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#4042 道東のあるローカル企業創業社長の夜逃げ July 21, 2019 [8. 時事評論]

 今日(7/21)参議院議員選挙が行われた。前回を下回る低投票率で組織票がモノを言い、結果はいままで通りだ。一番大きい政党の「指示政党なし」が今回も動かなかったのは、受け皿がなく政治がつまらないからか。
 選挙速報はテレビに任せて、ローカルな話題を提供したい。

 道東にあるユニークな会社が2005年8月18日に設立されたのをご記憶の方がいるだろう。東京本社のK劇場銀行の役員待遇だった男が、事件を起こして依願退職し、地元に戻って独立・起業してつくった会社だった。わけあって、会社名は伏せておく。

 その会社の生産と営業活動の拠点は、北方領土海域での水産業を主軸とするという触れ込みだった。その方面では経営の腕がいいとはご本人の弁、我田引水ではあったが、可愛げがあるのでその言葉を信用してそこそこ社員が集まった。
 ところが8年たっても業績が振るわず、NHKを退職してオヤジの会社に入り仕事していたこのできのよい娘が会社を継ぐものだと思っていたら、娘は提携関係にあった東京本社の準大手企業M主商事へ2013年5月31日に転職した。鼻の利くオヤジは、転職させた企業が解散する前に見切りをつけて、人当たりのよい娘を最大手のAノミクス銀行へまた転職させた。娘可愛さの余りだろう、見ていて滑稽なくらい子煩悩だ。娘はかなり優秀でどの会社でも歓迎された。しかし、娘の活躍とは対照的にあいかわらずオヤジが旗揚げした会社は創業14年目に入っても業績不振にあえいでおり、ついに本人が夜逃げしてしまった。そのニュースがいま全国に流れているから、オヤジ(社長)の名を知らぬ者はいない。
 残された社員は右往左往している、もう、会社はない。根室営業所の社員たちはどうするのだろう?

 社員を置き去りにして夜逃げしたオヤジは、以前はK劇場銀行の役員待遇で大きな権限があったし、そこそこ人気があったから、人がついてきた。だが、いよいよ会社がつぶれるとなったら、なりふり構わず大阪の松井物産と交渉して、今日正式にその会社の幹部社員となったようだ。元社員たちからしたら、社長は夜逃げしたも同然である、卑怯者の誹りをまぬがれまい。
 いま路頭に迷っている元社員がかわいそうだ。オヤジを信じて担いできたのに、自分の身が危なくなったら、さっさと夜逃げしたのだから。
 元社員たちは、底抜けにお人好しなので、黙して根室営業所の後片付けをする。

 ことの顛末を見て、人間、信用がなによりも大事だとつくづく思った次第。死ぬべき時に死ぬ覚悟のない者がこれからどうなるのか、哀れとしか言いようがない。

 夜逃げ社長は1948年1月31日生まれ、苦労人である、そしてやり手ではあったが可愛げがあった。それだからこそ、もっと別の生き方、そして政治家いや実業家としての死にざまがあった気がする。胃癌を克服して長生きしたことが仇となったことになる。年齢が近いこともあり、そしてスキルス胃癌と巨大胃癌を併発して一度は死に損なったわたしには身につまされる。

 西郷隆盛のように、大将に担ぎあげられたら、兵とともに西南の役を戦い抜き、負けを悟ったら潔く死ぬ。西郷さんだからできるのであって、わたしのような凡人にはできない最後。でも、自ら負けを認め、会社を畳むことぐらいはできる。かの社長も潔く負けを認め、自ら会社を畳むことはできただろうに。
 兵を死地に置き去りにし、戦場から離脱して生きながらえてしまった。

 特攻隊による攻撃を提案して、海軍だけでも、とびっきり優秀な少年兵とベテランパイロット2900人を神風特攻隊と称して死地へ赴かせたあの大西中将と何ら変わるところがない。提案した本人はついに特攻機に搭乗することはなかった。十数年前に、大西中将の顕彰碑が計画されていると知って、特攻兵生き残りの市倉宏佑先生は心の底からお怒りになっていた。先生は同期の戦友たちが特攻機に搭乗するのを飛行場の縁路面で何度も何度も見送っている。生きていたらそれぞれの分野で日本を支える人材になっただろう若者たちが無惨に死を選択せざるを得なかった。飛べる飛行機がなく、順番待ちしているうちに敗戦となった。生き残った者の義務という気持ちで、晩年に『特攻の記録 縁路面に座って』の原稿を遺し、数人の弟子にその出版を託した。託された弟子の伊吹克己氏の好意で、弊ブログに遺稿の全文を載せてある。特攻とは実際どういうものだったのか、どのような訓練を受け、そしてどのような心情で飛び立っていったのか、先生が書き残した特攻に関する記録を、弊ブログカテゴリー『特攻の記録 縁路面に座って』にまとめてある。
 実際に特攻を命じた指揮官の中には宇垣中将のように約束通り敗戦の日に飛び立って米国軍艦めがけて突入を試み散華した者もいた。宇垣は軍令違反になるので単機で征(ゆ)くつもりだったが部下が十数機宇垣を一人で死なせまいと運命を共にした。それが日本人のこころだと思う。

 南洲翁が死して142年がたつが、いまだに彼をたたえる国民は多い。兵とともに戦って死んだからだ。「敬天愛人」は南洲翁遺訓の中にある言葉だ。天を敬い人を愛すか、人というのは自分ではなくて自分以外の人ということだ。社長の立場にあるならまずは社員である。「敬天愛人」の反対は「吐唾天愛己」、天に唾を吐いて己を愛す。

 さて、もはや老害となり果てた、あの中小企業のオヤジ殿はどういう言葉を残すのか。

*南洲翁遺訓 wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/南洲翁遺訓
**ジャンケン遊び
「いちけにかけてさんかけて、しかけてごかけて橋をかけ…」これは西郷隆盛の娘が墓参りに行くという童歌、小さい時に近所の女の子たちをやって遊んだ記憶がある。おふくろが子守歌代わりに唄ってくれたような気もする懐かしい響きのある歌。ユーチューブで見つけたのでURLを貼り付ける。西郷隆盛の鎮魂歌でもあるようだ。歌の最後に、西郷さんの幽霊が出てくるという不思議な歌。
https://www.youtube.com/watch?v=rnbguaKQTpo

*『特攻の記録 縁路面に座って』元特攻隊航空兵生き残り・哲学者市倉宏祐著
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306180343-1


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pon

大西中将は終戦の翌日自決しています。
by pon (2019-09-13 07:33) 

ebisu

ponさん

承知してます。
ご存じない方のために、大西瀧治郎の遺書が張り付けてあるサイトを紹介します。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/6_untiwar/onisi-isho.htm

市倉宏祐先生も、もちろん大西中将の遺書は読んでいます。そのことは『特攻の記録 縁路面に座って』にも書かれています。
2900人もの若い優秀な士官を「俺も後から征く」といって、特攻を命じた大西中将が自決というのは約束違反、その言を信じ切って恬淡と死地に赴いた兵士がたくさんいた。だが、大西中将はそうはしなかった。
「特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と世界人類の和平の為 最善を尽せよ」
遺書の最後のところで特攻を肯定しています。
バカげた作戦への反省が微塵もない。

市倉先生自身が、著書の中で言及しています。カテゴリー「特攻の記録 縁路面に座って」に全文転載してありますので、該当箇所をお読みいただけたら幸いです。
by ebisu (2019-09-13 08:27) 

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