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#4009 川崎・登戸児童ら殺傷事件 May 29, 2019 [8. 時事評論]

 ぞっとするような事件がまた起きた。川崎・登戸で児童ら18人が殺傷された。犯人(51歳)は犯行直後に自殺している。
*「川崎・登戸殺傷 児童ら18人襲われ小6女児と男性死亡 確保の男も死亡
https://mainichi.jp/articles/20190528/k00/00m/040/023000c

 登戸駅は大学のある向ケ丘遊園駅の一つ手前の駅であるから、なじみはあるが、一度しか下りたことがない。女房殿が5年ほど通ったプロ用のケーキ教室が登戸にある。いまでも東京へ戻ると顔を出すことがあるようだ。教室は事件現場が見下ろせるビルの3階にある。登戸までは自宅から直線で10㎞ほどしかないから、子どもがカリタスへ通学していたことのある知人もいるようだ。こういう事件はいつどこで起きても不思議でないから、孫がいれば心配になる。もっと安定した穏やかな経済社会であってほしい。

 ブログ「オータムリーフの部屋」さんが「拡大自殺」というタイトルでこの事件の分析をしているのでお読みいただけたら幸いである。
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100?fm=rss

 犯人の岩崎某氏は幼少期のころに両親の離婚で伯父さんの家に引き取られている。そこには実子が二人いたから複雑な事情があったのだろう。たいていは環境にめげずに真っすぐに生きるのだろうが、なかにはめげてしまう人間もいる。中高時代はちょっとしたことで切れやすい人間だったとは同級生の弁、情緒不安定なかかわりをもちたくない人間だったようで、テレビ報道によれば高校卒業後どこで何をしていたのか知っている同級生がいない。十代後半で伯父の家を出て、最近もどったらしい。こうした周辺の証言からは孤立した生活を送っていたことが窺い知れる。こころの暗部に妬(ねた)み嫉(そね)みを抱えて生きているうちに、それが次第に大きくなってどこかで制御不能になり押しつぶされたのだろう。
 中高生のときに生涯を通じて付き合える友達をつくっておくことは、その後の人生の岐路に、決定的な役割を果たすことがある。孤立してもまっすぐに生きぬける人はよほど強い人で稀(まれ)。ふつうの人は多少なりとも心にエゴという闇を抱えながら、なんとか折り合いをつけて生きている。

 昭和から平成となり、平成の30年間で経済格差が拡大し固定化した。大企業の取締役の報酬は3倍以上にもなったのに、従業員の人件費は増えていない。一人当たり実質賃金でもわずかしか伸びていない。最近数年間は実質賃金が減少している。格差が小さかった日本の経済社会だったが、平成の30年間でゆっくりそして大きく変化してしまった。
*「近年の経済成長率と賃金上昇率の動向 」
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000173082_1.pdf


 オータムリーフさんは一人住まいになった老人がしだいに追い詰められていく様子を年人受給額や生活保護基準を提示しながら丁寧に説明している。そういう老人が増えていけば中には拡大自殺するケースが増えることが懸念される。超高齢化社会を迎え、こういう事件が減らないことを示唆しているように読めた。
 令和の時代は老人の孤立化や生活困難化に有効な対策を見つけて実施できないと、都市部のあちこちに地雷が埋まっていていつだれが踏んづけるかわからないような地雷原の中で暮らすようなことになりそうである。
 日本の経済社会は幸福という点からは進歩しているのか、それとも退化しつつあるのか?
 わたしたちはどのような経済社会を理想として国家戦略を描くのか、あるいはどういう生き方を選ぶのかを考える岐路に立っている。

*拡大自殺…ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/拡大自殺

*「上場企業の平均年間給与、606万円で過去最高 18年決算 東京商工リサーチまとめ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45352250Y9A520C1EAF000/?n_cid=DSREA001&fbclid=IwAR3uAmn-OblF1e7tSoE_ma28BdbkjVTVuETCsuXCl6NrhRBANUm_JOcciXk


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tsuguo-kodera

 そうですか。登戸は1回ですか。私は思い出のある駅です。
 小田急の登戸駅は昔、稲田多摩川駅と言いました。向ヶ丘遊園ができた時、登戸駅だった隣の駅が向ケ丘遊園前になり、稲田多摩川が登戸に替わりました。南武線利用の通勤客が増え、乗り換えを間違えないためと思います。
 登戸は闇市があった町です。経済復興前、ジンキの悪い町でした。南武線界隈が発展し、新築の家やマンションが建ちました。
 富士通に就職し、蒲田と中原に通いました。10年です。独身時代は祖師谷か成城学園前から小田急。登戸で南武線に乗り換えました。結婚し、町田に住み、登戸が乗換駅。ですから10年少し、毎日2回乗り換えました。
 中の島駅は登戸の南武線駅から見えるほど近い駅。間にボート屋や古い料亭や食堂がありました。マンションときれいな食堂に変わりました。私も元気な時代、色々な思い出があります。
 それにつけても、親や伴侶が可哀そう。子供は痛かった、怖かった。子供こそ死が怖い。あな恐ろしや。
 日本中、町が綺麗になり、生活は豊かになり、心は劣化した70年。南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、南無大師金剛。
by tsuguo-kodera (2019-05-30 08:15) 

ebisu

koderaさん

向ヶ丘遊園駅が旧登戸駅だったのですか。登戸には陸軍研究所があったようですね。南部線の駅は稲田多摩川駅と言ったのですか。初耳です。
南武線に初めて乗ったときびっくりしました。東京の国鉄では一番使い古した電車を使ってました。床が板敷きでした。終点の川崎が工場地帯だったことも影響があったのかもしれません。
小寺さんは成城学園駅から南武線を利用していたことがあるのですか。わたしは大学に通うのに池袋と新宿駅で乗り換えて成城学園前を毎日通過していました。市倉宏祐先生が祖師ヶ谷大蔵にお住まいだったので、一度行ったことがあります。
町田にもお住まいでしたか、昭和43年ころは駅前に何もなかった。畑や林が広がっていてのどかな光景でした。1999年に横浜の病院の建て替えの仕事を頼まれて、1年半ほど横浜へ通っていました。
時期はズレていますが、通勤経路は交差していますね。(笑)
登戸に川魚やウナギを扱う料理屋やボート小屋があったのは記憶があります。
聖蹟桜ヶ丘駅も新原町田駅も登戸駅も新百合ヶ丘駅も当時とはまるで別のところのように変わってしまいました。
新宿から電車で多摩川を超えるとのどかな光景が広がっていました。京王線の聖蹟桜ヶ丘駅なんてビルはありませんでした。この50年間の東京とその周辺の変わりようはまことに目を見張るものがあります。

首都圏に住む人のこころが昔ののどかさを取り戻せるようなら満点どころか200点をつけたいくらいです。
by ebisu (2019-05-30 22:33) 

tsuguo-kodera

 本当に不思議です。生活圏が同じ時もあったとは、しかもバリバリやっていた時にクロスしていたとは。似た仕事観を感じている理由なのかと思った次第です。
 ついでながら、父は登戸の旧陸軍病院で息を引き取りました。冬は非常に寒く、夏は暑い病院でした。そこに入退院を繰り返していました。
 私が夏休みに奈良から家族旅行で帰りつつあるとき、父は自宅で肺炎になり緊急入院し、たった1日でおさらばだったそうです。家に着いたらお葬式、死に目にも会えなかったわけです。
 陸軍病院は生体解剖の部隊の先生がいたと噂がありました。病院には傷病兵で治療の甲斐もなく死んだ人がたくさんいたそうです。山のどこかがゴミ捨て場の様な埋葬場所だったとも噂がありました。今も人玉が飛ぶのかも。
 なお、大蔵の陸軍病院には自力で歩ける傷病兵が2キロ以上を行列で歩いていたそうです。父はここも長期入院になり、10年づつほど大蔵と登戸に入院しました。
 私は親不孝でしたが、奈良時代以外は週1ほど母に代わってお見舞いに行きました。
 今はその父のようにこの世とおさらばするのが私の希望です。子育ての最後のご奉公で。南無妙法蓮華経、南無大師金剛遍照。父は法華経、私は真言宗です。(笑)
by tsuguo-kodera (2019-05-31 08:00) 

ebisu

koderaさん

千葉にお住まいなので、地域ん経路は重複していないと思ってました。同じ線を利用して通勤・通学していた時期があるとはびっくりです。

お迎えが来たら、案外じたばたするのかもしれません。
「まだ死にとうない」
癌の手術の時に逝きかけましたので、死が実際にどういうものがわかり、不安がなくなりました。

by ebisu (2019-06-02 21:46) 

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