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#1379 読解力 (1) Feb.15, 2011 [57. 塾長の教育論]

 文章を書くことの前に読むことがある。大量のインプットとその後のアウトプット、当然の順序だろう。まれに少ないインプットで良質の文章を書きうる人もいるが、多くはそうではない、インプットが先だ。

 読みの深さは人によってさまざまであるから大まかに4段階に分けてみる。私の便宜的な分類に過ぎないことはあらかじめお断りしておこう。

 レベル1:文章が正確に読めない段階である。日本語の語彙が不足しているし、音読させても初見のものは「てにをは」を1ページにつき5箇所前後読み間違える。もちろん書いてあることの意味を頻繁に取り違える。中学1年生にこういう生徒が10%程度はいるのではないだろうか。

 レベル2:段落ごとの文意はだいたい正確に読み取れる。高校の現代国語70~80点レベルだろうか。だが、書き手の考えを無批判に取り込んでしまう傾向がある。読んでいる本の種類も数も極めて限定されており、「視野狭窄」の状態にある。「思想的無菌状態」にあり、カルトにかぶれやすい。理系出身者がオーム真理教にかぶれてしまったのは、こういう状態にあったからだろう。いろんな種類の思想傾向の本を読んでいないから、相対的な思考ができなくなり、教祖を絶対視してしまうのだろう。既存の諸宗教教団や共産党にもそうした傾向はある。党の出版物しか読まない人は自らを洗脳して、抜け出すことができない。相対的な思考がいちじるしく妨げられる檻に自らを閉じ込めてしまう。

 レベル3:文章を批判的に読むことができるようになる。自分の中に他者の考えを共存させて、自己の考えと対比できる。批判的読書の可能な段階である。

 レベル4:文章の奥に潜む筆者の考えを適確に捉えられる段階である。本質的なものを嗅ぎ分ける能力が芽生える。枝葉と本質的なものの区別がつく段階であり、ある著者が書いたテーマAの本を読んで、別のテーマの本の見出しを見てほぼ適確にその内容が類推できる程度に理解が深まる。

 眼耳鼻舌身意を六識といい、第七識を末那識、第八識を阿頼耶識というようだが、その識と読解力が関係しているようである。数学者の岡潔は第15識まで区別できるといい、さらに識は奥がもっとありそうなことを示唆している。六識まではわかるがその先はまるでわからぬ。

 自我が強いと文意を読み違えることがあるのは要注意だ。自我は暴れ馬であり、制御していないと暴れだしてしまう。
 真我の人は文章の読みの深さが違うようだ。"ようだ"というのは(理屈は)よくわからないからであり、(直感的には)よくわかるからである。たいていの人(たとえば私)はたまに自我を消し去ることができるのみ。

 数学者の岡潔は「無明の鋭い形式の現れ方が本能である。私には自我本能がその根本であるように思われる」(p.57)と『日本の国という水槽の水の入れ替え方』に書いている。「平等性智は光、自他弁別本能は闇である」とも記し、自他弁別本能を大脳前頭葉で制御すべきと説き、「自他弁別本能を抑止しなければ心眼は開かない」(P.91)とまで書いている。

 「売り手よし、買い手よし」だけではダメで、「世間よし」が付け加わるが、これは自我本能の抑止であろう。
 人間は自他弁別本能のままに振舞ってはいけない。自分の心お置き所をどうするかで、読解力も違ってくる。同じ文章を読んでも見えてくるものがまるでちがってくるのだ。こんなことは、高校の現代国語では教えてくれない、だからわたしはブログで書く。高校生や大学生になった君たちに伝えたいから。
 思春期のうちにある程度の量、いろいろな思想傾向の本を読んだほうがいい。


 音読授業で読んだ『読書力』斉藤孝、『国家の品格』藤原正彦、『風姿花伝』世阿弥・林望を何度も読み返して欲しい。見えるもの、見える世界が違っていたら、君たちが成長した証だ。


*#1213 数学者岡潔(1):『日本という水槽の水の入れ替え方―憂国の随筆集』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20

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