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#3686 膨らむ歳出と人口減が加速する町:根室 Feb. 3, 2018 [根室の過去・現在・未来]

 市民一人当たり歳出額が藤原前市長時代に比べて1.6倍を超えている、そして人口減少は2年続けて年間600人を超えた

増減 人口   一般会計予算  (億円) 万円/人  
  36,041  1994 H6 177.8 49.3  
-481 35,560  1995 H7 184.7 51.9  
-343 35,217  1996 H8 186.4 52.9  
-382 34,835  1997 H9 190.4 54.7  
-301 34,534  1998 H10 178.9 51.8  
-351 34,183  1999 H11 178.1 52.1 藤原市長
-324 33,859  2000 H12 181.4 53.6  
-371 33,488  2001 H13 178.6 53.3  
-460 33,028  2002 H14 173.1 52.4  
-360 32,668  2003 H15 166.3 50.9  
-402 32,266  2004 H16 166.3 51.5  
-495 31,771  2005 H17 159.2 50.1  
-390 31,381  2006 H18 146.0 46.5  
-500 30,881  2007 H19 141.5 45.8 長谷川市長
-412 30,469  2008 H20 147.3 48.3  
-388 30,081  2009 H21 145.7 48.4  
-485 29,596  2010 H22 155.0 52.4  
-457 29,139  2011 H23 160.9 55.2  
-389 28,750  2012 H24 164.8 57.3  
-201 28,549  2013 H25 166.4 58.3  
-499 28,050  2014 H26 166.2 59.3  
-421 27,629  2015 H27 170.8 61.8  
-611 27,018  2016 H28 168.1 62.2 205.1
-619 26,399  2017 H29 169.9 64.4 178.9


 平成28年の一般会計当初予算は168億円だったが、「広報根室2018年1月号」記載の決算データでによれば205億円である。そのデータで計算すると、平成28年度の市民一人当たり歳出額は76万円となる。道庁から転出して市長となった藤原前市長は一貫して財政規模の縮小に努め、最後の年は市民一人当たり歳出額を46.5万円まで縮小した。人口減を見越して財政規模を縮小するのはたいへんな仕事だっただろう
 平成28年度の歳出は藤原前市長の最後の年と比べると、市民一人当たり歳出額が1.6倍にも膨らんでいる。なぜこんなに財政規模が膨らむのか、市民一人一人が考えるべきだ。


 年間人口減少幅藤原前市長時代年平均395人の人口減少8年間で3162人減長谷川市長に代わってから、年平均453人11年間で4982人の減少、そして最近2年間は600人を超えているから、人口減少が加速したように見える。こんなに減少したのは平成3年の606人以来である
 根室市が旗を振っている移住促進が破綻していることはデータから明らかだ。根室市の政策で移住したのは10人足らず。

 人口減少幅を小さくしたければ、地元企業の経営改革をするのが本筋である。首都圏の標準的な企業がどういう経営をしているのかに学ぶべきだ。魅力のない企業に人は集まらない、魅力のない町からは人が出ていく
 足りない労働力を中国人やベトナム人で代替すること自体が大きな経営判断ミスだ。いま働いている人たちを大事にしないでさらに低賃金の外国人を雇用すれば、水産業で働く人たちの給与は上がらないどころか下がる。こんな状態を目の当りにしたら、自分の子供を水産業界で働かせたいと思う親が増えるだろうか?水産業界で働く人たちの給与はいずれ中国人やベトナム人並みになり、根室っ子はそういう会社をますます敬遠するようになる。水産業界は人が集まらなくなり、経営がたちいかなくなる。どうしてこんなことがわからないのだろう。水産業界は人材の集まらない業界となりつつある。
 具体例がある。根室最大の企業であった日本合同罐詰株式会社には1000人の女工さんたちが働いていた。当時のカニ罐詰の技術水準は非常に高かった。働いている人たちを粗末にすれば、人が集まらなくなり、品質が落ちる、そして経営が破綻する。昭和30年代に半ばころから、女工さんが集まらなくなり、日本合同罐詰は昭和52年に経営破綻した、何が起きていたのか何度も書いているので再説しないが、同じ轍を踏んではいけない。

 人口減少を緩和するには、地元企業の経営改革を進めることと、そして市役所や市議会がちゃんと機能しなければならない。
 「オール根室」が問題なのは、相互批判を失い、市政と癒着し、内部改革の妨げとなり、根室衰退の構造的要因となっているからである。そこに集っている人の人格を云々しているのではない、市政翼賛と癒着というその構造的役割が問題だと言っている。
 魅力のある街づくりをするために、
経済諸団体は経営改革の旗を振れ、メンバー企業の経営改革をやらずに、町の復興も人口減の緩和もありえない

 ふるさと納税制度は地元企業の経営を腐らせる。利用する側にとっては脱税まがい、こんな制度は日本を地方から腐らせるから早くやめるべきだ。ふるさと納税返戻品でイージーな商売を続けると、それが癖になり、経営体質が変質していく制度がなくなったときに、生き残れるのか?他地域が根室産の蟹を返戻品にするのも合法だから、各自治体間でそんな競争をはじめたら、続くわけがない
 浮利を追えば自分の首が締まる。住友家の家訓も「浮利」を負うことを戒めている。「浮利を追わず」というのは住友家に限らず、200年以上の歴史をもつ日本企業に普遍的な価値観
 ふるさと納税制度は「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」というわけにはいかない、自分のところだけよければいいというスタンスだ。日本の伝統的な商道徳はそうしたことを戒めている。長続きしないのだよ

 市立病院の赤字は現在年間16-17億円の間だが、人口減少が加速すれば採算はさらに悪化し、一般会計繰入金を増額せざるをえなくなる。いつまでこのような巨額の赤字補填ができるのか?

 今年は市長選挙の年だが、地元企業の改革や市政を改革する能力を持った若い候補が現れなければ、根室の人口減少は加速することになる。
 600人の人口減少が22年間続いたら、2040年に根室市の人口は現在の半分、1.3万人に減ってしまう。地元企業の7割以上が消滅しているだろう。すでにスーパマーケットは地元資本がない。
 いま中・高生の諸君が40歳になる前に、地元企業の半数が消滅している可能性がある。就職できても、40歳前に失業ということになりかねない。したがって、若い人たちにとっても、地元企業の経営改革は死活問題である

 なぜ、人口減少幅が600人の大台に乗ってしまったのか、市議会と市役所の政策担当部署は分析すべきだろう。「広報根室」や「ねむろ市議会だより」にはそういう分析を載せてもらいたい
 人口減少対策は根室に住む自分たちでやろう、内部改革をせずして町の繁栄はない


<余談:三友冷蔵民事再生法適用を申請
 2月2日の北海道新聞にカネ共三友冷蔵(根室市、渡辺幸二社長)が東京地裁に民事再生法適用申請をしたという記事が載っていた。「売上高が市内トップの水産加工会社で、サケ・マス・サンマなどを扱い、市内の水産加工会社から「根室きってのベニ屋(サケ・マス加工業者)との評価もあった。民間調査機関による負債総額は約35億円にのぼり、市内の漁業・水産加工会社ではサケ・マス流し網漁禁止以降最大。既存事業を継続して再建を目指す方針だが、老舗のつまずきに、市内経済・産業界に動揺が広がっている」。
 大手飲食業の「トラオム」とスポンサー契約をしたようだ。従業員60人は継続雇用の予定。

 地元資本が次々に消滅しても、首都圏の大手資本が吸収し雇用保障をしてくれたら、働いている人たちはそのほうが幸せかもしれない。債務超過になってからでは、二束三文で買いたたかれるから地元企業オーナーの手にお金は残らない。経営改革できないのなら、企業価値のあるうちに、つまり黒字のうちに売却するのが賢明だ。従業員のためにもそのほうがよい。売却交渉は債務超過になってからでは遅すぎる。赤字企業の買収交渉や資本提携交渉などもしてきた経験からのアドバイスである。


地方は若者の「起業家」を使い捨てにしている
http://toyokeizai.net/articles/-/206712

*「ブラック農家」や古い経営者が地方を滅ぼす

地方の働き手不足の原因は人口減少ではない
http://toyokeizai.net/articles/-/151881





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#3685 事業継承への公的助成是か非か?:ジャズ喫茶サテンドール Feb. 1, 2018 [根室の過去・現在・未来]

<更新情報>
2/2朝 <余談-2:地域おこし協力隊の現状>追記

 駅前のジャズ喫茶サテンドールが3月末で閉店の予定だという。今日の北海道新聞によれば、市長は国の助成金「地域おこし協力隊」を利用して事業継承させたいと考えたようだ。3年間、年間200万円程度の助成が受けられるらしい。「ジャズを街の貴重な文化遺産ととらえ」と新聞には書いてあった。そう考える人が少なからずいるということだろう。年齢層は50-70歳代が中心だろうか。
 根室の住民がやらないものを、国の助成金を3年使ってやったところで、その後も継続できるのだろうか?東洋経済電子版が起業促進政策と「地域おこし協力隊」制度を批判している。少し長いが、お読みいただきたい。この記事は大手新聞社の釧路在住の記者がFBで紹介していたので知った。

地方は若者の「起業家」を使い捨てにしている
http://toyokeizai.net/articles/-/206712

 ジャズは一時のブームである。わたしも1960年代後半に新宿のジャズ喫茶「ピットイン」で何度か演奏を聴いた。3mと離れていないところで熱演している日野皓正の姿に酔いしれた。滑稽なくらいにほっぺたが膨らむから、ほっぺも楽器の一部にみえた。あのジャズ喫茶には著名な演奏家が多数登場した。演奏が終わって真夜中近くになって外へ出るとシーンと静寂の音が聞こえてくるような気がしたものである。あの全国一有名だったジャズ喫茶もとっくになくなった。往時を懐かしく思い出す、それでいいのである。

 あのころのジャズブームをもう一度というのは、年寄りたちの懐古趣味だろう。若者たちにジャズは人気がない。20年もしないうちに、根室のジャズファンのほとんどが西浜町の市営墓地の土塊(つちくれ)となる。
 根室の人口は往時の半分の2.6万人、そして昨年と今年2年連続で人口減少は600人を超えた。このままだと、20年後には人口が1.5万人を切り、根室のジャズファンは消滅しているだろう。喫茶店の数も顧客数の減少で経営維持ができなくなり、半減する。すでにスナックなどの飲食店が最盛期の1/3になっている。
 
 少数のジャズファンにとっては悲しいことだが、地元で継承する人がいないという冷厳な事実を受け止めるべきだ。ピットインとは比較すべくもないが、根室のジャズ喫茶もまた役割を終えたのである。

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文化遺産:現在にまで残され、将来に継承されるべき、過去の時代の文化財 『大辞林』より
文化財:①文化価値を有するもの。文化活動の客観的所産としての諸事象または諸事物。②文化財保護法で保護の対象として取り上げた、有形文化財・無形文化財・民俗資料・史跡名勝天然記念物の4種 『広辞苑第2版』
---------------------------------

 有形文化財や無形文化財は文化財保護法で文部科学大臣が指定したものに限定されている。
 大辞林には「文化財」の項目がなかったので、広辞苑を転載した。素直に読めば、サテンドールや根室のジャズは「文化遺産」や「文化財」の定義にはあてはまらない。ジャズファン自体が50-70歳代がほとんどだから、20年程度で自然消滅してしまう。
 1978年12月創業というから40年である、そんなに息の短いものを「文化遺産」というのだろうか?数百年のスパンで「風雪に耐えて」継承されてきたものを「文化遺産」というのではないか。根室で百年を超えて生き残ってきた企業は「北の勝」碓氷商店である。創業130年、立派なものだ。

 そういうわけで、サテンドールや根室のジャズが「文化遺産」だとの主張にも無理があるように思います。


<余談:ところで肝腎の採算は?>
 根室に引っ越してきてアパートを借りると8万円、車もいる、店舗の家賃もかかる。二人いないと店のオペレーションが回らないでしょう。夫婦で切り盛りするとして、

  アパート  8万円
  生活費   20万円
  店舗家賃  8万円
  水道光熱費 5万円

 子どもがいたら、進学の費用も上乗せしなければいけません。大学へ進学なら授業料と生活費で年間200万円はかかるでしょう。4年間で800万円です。その間は、売上がおおよそ年1500万円必要になるでしょう。

 根室はアパート代が高い。最低でも固定費だけで月に41万円、年間490万円はかかります、材料費は客の入り方次第ですから入れていません。売上の半分くらいの材料費を考慮すると仮定します。最低年間1000万円の売上が必要になります。
 週休1日として売上がいくら確保できるのでしょう?ジャズファンは激減していきますし、根室の人口も20年後には1.5万人くらいに縮小しそうです。
 週休2日なら、営業日数は月22日です、1日の平均売上が3.6万円ということ。アルバイトを雇えば30~40万円/月ほど売上を増やす必要があります。

 根室で家を持っている人はアパート代の8万円が不要ですから、根室でサテンドールの経営を引き継ぐ人がいないというのは、採算の厳しさを承知しているからでしょう。外部からきて、アパート代を支払い、事業継承をするには、よほどの情熱となにか特殊な技術をもっていなければなしえるものではありません。

 幸いにして応募者が現れたら、根室市は市の政策として後押しするのですから、現状の決算データをベースにして、事業採算シミュレーションくらいしてあげるべきです。
 常連客の年齢をリストすれば、これから10年間にどれくらい売上が減少するかわかります。売上を確保するにはジャズに興味のない若い人に客層をシフトするしかありません。つまりジャズ喫茶としては維持できないのですジャズファンがいなくなれば、ジャズ喫茶が維持できないのは当然のことです。20年後に何人のジャズファンがお金を払ってサテンドールで珈琲を飲むのでしょう

 計算してみたら簡単にわかります、年間200万円の助成が3年間で切れたとたんに廃業でしょう、経営が維持できるとは思えません。維持したければ維持したい人たちが身銭を切って維持するというのが本当ではないでしょうか。国の助成におんぶにだっこ、それが切れたら知らない、自己責任ですよでは、市長も根室のジャズファンもその本気度が疑われます。

 花咲線の維持も同じ問題をはらんでいます。根室市民が花咲線維持に毎年いくら身銭を切るのかが問われています。

<余談-2:地域おこし協力隊の現状>2/2朝追記
 地域おこし協力隊に首都圏から応募して移住してきた女性がお二人いらっしゃいます。駅前のバスターミナル内で喫茶店をしているようですが、営業は月に10日。これでは採算ベースに乗るわけがない。計画にも人選にも無理があったのではないでしょうか、今年が3年目かな?お気の毒です。市の政策、国の無責任な助成策の被害者に見えます。東洋経済電子版の記事「地方は若者の「起業家」を使い捨てにしている」にも類似の事例が載っています。以下、抜粋引用。
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http://toyokeizai.net/articles/-/206712

地元の人でさえ困難である、衰退する地域の課題を解決するための事業開発を、地元に縁のない若者に求めているにもかかわらず、この条件はあまりに不十分な金額です。しかも、何かあったとき、将来についての補償などはないばかりか、事業立ち上げのリスクなどは「起業家」と呼ばれる若者たちが、自ら負うわけです。…

地方は、起業家だけでは変われない

地方が、単に「起業家頼み」にしたり、既得権者たちが、起業家が巻き起こした「不都合な事業」を潰すことにエネルギーを使っているうちは、地方の衰退は続きます。

むしろ彼らに刺激を受けて、地元の大部分を占める既存組織である、議会、行政、民間それぞれの立場にいる人々が、自ら率先して変化を作り出すことができるかです

もしできないのなら、一部の変化だけで終わってしまいます。既存の組織を変えるのは外の起業家でも誰でもなく、それら組織でトップや管理職を務めて意思決定権をもった「内側の人」たちなのです

地域に新たな芽を作る起業家はとても大切です。しかし、地元の意思決定者たちが「本質的な変化」と向き合う覚悟をもたなければ、一過性の予算消化によって若者が使い捨てになるだけで、地域の衰退傾向も変わらないでしょう。なんでもやってくれる魔法使いのような起業家は、元からどこにも存在しないのです


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*「ブラック農家」や古い経営者が地方を滅ぼす

地方の働き手不足の原因は人口減少ではない
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#3684 根室高校入試倍率:定員240人に対して出願者数175人 Jan. 29, 2018 [根室の過去・現在・未来]

 根室高校の入試出願状況が道教委から発表された。
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kki/syutugan-z14.pdf

       定員  出願者数
 普通科  160   120
 商業科    40    31
 事務情報科  40    24
       合計   240     175 (72.9%)

  出願者数が激減だ。根室から出ていく生徒が増えたのだろうか?2016年1月の出願者数は224人、2017年は221人である。いきなり前年比で46人減っている。
 長期的に見れば生徒数は減少していくから、定員枠は普通科120人、商業科40人でいい、事務情報科は商業科へ統合すべきだという論があってよい。

 10年前には150点が普通科のボーダーラインだったが、これで切ると35名くらいしか合格できないだろう。つまり、現在の特進コースが10年前の普通科の平均的なレベルである根室高校普通科で特進コースから外れた生徒たちは、10年前なら根室西高校の生徒の学力レベルである
 学力テスト総合C(11月9日実施)でみると、151点以上はB中が8人/56人、C中が7.5人/58人(階層が150点で切れていないので比例配分した)、2校でたった16人、13.6%である。市内全部でも五科目合計点の得点が半分を超える生徒数は30-35人だろう。他地域の高校へ進学する生徒が5-10人含まれているとすると、根室高校普通科特進コースに入学する生徒で学力テスト総合Cで150点を超えた生徒は25-30人にすぎないということになるだろう、”壊滅的”と表現するしかない。

 根室の親たちそして爺・婆(ジジ・ババ)は子どもたちを甘やかしすぎだ。子ども孫も甘やかして育てたら大半はろくでもないことになる。部活三昧でさっぱり勉強しない、そして本を読まない生徒たちを放置し、そのまま高校進学可能にするから底が割れたかのように際限なく学力が下がっている。お父さんやお母さんたちの世代なら、五教科合計100点以下は、オール2の成績だと考えていい。どれか3があったら、1がまざっている、そういう状態だ。半数を超える生徒がすでにそういう学力だが、ほとんどの生徒に3がついている。「わかる授業」授業のレベルが下がり易しい定期テストで点数アップがなされている。学校もまた、児童・生徒たちを甘やかしている。
(B・C中学校の定期テストの難易度はこの1年間はアップの方向で改善されつつある。)

 合格最低点を100点にしたらいい。300点満点で100点未満の生徒は高校の標準的な授業についていけない。そういうレベルの生徒が大量に入学してくると、根室高校の授業のレベルが下がる。
 AI(人工知能)の指数関数的な進化で、これから30年間に半数の職種が消滅すると言われているから、300点満点で100点以下の生徒たちの大半が自立して経済生活を営めなくなるだろう。だから甘やかしてはいけない。

 100点未満は不合格とすると、合格最低基準を決めて公表すべきだ。そうすれば、高校生になりたくて勉強する生徒が増える。100点未満の生徒は激減するだろう。
 B中は学力テスト総合Cだと、32/56人(57.1%)が100点以下、C中は30/58人(51.7%)。おおよそ、この2校の2倍が根室市内の中3生徒数である。出願者数の内120人程度が学力テスト総合Cで五科目合計点100点以下ということ

 30年後の根室を支える主力は、100点未満の得点層になる。20人に満たぬ成績上位層はそのほとんどが大学進学して根室に戻ってこない。


*帯広南商業は3種目1級が生徒の88%(176名)を占める。根室高校商業科と事務情報科は10%いるだろうか?さて、根室高校商業科と事務情報科の生徒の30%が3種目1級取得ができるようになるには、何をどう変えたらよいのか?
 それくらいなら、やり方次第でやれるのだよ。
帯広南商業ホームページ
http://www.nansho.octv.ne.jp/kentei.html
 
#3495 根室高校出願状況 Jan. 27, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-01-27

 #3226 根室高校、根室西高校出願状況 Jan. 27, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-01-27


 #2946 高校入試出願状況 根室0.7倍 Jan. 29, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29-3

 #2575 根室の公立高校出願状況 Jan.28, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-28-1

 #2187 高校入試出願状況 Jan. 26, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-26 

 #1817 根室・高校入試倍率と高校統廃合問題 Jan. 28, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28-1

 #1355 史上初? 根室高校全科定員割れ(1)   Jan. 27, 2011 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-27



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#3679 機械化と人の使い方は不易流行 Jan. 8, 2018 [根室の過去・現在・未来]

 機械化は人の手でやるのはきつい作業から行われる例が多い。昭和30年代初めころに水産会社の罐詰工場の現場監督を数年間していたオヤジに聞いた話はほとんど忘れたが、サンマを水流で自動選別した話は記憶にある。全作業行程中一番きつい箇所だったようで、そこでの作業は数日で交代させるようにしていた。
 きついところを同じ人にずっと担当させてはいけない、みんなで分かち合うべきだ。そういう心が共通にあるのが日本人の特性だ。だからそういうことを言い表す美しい日本語がある。憐憫の情とか惻隠の情という。

 ある日、サンマの選別作業をやるように指示した男工さんが、具合がよくないので他への配置を希望した。現場監督は「わかった」と軽い作業の箇所での仕事に変えてやる。翌日、またきつい作業への配置を指示したが、「今日も具合が悪いので…」というので、「わかった」とまた別の作業場所を指示。翌々日、またきついところで作業するように指示、すると
「具合が悪いので…」
「?、一昨日も、昨日も具合悪かったな、3日連続だ、どこか悪いといけない、休んでいいから病院行って診てもらってこい」
と休みを取らせた。
 さらに翌日、様子を聞く。
「どうだ、具合がよくなったんなら、サンマの選別作業をやってもらうが…」
「はい、やります」

 仮病は最初からお見通し、中にはずるい奴がいるからちゃんと対応しないと不公平になる。日給月給だから休めば稼ぎにならない。嘘をつきとおせば、自分が不利益になるだけ。次第にずるい奴がズルをしなくなる。要するに躾けの問題。男工さんには威勢のいい者が多いから、現場監督には人間の「貫目」が要求される。
 この現場監督は元落下傘部隊員、正規兵3人を同時に相手にできる忍者まがいの訓練を潜(くぐ)り抜けたツワモノ。戦後まもなく映画館で富良野でやくざ5人に絡まれ、「顔貸せ」と囲まれてトイレへ誘(いざな)われた。数分後に行くと全員床に転がっていたという。以後、富良野のやくざは通りですれ違うとオヤジを避けて歩いたとは旭川に住んでいる10歳ほど離れた甥っ子がオヤジの通夜の席での思い出話。戦後富良野で野菜を仕入れ各地で売って歩いたことがあるそうだ。
 根室のヤクザのTさんがオヤジを兄貴分のような扱いをしていたので、どういう関係なのか聞いたことがあった。
 戦後まもなくみんな闇物資の売買で糊口をしのいでいた時期がある。そういう時代に根室に来て、銭湯(松の湯)で目が合い、「顔を貸せ」と表へ出た。そのときはTさん、若頭で威勢がよかったそうだ。笑ってそこまで話して終わり。そのあとのことは息子にも語ったことがない。通夜の席でその話を聞いて、旭川の叔父貴がニヤッと笑って富良野の出来事を語った。
 中学生のころ店番をしていた時に、Tさんは「ここは〇〇さんの店だ、お前たちは出入りしちゃなんねえ」と使いっ走りに言いつけたのを覚えている。出入りを認めていたのは幹部の3人だけ。子ども心に不思議だった。おふくろのことを「姉さん」と呼んでいた。
 終戦数か月前の降下訓練事故(右腕複雑骨折)の後遺症でお見合いの食事をしたときに右腕が上がらなかったとはおふくろの弁だから、富良野の件は元落下傘部隊員でなければにわかには信じられぬ話。落下傘部隊の時の写真が数枚残っている。たくさんあったらしいが、戦後秘密部隊の落下傘部隊員は戦犯に問われるとうわさが飛んだので、大半を燃やしたそうだ。それでも全部は処分しなかった、いやできなかったのだろう。戦友たちは一人も生き残っていない、ケガをしたオヤジだけが生き残りになった。九州宮崎県の港から、戦友たちが戦地に赴くのを、左手で敬礼して見送った。どこへ行くかは秘密だからどういう死に方をしたのか知らなかった。戦後、10年くらいたってから、陸自に勤務していた千歳の義弟が、2冊本を送ってきた。オヤジの部隊が南方でどういう死にざまだったのか詳細に書かれていた。1冊は『高千穂降下部隊』もう1冊は『沖縄の空にかける墓標 帰らぬ空挺部隊』である。この本には戦死した空挺部隊員の名簿が載っている。一度読んだっきり、二度と読まなかった。「空の神兵さん」と崇められ、「靖国で会おう」そう言い残し戦友たちは船に乗った。空挺部隊員で危険な降下訓練を欠かさなかったのだから、飛行機から落下傘で降りて戦死した者は幸いだった。多くは南方の士気高揚のために船で戦地へ送られ戦死している。無念だっただろう、大腸癌を患って手術をした後、桜の花の咲いているときに、靖国人神社へおふくろと最後の参拝に行った。あのときは高幡不動駅でオヤジとおふくろを見送った。おふくろの兄も満州で突然侵攻してきたソ連軍と戦って戦死している。靖国神社への参拝は二人だけにしてやりたかった。
 Tさんも、幹部3人も、オヤジも、みんな故人になってしまってずいぶんたつから書ける話だ。


 件(くだん)の現場監督、暇ができると、そのきつい作業を何とかできないか、ちょっと手伝っては1時間でも飽かずに作業を見ている。こうしているとそのうちにアイデアが浮かぶ。潜在意識下で脳が勝手に問題解決の道を探索するようになるから、アイディアが短期間で浮かぶ。
 他の工場ではどうやっているのか聞いたら、現場監督や工場長がその作業をやって見せ、こうやってやるんだと作業を言いつけるだけ。工程改善の発想がない。たたき上げだから、作業は慣れており10分ぐらいやって見せるだけ。そんな工場長や現場監督の工場には次第に人が集まらなくなるのは理の当然。笑って話していた。
 人が集まらなくなるのは、必ずどこかに無理があり、工夫・改善の余地がある。そこが見えない者を工場長や現場監督にしてはいけない。だがいつの時代も、どの組織でも、有能な管理職は少ないし、その資質を見抜ける社長も少ない。
 人が集まらなくなるのは、女工さんの宿舎の問題だけではない、一事が万事、そういう工場には人の使い方にも問題があった。きつくてつらい作業が何年たっても改善されない、作業の割り当ても不公平、そういう発想を本社も工場長ももっていないというところに、本質的な問題、人材の質の問題が隠れている。

 SRL八王子ラボできつい作業で作業量が一番多かったものはRI部の検体の分注作業だった。血液や尿を検査項目ごとに分注(小分け)する。ピペットで吸いこみ、それを別の複数の試験管へ吐き出す。それを一日中やるのだから、たまったものではない。一日だけならいいが、毎日そういう作業だけをやる。腱鞘炎は起きるし、仕事は楽しくない。その部署だけ離職率が跳ね上がる。わたしが入社する4年前の1980年ころだったのではないかと思うが、自動分注機を業務部とRI部が業者と共同で開発した。それが10×10ラックの分注システムだった。日本の臨床検査会社はこの10×10(100本)ラックが標準仕様になっている。SRLの社内仕様が日本標準仕様になってしまった。
 しかしこれはあまり具合がよろしくない。分注機に搭載するノズルは10の約数の1、2、5、10の4タイプしか許容できない。12×9ラックなら、1、2、3、4、6,12と6タイプのノズル搭載が可能である。国際規格はそうなった。あとから開発された臨床検査用マイクロプレートも96穴が国際標準品である。
 自動分注機開発業者側の担当営業はアドバンティック東洋という会社を辞めて独立起業した。PSSという会社名だったと記憶する。店頭公開してずいぶん立派な会社になった。社長のT島さん、当時から稀に見るやり手だった。2度居酒屋で出会ったことがあった。目ざとく見つけると、その店で一番良いお酒をコップで1杯回してよこす。2度ともありがたくいただいた。(笑)

 整数の約数に関する知識が当時の業務部にあったら、ラックは12×9本が社内基準となり、期せずして国際標準と同一となっただろう。中高時代に数学の勉強をちゃんとしていても、気が付かぬことはある。
 整数の約数の数や素数に関する知識はどこで必要になるかわからない、ほかの科目もだ、やれるときに思いっきり深いところまで理解しておこう。

 最初に挙げた、水流を利用したサンマの自動選別は、カットした後の話だったか前だったか覚えていない。あと、高圧・高熱滅菌窯の話を覚えている。円柱を横倒しにした形が標準だったが、これだと罐詰はいくらも入らないので、最盛期に高圧・高熱滅菌窯の処理能力がボトルネックとなっていた。そこで角形のものを特注で作らせた。予定通りに処理量が倍くらいに上がったと喜んでいた。オヤジと機械担当の男工さんたちは毎日工場内を歩き回り、身体を使って作業をしてみて工夫の余地はないか考え、アイデアを出し合っていた。とっても楽しそうだった。

 染色体画像解析装置は、1986年ころにニコンの子会社のニレコ社と自社開発を試み失敗している。レンズにこだわったので行き止まりになった。CCDカメラの採用がそのあとの処理を簡単にしてくれるのだが、日本の光学メーカはレンズにこだわった。優秀なレンズを持っていたら、それを使いたくなるのは当然である。画像取り込み後、マジスキャンという当時画像解析では最高性能のミニコンを使ってみたが、1画像の取り込みとそのあとの処理に1時間もかかった。これでは使えない。
 細胞を処理して培養するのに72時間だったかな、そして顕微鏡写真を撮った後、写真に写っている染色体を一つ一つ切り取り大きさの順に並べて糊で張り付ける。一日中切って糊で張るだけの仕事はつらいから、こういう作業を機械化しようとするのは自然な流れだ。ディスプレイ上でプログラムで自動的に並び変えればいいだけ、英国の会社がいいものを開発してくれた。日本では虎の門病院が最初に購入したから、性能を確認するために見学させてもらった。こちらの開発目標は1時間に5検体処理だったが、もって行ったサンプルを25分で5検体処理できたのですぐに導入を決めた。こちらの開発目標値をはるかに上回っていた。本社の管理部門はこういう製品購入の適否の判断ができないので、わたしがラボでOKを出せば、そのまま稟議が通る。予算外でも所定の手続きに則り、稟議申請するだけでOK。5000万円の画像解析装置を一気に3台購入した。わたしが八王子ラボに異動してから、こういう案件は処理がスムーズになった。なにしろ副社長のY口さんが黙って承認してくれた。検査管理部には、本社内の根回しはわたしのほうでしておくから、現場から稟議申請させてOKだと伝えればよかった。検査と機械に詳しいわたしがOK出せば、本社管理部門が反対する理由はなかった。具体的な案件で技術的なあるいは会社の将来にとっての重要性判断でわたしと議論ができるものなどいなかった。そしてわたしは、常に公平に、客観的に、ということを心掛けて判断していた。一人で年間20~40億円以上も試薬や機器の購入にかかわっていたが、取引業者と癒着したことはなかった。
 日本電子輸入販売担当営業のSさんに、業界2位の会社へ「SRLで導入した」と言っていいから売り込んでみたらと示唆した。値段は1円も引かなくていいよ、強気で商売してみな、必ず買うからと伝えたら、その通りになった。Sさん、喜んで社内了解を取り付け、英国でゴルフに誘ってくれた。例の有名なコースである、セントアンドリュースだったかな。ゴルフの趣味はないのでと断ると、残念そうな顔をしていた。彼が行きたかったのである、わたしはエサ。落胆ぶりを見て、気の毒だった。付き合ってあげたらよかった。


 数日前に尿路結石でひどく苦しい思いをしたが、結石の分析は事前処理に手間がかかる。どういう処理かというと、「石」をハンマーでたたいて砕き、穴の開いた五円玉状の金属板の中心に結晶状に固める。そのあとはケースに並べれば、赤外分光光度計で分析となる。来る日も来る日も、小型ハンマーで「石」を叩き、金属板の穴に詰めて結晶状に固める作業を想像してもらいたい。つらいよ、新入社員に1年間そんなことをやらせたら、半数は1年でやめてしまうだろう。それは分注作業や染色体検査の染色体写真の切り貼り・並び替え・台紙に糊付け作業と同じで、非人間的な作業だ。
 精工舎のアームロボットを導入して機械化を提案したのは検査管理部のO形君、わたしは当時はラボ全体の機器購入担当で彼と、現場の係長と一緒にやった。ブレードの開発に手間取ったが、業者の技術屋さんの腕がよくてなんとかものにできた。20タイプも試作して、比較検討して理想的な形状を見つけていった。困難な機械化に情熱を燃やす技術屋さんは、この開発が終わって1年くらいに脳出血で倒れた。1989年ころのことだ。もっと一緒に仕事がしたかった、とても残念だった。

 60年前の根室の水産加工場だって、38年前の東京八王子のラボだって、働いている人たちの心意気は同じ。子供と一緒、工夫をしてそれが大きな成果につながることが楽しいのである。それまできつい作業を担当していた人たちの顔に喜びの表情が生まれる。

<結論>
 さて、人がつらいと思う単純労働は、機械作業に置き換わったというのが過去60年。これからは複雑労働、高度な労働あるいは知的な仕事がAI搭載の機械にとってかわるだろう。その進化速度は指数関数的だから、それによって引き起こされる変化は人智では測りえない
 AIを神として崇拝する社会を選択するか、道具として利用する社会を選択するかは、われわれの手にゆだねられている。
 ヨーロッパの労働観の下ではAIは人類を滅亡に導く、救いがあるとすれば、職人仕事観をベースにした経済社会への転換、それは貨幣崇拝を捨て欲望の抑制を実現した経済社会。原理的なことはすでに「資本論と21世紀の経済学」で明らかにした。再来年あたりに、コンパクトな第3版を書く。
 経済学の第一公理を労働=苦役から職人仕事に書き換えるのは、いままでの経済学が根底からひっくり返るようなとんでもなく重要なことなのだが、残念ながら、それが理解できる経済学者がまだ一人も出てこない。ノーベル経済学賞をもらってもクズはクズ、公理を書き換えた者もそれを理解できた者もまだ一人もいないのである


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不易流行:蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧の特質は新しみにあり、その新しみを求めて変化を重ねていく「流行」性こそ「不易」の本質であるということ。…『大辞林』より
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#3678 地元企業の未来を読む Jan.7, 2018 [根室の過去・現在・未来]

#3674 このデータの意味は?:衝撃の推計」で掲げた表をもう一度ご覧いただきたい。
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-01-05

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<事業所数推計>

 

 

 

 

1996

2012

2040

 

a事業所数

2,014

1,544

969

 

b従業者数

16,183

11,031

5,640

 

b/a

8.0

7.1

5.8

 

 

 

 

 

 

1996年と2012年は実績値

 

 

年平均減少率=(1544/2014)^(1/16)

 

2040年は16年間の年平均減少率をベースにした推計値

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  1996年から2012年までの16年間の実績値をベースに年平均減少率を計算して、2040年の根室の事業所数と従業者数を推計した。

 数学的に計算しただけだから、このあとに考慮すべき事情を挿入してデータを加工しなければならない。

 事業所当たりの従業者数が8.0から5.8人に減少する#3674でも書いたが、根室の大手水産加工会社ですら、新卒男子の求人に応募ゼロの状態になっている。ガソリンスタンドの支店長をやっていた友人がいるが、根室高校に募集を出しても一人も応募がないと言っていたのはもう十年ほど前になる。同じ会社で道内の支店長になった者は3名いた。若者たちは手が汚れる仕事や肉体労働を避ける傾向がある。
 2012年のデータ、7.1人は1996年に比べて、補充できない人員が各事業所当たり1人いるとも読める。必要人員を補充できない企業がすでに増えていないか?それが2040年には3割に達し2.2人になる。人材不足で仕事が回らない時代を迎えつつある中国人やベトナム人で雇用条件や勤務環境の相対的な悪さをごまかしても、ごまかしきれなくなるのは、四十数年前に倒産した根室最大の企業、日本合同罐詰株式会社の倒産が教えてくれている。根室の企業の多くは自己改革を嫌い同じ轍を踏もうとしている。50年たっても何も進歩していない企業が多い、この現状にはあきれるばかりだ。何をやるにも補助金や市の予算頼み自分のリスクでビジネスをやろうとしない。そんなことでは、現在の日本で通用するような経営体質の企業になれるはずがない。
 現在の雇用状況を考えれば、大手ほど人材確保に困るだろう。人材が足りなければ、黒字であっても仕事が回らず黒字倒産ということになる。
 データは別の見方もできる。人材確保ができないから、地元企業の一部は機械化によって対応し始めたということだ。ヒシサンのサンマ処理装置が代表例かもしれない。導入時にテレビのニュースに流れたと思うが、日量3万本処理できると記憶する。違っていたら、投稿欄へ具体的な処理量を書き込んでいただきたい。
 大型処理装置導入も、資源量が減少すれば、稼働率が下がりメリットが小さくなる。機械化は雇用人員数の激減をまねくから、大手水産加工場の機械化促進は今後も水産加工場での雇用人員数減少をもたらすだろう

 事業所当たり必要人員数を1996年の8人をベースに考えると、2040年の事業所数は705である。現在の半分以下となる
 事業所数がシミュレーション通りの969だとして、機械化で1事業所当たりの従業者数が平均4人に減少したら、4000人弱しか働くことができない。若者や壮年の人口流出が激しくなるということ

 過去の事例が参考になる。日本合同罐詰株式会社は5工場1000人の女工さんが働いていた1960年ころの平均年齢は20歳くらいだっただろう。
 当時は出稼ぎの季節労働者の女工さんが、道内の各地からも青森県からもいくらでも集めることができた。工場敷地内に女工さんの宿舎があり、わたしは小学生の時に中へ入ったことがある。土間に2段ベッドが組まれていた。会社は当時はずいぶん儲かってはいたが女工さんの福利厚生施設にお金をかけていなかった。本社部門は工場から離れたところにあり、女工さんたちの雇用環境を良くしようという意識がなかった。
 冬場は原料が入らないので12月初めに仕事の「切り上げ」があり、あとは春まで失業保険手当が出た。5月にあるいは6月になると女工さんたちはまた戻ってきた。

 カニ罐詰の繁忙期になると、残業が続く。小ずるい工場長は615分まで作業をやらせて、15分カットしてしまう。そういうことを本社幹部に自慢する工場長もいた。会社に得をさせていると勘違いしていた。そんな小ズルイことは働いている者たちは日給月給・時間給ベースの給与だからシビアに見ている、そしてだれもがそういう工場長の下では働きたがらなくなる。口コミで5工場の工場長と現場監督がどういう仕事のさせ方をするかすぐに広がり、翌年の人の募集に影響が出る一か所だけ女工さんの集まる工場があった。それには理由がある、人の使い方が上手だったからだ。

 

 当時は高級品のカニ缶詰が主力で、繁忙期に入ると毎日朝8時から8時、9時まで残業が続く。その現場監督の人の使い方はこうだった。6時までで作業が終われば15分、日によっては30分余分につけると宣言する。そして約束通りにした。時間当たりの処理量が上がるから、会社は損をしない、それどころか得になる。生産性がアップして利益が増える。

 残業が連続すると疲労がたまり生産性が落ちてくる。すると現場監督は2時間の昼休みを宣言する。1時間は時間給を払って寝てもらう。その代わり、起きて洗濯などをしていたら特典は没収である。女工さんたちは工場わきの宿舎内の土間の2段ベッドでぐっすり眠る。そのあとは6時まで作業が続くが、4時間で5時間分以上の処理量が上がる。女工さんや男工さんたちも疲れが取れてうれしいし、会社も利益が上がる。実績が上がっていれば本社部門は文句を言えない。市場での仕入れでも、人の確保でも仕事に瑕がなかった。

 この時代は日本合同缶詰はカニ船を数隻所有していた。繁忙期になると船が連日入るが全量を処理できない。だから、茹で立ての新鮮なタラバガニや毛ガニを男工さんや地元のお母さんたちは家の食材として持ち帰れた。両足を広げると1.5mもあるようなタラバガニを旬の時期にはいくらでも食べられた。あっさりしているので、たくさん食べるならタラバガニがナンバーワンだ。何しろ大きい。関節一つが30㎝もあり太さも円周10㎝くらいあった。
 持ち帰っても余り、海へ捨てていることもあった。だから、岸壁にはチカやコマイが群れを成していた。
 そんなことを続けていたから資源量が激減したのだろう。

 昭和30年代半ばになると、次第に女工さんが集まらなくなった。道内のほかの地域で稼ぎのよい仕事が見つかるようになったからだ
 現場監督は5工場を一つに集めれば、5人いる工場長は1人にできるし、現場監督も、機械設備のメンテナンスも人数を減らしてやれると主張した。女工さんの宿舎は土間でなく畳の宿舎に変えるべきだと提案したが、本社の人間は誰も耳を貸さなかったこの会社には未来がないと職を辞した。その後、ベテランの男工さんたちの退職が相次いだ。この重要なサインを経営者が見落としたイエスマンが多かったから情報が入らなかったのかもしれない。
 日本合同罐詰のカニ缶の製造技術水準は現場監督やベテランの男工さんたちが工程改善を繰り返して磨き上げたのでとても高いものだった。昭和30年代中ころから女工さんが集まらなくなり、原料が激減していった。水産加工に陰りが見え始めたので野菜や果物缶詰工場を富良野につくり、事業分野を拡張しようとしたが、その分野でやけどをした。業績が悪くなると、事業分野を拡張したりメニューを増やして打開しようと誰でも考える。しかし、カニ缶に比べて野菜や果物の缶詰は比較にならぬほど単価が安いし種類も地場で獲れるものに限られている。新規商品開発がうまくいかなかった。おそらく商品開発分野の人材が確保できなかったのではないか水産加工場ですら、ベテラン技術者が次々に抜けていったのだから。原料仕入れすらうまくやれなかっただろう。主力のカニ缶詰がいい時だったら、赤字はカバーできただろうが、新規事業も既存の主力事業もどちらも同時にダメになったので、根室の史上最大の企業だった日本合同缶詰株式会社はあっけなく倒産した。それは昭和51年のこと、負債額は33億だった。資産を処分しても10億円は借金が残っただろう。
 社長は根室ナンバーワンの名士「北の勝」の碓氷勝三郎氏、銀行からの借金は保証人のサインや抵当権の設定を要求される事情は今も昔も変わらない。借金は全額碓氷さんが支払うことになった。根室信金がメインバンクだっただろうから、貸し手責任をどれくらい取ったのだろう?清算後に残った負債は30年ほどかけて現当主が返済するしかなかっただろう。手のひらを返したようにみんな逃げたのである。

 わたしは18歳(昭和42年)で高校卒業と同時に根室から出ていった口だから、倒産前後のことは知らないが、オヤジが現場監督をやめた昭和35年に小学5年生だったが、あの根室最大企業の経営破綻を予感していた。オヤジがやめて1年後くらいから、ベテランの男工さんたちが根室を離れる挨拶に来て道内各地に散っていったのをこの目で見ていた。会社に先がないことがほかの人たちの目にも明らかになっていった。本社のイエスマンに取り囲まれて碓氷社長は倒産15年前に起きていた崩壊の兆しに気がつかなかったのだろう。
 日本合同罐詰株式会社はいくつかの水産会社が合併してできた会社だが、責任を碓氷さん一人に押し付けて借金返済を免れたズルイ企業家たちがいたことは町の噂で承知している。どの水産会社のオーナーかは知らないが、根室経済界の重鎮となっているのだろう。

 何人かの有力者の古傷に触るようなことを書いたのは、今現在根室の多くの企業が直面している状況が似ているからだ。
 日本合同罐詰株式会社は日本全体の雇用条件の変化に対応できなかった。そして小さな水産会社がいくつも合併してできたから、会社としての組織や制度を確立できなかった。組織機能からいうとこれら二つが致命傷となった
 あれから40年以上が過ぎたが、根室の企業は変わったのか?

 いまからでもオープン経営に変えれば、資源の枯渇化という困難な時代を乗り越えるのに必要な人材は集められるから、上場企業をお手本にしたらいい

 3つの企業の上場にタッチしたことのあるのは全道でebisu一人だろう。聞く耳を持つ企業主にはやりかたを教えてあげる、時間はあまりないよ。
 時間切れになって困るのは根室の地元企業家たちだ。証券会社に指導を依頼したら、数千万円単位のお金がかかる。会社諸制度の整備にも数千万円かかる。東京の企業なら、いくらでもそういう専門機関の指導をお金を支払って受けられるが、根室は僻地だからなかなかそうしたチャンネルを築けない。大地みらい信金にもそういう仕事に経験のある人材がいない。

 ある程度の規模の企業は、次のことだけはやらなくてはいけない。
決算を従業員へ公開する
同族経営であっても仕事をしてない親族へは報酬は支払わない
予算制度を導入する

企業理念とビジョンを作り社内外に公表する
経理規程を作り、会社の経費と個人をまぜこぜにしない
退職金規程を作り、年度末に従業員全員へいま退職したらいくら退職金が支払われるか文書で通知する
予算達成の場合の賞与額(月数)を公表する

できるなら役員報酬も公表したらいい。オープン経営とはそういうことだ。ほかにもいくつかあるが、こういうことを一つ一つやり遂げたら、人材はいくらでも集まる。従業員30人以上の企業で、これら7項目がやれないなら、2040年には半数は消えていると覚悟したほうが良い。

SRLが諸規程を整備して一部上場した後、たった20人の募集に1万人の応募があった。大きな企業でなくても、諸制度を整備して、ビジョンを明らかにし、従業員やお客様にそして取引先に約束した通りの経営をすれば、全国から人材が集められる。

まずは都会へ進学した根室っ子から優秀な者を選んで優先的に採用したらいい。両親が近くに住んでいれば、子ども3人作っても育てられる。少子化なんて地元企業の経営改革ができれば自然に解消できる

 

「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」

従業員を大事にしない企業から人材確保できずに消えていく時代になった

人材確保ができて、経営が順調にいくようになったら、店頭公開を考えたらいい。オーナーは数十億円のお金を手にできるし、従業員も社員持ち株会で3,0005,000万円くらい手にできる。社長も従業員もハッピーになったらいかが?


 

<余談:株式上場と経営改革>

皆さんご存知のゼビオは福島県郡山市が本社の地域企業が全国展開したものだ。郡山の臨床検査会社へ役員出向しているときに、店頭公開を目指す地元企業の定期的な集まりがあり、ゼビオ常務の話を何度も聴く機会があった。1992年ころだったかな。あのころでゼビオの社長が保有している株の時価総額は400億円を超えていた会社の上場というのは魅力の大きいものだよ。根室でもだれかやってみたらいかが?

出向していた郡山の臨床検査会社の経営改善案(染色体検査事業をベースにしたもの)を1年でまとめ、店頭公開のめどが立ったので、親会社の社長に報告しに本社へ出向いたら、副社長を同席させて「聞いていない」と改革案の実行を止められた。そしてほどなく本社への帰還命令を言い渡された。F田さん、ずいぶん慌てていた。わたしは重要な仕事は文書で残すようにしている。

発信文書はすべて宛先と発信年月日、そして文書番号が入っている。この案件はF田さんが副社長のY口さんへ任せていたもので、副社長に口頭と文書で報告してあったし、SRL郡山営業所からF田さんへ何度も口頭で進捗状況の説明を入れていたから、ごまかしようがないのに、無理押しするから何か理由があるなと感じてさっと引いた。お二人さん、わたしが文書報告を盾にごねると思っていたようで、さっと引いたら、社長と副社長がびっくりしたような眼をした。説得案が用意してあったのだろう。Y口さんは海軍士官学校と陸軍士官学校の両方に合格して陸士に行った切れ者で、戦後は東大へ入りなおして、富士銀行へ勤務し、SRLへ出向になった方だ。変わり身の速いのが身上の人で、そこを理解してお付き合いしており、give and take の関係だった。関係会社管理部員公募の件では、わざわざ八王子ラボまで来て来客用の応接室にわたしを呼び、上司のI神取締役には公募に応募したこと言うなと口止めされた。報告を上げたらI神取締役が反対するから異動はなくなるから、異動が公示されるまで黙っていろということ。新設部署にはわたしのスキルが不可欠だったのである。わざわざ課長職の異動に副社長がじきじきに新宿本社から八王子ラボに来るというのは異例だった。
 35歳の時にSRLへ上場準備要員として転職、入社早々、統合システムの「会計及び支払い管理システム」と「各システム間インターフェイス仕様」が暗礁に乗り上げて1年もスタートが遅れていたのを解消し、8か月で本稼働させたし、予算減価償却費の精度が悪いのでこれも上場審査の障害の一つになっていたが、同時進行で新しいシステムを作って解決してあげた。この時代は全部作りこみだったから、パッケージシステムそのものを開発するような仕事である。パッケージに業務を載せるような軽い仕事とはまったく違う。大規模なパッケージシステムがなかった時代である。固定資産の実地棚卸業務がいい加減だったので、これも全部実地に棚卸して、固定資産台帳を整備し、システムを作り直して審査要件を満足するような実務デザインを書き、実施した。同時にこれらの仕事をした。ついでに予算編成の統括業務も任された。すべて入社1年間の間にやった仕事である。Y口さんが管理系役員の親玉だった(当時は専務取締役)ので最終責任は彼にあった。入社2年間は本社財務部でY口さんの懐刀だった。だからこちらからもお願いがしやすい、郡山の臨床検査会社に出向するときに、直接交渉して郡山の会社の社員との飲食費用予算を50万円認めてもらった。出向していた15か月の間に、一緒に出向していたもう一人の口車に乗って軽率に動いて、法的な責任を問われるような危ういことになりかかったが、助けてあげた。都合が悪くなれば、平気で前言を翻すくらいのことはする愉快な人だったから、助けずに観客席に座って高みの見物でお手並み拝見でもよかった。こちらが仕事で失敗しない限りは、安全パイどころか強い味方なのである。
 創業社長のF田さんは北陸の会社の買収交渉と郡山の会社と資本提携話を私に担当させて、1億円出資して、郡山の臨床検査会社にわたしを役員で送り込んだ。「(交渉任せたから選ぶのは)どっちの会社でもいいよ」とは言ったが、北陸の会社は経営分析を依頼された折に黒字化の経営改革プランを作ってあったので、わたしがやる必要はなかった。だから出向先は郡山の会社を選んだ。
 郡山から親会社へ改革プランの実行許可をもらいに本社応接室へ着いて、F田社長に内容報告をしたときに「聞いていない」と一言聞いただけで、二人の本音がピンときた。それまで気がつかなかったわたしがばかだった。創業社長のF田さん、東北に拠点を置く郡山の臨床検査会社を手に入れたかっただけで、本音は経営改革して店頭公開してほしくなかったのである。だったらわたしを送り込む必要はなかったのだが、郡山の会社の社長から強い要望があったから応じざるを得なかったのである。ebisuの役員出向が資本提携の条件として郡山の会社のほうから出された。
 郡山の臨床検査会社のT橋社長は、経営分析資料をもっていって初めてお会いして社長室で説明すると、わたしをただの経理屋さんだと勘違いした。社内を案内されたときに営業所にあった血球計算機が米国コールター社製品だったので、「なぜ東亜医用電子の血球計算機でなく、メンテナンスに問題のあるコールターを選んだのか?」、社内を歩きながら「検査試薬原価比率が低いが、試薬の仕入れに何か特別のコネがあるのはず、興味があるので教えてほしい」、試作した数十台のボードコンピュータをひっくり返し裏を見ていいか許可を求め、裏側を確認しながら「このマルチコントローラーはマッピングではなくプリント基板だから、商品化するつもりでしょう?後で社長室に戻ってから理由を言いますが商品化は無理」「社長が作った営業所別売上推計値はわたしの推計と総額でほぼ一致しているが、線形回帰分析で計算したデータだと思うが、違っていますか?わたしはもっとシンプルなやりかたで計算しています、営業所別に積み上げなくても決算データだけで同じ精度で推計できます」、という具合に、次々と具体的な質問をしたので、ぎょっとした顔をしていた。産業用エレクトロニクス輸入商社の関商事(後に店頭公開しセキテクノトロンと社名変更、2010年ころ消滅)では技術部でマイクロ波計測器のマルチチャンネルアナライザーを開発したことがあった。同じフロアだったので、開発技術者のN中さんが夜遅くまで仕事していたので時々仕事を見せてもらっていた。最初はマッピングで半田ごてを使って線をつなぎプロトタイプを作って動作を確認する。ちゃんと動くようになると、今度は回路図を描いてプリント基板を製作する。これは金型を作るので百万円単位のお金がかかる。マッピングでは量産できないから、プリント基板で製作すること自体が商品化への第一歩なのである。量産によって製造原価がどれくらい低減するかもおおよそのことはわかってしまう。輸入商社にいた5年間は得るものが多かった。もちろんこんなことを理解し、一目で判断できる経理屋なんて日本中さがしてもいないだろう。そしてEXCELを使って線形回帰分析ができる経理屋も1992年当時は世の中に滅多にいなかった。わたしは1979年から科学技術計算用のプログラミングのできるHP67とHP97を使って線形回帰分析を仕事で多用していた。検査試薬の価格交渉はわたしの提案で入社2年目に取り組みが始まった。実際にわたしも価格交渉プロジェクトメンバーに加えられたから、経験があった。製薬メーカの取締役相手に、総額で20億円ほどコストカットをした。
 だから、T社長への質問はひとつひとつ、経験の裏付けがあったので全部急所を突いてた、彼は驚きと不思議そうな表情をしていた。それで資本提携話は勝負がついてしまった。臨床検査業界ではシステム知識についてはシステム屋以外では自分がナンバーワンだと自惚れていたのである。経理の専門知識と臨床検査に関するシステム開発専門知識の両方を備えた人間が資本提携交渉にやってくるとは思わなかったのだ。そんな人間は臨床検査業界で見たことがないとあとで二人で酒を飲んだ時に言った。「ebisuさんとは話せば話すほど、底が見えなくなる」「資本提携はebisuさんが出向してくるのが条件だ」と正直で強気な社長だった。

郡山では朝6時に温泉に入り、ゆったり食事をして、歩いて5分、9時ころに出社していた。当初は8時ころ出勤していたが、郡山の社長のT橋さんに社長室で、「ebisuさん、9時ころ出社してくれないか?」とやんわり相談された。部下が困るというのである。F田さんは、朝7時半ころ会社に入り、8時ころには外出するのが日課だった。社員のわたしは8時15分ころ出社、たまに出かけるところを目撃していた。わたしはSRLで働いていた時と同じスタイルだった、立場が違うから仕事のスタイルも変えなければならないなと思った。それで、6時に5分歩いて温泉朝風呂、9時直前の出勤という東京では考えられない、「会津のオハラショウスケさん」のようなサラリーマン生活だった。出向期間の3年間でやれと言われた仕事を1年で済ませて、あとはのんびり遊んでいるつもりだった。出向に行く前に、上場準備要員としてわたしよりも半年ほど先に入社していたH本さんから、「ebisuさんなら、3年でなく仕事は1年半で終わるでしょ」と酒を飲みながら言われたが、ほぼその通りになった。飲んでるときには「行ってから考えるから、やってみないとわからんよ」と返事した。

赤字の臨床検査会社を、売上高経常利益率10%にするのは簡単なことである。生産性を3倍にするオーソドックスなやりかたと、その会社の特殊事情に合わせてやる方法と二つ案ができた。オーソドックスな方法はSRLの千葉子会社の新規システム導入で実験済みだった。わたしは本社関係会社管理部から子会社である千葉ラボSMSの経営改革にタッチしていた。新規システム(受付業務と検査業務システム)導入は大型の投資案件で、システムの内容、損益シミュレーションを稟議書にまとめるとはわたしの仕事だったから、全体を熟知していた。もちろん単独でもそれぐらいの仕事はできる。大きなシステム開発案件も単独で複数担当して外部設計や実務設計経験があったから、生産性を3倍にする方向でシステム仕様をまとめていけばよかった。プログラミングと内部設計は腕の良いSEとその配下のプログラマーに任せたらいい。業界トップレベルのSEを数人知っていたから、失敗はない。システム開発だけは腕の悪いやつとは組まない主義だった、常に業界トップクラスだけを相手に仕事してきた。すでにかかわっていた大手監査法人の公認会計士のシステム専門家を断ったことがある、SRL入社2か月後のことだ、腕が悪すぎた。タイミングよく経理課長が、「切ってもいいか?」と訊いてきた。毎月300万円支払っていたが、こちらが授業料をもらいたいくらいだった。
 千葉ラボの新システム導入は稟議書では生産性を2倍にアップするというものだったが、稼働2か月後に2.5にアップし、実績値がわたしのシミュレーションを上回った。同じ人数で最大4倍の処理量を想定していた。だから、そっち方面の仕事の腕は信頼が厚かった。当時、「SRLで初めてのわけのわかるシステム案件稟議書」と評された。導入効果についての信頼性の高い損益シミュレーション技術なんて誰ももっていなかった。その稟議書に承認印を押したのはF田社長である。もちろん、稼働後の実績検証報告も文書で上げている。
 

赤字解消の経営改革案が1年でできるとは考えていなかったようで、郡山の会社では数人の役員へ説明済みだったから、これ以上おいておくとebisuは実行せざるを得なくなると慌てた創業社長は、15か月間で出向解除命令をだした。「本社経営管理部管理会計課長・社長室・購買部兼務」の長ったらしい辞令が用意されていた。3年間の出向契約だったのに、たった1年と3か月で温泉に入ってのんびり910分前に家を出て会社へ通勤する生活はあえなく終わった。
 関係会社管理部は新設部署で、社内公募でスタートした組織だった。その最初の仕事が千葉ラボの新規システム導入で、稟議書添付資料のシミュレーション通りの黒字転換を創業社長は見ていた。SRL本体よりも売上高経常利益率がアップするのは非常にまずかった。最有力のグループ企業となるから、T橋社長をSRL本社役員に加えなければならなくなる、カラーが違いすぎたのでそれを嫌ったというのがわたしの結論である。SRL八王子ラボには重大な欠陥があった。もちろん解消するプランも練ってあった。本社にいるのが嫌で、すぐにSRL東京ラボへ出向することになるが、そこで社長のM輪さんと、SRLグループ全体のラボ配置計画の具体案を詰めていた。200mの平面自動化ラボの建設移転計画を準備していたのである。ある程度に詰まったら、SRL本社のK藤社長を巻き込むつもりだった。その寸前に、帝人と臨床治験検査合弁会社立ち上げプロジェクトが暗礁に乗り上げ、K
藤社長から、新聞公表スケジュール通りに合弁会社を立ち上げるように指示が飛んできた。SRL東京ラボのM輪社長、社長室にわたしを呼んで、しばらく間をおいてから、「これはK藤社長からの直接の指示だ、どうしようもない」とあきらめ切った表情で、異動受け入れを承知するように告げられた。面白い構想が進んでいたのである。大きい構想で具体的な手を打ち、動ける人材がほかにはいなかった、だから、自分の役割と心得て動いていた。帝人との合弁会社はもう決まったことだから、ラボ再編成の話はK藤社長にはしなかった。K藤さんが、八王子ラボの自動化を指示したときに、構想に根本的な欠陥と障害があることを知っていた。50億円の投資が無駄になることはしかたがなかった。社長のK藤さんは知らなかったのである。いや、いまでも経営陣は気が付いていないだろう。一つは検体が頻繁に上下に移動するような動線にならざるを得ないこと、そしてもう一つは、関連部署(業務部とシステム部門)に仕様書がかける人材がいないということだった。

郡山の臨床検査会社に話を戻すと、生産性3倍アップを目標に1年間で業務システム、検査システム、管理系システムを開発すれば、赤字会社を黒字にして、売上高経常利益率を10%にもっていける、すでに葉ラボでプロトタイプは実証済みだった。首都圏へ進出すれば業界ナンバーワンのSRLと競合しても、価格競争力を武器に互角以上に戦えるから、売上規模100億円を数年で超えられるから、ワラント債で10~30億円は手にできただろう、金銭に欲がなかった。やるぞと言い放てば、当時の郡山のT橋社長は乗りのよい奴だったからついてきただろう。しかし、わたしにはそういう気がなかった。SRL創業社長のF田さんも魅力にあふれる経営者だったのである。当時、2社を東証1部に上場させた現役社長は日本にF田さんしかいなかった。

 

1990年に学術開発本部で、わたしの席の背中の壁が社長室との間仕切りだった。わたしを入れて開発部メンバーと社長は週に一回意見交換をしていた。そこから関係会社管理部へ異動し、最初の仕事が三井物産から買収した千葉ラボ(株SMS)の経営改革、次いで北陸の臨床検査会社の経営分析と買収案件、そして郡山の臨床検査会社への1億円の出資交渉を同時に担当させてくれたので、楽しかったのである。創業社長の次はK藤さんが社長になった。お二人とも医者であるが、K藤さんも仕事の任せ方が半端じゃなかった。K藤さんに任せてもらった仕事は何度も書いている。帝人との臨床治験合弁会社の立ち上げと経営、株引き取りによる合弁解消、帝人ラボの買収を任された。いい上司に恵まれ仕事ができた、ラッキーだったと思う、そしてSRLはとっても面白い会社だった。

 「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」


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#3677 根室の人口減少の実態分析:そして対策と展望 Jan. 6, 2018 [根室の過去・現在・未来]

 「#3669 わけのわからぬ「広報ねむろ1月号」(1):人口統計」で根室の人口推移グラフをご覧いただいた。もう一度、ご確認いただきたい。
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-12-30


 最近2年間、人口減少幅が600人を超えたが、これは1971年以来、じつに46年ぶりのこと。大雑把にその内訳を示すと次のようになっている。

 ①新生児数 190人
 ②死亡数  360
 ③中・高校卒業時転出 180
 ④その他の流出 150-250

 ①のみプラス要因、②~④はマイナス要因である。
 差し引きすると年間500~600人の人口減となる。

 根室市の人口減対策は、移住促進である。根室の財政を語る専門ブログによれば、2016年度は移住で8人増えたそうだ*。予算を使って何年もやった結果がそれなら、さっさと政策を見直すべきだろう。誰にでも間違いはあるから、そのあとが問題で、効果がないとわかったら、さっさと旗を降ろして別の政策を考えるべきだ。
 データを見れば採るべき政策はハッキリしている。
(2040年に出生児数は100-110人程度まで減少見込み) 

 (1)新生児数がガンガン減少しているのは、結婚適齢期の若い人に都会並みの雇用条件の働く場がないからで、これに対する対策は、地元企業の経営改革しかない。それには全く手を付けずに、移住促進政策とは笑止千万。

 (2)死亡数の大半は老人である。老人が2.6万人の内、8000人もいるから死亡数はこれからも20年ほどはあまり減らないだろう。病院職員から要望の大きかった療養型病床を置かなかったので、中標津や厚岸や釧路の療養型病床へ入院する年寄りが増えている。これも社会的流出を増加させている。根室市の医療政策ミスで取り返しがつかぬ。市政翼賛機関としてしか機能しない「オール根室」の弊害がこういうところに現れる。

 (3)中高生が進学のために根室から出ていく。③が人口減の最大の要因である。出ていった者たちが戻ってこないのは、「日本標準経営」をしている地元企業が極端に少なく、オープン経営へ改革を嫌う経営者が多いからだ。都会へ進学した者たちから見たら、旧態依然として時代からずれて見えるし、親たちも戻ってきても働き甲斐のある企業が少ないことを承知している。地元企業に勤務している親たちの何割が自分が仕事している会社に子供を就職させたいと思っているか、アンケート調査をしてみたらいい。結果は厳しいと思うよ。オープン経営に邁進して魅力ある地元企業を増やそうよ
(中高生は激減していくから、転出数もその分は減少するが、プラス要因の出生児数の減少と相殺関係になるため人口変動に影響はない)

 (4)④の流出は定年になってから、都会へ引っ越していく老人たちだろう。子供は進学して都会で就職・結婚しているから、仕事がなくなれば根室にいる理由がない。よく考えてみてほしい、この人口流出は根室から巨額の資産流出を伴っている住んでいた土地を売り払い、退職金を移し、年金口座を変更することになる。地元信金は大きな痛手だろう。根室の土地資産価値は慢性的な供給過剰により著しく低下する。根室市政とくっつき過ぎて、肝心なところがお留守になっていたのでは。
 定年後、数年で都会へ引っ越す例が多いのは、家を手に入れるのにお金がかかるから退職金と年金の多い公務員。町の未来に見切りをつけている市役所職員が少なくないのだろう。根室市役所で無記名アンケートを取ってみたらいい。「定年五年後にあなたは根室に住んでいますか?」そういう質問を入れてみたらいい。内部の事情を知っているからこそ改革が不可能だとあきらめるのかもしれないが、そうではない。適切なビジョンと政策があれば町の未来は変えられる


 (4-2)貧困な地域医療事情も人口減を加速する。老いを迎え、病を得たら、規模の大きい総合病院が近くにあったほうがいいに決まっている。医療施設の充実した都会へ引っ越せばふつうに通院できる。根室にいたら、朝5時40分のバスに乗って釧路の病院へ通院しなかればならない。運転免許返上したら、バスしか移動手段がない。鉄道は老人たちの選択肢から消えている。往復5時間のバス通院、病気を抱える年寄りにはつらい。みんな本音は根室の病院で治療を受けたいのだ。そして最後は療養型病床へ入院して、親戚知人に看取られながら死んでいきたいと願っているだろう。
 それがかなわないのが今の根室だ。誰がこんな町にした
 根室の経済諸団体が病院建て替え時にこぞって療養型病床を設置するように要望していたらこんなことにはなっていないだろう。根室はまれにみる、療養型病床のないる人医療の貧困地域になってしまった。

<結論>
 無策な市政も、それと蜜月を続け批判をしないオール根室や経済諸団体もじつに罪が深い
 ふるさとを根こそぎ壊すのはもうやめてもらいたい、そしてそろそろ目を覚ましてもらいたい。データ分析してみたら、まともな政策は立案も実行もできる、最悪の状態は回避することができるかもしれぬ。
 今年は根室の町の未来にとって、きっと最後のチャンスになるだろうよ

 チャンスを捕まえられなければ、地元企業がどうなるか、データに基づいて未来図を検証して御覧に入れる。


*根室市の財政を考えるブログ
http://nemuro-city.jugem.jp/?cid=6


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#3674 このデータの意味は?:衝撃の推計 Jan. 5, 2018 [根室の過去・現在・未来]

  根室市内の事業所数と従業者数の統計データが「根室市人口ビジョン」のなかにあった。そのデータをもとにして2040年の推計を行った。推計方法は1996年から2012年までの16年間の年間平均成長率を算出して、2040年の推計値に利用した。


--------------------------------------------------
<事業所数推計>      
  1996 2012 2040  
a事業所数 2,014 1,544 969  
b従業者数 16,183 11,031 5,640  
b/a 8.0 7.1 5.8  
         
1996年と2012年は実績値    
年平均減少率=(1544/2014)^(1/16)  
2040年は16年間の年平均減少率をベースにした推計値
-------------------------------------------------

 2040年には1/3強の575の事業所が根室から消えている。経営改革ができず、かてて加えて人材補給ができない事情を考慮すると、半数以上の地元企業が生き残れない可能性すらある。この方面は企業レベルでも市政レベルでもまったく手が打たれないのはなぜだろう?

 このデータと、#3673で書いた男子の募集に応募がゼロという事実を思い起こしてほしい。根室の今と未来が見えてくる。

 根室には日本合同缶詰という北海道最大の水産加工会社があった。5工場、女工さんだけで1000人が働いていた。全道各地から、そして青森県から来た若い女工さんたちが根室の水産業を支えていた。つぶれる15年ほど前から、女工さんが集まらなくなり、ベテランの男工さんたちが次々にやめていった。どうすればよいか改革を提言する者が現場監督にいたが、本社の人間は誰も耳を貸さない。人を粗末に扱い続けたら、その企業に人が集まらなくなるのは当然である。当時の経営者も本社部門も、人の確保が根室以外の地域と競争状況にあったことに気が付かなかった、嘘みたいなホントの話。
 日本全体を見ていない、日本の雇用状況の大きな変化に気が付きさえしなかった、視野が狭く経営改善をしようとしなかったのである。いま同じことが起きているのではないか?

 日本の標準的な経営、標準的な雇用条件と根室の企業に間には大きな隔たりがあり、それを詰める気力も、問題意識もない。このままでは日本合同缶詰がそうであったように、つぶれるべくしてつぶれていく。データを見て、20年後に根室の大手水産業者がどうなっているか想像してほしい。手を打つべきは足元にある。

 わたしの意見は具体的な事例を引きながらこの次に述べる。

*日本合同缶詰の倒産
http://hokkaido-index.cocolog-nifty.com/blog/1976/09/post-e767.html

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#3673 根室の人口と財政規模の推移:一人当たり予算額比較 Jan. 3, 2018 [根室の過去・現在・未来]

 根室市の予算額はどういう推移を示しているのだろう。「人口は減少を続けているから、予算額も減少しているだろう」というのが合理的な推論である。住民一人当たり予算額は減っているのか、横ばいか、それとも増加傾向か、こうした素朴な疑問も古里の未来に重大な影響があるのでしっかり見ておくべきだ。

 ところで、昨日高校時代の同級生(九人会)の新年会があった。その中の一人がこんなことを言っていた。「募集を出しても一人も応募がないんだ」、水産加工会社は正社員で募集を出しても男子の補充が利かない現実がある。この問題については、次回にデータを挙げて、これからどうなっていくのかを論じたい。かなり面白いデータがある。

 根室市の人口と予算額の対比表をご覧いただきたい。

増減 人口   予算(億円) 万円/人  
  36,041  1994 H6 177.8 49.3  
-481 35,560  1995 H7 184.7 51.9  
-343 35,217  1996 H8 186.4 52.9  
-382 34,835  1997 H9 190.4 54.7  
-301 34,534  1998 H10 178.9 51.8  
-351 34,183  1999 H11 178.1 52.1 藤原市長
-324 33,859  2000 H12 181.4 53.6  
-371 33,488  2001 H13 178.6 53.3  
-460 33,028  2002 H14 173.1 52.4  
-360 32,668  2003 H15 166.3 50.9  
-402 32,266  2004 H16 166.3 51.5  
-495 31,771  2005 H17 159.2 50.1  
-390 31,381  2006 H18 146.0 46.5  
-500 30,881  2007 H19 141.5 45.8 長谷川市長
-412 30,469  2008 H20 147.3 48.3  
-388 30,081  2009 H21 145.7 48.4  
-485 29,596  2010 H22 155.0 52.4  
-457 29,139  2011 H23 160.9 55.2  
-389 28,750  2012 H24 164.8 57.3  
-201 28,549  2013 H25 166.4 58.3  
-499 28,050  2014 H26 166.2 59.3  
-421 27,629  2015 H27 170.8 61.8  
-611 27,018  2016 H28 168.1 62.2  
-583 26,435  2017 H29 169.9 64.3  

(注:2017年の人口データのみ、12月1日のもの。12月末ではこれよりも30人強減っていると思われる)

 予算の限度額は標準財政規模の1.5倍までと言われている。根室市の標準財政規模は年度によって多少の変動はあるが、最近5年間はおおよそ90億円で推移している。だから、限度は1.5倍の135億円である。現在の予算規模は、人口減少化で、この限度額をはるかに凌駕し、さらに膨らみ続けている。

 ①緑色は藤原前市長(北海道根室支庁長から根室市長へ)時代の人口と予算額の推移である。8年間で予算額は32.1億円減らしているから、財政規模縮小に努力されたのだろうと思う。長谷川市長に代わってから予算規模は28.4億円増えた。

 ②藤原前市長時代の8年間は、人口は34,534人から31,381人へ3,153人減少した。長谷川市長に代わってから、11年間で4,946人減少している。最近2年間を見ると年間600人に減少幅が跳ね上がった。人口減少が600人を超えたのは1971年が最後である。なぜいまこんなに人口が減少するのだろう?

 ③「住民一人当たり予算額」データを見ると、藤原前市長は46.5万円まで減らしたが、長谷川市長に代わってから増え続け、平成29年度は64.3万円に1.38倍になった。予算規模をこんなに膨らませたのはなぜだろう?

 それぞれに理由がある。根室に住むみなさん、これらのデータの推移は根室の町の未来に甚大な影響があるから、どうぞ自分の頭で、そして周囲の事実と照らし合わせてお考えいただきたい。

 わたしの考えは次回か、その次当たりに書こうと思います。

#2269 衝撃!根室市の人口推計値 :とまらぬ人口減少 Apr. 21, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-21

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#3670 わけのわからぬ「広報根室1月号」(2):病院事業 Dec. 30, 2017 [根室の過去・現在・未来]

 病院事業の上期決算が掲載されているが、これをみて、病院の上半期売上がいくらで、経常損失がいくらになっているのか、理解できる人は(財務課の職員を除いて)いないだろう。根室市のホームページには30日現在、まだ「広報根室1月号」がアップされていない。

 6ページの企業会計部門には病院・港湾・水道・下水の4企業会計の数字が並んでいる。このページのタイトルは「平成29年度予算上期(4~9月)の執行状況となっているのに、予算額は年額が表示されている。世迷言はいい加減にしてもらいたい。年次予算額と上半期の実績額を並べる民間会社はない。
 上半期の実績は上半期の予算額と比べるのが財務及び経理マンの常識だ。そういう常識すらないようで、毎年同じフォーマットで広報根室に掲載している。民間企業会計基準へのデータ組み換えは簡単である、広報根室の編集責任者の見識を問う。

 年次予算額は47.2億円、上半期実績額は収入が20.7億円、支出が21.8億円だから、1.1億円の赤字と見えるだろう?事実は全然違うのである。病院建て替え後は毎年16-17億円もの赤字を出し続けている

 収入の中には市の一般会計からの赤字補填金である「一般会計繰入金」が約16億円含まれている。企業会計と書いておきながら、「収入と支出」を掲載する無神経にはあきれるほかない。損益計算書は「収益と費用」を並べて表示する。
 市役所の内部資料ならそれ(「収入と支出」)もありだろうが、広報根室は市民の皆さんに読んで理解してもらうために発行しているはずだ。これでは読んでもわけがわからない。
 わけのわからないときは、原理原則や基本へ戻れとニムオロ塾では指導している。
 企業会計の常識では「収益と費用」である。広報根室へは民間会計基準で作成したものを載せるべきだと思う。もう10年近く弊ブログで民間会計基準での掲載を問題にしてきたが、残念だが、市議でそういう問題を取り上げた人はいない。広報根室の掲載方法に問題があるとは思っていないのだとしたら、市民目線でものを見ていないということになる。

 公的会計基準では経営の実態がまったくわからない。だから、夕張市は突然財政破綻した民間会計基準で市民へ広報していたら、問題は小さいうちに処理できただろう。市民は公的会計基準で作成された資料を見るのみで、赤字の実態を知らされていなかった。根室もよく似ているね。

 平成20年度の決算書が手元にある。売上22.9億円、費用33.5億円、差し引き経常損失10.6億円となっている。市の一般会計から10億円が繰り入れられて、損失は0.6億円。これが実態である。
 手元にあったほかの年度の決算書では、平成21年度は売上26.4億円、平成23年度は23.3億円。

 市立根室病院の売上は22-27億円である。市の一般会計からの赤字補填16億円が予算化されて、収入予算額が40億円前後になっていた。いくらなんでも平成29年度の47億円は異常だ。
 上場企業で売上予算が実績と5%のズレるなんてことはまずない。そんなにぶれたら、予算管理に問題ありとなって担当取締役は責任を問われる。市立根室病院の当初予算は毎年大外れだ。つじつま合わせの予算編成をするからだ。この点でも、市議諸君の市政チェックがぬるいと言わざるを得ない。
 ちゃんと基礎的な勉強をしておかないと、市議会で当を得た質問などできるはずがない。市議として報酬をもらうについては、市議としての職務への責任と表裏一体である。来年こそは、市議諸氏は市政チェック機能を立派に果たしていただきたい。そういうことを期待して市民はそれぞれ自分が支持したい市議を選んで9月の市議選で投票したのである。

 問題の本質は事実を隠蔽してはならぬということ毎年出し続けられている16-17億円の赤字は、公的会計では黒字に変わるが、嘘はいけない。民間会計基準で正直に市民へ報告して、問題のあることを明らかにしよう。問題があればテーブルの上にのせて、オープンな議論をして、総力を挙げて問題解決に当たろう


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#3669 わけのわからぬ「広報ねむろ1月号」(1):人口統計 Dec. 30.2017 [根室の過去・現在・未来]

 広報根室1月号が届いた。バックナンバーは次のURLにあるので、クリックしてご覧いただきたい。
 今回は裏表紙の人口統計データに注目する。
http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/0/C5BA49B257175EBA492570C300446F71

----------------------------------------------------
 平成29年12月1日現在 人口 26,435人 前月比-30
----------------------------------------------------


 このデータを見て、1年間でどれだけ根室市の人口が減少したか±10%の精度で推測できる人はほとんどいないだろう。民間企業で予算の統括業務をしたり、経営分析で様々な統計データを加工してきたことのあるわたしにだってできやしない。

 こういう統計は、ふつうは「前年同月比」で見るのが当たり前だ。民間企業でも各種の前年同月データがよくつかわれている。
 では、前年同月データではどうなっているのか、同じURLで前年1月号の裏表紙のデータと比較しよう。

 2017年1月号  27,046人(2016年12月1日現在)
 2018年1月号  26,435人(2017年12月1日現在)
          -611人

 前年同月比でみると、根室市の人口は611人減少している。
 では、この年間611人減少というのは根室市の未来にとってどういう意味をもつ数字なのか?

 人口推移データと比較するしかない。
 根室市の人口減少が年間600人を超えたのは1969年からの3年間だけである。団塊世代が1969年に高校を卒業してからの3年間、住民票を移し始めた時期だ。わたしもその一人である。
 1971年以来45年ぶりに人口減少が600人を超えた。
 
 広報根室は昨年12月号から、裏表紙の人口統計データを「前年同月比」から「前月比」へ替えた。通常、こういう統計データの表示法を変えるときにはそれなりの説明があるのがふつうだが、なにも説明がなされていない。市議で質問をした人もいなかったように思う。市政チェック機関である市議会は機能しているのか?

 昨年12月号から変えたのは絶妙のタイミングだった。年間減少が45年ぶりに600人を超えたからである。忖度して「広報根室」を編集している部署がやったのかもしれない。それとも市長の指示だったのか闇の中。

 よらしむべし、知らしむべからず

 こんな言葉を思い出した。

 第5代根室市長だった藤原さんと現市長長谷川さんの時代に区分して、人口統計データを御覧に入れる。
 
【根室市の人口データ】
  人口 対前年変動数 %CH
1997年 34,835    
1998年 34,534 -301 -0.86%
1999年 34,183 -351 -1.02%
2000年 33,859 -324 -0.95%
2001年 33,488 -371 -1.10%
2002年 33,028 -460 -1.37%
2003年 32,668 -360 -1.09%
2004年 32,266 -402 -1.23%
2005年 31,771 -495 -1.53%
2006年 31,381 -390 -1.23%
2007年 30,881 -500 -1.59%
2008年 30,469 -412 -1.33%
2009年 30,081 -388 -1.27%
2010年 29,596 -485 -1.61%
2011年 29,139 -457 -1.54%
2012年 29,015 -124 -0.43%
2013年 28,549 -466 -1.61%
2014年 28,050 -499 -1.75%
2015年 27,629 -421 -1.50%
2016年 27,018 -611 -2.21%

 藤原市政の8年間は年平均394人の人口減少だったが、長谷川市政になってからは人口減少が加速しているように見える。それは移住促進というピント外れの政策を人口減少対策の中心においているからだ。地元企業の経営改革なくして、人口減少の加速はとめられない。人材難もますますきつくなる。
 地元企業の経営改革はそんなに難しいことではない、上場企業をお手本にすればいいだけ。

①決算をすべての従業員へ公開する
②予算制度を採り入れる
③予算達成と賞与をリンクさせる
④退職金規程を作り、年度末にいまやめたら退職金がいくら支給されるか文書で通知する
⑤経理規定を作り、会社の経費と個人のものを区別する
⑥会社に寄与していない親族を役員にしない、
等々。

 上場審査基準でチェックして、足りないものを整備すれば、会社の未来を担う優秀な人材は集められる。

 2040年根室市の人口は現在の2.6万人から1.8万人へ3割減少する。人口減少は危機であるが、やりようによってはチャンスに変わる。チャンスに変えるにはいまさまざまな職種にある大人たちが、仕事を通じてなすべきことをなさねばならない。
 市議は集まって、喫緊の問題と30年後の状況をハッピーなものに変えるために、議論のテーブルに着かなければならない。地元企業主も同じだ。根室の未来はわたしたちの手の中にある。

 毎年、高校を卒業して故郷を離れる若者がたくさんいる。地元に残る者たちの3‐4倍もふるさとへ戻ってこない。そういう人たちも、根室の人口減が加速する現実を知れば、胸を痛めるに違いない。



*#2542 根室の人口:『広報ねむろ1月号』より Dec. 26, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-25


 #3574 根室市の人口減少加速: ついに年間600人台へ突入(広報根室8月号) Aug. 4, 2017

http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-08-04


 ハンドルネーム「サルタヒコ」さんから、平成27年に根室市が作成した「根室人口ビジョン」という資料に人口動態データが載っていると投稿があった。なるほどよくまとまっている。有用な情報の存在場所の指摘や投稿欄を介して協働が成り立てばありがたい。
 根室市が何を考えているのかとくとご覧あれ。(6時半追記)

根室市人口ビジョン
http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/image/75ea4dccff8db9f849257dd30027c337/$FILE/%E6%A0%B9%E5%AE%A4%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3(7.31%E7%A2%BA%E5%AE%9A).pdf





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