静に受け止めた。
 手紙は脇さんら7人の連名で、「元島民の平均年齢が81歳を超え時間がないという心情と、島に戻りたい、自由に往来したい」という気持ちをつづり、ロシア語に翻訳。12日に安倍晋三首相と面会した際に託した。大統領が会談の席上で手紙を読んだことに、脇さんは「思いは伝わった。いい方向になってくれれば」と話した。
 一方、歯舞群島の多楽島出身の副理事長河田弘登志さん(82)は「肝心な領土問題は、16日に発表するのか話をしなかったのかは分からないが、ちょっと寂しい」と声を落とした。
 色丹島出身の木根博幸さん(71)=東京都杉並区=は何度も北方四島を訪問し、ロシア人住民と交流してきた。「返還後に追い出されると心配する人もいた。元島民のような思いはさせられない。友好関係を進める解決策を」と要望した。
 択捉島出身の鈴木咲子さん(78)=根室市=は、手紙が読まれたことを「今後の会談に良い影響を与えるのでは」と喜び、「一挙に前に進むとは思っていない。首相の表情も明るく、良い感じで進んでいる印象を持った。16日の共同会見に期待したい」と声を弾ませた。
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 ebisuには11歳年の離れた叔母がいる。
 ebisuの母親は択捉島で生まれ育った。母は5年前に亡くなったが、すぐ下の妹のトク叔母はずっと以前に亡くなっている。東京に住んでいる従姉妹が看取った。40年前には埋立地の交差点で広めの土地で雑貨屋を営んでいたが、ビルに建て替えセブンイレブンに業態を変えた。一時は全国3位の売上だったらしい。ボロ屋の2階建てだった。周りにはビルなんてなかったのだが、その後ニョキニョキとオフィス・ビルが立ち並び、売上が急伸したという。トク叔母と長女が小2のときに遊びに行ったことがある。「おじちゃん、盲腸の手術の後を見せてあげる」とワンピースをさっと持ち上げて、おなかの傷跡を見せてくれた。あのちっちゃな女の子ももう40歳を過ぎている。
 四番目の八戸のトメ叔母のところはある系列のホテル経営と靴屋をしていた。亡くなって12年くらいたつだろうか。
 大きな声で屈託なく笑う千歳の三番目のトモ叔母が亡くなってもう8年くらいたつ。夫君は千歳の自衛隊勤務だった、義兄にあたるebisuのオヤジが落下傘部隊であったことを誇りにしていた。
 いま残っているのは末の妹とその上の次男の叔父である。
 択捉島を訪問したことがあるのは、末の妹の叔母ただ一人。叔母は「引揚者」だから、何度も渡航しているようだ。今年も2回行っている。

 生前、爺さんが択捉島は「宝島」だとよく言っていた。漁が3倍あるという。秋になると川に竹ざおが立つほど鮭の群れが遡上してくる。長男が満州で終戦後に進行してきたソ連軍と戦って戦死したので、魚場の権利は叔父貴の名義で登記があるそうだ。
 わたしがその戦死した長男に似ているという。満州の荒野に一本の木があるが、その根方に遺骨が埋まっている。生きていたとしても漁をする択捉島の蕊取村はロシアのもの。戦死したからそういう現実を見ないですんだ。霊感の強い母はその満州の荒野にただ一本はえている木の夢を見た。兄さんが眠っているとわかったそうだ。戦後、その最後を知る人が尋ねてきた。話を聞く前に夢に見た情景を話したら、「だれに聞きました?」と驚かれたという。兄が戦争に取られなかったら、お袋の人生はまったく違っていただろう。馬と一緒に砂浜を走ってくるほど体力があり、ガタイが大きな人だったという。写真の顔はとっても優しい。

 4月に叔母のところへよったら、ロシア語の勉強をしていると話してくれた。「へえ、えらいね」と感心した。択捉島へ一緒に行かないかと誘われたが、食事を制限しなければならないので、3日も旅をすれば体重が3kgは減少しそうで「ムリ」と体調のことを話した。体調を元に戻すまで1か月以上かかる。おそらく1週間程度は塾を休むことになる。択捉島に眠る母方のばあさんの墓にお参りしたいが、もうかなわぬ。

 こんどの7名連名の手紙は外務省が翻訳したのだろうが、叔母はロシア語で書けたのだろうか?手紙を読んでもらってうれしいとテレビに映っていた。いくつになっても新しいことを学ぶのは楽しい。
 一番歳の近い叔母なので小学生のころは親戚のお姉さんという感じだった。ebisuが高校生のときに子どもを生んでからしばらくは毎日のように歩いて梅ヶ枝町の家に遊びに来ていた。2階が住居で日当たりがよく居心地がよかったのだろう。哺乳瓶と粉ミルクがおいてあった。日中一人で子どもの世話をしていたら気が鬱々としてくるから、気晴らしもあったのではないか。
 ロシア語の勉強がどの程度進んだのか、そのうち、話を聞いてみよう。


 プーチン大統領、穏健な島民2世ばかりではないよ。(笑)
*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
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 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
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*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
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 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
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  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
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 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
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#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
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 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
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 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
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 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
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  #2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
 
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#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016 [21. 北方領土]

 ロシアが国後島と択捉島に年内に対艦ミサイルを配備するというニュースが流れました。安部総理は数日前にロシア大統領プーチンと会談した後で、すっかり意気消沈、楽観論が吹き飛んだ様子。安部総理はストレスに弱い人ですね、表情に落胆の様子がはっきり出ていました。あれでは子供です。
 政府任せでは70年たっても北方領土問題は一歩も動かぬことは証明済み。東京でヘタレのデモ行進など無意味、テレビですら全国ネットで流さない。根室市の予算の無駄遣いです。参加した人たちの大半もそう思っているでしょう。自費で参加している人は半分いるのでしょうか?これではマスコミだって相手にしません。
 領土返還諸団体はそろそろ目を覚まして、自分たちで戦う決意をすべきではないですか?。できることはありますよ、案外簡単です、自分たちでできることからやればいいだけ。ただし、意気地がなければできません。

*日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H5H_S6A121C1PP8000/
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【モスクワ=古川英治】ロシア通信などは22日、ロシア太平洋艦隊の機関紙の報道として、北方領土の択捉島と国後島に新型の地対艦ミサイル「バスチオン」と「バル」をそれぞれ配備したと伝えた。19日の安倍晋三首相とプーチン大統領の会談直後のタイミングで、日本との平和条約交渉にかかわらず北方領土の軍備強化を進めるロシアの姿勢が鮮明になった。
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  覚悟と意気地のない人はここから先は読まないほうがいいですよ。

 根室市はドラム缶を10本ほど溶接したダミーのミサイルを製作し、納沙布岬に設置しよう。ミサイルには 'MIRV for Mocow' と大きく書きます。
  ジョークとしてはかなり面白い。市議会で決議して遊んだらいかが?千島歯舞連盟で寄付を募ってやってらもっと面白くなります。択捉島2世のebisuのところへも寄付集めに来てください。領土返還運動は根室市民からすら孤立していますが、連帯が生まれます。

 何にもしないから、日本政府にもロシアにもいいようになめられます。
 やってみたら思わぬ波紋を広げることになるでしょう。マスコミが勝手に取材し騒いでくれます。影響の大きさにやったほうがびっくりすることになるでしょう。
 覚悟がいります、ビザなし交流はこちらから中止宣告。国後沖の操業への影響もでます。「日本固有の領土」を取り戻すというのは、血を流すことなんです。もちろんロシアにも血を流してもらいます。経済協力を全面的にストップするように政府へ要請文をつくり、市議会で決議します。
 外務省は跳ね上がりの根室市という外交交渉カードを手にすることになります。いつまでも向こうの都合で引きずり回されていないで、根室市民がプーチンへ揺さぶりをかけたらいい。「根室市民はマジだ、国後島と択捉島への対艦ミサイル配備に怒っているぞ!」、「千島歯舞居住者連盟は本気だぞ!」と吼えたらいい。
 その後の具体論は8年前に書いた「少し過激な北方領土返還論」をお読みください。根室からアドバルーンを揚げるだけで十分です。やるならとことん本気でやれ!そしてロシアに勝て。

 ロシアには四島全部返還したら、条約で国後島と択捉島の間のロシア艦船の通行を認めると提案してやればいい。もちろん経済協力の全面解禁も条件に加えたやったらいい。中国への牽制になるだけでなく、大きな市場が手に入るので日本企業が喜びます。
 ロシアにとって一番重要なことはロシア太平洋艦隊が太平洋へ出る通行権を確保することですから、十分交渉の余地がありますよ。

*[Russia deploys newest anti-ship missiles to Kuril Islands ]
https://www.rt.com/politics/367773-russia-deploys-newest-anti-ship/

*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
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 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
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 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
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 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
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 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
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 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
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  #2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
 
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 #2301 実録北方領土ビザなし訪問 :同行医師の記録 May 19, 2013 
 
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 #2585 北方領土の日: 現実的な四島返還構想 MIRV開発 Feb.7, 2014 
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 #2656 北方領土返還運動:おかしな「元島民」の定義  Apr. 23, 2014 
 
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