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#3527 「九人会」川湯温泉旅行 Apr. 10, 2017 [ゆらゆらゆ~らり]

  高校時代の同級生が「九人会」という会を作っている。根室人は会が好きだから様々な会が根室にはある、そういうものの一つと考えてもらいたい。恒例行事が年に2回ある。正月2日の新年会と春の川湯温泉旅行だ。
  昨年の高校同期会の折に、散布漁協で仕事をしていたN田が「俺も参加したい」とメンバーの誰かに告げたようだ。もちろん歓迎で今回はゲストだが次回からは「正会員」である。東京から故郷へ戻った私もすぐに受け入れてくれた。
  土曜日のお昼ころに、根室の魚屋さんで刺身や冷凍煮エビを買い込み、酒も仕入れて、A野の車に6人同乗して川湯へ向かう。2時40分に到着した。
  羅臼のD目と釧路のH谷が先に到着して部屋割りを決めてくれていた。自然に役割分担ができている。わたしは根室漁協に勤務していたE藤と同室だ。さっそく風呂に入り、3時から宴会を始めた。
  他のメンバーはビールだが、わたしは北の勝「大海」をいただいた。北海島エビの剥き方下手くそなのを見かねたA野がやり方を教えてくれる。数尾やってみたら少しできるようになった。味噌の部分を落とさない剥き方がある。E藤が見かねてA野を突っつき、小声で「トシに剥いてやれ」と言う。A野が数尾剥いてわたしの皿に放り込んでくれる。胃のない私は十数尾食べたら満腹だ。6時までみんなでワイワイガヤガヤやりながら飲んだ。もう一度風呂に入って6時半から宴会である。
  コンパニオンが2名きた。御馳走が並んでいるが満腹でほとんど食べられない。N田が特別な牡蠣を持参してくれた。養殖の手のかけ方が違うのだそうだが、癖のないうまい牡蠣だった。二つだけいただいた。
  九時少し前に近くのスナックに6人で繰り出した。「ザックバラン」という店名だった。カラオケで歌って騒いで10時半すぎにお開き。店を出てラーメン食べて帰るというので、わたしは寄らずにまっすぐホテルへ帰るからと告げると、A野が一緒に帰ろうと強く誘うので、暖簾をくぐった。醤油味のさっぱり系のラーメンだった。A野が子どんぶりを頼んで、わたしに少し分けて「食え」という。これぐらいなら、明日朝に下痢を起こさずに済みそうなので食べた。優しい奴だ。高校時代から共産党でがんばっている。
  漁協関係者が多いから、牡蠣やウニの養殖の仕方、同じものでも栽培場所が異なれば味も違ってくるし、手のかけ方も千差万別。ウニの養殖には餌として草のイタドリを使うところが多いそうだ。最後に食べさせるのが昆布だ。品質の良い昆布がウニの味を決めるという。道内各地は宮城県の種苗センターから牡蠣の種を買い入れて養殖栽培しているという。厚岸には種苗センターがあり、自給自足できるようだ。厚岸湾の大黒島には固有種が棲み着いており、固有種の保存に努力している。偉いものだなと感じ入ったしだい。知らないことだらけだから、漁業組合関係者であった彼らの経験と知見を聴くのは楽しい。

  来年は夫婦同伴でどうだという提案が羅臼のDからあった。子どもの年齢が同じ友人同士は家族ぐるみの付き合いがあった時期があるが、そうではない者もいる。奥方同氏は友人関係ではないからそのあたりの配慮をどうするか、幹事さんが考えてくれる。女房殿は3人の奥方と付き合いがある。
  初参加のN田が喜んでいた。根室と浜中は離れているから、すんなりと仲間になれるか心配だったのだ。飲み始めたらすぐに高校時代の和気藹々とした気分に戻っていた。

  A野は一人ずつ家まで送ってくれた。往復の安全運転ありがとう。


<余談-1:Y岡>
  九人会は同級生の会と書いたが、一人だけ例外がいる。Y岡である。太平洋石油の根室元支店長といえば根室では大概の人が知っている。彼だけはクラスが違う。しかし、高校を卒業してからわたしのクラスのメンバーと「酒悦会」を毎月のようにやっていたから、クラスのメンバーのようなものだ。Y岡は中学校時代の同級生で、そのときの三人の親友のうちの一人である。
  高校の担任だった富岡先生は50歳を過ぎたころ、ご両親の介護のために教員をやめて東京大田区に戻られた。東京では二年に一度くらい同期会をやったが、富岡先生は毎回出席してくれた。あるとき、先生がこんなことをおっしゃった。
 クラス会に見慣れないやつが混ざっているので、「お前は誰だ?」って訊いた。そうしたらY岡が「ebisuの友人です」と応えた。「みんなも(違和感なく)認めているようなので、お前の友人ならいいかと思って、「名誉市民」として認めた」と笑っておられた。先生はY岡の人柄を一目で見抜いたのだ。
  先生は最初の癌の手術のと数年して癌が見つかり、3度手術をした。最初の手術から数えて二十年ほど、一昨年亡くなられた。好い先生だった。

<余談-2:体調>
  2月から首と右肩から腕にかけてしびれた感覚があり、だるくて重い感じがして睡眠がとれない。神経を痛みが走るので、その都度寝返りをうち姿勢を変えるがダメ。そのうちに疲れ切ってしばらく睡眠がとれる。
  35歳の時に首と左肩から腕にかけて同じ症状を起こしたことがあった。新宿西口のNSビル22階で仕事をしていたから、4階にある東京女子医大循環器センターで治療を受けた。1か月ほど通院治療を続けたが治らなかった。首の神経を切ればよくなると言われたが、神経を切断するのは乱暴な話なのでお断りして、通院をやめた。毎日冷たい牛乳を2L飲んでいたのでそれをやめた。そして肉食を減らしてみたら、徐々に症状は改善を見せて、完治した。対処が適切だったかどうかは不明だ。自然に治ったのかもしれぬ。
  今回はカイロで温湿布すると症状が改善することが分かったので、痛みがひどくて眠れない時にはやっている。東京へ2週間行っていたのでそれもあって、体重が3㎏も減少し、58㎏になった。体力が著しく低下してしまった。
  この旅行で1kg増えた。川湯の水(摩周湖の伏流水?)がおいしくて、宴会の間ずっとちびちびと水を飲み続けていた。少し元気になった、ありがたい。

#3388 北海道っていいな:2泊3日720kmの旅 Aug. 9, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 たまには少し遠出してみようと、女房殿と車で出かけた。網走を回って北見で一泊、翌朝に層雲峡を回って十勝川温泉でもう一泊という大雑把な予定だった。
 摩周温泉(道の)駅でちょっとだけ休憩し、ソフトクリームを食べて、温泉卵を二つだけもとめ、美幌峠で食事をしようとすぐに出発。気温は30度を超えていた。美幌峠に車を止めて、涼しいところで食事。
 屈斜路湖を眺めおろして後ろ側はどうなっているかと振り返ると、こちらもはるか遠くに山また山、見晴らしがよい。ここでのんびり遊んでいたら、網走へ行くのが面倒になり、北見へ直行することになった。網走市呼人の「そば切り温」の蕎麦を食べたかった。
 北見には焼き鳥を食べたくて一泊、偶然に同じホテルの同じ部屋だった。ついた日がお祭りの最終日。胃がないので食事に制限があり、駅前のビル6階でお蕎麦を食べたが、5割蕎麦いや4割かも。量が多いだけ。専門店ではないからこんなもの。例によって、わたしは半分ほどしか食べられず、女房殿は1.5人前食べさせられて大迷惑。(笑)
 ホテルの前のお店で焼いていた焼き鳥はおいしかった。これが食べたかったのだ。大きく切った鶏肉の間に申し訳なさそうに北見産の玉葱がちょこんと挟まっている。柚子酒を飲みながらいただいた。北見の気温は33度、寒い根室から真夏の国・北見へ「夏体験」に来たようなもの。(笑)
 東京で35年間暮らしたので、33度はそれほど暑く感じない。ここは北海道、空気がさわやか、水もおいしい。

 翌日(8/9)は層雲峡へ向かう。女房殿は4回ほど来たことがあって、流星の滝を見たかったのだが、トンネルができていて道路沿いにはなかった。トンネルを出るともう層雲峡温泉街だった。川沿いに散策道路があるようだ。車は入れない。進入禁止になっていたから、一方通行道路なのかもしれない。
 トンネルに入る前に「大函、小函」の標識があったから、そこの駐車場へ車を止めて歩けばよかったのだろう。普段歩かないわたしは億劫だった。女房殿は雨が降らなければ毎日5~7kmくらい歩いているから平気だろう。
 三国峠を通って帯広へ向かった。道路の向こうに見えた大雪山には8月だというのに雪が残っていた。途中、高いところに橋が架かっていたが、運転しているわたしはまっすぐ前だけみていた。高所恐怖症なのである。地震があったらどうしようなんて余計なことが頭を掠める、怖いだけだ。
 途中にある、糠平湖で車を降りた。「ひがし大雪山自然館」という環境省の建物があった。木造でデザインも立派、トイレも最新設備。鳥類の剥製・昆虫のコレクションがきれいに陳列されていた。鳥類や虫が好きな小学生にはいいスポットだ。
 湖のすぐ近くまで車を乗り入れられるので、そちらへ移動し木陰へ車をとめた。北見のデパ地下で買ってきたものを広げて食事。湖畔を歩いたら、キリギリスが鳴いていた。

 上士幌のナイタイ高原牧場へと向かう。女房殿は30年ほど前に訪れたことがあるというので、わき道に入り、10kmほど畑と山の中を走って牧場の中に入ると、実に見晴らしのよいところだった。空と山の境目が見えなくなり、頂上付近の目的地へ着いた。景色の様子が違うので、女房殿、確かこの辺に2階建ての建物、ビジターセンタのようなものがあったはずだという。四葉乳業のソフトクリームを食べていたら、霧が這い上がってきて、雲の中にいるようだった。写真を撮ろうにも、すぐ目の前しか見えなかった。
 昔あった建物は1階部分だけ残して解体してしまったようだっだ。建て替え資金の募金箱があった。昔は国営の施設だったようだが、上士幌町へ払い下げになってから、維持がたいへんなのだろう。

 帯広市内で買い物をして、十勝川温泉「ホテル大平原」へ泊まった。ネット予約を入れてあったが、部屋が広かった。4畳と6畳の和室、5坪のベッドルーム。洗面台は広くて豪華、内湯のバスタブは1.8mほどもある広いもの。もう建ててから40年近くもたつのではないかと思うが、トイレとバスタブと洗面台は最新の設備になっていた。建物の外装も手入れがしてある。昔は十勝川温泉でナンバーワンホテルだったが、新しくて立派なホテルがいくつも建ったので、建物ではないところで勝負をしている様子。古い建物に手入れをしながら、アイディアを絞っているようだ。ネットで、夕食抜き・朝食付きという選択肢を見つけて歓んだ。胃がないわたしは料理を並べられても半分も食べられないから、温泉ホテルは敬遠していた。団塊世代のわたしは食べ物を残すのが嫌いだし、第一半分も残したら、料理を作ってくれた人がどういう思いをするかを想像しただけで気の毒になる。だから第一ホテルの「夕食抜き」をいう選択肢がありがたいのである。
 空調がセンターコントロールになっており、自動的に冷房が入ったり切れたりする。ダクトを送風装置の音が伝わってくるのが、ちょっとうるさく感じた。送風機のファンを交換するだけでカラカラとうるさい音はなくなるのではないか。部屋のドアもオートロックではなく、昔の鍵のままでドアも安っぽかった。オートロックにしたり、各部屋で空調のセットができるように直すのは、配線やダクトの撤去、部屋ごとの空調機取り付けなど、かなりの無理がある。経営者は10年後にどういうホテルにするのだろう?川湯温泉街は老朽化して維持費の捻出できないホテルが目立つ。

 8時ころお風呂に入り、夜中の4時過ぎにもう一度入った。どちらの時間帯も数人しか客がいなかったのでのんびり楽しめた。朝の露天風呂では新鮮な空気と鳥たちの囀り、透明感のあるこげ茶色のモール温泉は肌がつるつるして気持ちがよい。お風呂の周りには暑さ3cm、幅40cmくらいの檜板が貼り付けてあるので、うっすら香りがした。肩まで湯につかるほどの深さだった。湯温は42度くらいに感じた。三つの浴槽のうち露天風呂が一番熱い。
 檜の板の上で半跏趺坐して鳥の声に耳を傾ける。すると「ホーホー、ホッホッホ」と3度フクロウが啼いた。低音でよく響く声だ。しばらくそのまま呼吸を整えていたら、また2度啼いた。森の神様が歓迎してくれているような穏やかな気持ちになれた。
 内湯は3つ、二つはモール温泉、もう一つは一番大きいジェットバス。内湯は湯温が41度くらい、深さは肩が10cmほど出る。浴槽ごとに微妙に深さを変えている。

 朝食はバイキングである。料理の種類が多かった。250席ほどのホールに7割ほど人が埋まっていた。7-9時までが朝食時間だから、2回転ぐらい、350人ほどが宿泊していたのだろう。ピーク時にはお風呂は相当混雑していたはず。
 右隣のテーブルと同じテーブルの左側に来た人は台湾か中国の家族連れだった。意外に思ったのは、中国人は箸の使い方が下手だということ。箸の持ち方が悪い、家庭での躾がなされないのだろうか?箸の文化は日本には古来からあったものなのか、中国から伝わったものなのかは知らぬが、日本人の箸使いは洗練されている。しかし、その日本でも、箸の使い方の躾がちゃんとできる親が激減しているようだから、30年後の姿は想像したくない。洗練された文化はしっかり受け継いでもらいたい。中国人が日本人の箸使いが美しいから真似てみようと言われる様であってほしい。

 旅行をすると体重が減り疲れる、すると耳の中で自分の声が響く。声の調子が変わるようで、女房殿にはそれがすぐにわかるようだ。「耳、おかしいでしょ」とバレる。
 体重が1kgほど減っただけで、耳の中のどの部分かがやせてしまうのだろうか。家に戻って飲み食いしたら戻った。

 台風は去った。宵宮の太鼓の競演は中止になったが、明日(10日)のお昼に神輿が金刀比羅神社を出発する。お祭りに戻ってくる若者が多い。うれしい日だ。


<余談:ルーツ>
 帰り際、女房が木彫りのフクロウのストラップに名前と日付を入れてもらっている間に、彫っている人と雑談をした。経営者は今でも中津川さんですかと訊くと、そうですという返事。さらにいくつぐらいか訊いたら40代半ばだという。わたしの父方のご先祖は中津川から釧路の「カネ吉」伊勢旅館は養子に入ったと聞いている。「ホテル大平原」の中津川さんとは縁戚関係で親父の代までお付き合いがあったが、わたしは面識がない。大平原の先代は気球の好きな人で、気球を飛ばして遊んでいた趣味人でもある。その息子さんの現会長は60代後半、ドアの向こう側で、気球をいじっていたようだ。親子はどこか似たところがあるのだろう。
 釧路で明治10年代に旅館業をはじめたのが重兵衛だから、この人が養子に入ったとすると実家と同じ旅館業をはじめたことになるし、その次の代の寛三だとすると、同じ旅館業ということで養子縁組されたのかもしれない。この辺りは聞いておらずはっきりしない。中津川の先代なら知っていただろう。釧路に中津川姓のおばが一人いる。子どものころどういう親戚かわからなかった。オヤジがいとこの一人だといっていたような気がする。ホテル大平原との関わりは、根室管内のお袋関係の親戚の会を十勝川のホテル大平原でやった写真があったからだ。気球好きの先代と落下傘部隊の生き残りのオヤジはウマがあったようだ。当時私は東京住まい、帰省した折に写真があり、親戚だというので、どういう親戚かオヤジに訊いた。

 カネ吉伊勢旅館は北海立志図録に2階建ての建物の絵が載っている。佐藤尚著『釧路歴史散歩(上)』釧路新書126ページに重兵衛の名前と絵図が載っている。重兵衛の養子である寛三がわたしにはおじいさんにあたる人だ。多少勉学に興味があったのか、東京の大学へ通っていたが、重兵衛さんが亡くなると、親戚が財産を使い始めたので、人に使い尽くされるくらいならと、大学を中退して釧路に戻り、飲む・打つ・買うの三拍子で当時50万円あった財産を蕩尽したそうだ。1万倍するとほぼ現在の金額になるだろう。京都のお寺へ嫁に行った婆さんの姉か妹の話だが、「50万円も財産があったのによく使えたね」とあきれていたという。自分の住まいもなくして長屋住まいで亡くなった。バカで豪快で面白い人だったようだ。婆さんから面白い話を聞いているが、教育上よろしくないので書かない。(笑)
 オヤジはなかなか元気のよい子どもだったようで、釧路のやくざの親分から養子にほしいと乞われたことがあったそうだ。
 落下傘部隊の生き残りだったから、戦後まもなくのことだが、富良野の映画館でやくざ5人に絡まれて、数分して甥っ子が行くと、みんなぶっ倒れていたという。もともとボクシングもやっていたし、秘密部隊だった落下傘部隊の訓練は厳しく、1人で正規兵を3人相手にできたというから、因縁をつけた相手が悪かった。それ以降、オヤジが歩いていると、富良野のやくざはさっと道を開けたという。
 「加藤隼戦闘隊」という戦時宣伝映画の降下訓練撮影で、直前の隊員が躊躇して飛べなかったのを両手で押しながら飛行機の外へ飛び出したときに、右腕に主導索が絡まって複雑骨折し、左腕でパラシュートを開きなんとか降りた。右腕はブランとぶら下がっていたから、バランスがとれずに降りたのだろう。戦場でないところで危うく死ぬところだった。映画が上映されたときに釧路の丸三鶴屋デパートへ宣伝用にオヤジの大きな写真が飾られて、兄弟姉妹の知るところとなった。秘密部隊だったから、親兄弟にも部隊に関することは言えなかったのだ。右腕複雑骨折で療養している間に部隊はばらばらになって南方へ送られた。いつもの出動の通り行く先は秘密だから、何も訊かない、何も言わない。これが最後、左腕で敬礼して仲間を見送った。
 一部は輸送機からパラシュートで降下して、3日間南方の島を米軍から取り戻したが、後方支援が来ずに、追い詰められて玉砕している。他の者たちは「空の神兵」として戦意高揚のために現地支援へ船で送られ戦死しているから、ほとんど生き残っていない。戦後、自衛隊から空挺部隊の教官として来てほしいと何度かお誘いがあったが、断っていた。みんな戦死したから、結婚もせずに散った仲間の分も幸せになるんだと、オヤジが言っていた。若い者を訓練すれば九州の部隊から仲間を見送った当時を毎日思い出すことになる、「靖国で会おう」と言い残した仲間に左腕で敬礼してただ見送った。大腸癌の手術をしてから、一度だけお袋と二人で靖国神社へ行った。執刀外科医が再発まで2年と言い切っていた。オヤジには知らせなかったが、命の終わりを感じていたのだろう。
 オヤジは戦死ではなく癌死だから靖国へは祀られないが、本望だったろう。寿命いっぱい生きた、生きたくても死ぬしかなかった仲間たちの思いを背負って生きた。
(大腸癌治療の際に、治験薬で口が渇き、口内の皮がはがれたが、一ヶ月間水を飲まずに協力した。治験期間が終わってスプーンでいっぱいだけ水を口に含んだときに、「あ~あ、うまい、こんなうまい水はない」と言ったそうだ。担当医は1ヶ月我慢できる人はいないと言ったが、弱音は一度もはかなかった、あれがオヤジなりの戦いだったのだろう。)
 お袋と一緒になったときに、後遺症があってしばらくの間は右腕が上がらず口を腕のほうへ近づけて食事していたという。お袋は長兄が終戦後のソ連軍の侵攻時に戦って満州の荒野で亡くなっていたから、親父に会ったときに戦傷で体が不自由になった兵隊さんと結婚してあげたいと思ったそうだ。2002年にふるさとに戻って一人暮らしのお袋と一緒に住み始めたころそんな話を聞いた。そういう話を聞けただけでも戻ってきてよかった。わたしの記憶ではオヤジの右腕が不自由だったということはない、運動神経が抜群で何でもこなす器用な人だったのである。なにしろ60歳になってから、本を読んで一輪車に乗り、体協の資格を取って、地元の小学生に一輪車を教えたいたくらいだから。いま40歳前後の根室っ子の中にはオヤジに一輪車を習った人が百人はいるのではないか。


<美幌峠>
 屈斜路湖と中ノ島が後ろに見える
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<雪が残っている大雪山>
 三国峠の下り道です、左右横に2筋ずつ雪が写っています
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<糠平湖>
 左側の湖畔に丸太組みの喫茶店があります。
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#3352 いらっしゃ~い:東京から1ヶ月の避暑に根室へ  July 6, 2016  [ゆらゆらゆ~らり]

 家の前の草取りをしていたら、私と同じくらいの年配のご夫婦から「東根室駅はどこですか?」と聞かれた。
「まっすぐ下へ降りていけば東根室駅ホームです、駅舎はありません、どちらから来られたのですか?」

 そう訊くと、東京だという。わたしの住んでいた市の隣にお住まいであることがわかった。小学校のときに根室へ転校し、花咲小学校の卒業生だという。光洋中学校を指差して、
「校舎はもっと右寄りになかったですか?」
 そう訊かれた。昔は右よりのところに校舎があって、一部は厩舎を改造して造ったものであった。一番右端が畑になっていたはず。戦後すぐのころは食べ物が不足していたから、当時の根室中学校の生徒は畑を耕して大根やジャガイモを植えたそうだ。トイレから長柄の柄杓で人糞を掬い取ってバケツにいれ、天秤棒で担いで運んだそうだが、チャップンチャップンはねて服についたそうだ。天秤棒がしなって揺れるので、はねるのである。この話は一回り年上の親戚のおじさんに昔聞いた。

 東京郊外からいらっしゃったご夫婦は団塊世代の私よりも一回り近く年上だが、ずいぶん若く見えた。
 1ヶ月間、教員住宅を借りて過ごすのだそうだ。奥さんが「涼しい!」と喜んでいた。
 東京に比べると根室は夢のように涼しい。のんびり楽しんでください。

 その暑い東京から女房殿が今夜戻ってくる。「寒い、寒い」というだろう。家に着けば床暖房がないっている。好きな森永パルムアイス・アーモンドを食べたらいい。(笑)

〈 余談 〉
 冬場も1週間程度の滞在希望の人は首都圏にたくさんいます。流氷を見てみたいのです。岸壁だらけになっていまでは砂浜も石の突堤もなくなりましたが、昔は浅いところで流氷に乗って遊べました。岸壁を崩して流氷に乗れる浅瀬があったら、写真をネットにアップすれば、結構な数の観光客が来ますよ。ホラー好きの若い女性には夜の流氷がおススメです。大きな氷塊が波でこすれて、ギギギィ、ガリガリ、いろんな音がして、そこいらじゅうに魔物がいるような気がしてきます。とっても怖いのです。「深夜に流氷のざわめきを聞く会」2月下旬から2週間ほど試してみたらいかが?


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#3333 攻めの健康法(2):四股踏み  June 19, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 「攻めの健康法」の二つ目は、2週間前からはじめた「四股踏み」です。スクワットはしていたのですが、テレビを見ながら時々やっても楽しくありませんでした。四股踏みをやってみようと、これもネットで検索して動画をみて真似しています。
 ネットで検索して白鳳の土俵入りの画像を見ました。すごいですね、爪先が180度、正反対の方向を向いています。あれだと左右の重心移動には強いですが、前後のバランスがとれません。体幹がしっかりしているのですね。実に見事、美しい四股踏みです。股割と四股踏みという基本を徹底的に繰り返してああなったのでしょうね、白鳳はすごい!
 開脚して胸が床にぴたっとつくわたしでも、白鳳のように足は上がりません。足が完全に180度に開かないとあの形は真似ができません。股割りと四股踏みを毎日繰り返して柔軟な身体を造りあげたのでしょう。

 右足を左足にひきつけ、それから右足を上げると、最初の一週間はバランスを崩してよろけました。でもだんだんに慣れてきます。2週間やったら、ほとんどよろけなくなりました。身体を支える骨と筋肉と、身体を動かす筋肉の連動(これすなわち体幹)がよくなります。
 教室で四股踏みの型を披露。片足上げてちょっとやってみせて、女子バレー部の中学生に「バランスとるのが難しいから、やれるかな?」と言ったら、二人ともぜんぜんぐらつかない。体幹と足の筋肉がずいぶん鍛えられてました。見事なもの、あっぱれ。
 
 四股踏みはいつでもできます、道具も必要ありません。テレビを見ているときに気が向くと四股を踏みます。たった10回でも、身体は温まります。小分けにして10×5セット、いや10セットくらいやってるかな。
 効果覿面、体がふらつかなくなりました。腿に筋肉がつきが少し太くなりました、腕も木刀を振っているのですこし太くなったようです。

 自転車は使う筋肉が違います。ほんとうは歩くのが一番よいのでしょうが、ものぐさなわたしには向きません。
 気が向けば素振り用木刀を振ったり、足を鍛えたくなれば四股を踏む、程々がよろしいようです。


*#3332 攻めの健康法(1) June 19, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-19

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#3332 攻めの健康法(1):木刀の素振り June 19, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 FB(フェイスブック)仲間が、健康法には2種類あり、ひとつは「守りの健康法」、もうひとつは「攻めの健康法」だという。守りは食生活の改善、攻めは適度な運動だそうだ。それならわたしもやっている。
 でたらめに木刀の素振りをしていたが、ネットで検索して「正しい振り方」を調べた。二つ見つけて、もう1ヶ月ほど型に忠実に振っている。庭で振っていたら、前を通りかかった野球部の生徒が、「見ろよ、剣道ってかっこいいだろう!」と隣の友達に言っているのが聞こえた。構えが様になってきたということ。(笑)

 長さ115cm、重さ1.5kgの素振り用木刀を振っているが、全力で振ると止めるのがゆるくない。
 ユーチューブで竹刀の素振りを見たが、額のところに左手を持ってきて、右手は軽く添えるように竹刀を握り、水平に構えてそこから打ち込む。丹田呼吸法で振るが、足捌きがよくわからない。
 合気道のトレーニングでも正座して同じタイプの素振り用木刀を振るが、これは後ろまで木刀を下げて、逆丹田呼吸法で打ち込む。息を吸いながら振り下ろすが、木刀を止める瞬間に止息し、柄をぎゅっと握る。左手は親指と人差し指を柄から離す、指三本で握る。

 小学生のころ、長柄の鉞で3寸角、4寸角、5寸角の廃材を焚きつけにするために叩き折っていた。石炭ストーブだったから、秋には焚き付けを山ほど積んでおかなければならない。お風呂も石炭釜だった。
 鉞を振りかぶって後ろの地面にまでつけて、息を吸いながらゆっくりと腰の力を利用して頭上まで持ち上げてきて、そこから一気に角材へと振り下ろす。角材に当たる瞬間に息を止めて鉞の柄をぎゅっと力任せに握り締る。
 3寸角なら1発で叩き折れるが、4寸角になるとなかなか1発では折れてくれない。数回叩くことになるが、当たる瞬間に強く握らないと鉞ははじき返されて思わぬ方向へと飛ぶから危ない。5寸角は叩き甲斐があった。十数回叩かないと折れてくれない。廃材ではない、焚き付け用の細いザッパは手刀と拳で叩き折る。たまに生木が混じっている。スピードと当たる瞬間の力の入れ方にコツがあって、気合を入れてやらないと折れてくれない。木が打突で地面についても、しなって折れないのだ。だからしなるよりも速く打突ができなければ何度叩いても折れない。1000、2000本とやっているうちにコツが飲み込めてくる。拳は自然に硬くなる。皮膚が豆ができて硬くなるのではない、たぶん骨の密度が高くなるのだ。
 小学校の6年間そんなことを毎年秋にやり続けたから、背筋力と握力は人並み以上に強くなった。
 高校を卒業した年に、新宿で同級生二人と、パンチボールを叩いたが、腰の回転だけで叩いて、180kgだったか200kgだったか、並みのプロボクサーよりもパンチ力があった。鉞を振り回したおかけだろう。

 素振りには呼吸法が2種類あることがわかった。ゆっくり型を確かめながら振っている。


< 素振り用木刀 >
 1998年ころ、日本橋の剣道具店で買い求めた。もう一本1kgほどの太い木刀が東京の家にある。合気道をやっているS本君がこのお店を知っていた。帝人との臨床治験検査受託合弁会社の本社が当時は日本橋本町にあった。

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#3291 庭の千島櫻は開花すれど、アッツ島の櫻はまだ咲かず  May 14, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 今朝7時の気温が11.9度だった。5/10の10.8度に続いて2度目の暖かさに誘われるように庭の千島桜が咲いた、花は白っぽい。
 昨日、最東端根室の標本木が咲いて、開花宣言が出され、仲良く最北端の稚内も開花宣言をした。

 庭の紫つつじは今週月曜日頃から咲き始め、数えるのが面倒なくらいで、もう50輪は超えただろう。

 庭の真ん中あたりにお袋が植えたアッツ島の櫻はまだピンク色の固い蕾のままである。お袋の兄は満州国境警備隊にいて、侵攻してきたソ連軍と戦い戦死して、荒野にぽつんと立つ木の根方に埋められている。遺骨はいまもそこにある。
 アッツ島守備隊の玉砕はお袋にとっては他人事ではなかった。玉砕した日本兵にも戦って戦死した米国兵にも、親や兄弟姉妹たちがいたのである。庭のアッツ島の櫻はそういう戦死した「兵隊さん」への追悼の意味がある、お袋が大事に、大事に育てていた。
 根室から北東へ1500km、1943年米軍11,000名が上陸して、2650名の日本軍守備隊と激戦があった。生き残った日本兵は傷病兵十数名のみ。あまりに激しい抵抗に驚き、米軍の侵攻はアッツ島でとまった。
 アッツ島での日本兵の玉砕の戦いがなければ、日本は当時のフィリピンのように白人の植民地になっていただろう。
 大本営に見放された守備隊の生き残りは、弾薬すらなくなり爆弾を身体につけて日本刀を振りかざして敵司令部近くまで迫って玉砕したのである。アッツ島は現在、米国領。北方領土返還運動団体で「アッツ島を返せ」という者は一人もいない。

 アッツ島の櫻はなぜか咲くのが遅い、咲かない年もある。濃いピンク色の小さな花びらが風に揺れるのはまだ2~3週間ほど先。たくさんの日本兵の血が流れた島に育った桜だから、濃い色なのだろうか。
 あの玉砕がなければ、北海道に住むわれわれにも沖縄の人々と同じ運命だっただろう。北海道民はアッツ島の日本軍玉砕を忘れてはならない。
 大本営の作戦本部は、守備していた部隊に玉砕を命じている。米も弾薬ももったいなかった、敗残兵に渡す米なしというのが東京作戦司令部の方針だった。

「(前略)軍は海軍と協同し万策を尽くして人員の救出に務むるも地区隊長以下凡百の手段を講して敵兵員の燼滅を図り最後に至らは潔く玉砕し皇国軍人精神の精華を発揮するの覚悟あらんことを望む」

『戦史叢書21 北東方面陸軍作戦(1)アッツの玉砕』 p.421



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#3285 四百万アクセス御礼:まいどごひいきありがとうございます m(_ _)m May 9, 2016  [ゆらゆらゆ~らり]

  今日の最高気温は午後2時47分の18.0℃、湿度は午前10時に21%まで下がりました。午後9時には湿度は70%に戻っています。とっても暖かくて気持ちのよい一日でした。
 庭の紫つつじがポツリポツリ咲き始めましたが、桜はまだ蕾のままです。

 平成20年11月27日からアップし始めた弊ブログニムオロ塾が本日(5月9日)四百万アクセス(PV数)を達成したことを、読者の皆様にご報告申し上げます。
 8年半、今日が3087日目となります。書いた量は500ページの文庫本22~30冊分くらいになるでしょう。ずいぶん重複して同じテーマを書いていますし、優れた他のブログ転載をしばしばしていますので、こんなに量が増えたのでしょう。これからも坦々と書き綴ってまいります。

 日ごろのご愛読に心より御礼申し上げますとともに、これからもかわらぬごひいきを賜りますようによろしくお願い申し上げます。


ニムオロ塾

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#3261 人工知能談義  Mar. 18, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 ブログ「情熱空間」投稿欄で、人工知能が話題になりました。コンピュータの発達によってこれまでにさまざまな職業が消滅しました。
 たとえば、1960年代後半にはキー・パンチャーという職種がありました。プログラムをカードにパンチする仕事です。当時の時給で1,500~2,500円くらいです。大卒の初任給が50,000円程度の時代ですから、現在価値に直すと時給6,000から10,000円もの高給でした。ところがプログラムのパンチ業務は、時代が移り変わり、プログラマーが直接パソコンにタイピングするようになり、消滅しました。オフセット印刷もワードやパワーポイントの普及で消滅、経理業務も専門的な業務の大半が統合会計情報システムの出現で消滅しています。
 システム化は、短時間当たりの処理量が飛躍的に高めるだけでなく、精度も飛躍的に上げてしまいます。コンピュータと機械が結びつくことで、数分の一に人数で、それまでの仕事とは比較にならない量の仕事をこれまた比較にならぬ高精度で、しかも数分の一の時間で処理できるようになってしまうのです。システム化は仕事量と、仕事の精度と、仕事の速度に飛躍的な変化をもたらします。
 コンピュータは、いま人工知能に進化しつつあります。過去30年の進化速度がそのまま続くと、百年後には現在のコンピュータの2億倍の処理速度と集積度をもった人工知能(Artificial Inteligence)が出現します。
 百年はたたないうちに、そう、30年後の世界ではAIが教育分野でも産業分野でも主要な役割を果たしていることは想像に難くありません。
 ブログ「オータムリーフ」さんが、AIの進化によって現在ある職業の49%が30年後に消滅しているという論を紹介していますので、URLを書いておきますから、そちらをお読みください。

*「仕事がなくなる世界」
http://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/a92df3b290da4a537634de3b5f19e711

 昨日、ブログ「情熱空間」投稿欄で自動翻訳についての議論をしました。AIが教育に導入されるとどうなるのか、一緒にお考えください。投稿に続きがあれば、後で追加します。

*「迷走する小学英語」 
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8391675.html#comments
 
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1. Posted by 後志のおじさん   2016年03月16日 09:30
北海道の高校入試と同じですな。

向いている先が、真逆なだけで。

北海道、下しか見ていない。
文部科学省、上しか見えない。

どちらも「自分の善意」を無邪気に押し付けるだけで結果の予測をしていません。

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2. Posted by ebisu   2016年03月16日 10:37
ははは、後志のおじさん、書き込みをまっていました。

何か政策提言をするとき、あるいは政策変更をするときは、数値で検証できるような検証方法も一緒に提案してほしいですね。

planとdoばかりで、客観的なチェックのないことが、文科省の政策の欠陥です。
いつまでに、どのような効果をだすのか、具体的に記述できなければ、民間会社では稟議不採用、3年の実行計画にも年次計画にも入れられません。

小学校英語、夏休みに時間を割く、朝の時間を15分割く、とにかく授業時間数を増やせ。
それでどういう効果を予測しているのか、あるいはどういう結果をいつまでにどの程度計画しているのか、ちゃんとしろと言ったら、こんな提案すぐに引っ込んでしまうでしょう。
民間会社で多少有能な上司がチェックしたら、このような政策は課長段階で歿(ボツ)です。

中央教育審議会作業部会のメンバーの皆さん、ちゃんと仕事しましょう。

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3. Posted by ZAPPER   2016年03月16日 13:50
人工知能が飛躍的に進歩し、それに伴って高度な言語翻訳機が普及。外国語を習得する必要性が日に日に薄れる。20年後にはそうした社会になっているものと思います。

そしてその際、なぜもっと日本語を深く教えなかったのか。なぜもっと日本文化を深く教えなかった。そうした議論になるのだろうと思います。もっとも、その頃には労働の大半はロボットや人工知能に置き換わっているのでしょうけれど…。

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4. Posted by ebisu   2016年03月17日 00:33
お示しの語彙力テスト10問、高校生と中学1年生
四人にやらせてみました。
高2の生徒が全問正解。
高校生二人は1問だけミス、中学1年生は2問ミスでした。

ところで、6番目の「首をそろえる」は大辞林には載っていません。「雁首そろえてまっていろ」とはいいますが、「首をそろえて」とはあまり聞きません。
「顔をそろえる」は大辞林に載っています。
「(主要な人物がみな)集まる」と書いてありました。
だから、「顔をそろえる」と四人とも書いていたので、正解としました。

ところで、AI(人工知能)ですが、深層学習(deep learning)が進めば、20年後には日常会話程度なら、小型の音声入出力の自動翻訳機ができているかもしれません。

日常会話については英語を学ぶ必要が小さくなるのでしょう。
そうした便利なツールを使って日常会話を高速でマスターできるようになるでしょうから、英検2級あるいは準1級程度の英語の先生は職業として存在理由がなくなる可能性が出てきます。
結構な数の職業が消滅しそうです。人工知能やそれらとインターフェイスした機械と人間が職を争うことになりますが、人間に勝ち目はありません。人工知能も機械も24時間動きます。文句も言いません。失業者が大量に出て、人口は急激に縮小していきそうです。

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5. Posted by ZAPPER   2016年03月17日 09:59
ebiuさん
雁首、顔。そうですね、失礼しました。そしてありがとうございます。

AIですが、これは凄まじいまでの進化を遂げるものと思っております。工事現場をイメージにとると、現場監督の仕事を除いて大半がAI制御の機械に置き換わるといったイメージでしょうか。

AIや機械ができない仕事。他人がおいそれとはできない仕事。それができる人が今後は強みを発揮して生き残っていくのだろうと思います。

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6. Posted by 後志のおじさん   2016年03月17日 13:57
zapper さんebisu さんともに、「日常会話」と一括りに扱っておられますが、正確には「日常的な用を足せる情報伝達の会話」のことではないかと思います。

会話のもうひとつの重要な役割である「親しみを作り出す」がコンピュータ言語にできるか?は疑問ですね。

あくまでも私の経験ですが、ネイティブが電話でしゃべっている内容なら、盗み聞きで理解できる。ところがネイティブのフェイストゥフェイスの会話になると、集中して聴いても理解できないことのほうが多い。

コミュニケーションには、言葉の外の要素のほうが重要な部分も多いと思っています。

AIに全て飲み込まれる、とまではいかないでしょう。

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7. Posted by ebisu   2016年03月18日 08:28
後志のおじさん

面白いことを書いてくれました。
中高生対象の英語なら、30年後には9割以上は、AIを使った、Computer Aided Educationの利用が進んでいるでしょう。英検2級程度の英語の先生は必要がなくなってしまいます。

その一方で、日常会話といえども自動翻訳は壁にぶつかることがはっきりするのかもしれません。その点では後志のおじさんの仰ることは真実です。

人間は六感(六つの感覚器官という意味ですが、仏教用語では「六根」と言います)を使って状況を理解しながら会話していますが、その状況の入力が限定的にしかできないことが次第に理解されるようになります。
人間は眼・耳・鼻・舌・身・意で重層的に世界を理解しているわけですが、自動翻訳で音声入力できる情報は音(=耳)だけです。自動翻訳が進化することで、人間の会話が実に奥行きの深いものであることが理解されていきます。

わたしは30年後に生まれ変わって、AIを使ったCAEを英語と数学で試してみたいと思います。勉強が遊びだと感じる(あなたやZAPPERさんや合格先生やわたしのような)一風かわった人間にとっては、自分のペースで学べるので、きっと楽しい世界です。

その一方で、30年後はAIの高性能化で失業者が激増し、先進国の人口は急激に減りだしているでしょうね。80年代の統合システム開発でわたしは経理の専門業務が激減する様を経験しました。雇用減少は避けられません。

どういう経済社会を選択するのか、人類が決断を迫られているでしょう。便利さを手放せないとか欲望を制御できなければ、限りない人口の縮小再生産が地球を覆いつくすでしょう。
そうなる前に、「資本論と21世紀の経済学」を読んで考えてもらいたいと願っています。人類を滅亡から救える経済学は、他には見当たりませんから。

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#2784 百年後のコンピュータの性能と人類への脅威 Aug. 22, 2014 ">

#3215 ライフワークに手をつけた2015年を振り返る:『資本論』を超えて  Dec. 31, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-31

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015 


       3097-1 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-2

Ⅰ. 学の体系としての経済学      6

1. <デカルト/科学の方法四つの規則とユークリッド『原論』> …6
2.<体系構成法の視点から見たユークリッド『原論』> …8
3.<マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかを読み解く> …10
4.<資本論体系構成の特異性とプルードン「系列の弁証法」> …11
5. <労働観と仕事観:過去⇒現在⇒未来> …13
 


  3097-7 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-04-1

24. <文部科学大臣下村博文「教育再生案」について> …67
25.<人工知能の開発が人類滅亡をもたらす:ホーキング博士> 
69


 赤い文字の章をお読みください、データを挙げて人工知能の未来に言及しています。


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#3252 波のゴォーという音(海鳴り)が内陸2kmまで轟くのはなぜ?  Mar. 7, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

  ここは桂木の浜から直線距離で2kmくらいあるのではないだろうか。夕方からずっと波の「ゴォー」という音が聞こえています。家の中にいると聞こえませんが、外に出るとずいぶん大きな音です。
 鉄橋が10本も並んでそれぞれに電車が走っているような大きな音が響いて来ます。これでは海岸べりの家はうるさくてしょうがないでしょうね。

 どういう加減でこんなに波の轟がゴォゴォーなるのかどなたかご存知でしたら教えてください。
 今日も波が荒いことは荒いのですが、こんなに波の音が響いてくるのは珍しいのです。ひとつは風の方向でしょうね。南東の風は桂木の海の方から吹いてきます。それが遠くの波の音まで運ぶのでしょう。風の方向だけでこんなに「音量」に違いが出るのは驚きです。

 22時の気象庁のデータを並べておきます。 
 気温0.6度、南東の風5.1m/秒、湿度95%、気圧1019.6hpa

 3月ですから、寒も緩んできました。今日の最高気温は11時の7.8度です。ずいぶんと雪が融けました。気象庁のデータでは2日間で10cm積雪深が減少しました。

 桂木の浜に行くと、猛禽類の大鷲やオジロ鷲が見れます。木に止まって辺りを睥睨していたり、大空をゆっくり滑空しています。

<3/8 追記>
 冬は北西季節風が吹いているので、南東風は珍しいのです。だから、たまにしか内陸2kmまで海鳴りが届かないのでしょう。



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#3225 釧路市議会議長月田さんを囲んで  Jan. 26, 2016 [ゆらゆらゆ~らり]

 25日23時の気象庁データでは、根室の気温が今冬初めてマイナス10.8度で、二桁に突入です。最高気温は2時と3時のマイナス6.2度でした。
 生徒のお迎えの車が停車しやすいように、雪の山を削って車道を広げましたが、冷えているので雪はさらさらでした。

 「釧路の教育を考える会」でお付き合いのある月田さんの議長就任祝いに、釧路の同窓が集うというので土曜日(1/23)に一人で車を運転して出かけました。
 昨年4月に釧路市議会議長に就任したのですから、ずいぶんと間が開いてしまいました。同窓のどなたかが、月田さんの就任祝いをしようと声をかけたようです。同窓ということでわたしにも声がかかりました。
 月田さんの仕事ぶりは「釧路の教育を考える会」で6年間見てきました、仕事のできるすごい奴が同じ学部学科の後輩にいると喜んでいます。

 場所は釧路末広町のとある名店の2階、10名が集まりました。釧路商工会議所会頭も同じ学部の後輩、話を聞きながら、場の流れにちゃんと目配りしているところはなかなか繊細な神経の持ち主のようでして、最近人気のあるラグビー部に所属していたとご本人の弁。全体の流れを常に読みながら、場の状況を的確に判断して会話できるところは、さすが元ラグビー部。冗談と本音が入り混じった愛嬌のある会話がお上手でした。
  30歳代の若い人がお二人出席していました。ひとりは地元国会議員秘書、もう一人は市役所職員、将来が楽しみです。一生のうちで一番仕事のできる時期ですから、自分の仕事に没頭して30歳代を走り抜けてもらいたい。
 会場になったお店の店主も同窓でした。月田さん以外はみな初めてお会いしましたが、2次会まで楽しくお酒が飲めました。
 釧路管内と根室管内をあわせると校友が250名もいるというので、これにはびっくりしました。入学しやすい大学ということもあり、そんなにいるのでしょう。
 道内には校友会の支部が九つあるそうで釧路支部は校友会活動が低調で風前の灯、また集って呑もうということになりました。

 教室は昨年5月に自宅書斎に移したし、土曜日は月に2回休みにしたから、釧路までなら気軽に出かけられます。「釧路の教育を考える会」「北海道教育文化研究所」「大学校友会」と釧路でお酒を飲む機会がまた一つ増えたようです。秋刀魚と同じで胃がありませんから酒量は少ない、でもすぐに酔えます。いきなり腸に入ってきて消化が始まるので、スキルス胃癌の手術をしてから二日酔いは一度もありません。(笑)


「くしろよろしく」・・・月田さんのブログより
http://blog.livedoor.jp/gekko946/archives/51808973.html
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第3371回 同窓の絆

久々の専修大学OBの集い。
 和やかに、同窓の絆を実感しつつ、大いに盛り上がりました。

 『議長就任、おめでとうございます』
 「もう随分以前のことではあるのですが・・・」

 『いやいや、多少のタイムラグは気にしない、気にしない』
 「そのお気持ちが有難いです」

 会場となった、某料理店の社長も同窓。
 『今夜のために、用意しました』

 根室の銘酒「北の勝 しぼりたて」
 根室から参加された先輩が『よく手に入りましたね』

 近頃は、人気が高過ぎて、根室でも発売後すぐに売り切れるとか・・。
 釧路の酒屋さん曰く、入荷数が減らされてお得意さんにも十分に分けられない、と。

 『今夜は特別ですから』
 「遠慮なく、ご馳走になります^^」

 現役時代は、全く交遊がなかったとしても、同窓というだけで格別の親しみ。
 それぞれの年代ごとに話題を提供しながら、夜更けまで語り合いました。

 『これを機会に、校友会の体制を強化しよう』
 誰ともなく提案があり、今後関係者で協議することになりそうです。

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<余談>
 出た料理もおいしかったが、釧路で北の勝「搾りたて」が呑めるとは思いませんでした。同級生で親戚でもある西浜町のコウジのお店が閉店してからは「搾りたて」が手に入らなくなりました。
 文字通り幻の酒とあきらめていたら、今年はある方から戴きました。超、うれしい!
 地元の魚で呑むなら、北の勝「大海」がなかなか相性のよい抜群の酒であることに数年前に気がつきました。楽しみが増えたわけです。
 ところで、宴席に出されたウニの茶碗蒸しが絶品でした。東京であれだけの材料を使うお店なら相当格式が高い。最後のデザートにひし形に切った薄紫色のタルトがでたのですが、これも品のよいお味でした。
 大事なお客様をお連れするにはいいお店です。釧路一番の老舗だそうですから、地元はいうに及ばず、周辺の町でも知っている人が多いようです。帰路、厚岸の親戚のところへ寄ってきました。今年傘寿を迎えるTちゃんは、「あのお店は一番の老舗だから、釧路で知らない人はいない」と言ってました。 


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