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#1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012 [62. 授業風景]

 茅ヶ崎の友人からメールが届いた。#1810を読んで、団塊世代が中高生だった頃を思い出し、現在の中高生と比較分析してくれた。
 ブログでアップした記事を材料にして旧友とコラボレーションが成立してしまう、阿吽の呼吸が楽しい。
 極端な論は物事の本質をあらわにしてくれるものである。彼の専門は西洋哲学だが、私はそうした方法論をマルクスの著作物で学んだ。彼の論は物事の本質をあらわにし、それぞれ論拠を提示してみせてくれている。こうした論の進め方自体が中高大学生には参考になるだろう。

 団塊世代が受けた「這い上がって来い、自力で這い上がってくるなら、手助けのしようもあるという教育と、子どもはみんな宝物だから「大切に育てよう」という教育では180度方向が違う。彼の論を読み、戦後わずか60年で教育のありようが正反対になってしまったことに気づかされた。ここにものごとを大きくみる俯瞰の大切さを読み取る人もいるだろう。虫の眼だけではものごとの大局をとらえられず道に迷うことになる。
 子どもが溢れていた団塊世代の子ども時代と少子化のいま、時代状況の違いが教育に如実に現れているのだろう。日本の伝統的な教育は「自力で這い上がって来い、自力で這い上がってくるなら、手助けのしようもある」であり、「大切に育てよう」は教育としては間違っているというのが彼の意見である。
 
 視点が斬新なので根室の小中高の学校の先生たち、生徒たち、父母のみなさんにぜひ読んでもらいたい。
 ただし、多少の毒があるから、毒気に当たって倒れるような人はここまでにしておいたほうがいい。
 
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「授業風景」読みました。
私も時々、多少のつきあいのある親御さんから受験生を見てくれと頼まれて、
ここ10年ほど中高生を何人か見ているので、このシリーズは毎回興味深く読んでいます。

茅ヶ崎と根室では随分と離れており、また背景となる地域的な風土も異なるのですが、学校教育のかかえる問題という点では、共通するものが多々あるようですね。
学校教育の話になると、どうしても自分たちの中学・高校時代と比較してしまうのですが、団塊の世代も還暦を超えた今、戦後教育という生体実験の材料となった我々が抱く感慨は善くも悪くも、今後の反省材料となるように思います。 
そして団塊の世代というのは、過去何千年もの日本の歴史において平均的な能力が最も高く、したがって国際競争の場に投げ込まれても唯一、ヒケを取らずに対等に戦えた稀有の世代でした
現在、ノーベル賞のような国際的な賞を当り前のようにして受賞している*のが、その証拠です。
とはいえ、こういう章を受賞しても当り前と思うような時代が今後も続くのかといえば、今の50歳代中頃の世代までは受賞できるだろうけれども、その下の世代は怪しいでしょうね。

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残念ながら、団塊世代のノーベル賞受賞者はいません。1945年生まれから1953年生まれまではノーベル賞受賞者が出ていません。数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞者に1951年生まれの森重文がいます。
このサイトにノーベル賞受賞者のリストがあります。2018/6/6追記。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-5851.html

 わたしは1949年生まれ、遠藤さんは1950年生まれである。世間では47-49年の三年間に生まれた者たちを団塊世代と呼ぶが、どうやら遠藤さんも私も、「世代」とついているので漠然ともっと広く考えていたようだ。認識不足があったことは記しておかねばならない。
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何が違うのか。
質量ともに英数の勉強時間が我々の時代の半分以下という物理的な制約はもちろんですが、それ以前に教師と親の子供に対する基本姿勢が全く違ってしまったのも大きな要因だと思います。
まず子供に対する基本的な姿勢ですが、現在ではいつの間にか御伽話じみた説が主流となり、<どんな子供も天才である>ということで、まるで<宝物>に接するようになってしまいました。

これはおそらく、最初は出版社がベストセラーをでっち上げるために言い出したことなのでしょうが、我々の世代が子供の頃、毎日のように言われていた<子供等は野良犬、野良猫、ジャリ石の類でその中から自力でまともな人間へと這い上がった者を拾い上げればよい>という実に野蛮な、それでいて実に健全な見方、子供への接し方をなくしてしまいました
「這い上がって来い、自力で這い上がってくるなら、手助けのしようもある」というのが我々の時代の学校教育だった。
つまり、我々の大多数は子供の頃、バカ、できそこないの扱いを受けており、またそれが当り前で、人並みの生活をしたいのなら、各人の努力で自力で這い上がれという環境で育ったのでした。

もちろんこれは我々の親達の世代が考え出したことなのではなく、積年の日本の貧困から生れたどうにもあがきようのない環境なのですが、実はこれが健全だったというのは、日本が産業という場で、つまり知的レベルでの国際競争の場に入ったとき、その場へといきなり放り込まれた我々の世代が案外と何とか工夫して自力で這い上るという底力をつけていたことでもわかります。
私が海外で若い連中をこき使った時も、野良犬、野良猫扱いされて育った後進国出身の若者の方が頭脳にスタミナがあり、工夫の才も発揮するので相手にしていて面白かったのを覚えています。
団塊の世代が身に着けていた国際的競争力というのは、きっとこんな所から生れたのでしょうね。

もう一点は中学や高校教師の授業の仕方です。
私が見ている中高生は少ないので一般化できるかどうかは怪しいのですが、中学や高校教師の中には補助教材と称する自作プリントをつくることにかまけて専門的な努力を怠ける教師が非常に多いようです
それも教科書準拠の参考書をまる写ししたものだとか、あるいは百科事典の項目を丸ごと大量に写して重要な術語を空欄にしただけというような、全くオリジナリティのないプリントを大量に作っているのです。
そんなものを作る時間があるなら、専門書や原書を一冊でも多く読むのが専門職の義務だと思うのですが、部活に精を出す教師と同じで、そちらの方には目が向いているとは思えません

おそらく専門的な勉強が好きではないのでしょう。
ですから教科書のレベルに追いつくのがやっとで、それでプリント作りに四苦八苦なのです。
四苦八苦すれば、授業準備に精を出したという自己満足を得られ、給料相応の仕事をしたと思えるのでしょう

何故こんなことを言うかといえば、新卒社員や大学生にレポートや調査を課したときの反応がよく似ているのです。
黙っていると、「参考資料みたいなものは貰えますか」と聞いてくる新卒社員や学生が必ずいます。
それで、「どうすればよいのか自分で調べろ。それが調査や勉強の第一歩だ」と言うと、「そんなこと初めて聞いた」という顔をする新卒や学生が結構多いので話を聞いてみると、全国どこの学校でもプリントみたいなものが用意されていて、それを見て答えるだけという授業や講義を受けているので、たとえば、かなり名の通った優秀な学校出なのに、パリやロンドン、ベルリンの位置が分らないだとか、漢和辞典を引いたことがないから読み方がわからないだとか、呆れかえるような話が続出するのです。

我々の世代は貧乏国の貧書生だったので随分と乱暴もしましたが、それでも自力ということを叩き込まれていたわけで、それで教師のレベルも何となく予想がついて、立派な見識を備えた教師には礼を失せずに殊勝な態度で話を聞きました。
そのかわり、コケおどしの教師と思ったら徹底的に馬鹿にして、クラス全員で授業放棄するなどをやった覚えもありますが、それも、「自力で調べろ、自力で這い上れ、お前等にかまけてるヒマはない。脱落しようがしまいが、お前等の勝手だ」と
今から思えば随分と冷たい扱いを受けていましたから、自然と人をみる目も育っていたのでしょう

こうしてみると、今の学校教育は大学も含めて大量に「バカ殿様」「バカ姫様」ばかりを輩出しているようですね。
これでは国際的競争力など維持できるはずもなく、戦後ようやくこの国がつかんだ繁栄も「つはものどもの夢の跡」のようで
なんとも哀しい話なのですが、これからはやはりショック療法みたいなものが必要なのかも知れません。
たとえば、「勉強が嫌いだ、やる気にならない」という中高生には、「サッサとやめて働け。そのかわりお前等に出来る仕事は、男なら道路工事、女なら風俗産業、それもダメならホームレスだ。勉強したい人間は、東南アジアやアフリカにわんさといる」とその親子に将来をハッキリ通告してやめさせてしまう位の覚悟と見識が教師の側にも必要ではないでしょうか。
2、3年して、やはり勉強したいといってきたら、そのときにあらためて受け入れてやればよいのです

今、この国は人口減少、経済の縮小、産業構造の転換期を迎えていて、これは貧困化への道かもしれないのですから、現在の繁栄レベルを維持しようと思うなら、当然それ相応の貢献が各人に求められているわけです。
そんなときに我々、生体実験の材料とされた団塊の世代が言えることは、もう一度<野良犬、野良猫、ジャリ石扱いに甘んじよ、そこから自力で這い上がれ>と叫ぶくらいのことしかないのかもしれませんね。
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 中高の先生たちはもっと原書や専門書を読めという警告はもっともだ。教えるということは自らも学ぶということ、教育のプロであるにも関わらず、自分が勉強しないで教壇に立つのは下の下の所業。プロなら恥ずかしいという気持ちをもつべきだ。
 正直に誠実にそして一心不乱に仕事をするのがいつの時代も変わらぬプロの姿だ


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*#1810 「悩み」 Jan. 22, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-22

 #1820 「学力低下、何が起きているのか?」 Jan. 29, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-29


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Hirosuke

茅ヶ崎の方に「超ナイス」とお伝えくださいませ。

神奈川県立YAMATO高校19期生より

by Hirosuke (2012-01-31 12:25) 

ebisu

こんにちわ。
茅ヶ崎の友人には、たぶんコメントを書き込んでくれた時点で伝わっています。

本欄には書きませんでしたが『明治廿五年九月のほととぎす』の著者です。
by ebisu (2012-01-31 12:32) 

miopapa

>団塊世代が受けた
>「這い上がって来い、自力で這い上がってくるなら、手助け>のしようもある」という教育と、子どもはみんな宝物だから「大>切に育てよう」という教育では180度方向が違う。
    ・
    ・
    ・  
>日本の伝統的な教育は「自力で這い上がって来い、自力で>這い上がってくるなら、手助けのしようもある」であり、「大切>に育てよう」は教育としては間違っているというのが彼の意>見である。

私は、教職についているわけでも、その為の専門的な勉強をしてきたわけでもありませんが、自分の娘の周りも含め、受傷後
たまたま声をかけて頂き、専門学校や大学で、福祉系と支援技術系の授業をここ数年12コマ程持たせてもらっていますが、
その中で、いつも感じていたこと=奮起して欲しくて少し強く言ったり、注意をするだけで、向かってくるどころか落ち込んでしまう・・・、そんな若い子達、勿論私達に無い良さも沢山持っているし、いるはずなのに・・・、
そんな苦い思いと失敗を、今のごとの中でも感じ繰り返している私には、言葉は悪いかもしれませんが、
何だか救われホッとする様な、自分の間違ってなかった?確証の様なものさえ感じさせてもらえ、本当にありがとうございます。
でも、こうした傾向はこれからももっともっと進むのかもしれませんし、
今回ご指摘頂いている事ように、もっともっと色々な社会の進化? 生産性や目の先の便利さ、経済的な豊かさだけを王が上での要因?影響もある様に思えるのですが、いったい何が原因? 影響をしていて、どうすれば直せるるのでしょうネ?
阪神や東日本等の震災時に、私達に無いVS精神を発揮する若者達に驚く感激する反面、今回の書き込みの様な面から、時として日本の先行きに、生意気ですがフト不安さえ感じる時が・・・



by miopapa (2012-01-31 20:44) 

NO NAME

はじめまして。
いつもブログを読んでいます。
私は20代後半の若者なので
色々と参考にさせていただいてます。

この件について、ちょっと?が付いたので
一言だけ述べさせてください。

一言…過去の価値観を美化しすぎてませんか?

団塊世代が辛い時代を勝ち抜いて今の世の中を形成したのは
言うまでもないですが、
団塊がずば抜けてすごいとは言えないと思います。
しかし…あなたがたが作った社会の結果、厳しい雇用情勢と社会事情の変化の中、
今の若者がどれだけ苦しい思いをして生きているか。分かっているのかな?ということです。
ネカフェ難民。非正規社員の若年層の割合。生活保護の若年層の急上昇。これが団塊世代が作り上げた社会の結果ですよ。
by NO NAME (2012-01-31 21:16) 

ZAPPER

素晴らしい記事に、ウンウンと頷きながら拝読させていただきました。ありがとうございます。でも私は、NO NAMEの20代後半の若者さんの肩を持ちたいと思います。(記事への反論という意味ではありません)

そう。
「では、勉強をするためのモチベーションは?」「(幻影であったとしても)夢と希望に満ち溢れた、将来のビジョンは?」それが現在の日本社会には実に実に希薄です。反対に、寄れば触れば大人達のネガティブな怪談話ばかり。

右を見ても左を見ても、ため息交じりの暗い話ばかり。彼ら彼女らは、生れてからずっとそうした話ばかりを聞かされ続けて大きくなった。確かに、今の若者は打たれ弱いかも知れません。学力的な部分では、上の世代に太刀打ちできないかも。しかし、上の世代よりも遥かに厳しい社会を逞しく生き抜いているし、また、そうせざるを得ません。

時代。豊かさ。グローバル化。モノ余りと飽食。利便さの追求の反動。色々な要因があるでしょうけれど、私は私教育の世界に身を置いているので、「公教育」の重要性にこだわり続け、そこから岩戸をこじ開けるのが自身のなすことだと思っています。また、それしかできませんし…。

NO NAMEの20代後半の若者さん。もうすぐ45歳のおじさんは、応援しているよ!だって、ホントに俺らはしょーもない世代だもん。下の世代に偉そうなことを言えないほどにね。だから、ハンディを背負わされているあなた方を、応援していますよ。
by ZAPPER (2012-01-31 22:29) 

ebisu

miopapaさんへ

大学生や専門学校生の平均的な学力が落ちていることは事実です。意欲も同じです。
前者については、大学で高校の勉強のやり直しをするところが増えています。そうしないと講義が理解できないからです。

私の母校(根室高校)をみるとその辺りの変化がよくわかります。数学も英語も宿題が毎週出されています。宿題を課さないと勉強しないのです。言われなければやらない人間をせっせと育てています。
なぜそういうことが起きているのかは、一つはハッキリしています。土曜日を休みにしたので、学校での授業時間数が減って学力低下が起きたからです。

団塊世代の私たちは高校で宿題などあった記憶がありません。勉強は基本的に自主的にするものでした。
社会に出てからも同じです。
高校・大学と自立的に学習したものは、社会人となってからも仕事に関係する知識を自ら貪欲に吸収していった。
勉強は他人に言われてやるものではなかったからです。

職人を育てるのと同じです。ああしろ、こうしろとは言われない。自分で掴み取っていくという貪欲さがありました。
今の若い人たちにはハングリーさがなくなっています。
大事に育てすぎたからではないでしょうか?
by ebisu (2012-01-31 23:06) 

ebisu

いつも弊ブログをお読みいただいている20代後半の若者さんへ

ご愛読ありがとうございます。そして率直なコメントもありがとう。

これは団塊世代の爺さん二人の間に交わされたメールです。お互いあの時代が懐かしい、そういう雰囲気があらわれています。

>一言…過去の価値観を美化しすぎてませんか?

確かに・・・
メールの内容が面白かったので、了解をもらってブログで紹介しました。
読んで笑ってください。それでいいのです。

小中高と土曜日4時間余計に勉強しました。「読み・書き・ソロバン」は徹底的な詰め込み教育でした。私たちの世代にはソロバンの名手がたくさんいます。根室に限定しますがおそらく半分くらいは小学校のときにそろばん塾に通った経験があるはず。だから基礎計算能力はダントツに高い。小数や分数の四則演算ができない生徒は成績が1で5%くらいだったでしょう。小学校6年生の卒業時点での話しです。これも根室に限定しますが現在は40%近くが小数や分数の四則演算があやしい。
そろばん塾がなくなり、土曜日が休みになって授業時間数が減り、問題演習時間が減ったのだから無理もありません。基礎学力は大きく低下しました。これは事実です。

団塊世代の「平均的能力」が高かったことは日本の高度成長を支えたことでも「世界的に」実証されているのでしょう。
当時の大学生の「平均的能力」水準もいまよりよほど高かった。1学年250万人に対して大学定員は30万人程度ではなかったかと思います。レベルが高くて当然でしょう。大学生の絶対数も飛躍的に増えました。
友人は「平均的能力」の高さと同世代にノーベル賞受賞者が多いことを根拠に挙げています。
ここを突き崩してほしいと思います。

>しかし…あなたがたが作った社会の結果、厳しい雇用情勢と社会事情の変化の中、
>今の若者がどれだけ苦しい思いをして生きているか。分かっているのかな?ということです。

このご指摘はちょっと酷かもしれません。派遣労働に関する法律改正はもう27年も前に行われてたもの。これは私たち世代の責任ではないでしょう。30代では権力を握れません。前世代の責任です。
福島原発事故処理で醜態をさらした菅直人という総理大臣は団塊世代です。この辺りからはわれわれ世代の責任です。

今の若者が就職で苦しい思いをしているのはわかります。
だが、これも団塊世代の責任というより、国内から雇用が失われていった結果です。
生産拠点は日本から韓国へ、そして中国、タイ、ベトナム、インドへ移りつつあります。そしてこれらの国も数十年後には国内雇用を維持できなくなります。

グローバリズムは生産拠点を生産費の安い地域へと誘います。リカードの比較生産費説どおりです。
自由貿易をやり続ける限りは日本の雇用の安定はないでしょう。どの世代の責任問題でもない。

>ネカフェ難民。非正規社員の若年層の割合。生活保護の若年層の急上昇。これが団塊世代が作り上げた社会の結果ですよ。

労働者派遣業を営む業者は1975年ころから急激に増え、1985年に法律が整備されました。30年から40年近くも以前のことです。
経営能力のない日本の経営者たちは利益を出すためにこれを歓迎しました。団塊世代が20代から30代のころです。

10年位前から団塊世代が経済社会の実権を握るような年齢層になってきたので、現在とこれから5年ほどは団塊世代に責任があります。

どう変えることができるのか、わたしも「経済学ノート」のカテゴリーで模索しています。
経済学を書き換えなければなりませんが、小欲知足の経済社会を実現するための処方箋くらいは残したいと思います。
団塊世代に属するebisuのライフワークとなるでしょう。

一回り上の経済学の先達、過剰富裕化論の馬場宏二先生が昨年亡くなりました。バトンを受け取るべきは団塊世代です。

いずれバトンは20代後半の若者であるあなたへ渡されます。いまから準備してください。あっというまに私のような爺になります。
時は容赦がないからご用心。(笑い)
by ebisu (2012-02-01 00:08) 

ebisu

ZAPPERさんへ

たしかに、若者を取り巻く状況は厳しいもの、いや過酷なものがあります。
ですが、中高生たちは危機意識が薄く案外のんびりしています。
ここに大きなギャップがあり、私は"悩む"のです。
高校を卒業してから東京で35年間暮らしたから、田舎ののんびりしたよさも都会の競争の激烈さも身をもってわかっています。

根室で育った若者の70%以上が根室から出て行く。都会の競争は激しい。たいした準備もなくその中へ投げ込まれます。

団塊世代は「なにくそ!」という辛抱強さをもっていました。小学生の頃の昭和30年代は貧乏な家庭が大半でした。
家なんて現在の半分の大きさだった。
貧乏に耐えること、そこから何が何でも抜け出し、豊かな生活を築いてみせるという気概に溢れた者たちが多かったのは経済の高度成長直前の貧乏の裏返しでした。

根室の子どもたちを見ていると、このまま根室を出て都会の競争に投げ込まれたら耐えられない者がたくさん出るのではないかと心配になります。それほどひ弱になっています。
今の若者たちはゆたかさの中で育っていて、貧乏とは貧困を知らない。
貧困時代をもたぬ彼ら・彼女たちはハングリーではなくなっています。
親元を離れたとたんに半数の若者に貧困が待っています。
それでも昭和30年頃に比べると経済社会は比較にならぬほど豊かになりました。

豊かになると同時に社会の仕組みも学校も変わってしまいました。

一つの現れは高校の宿題です。あれでは勉学への自主性を根こそぎにしてしまいます。
だからといって宿題を出さないと大半の生徒がまるで勉強しない。
高校が全入体制になってからレベルが低下してしまった。高校で出された宿題の質問を生徒から受けて説明しながら、これではよくないといつも思います。
必要なことは自分で勉強する、どんなにきつくてもやらなければならないことはやりぬく。そういう気概を子どもたちにもってもらいたい。

そのために、私塾の役割は小さいがふるさとの根室でやるべきことは山ほどあります。小さな塾だからこそやれることがある。都会からふるさとへ戻ったからこそ、都会へ出て行く子どもたちに伝えなければならないことがある。ナマ授業にこだわる所以です。
トコトン戦ってなら討ち死は本望。

がんばれ40代半ば、がんばれ20代後半の若者、がんばれ根室の中高生たち。
by ebisu (2012-02-01 01:24) 

Hirosuke

私は40代半ば世代ですが、
職に関しては辛酸を舐めています。

弱さと怠慢のツケです。

それでも、英語を独学でモノにし這い上がった。

しかし今、そのチカラを全て失った。

ちっとも立派な人生ではありませんが、
何か若者達への参考になればと、
自分史を書き続ける日々です。

by Hirosuke (2012-02-01 07:43) 

おもし蟹

Blog内容と違いますが、根室の記事がありました。

http://ime.nu/www.yomiuri.co.jp/national/news/20120201-OYT1T00157.htm

正直、情けない話です。
by おもし蟹 (2012-02-01 12:07) 

ebisu

わたしは勝ち負けの如何にかかわらず、人生のある局面で一心に努力した人には敬意を払いたいと思っています。

よくみると、私の周りにはにはそういう人がすくなくありません。
敬意をもって人に接することができるのはそれ自体が喜びです。
by ebisu (2012-02-01 13:12) 

ebisu

おもし蟹さんへ

根室振興局の職員の万引の件ですね。2回目ですから常習犯でしょう。
1回目はわずか1ヶ月の停職処分、2度目は6ヵ月の停職処分、そして依願退職扱いですか。
市役所職員の不祥事でも同じでした。

民間なら即時懲戒免職処分で退職金など出ません。

50歳ともなれば、他所でしゃべられたら都合の悪い職務上の情報をたくさん知っているでしょうから、こういう軽い処分になるのだろうと、勝手に推測しています。

by ebisu (2012-02-01 13:19) 

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