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#3999 サイクリング・シーズン到来:コース解説 May 18, 2019 [85.サイクリング]

 天気がいい、少し風が強い。2時ころサイクリングに出かけた。
 午後2時:気温15.1度、南南西の風11.5m

①サイクリングコース
SSCN2756.JPG

 緑色の左端が根室高校、まっすぐに行って、青とぶつかるところがT字路。緑の部分の往復が10.4㎞で昔の女子マラソンコースで根高グランドから計測するときっちり往復10㎞ある。これがサイクリングコースA。
 途中から青色で左に折れる点が高校前から2.6㎞、まっすぐにオホーツク海へ向かって最後の1/3が下り勾配、高低差35m、下り切ったところで左に曲がりながら150度右折して海岸通りへ出たところが高校前から4.8㎞、そこから東へオホーツク海沿いの海岸通りを2.7km走ったところで右折、この分岐点が高校前から7.5㎞地点。ここから原野へ登り勾配、高低差35m。根室高校から牧の内T字路まで10.8km、このオホーツク海周りコースがサイクリングコースB、16㎞ある。途中に交通信号はない。
 青で囲まれたところに根室市の水源と牧の内ダムがあります。原野の中の水源ですから、周囲の牧場から雨水が流れ込みます。幅200mくらいのミズナラの森林帯で囲めば水質はずいぶんよくなるのでしょう。溜水ですから、川の水や地下水と違ってミネラル分が極端に少ない。日常飲用する水道水は水質は根室っ子の健康や体質に影響しているはず。水から摂取する分も食物で摂るしかありません。
  摩周の水が落石の浜町海岸駐車公園まで来ている、広場に水道の栓があったがまだあるかな。
 厚床から別海町へ向かって走り、信号を左折すると「奥行駐車場」があるが、そこにも水道栓がある。別海町の水道は地下水だから水質がいい。ここを通るときに水を汲んでいる。

*ミネラル欠乏症、ミネラル不足摂取による症状と健康影響
http://mineral.e840.net/m180000.html

*地図を拡大表示してみたい人へ
 画面の表示サイズは自在に拡大・縮小できます。画像だけでなく、文字も同時に大きくなったり小さくなったりします。Ctrlキーを押しながら「+」キーを押すとその都度拡大されます。Ctrlキーを押しながら「-」キーを押すと、縮小されます。

 Bコース左回り、高校前から牧の内を2.6㎞走って左折、オホーツク海へまっしぐら。ケキョケキョと鶯が啼いていた。
オホーツク海沿いの道路まで2.2㎞で途中から下りなのだが、時速50㎞に届かない、ここは向かい風だ。南南西の風なのに、どうしてここだけ北風なんだと頭の中は???、必死に漕ぐが最高時速は48.1㎞、あきらめて漕ぐのをやめた。ここまで平均時速26.8㎞。海岸沿いに2.7㎞走る、軽快に風を切る。牧の内へ左折するところまで平均時速は26.9㎞をキープ、そこからは登り坂だから、スタミナ切れ。そのあとの3.3㎞はだらだら走る。T字路まで来て根室高校方向へ右折。角の牧場が畑を耕していた。前方500mほど先をロードバイクが走っているのが見えたが、なかなか追いつけない。必死に漕いで、根室高校前で100mくらいまで距離が縮まった。17kmで平均時速20.5km。
 自衛隊分屯地を一周して今日のサイクリング終了。走行距離23km、最後の追いかけっこがきつかった。家についたらお風呂にはいって汗を流した。好い休日だ。

 累計走行距離4965㎞

 あと35㎞で5000㎞になる。
 このロードバイクに乗ってから1万キロは走っている。

②愛車
SSCN2707.JPG
 オヤジが癌で亡くなったのが平成5年9月、その数年前に買って乗っていたのがこのミヤタ製のカーボンファイバーフレームのロードバイク。ふだんは別のロードバイク(以下、RBと略記)に乗っていた。一輪車も乗っていた、体協の指導員の資格をとって根室の子どもたちに教えていた。40-50歳のあたりの人は一輪車乗りのオヤジに習った人がいるだろう。このロードバイクはオヤジが亡くなって数年間納戸に吊り下げて飾ってあった。自転車はわたしも好きだから、愛用している。かれこれ30年以上の「老朽車」であるが、手入れして乗っているから、新品同然だ。(笑)
 オヤジが普段乗っていたもう一台の白いロードバイクは姪っ子が数年乗っていたが、2度盗まれて一度は戻ってきたが、2度目は戻ってこなかった。お陰で、足が長くてスタイルのよい姪っ子は自転車でケガをすることがなかった。(笑)
 もう1台自転車がある。マウンテンバイク(MTBと略記)でこれもミヤタ製、前輪にサスペンションがついているから、25㎝の高さの縁石なら、そのまま飛び降りてなんともない。街乗りならこちらの方が運転しやすい。タイヤ幅が5.5㎝あるから、クッションが利いて乗り心地はRBよりもずっとよい。乱暴に乗り回してもいいように頑丈にできているから、好いところばかりではない。14㎏あっておまけにタイヤの幅が2倍もあるから路面との摩擦が大きくペダルが重いのが欠点だ。ブレーキがいつでもがっちり利くから急停車しても転倒しずらい。ただし、お尻をサドルから外して後輪すれすれまで落とさないと、ブレーキが利きすぎて後輪が浮き上がり前輪を中心に1回転してしまう。T字路の突き当りで、右折してくる車が斜め横断してきて進路をふさがれて急ブレーキをかけ、きれいに宙を舞ったことがある。とっさに頭を中に入れて受け身をとったが、25㎝の高さの縁石に左大腿部を打ち付けてしまった。みるみる腫れてきて、ズボンがパンパンになったが、骨折はなかった。痛かった。ふだん運転しない高齢の女性ドライバーが無茶な運転するので、休日のチャリンコの街乗りは危険である。あれから安全ののりしろを大きくとるような乗り方になった。痛い思いをして学んだ。(笑)

③根室半島東部白地図1/25000
SSCN2755.JPG

 左の黒の濃い部分が根室市街地、上がオホーツク海、下側が太平洋、右端が納沙布岬です。


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tsuguo-kodera

 無駄な活動を70年している人はそれがお金になるからでしょう。仕方ない。結局、道民がさせているのです。ましな人を代議士に選んでいたら良かったのに。国からお金を頂くことを考えているから北海道の国鉄が潰れ、どんどんJRの路線が消えてゆく。夕張も同じ。
 発言者の代議士先生もアホですね。日本語が下手なのです。同じことをもっとストレートに言えばよい。しかし、それにはコミュニケーション能力が必須です。この人も代議士も東大卒もアホだという私の論の事例です。
 さて、余談です。最近、バドのブログで野球を書きました。学校教育とプロ野球の監督は同じ要求条件だと気が付いて、次の回で終わります。野球を書いて、いよいよ書くことが無くなりました。
 所で最近楽しいことがありました。待つ手の部下の中で一番阿保と2番目の阿保は大金持ちで悠々自適していました。フルマラソンをホノルルやスペインで走っています。私より1周り若いのにです。この二人は私の指導を感謝しています。
 彼らの話では、私の部下だった東大卒も京大卒も理科大も定年までいても、独立してもダメでした。私が足を引っ張ったと思っているようです。私は何もしていません。したいということをさせてやるように、温室を作っていただけです。それが私が受けた成城学園の理念だからです。
 超優秀な改正性の会員も温室で育っていました。今は年収3000万円。数名います。ですから、教育は間が難しいとわかりました。くだらない話が長くなり、失礼しました。
by tsuguo-kodera (2019-05-18 19:06) 

ebisu

koderaさん

丸山穂高議員は東大経済学部卒ですが、世慣れていないですね、まるで子どもです。精神的には児童レベル。
koderaさんは東大工学部、同大学院卒ですが、ひょうひょうと生きてこられたように見えます。

かつての部下の方、それも大会社の中では芽がでなかったお二人が、独立してから大当たり、わからぬものです。会社を途中で退職しなければ運は開けなかったが、みごとに切り拓いてしまった。

私の周りにも数人そういう人がいます。
筆頭にあげたいのは会社を辞めて起業して、一度は大失敗、2度目に大成功。その会社はあっというまに一部上場企業になっています。今を時めく医療分野のベンチャーでは日本一の超有名企業。k田さんです。

二人目はS藤君。会社を辞めて、日本で最初の臨床栄養学でドクターの学位をとって、起業した男。会社を興しただけでなく、臨床栄養学の協会も作って理事長におさまっていましたが、一昨年亡くなりました。SRLのときに2度一緒に仕事して、起業も少し手伝いました。弟のような奴でした。

三人目はわたしが経営管理部を離れると上司が嫌いですぐにやめて転職したO島君、転職した会社が上場して40歳くらいで取締役。あれから20年以上たちますが多分現役でしょう。

四人目はSRLに1年ほど先に入社していたH本さん。60前にSRLをやめて、会社上場の仕事をしてました。上場と同時に監査役に就任、いまも現役です。わたしと同じ年齢。

その会社にいても目がでない人はドンドンやめて独立あるいは転職したらいい。ただし、仕事の能力の高い人だけ。メッキはすぐにはげますから。
大会社では、一流大卒が出世には圧倒的に有利ですが、一流大学を出たことと仕事の能力は別物なのでしょう。

一人忘れていました、加藤ゴメン。
学生運動が激しくて東大入試がなかった年が1度ありました。かれはその年に受験、しかたなく中央大学法学部へ進学しました。SRLでは1か月違いの入社。数年後に健康関連ビジネスで独立起業。軌道に乗り始めたときに、突然病に倒れました。4月の下旬に電話で声がおかしいので、訊くと微熱があるというので、癌かもしれない、若いから助からない可能性が強いとまで言い、検査を勧めました。胸部の癌でした、すでに末期、東北の会社へ役員出向が決まったときでした。暑中見舞いが来ました。「余命3か月、本人いたって痛み無し」と葉書に書いてありました。癌だったら入院するな、自宅療養しろとまで電話で言っていたのは何だったのでしょう。まるで起きることが全部分かっていたかのようでした。3度自宅に見まい、その都度将棋指して遊びました。4か月目に逝きました。
3月にSRLをやめて社長に就任してほしいと頼まれましたが、やりたいことがあったので断りました。彼はすぐに営業権を3人に有償譲渡して仕事から手を引きました。その直後の発病でした。2歳年下、43歳で逝ってしまいました。あいつも弟のような存在でした。よくなついていたのです。
おくさんが医者ではありませんが東大理Ⅲ卒でした。外資のファッション企業の化粧品部門の開発部長をしてました、元気にやっているかな。

人生とは不思議なものですね。
by ebisu (2019-05-19 00:33) 

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