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#3748 貝殻島コンブ漁の行方:今日解禁、採取料1億円弱 Jun. 2, 2018 [21. 北方領土]

 貝殻島コンブ漁が解禁された。貝殻島は納沙布岬の目と鼻の先にあるれっきとした日本領土だが、ロシアが実効支配し続けているから採取料を支払わなくてはならない。そして採取料は毎年引き上げられる。
 北方領土は日本固有の領土と主張しながら、ロシアの実効支配海域と認めて採取料を支払うのは1964年からのことである。現実は矛盾に満ちている。

*6/2朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL6230NXL62IIPE00D.html
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 北方領土・歯舞群島の貝殻島周辺で2日、コンブ漁が始まった。本土最東端の北海道根室市・納沙布(のさっぷ)岬沖に集まった241隻が、3・7キロ先の貝殻島に向けて一斉に出漁した。
…1963年にソ連側に採取料を払って漁をする民間協定が結ばれた。(神村正史)


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 ロシアは北方領土沿岸のカニを獲りつくして資源量が激減した。ついで金額の張るウニを獲りだしたがそのウニも資源が減った。昨年来「鮭流し網漁」が禁漁となり、根室の水産業界にとっては大きな打撃となっている。

 ロシアは資源の囲い込みをしているから、このまま拡大していけばコンブ漁も、いずれ日本側には禁漁になるのではないか。そうなれば日本はロシアから昆布も輸入することになる。

 経済交流ばかり拡大しているが、北方領土問題は置き去りの感がある。外交はまず国益を第一に考えてもらいたい。

 歯舞地域の昆布漁に携わる人たちは、貝殻島コンブ漁が禁漁になる日が来たらどうするのか、死活の問題である。そうしないためにいま何をしておくべきなのか、よく考え、具体的な手を打たねばならないのだろう。
 誰も何もしてくれない前提で、自分たちでなんとかすることをベースに考えよう。
 根室の沿岸漁業四組合のなかでは歯舞漁協がナンバーワンの商品開発力、情報発信力をもっている。その歯舞でコンブ漁が続けられなくなる事態が起きれば、歯舞地域だけの問題ではなく、水産業界のみならず根室全体にかかわる問題となるは必定。

 数年前に北海道新聞記者K田さんがシリーズで採り上げた2013年の記事に、歯舞昆布漁師の新鋭が二人載っていた。高校を卒業した春、初めての漁だった。もう6年目の春だ、隣同士で幼馴染のタクヤとカズキ、話し合ってなんとか具体策を考えだし行動に移してみたらいい。未来は君たちのものだ、君たちのパワーに期待してる。
(二人の体重を加えると200㎏を尤(ゆう)に超える、どちらも180㎝を超える巨漢、腕力も握力も抜群に大きい。小学生のころから昆布干しを手伝っていたから握力は80㎏前後もあるのでは?)

*#1954 味わいのある記事:「歯舞 コンブの浜 春」 May 30, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30


 #1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」  May 31, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-31


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#3662 NHK朝までドキュメント72時間:岩田先生 Dec. 16, 2017 [21. 北方領土]

<更新情報>
17日朝10:15 追記 術場(手術室)の看護師さん他

 NHKで表記の番組が12/15午後10時50分から25分間放送された。西浜町のタイエー(地元のコンビニ)の72時間だ。おにぎりを買った90歳の老人がこれから車を運転して中標津へ戻る、いとこの葬儀に来たとレポーターに応えた。

 16日からの72時間だから、日付から考えて岩田宏一さんの葬儀に参列されたのだろう。いとこだからお顔が似ていらっしゃった。
 2日前の14日の午前中に電話してから岩田さんのお宅を訪問し、お線香をあげてきた。四七日(よなぬか:亡くなって28日目)のお経をあげにお坊さんが来て、帰ったところだった。

 7月2日にニホロで北方領土関係の後援会があり、択捉島蘂取村出身の講師の山本昭平さんと、岩田宏一先生と、叔母とわたしの4人で会場で写真を撮った。昭平さんのことは母から何度も聞いていたので、一度お会いして話がしたかった、念願がかなったのである。叔母の車で送ってもらったのだが、岩田先生が車から降りたときに、「退屈してるから話しにおいで」と誘われた、お元気だったからそのうちに伺おうと思っていた。わたしを含めて、周りのだれもがこんなに早く逝ってしまわれるとは思わなかっただろう。
 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、手遅れだったわたしが死なずに術後11年が過ぎた。初診の内視鏡検査で癌の診断をつけてくれた岡田医院は岩田先生のお宅から1分の距離。お父さん先生に大腸癌でオヤジがお世話になり、若先生にわたしが胃癌でお世話になった、いやいまもお世話になり続けている。 (現在は音更町で開業され、「東木野クリニック」の院長の)後藤幹弘先生が釧路医師会病院の勤務医で執刀担当医だった。FBでアップされている写真を見ても今でも十分若いのだが、あのころは35歳くらいのピッカピカの若き外科医。進行性の癌でしかも併発、「わたし失敗しませんから」とは言わなかった。それどころか「開いてみないとわからないので、状態によっては、胃と胆嚢だけでなく膵臓をそして脾臓も…」「肝臓も怪しいのでCTではどっちとも判別できないので開いたときに手で触って感触で確認します」と微に入り細にわたる具体的な説明をしながら、同意書に判を押すように促された、初夏の正午の木陰の芝生の上でくつろいでいるような雰囲気で聞いていたのを覚えている。入院して3週間、自覚症状から診て必ずスキルスがあるはずだからと訴えたので、消化器内科医の副院長富田先生が丁寧に様々な検査を繰り返してくれた。そういう過程があり、巨大胃癌とスキルスの併発という内科的診断が確定した。助からない際まで来てしまっているというのに、ああ、手術してもらえるんだとなんだか妙に明るい気分だった。膵臓は胃の裏側だから、横の裏側に近い部分にスキルスが粘膜の中を走っていたから、膵臓にすでに浸潤している可能性があった。案の定、開いたら手遅れ状態で、後藤先生の手が一瞬止まり、あきらめて縫合しようとした、その一瞬の隙をベテラン外科医のA院長が「ざっくり取ったらいい」と促してくれて、手術は続行することになった。若い外科医はたくさん切らなきゃ腕をあげることができない。ダメでもともと、切ってよいのである。覚悟はしていた。この若い外科医なら腕を上げるためにわたしの体を使ってくれていい、そう思えたのだ。だから、不安はなかった、ただありがたくて手術室へ運ばれたときに涙がこぼれた。うれしかったのだ、術場の看護師さんは涙の意味を理解してくれただろう。偶然とはあるもので、術後1年くらいしたときに検査で釧路医師会病院へ行ったときに、外来カウンターにいた。名前と顔を確認して、「ebisuさんの手術を担当した看護師です」と名乗ってくれた。「会って、直接お礼が言いたかった、ずっとそう思っていました、あの時はありがとうございます、おかげさまで生きています。ほかのお二人にもよろしくお伝えください」、そういうことができた。思いがかなった瞬間だった。30歳前後の美人な看護師さんだった。
 癌は進行していたので、リンパ節に転移し、大腸へも浸潤していたから、横行結腸も10㎝ほど切除した。予定の倍の6時間の手術だった。出血量は700cc、輸血なし。技術の進歩はすばらしい。
 助かるはずのないebisuが助かり、末期じゃなかった岩田先生がお亡くなりになる、なんだか申し訳ない思いもした。いろいろな人たちがその仕事を通じて私を助けてくれた。そういう命を世のため古里のため、人のためにすこしでも使えたらうれしい。

 光陽堂で写真をプリントして持参した。祭壇に遺影が飾られていたのでお線香をあげて、「(伺うのが)遅くなりました、ご存命のうちにゆっくりお話ししたかった、逝くのが早すぎます」と話しかけた。
 7月20日に市立病院へ入院したのだそうだ。その後手術をされたが、予後が悪くてお亡くなりになった。人間の死はいつ訪れるかわからないものだ。
 わたしは岩田先生には一度も習ったことはないが、独身時代に裏庭に面した隣の家に下宿していたことがあったので、知っていた。ご結婚をされてからも、梅ヶ枝町3丁目にあった家から岩田先生が住んでいる家が見えた、100mほの距離だった。星野薬局(現ホシノホール)の向かい側、木村生花店の斜め向かい花咲街道沿いの四つ角のところにお住まいだった。
 ebisuの自宅(兼店舗)は梅ヶ枝町三丁目にあった。根室で一番最初に信号のついた交差点から紹介すると、幼稚園に行く前から仲よく遊んだやっこちゃんの「緑菓子店」、お菓子の問屋の「第一商事」、そして根室で一番の老舗時計店であった「奥田時計店」、そしてebisuの家のビリヤード店と根室初の居酒屋「酒悦」(のちに焼き肉店)があった。その隣には明光商事、広小路の道路を隔てて緑町三丁目の根室印刷という配置である。花屋さんのケイコちゃん家は根室印刷の隣だった。魚屋「魚茂」の女将さんになっているマーちゃんも道路の向かい側に住んでいて一緒によく遊んだ、おとなしい子だった。洋服店のおてんば娘ユッコも遊び仲間。NTTのところが空き地になっていて、5~10人くらいでよく遊んだ。缶蹴り、ケンパ、ドッジボール、小学生のうちは男女の体力差が小さいから、一緒に遊べたのである。よく遊んでよく動いた。お店を開ける前に早めの夕食をすませると、そのあとはビリヤード店で新聞を読み、お客さんの相手をしていた。様々な職業の大人が入れ代わり立ち代わりゲームに興じる。ゲームは人の本性をあらわにするから、人間を見る目が自然に養われた。ゲームのやり方を見れば、仕事の程度が想像がつくようになった。

 北海道銀行のところが半分くらい空き地になっていて、そこが子どもたちの格好の遊び場だった。平屋のNTTの建物があり、女性の電話交換手が並んで座って仕事していた。昔はハンドルをぐるぐる回して交換手を呼び出し、番号を告げて電話をつないでもらった。家に電話がついたのは小学生の終わりごろのこと。冷凍冷蔵庫も小学5年生のころに初めて購入した。まだ製氷所から氷を買って木製の冷蔵庫にいれて保冷剤として使っているというのが主流だった時代のこと、昭和30年代の中頃の話だ。お店で使っていたから冷凍冷蔵庫があったが、当時は一般家庭で冷凍冷蔵庫のあるうちはほとんどなかった。テレビがついたのは小学6年生のころ。電波状況が悪くて画像は大きな雪が降っているように見づらかったが、食い入るように見た。当時、「チロリン村とクルミの木」という人気番組があった、並みをちゃぷちゃぷかき分けて♪ ひょうたん島はどこへいく♪、あの「ひょっこりひょうたん島」はそのあとの人形劇の人気番組である。レスリングも全盛時代で力道山が活躍していた。

 物心ついたころからのご近所さんの幼馴染だから、それぞれの家には勝手に出入りしていた。親たちがそういうことを認めていた。人のお家にお邪魔するときは、脱いだ靴をそろえて上がり、ちゃんと正座してから両手をついて、「こんにちは」と挨拶するのが決まりだった。帰る時もちゃんと挨拶する。幼馴染だから、ちゃん付けして名前で呼び合った。わたしも名前にちゃんを付けて呼ばれていた。なぜかユッコだけがちゃんなしだったのは、おてんばだったからかな。
 ヤッコちゃんはもう10年ほども前に乳癌で亡くなった。一度ゆっくり昔が話したかった。中学生になってからは一度も話したことがなかったのである。ヤッコちゃんのお父さんはビリヤード店の常連で、わたしとよくゲームして遊んでくれた。男の子がいなかったからだろう。歯医者の田塚先生もよく遊んでくれた。同級生のケイコちゃんより一つ上の美人のお姉さんがいた。田塚先生もやはり男の子がいなかったからかまってくれたのだろう。長身の紳士だった。歯医者の福井先生は3代のお付き合いである。先代は時代小説も現代小説も書ける文人だった。根室新聞に連載していた。
 いろいろ書いたが、ebisuと同じ歳ごろの子供は近所に女の子しかいなかったのである。緑菓子店の向かいは根室信金本店だから、根室にお住いのみなさんはどこにだれが住んでいたか、容易に想像できるに違いない。

 閑話休題、姉とワイフが花咲小学校で岩田先生が担任だった。だから先生はebisuの姉、ついでワイフと連続して担任を受けもたれたわけだ。
 ebisuの母親が択捉島蘂取村の出身で、岩田宏一さんとは同郷、小さな村だから、ebisuの母親が近所のお姉さん、お転婆な千歳の叔母とは同級生、楽しい話をたくさん知っている。千歳の叔母は話し上手でとっても面白おかしく話してくれた。笑い転げて茶の間のガラス戸にお尻をぶつけて割ったことがあった。癌で亡くなってからもう10年くらいにもなる。択捉島へは一度も行けなかった。一人娘のいとこが遺灰を一つまみ身に着けて、択捉島の見える海か、島へ上陸してそっと撒いてきたいと言っている。60年近く前に、根室に来た時に、本町の石の突堤の近辺で、海に入り、ここにもあ、またここにもウニがいると足で探りながら夢中で獲って、石でたたいて割って塩水でさっと洗い、シュルっと食べて歓声を上げていたのを思い出した。蘂取の海岸でもあんな風にしていたのだろうか?大きな声で全身で喜びを表すな陽気な叔母だった。

 お線香をあげた後で、奥さんと話した。択捉島の蘂取村の関係だから、いきなり「てっちゃんと同級生」だと聞いてびっくり。苗字を言わなくてわかると思ったのか、話の勢いで名前が出たのかわからない、てっちゃんとは13歳離れているが、まだオムツが取れないころから数年間一緒に暮らしていた時期があるので、気分的に兄弟のような気持ちがある。急に岩田先生の奥さんが身近に思えて話し込んだ。「語り部おばさん」をしている叔母は、血縁上は叔母なのだが、歳が10歳しか離れていないので、お姉さんだ。姉と妹はいまでも彼女の名前にお姉ちゃんをつけて呼ぶ、旦那さんのほうも「〇〇お兄ちゃん」と呼んでいる。
 幼いころからの名前の呼び方には、その音の響きの中に懐かしい思い出がふんわりと浮かび上がって、包んでくれるような心地がする。80歳になった「てっちゃん」も、78歳の「サキコお姉ちゃん」も「タカオおにいちゃん」も心の琴線に触れる懐かしい響きがある。

 岩田先生の奥様は中学時代の副担任の半田(旧姓大岩)トモコ先生もご存じだった、親同士が同じお米屋さんでお店は150mくらいしか離れていなかった。田舎は人間のつながりが密だ。だから、ものが言えなくなるのかもしれない。正論を主張すれば、親戚知人のだれかを批判するか、周りの人が迷惑することになる。
 ものはついでだから、お米の配給制度について若い人たちは経験がないだろうから言及しておこう。戦後二十年以上の間、お米は配給制で「米穀通帳」という配給手帳がないと買えなかったから、お米屋さんは軒数が多かった。ebisuは根室高校を卒業して東京へ移り住んだ時に米穀通帳がなくてお米を売ってもらえず、慌てて根室から取り寄せたことがあった。信金と花咲街道を隔てた向かい側にあったお米屋さんの娘だった半田トモコ先生は数年前に癌で亡くなった。半田トモコ先生も近所のお姉さんだったのである。中3の時に新卒で赴任してきたから、8歳上だろう。お昼少し前にヤママンへパンを買いに行くとよくお会いした。「ebisu君とは癌仲間だね、わたしは薬をやめて自然食療法に切り替えた、ebisu君も頑張って」と何度も励まされたが、昨年だったか、先に逝ってしまわれた。薬をやめたのは抗癌剤の副作用がきつかったのだろうか。担任だった「肝っ玉おっかさん」の山本幸子先生はさらに数年前に亡くなった。根室へ戻ってきて挨拶に行ったときはずいぶん喜んでくれた。いくつになっても恩師はありがたいもの。小学校で5・6年の担任だった鶴木先生は今年お亡くなりになった。高校の担任の冨岡良夫先生は昨年東京のご自宅で亡くなった。根室へ帰ってきてから15年目だが、その間に知っている先生たちが相次いでお亡くなりになった。
 奥様からは「ときどき遊びにおいで、奥さんも一緒に」と優しい言葉をかけていただいた。ワイフの担任だったことを岩田先生は奥様に話していたのだろうと、そのときに感じた。
 一人、また一人、さみしい気はするが、向こうへ行ったときには大勢でお迎えしてくれるだろうから、よしとしよう。
 でも、まだお迎えはいらないから、みなさんよろしくそちらでにぎやかにやっていてほしい。
 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多事 … 諳(そら)んじていたお経も書けなくなった。
 やるべきことがすんだら、じたばたせずにそちらへ逝きます。恩師の皆様、いつかまたお目にかかりますので、その時はよろしくお仲間に加えてください。

 合掌  m(_ _)m



*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28



*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14



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#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2, 2017 [21. 北方領土]

更新情報
 7月4日夜 <余談-4>追記
 7月5日朝 <余談-5>追記

  7月2日13時から道立北方四島交流センターで標記講演会が行われた。これは北方領土遺産発掘・継承事業講演会として行われたものである。「語り部」は択捉島蘂取(しべとろ)村出身の山本昭平氏(89歳)。
  同名のノンフィクション(昭平さんの家に寄宿した軍医との心の交流が描かれた)小説が北海道新聞夕刊に連載中で、最新の6月30日が67回目、7月で連載が終了するという。ビザなし交流で同じ船に同乗したロシア語通訳の不破理恵さんが昭平さんの話を聞いて資料として残すべきだと思ったのが、この連載小説のきっかけである。最初の内は小説になるとは思わなかったそうだ。十年をかけて不破さんは埼玉県に住む昭平さんを訪ねて取材した。不破さんの話ではあの小説は昭平さんが話したままをテープ起こしを中心にして書き上げたという。本は不破さんの自費出版。
 昭平さんは記憶の良い人のようだがなにぶん古い昔のことなので、記憶の糸を手繰るのがたいへんだっただろう。本の出版に関しては次の弊ブログで取り上げた。
*#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-02-07 

  根室空襲前後の話から始まり、ソ連が進駐してきたときの実話、そして1947年7月にトッカリ湾から引揚げ船が出ていくときの状況までが話された。飼い犬が一頭海に飛び込むと、次々に6-7頭があとを追ったという。そのあたりの事情は十数年前にジャパンタイムズが山本昭平さんに取材した記事が載ったので、時事英語授業で使ったので覚えている。叔母に記事をあげたら、翻訳してほしいというのでWORDで作成したから、古いパソコンのどこかにあるだろう。

  講演会が終わった後で、運よく昭平さんがこちらのほうへ歩いて来てわたしの近くにいた人と話し終え、視線が合ったので一歩前へ出て、右手を差し出しながら「サダコの長男です、母に話を聞いていたのでお会いしたかった」と挨拶した。とてもびっくりしていた。そこへ11歳年上の叔母と岩田宏一氏(元花咲小学校長)が来た。叔母が岩田先生に「サダコお姉さんの長男」だと紹介してくれた、56年ぶりにお会いした。昭和20年は昭平さんは17歳、叔母は7歳である。岩田先生は友子叔母と同学年だったはずだから昭平さんと同じくらいだろうか。東京大空襲で大学は授業ができない状況だったので、昭平さんは大学進学をあきらめてエトロフ島へ帰るために根室で船の出港を待っていたのである。

  末っ子の叔母にとっては14歳離れたお姉さんがわたしの母「サダコお姉さん」であるが、岩田先生にとっても昭平さんとっても「お姉さん」のようなもの。
(ここでは血縁関係を正しく表すために「叔母」と書くが、一度も「おばさん」とは呼んだことがない。小学生のころから名前を冠して「○○お姉さん」と呼んでいたから、向こうも「おばさん」の意識は薄いだろう。)

  山本さんは択捉行きの船にお父さんと妹さんと三人で乗船した。制海権を奪われていたので船は夜中に出港するのが常になっていた。ところがその夜は軍の命令で出港を止められ、港を出て弁天島の横で停船していた。そこへ根室空襲が起きた。シュッという音でロケット弾が発射され十畳ほどの2等船室を直撃し、そこにいた十数人で生き残ったのは、昭平さんと妹の徳恵さんの二人だけ。その後バリバリとすごい轟音とともに船は機銃掃射を何度も受けた。周回してきて撃つから、どの方向から狙ってくるのか弾痕の入り口と出口から、方向と角度が計算できたという。機銃弾が防げるはずもないと思うが、畳を持ち上げて弾除けにしたという。助かってから見ると、船はマストを海上に残して沈んでいた。弁天島のすぐ近くだったから、浅かったのだろう。
  根室空襲は港を中心として扇形に焼夷弾を落とし、逃げ道をふさいでから、扇の中に取り残された住民を機銃掃射したり、焼夷弾を落として焼き払った。東京空襲と同じ方式である。日本全国の都市が米軍の空襲に見舞われたが、戦意をくじくために市民を多数殺すことを目的としていた。
  母はハッタリ方面、ホロムシリまで逃げたという。働いているところの息子の手を引いて「扇の外」へ逃げたのはなんの偶然だったのだろう。内側に逃げた人たちのほとんどが焼き殺された。母は何も持ち出せなかったそうだ。空襲の翌日に戻ってくるとけが人や黒焦げの死体だらけ。けが人を病院に運んだり、処理しきれないので弥生町の海岸までリヤカーに死体を積んで海に流すのを手伝ったという。出稼ぎの人たちも多かったので、死者数は判然としない。一説には五百人ともいう。小学生のころ弥生町の浜で遊ぶと小石や砂に交じって手の甲のような白い細い骨があった。大人になって母親から根室空襲の話を聞いてなるほどと思った。
 昭平さんと妹の徳恵さんは沈没する船からばらばらに脱出したが、船が弁天島のすぐ沖に停泊していたので助かったという。昭平さんは足を撃ち抜かれていることに、停泊していた別の船へ泳ぎ着くまでわからなかったという。大混乱の中では自分の足の大けがにすら気が付かない、戦争の現実だ。

  昭平さんの妹の徳恵さんが「さだちゃんがわたしの名前を呼ぶ声を聞いた」という。空襲の後の混乱の中でどこかですれ違ったようだ。

  軍医が蘂取村に着くと、寝泊りするところがないので、広い山本家へ寄宿の申し入れがあった。お父さんを空襲で亡くした昭平さんは17歳で家の主となっており、母親と弟と2人の姉妹だから軍医を迎え入れたほうが安全だと判断して受け入れたのだという。
  山本家というのは択捉島蘂取村の裕福な商家だった。季節ごとに東京三越や高島屋のカタログが来て、洋服などほしいものがあればそれで注文すると船便で品物が届く、戦争が始まってしばらくは砂糖にも不足したことがなかったという。択捉島は根室の三倍の漁があり、漁業権をもった漁師たちが裕福だったから、物の買い方も豪勢だった。
  昭平さんのお父さんは根室商業卒業ということを今回知った。昭平さんのおじいさんの長兄である山本忠令氏は黒田清隆の副官である。当時の村長や町長人事は北海道開拓庁で任命していた。昭平さんのおじいさんが根室町長に交渉事があって面会に出向いたときの面白い話があるが一度書いた。町長にけんもほろろに扱われたおじいさんはカンカンに怒りそのまま札幌まで汽車でいった。戻ってきたときには町長へ開拓庁から電報が届いており、助役など町役場の幹部が駅の改札口に並んで出迎えたという。お袋が昭平さんのおじいさんから直接聞いた話だ。あの時代は町長は公選ではないから北海道開拓庁の意向次第で首が飛ぶ。

  山本家には蓄音機があったしラジオもあった。お父さんの勝四郎さんは写真が好きで、蛇腹の旧式のカメラで撮った写真が残されている。ピントも現像もしっかりしている、腕はプロ。写真には「k.Yamamoto」と刻印してあるので、誰が撮影したかわかる珍しいもの。わたしも高校時代、現像道具一式を持っていたのでモノクロ写真の引き伸ばし経験があるが、昭平さんのお父さんの残した写真はプロの技術だということがよくわかる。道具一式をもって現像液や定着液や印画紙を手に入れて写真を残しているころからも、文化的な水準の高さと裕福さがわかる。エトロフ島に不時着したリンドバーグ夫妻の写真や報知新聞が講演した太平洋横断飛行機(1931年)の写真もあった。エンジンの不調で紗那に降りたのでその時に撮った写真だ。そういうわけで山本家は択捉島蘂取村でも特別の存在だったようだ。
 (トッカリ湾から船に乗った後、樺太へ送られて、そこでしばらく足止めを食らう。そこでずいぶん悲惨な話がある。昭平さんの弟や引揚げ者数名の方がビデオで述べている。千島歯舞居住者連盟のホームページを検索すれば何人もの人の証言を聞くことができる。)

  択捉は根室の三倍の漁があったので、出稼ぎ漁師の間では「宝島」と形容されていた。戦前のエトロフ漁業はとっても豊かだったのである。
  ソ連進駐後の生活はソ連軍のドクターが居候していた山本家と他の蘂取村民とは生活実感にだいぶ隔たりがあるようだ。昭平さんは、根室商業ではなくて、大学進学のために旭川の旧制中学へ進学していた。現在の旭川東高校である。

  お袋から何度も話を聞いていたので、昭平さんには一度会いたいと思っていたが、今回それがかなってうれしい。叔母が昭平さんを入れて四人で写真を撮ろうというので撮ってもらった。叔母は新聞社の人に撮影をお願いした。北方領土返還運動関係で知っている人なのだろう。
 叔母はこの数年ロシア語の勉強に余念がない。近々また国後島と択捉島に行きロシア語で交流するという。アニメになった「ジョバンニの島」の得能さんや軍医との心の交流があった昭平さん、こういう話がいまの日本の北方領土政策にとって都合がいいのだろう。
  実際の当時の住民感情の代表例とは言えないかもしれない。連盟ホームページにある引揚げ者の証言ビデオを見たらもっともっと厳しい現実のあったことがわかる。

 長谷川根室市長が経済交流・調査を目的とした渡航リストから外されて島へ行けなかったと、最近テレビや新聞報道がなされた。根室市議会は抗議の声明を公表している。
  ロシアはもう領土返還の話などする気はないからだろう。領土問題は棚上げして、国後島や択捉島、そして東シベリアの経済開発に協力するという合意が、日本政府とロシア政府の間にできているような気がする。外務省は長谷川市長の渡航拒否の理由を明らかにしていない。明らかにしたら不都合な真実が明るみに出るからだろう。二島返還だと騒いでいた安倍首相と外務省、あれは何だったのか。
  不都合な真実には口をつぐむ政府と外務省、そして簡単にだまされ続ける北方領土関係団体、人が好過ぎはしませんか?


< 余談 >
 お袋の兄は満州で国境警備の任に当たっていたが、ソ連軍が侵攻してきたときに戦って戦死している。満州の荒野に一本だけある木の根方に埋められている。初夫というが、その人にわたしが似ているそうで、初夫さんを知っている何人かの人によく言われた。六尺(180cm)近い身長で運動能力の高い人だったそうだ。母は漁師の長女である。権利は叔父貴が引き継いで記録があるようだ。戦争がなければ、蘂取村で家業を引き継いで漁師をしていたことだろう。秋になると川にはシャケがいっぱいで、竹竿が立つほどだという。
  お袋がオヤジと結婚を決めたのは、落下傘部隊だったオヤジが降下訓練で右腕複雑骨折をして戦後しばらくの間は右腕を挙げることができなくて、食事をするときには口を腕のほうにもっていって食べていたからだと聞いた。兄が戦死しているので、戦争でケガをした兵隊さんの役に立ちたいと思ったという。兄の初夫が満州で戦死しなければオヤジとの結婚はなかっただろうし、わたしも生まれていない。
  運命の糸は複雑だ、戦争は何もかも変えてしまう。

< 余談-2 >
  母は霊感の強い人だった。知人が亡くなるとすぐにわかる人だった。亡くなると会いに来るのである。映像としてはっきりと見える場合と気配がする場合と2種類に分かれる。そんなときはそっとお酒を窓際に置いたりする。そういう母親を知るわたしは、根室空襲の際に唯一の脱出口だったハッタリ方面へ避難したのは単なる偶然とは思えない。
  寅年生まれの叔母トクさんが姉妹の中で一番霊感が強かった。父親が亡くなる1か月前から泣いているのである。病気の父親だけでなく、元気だった母さんもすぐに死ぬと一月前から泣いているような子供だった。実際に父親が亡くなって1週間後に母親が死んだ。都合の悪いことに、よいことも悪いことも自分の意思とは関係なく、ときどき未来が見えてしまう。自分のことだけでなく他人様のことも見えてしまう。

  高校生の時に同級生の柔道部員のN西君が腎臓病で亡くなった。同じ部活で仲が好かった。釧路の病院で治療を受けていて7月に戻ってきていて鳴海公園近くの道路ですれ違い「おー、治ったのか?」と聞いたら笑ってうなずいたので「よかったな」と声をかけた、それから数日後に亡くなった。人工透析のない時代だったから治療法がなく手の施しようもなく戻ってきていたのである。二階が住まいになっていたので、夕方6時近くにゴーという音がして敷布のような白いものが窓のすぐ近くを飛んでいくのが見えたので、窓を開けて見たが何もない。窓は縦に曲面が走っているガラスだった。近くに座っていたトク叔母に「みた?」と訊ねたら、「見た」と言った。叔母は気味悪がられるので見えたことを言わないようにしていた。わたしに関わりのある誰かが亡くなったことを見抜いていたのだろうが、トク叔母は「見た」としか言わなかった。ちょうどその時間にN西君が亡くなってた。そのことを知ったのは翌々日に入った死亡通知の折り込み広告を見たときである。わたしのアンテナは鈍感なようで、それ以来一度もそうした経験がない。自分の未来ももちろん見えないことはじつにありがたい。
  霊感が強すぎることはその人の人生に暗い影を投げることになる場合がある。未来が見えないからこそ希望をもって生きることができるとわたしには思える。母の母、わたしのおばあさんが霊感の強い人で、若いころにお坊さんから成田山新勝寺での修行を勧められたという。女系に霊感の強い者が出る事実から、どうやら「霊感遺伝子」は女系で伝わっているようだ。姉にはたまにはっきり映像として見えてしまうことがある。アンテナの感度が標準よりも高いのだろう。面白いこともあるが、そうではないこともあるから、本人にとっては迷惑な話だ。


<余談-3 :昭平さんとわたしの母親サダコ>
  わたしの母親が餌取不蘂取村の漁師の娘であることはすでに書いた。父親は青森の腕のよいヤンシュウ(出稼ぎ漁師)だった。漁場の権利を持っていたばあさん(もちろん当時は若かった)と一緒になって一男一女が生まれるが、青森の両親の具合が悪くなり、農業の手伝いが必要で1年ほど戻っていた。その間に、ばあさんは再婚させられたのである。蘂取村の漁業のボスはKさんというアイヌ人だった。よそ者に資源が漁業権がわたるのを嫌い、籍を入れることができなかった。そして爺さんが青森に戻っていた間に再婚させられたという。エトロフの前浜の漁業権は大きな財産だった。その後に女の子が4人、男が一人生まれた。サダコとは異父姉妹弟である。長男と長女は新しく来た父親とはそりが合わなかった。まだ幼かった長男の初夫が新しい父親によく殴られていたそうだ。そういう光景を目にしているからサダコの心が新しい父親になじむはずがない。そういう事情を斟酌して、ばあさんはサダコを商家の山本家に行儀見習いに出した。そうしてサダコは山本家で東京標準語と行儀作法を身に着けた。同じ家で暮らしたから、山本家の子どもたちは弟や妹のようなものだった。
 40歳のころに(ebisuの)オヤジが大腸癌になり2度目の手術の後根室へ帰郷した折に、お袋が市役所に用事があって電話するのをそばで耳にしたことがあった。実に見事な電話で、全国コンクールでも優勝を争えるくらいの水準であることにその時気が付いた。SRL八王子ラボに勤務していた時に、取引先のオリンパス宇津木台研究所を見学したくて職権を利用して電話で依頼したことがあった。そのとき電話に出た女性社員の応対が見事だった。オリンパス宇津木台研究所は電話応対のNTT全国コンクールでそのころ優勝したことがある会社だった。それと比べてお袋の電話の掛け方が遜色なかったのである。オフイッシャルな場ではスイッチを切り替えたように、お作法通り上品にふるまえる人だった。それは山本家にいた数年間のお陰だろう。母親の一生の財産となっていたと思える。暇な折には山本家にある本を読ませてもらい、介護が必要になったおじいさんの世話をしたという。母はよく本を読む人だった。黒田清隆の副官だった山本忠令の弟だったお爺さんには可愛がられたようで、村長を決めるときの話などお爺さんを通して当時の村内の事情をよく知っていた。
  母はオヤジと結婚してから中学生の従弟を数年間引き取ったことがある。親戚のおばさんが再婚してその従弟は新しい父親になじめなかった。そして蘂取村で自分の兄にあったのと似たようなことが起きていた。見ていられなかったのだろう。姉も妹も一時期一緒に暮らしたその人を「お兄さん」のように思っている。体の弱かったトク叔母は仕事を変わる都度数か月間根室に滞在した。トモ叔母も1か月ほど滞在することが何度かあった。釧路のばあさん(オヤジの母親)を1年間ほど引き取っていたことがある。根室高校野球部キャプテンで総番長であった5歳上の親戚も、事情があって高校卒業後1年間ほど一緒に暮らした。総番長に代々伝わる「仁義の口上」をやって見せてくれた。根室高校生がヤクザともめ事があったら、総番長が出て行って話をつけないといけない、そのときに必要だというのである。口上を間違えたらその場で殺されても文句は言えない。小さく折りたたんだ口上書を手渡されたが残っていない。腰をかがめて右手を前に出し、左手を後ろに回して「お控えなすって、さっそくお控えなさって下さってありがとうさんにござんす。手前生国発しますところ…」というあれである。総番長には責任が伴っていた。お祭りのときには目つきが鋭くてトッポイ高校生が5-6人一歩後ろをついて歩いていた。そのころは気の優しい彼が総番長だとは知らなかった。あとで確認したが、わたしの前の代にもわたしの友人の総番長にも仁義の口上は伝わっていなかった。総番長にはすでに肩書に伴う責任がなくなっていた。そこが総番制度を終わらせるわたしの動機だったかもしれない。2年生になった時にクラス替えになり総番長のヒロシと同じクラスになった。妙に馬が合った。あいつは野球部だった。総番制度の廃止は共産党のA野とヒロシと三人で決めた、まったく面白い組み合わせだった。ヒロシには苦労を掛けた。もちろん内部でもめたはずである。とばっちりはあったが、あいつは一人で背負った、いい男だ。人望がなければ総番長はつとまらぬ。大学進学は3年の12月に決めたが、ずっと店(ビリヤード店)の手伝いをしていたし、大学進学のつもりがなかったので受験勉強していなかった。受験は失敗した。そんなときにヒロシが3月に来て「ebisu、代ゼミに一緒にいくべ」と誘ってくれたのである。これも不思議な話だ。1年前に担任の富岡先生に金融機関に就職希望を伝えると、釧路の日銀を受けろ、学校推薦するからと言われた。都市銀行ならどこでもOKだが、ebisuが受験すれば一人いけなくなる同級生がでると言われて、銀行への就職を見送ってしまった。
  総番長のヒロシがいなければ、わたしは根室で店番をしながら、公認会計士受験をしていただろう。独力で勉強して合格するくらいの学力とガッツはあった。高校2年生の時から公認会計士二次試験参考書を使って独力で勉強していた。試験科目の中では原価計算と経済学が特に面白かった。ヒロシはわたしの運命を変えた友人である。大学へ進学してから経済学への興味がさらにわたしの人生を変えることになる。

  幼少期にオヤジもお袋も家庭的な苦労が大きかったから、人の苦労がわかる人だった。昭和の30年代は日本中が貧しい時代だったが、食べ物に困ることはなかったから、いつまでいてもOKだった。そういうわけで親戚の出入りの多い家だったと言える。あんなことは苦労の少ないわたしにはできない。
  オヤジも母も苦労人である、若い時の苦労は人を磨く。

< 余談-4:蘂取の言葉 > 7月4日追記
  蘂取には営林署関係者(公務員)やお寺さんなど言葉のきれいな人が少なくなかったようだ。一般に道内の漁師町は言葉が荒い。函館や根室を基準に考えてもらえばわかる。たとえば、根室っ子には北海道訛りがあるが、本人たちは自分の訛りに気がつかない。蘂取には訛りのない、つまり、きれいな東京標準語でしゃべる人が少なからずいたようだ。山本家だけが特別だと思っていたが、そうではないようだ。
  わたしのいう東京標準語は威勢のよい江戸っ子言葉とは違う、下町ではなく山の手で話されていた言葉をイメージしている。
  根室高校を卒業してからわたしは35年間東京で暮らした。根室に戻って友人たちを会うと根室の語彙やアクセントで話している。東京へ戻ると東京弁でしゃべる。意識しているのではなく、無意識に語彙やアクセントが切り替わるのである。「場」に応じて自動的に切り替わるもののようだ。他の人でも同じだろう。不思議だ。

< 余談-5: 戦前の根室町と蘂取村の繁栄 > 7月5日朝追記
  昭和41年だったと思うが、高校生のわたしはひょんな縁から根室のある呉服屋の棚卸の手伝いをしたことがある。正確に言うと「手伝いの手伝い」である、断れない事情があった。帳簿に仕入原価と売値が記載してあった、それを集計する。着物は仕入原価の2倍、小物類は3-4倍の売価設定になっていた。当時の根室の呉服屋ではこういう価格設定が当たり前だったのだろうと思う。
  根室は漁師町だから、商慣習のベースは大きな得意先である漁師がつくった。ツケ買いをして、漁があった時にまとめて支払う。だからその分根室の商人は資金負担が大きいというデメリットと利幅が大きいというメリットがあった。呉服も雑貨も食料品も同じ。
  昭和30年代後半には「やすやす屋」という安売り販売のお店が緑町にあった。根室商人としては異色だった。2階建てで天井近くまで商品を積み上げて安売りをした。ずいぶん繁盛したお店だが、経営者は仕入に大きな努力を払ったと思う。規模を大きくして潰れてしまった。そうしてみると、中標津町のサウスヒルズの経営者は仕入に並々ならぬ努力を払った経営者であることがわかる。そういう商人が根室という町からは出なかった。昭和40年代まで努力する必要がなかったからだ。
  雑貨類は道内仕入が当たり前で、それをベースにして売値を決めていたから、根室の商品は釧路に比べても高かった。だが、それでも売れたのである。利益率を維持するために地元業者間の「団結」が強くなった。それは反面、他の地域の業者の参入を排除するという排他性にもつながったのではないか。わたしは「オール根室」にそういう影を見る。

  昭和50年代に入り、普通の家庭でも車をもてるように経済社会が変化した。「高度経済成長」「所得倍増」「生産性アップによる急激な製造原価の低下と売値の変化」「幹線道路の整備の進行」、こうした変化に根室の商人は対応できなかった。それまでイージーな仕入と価格設定に慣れすぎたためである。西浜ショッピングセンター、マルシェ、イオン、札幌コープの4店舗あるが、地元資本は一つもない。
  イージーな仕入が習慣となり何十年も続くと、遺伝子として後継者に受け継がれてしまう。それが根室資本の経営改革を阻み、今日の衰退を招いたとわたしは分析している。だから、ふるさと納税の悪影響を心配する。三十数億円のふるさと納税への返礼品に地元産品が使われているが、地元業者は一定量の売り上げが確保できる。それが地元資本の経営改革を阻むことにならなければよいのだが、わたしの目にはふるさと納税はアヘンのようなものに映っている。

  さて、戦前のエトロフ島蘂取村も商売のやり方や商慣習に関しては根室と似たようなものだったと想像する。客の大半は漁師であり、それも根室の3倍の漁がある漁業関係者である。根室よりもさらに仕入に努力する必要はなかっただろう。仕入コスト低下ではなく品ぞろえが大事だった。エトロフ島は漁業資源が根室とは比較にならぬほど豊かだったから、根室の3倍の漁は3倍の収入を保障したということ。蘂取村の大店だった山本家の繁栄を支えたのは蘂取村の漁師の経済的繁栄であることは想像がつく。
  蘂取村の漁業者の側から見たら、ソ連軍進駐による政治支配や生活がどのようなものであったのか、聞いてみたい気がする。叔父貴が引揚げ者であることを数日前まで知らなかった。ソ連の支配下で漁をした経験があるようだが、聴く機会があるだろうか。




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ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
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#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017 [21. 北方領土]

 1855年2月7日の日露和親条約締結日をもって北方領土の日とすることが1986年1月6日に閣議了解で決まった。ソ連が択捉へ侵攻した8月28日にすべきだという意見もあったという。

 今朝の道新釧路根室版によれば、札大大学院生の佐藤さんが、ソ連侵攻時の島の状況を当時の島民が記録した資料を読み修士論文にまとめている最中だという。
 北方領土返還運動団体のなかでは千島歯舞諸島居住者連盟が最大で、元島民の回想ビデオを団体ホームページで公開しているが、資料の編纂や聞き取り調査をして本にまとめたという話を聞かない。
 元島民を多数抱えているのだから、資料編纂をして後世に残す義務があるのではないか。できたら本にして出版してもらいたい。この団体のメンバーには柏原栄先生(元根室高校社会科)や岩田広一先生(花咲小学校)など元教員がいる。きついだろうがいまなら若い人と協力してやれないことはないと思う。

 2月2日道新夕刊に次の記事が載っていた。
-------------------------------------
ロシア軍医と元島民の友情
 激動の体験一冊に
  逗子市の通訳・不破さん
   11年かけ自費出版
 ロシア語通訳・翻訳者の不破理江さん(52)=神奈川県逗子市=が択捉島蕊取(しべとろ)村の元島民・山本昭平さん(88)=埼玉県行田市=の体験談を記録した「セルツェ(心)」を自費出版した。足掛け11年、何度も聞き取りを重ねた労作。父親を亡くした根室空襲、ソ連分の島への進駐、同居したロシア人軍医との友情を中心に、廃線をはさんだ数年間の体験談が短編小説のような切なく、美しい語り口でつづられている。(編集委員 本田良一)
-------------------------------------

 山本昭平さんは医者になるために択捉島蕊取村から旧制旭川中学へ進学した。戦争がひどくなり大学入試が中止、卒業後も旭川へ滞在。1945年7月17日に根室町役場と交渉ごとのあった父親と根室で落ち合って択捉島へ向かう船に乗った。出航してすぐに突然の空襲に見舞われ魚雷と機銃掃射により船は沈没、父親は魚雷で即死、妹と一緒に甲板へあがり海へ投げ出され、重油まみれで岸辺に泳ぎ着き九死に一生をえた。その後島へ帰り終戦を迎える。医者志望だった山本さんの家へ同居したのがソ連の軍医イワン・ゴロフコ少尉である。不思議な縁だ。
 ジャパンタイムズが山本昭平さんから聞き取った記事を10年位前に掲載したことがある。弊ブログに書いたかもしれない。「語り部おばさん」の一人である叔母に頼まれて翻訳したことがあった。

 返還団体がまとまった記録を残す最後のチャンスだろうと思う。ebisuは元島民2世。母親が択捉島で生まれ育った。山本家とは縁がある。柏原先生には光洋中学時代歴史を教えてもらった、恩師である。岩田先生に教えてもらったことはないが、私の家の裏手に住んでいたことがあるのでよく知っている。千歳の叔母が択捉で幼馴染と聞いている。
 記録を本にして残すなら、ボランティアの一人として少しの間協力できるだろう。

〈 余談 〉2月9日午前9時追記
 昭平さんの祖父の兄弟は山本忠令、黒田清隆の副官である。事情を何も知らぬ根室町長は何か交渉ごとがあってきたお爺さんを粗略に扱ったことがある。怒った爺さんはそのまま道庁へ出向いた。すぐに根室へ汽車で戻ると、町長、助役以下町役場の幹部が並んで出迎えたという。当時の町長は任命制で、開拓使長官の覚えがめでたくなければ簡単に首が飛ぶ。ずいぶんとあせっただろう。
 蕊取村の村長もそのお爺さんが兄弟を通じて根回しして決めていた。
 山本家は薩長雄藩の出身ではない、どういう経緯で兄弟が黒田清隆の副官になったのかはわからぬ。山本家のお婆さんが東京山の手の品のよい標準語を使えた人。あの時代の政府高官たちは芸者さんを嫁にしたのが流行である。自宅でさまざまな人を接待する必要があったのだろう。山本家のお婆さんもそういう人。択捉の漁師の長女として生まれたおふくろは事情があって山本家で暮らしたお袋は完璧な東京山の手の品のよい言葉と行儀作法を身につけていた。漁場の権利は母の旧姓で登記が残っている。母方の爺さんは「根室の3倍の漁があった、(択捉島は)宝島だった」と話していた。秋になると川に竹竿が立つくらいびっしりと鮭が遡上していた。
 40歳ころに用事があって帰郷した折に、市役所へ電話するのを聞いていて驚いた。オリンパス宇津木台研究所が電話の全国コンクールで何度も優勝したことがあるが、それと比べても遜色のない電話の掛け方だったのである。改まった席に出ると言葉と行儀作法が見事だった。山本家のお婆さんの躾けがすばらしかったのだろう。残念ながら、子どもは誰もそれを受け継いでいない。(笑)



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#3481 プーチン大統領へ元島民からの手紙と叔母 Dec. 16, 2016 [21. 北方領土]

 プーチン大統領へ元島民からロシア語で書かれた手紙が渡された。彼はそれをすぐに読んだという。7人連名の手紙だったようだ。

時事ドットコムニュース
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121500850&g=soc
========================
 山口県長門市で15日夜行われた日ロ首脳会談で、北方領土返還に関する具体的な進展があったかどうかは明らかにならなかった。北方四島の元島民らは、解決を待ち望む思いを込めた手紙をロシアのプーチン大統領が読んだことに喜び、交渉継続に希望をつないだ。
 北海道根室市で記者会見した千島歯舞諸島居住者連盟理事長で国後島生まれの脇紀美夫さん(75)は「あくまでも途中経過だ。自由訪問や墓参の拡大など訴え続けてきた点がテーマになったのはうれしい」と冷静に受け止めた。
 手紙は脇さんら7人の連名で、「元島民の平均年齢が81歳を超え時間がないという心情と、島に戻りたい、自由に往来したい」という気持ちをつづり、ロシア語に翻訳。12日に安倍晋三首相と面会した際に託した。大統領が会談の席上で手紙を読んだことに、脇さんは「思いは伝わった。いい方向になってくれれば」と話した。
 一方、歯舞群島の多楽島出身の副理事長河田弘登志さん(82)は「肝心な領土問題は、16日に発表するのか話をしなかったのかは分からないが、ちょっと寂しい」と声を落とした。
 色丹島出身の木根博幸さん(71)=東京都杉並区=は何度も北方四島を訪問し、ロシア人住民と交流してきた。「返還後に追い出されると心配する人もいた。元島民のような思いはさせられない。友好関係を進める解決策を」と要望した。
 択捉島出身の鈴木咲子さん(78)=根室市=は、手紙が読まれたことを「今後の会談に良い影響を与えるのでは」と喜び、「一挙に前に進むとは思っていない。首相の表情も明るく、良い感じで進んでいる印象を持った。16日の共同会見に期待したい」と声を弾ませた。
========================

 ebisuには11歳年の離れた叔母がいる。
 ebisuの母親は択捉島で生まれ育った。母は5年前に亡くなったが、すぐ下の妹のトク叔母はずっと以前に亡くなっている。東京に住んでいる従姉妹が看取った。40年前には埋立地の交差点で広めの土地で雑貨屋を営んでいたが、ビルに建て替えセブンイレブンに業態を変えた。一時は全国3位の売上だったらしい。ボロ屋の2階建てだった。周りにはビルなんてなかったのだが、その後ニョキニョキとオフィス・ビルが立ち並び、売上が急伸したという。トク叔母と長女が小2のときに遊びに行ったことがある。「おじちゃん、盲腸の手術の後を見せてあげる」とワンピースをさっと持ち上げて、おなかの傷跡を見せてくれた。あのちっちゃな女の子ももう40歳を過ぎている。
 四番目の八戸のトメ叔母のところはある系列のホテル経営と靴屋をしていた。亡くなって12年くらいたつだろうか。
 大きな声で屈託なく笑う千歳の三番目のトモ叔母が亡くなってもう8年くらいたつ。夫君は千歳の自衛隊勤務だった、義兄にあたるebisuのオヤジが落下傘部隊であったことを誇りにしていた。
 いま残っているのは末の妹とその上の次男の叔父である。
 択捉島を訪問したことがあるのは、末の妹の叔母ただ一人。叔母は「引揚者」だから、何度も渡航しているようだ。今年も2回行っている。

 生前、爺さんが択捉島は「宝島」だとよく言っていた。漁が3倍あるという。秋になると川に竹ざおが立つほど鮭の群れが遡上してくる。長男が満州で終戦後に進行してきたソ連軍と戦って戦死したので、魚場の権利は叔父貴の名義で登記があるそうだ。
 わたしがその戦死した長男に似ているという。満州の荒野に一本の木があるが、その根方に遺骨が埋まっている。生きていたとしても漁をする択捉島の蕊取村はロシアのもの。戦死したからそういう現実を見ないですんだ。霊感の強い母はその満州の荒野にただ一本はえている木の夢を見た。兄さんが眠っているとわかったそうだ。戦後、その最後を知る人が尋ねてきた。話を聞く前に夢に見た情景を話したら、「だれに聞きました?」と驚かれたという。兄が戦争に取られなかったら、お袋の人生はまったく違っていただろう。馬と一緒に砂浜を走ってくるほど体力があり、ガタイが大きな人だったという。写真の顔はとっても優しい。

 4月に叔母のところへよったら、ロシア語の勉強をしていると話してくれた。「へえ、えらいね」と感心した。択捉島へ一緒に行かないかと誘われたが、食事を制限しなければならないので、3日も旅をすれば体重が3kgは減少しそうで「ムリ」と体調のことを話した。体調を元に戻すまで1か月以上かかる。おそらく1週間程度は塾を休むことになる。択捉島に眠る母方のばあさんの墓にお参りしたいが、もうかなわぬ。

 こんどの7名連名の手紙は外務省が翻訳したのだろうが、叔母はロシア語で書けたのだろうか?手紙を読んでもらってうれしいとテレビに映っていた。いくつになっても新しいことを学ぶのは楽しい。
 一番歳の近い叔母なので小学生のころは親戚のお姉さんという感じだった。ebisuが高校生のときに子どもを生んでからしばらくは毎日のように歩いて梅ヶ枝町の家に遊びに来ていた。2階が住居で日当たりがよく居心地がよかったのだろう。哺乳瓶と粉ミルクがおいてあった。日中一人で子どもの世話をしていたら気が鬱々としてくるから、気晴らしもあったのではないか。
 ロシア語の勉強がどの程度進んだのか、そのうち、話を聞いてみよう。


 プーチン大統領、穏健な島民2世ばかりではないよ。(笑)
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#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
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 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
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 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14

 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-16

 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
  http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-28

  #2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29

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#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016 [21. 北方領土]

 ロシアが国後島と択捉島に年内に対艦ミサイルを配備するというニュースが流れました。安部総理は数日前にロシア大統領プーチンと会談した後で、すっかり意気消沈、楽観論が吹き飛んだ様子。安部総理はストレスに弱い人ですね、表情に落胆の様子がはっきり出ていました。あれでは子供です。
 政府任せでは70年たっても北方領土問題は一歩も動かぬことは証明済み。東京でヘタレのデモ行進など無意味、テレビですら全国ネットで流さない。根室市の予算の無駄遣いです。参加した人たちの大半もそう思っているでしょう。自費で参加している人は半分いるのでしょうか?これではマスコミだって相手にしません。
 領土返還諸団体はそろそろ目を覚まして、自分たちで戦う決意をすべきではないですか?。できることはありますよ、案外簡単です、自分たちでできることからやればいいだけ。ただし、意気地がなければできません。

*日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H5H_S6A121C1PP8000/
--------------------------------------
【モスクワ=古川英治】ロシア通信などは22日、ロシア太平洋艦隊の機関紙の報道として、北方領土の択捉島と国後島に新型の地対艦ミサイル「バスチオン」と「バル」をそれぞれ配備したと伝えた。19日の安倍晋三首相とプーチン大統領の会談直後のタイミングで、日本との平和条約交渉にかかわらず北方領土の軍備強化を進めるロシアの姿勢が鮮明になった。
--------------------------------------

  覚悟と意気地のない人はここから先は読まないほうがいいですよ。

 根室市はドラム缶を10本ほど溶接したダミーのミサイルを製作し、納沙布岬に設置しよう。ミサイルには 'MIRV for Mocow' と大きく書きます。
  ジョークとしてはかなり面白い。市議会で決議して遊んだらいかが?千島歯舞連盟で寄付を募ってやってらもっと面白くなります。択捉島2世のebisuのところへも寄付集めに来てください。領土返還運動は根室市民からすら孤立していますが、連帯が生まれます。

 何にもしないから、日本政府にもロシアにもいいようになめられます。
 やってみたら思わぬ波紋を広げることになるでしょう。マスコミが勝手に取材し騒いでくれます。影響の大きさにやったほうがびっくりすることになるでしょう。
 覚悟がいります、ビザなし交流はこちらから中止宣告。国後沖の操業への影響もでます。「日本固有の領土」を取り戻すというのは、血を流すことなんです。もちろんロシアにも血を流してもらいます。経済協力を全面的にストップするように政府へ要請文をつくり、市議会で決議します。
 外務省は跳ね上がりの根室市という外交交渉カードを手にすることになります。いつまでも向こうの都合で引きずり回されていないで、根室市民がプーチンへ揺さぶりをかけたらいい。「根室市民はマジだ、国後島と択捉島への対艦ミサイル配備に怒っているぞ!」、「千島歯舞居住者連盟は本気だぞ!」と吼えたらいい。
 その後の具体論は8年前に書いた「少し過激な北方領土返還論」をお読みください。根室からアドバルーンを揚げるだけで十分です。やるならとことん本気でやれ!そしてロシアに勝て。

 ロシアには四島全部返還したら、条約で国後島と択捉島の間のロシア艦船の通行を認めると提案してやればいい。もちろん経済協力の全面解禁も条件に加えたやったらいい。中国への牽制になるだけでなく、大きな市場が手に入るので日本企業が喜びます。
 ロシアにとって一番重要なことはロシア太平洋艦隊が太平洋へ出る通行権を確保することですから、十分交渉の余地がありますよ。

*[Russia deploys newest anti-ship missiles to Kuril Islands ]
https://www.rt.com/politics/367773-russia-deploys-newest-anti-ship/

*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
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 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
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 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
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 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
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 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
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 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
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 #2301 実録北方領土ビザなし訪問 :同行医師の記録 May 19, 2013 
 
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 #2585 北方領土の日: 現実的な四島返還構想 MIRV開発 Feb.7, 2014 
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 #2656 北方領土返還運動:おかしな「元島民」の定義  Apr. 23, 2014 
 
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#3419 プーチンと2島返還で交渉?:議論もしないで勝手に決めるな Sep. 23, 2016 [21. 北方領土]

 政府が2島返還でロシア大統領プーチンと交渉するという。領土に関する重大なことを、国会で議論もしないで方針を勝手に決めるなと言いたい。それとも単独過半数だから、いまなら何でも通せるということか。
 まんまとロシアの術中に陥っている。

 歯舞群島   95 km^2
 色丹島   251 km^2 
 国後島  1490 km^2 ⇔ 沖縄本島  1207 km^2
 択捉島  3168 km^2  ⇔  鳥取県     3507 km^2
  合計   5003 km^2  ⇔  福岡県     4986 km^2

  2島って言うけど4島の半分ではないよ、面積比では10:1にもならぬ、たったの6.9%だ。これで「引き分け」って言うのかい。外務省データによれば、歯舞群島と色丹島をあわせても北方四島のわずか6.9%。
*「北方領土データ」 日本外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/rss/hoppo/page1w_000024.html

 100万円盗られて、6万9千円戻してくれればいいよ、なんて交渉をマジでやるのか?

 竹島はすでに韓国が実質支配して日本政府はなす術がない。そしてロシアと6.9%で交渉を始めたら、韓国にも中国にもなめられる。これでは、尖閣列島も沖縄もいずれ日本の領土ではなくなってしまうだろうよ。
 日本固有の領土だと言い張ってきたのは日本外務省ではなかったのか、あれは建前で、嘘でしたとでもいうのかね。
 北方領土返還運動諸団体は補助金や外務省予算丸抱えでの「ビザなし交流」やら「墓参」で何にも言えなくなっていなければ幸い。
 原発と同じ構造だね。予算を潤沢にもらっていい気になっているうちに、原発のある村や町の住人はすっかり骨抜きにされてしまう。
 根室市と根室市議会は迅速な意見表明(声明発表)ができるだろうか?

 フォークランド紛争時のマーガレット・サッチャーの領土に対する毅然とした決断に比べて安倍総理の腰砕けは情けない。「領土に関して譲歩はありえない」というのがサッチャーの決断だった。
 これではどっちが女で男かわからない、弊ブログ#1892を読まれよ。

 択捉島民2世のebisuとしては誠に腹立たしい。

 多核弾道ミサイルを開発して、納沙布岬(根室市)と野寒布岬(稚内市)に10基ずつ配備すれば、領土交渉の状況は劇的に変えられる。外交交渉は武力の背景がなければ埒(らち)が明かない。
 日本は54基の原発を動かしていたおかげで、原・水爆6000発分の原料、プルトニウム48トンをすでに青森県六ヶ所村に保管している。各地の原発には膨大な量の使用済み核燃料があるから、国産の遠心分離機を10万台も並べたら、さらに数倍の材料を手にできる。スーパーコンピューター「京」を核爆発シミュレーションに利用すればいい。種子島で打ち上げているロケットは液体燃料だが、固体燃料のミサイル技術は東大宇宙航空研究所がもっている。
 開発に必要な材料も、技術も、機器もすべて国産でまかなえる。多核弾道ミサイルは工業製品でもあるから、日本の技術をもってすれば、米国やロシアよりも「品質のよい」原水爆が短期間で開発できるだろう。「#195 少し過激な北方領土返還論」をご覧いただきたい。

 根室市議会で「多核弾道ミサイル開発を決議」すれば、安倍総理への強力な援護射撃になるだろう


*「北方領土、2島返還が最低限…対露交渉で条件」・・・読売新聞
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%8c%97%e6%96%b9%e9%a0%98%e5%9c%9f%e3%80%81%ef%bc%92%e5%b3%b6%e8%bf%94%e9%82%84%e3%81%8c%e6%9c%80%e4%bd%8e%e9%99%90%e2%80%a6%e5%af%be%e9%9c%b2%e4%ba%a4%e6%b8%89%e3%81%a7%e6%9d%a1%e4%bb%b6/ar-BBwvz0q


【官房長官読売報道を全面否定】 産経新聞 9/23 午後3時追記
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%8f%85%e7%be%a9%e5%81%89%e5%ae%98%e6%88%bf%e9%95%b7%e5%ae%98%e3%80%8c%e3%81%9d%e3%81%ae%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%aa%e4%ba%8b%e5%ae%9f%e5%85%a8%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e6%96%ad%e8%a8%80%e3%80%8d-%e5%8c%97%e6%96%b9%e9%a0%98%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e6%b8%89%e3%81%a7%ef%bc%94%e5%b3%b6%e5%b8%b0%e5%b1%9e%e5%89%8d%e6%8f%90%e3%81%ab%e3%81%97%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%a0%b1%e9%81%93%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-BBww79P

「菅義偉官房長官「そのような事実全くないと断言」 北方領土交渉で4島帰属前提にしないとの報道否定 」

 菅義偉官房長官は23日午前の記者会見で、ロシアとの平和条約締結交渉で、政府が歯舞群島、色丹島の2島返還を“最低条件”とするとの方針を固め、条約締結の際には国後島、択捉島を含む4島の帰属を北方領土問題解決の前提にしない方向で検討しているとの23日付読売新聞朝刊の報道について「そうした事実は全くない。明確に断言しておく」と否定した。

 菅氏は北方領土問題に対する政府見解について「4島の帰属問題を解決し、平和条約を締結していく。この基本方針のもと、粘り強く交渉を進める方針であることは全く微動だにしていない」と改めて強調した。

【ebisuの意見】
 読売新聞は関係者に取材してスクープしたのだろう。数人いる上司がすべて承認しなければ記事にはならぬから、信頼性の高いと思われる筋からの情報だったと推察する。
 菅官房長官が躍起になって全面否定したのは現政権にとって「不都合な真実だったから?」。
 組織機能から見て、読売新聞がガセネタをつかまされたという可能性は小さいとみた。東京都庁とは違うだろう。(笑)

*#2794 争点整理④: 北方領土問題 Aug. 31, 2014 
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 #3371 ビザなし交流:ロシア語でのコミュニケーション July 21, 2016 
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*#195「少し過激な北方領土返還論」
MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
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#3371 ビザなし交流:ロシア語でのコミュニケーション July 21, 2016 [21. 北方領土]

 NHK総合テレビ「くらし解説」(朝10時)の番組を見ていたら、北方領土返還運動関係者が二人出ていた。
 そのうちの一人、ご婦人のほうが、ビザなし訪問で択捉島へ行ったときのことを語った。「地図を指差してロシア語で「ここに住んでいました」というと、ロシア人がたくさん集まってきて耳を傾けてくれました」、片言でもロシア語でコミュニケーションができると心も通う。北方領土返還団体はこういう配慮や努力をいままでしたこなかった、いい変化だ。
 ただ、「島を返せ」では一歩も前に進まない。いくつになっても学ぶ心を失ってはいけないのだということを教えてくれている。

 国内最大手の臨床検査センターに勤務して、学術開発本部スタッフとして2年間ほど仕事をしていたときの主たる担当は5つ。①開発部のメンバーの一人として製薬メーカと検査試薬の共同開発案件2件と各担当者の進捗状況管理の標準化、②仕事の3割カットを目的とする全社プロジェクトの学術開発本部担当、③沖縄米軍からの依頼の母体血による出生前検査(MoM値)の開発、④慶応大学病院との日本標準値MoM値研究プロジェクト(米国で実施されている方法の調査と沖縄米軍向けに開発したMoM値システムの説明及び関連検査部門と多変量解析グループへの仕事の割り振り調整、妊娠週令16-22週の妊婦の母体血を集め数年にわたる測定と多変量解析研究がスタート)、⑤学術情報部の仕事のラボ見学対応のうち、海外からの見学希望者対応。
 あるときドイツの製薬メーカ5人のラボ見学があった。原稿を書いて暗記して、ドイツ語で挨拶したらたいへん喜んでもらえた。挨拶に用意してあっただけだから、矢継ぎ早にドイツ語で質問が出たのには閉口した。経済学研究の都合上ドイツ語文献は読んだが、ドイツ語会話の経験はない、やらぬことはできぬものだ。
 韓国人検査技術者6名のラボ見学希望対応には、韓国語が堪能な免疫血清部のH山部長に事情を話してツアーに同行してもらった。彼が応接室へ入ってきて韓国語でしゃべりだしたら、その場の雰囲気ががらりと変わった。それまで中央線に乗って車窓から眺めた日本の住宅環境の悪さを散々言っていたのだが、否定的な発言がぴたっとなくなった。「アンニョンハシムニカ」に続く朝鮮語での対応に韓国からの6人の検査技術者たちの表情が緩んだのである。友好的な2時間半のラボツアーとなった。

 標津在住の男性(引揚者)がロシア語でカチューシャを歌ったら、打ち解けることができたと言っていた。いままで恨んでいたが、いま島に住んでいるロシア人が悪いわけではない、自分たちと同じだと気がついたという。この「同じ」という感覚が大事なのだろう。島に住んでいるロシア人もビザなし交流で来た日本人が「同じ」であることに気がつく。以心伝心である、二十年以上かけてようやく本当の意味でのビザなし交流が始まった。

 ご婦人の方は「語り部おばさん」の一人のSSさんだが、この1年間ほどロシア語の勉強をしていたようだ。団塊世代のわたしより一回り上なのに、60歳代後半にみえる、気が若いのだろう。(笑)
 昨年、「トシ、ビザなし訪問で一緒に択捉島へ行こう」と誘われたが、2~3日間の船旅は胃のない身にこたえる、回復するのに一月近くかかるので、「残念だけど行けそうにない」と伝えた。

 一回りしか歳が離れていない叔母はなんとなく気安く半分姉のような気がする。話し方が長女である母に似たところがある。母は択捉島蕊取村の漁師の娘だった。爺さんの話では、「択捉は宝島」、前浜での漁で根室の3倍の漁獲量があったそうだ。前浜の漁業権は長男が満州で戦死したから、次男の名義になっている。
 択捉島蕊取村では神戸の商家の末裔の山本家が東京山の手の品のよい標準語を話していた。母は事情があって山本家に預けられ、言葉と行儀作法を躾けられたから、品のよい東京山の手の標準語を完全に操れた。わたしが根室に戻ってきてから、市役所に用事があってお袋が電話するときに聞いていたら、全国コンクールで上位入賞できるような見事な話し方だった。オリンパスの宇津木台研究所が全国コンクールで何度か優勝している。勤務していた八王子ラボのすぐ隣だったので、用事があって電話して訪問したことがある。重要取引先でもあったから、こちらの要望にはすぐに応じてもらえた。臨床診断システム事業化を検討したときに、出たばかりの光カードを個人カルテ媒体として使えないか、相談に乗ってもらったことがあった。オリンパス宇津木台研究所は普段の電話の受け答えもすばらしかった。母の電話のかけ方はそういうレベルであった。根室に居たときにはなんとも思わなかったが、東京で35年間暮らして、その値打ちのすごさに気がついた。礼儀作法も言葉と同レベル、結婚するときに女房の実家へ結納をもって行ったときの挨拶が見事だった。まるで映画の一シーンを見ているような所作と口上だった。その母も自分の子どもの躾けには厳しかったが失敗している。他人が躾けたほうがいいのである。
 行儀作法と言葉の躾けは子どもの生涯の財産や武器となるから、子どもにはちゃんとした言葉遣いで話そう。行儀作法も小学生の低学年の内にちゃんと躾けたほうがいいよ。正式の場や公式の場に出たときに物怖じしないで品よく振舞えたらすばらしい。
 山本家の当主の兄弟が黒田清隆の副官をしていた山本忠令である。道内では絶大な権力があった。山本家の当主が根室町長に蕊取村の代表として頼みごとがあって面会にきたときにけんもほろろに扱われて町長に面会できず、むかっ腹を立てそのまま汽車に乗って札幌まで行った。札幌から戻って根室駅に着くと、本庁からの電報にあわてた町長と幹部職員が居並んで出迎えたという。当時の町長は任命制だから、副官のご機嫌を損ねたら首が飛ぶ。蕊取村の村長も山本の爺さんが推薦状を書いて決めていた。


< 余談:高低差40mの桂木の浜までサイクリング >
 MTBで桂木の浜まで下りてみた。標高差40mの下り坂で速度は43km/hまで上がるが、下りきったところでアスファルト道路は90度に右折するので、速度を落とさなくてはならない。MTBはディスクブレーキだから、サドルからお尻を後ろ側にタイヤすれすれまで落とせば、急ブレーキでも大丈夫だ。ブレーキングのトレーニングにはいい坂だ。往復7.2km、平地走行でのmax速度は38.4km/hだった。
 下まで降りたら、潮の香りがしてきた。沖に浮かぶ島が二つはっきり見える。小川が海へと流れ込むところへ白いシートで包まれた土の堤防ができていた。天気がよいので4kmほど離れた友尻の浜までよく見える。

 桂木浜の潮の香りはなぜか小学校の遠足を思い出させる。なんどか遠足で桂木の浜まで歩いてきておにぎりを食べた。
 小学生の低学年のときに、ゆで卵の殻がむけずに石へぶつけてぐちゃぐちゃにしてもって帰ってきたことがある。ゆで卵の殻はいつも親が剥いてくれていたから、やったことがなかったのである。過保護の典型だった。サンマも両親のいずれかが骨を外してくれたから自分でやれなかった。
 これではいけないと自覚し練習したから、6年生のころには卵の殻剥きが得意になっていた。(笑)
 ZAPPERさんが、ときどき魚を食べ終わった皿の写真をFBにアップすることがあり、それを見るたびに上手だなと感心する。白い骨だけが皿に載っている。


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#3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016 [21. 北方領土]

<更新情報>
5/29 午前2時 <余談-1:予算の肥大化と市議会のチェック機能> <余談-2:更新されない市議会ホームページ>他 追記


 6時から総合文化会館2階で開かれた根室市議会報告会へ行って来ました。平成25年が初回で、第4回目だそうです。34名の市民が集いました。回を重ねるごとに参加人数が増えていますので、市議会への市民意識が高くなってきたようです。初回は市議18名に市民8名の参加だったそうです。意見交換の時間が足りないので、この次は6時から9時までか、1時から6時まで時間を前倒しでやったらどうでしょう?

 6時から50分間3常任委員会と2特別委員会の報告がなされて、それから1時間ほどの意見交換がありました。

 びっくりしたのは水産関係者と思われるお二人の方の北方領土返還論でした。2島返還でいいというのです。国後島と択捉島は北方領土全体の93%です、それを放棄して7%だけでいいのでしょうか?2島返還論を声高に主張していました。
 根室の町にはいろんな意見があります。水産関係の人のようでしたから、切羽詰って自棄(やけ)を起こしているようで、いい大人が駄々っ子のように見えました。根室の町のためだそうですが、話を聞いていてわたしにはさっぱりうなずけませんでした。おそらく中学生に聞いてもらっても大半がわたしと同じような感慨を抱いたでしょう。2島返還ならそれはそれで結構ですが、60歳を過ぎたらもっと説得力のある意見が言えなくては情けない。もっと大人の議論が聞きたかった。
 4島の面積がどうなっているのか、それすら挙げずに議論しても不毛でしょう。事実を踏まえて意見を述べてもらいたかった2島返還論を主張するときには、「歯舞色丹群島は北方四島の面積の7%に過ぎない、国後島は沖縄本島よりも大きいし、択捉島にいたっては沖縄本島の2.6倍あります」ちゃんと事実関係を説明してから、自分の意見を述べるのが大人のやり方、違いますか?
 弊ブログ#2794で各島の面積を挙げて論じているのでご覧ください。

*#2794 争点整理④: 北方領土問題 Aug. 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-31
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 北方四島が返還されたら、羅臼の漁師は漁獲量激減で困窮するだろう。違法操業はしなくても安全操業A地域とB地域へ出漁しているから、根室の漁師への影響も小さくない。
 つまり、根室管内の漁師たちは北方四島が帰ってこない現状の方が都合がよい。2島返還で国後島と択捉島が戻ってこないことが根室管内の船主にとってベストチョイスだ。北方領土の面積は5,038平方km国後島1,499平方km択捉島3,184平方kmの2島は北方領土全体の93.0%を占めている。比較のために書いておくが択捉島は沖縄本島1,206平方kmの2.6倍も大きい
 北方領土面積の93%を占める国後島と択捉島を外した返還交渉はありえない話だ。7%に過ぎない歯舞群島と色丹島の2島返還でいいならロシアはいつでもそれで決着をつけるだろう。私がロシアの外交官なら、日本人はバカではないかと思うだろう。世界の国々もそう思うに違いない、その結果、日本人の国際的な評価は著しく下がることになる
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 2島返還なんて言い出したら、日本が世界中からバカにされます。四島返還はありえないとお二人の方が仰いましたが、自分の智慧が足りないとは考えないのでしょうか?

 四島返還が仕事だとすると、どうやったら四島返還が実現できるのかと考えるところからはじめるのがあたりまえです。赤字の会社を黒字の高収益会社にするのと同じことです。わたしは根室高校を卒業して東京の学校へ進学し、就職してから転職を重ねると同時に、そういう仕事を何度かやりました。仕事の機会に恵まれたということです。
 よい仕事に恵まれたとどうして思えないのですか?端(ハナ)からできないものだとあきらめてどうします。「あれはできないこれもできない」では仕事になりませんね。サラリーマンなら、「できない言い訳をしてもらうために給料を払っているわけではない、仕事をしろ」と上司や社長に言われます。
 どうやれば可能になるのか、やれることは何なのか考える、つまり仕事の段取りを考えるわけです。自分たちでできることすら考えず、やりもしないで結論を出すのが好きな根室人が少なくありません。だから戦後70年経ってもまともな北方領土返還戦略が描けなかった、ほんとうに情けない。ちゃんとした議論の仕方を学んでください。

 弊ブログで現実的な返還論=極論を論じていますので、紹介します。

#2794から抜粋
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<戦略思考の欠如:MIRV開発計画の公表による現状打破>
 わたしはMIRV(Multiple Independently-targetable Reentry Vehicle:多核弾道ミサイル)を開発・組み立て・解体して見せたらいいと何度か弊ブログに書いている。MIRVを保有しているのは米国・ロシア・英国・フランス・中国の五カ国のみである。いずれも国連安全保障常任理事国。
 根室半島と宗谷岬に10基ずつ配備してデモンストレーションしたらいい。国連安全保障常任理事国が動かざるを得なくなる。日本には精製済みのプルトニュウムが43トンある。いまある未処理の原発核燃料廃棄物を精製すればいくらでも原料が調達可能だ。製造に必要な機器(遠心分離機)も核爆発シミュレーション用のスーパコンピュータも、開発技術も製造技術もすべて国産でそろえられるのは世界中でも数カ国しかない運搬用のロケットは人工衛星打ち上げで商用段階に入っている
 MIRVだけでなく、ミサイル誘導に必用な全地球測位システムを瞬時に無効にする技術開発だって可能だろう。要点は具体的な開発計画を公表して予算をつけることだ。国連安全保障常任理事国全てが凝視せざるを得ない
 5000名もの優秀な飛行士が訓練して神風特攻隊をやった国がMIRVを保有したら、ロシアも中国も北朝鮮も震撼する、なにより玉砕攻撃や神風特別攻撃を体験した米国が一番嫌がるに違いない。つまり、米国や中国が本気でロシアに圧力をかけざるを得なくなるということだ
 理不尽なことをいつまでも続けていたら黙っていない国のあることを知らしめよ中国・韓国・北朝鮮を除くアジア諸国は日本がMIRVを保有することを歓迎するだろう
 根室市議会でMIRVの開発・組み立て・配備要望を可決し、政府に対して提出するだけでいい。実現不可能な要望書の可決だけでも外交上はロシアへの大きな圧力となりうる。2島返還論など消し飛んでしまう。
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 種子島のロケットは液体燃料です、東大宇宙航空研究所が固体燃料ロケットの開発をしていましたが、米国からのクレームで中止しています。核ミサイル転用ができるからです。もうじきトランプ氏が米国大統領になれば、研究の再開ができます。液体燃料ロケットは、燃料の注入をしてからでないと発射できませんが、固体燃料ならいつでもスィッチを押して発射できます。
 納沙布岬周辺に5基、知床岬に5基、稚内に10基、計20基。尖閣諸島にも軍隊を置いて、ミサイル配備をします。ロシアも中国もたくさんの多核弾道ミサイルを保有しています。領土問題に関しては日本は断固とした意志を明らかにすべきですあいまいにしておくと、なめられて戦争を仕掛けられてしまいます。たとえば、「尖閣列島に上陸したら、半数のミサイルを中国本土へ向けて発射する」、そう明言すればよい。日本がそう明言したら尖閣列島に上陸するようなバカな真似はできませんよ。
 玉砕と称する戦いをアッツ島でも、203高地でも、日本海海戦でも、神風特攻隊でも、日本軍は繰り返しやりました。
(中共軍は国民党軍とは違って腑抜けで「長征」と称し、延安まで逃げて日本軍とはほとんど戦わなかったというのが事実です。強力な軍備と覚悟がなければ、南沙諸島のように中国にいいように蹂躙されてしまいます。中国やロシアに対しては弱腰はつねに戦争の危険を招きます)

 ロシアが北方領土問題で譲歩すれば多核弾道ミサイル開発・組立・配備計画をやめたらいいのです。譲歩がなければ、計画通りにミサイル開発・組立・配備をします。
 多核弾道ミサイル保有国になれば日本を国連安全保障理事国に入れざるをえなくなります。そこで堂々と、日本の国益に沿った正論を主張したらいい。
 ロシアという交渉相手が多核弾道ミサイルと強力な軍隊をもっているのに、背景に武力のない外交交渉は軟弱でいままでのように無視され続けます。

  三つ目の論点は北方領土が返還されなければ根室の発展はないというもの。これは嘘でしょう、反例を挙げます。中標津町は団塊世代のわたしが中学生のころは人口1.5万人でしたが、そのころ根室は4万人を越えていました。いまでは中標津町が2.5万人ほど、根室市は2.7万人です。中標津はこんなに発展したのに根室の人口が4割も減ったのは北方領土が返ってこないからですか?理由になりません。数学的には反例を一つ挙げればいいだけ。論拠のない主張は子どもじみてみったくないからやめましょう。
 北方領土なんか帰ってこなくても町は発展するんです、中標津が好例です。「北方領土が返ってくれば」と補助金を引くことだけを考えて、一部の者たちだけの閉鎖的な「村」で議論するだけで、市民フリー参加型の町づくりをしてこなかった。根室は町づくりにしっかりしたプランがなかっただけではないですか。企業経営も「根室基準」で遅れたまま、その多くが決算情報すら従業員に公開しないのですから、閉鎖的です。これでは予算制度の導入すらできません。根室の地元企業は自己改革が必要です。それがなければ、少子高齢化はますます進行するだけです。
 中標津は市民自由参加で町づくりのプランニングをしています。根室は閉鎖的で、町づくりに市民が自由参加できる仕組みがありません。そういう場をつくればいいのです。そういう仕事を市議会が担ってもらいたい

 補助金漬けの恒例行事化した領土返還運動なんて誰が共感しますか?60年以上も補助金もらって動いてきただけ。自分のお金も頭も使わない北方領土返還運動が国民の共感を呼ぶと思いますか?東京でデモ行進している人の何%が自分のお金を出してやっています?金刀比羅神社のお祭りを見てください、市民がお金を寄付して成り立っています、毎年盛況です。補助金で金刀比羅神社のお祭りをやるようではダメだということはわかるのに、どうして北方領土返還運動になると、判断が違ってしまうのですか?
 自分たちがやるべきことをやらず、自分たちのできることすらやらずに、「北方領土返還!」なんて、東京を歩いても誰が注目してくれますか?返還運動諸団体も根室市も運動のやり方を反省すべきです。道は自分たちで拓きましょう

 根室市議会は政府に対して「MIRV(多核弾道ミサイル)の開発・組立・配備要求」を決議してください。トランプ氏が米国大統領になったら、一気に進められます。政府がどうしようと構わない、根室市議会が決議をしただけで、外交上の大きな圧力が生まれます。まず、わたしたちがやれることをやりましょう。
 実際に計画が動き出せば、国連安全保障理事会はほうってはおけません。国際世論を味方につけましょう。自分の頭で考えず、補助金と日本の外務省を当てにするから70年間北方領土返還がちっとも前に進まないのです。
 そろそろ根室っ子の本気と意地を見せてやりませんか


<余談-1:予算肥大化と市議会のチェック機能>
 「平成28年度予算の概要」という資料が配られました。1ページ目に実にいい表が載っていました。平成18年度~平成28年度までの予算額の棒グラフです。作成した市議さんたちは予算肥大化にすくなからず問題意識があるようです。
 意見交換の時間が足りなかったので、質問を遠慮しましたので、ここに数字だけ書いておきます。

 年度 億円 万人
 H18  146   3.1
  H19  141   3.0
  H20  147   3.0
  H21  145   3.0
  H22  154   2.9
  H23  160   2.9
  H24  164   2.9
  H25  166
  H26  166
  H27  170
  H28  168   2.7 (4月1日)

 10年間で4000人減少しています。

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五年単位で人口減少をみると減少加速の様子がよくわかる。

 2000年 -1784人
 2005年 -1948人
 2010年 -2001人
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 この10年間で人口は13%減少したのに、予算額は15%も増加しています人口比で考えると、平成28年度の予算規模は、127億円が適正です。41億円も多い
 根室市の借金は減っていません。市税収入はわずか28億円程度です。民間企業経験の長かったわたしには絵に描いたような放漫予算に見えますが、市議さんたちにはそうは見えないのでしょうか?
 予算膨張に市議会のチェック機能が麻痺しているように見えますがいかが?

*根室市の人口推移表 「#2542 根室の人口:『広報ねむろ1月号』より Dec. 26, 2013」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-25

【社会保障・人口問題研究所推計データ】
2010年29,201年平均変化率 
2015年27,203-1.37  
2020年25,390-1.33  
2025年23,494-1.49  
2030年21,571-1.64  
2035年19,697-1.74  
2040年17,892-1.83  

 

<余談-2:更新されない市議会ホームページ>
 3つの常任委員会のメンバー変更が3月にあったようですが、ホームページがいまだに更新されないのはどういうわけでしょう?
 

*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14

 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-16

 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
  http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-28

  #2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29

 #2301 実録北方領土ビザなし訪問 :同行医師の記録 May 19, 2013 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-19

 #2585 北方領土の日: 現実的な四島返還構想 MIRV開発 Feb.7, 2014 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-07

 #2656 北方領土返還運動:おかしな「元島民」の定義  Apr. 23, 2014 
 
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#3141 日ロ外相会談:ロシアは領土交渉を拒否 Sep. 23, 2015 [21. 北方領土]

 ラズロフ・ロシア外相と岸田外相会談が開かれ、その後の記者会見で岸田外相は「領土交渉再会したいたしました。・・・有意義な会談ができました」としゃべったとたんに、隣にいたラズロフ・ロシア外相が「北方領土問題については協議すらしなかった、題目にも上がらなかった」とすかさず突っ込みを入れた。
 安保法制についても、自画自賛の岸田外相の説明に対し、「安全保障でブロック主義は時代遅れ」とこれもすぐに反論、岸田外相の面目丸つぶれ。
 会談後、握手を求めて立ち上がったラズロフに対して岸田は憮然とした表情で机の上に広げた書類を片付け続けた。ラズロフが立ったまま握手をまっていると、硬い表情のままようやく立ち上がり握手した。
 岸田が記者会見場で言ったことが本当なのか、ラズロフが言ったことが本当なのか、真偽は定かではないが、ラズロフの言ってことが本当だとしたら、岸田は日本国内向けにやってもいない領土交渉をしたかのように虚偽説明をしたことになる。

 朝日新聞とライブドアニュース記事のURLを貼り付けておく。
http://www.asahi.com/articles/ASH9Q10Z8H9PUTFK009.html

http://news.livedoor.com/article/detail/10622140/

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 ロシア訪問中の岸田文雄外相は21日午後(日本時間同日夜)、ロシアのラブロフ外相と会談した。会談後ラブロフ氏は「北方領土問題については協議しなかった。協議したのは、平和条約締結問題だ」と述べ、日本と北方領土交渉を行うことを拒否する姿勢を鮮明にした。

 ラブロフ氏は「ロシア側のアプローチは、日本が第2次大戦後の歴史の現実と国連憲章を受け入れることが問題の前進のために不可欠だということだ」と述べた。第2次大戦の結果、北方四島はロシアのものとなり、敗戦国の日本に異議を唱える資格はない、という強硬な主張だ。「平和条約交渉とは、領土問題をめぐる交渉のことだ」という日本の立場は否定したとみられる。・・・
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岸田文雄氏が日露外相会談に不満の表情 ラズロフ氏の握手を無視?
【モスクワ=仲川高志】2時間20分にわたり行われた21日の日露外相会談は、北方領土問題の解決に意欲的な安倍首相の意向を受けたものだ。
 ただ、プーチン大統領の「年内来日」実現と、それに伴う領土交渉の進展を優先した「見切り発車」の面もある。
 外相会談を受けた共同記者会見の終了後、岸田外相はロシア側への不満を態度と表情ににじませた。外交儀礼上、共同会見が終われば、両外相は握手して立ち去るのが通例だ。しかし、岸田氏は立って握手を待つラブロフ氏を無視するかのように、座ったまま書類を片づけ続けた。ようやく握手するまで、岸田氏の顔はぶぜんとしていた。
 「予想はしていたが、これほど厳しいとは」。外相同行筋は、ため息をついた。平和条約締結交渉の再開では合意にこぎ着けたものの、今後の領土交渉は難航が予想されるためだ。・・・
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 ロシアの基本的なスタンスは北方領土は先の戦争での戦利品、領土交渉はその事実を認めたあとの話。経済協力が先というスタンスを崩さない。

 ビザなし交流は意味があるのだろうか?

 敗戦時のドサクサに参戦してきて領土を奪った、それが戦後70年たっても変わらぬロスケの正体だ。本気で北方領土返還を願うなら、MIRVを開発して納沙布岬に10基並べて見せたらいい。尖閣列島にも同様に10基並べて中国への睨みとすればいい。彼らの領土拡張意欲を殺ぐにはそれくらいの覚悟がいる。
 2008年の弊ブログ記事#195に詳しく書いた。


 #2984 物言わぬ北方領土返還運動団体役員 Feb. 21, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-20

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*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組立・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
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#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
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 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
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 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
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 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
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 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
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 #2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012 
 
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 #2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
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  #2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
 
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 #2301 実録北方領土ビザなし訪問 :同行医師の記録 May 19, 2013 
 
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 #2585 北方領土の日: 現実的な四島返還構想 MIRV開発 Feb.7, 2014 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-07

 #2656 北方領土返還運動:おかしな「元島民」の定義  Apr. 23, 2014 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-23

 #2697 ロシアの東と西:北方領土とウクライナ June 3, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-03-1

 #3112 メドベージェフ首相択捉訪問と北方領土返還運動  Aug. 23, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-23


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