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#2254 『漫言翁 福沢諭吉・・・』 (3) Apr. 2, 2013 [44. 本を読む]

 Eさんは著作『漫言翁』を材料にした講演会を福沢諭吉協会から依頼され、それは3月下旬に開かれた。
 聴きにいけない私へ講演会原稿をメールで送ってくれた。そのメールへの返信に修正・加筆しブログへアップする。

 『学問のススメ』の著者であり、新聞に固い論説を書いていた福澤諭吉がからかい・おふざけを交えた時事評論コラム「漫言」で何をしようとしていたのか、著者は斬新な問題意識で「假説⇒検証」をやってみせてくれている。

 江戸・明治・大正・昭和・平成と日本はその底流に変わらぬ「文化」を受け継いでおり、福澤諭吉に関する論考が案外現代的な問題提起にもなっていることに鈍いわたしもようやく気がついたしだい。哲学の素地のある著者は問題意識がユニークでじつに面白いのである。

 

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『漫言翁』のダイジェスト版ともいえる講演会原稿、たのしく読みました。

時事新報という新聞で「論説」と「漫言」の役割分担を考えついたとしても、やってのけるのは至難の技ですね。検閲逃れの手段と「論説」の読者層とは違ったごく普通の国民の啓蒙の必要を福沢が感じたのでしょうね。笑いとジョークを織り交ぜ、ときに随所で意味不明な語をさしはさみ、話しをはぐらかしながら変化球を投げるとなると「作文」の難易度が上がります。わけのわからぬ文を意識的に混ぜ書きするのも案外むずかしいものです。論理的で明晰な文章を書きなれた福沢には至難のことだったのではないかと推測します。だから「下稽古」が必要だった、いきなり「漫言」コラム執筆は無理でしょう。

 

 著者は「なぜか」という問を次々に立て、さまざまな引用を積み重ねつつ話しを進めています。資料を読み込み(分析)最初の仮説P1を立てる。それをさまざまな資料で論証していくと假説P1が深化して假説P2が生まれる。そうした假説と論証をいくつか積み重ねた結果ある結論に至る。

 『漫言翁』では、インテリの論が庶民へは届いていないこと、文明化を進めるためには庶民の啓蒙こそが鍵であること、その問に対する福沢諭吉の答えが時事新報での17年間311本の漫言コラムであったということでしょうか。

今年2月に出版された『百%の真善美 ソクラテス裁判をめぐって』でもそうでした。『明治廿五年九月のほととぎす』でも随所にそうした問いがみられます。そこが読んで楽しくさせてくれるポイントになっているのではないでしょうか。

学校からの帰り道、小さな池によってミズスマシをみたり、ゲンゴロウやおたまじゃくしをみつけて遊んだり、結局は家に帰るのですが、友達と道草を食う一つ一つがたのしい、そういう趣があるのがあなたの文かもしれませんね。だから、ダイジェストを読むよりも著作を読むほうがずっと面白いのです。「次の道草はどこ?」、そういう思いで読んでいました。

あなたのやり方に従ってわたしも論拠を二つ挙げます。『明治廿五年九月のほととぎす』には「第1章 子規の旅立ち」「(四)明治日本と世界―文明開化の精神「数・科学的思考法」」と「(五)文明開化の母体Ⅰ―長崎海軍伝習所時代の勝麟太郎」の節に福沢諭吉の話しが出てきます。「第二章ラフカディオハーンのみた日本」も現代の教育論にも通ずる問題が提起されており、たいへん面白い「道草」となっています。

資料に眼を通しながら分析し、ある假説がひらめいてさらに読む資料の範囲を広げて仮説を論証していく。これは民間企業でさまざまな仕事をしてきた私の仕事のやり方にも通ずるものがあるので、共感をもってあなたの著作物を読むことができます。

おそらくは若い頃に哲学を学んだのが、思考の鋳型になっているのはないでしょうか。そこが他の福沢研究家との違いであり、堅苦しくない楽しさかもしれません。

 

 ダイジェストは寄り道がありませんから主張がストレートで分かりやすいのはメリットです。
 定量的な分析に言及した箇所がありますが、M15年からM31年まで17年間で「漫言」311本のうち201本がM20年までの6年間に書かれていますが、さて、初年度100本のうち、下書きされていたのはどれくらいあるのでしょうね。

 

当て推量なのですが、せいぜい30本ではないでしょうか?著作ではごく普通の政治とは無縁の生活をしている国民という「かゆいところ」に手が届かぬもどかしさを感じていた福沢が、漫言というコラムへ啓蒙活動の場を広げた。福沢が書いた本は読まずとも、新聞の言いたい放題のコラムを読む国民は多いし、巷の話柄にも取り上げられて広がりやすい。福沢はセンスのよさでも群を抜いていた。

 

 わたしはブログを書き始めて55ヶ月目ですが、当初問題にとりあげていた市立病院建て替え問題は、1月末に建て替えが終わり、新しい建物での診療が始まりました。教育問題は相変わらずですが、「釧路の教育を考える会」のメンバーとして志を同じくする仲間ができただけでなく、そこを通じて基礎学力問題に取り組む学校の先生たちにもゆるいつながりができました。

 

 こういう風に平成ですら6年たつと世の中の状況が変化する、明治のほうが比べものにならないくらい状況の変化はダイナミックだったでしょう。そう考えると、6年過ぎたあたりからは、当初の国民の啓蒙という役割が小さくなったので、「漫言」の本数が減少したのではないかとも考えられます。M25年には子規が新聞のコラムに時事俳句を載せ始めます。福沢には隔世の感があったでしょうね。

漫言を始めて、10年後に子規が帝国大学を退学し新日本新聞社の記者として記事を書き始めるM25年は「勝海舟69歳、福沢諭吉57歳、子規25歳」と、Eさんは著名な人名リスト(年齢)を数十名挙げています。

 

『福翁自伝』で適塾時代の福沢のオランダ語や英語の学び方をみると、若い頃の私たちに似たところがあります。寝ても醒めても時間を惜しんで徹底的に勉強する福沢に親近感がもてます。

Eさんが書いていますが、子規は初めて学校教育で自然科学、とくに数学を学んだ世代。福沢の父は勘定方の役人でありながら、武士の子どもが数に関して学ぶことを嫌い、福沢の兄が私塾で数の学問を習い始めたことを激怒して辞めさせています。漱石も物理学の理解力が相当なものだったことは、寺田寅彦が『虞美人草』を引いて解説しているのをあなたの本の中に見つけることができます。もちろん、子規も写実主義を徹底していく中で、自然観察を深めると生命の神秘が理解できそうだと言及していました。文人と数学や物理学やその他の自然科学、それらと西欧流の自由と平等精神には深い関連があるとEさんは何度も言及していました。明治という時代にこうしたことに気づいていた人たちがいた。

 

M25年の翌年から子規が日本新聞社に俳句を載せることになるのでしょうが、それを福沢が見て、新聞における自分の役割が小さくなったことを感じたのではないでしょうか。時代が変わってしまった。

 「福沢の 「漫言」 はお上の言うこと、為すことに無関心を決め込んできた民衆に対して国の進路についての消息を伝えるとともに、民衆の側にもそうした態度に反省を促すものでなければならない。」13ページ 

明治期ですら時代が変わったと感じるのに、相変わらず日本は何も変わっちゃいないと感じさせるのがこの箇所です。

根室市を例にとりますが、戦後60年を経過しても旧弊と呼べる悪しき構造は世代を超えてそのまま受け継がれています。一般市民は明治時代の庶民と同様にいまも物を言わない。わずかな数の有力者達が市政と結託して自分の企業へやりたい放題とも言える利益誘導、市政をチェックすべき市議会すら物が言えないありさま。問題だらけの市側提出の予算案にすら市議は誰一人として否決票を投じません。

 そして、じつはこの変わらないという状況こそが問題なのであった。福沢はこの 「漫言」 では確かに庶民の無知を揶揄している。揶揄はしているが、じつは同時に政治や経済、あるいは外交や軍事等の問題に偉そうな大言壮語を発している明治政府の官吏や各界のエリートたち、さらには過激な論に走りがちな民権論者たちに対しても警告を発しているのである。」 「お前さん方は一体、誰に向かって話してるんだえ。日本人のほとんどは、お前さん方が何の話をしてるのか分ってないというのに、いい気なもんだ。日本という国を支えているのは一体だれだと思っている。地面を這いずりまわるようにして生きているこの庶民だろ。それをこんな状態のままにしておいて、それで済むと思っているのかえ」  

福沢が漫言を書いた明治の頃と社会の根っこの部分は案外変わっていないようです。わたしは根室の旧弊を相手にしていると思っていましたが、そうではなくてそれは日本社会の根っこの部分にかかわる問題で、百年に二百年いや千年かかる社会とか文化の土台にかかわるものなのかもしれません。

権力を握っている者たちの倫理レベルの問題になるのでしょうが、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を旨として考え行動すれば自ずと解決するように思えますが、浮利を追うのが人間の性であるからこそ、こういう商道徳が唱導され守られてきたのでしょう。現実の経済社会は明暗ともに存在しています。

 
「その意味で、笑いを表看板にした 「漫言」 とは、支配する側とされる側との間に長年横たわっていた溝に橋渡しして、文明の道に国を進めようという福沢の試みであり、笑いはその秘密兵器ともいうべきものなのであったと私には思えるのである。」 

世界第3位の経済大国にはなりましたが、支配する側と支配される側との溝、コミュニケーション・ギャップは相変わらず埋まっていません。インターネットというツールのある平成のいま30代の福沢諭吉が現れたら何を始めるのでしょう?

 
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漫言翁 福沢諭吉―時事新報コラムに見る明治

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明治廿五年九月のほととぎす―子規見参

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百%の真善美―ソクラテス裁判をめぐって

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*#2006 Eさんの新刊書『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 July 10, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-10

 #2044 『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 (2)  Aug. 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-08


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