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#3592 ママチャリで道内一周の旅 Aug. 22, 2017 [つれづれなるままに…]

  昨日(8/21)四時ころのこと、光洋中学校前の通りで東根室駅を過ぎたあたりで、中学生らしき二人しゃがみこんで地図帳を広げていた。東根室駅が見つけられないのかと歩いて行って訊いてみたら、テントを張る場所を探しているという。
  昔はホロムシリのほうにオートキャンプ場があったようだがすでに廃墟。すぐ近くに明治公園があるが、草が刈り取られてテント設営にはいい場所でトイレもきれいと提案すると、公園はテント設営が禁止されているところが多いとためらっている。
  それなら家の車庫前でもよければどうぞというと、「いいのですか」というので、遠慮はいらない、夜中も開けておくから家の中のトイレをつかっていいよと伝えて場所の確認のために家の中を案内した。コンクリート塀のところに設営すると風が当たらない。
  とっても童顔に見える二人だったが福島県の日大工学部の学生。「郡山市安積(アサカ)町の日大?」と聞くとびっくりしていた。郡山市の会社に15か月役員出向していたことがあるので知っていただけ。二人は自転車のチューブやパンク修理用のパッチなど必要な材料の調達に市内を回っていた。
  夜10時ころに戻ってきたので、寒いだろうから仏間を使っていいよと申し出ても遠慮している。テント設営をしてすぐに就寝。

  いつも通り朝早く目覚めて2階からみると、かれらは起きたばかりでテントをたたみ始めていた。寝袋を裏返して自転車の上に広げて湿気を抜いていた。出て行って「おはよう」と声をかける。30分くらいで車に括りつけた。
「寒いですね、いつもこんなに寒いのですか?」
「え、今朝は19.5度もあって、この夏一番暖かい朝だよ、普段の朝は12‐15度だからずっと寒い、朝は床暖房を入れている」
  そう言うと、目が点になっていた。

 経路を訊くと、太平洋側の海岸線の道路を走って襟裳岬を通るという。フェリーで小樽港についてから日本海側の道路を北上、稚内へ出て、こんどはオホーツク海沿岸を南下して根室まで来た。オホーツク海側の道路を利用して納沙布岬を周り、太平洋側の道路を走って光洋町まできて、テント設営の場所探しをしていたのだ。ぜんぜん疲れた顔をしていなかった。なんとサンダル履きだったから、釧路当たりの中学生が夏の冒険をしているのかと思ったのだ。小樽港へ8月7日ころ着いて2週間1000km以上走ってきたわけだ。雨降りの日が何日かあったはず。靴ではびしょびしょで乾く暇がないから、サンダルに切り替えたのかもしれない。それにしても転倒したときには無防備の足は大けがをしかねない。ちょっと心配だった。
 ママチャリのサドルは高くセットしてあった。低いと腿の筋肉に疲労がたまってつってしまうからだろう。パンク修理も数回したといっていた。

  北海道海岸線一周ママチャリ大冒険の旅である、若くないとできない。
  花咲街道へ出て落石を抜けて浜中町の海岸沿いに走っていくのだろう、北海道道142号線、通称「根室浜中釧路線」である。霧多布を抜け散布を通って厚岸大橋をわたる、160kmの行程である。途中123号線(別海厚岸線)と重複区間がある。北海道の道路地図帳とスマホのGPS機能を利用しているから、道に迷うこともないし、現在地がどこなのかいつでも確認できる。便利にはなったが、「この道を進めばどうなるかな?」という不安とドキドキ感は薄れる。昔のほうが不便で冒険に富んでいたといえそうだ。それにしても、ママチャリで北海道の海岸線を一周しようと思っただけでなく、一周するぞと決意して、実際に回っているところが凄い!それもサンダル履きで自転車に乗って、団塊世代のジジイはその行動力にまぶしいくらいの若さを感じた。

  無事に福島県郡山市にたどり着くことを祈りながら見送った。

<余談>
 夏になると毎日のようにチャリダーに出遭う。一人の人もいるし数人のグループで来ている人たちもいる。キャンプ場がないので、明治公園の一角に50m四方くらいでいいからテント設営OKのスペースをつくって、根室市のホームページで広報してはどうだろう?金をあまりかけずにできることはいくらでもある。


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#3591 弊ブログアクセス数累計450万通過しました Aug. 22, 2017 [つれづれなるままに…]

  11年前にスキルス胃癌と巨大胃癌を同時に患い手術、術後に体力が落ち、文章を書くのに困難を感じました。ライフワークにしていたテーマで経済学の論文を一つ書くつもりでいたので、リハビリのつもりで術後3か月目に始めたのが弊ブログです。いつのまにか450万アクセスをいただいていました。
  根室の岡田医院で胃癌の診断をつけていただき、釧路医師会病院で自覚症状のあったスキルス胃癌の検査と診断そして胃と胆嚢の全摘、大腸の一部切除で手遅れのところを消化器外科医後藤先生(音更町木野東クリニック)にお助けいただきました。術後の体力の衰えは脳力へも影響を与えました。頭を使うとエネルギーが短時間で枯渇して思考が続けられない、脳力が体力の一部であることを思い知らされたのです。文章を書いて何度校正しても校正ミスが見つかる、途中でブログを書くのをあきらめようとしたこともありました、そんなときにKさんが強く継続を奨めてくれました。おかげさまでいままで続けてこられたのです。術後の数年に比べたら、自分の身体の状態に慣れ、体力と気力が充実したように感じます。
  お助けいただいた消化器内科医岡田先生(主治医)と(当時釧路医師会病院・現東木野クリニック院長)消化器外科医後藤先生と医療スタッフの方々、Kさんと弊ブログをお読みいただいている皆様にあらためて感謝申し上げます。あ、塾生のみんなにも元気をもらっていますね、とっくに卒塾した人たちも、いまいる人たちにも感謝しています。
  ありがとうございます。

*木野東クリニック
https://www.kinohigashi-clinic.com/guide

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#3583 おふくろの七回忌 Aug. 17, 2017 [つれづれなるままに…]

<更新情報>
8/18朝8時10分 <余談:ありがたきこと>

  今日(8/17)が母の命日である、開法寺から恰幅の良いお坊さんが来て、朗々と七回忌のお経を挙げてくれた。いいお声だ、ありがたい。

  平成20年ころだったか、レビー症候群が出始めると、しだいに認知症がひどくなり徘徊が始まった。おふくろは昼夜逆転して夜徘徊するから介護する方は寝られない。あるとき深夜に台所で何かやっているようなので2階から下りて見に行った。冷蔵庫に入っている材料をありったけ入れて大鍋で味噌汁を作っていた。大鍋のうえ1cmくらいまで入っていて火はかけっぱなし、間もなく噴きこぼれて、ガスの火が消えそうだった。消えてしまえば、火力の強いプロパンガスが漏れて、そのうち冷蔵庫のサーモスタットが作動して爆発を起こし火災になる。このときほんとうに危険を感じた。
  本人に何しているのと尋ねると、朝だから味噌汁を作っていたという。真っ暗な真夜中なのに朝だと思っていた。「ごくろうさん、疲れたろうから横になるといいよ」とベッドへ連れて行く。そのころになるとシモのほうも自分で始末できなくなった。感覚がないのだ。書けないことがいくつかある。実際に徘徊老人の介護を経験した方は書かなくてもわかるだろう。3人に一人くらいはそうなるのだろが、在宅介護は介護するほうが命を削るようなことになりかねない。
  この「事件」の後で、どうしたらよいのか女房と相談して、台所との境の引き戸に鍵をつけ、夜中は鍵をかけた。おふくろは8畳間にベッドを置いて寝ていたが、隣の仏間へは4枚の襖(ふすま)だから、自由に行き来できる。トイレもいける。わたしは2階のトイレを使う。大工さんの意見を入れて2階にトイレをつくっておいてよかった。仏間から玄関へ出る引き戸にも鍵をつけた。こうして夜中は閉じ込めたのである。とても心苦しかった。台所への境の引き戸のところへ来て15分ほどドアをたたき続ける。かわいそうだが開けない。あきらめてベッドにいった気配がするのを待つ。
  認知症患者は老健施設では預かってもらえない。特別養護老人ホームはたくさんの人が入所待ちしていて急には入れない。グループホームが受け入れ施設としてよいが、簡単にはいかぬもので、相談に行っていた北浜町のグループホームでは空きができるまで半年くらいはかかると言わた。一月半経って、たまたま空きができて入居できるとケアマネージャから電話をいただいた。わたしはスキルス胃癌で胃の全摘、浸潤していた大腸の一部切除、胆嚢切除で体力が著しく奪われて、1日6回に食事を分けて摂らなければならず、女房に大きな負荷がかかった。介護疲れで女房も私も倒れる寸前だったから心底ほっとした。グループホームは施設も新しかったし7畳ほどの個室で、窓も大きくて明るい、居心地の良い施設だ。それでもおふくろは最初のうちは嫌がった、そりゃあ自分のうちのほうが居心地がいい。見舞いに行っても顔をそむけることがあった。でも、次第に慣れてにこにこすることもあったから救われた。ボケはまだら模様である。時々正気になるからそういう時は施設に入れてと怒った表情になり、顔を背けることがあった。2年ほどして、脳梗塞を起こして食事がとれなくなったのでグループホームを退所。そこから江村病院にお世話になった。なくなるまで半年ほど点滴で命をつなぎ、みんなに見守られて静かに逝った。平成23年8月17日、あれからもう七年目になる。

  60歳以上で母を「酒悦」のお母さんとして知っている人は少なくない。1960年に開業した当時は根室で一番安く飲める「居酒屋」だった。日本酒の販売量は市内ナンバーワン、20年ほどたってから「居酒屋+焼肉の店」へ業態転換。居酒屋のほうには手を出さなかったオヤジが包丁を握って「酒悦」の主役となった。肉は釧路のトサツ場から厳選した品質のよいものだけを直接仕入れていたから、ずいぶん繁盛した。銀座の焼肉屋でもあれほどの肉は仕入れられないだろう。たまたま親父は伝手(つて)があった。兄弟子が屠場の責任者だった。親父は兵隊に入るまでに30ほど職業を変えた。運動神経がよくて器用な人だったから、人の半分の期間で一人前になってしまう。だから兵隊になった時にもトンツーをすぐに覚え通信兵になり、「命のいらないもの集まれ」という秘密部隊の募集に応じて落下傘部隊員となった。合格できたのは運動神経が抜群に良かったからだろう。ボクシングもやっていたし、競輪の選手もやったことがある。忙しい男だ。肉屋で修業したのも3年ほどだっただろうが腕は確かだった。道具に凝る人でドイツ製のカッターを購入したが、すぐに使うのをやめて、全部手切りしていた。筋肉組織は切る方向によって味が違うのだそうだ。鮮度の良い肉を仕入れて、丁寧に下処理して、自分で手切りした肉だけをだす、職人気質の徹底した男だった。兄弟子が亡くなると、同じレベルの肉が仕入れられなくなった。仕入先を変えて試したが同じレベルの肉を仕入れることはできなかった。数か月試行錯誤すると、あっさり見切りをつけ、同じレベルの肉がお客さんに提供できないなら店をたたむと焼き肉屋を廃業した。納得できない仕事はしない男だった。そのあと数年間、ビリヤード店だけをやっていたが、それも38年目に店を閉めた。大腸癌の手術をする1年前のことだった。運命の跫(あしおと)は聞こえないものだ。
  わたしの主治医のお父さんが掛かりつけ医だった。お父さん先生に大きな病院での入院検査を勧められ、生まれ故郷の釧路の病院を選んで入院検査し、大腸癌が見つかり平成3年に手術をした。告知はしなかった。術後の外科医の説明の通りに2年後に肝転移から全身転移を起こして、2度目の手術は「アケトジ」。五月に退院してきて、8月に市立根室病院へ入院し終末医療をうけた。苦しまないようにモルヒネで眠るように逝った。平成5年9月12日が命日。「根室の土になる」、そう言っていた親父もおふくろとともに市営墓地の墓で土に還っていく。
  ビリヤード店は38年間、居酒屋と焼肉の店「酒悦」は30年間、たくさんのお客様に支えられて営業が続けられた。ビリヤード店は小学生の時から店番をして手伝ったし、「酒悦」のほうは、20本入りビールケースと日本酒1升瓶が10本入ったケースを何箱も毎日カウンターの中へ入れて並べるのを手伝った。結構重いのだ。おふくろは現金で仕入れていた。理由があって掛け取引が嫌いだった。それはお店の経営方針にも表れた。
  家業だから高校卒業まで毎日手伝った。いま、根室にビリヤード店がないのが寂しい。あればときどき行きたい。セミプロの技術をだれかに伝えることができたらいい。書きためた図面やノート類が50枚ほどある。その中にはスリークッション世界チャンピオンの小林先生に図面を書いて質問し、教えてもらったものもある。プロの町田先生に教えてもらった技術をたくさんの図面に落としてある。町田先生の息子さんの町田正さんはアーティスティックビリヤード、世界2位であるが、ボークラインを3ゲーム相手していただいたことがある。もちろん全部わたしの負け、国内トッププロとは技術レベルが違いすぎる。昭和天皇のビリヤードコーチだった吉岡先生は札幌にお住まいだったが、18歳の時に札幌を彼女と駅前通りの左側を大通公園に向かって歩いていたら、「としぼー」と大きな声がしたので誰かと思って振り向いたら、吉岡先生だった。ライオンズクラブで献血のボランティア活動をしておられた。白髪の上品なおじいさんだった。ニコニコしながら「献血していけ!」という。即座に「はい!」と答えると嬉しそうな顔をした。小学生のころ、吉岡先生には根室に来られるたびにかわいがってもらった。ビリヤード大好き少年だったからだろう。

  おふくろの命日でいろいろなことを思い出した。人生の最後を住み慣れた根室の病院で迎えられるのはいいものだ。家族や知人に看取られながら静かに旅立てる。
  根室っ子が年老いたときに、根室で終末医療が受けられるように、根室の地域医療がこれ以上悪化しないことを願う。

    小欲知足
    売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし

<余談:ありがたきこと>
  お店が繁盛したおかげで、高校受験の時には大学進学なんて夢にも見たことがなかったのだが、高校3年生になってそれが経済的に可能になった。一生懸命に店番をした甲斐があった。働き手が一人抜けることに多少の申し訳なさを感じながら、三年生の12月になってオヤジとおふくろに大学受験していいかと問うと二つ返事でOKしてくれた。繁盛が続き、大学院まで行かせてもらったが、オヤジとおふくろが一生懸命に働いてくれたからだ。そしてお客さんがたくさん来てくれたからだ。
  ブログでたまにはとっても言いにくいことを書くが、これは育ててもらった故郷へのご恩返しのつもり。耳にうるさいことを書くときは、ふるさとのため世のため人のためとそういう視点から書いている。自分の利害損得は棚上げ。
  顧みれば店番をしながらビリヤード場の「としぼー」はさまざまな職業の大人たちに育てていただいた。鬼籍に入られた方々がほとんどであまりに多すぎて一人一人お名前を挙げないが、あらためて育ててくれたみなさんに感謝申し上げる。

   有漏地より 無漏地へ帰る 一休み 雨降らばふれ 風吹かばふけ 
        一休宗純

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#3497 日本最東端の鉄道駅:神奈川から来た6人の旅人 Feb. 5, 2017 [つれづれなるままに…]

 終列車は東根室駅に9時39分に着く。迎えに駅のホームまで歩いていくと、札幌ナンバーのレンタカーが入ってきた。20代こはんとおぼしき6人ほどのグループだった。楽しそうにわいわいはしゃいで最東端の表示のあるところで写真を撮り、ホームに上がってまた写真を撮っていた。

「どこから来たのですか?」
「神奈川からです」
「学生ではないようですが、よく休みが取れましたね」
「公務員だから」
「あ、そうか、それならとれるね。2000年に病院の建て替えで横浜市役所や神奈川県庁と補助金交付のために建築仕様に関する交渉をしたことがある。○区の病院です。」
「○○駅の辺りですか」
「そう、その仕事をしている間は○○駅前のマンションに住んでいました」
「ところで車ではないようですね」
「家がすぐそこだから、歩いてきました。東京へ行っていた女房殿が青森へ寄って終列車に乗って来るので迎えにきたんです。」

 一人は神奈川ではなく静岡に住んでいると言っていた。

「雪道の運転だいじょうぶ?」
「山とか(スキー)行っているから」
「ブラックアイスバーンは地元で運転慣れていても危ないから気をつけて、いい旅を!」
「ありがとうございます」

 終列車汽車には8人ほど乗っていたようだが、東根室で下車したのは一人だけ。利用者が少ないのだから、花咲線が廃線になるのもいたしかたなし。
 午前零時の終列車があったのだか、それが1年ほど前になくなり、9時39分が終列車になったので、青森から戻ってくるのに函館で一泊する必要がある。函館の坂の上にあるお寺に女房殿の実家の墓があり、ゆっくり墓参りできる。
 称名寺には高田屋嘉平の墓がある。坂の中腹にあるので、函館ドックや駅が一望できて眺めのよい場所である。

*北海道の豪商 高田屋嘉平
http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/02-5.html


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#3470 ニムオロ塾は満10歳を迎えました Nov. 30, 2016  [つれづれなるままに…]

 速いもので、2006年11月27日にebisuビールを飲みながら、ブログ登録のハンドルネームをなんにしようかなと考えていました、あれからもう10年。

 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で手術(2006年7月20日)してから、体力の衰えを痛感して、まとまった文章が書けないのではないかと心配になり、リハビリのつもりで始めたのですが、体力は脳力そのものだとすぐに思い知りました。体重が11キロも減ると体力が落ち、脳が思うように働いてくれません。何度自分で校正をしても、漢字変換ミスがなくならず、絶望的な気分になることもしばしばでしたが、書いているうちに少しずつ調子が戻ってきました。ここまで回復したのは読んでくれている皆様のお陰です。

(助からないはずの命を助けてくれた地元の消火器内科専門医の岡田優二先生や執刀をしてくれた音更町の木野東クリニック院長後藤幹裕先生、看護をしてくれた看護師のみなさんにも感謝です。術後は自分のために命を使おうという気持ちがなくなりました、不思議ですね。
 癌を患った人の中にはなにかが吹っ切れた人が少なくないのかもしれませんね。死ぬことも怖いものだとは思わなくなりました。6時間の手術の後に臨死体験がありました。身体は低体温症で体温を上げるために痙攣を起こして海老のように飛び跳ねていましたが、死へ向かうときは心は穏やかで平和なのです。集中治療室の看護婦さん数人が体を抑えてくれていました。どなたかが電気毛布をもってきて身体を温めてくれたら痙攣がとまり、これで助かったと眠りに落ちました。)

 生徒たちがたまに教えてくれます。「お母さんが読んでます」、「学校の○○先生が読んでます」という声を聞く度に、元気をいただきました。読んでくださっている皆さんを思い浮かべながら書いています。そういう読者の一人ひとりを大事にしたいから、データや根拠のないことは書きません。
 根室市民は口が重いし、人口2.7万人の「村社会」ですから、町のエスタブリッシュメントの意向に逆らうようなことを言うと不利益があることが多いので、思ってはても表立って市政批判や建設的な意見を言いません。だから、そういう声なき一般市民の皆さんの意見を代弁して書いています。
 わたしは根室高校を卒業してから35年間東京で暮らしたので、ふるさと根室にあまりしがらみがありません。だから、言うべきことが言えるのかもしれません。わたしは承知していませんが、親戚はあるので多少の迷惑はかけているのでしょう。自分の利害では物を言っていないので、我慢してくれているのだと思います。わたしの性格をよく知っています。(笑)

 毎日書きたいことが浮かんできて、思い浮かんだテーマの半分も書けないのが実情です、無理のない範囲でデータや根拠を明らかにしてこれからもアップしていくので、これからもどうぞよろしくご愛読ください。

 ちりも積もれば山となるの譬えどおり、いつの間にか累計アクセス数が420万回を超えていました。これも皆さんに感謝です。いくら書いても読んでくださる人がいなければこうはなりません。

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#3412 秋!散歩、そして朝食に旬の秋刀魚  Sep. 15, 2016 [つれづれなるままに…]

 朝7時17度、9時20.1度、湿度は77%に低下、根室は秋晴れ、気持ちがよさそうなので散歩する気になった。航空自衛隊根室分屯地角までの2.1kmコース、空気がとってもおいしい。
 半袖Tシャッツに野球帽とサングラスといういでたち、9時前だったので分屯地では自衛隊員の皆さんが敷地内の周回トラックを走っていた。角地からは友知沖の二つの島も、左手には原野と沼もはっきりと見えていた。いい眺めだ。

 分屯地の外周は2.2kmほどあるから、その中に造られた周回コースは1週1.8kmくらいありそうだ。陽気がいいのでのんびり走っている。50mほど併走して速度を確かめてみた。
 自動小銃を手に持って、実戦形式で100mダッシュなんてトレーニングは見たことがないが、演習場ではやっているのだろう。走るのが辛そうな体格の隊員もいる、ご苦労様、体格はさまざまだ。
 昨日、女子高校生のリュックが重そうなので測ってみたら11kgあった、あれでは背が縮みそうだ。10kg背負って走るのは大変だろうな。演習時に完全武装したらどれくらいの「荷物」を背負って自動小銃をもつのだろう。自動小銃自体が重いだろう。弾装に何発入るのか知らないが弾だって100発ももったらかなり重いはず。落下傘部隊員だった親父の話では、完全武装すると30kgと言っていた。銃は三つに分解して脚に装着するのだそうだ。落下速度に関係するので、装備の重さはきっちり確認する。
 現在も完全武装に同じくらいの負荷があるとしたら、走るのはきついだろうな。戦場では完全武装で100mくらいの全力ダッシュは日常茶飯事だろう、なんて想像しながら分屯地から離れて、市営団地前の公園へ入る。

 雑草がきれいに刈り取られているので、そこを軽くランニングしてみた、直線で200mほどある。芝生のようになっているから、膝の関節に無理がかからないから安心だ。全力ダッシュしたら半分も走れないだろう、それどころか転倒しかねないから、無理はしない。
 のんびり走っても、距離が200mもあると息が切れる。数日前に3ヶ月ごとにやっている「定期チェック」に行ってきた。検査結果は金曜日には出ているだろう。手術をしてから10年と1ヶ月がたった。最近1ヶ月くらい、疲れを感じてリビングで横になっていることが多くなった。散歩に出るのも億劫なのである。秋晴れに誘われて外に出てみた。
 庭の桜は季節外れの花を三輪つけていた。釧路でも開花した桜が何箇所もあるとテレビニュースが伝えていた。来年春は咲くのだろうか?

 家に戻って朝食。おかずは旬の焼き秋刀魚である、根室に住んでてよかったと実感するひと時。自宅食べるのは小ぶりでも十分、活きがよいだけでありがたい。今年は130-150gのものが多い。送るのには小さすぎる、180g以上のものを選びたいが品薄で困っている市民が多いのではないか。


《自衛隊・隊員募集》
 最近、中学2年生から職場体験で航空自衛隊根室分屯地を訪問したという話を聞いたので、ちょっと自衛隊の募集の話をしたい。
 安保法制の影響で、自衛隊への応募が減っているという。軍隊だから規律と訓練は厳しいから、10人応募しても3年後に残っているのはどれほどいるのだろう、半分残るだろうか?職人は5人弟子入りしたら、3年後に残っているのは1~2人だと大工の棟梁に聞いたことがある。
 高卒だと、3ヶ月の試用期間が設定されている「一般候補生」とすぐに任用される「一般曹候補生」の2種類があるようだ。もちろん筆記試験もある。特別職の公務員だからふるさとと祖国を守る気概のある若者は就職先の一つに考えてみたらよい。災害出動だけでなく、安倍政権が安保法制を「整備」したので、これからは海外の戦場に赴く可能性があることも考慮に入れよう。命令ひとつで海外出動がありうる。
 1年くらい、厳しい規律とトレーニングを耐え抜き、武器の取り扱いに慣れてみるのもよい。一般人が銃器に触れる機会はない。自衛隊に入隊するつもりがある人は、先輩後輩のけじめがはっきりしている体育系のクラブを経験していたほうがいい。
 広報に連絡して、分屯地に行って直接話を聞いてみたらよい。市内の中学校の職場体験先ひとつに航空自衛隊根室分屯地がある。
  叔父貴が一人、千歳勤務だった。中学生1年のときに遊びに行ったら、F105に乗れるように手続きしてくれていたのだが、わたしは冗談と思って取り合わず、乗りそこなった。もったいないことをした。

 防衛医科大学付属看護専門学校(埼玉県所沢市)があるが、自衛官コース定員75名、技官コース定員45名、10倍から30倍の難関である。入学金も授業料もただ、食事代手当てが月に2万円出る。自衛官コースは月11万円の給料が出る、その代わり自衛官としての訓練に参加しなければならない。卒業後は6年間の勤務義務がある。授業と訓練で忙しいからお金を使う暇はない、4年間でずいぶん貯金がたまるだろう。


*募集要項
http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/

 防衛医科大学高等看護専門学院
http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/education/04.html


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#3404 根室産の新鮮サンマ+台風10号の話  Aug. 30, 2016 [つれづれなるままに…]

  ダサいタイトルだな、まあいい。
 昨日夜に今年初めてサンマの刺身を食べた。毎年小型になっていくようで寂しい気がするが、味は最高。根室花咲港に上がったサンマだから、新鮮でおいしい、根室に住んでいてよかったと毎年この時期になると思う。

 今朝はうっすらこげ茶色に焼き上げたサンマ、真っ白い大根おろしに醤油をたらしていただいた。
 夜はサンマの煮付けがおかずに加わっていた、棹前昆布と薄切りの生姜がたっぷり入っている。

 130g~140gの細いサンマが150円だそうだ。煮付けにしたのはそれより小型のサンマで10尾150円だそうだ。太平洋公海上で中国船が大量にサンマを漁獲して、大型のサンマが激減しているようで、脂のたっぷりのった大型のサンマ(180g)はいずれ幻になるのだろうか。

 自然の恵みに感謝しつつ、2ヶ月ほど旬のサンマを楽しもうと思う。


< 迷走する台風10号 >
 日本に近い太平洋上で19日に発生してから、1週間ほどよろよろと南西に1500km下っていった台風10号は、暖かい海で停滞しながらエネルギーを補充し、一昨日反転して北上し、昨日岩手県に上陸、今度は西に進路を変えて東北と道南を暴風域に巻き込みまもなく日本海に抜けるようだ。各地で洪水被害が出ている。土砂崩れも増えつつある。コースの予測精度は高かったが、こんなコースをたどった台風は記憶にない、いったいどうなっているのだろう?

  < 8/31午前7時半追記 >
 津軽半島から津軽海峡を越えて渡島半島南部を通り日本海へ抜け、午前0時に温帯低気圧に変わったが、勢力は大型のままで温帯低気圧の中心の右側に強い雨が降った。大雪山の東側に大量の雨が降ったようで、まだ要警戒。
 帯広市の大正橋付近で堤防が決壊し札内川が氾濫、札内川が合流する十勝川も帯広市や豊頃町付近で警戒水位を超えている。
 南富良野町では167mmの降雨、累計500mmを超え、空知川の堤防が決壊、洪水になっている。道内各地でこの数日で300mmを超える降雨。芽室川も氾濫し洪水被害を引き起こしている。
 数日前に土砂崩れのあった羅臼や標津町にも警戒警報が出ている。
 台風でこれほどの規模の洪水が起きるなんて、道内では本当に珍しいことで、聞いたことがない。3週間前に行った十勝川温泉付近にも音更川が氾濫したのかホテルの玄関前まで水浸しになっている。

 道内に出ていた土砂災害警戒警報は午前7時半現在すべて解除された。川の水位が下がるまでもうすこしだ。床上浸水した家が多いから、水が引けてからの清掃がたいへんだ。道路もほうっておけば粘土状の土が固まってしまい、雨が降る都度ドロドロになる。市町村も道も国も、こうした災害に備えて、普段の支出を抑制し、お金を積み立てておくべきだ。日本列島は地震・火山噴火・台風などの自然災害とずっと付き合ってきた。

 海は数日荒れ模様だったから、サンマ船もほとんど係留されたまま、しけが収まったら船が出る。活きのよいサンマがたくさん魚屋の店頭に並ぶだろう。


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#3399 アルツハイマー型認知症の発症は防げる? Aug. 27, 2016 [つれづれなるままに…]

  毎日よく雨が降る、昨日は83mmの降雨量だ。異例の南下を続けていた台風10号が反転して日本へ方向を変えた。南下して暖かい海水からエネルギーを補充して成長した台風は935hPaの超大型になった。今度は石狩平野を襲いそうだ。オホーツク管内と十勝平野で合計6500haの畑が冠水してしまった。ジャガイモや玉葱に甚大な被害が出ているから、値上がりは必須だ。生産者に大規模な被害が出れば、消費者も無関係ではいられない。みんなつながっている。

 朝、目覚めてラジオをつけると、NHKラジオ放送「文化講演会」をやっており、最後の10分ほどが聞けた。国立長寿医療研究センターの柳澤勝彦研究所長が認知症の予防と発症阻止について説明していた。
*国立長寿医療研究センター
http://www.ncgg.go.jp/topics/20150402.html

 子ども時代によく学習した者は認知症を発症しづらいのだというが、もう手遅れという人も多いだろう。
 だがあきらめる必要はない、「生涯学習する人はアルツハイマー型認知症を発症しにくい」のだそうだ。そういう人は神経細胞の細胞核が大きいことだけは臨床的に判明しているのだが、因果関係は定かではない。ようするに、神経細胞の細胞核が大きければなぜ認知症を発症しないのかそのメカニズムがわかっていないということ。そんな研究や証明は学者に任せておけばよい、わたしたちには結論だけで充分である。

 筋肉も脳の神経細胞も同じ原理で発達するものだと仮定すると、適度に使えば発達するし、使いすぎると炎症を起こし、使わなければ退化する。人間の身体機能はどれも使わなければ退化してしまう。こんな単純な理屈で考えてみたい。
 稗田阿礼が暗誦できた『古事記』や琵琶法師の『平家物語』、釈迦滅後の「如是我聞・・・」ではじまる数々の経典群も500人の結集での朗誦に始まったものである。500年間口承で伝えられたものが、パーリー語で書き取られ、サンスクリットに翻訳され、漢訳されて日本へ伝わってきた。最初は500人の脳と口で記憶され伝承されてきた経典群が、万巻の漢訳経典になっていまに伝わっている。口承で記憶を完璧に伝えるという能力は人間から失われてしまったようだ。

 脳の機能もまた身体機能の一部であり、使われない筋肉が退化していくように、退化するのだろう。

 団塊世代の皆さんは認知症予備軍であるが、人と話をしたり、本を読んだり、哲学したり、数学の問題を解いたり、英語の翻訳をしてみたりと、好きな学習をどんどんやったらよい。死ぬまでぼけずに暮らせたら幸せである。
 脳の機能障害は、脳血管障害などによっても起きるし、むしろそちらのほうが影響が大きいのだから、敵は認知症だけではない。
 柳澤さんはよい生活習慣を維持することが大事だと、3つ挙げている

○ バランスのとれた食事
○ 適度な運動
○ 良質の睡眠

 生涯楽しく学習し、脳に優しい生活をすることが大事なのだという。脳に優しい生活とは心臓に優しい生活であると説明していた。
 心臓に優しい生活とは、毎日バランスの取れた食事を心がけ、適度に運動して身体機能を維持し、ぐっすり眠ることだ。

 これくらいは自分の努力でできるだろう。ボケてしまえば若い人たちのお世話にならなければならない。
 ピンピンコロリとおさらばしたければ、自分にできる範囲のことをすればよい。世の中のお役にすこしは立てて、元気に長生きできるならそれもよい。そして死ぬべきときが訪れたら、それを穏やかに受け入れ、一言さようならとありがとうとつぶやいた後にこの世を去りたいものだ。


< 余談-1 >
 一年ごとに体力の衰えを感じている、昼寝している時間が多くなった。
 先週、根室高校同期の「第19回卒業50周年記念」の会の出席者名簿が郵送されてきた。
 数軒となりのお菓子屋さんの次女だった幼馴染のやっこちゃんが乳癌になったことを知らせてくれたO・Kさんがやっこちゃんと並んで物故者のリストに加わっていた。年頃になってからはヤッコとは一度も口を利いたことがなかったから、思い出話をしてみたかった。ビリヤードの常連客だったお父さんとの付き合いのほうが長かった。「トシボー」と呼ぶ声が聞こえてきそうだ。
 どういうわけか近所には同学年は女の子しかいなかった。「電通の空き地」でケンパや缶けり、縄跳び、ドッチボール、晴れている日は外でたくさん遊んだ。洋裁店のおてんば娘のユッコ、生花店のおとなしいケイコ、向かいのトコヤさんのマーちゃん、小学校の低学年までは女の子たちとよく遊んだ。おとなしかった歯医者さんの娘ケイコは外遊びをあまりしない子だったから「電通の空き地」にはほとんど来なかったが、お父さんはビリヤードの常連客でよく遊んでくれた。背の高い紳士で才能豊かないい人だった。
 担任の富岡良夫先生もリストに名を連ねていた。癌で3回手術したがしばらくはお元気のご様子だった。
 羅臼出身の同級生のA・Kもリストの一番最後に挙がっている。あいつが一週間の停学を食らったときに、退屈だろうから、家業のビリヤードの手伝いが終わってから連日9時ころにいって、休んだ授業のノートを写させるつもりが、3時間近く花札をして遊んだ。定期テストの直前のことだったが、あいつはうれしそうな顔をしていた。1年生のときから同級生だったA部はあとで、「ebisu、ほんとうに勉強しないで一番とってたんだ」とあきれた顔をしていた。定期テスト前の一週間を零時ころまであいつと花札をして遊んでいたのだから、成績が下がることを心配してくれたのかもしれない。授業の後に数分間黒板に先生が書いたことを脳内にイメージとして再生するだけで定期テストは科目を問わず90点以上取れたのである。だからいつも通りに勉強していた。休憩時間や、ビリヤードの店番をしている合間に、授業で入力済みのイメージを数分間再生するだけで充分だった。
(「必要は発明の母」とやよく言ったものだ、家業のビリヤードを小学生のころから手伝っていたので、夏休みや冬休みや春休み以外は家で勉強する時間があまり取れなかったのである、それが幸いした。短時間(数分)で完璧に復習する方法を発明してしまった。イメージで記憶し、それを再生すればいいだけだった。)
 あの停学は不幸な事件だった。3年生と2年生の「7:13の決闘」事件は当時の新聞に載ってしまった。多少の怪我はあったが、たいした事ではないのに、新聞沙汰となっては学校側も処分を出さざるを得なかったのだろう。多勢に無勢で、気の毒に3年生の顔はぼこぼこになっていた。3年生の総番グループには数人親しい人がいたし、2年生の総番グループにも美容師になった温根沼のA野や総番のヒロシ、副番の花咲港のMなど仲のよい友人たちがいた。どういうわけかわたしの周辺にいた総番グループは人っ子のよいものたちが多かった。同じクラスではないが、箸にも棒にもかからない者もいた。高校時代に根っこの辺りを腐らせたら、その後の人生はたいへんだ。心根を入れ替えないとまともな大人は相手にしてくれない。

 同期350人の内26人が「物故者」リストに名前を連ねているが、おそらく1割程度が亡くなったのだろう。9月3日に生き残っているうちの57人が集う、うれしいのか最後のお別れなのか、なんだか複雑な心境である。

 門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 一休宗純の狂歌だったと思うが、調べてみたが、83年に読んだ西田正好著『一休 風狂の精神』(講談社現代新書477)には見当たらない。こちらの道歌が載っていた。

 門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊まり屋もなし

 正月になって新しい年を祝うが、人生の時間は確実に過ぎ、残り時間が短くなっていく。人生の旅には、馬や駕籠という便利な乗り物はないし、休むことのできる旅館もない、ただただ死へ向かってたんたんと進むのみである。また一年残り時間が少なくなったという道しるべの門松を通り過ぎてしまった、めでたいなんて浮かれる気分にはなれぬ。

 92年に、バグワン・シュリ・ラジニーシ著『一休道歌』(めるくまーる社)も読んでいるが、下巻のみで上巻がない。このころ瞑想に興味があって、ラジニーシの本を何冊か読んでいる。瞑想時の呼吸法については村木弘昌著『釈尊の呼吸法』(1981年、柏樹社)が参考になった。

 「釧路の教育を考える会」のメンバーには食育と同様に「息育」を提唱している先生がおられます。呼吸の仕方を教えてもらえる生徒は幸せですね、縁ありて出遭うべくして出遭うもの。努力を超えている、五木博之氏が「他力」と呼んでいるものの作用だろう。


< 余談-2 >
 現役を引退し暇をもてあましている同期の人たちに、ペルシアで生まれた四行詩の詩人、オマルハイヤームを紹介したい。小さい字が読みづらくなった人にはワイド版を薦める。

ルバイヤート (ワイド版 岩波文庫)

ルバイヤート (ワイド版 岩波文庫)

  • 作者: オマル ハイヤーム
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1993/04/07
  • メディア: 単行本

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

  • 作者: オマル・ハイヤーム
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/09/17
  • メディア: 文庫



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一休―風狂の精神 (講談社現代新書)

一休―風狂の精神 (講談社現代新書)

  • 作者: 西田正好
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1977/05
  • メディア: 新書

一休道歌 上

一休道歌 上

  • 作者: バグワン・シュリ・ラジニーシ
  • 出版社/メーカー: めるくまーる
  • 発売日: 1987/08
  • メディア: 単行本
一休道歌 下

一休道歌 下

  • 作者: バグワン・シュリ・ラジニーシ
  • 出版社/メーカー: めるくまーる
  • 発売日: 2000
  • メディア: 単行本
一休道歌―三十一文字(みそひともじ)の法(のり)の歌

一休道歌―三十一文字(みそひともじ)の法(のり)の歌

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 禅文化研究所
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 単行本
釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ (1979年)

釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ (1979年)

  • 作者: 村木 弘昌
  • 出版社/メーカー: 柏樹社
  • 発売日: 1979/03
  • メディア: -
釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ

釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ

  • 作者: 村木 弘昌
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 単行本

 お釈迦様は呼吸をするときには、呼吸に意識をおきなさいと言っているだけ。食べるときには食べることに意識をおく、何かをするときにはすることに意識をおきなさいと仰っているのみのようです。
 この本の読者レビューをご覧ください。
https://www.amazon.co.jp/釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ-村木-弘昌/dp/4393710428?SubscriptionId=1PCE93D9TWKJC4EYD9G2&tag=sonet0f-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4393710428

#3398 元塾生たちの夏休み Aug. 26, 2016  [つれづれなるままに…]

 台風10号がここ数日間南下し続けて暖かい海水からエネルギーを吸収し、超大型に成長しつつある。午前3時には南大東島の南310kmにあり、中心気圧945hPa、最大瞬間風速60m/sだそうだ。時速216kmだから新幹線の窓を開けて手を出すようなもの。すぐに骨折するような風圧である。オホーツク管内では2000ha、十勝管内では4600haの畑が冠水してしまった。前線が刺激されて今日も大雨が予報されているから、さらに被害が拡大しそうである。石狩管内や上川管内の水田は大丈夫だろうか?
 台風10号はいずれ反転して日本のどこかへ上陸するだろう。

 道立の農業大学校へ進学した生徒がお祭り前に戻ってきて、すぐに帰った。塾に顔を出して1時間ほどだべっていった。牛の世話をしているから1週間しか休みが取れないのだそうだ。高3のときに、大学進学をやめて道立の農業大学校へ進学するというので、家が農業をやっているわけでもないのにどうして「農業女子」なのか何度も話したが、決意が固かった。生き物が好きだった。犬を飼ってそれが年老いて死ぬと家の中でウサギを飼っていた。ペットを飼うのと乳牛を育てるのではずいぶんギャップがあるが、本人はすっかり酪農に慣れた様子。きれいにしていれば牛舎は匂わないのだそうだ。
 猛禽類の隼が牛舎に入り込み「食事」をするのには困ると苦笑交じりに語った。捕まえた小動物を床の上で食い散らかすから、床が血だらけになって残骸が残っている、それもちゃんと清掃しなければならない。隼は牛舎をキッチンと決めたようで、たびたび食材を調理して食べまくっているらしい。2年間で卒業だが、当初は大学編入を考えていた。編入には英語の試験があるのだが、この生徒は英語が嫌いだった。

「英語の勉強はじめたか?」
「いいや、やってない」
「そうだろうな、忙しいから」

 勉強しなければ大学進学はできない。農作業のあとの疲れた身体で勉強できるくらい辛抱力を育ててほしい。最初は30分でいいのだよ。
 地図を検索すると学校の牧場の横に川が流れている。今回の雨で洪水になっていないだろうか。洪水になっていたら後始末が大変だがそれも貴重な経験、2年間農業女子として自分を鍛えるカリキュラムのひとつと割り切り、ニコニコ顔で取り組もう。

 北星学園経済学部の生徒が顔を出してくれた。日商3級用の簿記の問題集を持ってきていたので聞いてみた。6月に受験したが不合格、3ヶ月ではほとんどの生徒は受からないから、11月の試験を受けることになる。3級の過去問をやりながら、2級の商業簿記の問題集をやるように薦めておいた。もう必要がないので、工業簿記1級の問題集と会計学の参考書を1冊あげた。この生徒には簿記の勉強を薦めたことはなかったが、簿記と経済学の両方の勉強をしていることがうれしかった。
 伝票会計の仕組みについて質問があった。伝票会計では入金伝票と出金伝票、そして振替伝票が使われる。その役割分担について理解できない部分があったようだ。
 役割を仕訳で考えれば簡単にわかる。「借方現金」勘定の仕訳が「入金伝票」のテリトリー、「貸方現金」勘定が「出金伝票」、借方・貸方の両方に現金勘定が出てこないのが「振替伝票」のテリトリーと説明したら、すぐに理解した。
 日商2級は商業簿記と工業簿記の2つの試験がある。工業簿記は製造業の簿記である。簿記は特殊数学だから、数学が得意な生徒は簿記も得意だ。この生徒は理系に進みたかった生徒だから、簿記の勉強に向いている。
 会計基準が変わっただけで日本の一部上場企業株の4割近くが外資の手に落ちた。会計基準の変更は企業の経営活動に大きく影響するから、経済学部の生徒は簿記の勉強をしっかりやっておくべきだ。
 この学校のマクロ経済学担当の先生は簿記知識があるようだ、珍しい。この生徒は経済学のゼミをとったと言っていた。経済学部卒で日商簿記1級なら就職は心配なしだ。入社したい一部上場企業人事部へ履歴書を送ればいい。ニーズはあるから新卒でなくても大丈夫だ。

 看護学校の3年生が夏休みで戻って来ていたが、数日いただけですぐに戻って勉強している。来年1月に国家試験だから、大忙しだ。

 札幌の高校へ進学した生徒がお祭りで太鼓叩きたくて戻ってきていた。いい顔して山車に乗って第一祭典区の太鼓を叩いていた。西部祭典区だっただろうか、根室高校へ進学した生徒がばっちり化粧して太鼓を叩いていた。ふたりとも気合が入って、これ以上楽しいことはないという表情だった。文武両道、勉強のほうもしっかりしているようだ。


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#3264 感覚の曖昧さ Apr. 4, 2016 [つれづれなるままに…]

 羽田に着いて、高速バスに乗り、数年前に開通した山手トンネル経由で新宿へ出る。中央高速への接続が悪いので、渋滞しているときは高井戸インターまで一般道を走ることになる。バスはそこから中央高速で国立(くにたち)・府中インターまで甲州街道沿いに走る。
 高速を降りるともう感覚が13年前に東京にいたときに戻ってしまっている。聖蹟桜ヶ丘駅前で高速バスを降りて買い物をして、高幡不動駅行きのバスに乗ったころは、ずっと東京にいたような気分になっている。根室で13年が過ぎたことがなんだか夢幻に思えてくるから感覚というのは曖昧でいい加減なもののようだ。いまいる場所が現実で、そこを中心に物事を感じ始めているのである。
 根室へ戻ってくると、東京で暮らしていたことや2週間そこにいて毎日家から半径4kmの範囲を散歩したことが夢のように思える。

 東京では、朝起きて軽いストレッチをしてから、高幡不動駅のキオスクまでジャパンタイムズ紙を買いに行く。中央大学生や帝京大学生、明星大学生がモノレールに乗り換えるので、京王線のホームからモノレールの駅までたくさん歩いてくる。
 家から高幡不動駅までは2500歩ほどの距離だから片道2km弱の散歩コースである。途中の竹林にはさまざまな小鳥がさえずっている。東京はあんがい野鳥の種類や数が多いことに気がつく。根室の自宅の庭に来る鳥の種類のほうがずっとすくない。

 高幡不動尊の境内は桜が8分咲きだった。境内にはアジサイがそこここに植えられているから、これが一斉に咲くときは見事なものである。護摩行をやっているので覗いてみたらいい。よく火が燃え移らないと思う、それぐらい激しい炎が上がる。目の前の祭壇で木をくべるのだから、行者は汗だくでたいへんだ。

 明日からまた生徒たちの顔を見て、ふるさと根室に感覚が戻る。先ほどNHKのニュースで、釧路と根室の天気予報が流れて、「おや、(東京でも)釧路だけでなく根室の天気予報もはいるのか」と思ったとたんに、ここは根室だと気がついた次第。
 ボケはこうして始まるのかもしれない、あぶないあぶない。(笑)


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