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#3537 散歩 May 3, 2017 [こころの洗濯]

  数日前に久しぶりに散歩した。ずいぶんと散歩しなかったので、筋肉が衰えたのか足元がおぼつかない。歩いている途中で低血糖の自覚症状があり、2.3㎞を歩くのに30分ほどかかった。散歩のときにはブドウ糖を携帯すべきだ。
  2日後にもう一度同じコースを歩いた。今度は筋肉が少し戻ったのかしっかり歩けた。ふらつかない。

  今日11時の気温15.1度、南風4.9m/秒、湿度50%、絶好の散歩日和だ。歩数を数えながら歩いた。
     2120m、22分、2393歩

  1分間に120歩を目安に、速足で歩いてみた。歩幅をデータから逆算すると88.6cm、分速96.4mである。案外歩けるものだ。
  自衛隊駐屯地の角まで行くと、湿原と海が見渡せる。島が二つ見え、その向こう側はかすんでいた。友知海岸もうっすらもやがかかっていた。昔の水源地であるナンブトウの周りは緑色に染まり始めた。

  58.0㎏にまで減少していた体重も59.5㎏まで回復した。あと2.0㎏増えれば元に戻る。いくぶん体が楽になった。
  2月から続いている首と右肩の痛みとしびれはまだ完全には取れていないが、眠れないほどひどくはなくなった。
  連休は水曜日の今日と土曜日が休みだ。サイクリングへはまだ行く気がしない、でもいい天気だな。(笑)

#3458 取著(しゅちゃく)  Nov. 17, 2016 [こころの洗濯]

 南伝の仏教経典は漢訳の経典とは異なりわかりやすい。パーリー語で書かれた経典群は漢訳よりも古く、サンスクリット語訳よりも古い。お釈迦様が衆生にわかりやすい言葉で説かれたことがよく伝わってきます。
 増谷文雄訳『阿含経典第1巻』(筑摩書房1979年刊)から「33 取著」を引用します。
 わたしにとって仏教は信仰の対象ではなくて哲学です。南伝の経典群のどこを見ても、信じろとか信仰せよという言葉がありません。
 もやもやしてわからなかったことがわかるようになり、こころがすっきりします。この経典群を読むたびに、時間と場所を超越してお釈迦様にお会いして説教を聴いている気分になります。聴いた後は心の洗濯をしたようなこころもちです。(笑)

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33 取著

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。
 その時、世尊は、比丘(びく=僧侶)たちに説いて、かように仰せられた。
「比丘たちよ、取著するものを味わいながら観ていると、その人には愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の薪、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投じたとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火は、そのために、いよいよ久しく燃えつづけるであろう。
 比丘たちよ、、それと同じで、取著するところのものを味わいながら観ていると、その人には、愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 しかるに、比丘たちよ、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には愛着の念が滅する、愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の薪、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投入することをしなかったとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火も、やがて、さきの薪は燃え尽き、新しい燃料は加えられないということで、消えてしまうであろう。
比丘たちよ、それと同じく、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には、いつか愛着の念が滅する。愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。」

* この経題の「取」 Upadana=grasping とは所対の境に取著することをいうことばであって、十二支縁起の第八支をなす。いま釈尊は、それを中心として、比丘たちのために法を説いているのであるが、それについて釈尊の説かれた卑近の譬喩が印象的である。 
* 愛 tanha もと喉の渇きをいうことば。それによって激しい愛着の念をゆびさすのである。

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 「有」には欲界(欲望の世界)、色界(物質の世界)、無色界(抽象の世界)の三つがある。
 「取」には見に対する取著、戒に対する取著、欲に対する取著、我に対する取著の四つがある。
 「渇愛 tanha」には物に対する渇愛、声に対する渇愛、香りに対する渇愛、味に対する渇愛、感触に対する渇愛、法に対する渇愛の六つがある。

 こころに取著が生じたら、これは取著だとありのままに観ればいいのです。ありのままに観ていれば、取著は自然に消えていきます。
 南伝の経典群を読むと、言葉を通して限りなく透明な知性を感じます。


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