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#3406 経済学対話:西田幾多郎・ヘーゲル・マルクス・・・ Sep. 6, 2016 [第3版への助走]

 #3405は「原典のススメ:愛と寛容性概念の混同」というタイトルでしたが、話の行きがかり上、西田幾多郎の「純粋経験」概念に触れました。そこへハンドルネーム、後志のおじさんから投稿をいただき、ヘーゲル哲学とマルクス経済学へ話が伸びていきました。話題は『資本論』の公理の書き換えによる21世紀の経済学の創造へと及びます。それは日本の伝統的な職人仕事観に支えられた経済社会を実現し、グローバリズムの息の根を止めるものです

 後志のおじさんは早稲田の政経学部の出身で、学生時代はよく勉強した人のようです。経済学部でヘーゲル『精神現象学』に目を通す学生なんてほとんど想像できません。そればかりではなく、ドイツ語に堪能で、いまでも毎日音読トレーニングを怠らない英語の達人でもあります。

 若い人たちに、後志のおじさんの鋭い議論とebisuの息の合った経済学対話を楽しんでもらいたくて、投稿欄から本欄へアップします。
 大学生になったら自分の専門分野に関係のあるものは広く深く、しっかり勉強してください。あなたたちの一生の(知的)財産になります。

#3405投稿欄から転載 
(「純粋経験」概念については、#3405に抜粋引用しておいたのでそちらを参照してください)
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(1)siribesi

純粋経験という概念はいいですね。

私が、英語の受験神話(あるいは、学校英語神話)を嫌い、その神話を作る半端者がそれに輪をかけて嫌いなのは、やはりペーパーバックを中学生の時に背伸びして読んだ体験からでしょうか。

小学校低学年向けの内容のムーミンとかシャーロックホームズとか、お年玉で買ってきて辞書を引き引き読んだ。英語の教師に不明な点を聞きに行っても逃げられた。辞書を隅々まで読むと、「自分の疑問に対するヒントがあった。」私の「仮説と検証」プロセスの始まりでしたね。以来、「先生」やら、「参考書」やらの「権威」を「神話」にはしない。妥当性を検証する癖がつきました。

英語参考書の世界では、イトウカズオとかエガワタイイチロウとか、オオニシなんとかさんとかいろいろ神格化されている方がおいでですがなんだかねえ。

皆さん、御自分の論に酔ってこだわって、精緻さを求めるあまり論に歪みが生じていましたね。(イトウカズオは立ち読み。エガワタイイチロウは図書館。オオニシなんとかさんは買ったけど捨てた。)私レベルのものでも、反例を挙げるのは簡単です。でも自分で論を組み立てられるとは思っていないから四の五の言わないだけ。

ebisu さんには申し訳ないですが私には、マルクスの労働価値説は絶体に「愛する」ことのできない概念です。存在するという事実は認めていますが。

中学生の頃に持った疑問
①じゃあなんで店によって同じ物の値段が違うんだよ!と
②旨い蕎麦という不味い蕎麦が同じ値段なのか!
でした。

マルクスに対する私の原初的疑問は、自称マルクス主義の方からは未だもって回答が得られておりません。

ebisu さんの「職人」ベースの価値論、「精緻に走らぬよう」(笑)、完成させてください。

by 後志のおじさん (2016-09-02 23:26)
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(2)ebisu

中学生のときにペーパーバックを読むというのはひとつの「純粋経験」でしょう。
英語の力がどうこうという思慮分別なしに手に余るものに挑むのですから。
思慮分別のある人は決してやらない。(笑)

それでペーパーバックにこだわるんですね。それが英語の「原体験」だから。

江川泰一郎も大西泰斗も一定の制限の中で説明しているだけという事情は当然です。それで全部が説明できるわけはない。チョムスキーの変形生成文法だって、適用範囲を広げていけば反例はいくらでもでてきますし、そういう議論もずいぶんなされました。彼自身も自分の理論をなんども修正しています。修正しては破綻を繰り返すだけ。でも、そういう過程には意味があります。

アインシュタインだって同じこと、相対性原理ですべてが説明できるわけではなく、彼自身が統一場の理論を構築しようとして失敗しています。

でも、チョムスキーもアインシュタインも一定の制限の中では有効です。限界を知って使うのが利口ではないか、そんな気がします。
ニュートン力学だって、高校物理でいまだに教えています。(笑)

限界を感じないのがお釈迦様の言説、初期仏教経典群です。
広大無辺そのもの。世の中のすべてを説くと言って、余すところなくさまざまな比喩を使って説き切ります。

ところで、マルクスの労働価値説もA.スミスの労働価値説もわたしは否定しました。マルクスまでの西欧の経済学は根っこが同じなのです。

>①じゃあなんで店によって同じ物の値段が違うんだよ!と
>②旨い蕎麦という不味い蕎麦が同じ値段なのか!

労働ではなく、職人仕事という概念をわたしは経済学の公理系にもち込みました。
半端職人、一人前の職人、名人、それぞれ仕事の質が違います。だから、同じ一日を要してもできあがったものの値打ちが違います。

マルクスの労働価値説は、労働を均一な質である抽象的人間労働に換算するのですが、いわば平均値のようなもの。質のばらつきに彼は言及しません。工場労働の根源にある奴隷労働がイメージにあったのでしょう。奴隷労働だって仕事の質には違いがあります。ギリシアでは医者も奴隷だった。腕の違いは当然ある。パンを焼く奴隷も肉を加工する奴隷ににも仕事の質の違いはあった。
平均労働を想定して、偏差を捨象したのがマルクス。
ドイツにはマイスター制度がありながら、彼の経済学にはマイスターが現れてきません。彼の想定する工場労働は単純労働ですから質の差がないのです。頭の中だけに存在します。

日本の経済社会の現場で実際に何度か業種を替えて働いてきて、『資本論』の世界とはまったく違う現実があることを経験を通じて確認しました。何かが違うが、何が違うのかが大学にいて研究を続けてもわからなかった。

マルクス経済学の公理には、苦役である奴隷労働に淵源をもつ工場労働があります。
簡単な話だったのです。わたしはその工場労働公理を捨てて、職人仕事に入れ替えると、別な経済学が出来上がることを示しました。

日本独自の経済学でありながら、普遍性をもつ経済学が構築可能で、それこそがグローバリズムを打ち破る鍵です。
平面幾何学に対する球面幾何学を提唱しているようなものです。
ニュートン力学からアインシュタインへといってもいいでしょう。

経済学は職人仕事を公理に据えて、次のステージへ進化すべきです。
こんなことが可能なのは、世界中を見渡してもマイスター制度のあるドイツと日本しかありません。イタリーにもたぶんあるのでしょう。
文化や伝統や価値観の相違する世界が並立していることが大事です。
Aを押し広げれば環境面でも生産でも流通でも限界が来る、そしてBが台頭する。そのBもいつの日か限界を迎え、Cが台頭し始める、そしてDが・・・・という具合に生態系同様に世界が多様であることが限界を超える鍵。
見果てぬ夢を見ています。

経済学に関するわたしの「純粋経験」は高校2年のときに図書室で『資本論』を100ページほど読んだことです。どういう体系なのかまったく理解できませんでした。それまで100ページ読んでまったく理解できない本にはお目にかかったことがありませんでした。『資本論』に比べると、公認会計士二次試験講座の近代経済学は高校生でも理解できるほどやさしかった。

マルクスの経済学体系がどのようなものであるのか理解するところは大学と大学院で済ませました。
次に目標となったのは、わたしが知っている現実とはことなる世界を記述した『資本論』はどうやったら超えられるのかということ。
それを確認するためには、業種を替えて仕事をしてみるしかありませんでした。
ずいぶん時間がかかりましたが、見つけました。わたしは結局のところ、マルクスを乗り越えたくて別の公理系を探していたのです。

自称「マルクス主義」の学者は、後志のおじさんの「原初的疑問」には応えられません。公理にかかわることですから、彼らの経済学体系が崩れます。
「マルクス主義」というのは世界第2番目に信者数の多い宗教なのでしょう。

>皆さん、御自分の論に酔ってこだわって、精緻さを求めるあまり論に歪みが生じていましたね

これ、至言です。その点では江川泰一郎も大西泰斗もチョムスキーも同列です、違いはチョムスキーは自覚があり、自説の破壊と再生を繰り返しています。

マルクスはエンゲルスと「共産党宣言」で理念を書いただけ。新しい経済社会について、体系構築なんてしていません。インテリのレーニンが「共産党宣言」と利用して、労働者階級を煽って政治権力の頂点に昇っただけのこと。

経済学の体系なんて必要ないのではないかという気がしています。公理系を提示するだけで充分、あとはそれに沿って創る人が現れたらいい。
新たな公理系を提示することと、理念を提示するだけがわたしの仕事です。

困った指摘に、なんだか言い訳を綴っているみたいですね。(笑)
by ebisu (2016-09-03 10:38)

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(3)siribesi

せっかくだから、ついでに楽しんでしまおうかと思います。お付きあいください。

マルクスの失敗は、ヘーゲルの手法を用いてしまったから、と考えています。

ヘーゲルは、19世紀前半の躍動する欧州をみて、「仮想のSein 」を作り出し、「弁証法」という観念論を創出した。

Sein が仮想である(あるいは、精々欧州に限定されるであろう)根拠は、彼の言葉「アジアは永遠の繰返しの中にある。」です。実際に存在する現実、事実を探求したのかどうかは知りませんが、思考の外に置くという姿勢が鮮明に現れています。何故なら、

彼のいう「アンチテーゼ」とは、内在する矛盾が主体に意識される、ことをいうのであり、内在していない倫理や価値基準が現れることをいうのではないからです。(ここを知らずに、アンチテーゼだの、アウフヘーベンだのを口走る輩が、1970年代はたくさんいましたね。)

ヘーゲルは、「輝ける欧州」を見て、欧州人受けする思考の方法論を提示した、くらいのものですが、マルクスは、その受け具合をみて安直にのってしまったのではないかと。

だから、「実在」する、マイスターや、百姓(私のような)やら、ドイツ文化には欠かせないForesterやらを全て思考の圏外に置いて、経済理論を構築しているのだ、と思っています。

マルクスも「人」ですから、功名心やら金が欲しいやら♀を抱きたいやらいろんな欲求があったろうと思うのですが、私は、マルクスには強い欲求があり、その実現のために受けそうなヘーゲルを使ったのではないかと思っています。

(ついでですが、私は、エンゲルスとマルクスの関係を、zapper さんと「なんとか先生」の関係くらいにみております。笑!)

by 後志のおじさん (2016-09-03 22:39) 
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(4)ebisu

ははは、すごいことになってきましたね。

>せっかくだから、ついでに楽しんでしまおうかと思います。お付きあいください。

後志のおじさんのご要望ですから、喜んでお付き合いさせていただきます。
それにしても、政経学部でヘーゲル読んでいた人なんてほとんどいないでしょうね。あきれています。(笑)

>マルクスの失敗は、ヘーゲルの手法を用いてしまったから、と考えています。

これ、その通りだと思いますよ、でもわたしの理解は資本論の体系構成に関してのことですから、後志のおじさんとは論点に違いがあります。

当時の状況ではヘーゲルが流行ですから、皆さんこぞってそこへ目が行きます。プルードンだってそうでした。「系列の弁証法」というのがあります。
ヘーゲルだけでなくプルードンの「系列の弁証法」もマルクスはいただいちゃってます。アダムスミスもそうですが、たくさんいただいた先駆者の業績に関しては言及を避けるというのがこの時代の「お作法」のように見えます。

マルクスは数学が得意ではありませんでしたから、デカルトやユークリッドは読んだかもしれませんが、そこからなにも意味を汲み取れなかったのでしょうね。

ヘーゲル弁証法は2項対立図式でできています。
抽象的人間労働と具体的有用労働が経済学の最も根本的な概念の最初の2項対立です。要素としては「商品」のみ。
次の価値形態論は価値表現の関係を図式的に展開したものですが、これも2項対立図式です。それが「交換関係」という場の拡張によって、貨幣が生まれます。
貨幣は資本へ転化しますが、この「転化」に関しては二項対立図式がありませんが、「内在論理」での展開とは言いうるのでしょう。わたしは「人間の欲望」という要素を入れないと、貨幣は資本へは転化しないと思っています。

次いで資本の生産過程が記述されます。ここでは資本は生産手段と労働力商品に転化します。資本の生産過程でも2項図式が見えますが、剰余価値の生産という要素が入り込みますから、要素としては3要素、2項対立ではありません。
剰余価値をカットすることはできませんから、この辺りでもう行き詰り始めたのでしょう。
資本の蓄積過程までがマルクスが書いた部分です。あとはエンゲルスがマルクスの遺稿を整理・編集したものです。
方法論に行き詰ったマルクスは晩年十数年間沈黙しています。打開の方法が見つからなかった。破綻したんです。ヘーゲル弁証法が役に立たないものだとは言えなかった。唯物史観も根底から崩れることになります。『資本論』がヘーゲル弁証法の有効性への反証になってしまったのです。

「生産関係」での価値の定義は資本や生産手段や労働力商品、剰余価値などです。
もう2項対立図式ではありません。演繹体系構成は後ろに方に行くにしたがって、現実性や具体性を獲得し、関係も複雑にならざるを得ません。

マルクスの方法に従えば、「国内市場関係」で競争という要素を追加して、個別資本の競争を扱う予定だったのでしょう。遺稿や『経済学批判要綱』がそれを示しています。マルクスはヘーゲル弁証法の通用しないゾーンへ入ってしまったことに気がついたはずですが、いまさらそんなことは告白できない。国際共産主義運動に提唱者自身が冷水を浴びせることになります。

「国内市場関係」はさらに、二国間の貿易から考察を始めて、多国間での国際競争場裡(=「国際市場関係」)での経済学諸概念の定義と考察がなされます。この辺りの先駆者はリカードです。最終的には「世界市場」です。この段階で資本は国境を越えます。個人の仕事でできる領域ではありません。経済学者が共同研究するしかないでしょうね。
どうやっても、「資本の生産過程」から後ろの部分はヘーゲル弁証法ではやれなかったのです。

関係概念の拡張によって、経済学の基本概念を定義しなおす、そして次第に現実性と具体性を帯びたものに成長させていくと言うのがマルクスのやり方です。ここにもヘーゲル哲学の影響は見て取れるのでしょう。似たようなことはデカルトも『方法序説』で「科学の4つの規則」に書いています。

>だから、「実在」する、マイスターや、百姓(私のような)やら、ドイツ文化には欠かせないForesterやらを全て思考の圏外に置いて、経済理論を構築しているのだ、と思っています。

マルクスは経済学の基本概念から、概念構築物として体系を記述するので、「資本の生産過程」の「第1章商品」では個別的、具体的なものはすべて捨象されます。
経済学的概念を扱っているのです。
演繹的体系ですから、公理系から、さまざまな定理を導出する数学のやり方に似ています。
工場労働(その淵源は奴隷労働)を公理に措定してしまえば、マルクスがやろうがスミスがやろうが、マイスターは視野に入らないのです。
これがわたしの結論です。

マルクスとエンゲルスの関係については、お互いの才能を認めて分担を上手にしています。欠点を言えば、エンゲルスはマルクスの意図をまるで理解できなかったということ。
もっとも、意図をちゃんと理解できていても、いまさら後には引けなかったというのも事実です。
マルクスもただの人間ですから、お手伝いさんに子どもを生ませているということはあります。「人間マルクス」なんて本があったかな?米国の大統領で奴隷に子どもを生ませた人がいるようですが、そういうことはどこにでもある下世話な話です。それによって経済学上の彼の業績がいささかも影響を受けるものではないでしょう。わたしにはマルクスを神格化する必要はありません。
「マルクス教の信者」の皆さんは、そういう事実を否定したい人が多いかもしれません。
方法に破綻して苦しんだマルクスの姿が見えるようです、経済学の巨人も晩年は苦しかったでしょうね。
by ebisu (2016-09-04 10:23) 

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(5)ebisu

大事な論点を追記しておきます。
21世紀の経済社会はそれ以前とはまったく違う様相を帯びています。それはデジタル商品の出現と増加です。

生産過程では生産手段と原材料は必要ですが、デジタル商品は生産に労働力を必要としません。

わたしは1880年代後半にセイコー社の腕時計組み立てラインを見学したことがあります。セイコーで開発したアーム型ロボット15台ほどとパーツフィーダーで組み立てラインが構成されていました。いま人工知能の性能が指数関数的にアップしていますから、生産過程での労働力は業種によっては必要がなくなります。人工知能と機械の性能アップによって、労働力が必要がなくなる業種がどんどんその範囲を広げていくと思われます。

デジタル商品は開発してしまえば、生産には原材料と生産手段があれば、無限に生産できます。デジタルコピーは何億枚やろうとも品質が落ちません。
流通もインターネットを通じて配布すればいいだけですから、情報の移動があるだけで物の移動を伴いません。

経済学が根本的に変わらなければならないのでしょう。
経済学は経験科学ですから、現実がこれだけ変わりつつあるのですから、それに応じて経済学もいずれ変化します。
生産過程で労働力が要らなくなれば、人間が必要なのは開発分野だけですが、人工知能の性能が人間の脳を超えたときには製品開発過程にすら人間が必要なくなります。

失業による人口縮小、人口の縮小再生産が経済要因によって促進される未来がきて、人類絶滅の可能性が現実性に転化しそうです。

「生産手段、原材料、労働力、剰余価値」という図式自体がすでに古いものとなっています。グローバリズムの未来では人類の必要がなくなります。

だから、職人仕事に公理系を替える必要があります。神々ですら仕事をしている社会です。生ある限り仕事をして充実した生活を送るというのが、日本人の暮らしの理想ではないでしょうか。仕事の必要がなくなった状態を幸せだとは、日本人なら思わないでしょう。職人仕事をベースにした経済社会を築くことができれば、人類は環境や生態系と調和して生活できます。

by ebisu (2016-09-04 15:27) 

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(6)siribesi

お休みのところ、詳しい説明有り難うごさいます。

ヘーゲルには、法の哲学(自然法と国家学)がありますので、政治哲学をかじると避けて通れない。ただ、学部学生で現象学を読んでいる奴は少なかったです。

ご説明いただいた中に、疑問点があるのですが、こちらの都合ばかりで申し訳ないですが、明日は朝が早いので、後日posting させてください。その際には、また宜しくお願いします。

by 後志のおじさん (2016-09-04 19:30)

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(7)ebisu

本棚を探して見ましたが『法哲学』はありませんでした。政治学への興味がなかったからでしょう。
19世紀は political economy でしたね。

「精神現象学」は哲学科の学生しか読まないものと思っていましたが、早稲田の政経には昔はそういう学生が少数でもいたのですか。
部外者(哲学科以外の学生)があれを独力で読んで、ある程度理解できるとしたら、切れ者ですね。
後志のおじさんはそういう学生の中の一人だったのですか。
面白いことになりそうです。

(昨夜は高校卒業後50年目の同期会がありました。5時から10時半まで会場で旧友たちと話し、2次会へ行って、戻ってきたのが0時半でした。明日から高校生が前期期末テストなので、3時間ほど授業をしました。今日は早く寝ます。)

by ebisu (2016-09-04 23:50)

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(8)ebisu

おはようございます。
話の要点はおそらくここにあるのでしょう。
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彼のいう「アンチテーゼ」とは、内在する矛盾が主体に意識される、ことをいうのであり、内在していない倫理や価値基準が現れることをいうのではないからです。(ここを知らずに、アンチテーゼだの、アウフヘーベンだのを口走る輩が、1970年代はたくさんいましたね。)
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ここがまずかったのです。マルクスはヘーゲル弁証法で始めてしまった。でも、気がついてしまったんです。

①商品の分析(価値と使用価値)⇒②価値表現の関係(価値形態)⇒③交換関係⇒④生産関係(資本の生産過程)⇒⑤市場関係一般(国内市場)⇒⑥国際市場関係⇒⑦世界市場関係

これをヘーゲル弁証法ではやれないことに気がついたのです。だから⑤以降の研究を公表できなくなった。

方法論としては、これは「単純なものからより複雑なものへ(上向法)」です。「内在する矛盾」は要らないのです。
ゼノンやヘラクレイトスやプラトンの弁証法、そしてそれらを統合したヘーゲル弁証法は経済学体系の叙述には不適、有害無益でした。

上述の「関係概念」の展開順序は単に「単純なものからより複雑なものへ」です。
これは、ユークリッドの『原論』の構成そのものであり、デカルトが『方法序説』の中で、「科学の四つの規則」の「第三」で述べていることです。(残念ながら、わたしの発明ではありません)

「第三は、わたしの思考を順序に従って導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、最も複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。」
     デカルト『方法序説』ワイド版岩波文庫29ページ

デカルト(1596-1650)はヘーゲル(1770-1831)よりも前時代の人です。マルクスはこれら二人の方法論を比べてみればよかったのです。
当時のインテリの間で大流行していたヘーゲルの影響を受けたのは当然だった、マルクスはヘーゲル弁証法という蜘蛛の巣に絡めとられた蝶のようです。もがいた末に、蜘蛛に殺されました。

『資本論』を書く前に、共産党宣言を出してヘーゲル歴史哲学を援用して階級史観を公表しているので、退くに退けない。マルクスは方法論ではルビコン川を渡ってしまっていたのです。
ショックだったでしょうね、わたしにはマルクスの絶望がよくわかります。それまでやってきた方法的な破綻が明白だった。
『資本論』を書き進めれば、共産党宣言が誤りだったことを認めざるを得ません。
エンゲルスはどうしてそんなことがわからなかったのでしょう。わたしには信じられません。なぜなら、資本論第3巻以降を遺稿をまとめて編集して公表したエンゲルスにもヘーゲル弁証法が破綻していることは容易にわかったはずだからです。

ヘーゲルの専門家が『資本論』を素直に読めば、ヘーゲル弁証法ではじめてはいるが、すぐにそうではなくなっていることに気がつくはず。
ギリシアで言えば、ゼノンやヘラクレイトスやプラトンではなくて、方法論に関してはユークリッド『原論』に学べばよかったのです。弁証法に目を奪われたので、ユークリッドには関心が行かなかった。数学が好きだったら、あるいは『原論』に目を通すぐらいのことはあったはず。

仕事が一段落してからゆっくりとご投稿ください、お待ちしています。
by ebisu (2016-09-05 08:33)

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(9)siribesi

ご賢察のとうりです。(笑)

やはり、予想通りebisu さんが論を進めて下さいました。(大笑)

ヘーゲルの弁証法は、あくまで内在するものが「対象化」されるのですから、


(末節の疑問)だから、ヘーゲル流にこだわると、マルクスの「商品」でさえ?がつきます
具体的人間労働が産み出した商品が、アンチテーゼであり、抽象的人間労働はズィンテーゼではないだろうかと。二等辺三角形の底角と頂角が入れ換わったみたいな感じがします。

(大筋の疑問)ヘーゲルの弁証法では、歴史の流れは「自己完結」するものと私は感じています。内在するものがアウフヘーベンを繰り返すことで、「必然的な」経路を辿る。直線的な歴史観念です。「共産党宣言」はそれで済んだのでしょうね。しかし、「経済活動」という、「かくも少なき論に、かくも多くの要素を」押し込めるのは無理がくるのではないかと思っていました。


現象学は難しかった。(何言ってんの?こいつと思いながら読みました。)感じたことがふたつありまして、ひとつは、随所にギリシャ、ローマに始まるヨーロッパ史のincident やanecdote がちりばめられていること。その知識が理解の支えでしたね。いろいろと役には立ちそうもない本を読んでおいてよかった!と思いました。ふたつは、19世紀初の欧州人の思考の根幹の一端に触れたかな?でした。

by 後志のおじさん (2016-09-05 23:03)

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(10)ebisu

当たりでしたか、まぐれですね。

ところで『資本論』にそくしていうと、抽象的人間労働の対象化したものが価値、具体的有用労働の対象化したものが使用価値ですから、商品を二つの対立物の統合として把握したのでしょう。
価値と使用価値は商品に内在的なものです、それが外化するのが価値表現の関係(価値形態)ですから、面白い構成です。

やはり学生のときに『精神現象学』を読んだのですか、すごいですね。あんなに難解な哲学書を哲学科以外の学生が読むなんてことはほとんどありません。個々の章を読んでいっても、すんなり構図が頭に浮ぶなんてことはありませんから、物にしようと思うと、1年間は時間を棒に振らなければなりません、incident やanecdote を楽しむだけで充分でしょう。(笑)
そういう読み方をするとあの本はとっても楽しいものに変わります。

ヘーゲルについては根室高校図書室に岩波文庫の『小論理学』上下2冊があったので、それを読みました。高校生が自力で読める程度は高が知れているので、ほとんど眺めただけかもしれません。それでも『資本論』に比べれば多少はわかった気になれました。他の人はどういう風に読むのだろうと、卒業した年に許萬元の『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』という題名の解説書を読みました。これでだいぶ見通しがよくなった気がしました。
学部のゼミの市倉宏祐教授はヘーゲル哲学の専門家でもあり、当時イポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』の翻訳をされていました。哲学科のゼミのほうではサルトルの『弁証法的理性批判』をテクストに採り上げていました。
わたしは商学部会計学科の学生でしたが、欲張って、両方のゼミに出席すべきでした。市倉先生からヘーゲルについてお聞きしたのは、ある日の午後のゼミのときに、眠そうな顔をしていらっしゃったので尋ねたところ、「朝までイポリットのヘーゲル研究書の翻訳をしていて寝てないんです」と応えられた時、一度だけ。
わたしは『精神現象学』は読んでいないのです。本棚に上巻だけがあります。買ったときに、ぱらぱらと目を通したのみ。

一ツ橋大学学長だった増田四郎先生に院生3名で特別講義をお願いして、1年間リストの『経済学の国民的体系』を読み、すっかりその学風に魅せられました。実証研究の積み重ねで物を言うので、唯物史観ではとてもこの巨人とは対話できないと感じました。蒙を拓いてもらった気がします。

歴史には必然的なものも多いですが、まったく偶然的なものもそれと同じくらいにありますから、どちらで説明しても事象の半面しか語りつくせないのでしょう。

人工知能の性能が指数関数的に改善されたとしても、経済学の公理を何におくかで、未来はまったく違ったものになるでしょう。
刹那刹那の個々人の選択の積み重ねで未来が決まるのであって、未来に関しては必然的なものなどないような気がするというのがわたしの意見です。

なかなか貴重な投稿、そして楽しい議論に感謝申し上げます

好奇心の強い学生諸君のために、この議論を本欄にアップしたいと思います、よろしくご了承ください。
by ebisu (2016-09-06 01:09)

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*#3405 原典のススメ:愛と寛容性概念の混同(中2学力テストから) Sep. 2, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-09-01

 #1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31


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#3394 アベノミクスと日本的情緒 Aug. 19, 2016 [第3版への助走]

 台風7号が8/17に北海道へ上陸してから消滅して、ようやく雨が上がった。足寄町は洪水に見舞われた。

 さて、アベノミクスの現状を採り上げながら日本的情緒との関係について語ろうと思う。
 マイナス金利導入で何が起きているのだろう?ふたつ大きな流れがはじまっている。
 ①長期金利が低下して、住宅ローンの借り換えが起きている
 ②超長期社債の発行が始まった

*「焦点:超長期社債発行、マイナス金利下で3倍増 一部に売れ残りも」ロイターニュースメール6月15日
http://jp.reuters.com/article/focus-corporate-debt-idJPKCN0Z116F

 このたった二つの変化ですら、2月にマイナス金利が発表されたときに予測する者はいなかった。日銀も予想外だっただろう。マイナス金利で国内の企業が借り入れを増やして、設備投資が盛んになり、GDPが増大(経済成長)するはずだった。ところが肝心の所得があいかわらず減少しており、消費が伸びないから、民間企業は大規模設備投資の必要がない。現在の生産規模を維持するだけで十分なのである。こうして予定した効果は当てが外れ、思わぬところへ副作用が出て慌てふためいている。

 日銀当座預金へのマイナス金利導入で、国債金利もマイナスとなり、住宅ローン金利が低下したので、借り換えが起きている。銀行のほうから見ると、住宅ローンが低収益へ替わりつつあるということ。
 11年を超える社債が超長期社債である。前年同期比の3倍、3160億円(25本)発行されている。
*マイナス金利政策半年 効果や副作用を検証へ | NHKニュース

 民間企業の社債発行は、銀行借り入れをしないで自前で資金調達するということ。金融機関はその分、優良な貸付先を失う。
 農協系金融機関や信用金庫が優良な融資先がなく、低金利の超長期社債を購入して資金運用せざるを得なくなっている。
 ①も②も金融機関に痛手となっている。このまま続いたら、金融機関の経営がもつのだろうか?これがマイナス金利の副作用だ。

 マイナス金利というのは、借金をすれば、返済額は借りた額よりも少なくていいということ。モラルハザードを絵に書いたようなもの。文科省が「道徳の授業を教科」になんてことを言いながら、政府と日銀がやっているのは道徳律違反の体(てい)たらく。
 借金をすれば返済額は借金の額よりも少なくてよいなんて条件でお金を貸すものはいないから、民間でこんなことは起きるはずがないし、かつてそういうことはなかった。いわば借金の常識に反する。
 絵に描いたような非常識を官主導でやっているのだから、副作用が起こらないはずがない。

 少子高齢化で人口が減少しているのだから、一人当たり国民所得が同じだとしたら、消費は減少するし、経済縮小が起きるのは自然な流れだ。非正規雇用の拡大で、一人当たり所得は下がり続けている、これでは経済成長なんてあろうはずがない。経済縮小を前提に経済・財政政策を立案・実行しなければならないのである、
 ところで、1800億円の金融資産の70%はシニア層(60歳以上)が保有しているといわれている。生活資金での取り崩しのほうが新規積み立てよりも大きくなると、金融資産は激減していく。年金支給額はいずれ半分程度に削減せざるを得なくなるだろうから、シニア世代の金融資産は生活資金となり、30年くらいで800億円くらいの取り崩しが起きるとしたら、国債金利の上昇による国債暴落や株価暴落は避けられない。国債と国内株式で基金の半分を運用しているGPIFも大きな打撃をこうむる。
 銀行預金、国債、国内株式などから、年平均27兆円ほどの取り崩しが継続的に起きれば、どのような株価浮揚策も焼け石に水、気の毒だがいま高値の株式を購入した人たちは、上手に売り抜けないと大損をする可能性が大きい。

 政府は株価を維持するために、ニーサ(NISA「小額投資非課税制度」)を変更する。ジュニア世代の株式投資を促すために、限度額を120万円から60万円に引き下げ、5年間の非課税措置を20年に延長することを決めた。政府は追い詰められてこのような小細工まで弄さないといけないほど、株価浮遊索が尽きているのだ。
 非正規雇用であるジュニア世代が株式投資をできるはずもないから、正規雇用の中でも大企業社員とダブルインカム公務員向けの優遇措置といってよいだろう。ジュニア世代の20%以下だろうから、どれほど効果があるのかやってみたらわかる。
 経済とは経世済民「世を治め民を救う」ことだから、経済政策は弱者を救い上げる手段が真ん中になければいけないが、それとはまったく逆のことを政府がやっているのはなぜか。米国流の価値観に頭のてっぺんまで浸かってしまっているからだ。
 政府に日本的情緒である「憐憫の情」「惻隠の情」があれば、非正規雇用を増やす労働規制緩和などやるはずがない。安倍総理とその周辺に侍る者たちは、日本人の皮をかぶっているだけで、心の中心にある情緒は日本人のそれではない。だから、50年も前の米国発のマクロ経済学を信仰している。あれは米国の心そのもの。

 証拠は別のところにも見出せる。歳入が50兆円ほどしかないのに、100兆円を使うことが何の疑問もなしに続けられている。将来収入を当て込んでカードで浪費をするのは米国の文化だが、日本政府自身がそういう文化にどっぷりつかってしまっている。保守を自認する自民党国会議員が疑問を感じないことが不思議である。日本人の情緒を共有していれば気がついてもよさそうなものだ。
 政府は借金を膨らませることに一生懸命で借金を返済する意志がない。アリとキリギリスの寓話キリギリスそのもの日本人はそういう生活態度を戒め、嫌悪してきたはずだが、それがきれいさっぱりなくなっている。「国債は返さなくてもよい借金だ」、「財務省が国債を発行しても日本銀行が全部買い取ればいくらでも赤字財政が可能だ」などとのたまう輩が増えている。聞くも愚かなことだ。

 地震や火山噴火、台風災害などの自然災害や、火災による大規模災害に備えて、普段お金を貯めておいて、災害にあったときにそれを取り崩して使うというのが日本人が守り育ててきた価値観である。それは日本の風土にあった価値観であり生き方でもある
 入ってきた収入の範囲で倹(つま)しく暮らし、蓄えを少しずつ増やしていくというのが日本人の当たりまえの考えだから、政府財政も経済政策もそうした日本人が数百年にわたって守り伝えてきた価値観へ回帰すべきだ。

 このままでは、また再び預金封鎖が起きる。終戦間際と戦後の突然の預金封鎖で国民の金融資産は泡と消えた。そういう時代を生き抜いてきた世代の人々(愛川欽也、永六輔、大橋巨泉)が今年も次々に亡くなった。どうやら経験智は受け継がれなかったようで、預金封鎖なんて知らない世代が政治と財政の舵を握っている。
 健全な保守主義へ回帰しなければあの悪夢がまたやってくる。それがいつなのかは誰にもわからない、わかっているのは突然にそれが起きてしまうということだけ。付随してどういう種類の災厄が国民を襲うのか経済規模が肥大しすぎてそれもわからない。経済学は経験科学であるから、新しい事態に対しては無力だ。

 政府財政破綻と預金封鎖が起きたあとにとるべき処方箋はある。30年をかけてゆっくりと日本的情緒と日本的仕事観をベースにした経済社会を創り上げたらよい
 強い管理貿易を採用し、自国で生産できるものは自国で生産して生産拠点を海外から取り戻す、そして自国で生産できないものだけを輸入する。職人中心の経済社会を創り上げればいいだけである。そういう生産や仕事のあり方をまるごと開発途上国へ「輸出」すればよい。グローバリズムもグローバル企業も消滅し、人類は安定した経済社会のなかで暮らすことができる。困るのは覇権を争っている米国と中国である。
 すでにカテゴリー「資本論と21世紀の経済学」で肝心なところは書いた。コンパクトにした第3版を書く予定だが、削る作業が大半であるとしてもいつになるやら・・・



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#3391 小学生に英語教育は百害あって一利なし(森永卓郎) Aug. 14, 2016 [第3版への助走]

 見事に減量に成功したと、ライザップのCMで活躍中の森永卓郎氏が、11日NHKラジオ番組「社会の見方・わたしの意見」で小学校への英語教育導入は百害あって一理なしと、自分の経験をもとに意見を述べていた

 森永氏は親の仕事の関係で、小学1年生のときにボストン(米国)で、4年生のときにウィーン(オーストリー)で、5年生のときにジュネーブ(スイス)で暮らしている。現地へ行って半年もすれば、子どもは頭が柔らかいから、語彙数の少ない日常会話には不自由しなくなるという。
 面白かったのはボストンからウィーンへ引っ越しドイツ語に半年ほどで慣れたころ、それまで憶えた英語が消えてしまったということ。ウィーンからジュネーブへ移ったときには半年ほどでフランス語がしゃべれるようになったが、やはりドイツ語が消えてしまった。
 習得言語の書き換えがなされるので、それまでの蓄積が無駄になるというのである

 バイリンガルの人が稀にいるがという質問に対して、それはその人が以前の言語をメンテナンスしているからで、普通の人が普通の状態でバイリンガルにはならないと断じている。森永の経験を例にとれば、ボストンからウィーンに引っ越しても、毎日英会話のトレーニングをするか、英語を話す環境下にいなければ無理だということ。

 森永が小学校での英語教育に反対する二つ目の理由は、人間は言語で思考するということにある。母国語が確立する小学生の時期に英語という外国語を習わせるのは百害あって一利なし、やってはならぬこと、小学生の時期は母国語の育成にこそ力を注ぐべき
 このことは森永の体験に基づいた意見である。ボストンにいたときには英語で考え、ウィーンにいてドイツ語を話すとドイツ語で考えるように変わり、ジュネーブで生活を始めてフランス語で会話するようになるとフランス語で考えるようになった。
 日本人は日本の自然や風土、他人とのコミュニケーション、さまざまな宗教行事や日常的な慣習を通じて、そして漫画や小説や日本文学を読むことで日本的情緒を吸収しながら日本語で思考して育つ。情緒や思考の鋳型を自分の中に創り上げるのである。
 そういう理由から、初等教育では母語の習得を最優先して、それに集中すべきだ。

 三つ目の理由として、戦後のGHQの教育政策との相似を挙げている。英語の公用語化の要求や漢字の廃止、ローマ字表記の採用などが提案されたが、外交努力で阻止したと森永は言う(以前、弊ブログで大野晋の本から引用して、その辺の事情を具体的に紹介したことがある)。それと類似の状況が生まれつつあることを森永は強く懸念している。
 英語の公用語化はグローバル企業には都合がよいが、日本人が英語で考えるようになるということを意味しており、そのことに森永は強い懸念を抱くのである。小学校への英語教科の導入は、安倍政権やグローバル企業の陰謀ではないかとまで言う。

 海外生活して必要なのは、日本人として日本の文化を理解していることで、日本人が流暢な発音で外国語を話す必要はまったくなく、問題はその中身だという。自国の文化に関する教養のない者はパーティで相手にしてもらえない。これは、(米国と英国へ留学経験がある)数学者の藤原正彦も『国家の品格』の中で書いていることだ。無教養な者と話すのは時間の無駄というのが欧米のインテリの共通の感覚

 ここからはわたしの意見である。
 森永はマクロ経済学の専門家のようだ。日本の経済学者は右も左も欧米の経済学を英語やドイツ語で読んで学んでいる。だから、経済政策も大きな行き詰まりを見せている。アベノミクスの製造元である浜田宏一(内閣参与、東大名誉教授)もマクロ経済学を米国で学んだから、思考の鋳型までもが米国流になり、ろくな経済政策が提案できない。
 日本的情緒や日本の伝統的価値観、職業観、仕事観に基づく経済学がありうることに誰も気がつかないのは、日本の経済学者が例外なく欧米の経済学を学ぶと同時にその思考の枠組みをそのまま鋳型にして研究を続けたからだろう
 英語を公用語にすると、日本から現在の行き詰まりの状況を打破する異質な経済学が生まれる可能性すら失われる。日本人は日本語を母国語として、日本語で考えるべきで、そこにこそ日本という国、日本人の存在理由があるとわたしは思うのである。

 大数学者である岡潔先生はフランスに留学し、フランスに学ぶべきことがないことに気がつき、日本的情緒が大切だと気がついて日本に戻り、芭蕉の俳句の研究に数年間を費やしている。それから数学の研究に没頭して大きな成果を挙げ、3大難問を次々に解いてしまうのである。日本的情緒の重要性がわかろうというものだ。岡潔の業績は数学にノーベル賞があれば3つ分だそうだ。その岡潔先生が初等教育は国語と算数を重点的にすべきで、社会や理科は小学校低学年では不要とまで言い切っている

 ふるさとに戻って塾を開いてから13年が経ったが、中学生の日本語能力の低下はすさまじいゲーム・ソフトの高性能化、スマホの普及、過度な部活で、7~8割の生徒が日常的に本を読む習慣をもっていない。「読み・書き・ソロバン(計算)」という基礎技能のうち、特に読みのスキルがこの13年間で著しくダウンした。読みほどではないが、「書き・ソロバン(計算)」技能の低下も看過できないく。
 読みのスキルの低下は、日本語で書かれた教科書の理解を困難にする。だから、国語も数学も理科も社会も、押しなべて学力全般が低下している。速く正確に読み取ることができなくなっている。団塊世代なら五段階評価で1がつくような生徒が20%もおり、そのほとんどに2か3がついている。

 子どもたちの学力低下は、タイムラグを経て国力低下を招来することになるだろう。

 初等教育では母国語の育成に力を注ぐべきで、英語教育導入は百害あって一利なしというのが、森永卓郎氏の意見である
 大数学者である岡潔先生も小学校で英語教育は必要なしと言い切っておられ、さらに進んで小学校低学年では国語と算数の教育に重点を置くべきで、社会科や理科は高学年からでよいと主張された。学問研究には日本的情緒が大切というのも重要な指摘である。


*#1213 数学者岡潔(1):『日本という水槽の水の入れ替え方―憂国の随筆集』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20

 #749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

 #569 英語教育論:藤原正彦『国家の品格』より抜粋
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03-1

 #559 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦の教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28


*#1570  学力と語彙力の関係(1):総論 July 5, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05

**#1572 「学力と語彙力の関係(2): 5科目合計点が高い⇔国語の得点が高い?」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05-3

 #2796 急がば回れ:外国語<母国語 Sep. 1, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-01

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<濫読による日本語語彙拡張が鍵>
 大数学者の岡潔は尋常高等小学校時代に家にあった小説を濫読したと『春宵十話』書いている。
 ロシア語同時通訳の米原万里は小学校高学年のときに世界少年少女文学全集全巻を繰り返し何度も読んだとその著書で語っている。数学者の藤原正彦も小学校で文学全集を読み漁った経験を書いて、小学校時代に濫読による日本語語彙の拡張の重要性を語っている。これらの人に共通するのは小学校高学年で日本語テクストの濫読期を通過して文章語の日本語語彙を爆発的に拡張していること。最近読んだ本で驚いたのは『東アジア「反日」トライアングル』(文藝新書)の古田博司(筑波大教授)である。慶応中学時代に岩波の「古典文学大系」を「暇だったから全巻読み通した」というのだから、とんでもないやつだ。高校時代は中国の古典を全集物で読み潰していったという、これでは学者になるに決まっている。高校生が魯迅選集を中国語のままで読む姿を想像してもらいたい。古田だけは極端な例と思っていただいていい。
 日本語語彙がしっかりしていないと会話文ならともかく、文章語としての英文を日本語に置き換える際に、すぐに限界にぶつかってしまうことをジャパンタイムズ記事の文を例にとって解説したから、#1573に眼を通していただきたい。populationsとpopulationをどのように訳せばいいか楽しんでもらいたい。"旬の時期"に文章語の日本語語彙を拡張しておく重要性がわかる。

 #1573 学力と語彙力の関係(3): 英英辞書と母語の語彙 July 7, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-07
 
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#3340 実りある対話(2): 経済学の大きな問題に整理がついた June 22, 2016 [第3版への助走]

<最終更新情報>
6月23日午後11時 見出しをつけた


  山本七平氏の「空気」論から始まった対話が、漂流しているようにみえますが、意外な方向から、次第に経済学の核心へと迫っていたのです。こういうのを「化学反応の妙」というのでしょう。
 経済学の大きな問題に整理がつくのは<#17><#20>です。

<要求分析について>
  議論の前提にシステム開発技法の「要求分析」があるようなので、ざっとebisuの考えを述べておきます。
 koderaさんは四項目箇条書き法による「要求分析」を繰り返し提唱されています。要求分析はシステム開発をするときに最初の段階でなされる作業です。コンピュータメーカ側ではSEがその手の仕事をします。大手コンピュータメーカ富士通に勤務されたことのあるkoderaさんは大企業向けのシステム開発なら、要求分析に3年かかると書いています。
 koderaさんのおススメに虚心に耳を傾け、十分に理解してから、それが適用可能かどうかをわたしは判断しよう思いました。それが、誤解を与えたのかもしれません。

 平均的なSEの教育ならそうでしょう、四項目箇条書き法は有効で、便利なツールです。しかし、koderaさんとはそういうレベルの話をしていたつもりはないのです。
 わたしがユーザ部門の人間だったことはkoderaさんのブログへのコメントで書きましたからご存知です。システム開発に専門知識や技術のない一般的なユーザと考えたのだとしたら少し違いますので、わたしの経歴を書いておきます。
(文系(商学部会計学科、大学院経済学研究科理論経済学)出身者であることも誤解のもととなったかもしれません。)

<ユーザ⇒SE⇒KEという逆コース>
<<輸入商社で学んだこと>>
 1979年9月に産業用・軍事用エレクトロニクス輸入商社に入社しました。他の会社(某ファッションメーカ、創業者のお孫さんがテレビに出ている)に合格していたので断りにいったら、経理・輸入業務担当N村取締役が趣旨はわかったから関社長に会って話して行けと社長室に案内されました。社長室で社長とN村取締役に強く入社をススメられ、結局、30分ほどお話をして入社を約束してしまいました。社内に入ったときに技術部の前を通りるとなんだか面白そうな製品がごろごろしているではありませんか。マイクロ計測器制御用の高性能パソコンが眼に入りました。「お、あれを使ってみたい!」と思ったのです。商品ですからもちろん使わせてはくれませんでした。(笑)
 その代わり、わたしの入社にあわせて5つのプロジェクトを立ち上げてくれました。財務委員会、長期計画委員会、収益見通し分析委員、利益重点営業委員会、電算処理推進委員会、為替対策委員会の6つの委員会のうち、利益重点営業委員会を除く5つの委員会の委員に任命されました。財務と長期計画は社長が委員長でした。それぞれ3項目程度、委員会設置目的が示されていました。ウォーターマンのブルー・ブラックインクを使った社長の手書きの字でした。目標が明確だったので仕事がしやすかった。役員がほとんどの委員会で、営業部長と営業課長と業務課長がそれぞれ一人、委員として任命されていました。役員が委員会の実務作業をするわけはないので、中途入社したばかりのヒラのわたしが5つの委員会の仕事を単独で担うことになったのです。(笑) だから、委員会は経営分析結果の報告や仕事の進捗報告会でした。会社の利益構造を変革し財務体質を強化するために組織横断的に動きやすいように配慮してくれたのでしょう。

<<経営改善の仕組みを創造しデザインするのはSEではない>>
 自社の経営分析をするためにプログラム機能付の科学技術計算用カリキュレータHP67(1万円)とHP97(プリンタ付 22万円)を社長が入社1ヵ月後と2ヵ月後に「プレゼント」してくれたので、その小さな計算機で逆ポーランド方式のプログラミング言語を覚えました。「年次統計資料」によると当時の大卒給与が10.9万円ですから、おおよそ2倍の価格を考えてもらえば、どんなにうれしかったかわかります。金額に見合う性能でした。
 1週間で400ページほどの英文マニュアルを2冊読みプログラミングをマスターしました。家に帰ってマニュアルを読みながらプログラミングの独習をしていると、空が明るくなってあわてて2時間ほど仮眠を取って仕事に行き、今度は実データを使って一日中モデル構築にいそしむというような1週間でした。(笑)
 この計算機はROMにストアされた統計パックを利用して線形回帰分析やカーブフィッティングができる優れもの、道具としては切れ味のよいものでした。入社1ヶ月間は電卓で経営分析モデルを作るために電卓でやったので、一日中電卓を叩いて統計計算しなければならなかったのですが、この計算機のプログラム機能のお陰で生産性が飛躍的に上がりました。必要なプログラムを書いた後は入力チェックだけでよくなったので助かりました。
 三菱電機のオフコンが経理業務に入っていたので、3日間の講習にいかせてもらい、COOLというダイレクトアドレッシングの事務用言語をマスター、翌年にはもう一台オフコンを増設したので、コンパイラー言語のPROGRESSⅡ(IBMのRPGⅡと類似言語)をマスターしました。データはそれぞれのオフコンで稼動しているシステムのデータ(財務決算データと受注残・納期管理データ、円定価表データ)を使えますから、バックアップをとっていろいろ試すことができました、
 3年間でシステム開発関係の本を30冊ほど読み漁ったと思います。NECで出していた黒い表紙のシリーズもののシステム開発技法専門書が6冊くらいあり、とっても役に立ちました。10冊程度が英語で書かれたものです。
 会社は便利なもので、仕事という形で好きなことを思いっきりやらせてくれます。利益構造変革と財務体質強化を目的とする経営分析システムと為替管理の仕組みを開発し、オービックのS沢SE(8年ほど前にホームページを見たら取締役になっていました)と受注残・納期管理システムを開発、同時に営業事務省力化と利益管理のための円定価システムを営業課長のE藤さんと三人で開発しました。
 受注為替レート、仕入れ為替レート、決済為替レート、円定価適用為替レートをある計算式で連動させることで、為替リスクを完璧に回避するものでした。ある計算式での為替予約による金利裁定取引で売上金額の1%の為替差益が常に出る仕組みでした。二十年以上有効でした。システム全体はは目論見どおりに動き、経常利益が3倍に増えました。円安局面でも為替差損の発生はゼロでした。
 それらの独立に開発したシステムを統合するために1983年秋に日本電気情報サービスのT島SEと開発に着手しました。すでに利益構造が大きく変化し高収益となり、内部留保が増えて財務体質が強化され始めていました。それを汎用小型機で統合し、実務を全面的に見直して業務の省力化を重点に設計していました。

<<一緒に仕事をして優秀なSEの技術をコピーする過程>>
 オービックのS沢SEと日本電気情報サービスのT島SEは業界でもトップクラスの人でした。輸入商社のオーナーである二代目社長が、三菱電機の2台のオフコンから日本電気の汎用小型機に乗り換えるのに、統合システム開発をするので、ナンバーワンSEを担当させることを条件にしました。それで来たのがT島さんでした。30歳代前半にお二人の腕のよいSEと一緒に仕事をしたのでスキルを盗めました、仕事と人に恵まれていました。

<<製品知識の集積:学んだことは役に立つ>>
 マイクロ波計測器の測定原理を中心に、ミリ波、紫外線、赤外線など周波数帯域の異なるさまざまな理化学機器を技術営業向けの講習会で学びました。東北大学の助教授が顧問で、毎月一度講習会を開いてくれました。欧米50社ほどのメーカの総代理店だったので、毎月のように新製品の説明に海外からエンジニアがきていたので、そちらも毎回出席していました。同じなんです。ディテクターの周波数域が異なるだけで、ディテクター部、データ処理部、インターフェイスの構成はどの理化学機器も変わらない。取扱商品を知らなければ、業績がどうなるのかメインバンクに説明できません。5年間びっちり中身の濃い勉強をさせてもらったのです。

(この蓄積が、臨床検査会社SRLへ入社して、ラボの機器担当をしたときに絶大な威力を発揮しました。臨床検査機器は理化学機器ですから、構成がマイクロ波計測器と同じなのです。理解が簡単でした。SRL八王子ラボに何台も入っていた質量分析器と液体シンチレーションカウンタはこの輸入商社でも扱っていました。SRL社内では一番理化学機器に詳しいわたしが、本社で予算編成の統括をしていたのですが、検査試薬のコストダウンのために購買課へ価格交渉の応援のために3ヶ月間「社内出向」し、継続で取り組むことになり、そうした偶然の成り行きで2年半ほど八王子ラボの機器購入を担当することになりました、うれしかった。理化学機器は何でもありました。メーカとの共同開発も手がけました。)

<<仕事が人を鍛える:幸運は独力で学習することから>>
 入社早々から思い切って5つのプロジェクトを任せてくれた創業二代目社長に感謝しています。関周さんありがとう。社員数200人弱の中小企業だからこそ任せてもらえたのだろうと思いますが、企業規模だけではありません、あの委員会は利益構造と財務体質を変革するための大きな賭けだったのです、そのキーマンとして入社したてのわたしを使ってくれました。決算数字に劇的な変化が表れましたから、期待にお応えできたのだろうと思います。その後、高収益を背景に社名をセキテクノトロンに変更して店頭公開しました。2002年から赤字になり、2009年に上場廃止、2012年に他社に吸収合併されました。従業員持株会に入っていた社員の株が紙切れと化したのですから、なんだか悲しいです。3代目社長はわたしが退社する2年前に東大へ入学しましたから東大卒です。サポートしてくれる有能な経営参謀がいなかったのかな。
 経営者自身は能力がなくていいのです、半端な能力の持ち主が一番危うい、人の能力を見極め、存分に使える経営者が最高です。

<<輸入商社辞職の経緯>>
 社長の友人の方がユニバックを辞めた後、システムコンサルタントとして仕事をしており、会社の各部門にヒアリングをしたことがありました。「要求分析」をしたのです。出来上がったレポートを見て唖然としました。お粗末でした。聞いてみたらPOSシステムをやったことがあるというのです。当時はデパートのシステムで、畑違いでした。輸入業務も為替管理についても経営改善についても専門知識がなく、実務すら理解できないまま「要求分析」を書いたのですから、結果は悲惨でした。
 わたしが開発とメンテの両方で電算部門を任されていましたから、「一体どちらが・・・」という声が現場からあがり、開発に支障がではじめました。このままではわたしがやりにくいので、Mさんに任せるかわたしに任せるかどちらかにしてほしいと社長に要求しました。オフコンを導入した経理課長も管理部門担当役員も営業担当役員も、実績を上げていたわたしの味方についてしまったのです。その結果、お引取り願うことになりました。数ヶ月して、また社長がそのMさんを呼んで話をしたということが、業務課長から伝わりました。統合システム開発中に、信頼がないのだなとがっかりして、社内電話で社長に、「またMさんをお呼びになったのですね、社長とわたしの間に信頼関係がなくなったようです、わたしが引きますからどうそMさんに担当してもらってください、辞表は上司に出しておきます」、そう伝えました。社長は一言も発しなかった。おそらく自分でもまずかったと思ったのでしょう、正直な人で、いろいろ画策するようなずるい人ではありませんでした。仕方なかったですね、関さんは独立した大学時代の友人に仕事をまわしてやりたかった、業績もよくなっていましたから、面倒見て助けてやりたかったのは理解できました。わたしがわがままだった、仕事はわたしがやって、Mさんが役に立ったと言ってあげたら社長の面子が立った、若気の至りでそういう配慮ができませんでした。
 輸入商社では初の画期的な経営統合システムでしたが、業務課長からMさん来社のことを聞いた瞬間に、あきらめました、天の意思を感じたのです。12月に冬のボーナスを受け取った後のことでした。1月末まで引継ぎにかかりました。

<<異なる業界への転職前後の出来事>>
 年が明けてから引継ぎ業務の最中に一日休みをとって、就職斡旋機関のリクルート社でSPI試験を受けて、最高ランクのファイルがオープンになりました。SRLはそのファイルの中にあった会社でした。年収が1.8倍ほどの外資系の会社もありましたが、そちらを選ばないで正解でした。フェアチャイルドジャパン・セミコンダクタという半導体製造の会社でした。数年後に日本から撤退しています。SRLへの初出勤日は輸入商社で送別会を開いていただいた数日後のことでした。いい時代でしたね、規模の大きい会社へ年収を上げて転職が可能だったのですから。

 輸入商社を辞めた1ヵ月半後に大手ソフト開発会社から、輸入商社向けのパッケージ開発に誘われました。20社ほど取引先ユーザがあるので、ビジネスになるということでした。1984年3月ころの話です。そのときはSRLに入社して一月半後でしたのでお断りしました。
 退社して一月ほど後に、二人の部長さんから、就職の斡旋がありました。心配してくれたんです、ありがたかった。日商岩井から転職してきた60歳前後の総務部長が日商岩井の子会社へ管理職での転職を、もう一人の営業部長のSさんは帝人エレクトロニクスに友人がいるので、そこを紹介できるということでしたが、すでにSRLで勤務している旨を伝えました。人の情が身にしみました。統合システムは動かなかったそうです。開発済みの独立したシステムでしのげばいいだけですから心配してませんでした。1億円くらい捨てても心配ないくらい利益構造を変えましたので、その点では安心して退職できました。実際に81年ころに日電アネルバと合弁会社アナリティカを作ったのですが、経営がうまくいかずに合弁解消をしました。8000万円ほどの損失を出して手を引きました。海外旅行から戻った社長を迎えに羽田まで管理部担当取締役がいったのですが、わたしのレポートを携えて行きました。合弁会社から手を引いて本業に専念すべきで、損失は十分カバーできるほど利益構造も変えたし、財務体質も強化してあるから大丈夫ですという論旨でした。素直に受け入れてくれました、おそらくどうしようかと迷っていたのです。タイミングのよいレポートでした。同族会社でしたが、そういう率直な意見の言える雰囲気のいい会社でした。長期計画委員会で、利益を株主と社員と内部留保の三等分して配分するをいうわたしの案をそのまま呑んでくれました。為替変動から会社の業績を切り離す仕組みができて、努力した分だけ自分たちのボーナスの取り分が増えることを理解すると社員のやる気がはっきり変わりました。理想に近い経営形態でした。

<<転職して統合システム開発に携わったのは偶然?必然?>>
 1984年2月初旬に臨床検査最大手のSRLへ転職しましたが、東証Ⅱ部上場のための統合システム開発が半年前に始まっていたのです。輸入商社よりもずっと大きな規模での統合システム開発が待っていました。汎用小型機での統合システム開発から手を引いたら、すぐに国内最大のメインフレーム(汎用大型機、富士通製)を使ったスケールの大きな統合システム開発の担当者になれたのです。ああ、天はこれを用意してくれたいたのだと、納得がいきました。
 SRLへの転職動機は3点、①業界が異なること、②新宿西口の超高層ビルに本社があったこと、③5年間売上高経常利益利率が12%で、売上高成長率が15~20%の成長企業であったことです。リクルート側のファイルを見て、「ここだ」と即決しました。新宿の超高層ビルで一度働いてみたかったのです。NSビルの22階に本社がありました。翌年くらいに都庁の建設が始まりました。
 入社時点では、統合システム開発が始まっていることは知りませんでした。入社し手から知りました。経理係長が担当していた財務会計システムだけが手付かずの状態でした、経理課長から担当変更を相談されたので、引き受けました。システム開発応援のために最大手の監査法人からシステムのわかる公認会計士がシステム開発のサポート役で来ていました。毎月300万円を支払っていましたが、同じ大学の先輩であるM井経理課長がそれを切ってもいいかと訊くので、OKを出しました。レベルが低くて、授業料をもらいたいくらいだったのです。
 財務会計システム、支払管理システム、固定資産管理システム開発を担当すると同時に、暗礁に乗り上げていた他のサブシステム(原価計算システム、販売会計システム、購買在庫管理システム)とのインターフェイス仕様も、開発プロジェクト会議で依頼され担当しました。全部の業務に専門知識がなければインターフェイス仕様は書けません。そういう専門知識をもった人材がいなかったので、半年遅れでこの統合システム開発に参加したわたしに回ってきたのです。輸入商社での統合システム開発が準備運動になっていましたから、快適にトップギアで仕事ができました。半年遅れでスタートして、一番最初に本稼動、他のサブシステムを担当していた人から「悪魔君」というニックネームをいただきました。「エロイムエッサイム・・・」と呪文を唱えたら、あっというま(任されてから1週間後)にインタフェイス仕様書を配布し、財務会計・支払管理システムが立ち上がったように見えたのでしょう。

 2月にSRLへ転職、3月末に担当替えを相談されて4月からシステム開発スタート、12月並行ラン、1月から本稼動、スタートから本稼動まで8ヶ月でノートラブルの完璧な立ち上げをやっています。
 2ヶ月間で「要求分析」だけでなく、実務設計、外部設計、プリントアウト・プログラム仕様書などの仕事を単独で担当し、NCDさんの担当SE3名(M上さん、T原さん、N口栞さん。M上さんは20年ほど前にNCDの取締役就任)に書類を渡して、作業を完了しています。NCDさんのほうは内部設計とプログラム作成という役割分担でした。その当時は、経営統合システムに関してはebisuは国内トップレベルの専門家だったであろうと思います。「仕事と人に恵まれた幸運の人」だったからに過ぎません。

<<優秀なSE3人とのエピソード>>
  ある時こんなことが持ち上がりました。本稼動して半年後の中間決算で、支払管理システムの残高移行が不可能だと報告があったのです。NCDさんのベテランのSE3名から、3日間何とかしようと検討したが、無理との結論になったというのです。日本ラジオアイソトープ協会が特殊な扱いをしていたので、それに関する問題だったと思います。数十社の製薬メーカから検査試薬を購入するのですが、RI試薬のみ支払いが分離されて、支払先が日本ラジオアイソトープ協会になるのです。この取引先が一番大口の支払先で84年当時で毎月5億円前後の支払いがありました。
 「処理できませんというのはわかったから、説明を聞きたいのでファイル処理フロー図を持って来てください」とお願いしました。テンポラリー・ファイルを入れると百数十のファイルがフロー図になっています。こんなものを見たってわかるわけがないだろうという心の中が表情に表れていました。怪訝そうな顔をしていましたよ、腕に自信のある仕事盛りのベテランのSEが三人、この問題を3日間検討したのだから、ebisuさんそなものを見てどうするの、言いはしませんが表情には出ていました。
 ファイル処理フロー図を目の前の会議テーブルに広げて、「それで、このフローチャートの中のどの箇所で問題が起きたのですか?」と質問し、対象のファイルと処理を確認しました。なるほど、そのファイルを使って、処理しても残高の移行が正常になされないことはわかりました。彼らの言うことは妥当でした。5分ほどいくつか質問して、近くにある別のファイルの利用とアルゴリズムを指定しました、「これでできませんか?」、「え、あ、えーと...できます」、ファイルフロー図を広げてから15分くらいでした。実務設計書と外部設計書(帳票類はプログラム仕様書レベルのもの)を2ヶ月で渡していたのに、内部設計の知識がないとでも思っていたのでしょうかね、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてました、表情が豊かなSE三人と仕事できてハッピーでした。それ以降は対応がずいぶんよくなりました。技術屋さんは相手の技術が確かなら、すぐに認めますから、付き合いやすい。少なくとも対等な仕事のパートナーとしては認めてくれました。それ以降は「できません」という相談はありませんでした。栞さんが結婚退社して替わりのS木さん、女性だけど有能でした。何か要件ができるとS木さんへお願いするのですが、返事は常に「ハイわかりました、いついつまでにやります」とよい返事、その下で10名ほどのメンテ要員を管理し、システムの保守をしていたU田さんが厳しい指示に応えてよくがんばってました。彼のスキルがぐんぐん上がっていきました。仕事が人を鍛えるんです。(笑)

<<償却資産管理システムの一新はどうやったか>>
 実務設計書と仕様書類を渡してからはNCDさんの内部設計とプログラム・コーディング作業ですから、わたしのほうはテストデータを用意します。これがとっても面白いが時間は余りかかりませんから、しばらく仕事が暇になります。その間隙を縫って固定資産管理システムの作り直しのためにシステムデザインをしていました。部門別・機器別の投資予算管理を組み込んで、予算減価償却費の精度を一桁上げようと目論んでいました。固定資産台帳記載物件の確認と名称の分類・統一を先にしなければなりませんでした。本社と八王子ラボの償却資産を全点実地棚卸しして確認しました。たとえば、「恒温槽」「フランキー」「フランキ」「腐乱機」「孵卵器」は同じものでした。2タイプあったのでタイプ別に分類番号をつけました。何しろ日本一のラボですから、検査機器の種類が多い、世界中の一流メーカの理化学機器があります。電子顕微鏡や質量分析器も複数台ありました。パソコンが問題でした。セットで買ったものを、ばらして部署移動するのでぐちゃぐちゃ、登録する時点でディスプレイ、本体、プリンターに分けました。冷凍庫は-20度、-40度、-80度、-150度のものがあったので、それも温度帯で分類しました。顕微鏡も通常の光学顕微鏡と傾向顕微鏡の2種類あります。冷凍庫や顕微鏡なと、同じ分類でくくれてもその下に回想沸けする必要がありました。こうして八王子ラボにある検査危機全点の階層別分類表が出来上がるころには、仕様書を渡してあって新システムのプログラミング作業が終了していますから、マスターに分類番号を入力しました。便利でした、それまで電子天秤が八王子ラボに何台あるのか、マイナス80度の冷凍庫が何十台あるのか誰も知らなかったのです。組織横断的に検索可能になりました。製造メーカの統一とか値引き交渉の資料としても使いました。
 同じ機器が固定資産管理システムはそれまでの経緯で小さなソフト開発会社に外注していたので、NCDさんの担当ではありませんでした。どちらでもわたしは外部設計仕様書を書いて渡すだけですから片手間ですむ仕事でした。投資案件の登録は社内の予算制度変更を伴うので、投資案件登録票を配布して、営業部門、ラボ部門、本社部門に分けて予算申請させました。実務の変更を伴うので、事前に実務設計をしっかりします。これがしっかりしていれば、本稼動がスムーズに行きます。

<<実務設計と外部設計後の暇な時期の好奇心>>
 外部設計資料と実務設計資料を渡した後で、「退屈だから、僕がプログラムを書いてもいいよ」とNCDさんに申し入れたら、「そういう作業はうちのほうでやりますから、ebisuさんは仕様書を書いてください」と体よく断られました。当時はストラクチャード・COBOLでコーディングしていました、わたしはCOBOLでプログラムをコーディングしたことがなかったので、20~30本も書けばある程度慣れますからやってみたかったのです。それまで3言語マスターしていました。
 NCDさんは1年後にはEasy-trieveという簡易言語に書き直してました。簡易言語だから処理時間が長くなったと思って聞いてみました、どういうわけかこちらのほうが処理時間が短いのです。常識的に考えるとマシン語レベルでは冗長になるはずですから、処理時間の延長は必須と想像していました、大外れでした。プログラムの生産性はおおよそ10倍くらい上がったでしょう。簡易言語なら書き換え費用を負担しても、読みやすくて比較にならぬほどメンテナンス作業が容易になるのです。
 わたしは子会社で導入に失敗して2台浮いていたDECのミニコンのほうを経営分析システム用に使いたかった。経営分析システムは線形回帰やカーブフィッティングのような統計計算をするので事務用処理言語のCOBOLは向いていませんでした。DECのミニコンはC言語でコーディングできます。90年代半ばにはパソコンもC++になっていました。プログラム言語とハードの性能アップの速度にはいつも驚かされます。

<<1979年に開発した経営分析ツールをEXCELへ移植>>
 92年ころ、学術開発本部スタッフ(開発部兼務)から関係会社管理部へ公募に応募して異動しましたが、そのときに子会社管理のために科学技術用プログラマブル計算機HP67とHP97で1979年に作成してあった経営分析システムをEXCELを使ってパソコンに移植しました。5つのディメンション25項目のレーダチャートモデルを利用した総合偏差値で子会社6社の評価ができる優れものでした。関係会社の評価にも、買収や資本参加検討対象の会社の現状分析にも使いました。関係会社管理部に1年半ほどいる間に依頼があって6社ほどやりました。そのうち、2社は買収、1社は資本参加となりました。規模の大きいものだか2社は交渉も担当しました。こんな便利で効果の高い経営分析ツールを持っている上場企業はいまでもないと思います。

<<経営統合システム開発に使ったさまざまな技術>>
 会計情報システム関係専門書は日本語で書かれたものがありませんでしたから、米国で出版された600ページもある専門書で海外の先端の会計情報システムの実際を知ることができました。システム開発関係技術はPERTやビジネスデザイン法、KJ法、フイッシュボーンチャート、データフロー図、処理フロー図、HIPO Chart、産能大式事務フロー図、日本能率協会式事務フロー図、ストラクチャード・コーディング、タイプの異なるプログラミング言語に関する知識、プログラミングの実技、RDBに関する知識などさまざまなものがあります。専門書も国内だけでは物足りなく、海外の先端の専門書を利用しました。これらの知識がなければ、短期間での統合システムの開発が不可能だったからです。

<閑話休題>
 四項目箇条書き法は標準的なSEを育てるには、システマテックで教育しやすい方法かもしれません。しかし、そうした固定した形にこだわったらとっても時間がかかります。「要求分析に3年」と「要求分析+実務設計+外部設計に2ヶ月」を比べたら、仕事の質の違いが理解できると思います。

<<逆コースでの技術習得:ユーザ⇒SE⇒KE>>
 弊ブログで何度も書いているのですが、koderaさんはわたしが統合システム開発の専門家であることを知らなかったのかもしれません。
 要は、完璧な要求分析と実務設計をして、それらを土台に外部設計書を書けばいいのです。形は内容に応じて決まります。当時、コンピュータメーカ・サイドには経営統合システムに関してはそういうレベルの仕事ができる人はいなかったのではないでしょうか。2ヶ月で統合システムの「要求分析+実務設計+外部設計+システム間インターフェイス設計」をユーザ部門の人間がやったというのはコンピュータ・メーカ側の人間には信じられないかもしれませんが、事実です。必要な専門知識と技能はすべてもっていました。できのよいSEくらすの知識と技能があったということです。
 ユーザ部門の業務に関する専門知識を対話を通じてSEの側が取得し、関連の専門書を読むことでユーザ部門の担当者と同じ程度の専門知識レベルを有するレベルの人材をKE(knowledgeEngineer)と名づけた時代がありましたが、わたしの場合は逆でして、ユーザ部門の担当者が、優れた技能を持つSEと一緒に仕事をするなかで、SEの専門知識と技能を身につけてしまったのです
 <#19>の該当箇所に青字でコメントを入れておきます。

 経営統合システムには、簿記、管理会計学、原価計算、会計情報システムに関する専門知識、経営分析に関する専門知識などさまざまな業務分野の専門知識が必要になります。それらに加えて、プログラミングやシステム設計に関わるさまざまな技法の専門知識と習熟が要求されます。
 たとえば輸入商社なら、輸入業務や為替管理に関する専門知識、取扱商品に関する知識などのほかに、システム開発技術に関する専門知識が必要になります。臨床検査会社では、RI検査、生化学検査、ウィルス検査、細胞性免疫検査、遺伝子検査、染色体検査、病理検査などさまざまな検査業務に関する知識、ディテクターの周波数や測定原理を含めた検査機器に関する知識、品質管理に関する知識などきりがありません。
 生化学検査ひとつだけでも、さまざまな測定原理の機器があります。原子吸光光度計、赤外光度計、酵素標識をつけた抗原抗体反応を利用した測定器、免疫電気泳動、2次元免疫電気泳動、30項目生化学自動分析機などを知っているのといないのでは原価計算システムの仕組みが変わってきます。利益管理シミュレーションシステム仕様に関わります。
 これらの専門分野や専門業務の知識や経験のない人が「要求分析」をするのは方法論の前に無理があります。そのあとの「実務設計」は不可能と言わざるを得ません。これから出来上がるシステムを前提にしたまったく新しい実務をデザインするのです。自分が業務を担当してもスムーズにやっている姿がイメージできなければなりません。
 こういうシステム開発ができれば業務精度と速度は飛躍的に上がります。わかりやすい例を出すと、固定資産減価償却予算の推計値が一桁上がりました。推計誤差が1/10になりました。東証Ⅱ部の審査では利益の推計の精度も問題になりますから、それらの要件を満たすようにきめの細かいシステム開発が要求されます。要件分析だけではどうしようもありません。問題の解決案まで実務を含めてデザインしなければならないのです。償却資産申告書作成には4人×2ヶ月かかっていましたが、時間ゼロになりました。簡単な話です、税務署の要求仕様にあうように帳票を設計して、指定用紙ではなくプリントアウトで代替することを八王子税務署と交渉して認めてもらいました。初事例だと担当の方がおっしゃっていた。

<三十数年間の変化を概観する>
 1980年代からは、システム化の巧拙が会社の利益構造に甚大な影響を及ぼす時代に突入しています。まもなく多くの産業分野でAI(Artificial Intelligence:人工知能)の性能とその利用の仕方の優劣が企業の生存競争に決定的な影響を持つようになります。人からAIへ時代が動きます。大量失業の時代が現れます。

<koderaさんへの感謝>
 「資本論と21世紀の経済学」は不十分なものでした。
 バックグラウンドに誤解があったとしても、koderaさんとの対話を通じて整理が進んだので、第3版はずいぶんすっきりしたものになりそうです。一人ではここまで整理をするのに手間取ったでしょう、助かりました、慎んで感謝申し上げます。

 いつもの癖で前フリが長くなりました、では投稿欄のコメントをお読みください。


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<#12>ebisu

koderaさん

>そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。

これはその通りです、わたしは貴兄のコメントを読んで理解しているだけで、マインドリーダではありませんから、心の内が読めるのかと問われたら、読めませんとお答えするしかありません。書かれた物に、お会いしてお話したときの印象を重ね合わせることができるのみです。

>さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。

厳しいご指摘ですね。
わかりやすい文章だと思うのですが、わたしの思い違いでしょうか?
過去40年ほどのコンピュータの発達に関しては、貴兄のブログへコメントをしました。5/21「スモールビジネスコンピュータ」というタイトルの記事へのコメントでした。
指数関数的な性能向上を具体的なチップの性能を取り上げて整理しましたが、あれには同意いただけました。このまま後30年指数関数的な性能アップがあれば、AIは人間の脳を超えてしまいます。人間を超える知性を人類は神と呼んでいます。
指数関数的な変化は時間が経つほど、人間の想像力を超える変化を生じることも過去の性能アップから容易に推測できることは理系の貴兄には言わずもがなでしょう。

道は二つあります。グローバリズムを推し進めて、AIの支配する世界へ突き進むか、日本の伝統的な価値観に基づく経済学を道標にして、クローズドな地域の連合として経済社会を再編成するのか、人類には二つの道があるとわたしは考えています。後者が選択できるように、わたしは自分のライフワークをもう一歩前へ進めます。それが「資本論と21世紀の経済学」第3版です。

SRL時代にわたしの書いたシステム関係仕様書や稟議書はわかりやすいことで定評がありましたが、「貴方の文章を理解できる人はいません」と言われたのは初めてです。頭のよい貴兄が誰にも理解できないと云うのですから、わたしの書き方、論理展開、論旨にどこか無理があるのでしょう。
理解できない箇所を数箇所指摘していただけたら、ありがたい、文章修行になります。

>私は親鸞のように誰も信じていません。

親鸞は誰も信じていなかったでしょうか?五木寛之の『親鸞』が北海道新聞に連載になったときに楽しく読みました。人への信頼がしっかり書かれていました。記憶が定かではありませんが、「つぶての弥七」とかいう人が出てきたでしょう。
そして貴兄には「中村師匠」がいました。
何人かの人に信頼を裏切られてことはあったのかもしれませんが、そんなことはどなたの人生でもあることではありませんか?
13時15分のコメントは、なんだかお疲れのご様子とお見受けしました。体調は大丈夫ですか?
by ebisu (2016-06-18 23:47)

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<#13>ebisu

後志のおじさん

懐かしい単語です、aufheben。1960年代後半に大学生の間で流行ったドイツ語です。高校生のために訳語を書いておきます「止揚」あるいは「揚棄」。1960年代後半は学生運動の季節でした。団塊世代が大学生だったときの流行語、ヘーゲル弁証法なんて読んだことがなくても、カッコつけたくて使う人が少なくありませんでした。

山本七平氏の著作を全部お読みになっているのですか、驚きです。社会現象を扱うのが上手な人ですね。アカデミズムの側の人間ではありませんが、社会学者に分類してよいのでしょう。アカデミズムの側の社会学者と比べても、かなり光っています。今日読んだ高校2年生の教科書にvery quite(かなり)がでてきました。(笑)

「日本人とユダヤ人」は書名は知っていましたが、経済学を中心に本を読んできたので、社会現象を扱った本はあまり読んでいませんでした。「わたしの中の日本軍」と2冊がお薦めですか、理由が振るっていますね。

>外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

開成高校の入試問題に続いてのお薦め、本を増やすと女房に叱られるので、読んだら生徒にプレゼントします。生徒はタイトル見ただけできっと「いらない」っていうんです。何か講釈をつけてその気にさせなければなりませんね。(笑)
2年ほどで、4000冊ほどある蔵書の半分ほど処分できたらいいのですが...
女房の要求では1000冊以下にしろと、なかなか厳しい注文です。

ドイツ語の単語をみて思い出したのですが、さきほど本を読んでいたら、ヨーロッパの初期仏教経典研究で非常に優れた本があると書いてありましたが、それはドイツ語出掛かれた文献でした。30年も前に買って、2/3ほど読んでそのままになっていましたが、また興味がわいて先ほど読み終わりました。

『「阿含経」を読む 近代仏教への道』増谷文雄著 角川書房昭和60年発行 260ページ

Oldenberg, 1854-1920
Buddha, sein Leben, sine Lehre, seine Gemeinde, 1881

読んでみたい本です。翻訳があるかな?英訳でもいい。塾をやめたら暇ができるから、そのときにドイツ語で読むのもいいかも。
本は読まないほうがいい、1冊読むと読みたい本が3冊殖えます。(笑)
by ebisu (2016-06-19 00:19) 

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<#13>koderaさん

 どこと指摘はできません。人は自分の頭のハエを追うだけで生きていると思います。それしか理解できない動物です。可哀想な生き物です。私もですから仕方ない。憐憫も愛も結局は自分の頭が作りだしたイメージです。畳一枚下は地獄です。
 貴方はイメージと言っていました。やるともです。その通りだと私も思います。でも今の経済論のどこにイメージがあるのでしょうか。
 確かに本の表紙のコピーにはあります。たくさんの本の表紙のコピーは私にはいろいろな情報へのリンクアイコンになっています。素晴らしいです。でもそのリンク先の情報は私の頭が管理している記憶、イメージが大元だと私は考えているのです。
 伊勢先生がイメージまで論を昇華できたら私も理解できるようになるかもしれません。世界もです。私は親鸞のようにアホですから。
 五木寛之は素晴らしい、歳をとって知識がイメージまで昇華したと私は思いました。親鸞はほとんど伝説の人です。彼の書物も誰が書いたか分かりません。3代後が偉かったのは確かでしょう。
 小説の奥さまは観音様の生まれ変わりのように、また唄の名手やつぶての名手など、面白い登場人物。魅力的。でも居たわけがない。牛車のイントロ部分の牛の様、目に見えるように感じました。彼は見えているのです。だから阿保もイメージできる。
 誰かの本や文章を読めば、貴方は論理と文章を頭に蓄え、理解でき、論旨を頭の中で合成していると理解しています。頭が抜群に良いからそれで人も理解していると誤解しているのでしょう。語彙も言語学の研究者以上、辞書原著者以上に思っています。尊敬しています。
(ケチをつけるつもりは毛頭ありません。考え違いする方はいらっしゃらないと思いますが、(語彙も言語学の研究者以上、辞書原著者以上)はほめ殺しです。ebisuの語彙は普通の方よりも少し多くはありますが、言語学の研究者や辞書の原著者とは語彙の分野が異なりますので、比べられません。(笑))
 イメージに挑戦すると昔のコメントか記事にありました。期待しています。なお、私はイメージ処理をゼロから考えて、めちゃくちゃの言を師匠と岩井さんと浅田さんに提案し続けました。やらせないで良かったと今は反省しています。できたはずはないからです。
 でも私は人の文章を理解できた範囲でイメージ化して統合する訓練をしていたようです。貴方の論は素晴らしいと思えますが感性と直感の範囲に留まっているのです。これは私の頭の特性なのでしょう。
 貴方の論をイメージできないからかもしれないが、二つの道はありえないようにイメージできます。グローバリズムは私はかなり昔論理で書いて、今は人の論をイメージできるように感じています。
 日本は破たんする姿です。ほとんどの人の論はその同じ結論に至ります。イメージだからです。そこで貴方のグローバリズムの結論に乗っているのです。まだ新経済論はイメージできないから。すみません。南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-06-19 04:24)
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<#15>ebisu

koderaさん

おはようございます。
ご意見しっかり伺いました、脱帽です。
koderaさんのいうことはぶつ切りで、敷衍していただかないと理解できないことが多いのです。四項目箇条書きは補足がないと中身が伝わらないことがあります。20文字以内の文章で、書き手と同じイメージを作れというのは読み手にとっては少々酷で、伝わるものはアバウトでしかありません。コアがつかめることもあるし、そうではないこともあります。
わからないことはお聞きするしかありません。

わたしの経済学に関しては、経済学者のほとんどが理解できないでしょう。それは用いている語彙や概念が、いままでの経済学にはないものだからです。
デカルトの「科学の方法」や数学の公理的体系構成法そのものですから数学史の研究者にはわかりやすい論になっています。容易にイメージできるはずです。あいにく世の中に数学史に興味のある人なんてほとんどいません。北極と南極ぐらい離れた異分野のフュージョンになってしまいました。(笑)

そういう意味で「21世紀の経済学」はまったく新しい、どうしようもなく新しい。わたしの書いた「資本論と21世紀の経済学」が多くの人にとって理解不能であることはわかっているつもりです。それが大学に残らない決意をさせました。
当時はわたしの頭の中に出来上がってしまった経済学のイメージを伝える術が見つかりませんでした。
修論はごまかしでした。考えているイメージを修論にしたら、審査する先生はどなたも理解できません。本来のテーマを1/100くらいに縮小した部分論で済ませました。本来のテーマで書いたら、スミス、リカード、マルクスを丸ごとひっくり返すことになり、群論を書いたエヴァリスト・ガロアのようなことになりかねませんでした。

それで日本経済の現実を体験を通して学ぶ回り道となったのです。新たな公理系を探す旅でした。ライフワークを抱えて二十数年、折に触れてテーマを反芻し、現実と突合して旅を楽しんできました。「いったん経済学から離れよ」、天の意思だと思いました。

ついでです、『親鸞』の登場人物はたしかに五木寛之の創作ですが、彼には見えていたというのは頷けます。
貴方の論に従えば、実在の親鸞がどうであったのかだれも知る由がありません。それぞれの人が何らかの情報で脳に創りあげたイメージがあるのみ。koderaさんには人間不信の親鸞が見えているようです。
それがなぜかは少しは理解できるような気がします。
わたしとは異なるイメージです。
脳内に創りあげる人物のイメージは、読み手の人生観や人生経験と切り離してはありえないようです。

さて、第3版はかなり書き直さなければならないようです。読み手の頭の中にわたしが創りあげたイメージと同じものをつくることが目標になりそうです。
どんなにがんばっても1%以下の人にしか理解できませんね。
何か方法があるのかないのか、鈍才ですから醗酵時間がかかります、どちらかに落ち着くまで、しばらく死なないようです。(笑)

たいへん参考になりました。
by ebisu (2016-06-19 08:54)

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<#16>koderaさん

 私の拙いコメントを理解いただけたよう、ありがとうございます。でも、伊勢先生ならできますよ。きっと。それを志せば、偏差値50程度の大学生ならできるようになると私は予言したいのです。
 少し私の持論のアドバイスします。私のやり方ですので改善できるかもしれませんが。まず要求条件を箇条書きして体系化します。トップは新経済論を分かりやすく説明するです。目的でしょう。三階層に分解すると、4項目箇条書きなら64の条件になるでしょう。
 トップの直下の4条件と、その他の下位にある条件をよく考えて入れ替えたりします。階層がこれで良いとなったら、その4条件から一枚の図表を作ります。この図表の出来が勝負です。何度も書きなおします。
 2軸の4条件、すなわち4項目を修正しつつ、上手い絵がかけるまで考察します。分かりやすい絵ができたと思ったら、それで一応4条件は固定します。これが他人への説明のためのイメージであり、他人とイメージを共有できるようになります。
 だから箇条書きは2軸の平面ですが、本当は4項目は4次元の軸。上手く表現できないから平面で書きます。
 そして3階層を章節句として章立てします。そしてトップの階層から、すなわち4章の概要から書き始めます。同じく節の説明の概要の1枚の図表であるイメージを書きます。上手く書けるまで節立ても直します。こうして4つの章が終わったら節に移ります。
 節も同じ繰り返しです。16節の概要を先に仕上げるのです。文章は書き下すのではなく階層構成に基づいて書きます。
 プレゼン資料も同じように作れるし、同じようにシステム要求条件を作れます。これは師匠の教えではなく、私の提案でした。師匠には賛同いただいているのが自信のもとです。
 私は悲劇的に予想します。それが安定なバグのないシステムを作る秘訣だからです。師匠も賛同しましたが、文系の親玉のような岩波書店の責任者には馬鹿にされたことがあります。
 文系は難しい論旨で単純な法則を記述する人が多いと私は考えています。文系の論文は理系センスで書けば分かりやすくなるでしょう。だからきっとできますよ。
 以上です。
by tsuguo-kodera (2016-06-19 13:54)
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<#17>ebisu

3階層構造までは賛成です。
書き始めるまでが仕事の6割かな?

方法ありきではなくて、3~5項目の範囲内で内容に応じて分類してみます。4項目に整理するかどうかは、それを見てからの判断になるのでしょう。

事例を挙げて説明したほうがわかりよいでしょう。
マルクス『資本論第1巻』は7篇、25章編成です。
1篇は3章
2篇は1章
3篇は5章
4篇は4章
5篇は3章
6篇は4章
7篇は5章

各章は1~10節に分かれています。
節はさらに項目別に分けたり分けなかったり、必要に応じて小分けがなされています。

過剰富裕化論の馬場宏二先生の『新資本主義』は
序論
第1部 7章構成
第2部 7章構成
結論

4部構成になっています。各章は2~4つの節に分類されています。

3階層は賛成ですが、たとえばマルクス『資本論』を4項目できれいに整理することができるかと問われたら、不可能と答えるしかありません。
プレゼン資料の作成ではないのですから、内容に応じて篇別編成や章別編成、そして節編成が分かれていいのだろうと思います。

一人KJ法で整理してから、ご意見をお聞きしたほうがいいでしょう。
by ebisu (2016-06-19 20:23)

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<#18>ebisu

理論も技術もそれぞれ「固有の適用限界」があります。
そこを超えてしまったら、その理論は破綻します。逆に言うと、ある範囲内で使えば有効だということでしょう。

ニュートン力学と相対性原理のようなものです。惑星の運動を計算するだけなら、ニュートン力学で間に合います。しかし、時空の歪なんて話はニュートン力学からは出てこないでしょう?

マルクスもヘーゲル弁証法を経済学体系構成に適用しようとして、無理を重ね、破綻しました。ヘーゲル弁証法は経済学体系を叙述する上で必要ない、有害無益なものでした。
マルクスは経済学には適用すべきではないツール、ヘーゲル弁証法に執着しすぎました。ヘーゲルを捨てて、デカルトに学べばよかったのです。

マルクスは数学のセンスがまるでなかった。『数学手稿』という遺稿があります。マルクスが扱っているのは四則演算の範囲内です。微積分はおろか、ユークリッド『原論』すら読まなかった。
第一巻を出しただけで、その後は十数年間沈黙し続けています。方法論の根本的な欠陥に気づき、精神を病んだのではないかと思います。
方法的破綻を自覚して、書けなくなったのです。マルクスの死後、エンゲルスが遺稿をまとめて、勝手に編集して「完成」させました。エンゲルスは経済学体系がなんであるのか、その意味すらわかっていませんでした。世界市場関係でその環を閉じなければならなかったのです。そういう意味ではリカードすら超えられなかった。

欧米の経済学をユークリッド幾何学に譬えたら、「21世紀の経済学」は球面幾何学です。ここでは平行線公準が成り立ちません。別の公理系の経済学だということです。

話が脱線しましたが、言いたかったのは最初の3行です。

とにかく、階層構造に整理する必要は感じています。ですがこれは、マルクスだってやれなかったことです。それ自体がとんでもない仕事です。思いつくことをたくさん書き溜めてから、相互関係を分析して、階層構造に整理しなければいけないのだろうと、思っています。マルクスは『経済学批判要綱』(五分冊)でそういう作業をしています。わたしは二十歳前後のころに丹念にマルクスが分け入った山道をゆっくり歩いて確認しました
by ebisu (2016-06-20 00:58) 

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<#19>kodera

 たった1企業の要求分析でも、大企業になると3年間かかります。しかも正しく書けないとシステムは使い物にならないものができます。
(ebisu注:わたしは、1984年に臨床検査最大手のSRLで統合情報システム開発に携わっています。「要求分析」も「外部設計」も「実務設計」も、各システム間のインターフェイス仕様も、完璧に記述し、8ヶ月でコアの部分の会計情報システムを本稼動させています。どの段階の仕様書もデザインも完璧でしたからノートラブルでした。KE(Knowledge Engineer)の役割を担っていました。「要求分析」と「外部設計」は2ヶ月で完了しています。ebisuは1984年当時、統合システム開発に関しては国内トップレベルの専門家でした。要件分析どころか、実務設計と外部設計書を書き上げるのに2ヶ月ですから、通常の開発の10倍以上の速度で楽々と仕事していました。
 販売会計システムは他の方が数名担当していましたが、本稼動まで3年を要したので、小寺さんの言にに近い期間がかかっています。外部へ支払った開発費だけで5億円、社内の人件費も考慮すると8億円ほどかかったシステム開発です。当時富士通の最大のメインフレーム(汎用大型機)を使用しての開発でした。販売会計システム・購買在庫管理システム・原価計算システム・支払管理システム・予算管理システム・固定資産管理システムとのインターフェイス仕様は1週間で書き上げました。もちろん各分野の専門知識とシステム開発の専門知識ががあったから可能でした。SRLに入社したのが1984年2月、システム開発担当に任命されたのが4月です。実務デザインと外部設計仕様書を書き終わるのに2ヶ月を要しました。2ヶ月の並行ランで確認後12月決算データから本稼動に切り替えました。開発期間は8ヶ月です。秋くらいからは全社予算編成の統括管理も仕事として追加されています。システム開発の要求分析ならどんなに困難なものでも数ヶ月でやり遂げられますが、新しい経済学はそういうものではないのです、理由は#17と#18と#20に書いてあります)

 伊勢先生はとてつもない、先人の素晴らし理論を越えようとしているのでしょう。私にはそうしか読めません。
 中小企業でも、ほとんど家内企業であっても、1年はかかります。要求分析作業を甘く見ない方が良いでしょう。いくら伊勢先生でも結果を見たことがない理論であり、見た、経験した実践結果の分析ではないからです。想像と現実はたぶん全然違いますよ。
 多分、正しい要求分析に5年はかかります。それまではあの世に行ってはいけませんし、お呼びはかからないでしょう。あっても待ちましょう。死神に代わっての予言です。(笑)
 まだ階層構造だけで挑戦するつもりのようですね。失敗するかもしれません。止めた方が良いかも。時間がかかりすぎてお陀仏になるかもと言うこと。したら私のせいではなく、私の技法のせいでもないでしょう。それも仕方ない。
 体系の完成を早める手は階層構造の改善はあるところで満足したら、一応やめてトップから図表の階層を書き始めるのが良い手です。割と早い段階でです。一応基本の要求条件は頭と過去の資料にあるから説明順の変更、論旨の修正で済むように思えます。
 ある程度の満足のある体系に基づき、上位階層の4枚の絵を書いた方が良いはずです。そして、4項目の改善もあるでしょう。
 そのうえで、節のはじめの方の絵を書くと要求項目の表現に改善点が見つかります。1項目の表記を改善しただけで、全体構造の修正がしたくなります。横への波及は仕方ない。上への波及さえ少なくできたら良しです。
 階層の上への変更を避けるのが大事だと分かっているのですが、4項目の箇条書きの表記によっては波及しやすくなります。
 波及を避けるために。目的語を重視し、先頭に置く表現を心がけるといいでしょう。その結果がプレゼンの事例になっているのです。文字数は少ないほど改善が楽になるだけでなく、一目同然で改善点が分かります。
 ゆっくりと、コツコツと。体幹を鍛える四股のようにです。身体を鍛えるのと頭脳を鍛えるのと、根本は変わらないと私は信じて、坐骨神経痛に挑戦しています。とても難しい相手です。初めての取り組みでしたので。
 でも、伊勢先生の記事のお蔭で私は認知症にならないかもしれないと妻も私のネット依存に何を言っていません。諦めたということです。
 お蔭でまた妻の好きな旅行にお付き合い、二人が好きな甲府の黒澤先生に会って温泉につかります。彼から武士道や仏教や神道や陽明学を自然と学べる一挙4つ以上の効果があります。
 なお、諏訪湖はウナギの名産地であり、川が流れ込む水門が一番おいしいのです。最近の化学ノーベル賞学者の美術館はたまたま黒沢先生の住んでいる町にあります。知り合いのようだし。世間は狭いのです。
 水も人も流れないと腐ります。ノーベル賞は研究所を渡り歩くのがもらうコツです。人間関係が広がるから、論文が引用されることになる。
 人は動けば良いのです。伊勢先生は自転車と四股、私は歩きと園児とバド。見て居てください。そのうち走って見せましょう。棺桶に走っていきますよ。南無阿弥陀仏。(笑)
by tsuguo-kodera (2016-06-20 04:38) 

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<#20>ebisu

おはようございます。
お蔭様で、ずいぶん整理がついてきました。

「できること」と、「できないこと」がはっきりしました。結論から言うと、新しい経済学はその公理系を示すことができるだけで、体系として叙述は不可能なことがわかりました。
経済学は経験科学ですから、いまだ起きていないことを学問として記述することはできないのです。

マルクスが『資本論』でやったのは「資本家的生産様式」の体系的叙述です。それは目の前にある経済社会の分析と体系的再構成が目標でした。
マルクスが希求した新しい経済社会はエンゲルスとの共著である『共産党宣言』に書かれています。いまだ訪れぬ未来の経済社会はイデオロギーでしかありません。
それを実現しようとしたのが、レーニンと毛沢東、金日成、チェゲバラとカストロでした。この歴史的実験は三人が大失敗、ゲバラは途上で殺されましたから、キューバのカストロだけがある程度、マルクスの理念の実現に成功したのかもしれません。キューバは貧しいが医療はただです。

「できること」は、経済学の新たな公理系を明らかにすることです。それを基にしてどのような経済社会を、どういう方法で創るのかはそれを担うべき人が考えること。それを担う人の人格と切り離しえないのだと思います。
マルクスやレーニンのようにインテリで大学へ職を求められなかった人が、権力欲を満たす手段として社会革命を利用するなんてことになれば、自身が権力欲の権化になるか、その後にスターリンのような権力志向の強い人間が輩出して、理念は雲散霧消してしまいます。マルクスは学問の人でした。

国が大きくなるほど、その運営には大きな官僚機構を要しますから、そういう傾向が強まります。カストロがある程度成功しえたのは、国のサイズが小さかったからです。
小さければよいというものでもありません、それは必要条件のひとつであるのみです。大きな単位で国を作ろうとする試み自体が、権力欲の表現に他ならない。EUもその典型のひとつです。アメリカ合衆国も英国連邦国家も大きな組織で、増殖する権力欲の表現です。地球全体を自分の支配下に置きたくて競い合います。権力欲はグローバリズムへ転化せざるを得ないのです。

小欲知足という価値観を土台とする、職人経済社会がいい。それは身体を使って働くことを善しとするのです。仕事しなくていいよと言われて喜ぶ日本人は稀です。身体を使って仕事することに生きがいを見出す人がほとんどではないでしょうか。

西欧の経済学は労働からの解放が最終目的ですから、それはAIとそれにつながる機械がすべての労働を肩代わりする経済社会を実現せずには起きません。そういう方向に向かっています。欧米の価値観をグローバリズムで押し進めるとそういう社会が実現してしまいます。
労働は奴隷のするもので、人間の解放とは労働からの解放を意味しているのが西欧の価値観です。人間は自らの価値観に見合った経済社会を実現してしまうのです。

そうしたことを、どのような構成で書くかについては3層階層構造が適切です。多くの著作物がそういう構成になっています。3層で足りないところは4層にすればいい。部・篇・章・節・項目、五階層のものもあります。
それぞれの部・篇・章・節・項目がいくつになるか、そして並べる順序がどうなるかは内容が決めます。「単純なものから複雑なものへ」が叙述の順序です。これはデカルトが『方法序説』のなかで「科学の四つの規則」として述べています。

マルクスのやり方を見ていると、思いつくまま書き連ねて分析しているうちに、概念相互の関係が、どちらがより単純なものかはっきりしていきました。一番単純なものに行き着いたところで、そこを端緒として体系の叙述が始まりました。
でもそれは、いま目の前に展開している資本家的生産様式を明らかにするものであって、マルクスの理念である共産主義社会を体系的に叙述するものではありません。
経済学は経験科学ですから、いまだ実現しえぬ経済社会については体系的な叙述が不可能なのです。
理念をイデオロギーとしてしか書き表せないのです。それで十分だと思います。壮大な社会実験はそれにふさわしい人が担えばよい。
人にはそれぞれ役割がありますから、自分の役割を自覚し、まっとうすればいいのだろうと考えます。

貴兄のさまざまな示唆、役に立ちましたよ、お蔭様で問題の整理が大きく進みました。
by ebisu (2016-06-20 09:05) 
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<#21>kodera

伊勢先生が夢を実現されることを祈念しています。鈴木さんには鈴木さんの夢が、私にも私なりの夢があります。夢こそ生きる力ななのでしょう。
 私の夢はイメージ思考とその作り方、すなわち私が求めているイメージ処理の有効性について、その考え方普及の後継者が現れることをです。
 バドの子供たちもその候補。鈴木さんのお嬢さんも、伊勢先生もです。すみません。こんなに凄い伊勢先生に対して生意気な表現で。今後ともよろしくお願いいたします。

by tsuguo-kodera (2016-06-20 10:31)
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<#22>ebisu

脳内に結実してしまったイメージを伝えるのは難しいものです。
わたしの場合は、ひとつの事象についてさまざまな用語がインプットされると、それらの相互関係を網の目のようにつなげていくだけでなく、一つの構造にまで再構成しないと居心地が悪いのです。
収まりがつけばそれで満足、自己満足です。(笑)

イメージ処理の有効性が大であることは自明のことに思えます。多様性が大きいので、どういう切り口で挑むか、なれた武器をとことん使って、限界を見極めるのがよろしいように感じます。
夢は追いかけているうちが楽しいのでしょう。koderaさんも、どうぞ存分にご自分の夢を追いかけてください。四項目箇条書き法はさまざまなことに使えます。

お釈迦様は、物事と感覚器官と意識の関係が完全に理解できました、それが悟りでした。問題はその後です、衆生にそれを説かれる決意をしました。だから、南伝の経典は比喩がとても多く、巧みです。

経済学について、知りえたことを、わかりやすく説いておくことはわたしの役割のようです。
人間の脳はほうっておくと雑事をあれこれ弄繰り回し始めますから、呼吸に意識をおいてゆっくり吐いて、ゆっくり吸う内に雑念が消えます。そういう瞬間に考えなければならないことを頭の中の引き出しから引っ張り出して、広げて見ているのです。
食べ物を反芻する牛のようなもの...

<中学生や高校生の皆さんへ>
どんな科目でもそういう勉強の仕方をすれば、理解が深くなります。難問を丸ごと覚えてしまって、脳の引き出しの中に入れたり出したり、何度も繰り返します。そのうちに脳が勝手に問題を解決してくれます、aha!の瞬間が訪れます。
難問でなければ効果はないし、脳のトレーニングになりません。ぜひ背伸びしてください。
ebisuは中学生のころから、そういうトレーニングをしていました。ビリヤード店の店番をして、お客さんのゲームの相手をし終わると、数分間の空き時間に脳の中から習ったことや解けなかった問題をひっぱしだして遊んでました。一日に何度もやるから、記憶はその都度リフレッシュされて、固定化されます。どんなに頭が悪くても、そういう数分間のトレーニングを日に何度も繰り返せば、たくさんのことが覚えられるし、思考も深くなります。「記憶と思考という種目の部活」を毎日熱心にやっていたようなものです。おかしいでしょう?おかしいですよ(笑)

ああ、お釈迦様は「握拳」はないとおっしゃっています。弟子に秘密にしている秘伝はないのだと。ひとつも秘することなく、法を説かれました。

by ebisu (2016-06-20 13:12)
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*#3331 「空気」に「水を差す」  June 17, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-17


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#3339 実りある対話(1): 経済学の大きな問題に整理がついた June 21, 2016 [第3版への助走]

 意見の違う場合ほど、対話をしてみる必要があることは論理的に考えると当然のことに思えますが、感情の問題があります、世の中は同じ意見の人とだけ群れたがるというのが普通です。意見が違えは対立があり、衝突のあるのが普通です。あえて修羅場に飛び込もうとする人は稀です。自分と異なる意見は聞きたくないから聞く耳持たぬ、殻を閉ざしてしまう人が多い、多いというだけのことでそういう心的態度自体は善いとも悪いとも言えません。その人の心の問題ですから。

 具体例を挙げてみます。根釧の子どもたちの学力に危機感を持ったさまざまな職業人が組織した「釧路の教育を考える会」は同じベクトルを向いた人たちの集まりです。その副会長であるZAPPERさんはブルトーザのように道のないところに道を切り拓いていくエネルギッシュな人でありますが、志を異にする人たちとちゃんと対話をする人です。もう一人の副会長の月田光明(釧路市議会議長)さんは、公明党ですが、超党派の釧路市議会基礎学力問題研究議員連盟を組織して、全国初の基礎学力保障条例を制定しました。月田さんと金安潤子市議お二人の反対派との議会論戦は白熱の議論でした。ブログ「情熱空間」が何度も採り上げています。読むほうからみると、実に楽しい議論です。

 今回取り上げる対話は、弊ブログ記事「#3331 「空気」に「水を差す」June 17, 2016」の投稿欄でなされたものです。登場人物は4名、雨女さん、koderaさん、後志のおじさん、そしてわたくしです。
 序(つい)でに書いておきますと、本論のほうは、山本七平氏の「空気」論を取り上げて、最近のマスコミ報道(舛添都知事問題、甘利経産大臣種相事件(不起訴)、小渕優子政治資金規正法違反問題(不起訴)、STAP細胞事件)を俎上に載せたものです。

 コメントの焦点は、途中から面白い方向へと変化していきます。最後の1/4くらいのところが、経済学の大きな問題への言及となっています。
 「資本論と21世紀の経済学第3版」の構成の方針がこれで整理できました、わたしにとっては大きな収穫でした。人に背中を押されないと出てこないものがあるようです。

(必要に応じて自分の土俵から出て、相手の土俵の中で対話をすると、スムーズになります。ebisuは本来文系部門(経理・経営企画・経営管理・資本参加および買収渉外担当など)が専門でありながら、技術部門の人間と仕事の機会に恵まれました。統合システム開発や開発部で製薬メーカと検査試薬の共同開発経験もあります。文系であっても理系の相手の専門分野について、専門用語くらいは勉強して、相手が熟知しているそれぞれの分野の専門用語で対話したからだと思います。異分野の者同士の間で、短時間で濃密な対話が成り立つので、気持ちがよいのです。通常は「言葉」が通じませんから、異分野の対話は面倒で時間がかかるのです。時間を節約し、信頼関係を築くためには異なる分野の学習を怠ってはいけないことを学びました。プロジェクトなど異分野の複数の人間が関わる仕事がスムーズ行きます。速度を必要とするときは、異分野を専門用語を駆使して議論できる人材が問題解決のキーとなります。社員数千人規模の会社で、そういう人材は多くても3人でしょう。)

 意見の異なる四者の対話(化学反応)を楽しむと同時に、世の中の意見の対立する人たちの間で実りある対話がたくさんなされることを期待します。

(長い対話(22個)なので2部に分割します。些細な字句訂正はebisuの判断で緑色で入れました。付け足したebisuのコメントは青字で表示し、随時( )書きで挿入します。)

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<#1>雨女さん

まったく同感です。
連日、ワイドショー での、舛添さんへの〝リンチ〟にうんざりしてました。
金銭にセコく、公私混同したり、公費をちょろまかしてる人は他にもいるのに、舛添さんは、格好のターゲットになってしまいましたね。イジメが好きな国民だから、マスコミ報道の質も次元も低い。
日本の政治家やマスコミがこんなに攻撃できるエネルギーがあるなら、国際舞台でも、中国や韓国、ロシアに反論できるのではないかと思うんですが、「空気」に流される一方だから、情けないです。 
もっと大事なことを取りあげるべき議会で、知事を責めるためだけに時間と金を使い、おっしゃるとおり、マスコミも「火に油を注ぐ」だけ。
日本の恥ずかしい国民性を見せつけられた一週間でした。

by 雨女 (2016-06-17 16:26)
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<#2>ebisu

雨女さん

根室は一日中雨が降っています。
あなたのところにもこの雨が降っているのですね。

ところで、三読しました。
起承転結のはっきりした明快な名文です。
投稿ありがとうございます。

駄文書きのebisuだから、良さがよくわかります。
かくありたい。
by ebisu (2016-06-17 22:01) 
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<#3>kodera

 問題点の指摘はその通りだと思います。素晴らしい論旨であり、説明だと思います。私にはできない領域です。管理人さんが朝日か毎日か日軽の記者なら日本はましになったのかも。残念です。
 問題点に対し課題は山本氏の書籍にあるのでしょう。でもその課題解決策はマスメディア向けではないでしょうか。マスメディアを使いたい政治家や評論家には役立つ情報でしょう。本を書けないと山本氏の領域に近づけない。
 学校の先生は他人のアドバイスなど聞かないでしょう。校長に言われてもいやいややるだけ。理事長など煩い爺、引っ込んでいと思うのでは。私の言、企業人の誇りがある、大学非常勤10年経験者の言な戯言だと思われていたのです。
 管理人さんはブログで正論や画期的な経済論を述べているように思えています。ほとんどの先生のブログもそのように感じます。しかし問題意識と、可能な課題解決策、自分がですが、できる距離測度に違いがありすぎのように思えます。
 コツコツやるは課題解決策をコツコツやると言うこと。経済なら顧問か経営者になり、村おこしのベンチャーをするしかないし、今日の記事のようなメディア批判なら本を出してベストセラーにするのが一番かも。
 学校の先生も、管理人様の所属する教員ブログ村も言は良し、でも課題解決策があまり感じられません。隠していると思っていたのですが、どうやら評論家が良い、教育委員が良い仕事だと思っているのかも、と思い始めました。
 物理的にお近くの村の素晴らしい個人塾の先生、私叱られた先生は問題提起と仮題プロセス提案と実践が同期しているように思えます。だから会いに行きたいとは思ったこともありますが、あまりに課題解決策に隔たりがあり、この私の状態では無理な挑戦だと諦めました。
 たとえ問題意識が違っていても、問題提起があり、機能要件定義して、課題解決策を自分で決めて、課題解決を実践する人を私は尊敬しています。
 管理人さんは塾の先生と経済論著者として世に出て欲しいと願うだけ。私はずっとこのブログでお願いしてきたことです。
 お願いする身ですから、やるやらないは相手次第、祈るしかできません。
 追記です。一億層批評家の国だから、ましな国になりません。批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。
 私はバドと鈴木さんの本の販売を通じて社会に恩返ししているつもりです。力がないから、狭い世界に影響を与えるしかできないのは仕方ない。
by tsuguo-kodera (2016-06-18 08:01) 

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<#4>ebisu

koderaさん

おはようございます。論点が複数ありますから、ひとつずつ取り上げて考えてみたいと思います。

>問題点に対し課題は山本氏の書籍にあるのでしょう。でもその課題解決策はマスメディア向けではないでしょうか。

そうなのでしょう、空気に「水を差す」、つまりクールダウンする方向の報道をするということを山本氏は主張しているようです。現実にはそういう報道がほとんどなく、一方向に次々に相乗りしていくのが日本のマスコミに常ですから、そうした構造を明らかにしても、現実が変わるわけではありません。山本七平氏の偉いところはそういう構造を明らかにしたことだと思います。
わたしたちが、そういう集団的意識構造を自覚すれば、一方向に一緒に流れずにすみます。
マスコミと国民は、一緒に集団催眠にかかっているようなもの。
でも、「空気」を払拭することが、「水を差す」ことだとすると、課題解決策としては実現性がほとんどありません。
企業における戦略目標と戦略の関係から、課題と課題解決法という視点から眺めると、実に悠長で現実性のないものに見えることは事実だとわたしも思います。
わたしが山本七平氏だったら、そのような企業戦略と同じような視点では端から考えていなかったと思えます。
日本人がマスコミにあおられることで一方向に流されてしまうのはなぜか、というのが彼にとっての重要な問題だったと思います。その副産物が「流れに水を差す」ことだった。論理的帰結ですが、それをもって現実を変える力にはなりえない。空気は日本人の意識の基本的性質のひとつ、いわば性格ですから、それが簡単に変わるはずがありません。そのことも山本七平氏は十分に承知していたと推測します。
オリジナルを読み、確認してみるべきですね。やることを増やすのは考え物ですが。

二つ目の論点は食事の後で書きます。こっちが今回の投稿の本命のようですから。

by ebisu (2016-06-18 09:31)

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<#5>ebisu

[ 2nd ]

二つ目の問題を分けると2個なのですが、どこか同じ匂いがします。

①>学校の先生は他人のアドバイスなど聞かないでしょう。校長に言われてもいやいややるだけ。理事長など煩い爺、引っ込んでいると思うのでは。私の言、企業人の誇りがある、大学非常勤10年経験者の言など戯言だと思われていたのです。

②>管理人さんはブログで正論や画期的な経済論を述べているように思えています。ほとんどの先生のブログもそのように感じます。しかし問題意識と、可能な課題解決策、自分がですが、できる距離測度に違いがありすぎのように思えます。

学校の先生を長くやった人は、すっかり職業病に罹っている方が多く見受けられます。校長会の代表の方とお話をしたことがありますが、しかたないですね。六十数年かけて固まった性格のようなものです。小学校6年間で家庭学習習慣を躾そこなった生徒は毎日家で勉強しないのが習慣となりなり性格にまでなっています。中学生になってから変えるのは至難の業です。ましてや、学校の先生を長く続けて校長先生になった方を変えてみようとは思いません、無理だからです。だから、そのままで結構だと、後は自分の問題です。他人は自分の思うようにはならないものです。ましてや自分をや。

②の論点は、わたしに関してだけ述べてみたいと思います。問題意識とその解決策との間の「距離測度」を問題にしておられます。距離を測りそこなっていると判断されたのでしょうか?

問題点を単純化してみたらわかりやすくなるかもしれません。
わたしが問題にしたのは、
(1)西欧経済学(A.Smith、D.Ricard、K.Marks)を根底からひっくり返し、西欧の価値観の呪縛から経済学を解放すこと、すなわち新しい経済学の展望を拓くこと
(2)日本は縄文以来1.2万年の歴史で、初めて長期にわたる人口縮小時代を迎えて、日本的価値観をベースにした経済学が必要。

経済学はすでに時代状況に合わないものになっています。
これら二つの問題意識がわたしの根っこにあります。
アダム・スミスが1776年に『諸国民の富』を書いていますから、240年の歴史をもつ経済学からその公理系を析出し、日本的価値観で書き換えることで21世紀の経済学を創造することにありました。240年の学問的蓄積を根底からひっくり返すことという点が問題を理解する上で重要になります。スパンが長いのです。
縄文時代以来1.2万年で初めて出来(しゅったい)した人口減少という事態に対処できる経済学とは何かと云う問題意識が根底にあります。これも1.2万年に一度の大転換という実に長いスケールで経済学の課題を捉えています。

これら二つのような事象、あるいは問題を、企業戦略目標や企業戦略で考え、判断すること自体に無理があります。
企業戦略は5年、実行計画は3年、それと年度計画(予算)がセットになっているのが通常のやり方です。

こうして比べたら、企業戦略の観点から、わたしのしていることを理解するのは無理であると言わざるをえません。

わたしは、産業用エレクトロニクス輸入商社に在職していたときも、臨床検査最大手のSRLに居たときにも、10年、20年先を考えながら、長期経営計画や年度予算の管理をしていました。プロジェクトが持ち上がり、それに参加しているときも、10年20年先、学問的にも世界最先端の部分を突き抜けようと野心的な試みを組み込んでいました。だから、同僚の一人が、「ebisuさんの言っていることややっていることはそのときにはわからなかったが、10年たってようやく意味がわかる」、東証Ⅱ部上場準備で1983年に入社した同じ年齢の友人のありがたい言です。

わたしがやっていることは、企業戦略で用いた方法では測度できないでしょう。その範囲では「可測」ではないのです。

さて、ここまで書いてこれら二つ目の問題に半分程度お答えできたのではないかと思います。
論旨を少し変えて、[3rd]の投稿をします。

by ebisu (2016-06-18 11:06)

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<6>ebisu

[ 3rd ] 

> 物理的にお近くの村の素晴らしい個人塾の先生、私叱られた先生は問題提起と課題プロセス提案と実践が同期しているように思えます。だから会いに行きたいとは思ったこともありますが、あまりに課題解決策に隔たりがあり、この私の状態では無理な挑戦だと諦めました。

ZAPPERさんですね。慥かに問題提起と課題プロセス提案は同期していますよ。
課題解決策は、koderaさんは、小学生のときのシチズンシップ教育に求めているので、ZAPPERさんと隔たりがあると誤解したのかもしれませんが、そうではありません。

野外活動の重要性かれは十分に知っており、またやってもいます。バドではありませんが、野外で昆虫やザリガニやカエルなどを子どもたちと採って遊んでいます。畑で作物を作る、土をいじることの大切さも、事業化を展望に入れながら実践しています。世のため人のため、実践の人なのです。
koderaさんと、隔たりは小さいようにわたしの目に映っています。

ブログの投稿欄だと、言葉だけのコミュニケーションですから、つい発言が過激になります。書いてある数行のことが癇に障っただけのことです。顔を見ながら話したら、そういう誤解はほとんど生じませんよ。(笑)

幸い、わたしはZAPPERさんとも貴兄とも、会って話をしていますから誤解のしようがないわけです。
バドの指導もC中学校体育館で横に居て見させてもらっていますから、koderaさんの人柄、(バドクラブ運営)能力の一端に関する情報量が多いので、誤解の余地が小さいだけ。
ZAPPERさんは年齢はわたしよりも一回り以上若いエネルギッシュな人です。

話がどんどんずれていきそうなので、これくらいにします。

まだ論点が残っていますので、それを片付けましょう。
by ebisu (2016-06-18 11:29) 

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<7>ebisu

[ 4th ]

盛りだくさんの投稿でしたので、分割して採り上げています。
さて、手際が悪くて前後してしまいました、悪しからずご了承ください。(笑)

> コツコツやるは課題解決策をコツコツやると言うこと。経済なら顧問か経営者になり、村おこしのベンチャーをするしかないし、今日の記事のようなメディア批判なら本を出してベストセラーにするのが一番かも。

山本七平さんはベストセラーを書きました。わたしにはこういうことをテーマに本を一冊書き、それがベストセラーになるなんてことは考えられもしません。
 山本七平さんは山本七平さんであればいいし、貴兄は貴兄らしくあればいい、ebisuには(できる範囲で)ebisuのやるべきことがあります。それは天が決めることだと考えています。わたしがあれこれ小細工する必要はないのです。

ライフワークは、マルクスの経済学体系構成法が理解できたところで行き詰まり、博士後期課程でも解決のつかない問題だと判断したのです。それを超えるには問題意識を持ち続けて、自分の身体を通して日本経済の現実を体験してみるしかない、その中から何かをつかみ出せなければそれまで、そこから先は天任せでした。

省みるとコツコツやってきたとは言えません。夢中で仕事していました。業種を変えて転職を繰り返して、マルクス経済学を根っこからひっくり返す方法が結果として運よくつかめただけのことです。
課題解決策は日本経済を新しい経済学で根底から変革すること、そしてそれを世界に示すことで、発展途上国と先進国を同時に救うこと、人工知能の脅威から人類を救うことです。
そんなことを、一人の短い人生の中でやれるなんて考えていません。
来るべき日が来たら、ネット上にぶら下がっているわたしの論を覚えていてくれる人がいる、それだけで十分です。
いままでの経済学のどの本も役に立たなくなる日が来ます、そのときに道しるべのひとつになればいいのです。
by ebisu (2016-06-18 11:49)
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<8>ebisu

[ 5th ]

都知事の舛添氏が反面教師となってくれています、安倍総理も、だからこそ小欲知足がいい。有名になりたいとか世に知られたいということに執着が生まれたらそこから苦が生起します。

> 管理人さんは塾の先生と経済論著者として世に出て欲しいと願うだけ。私はずっとこのブログでお願いしてきたことです。
 お願いする身ですから、やるやらないは相手次第、祈るしかできません。

お願いされた件ですが、書き手としては鈴木さんの方がいいと思います。いまやっている最中ですから、克明に記録をつけて出版されたらいい。わたしのほうは記憶が前後していたり、あいまいだったりしています。書いて整理をしてみましたが、あやしい。
鈴木さんはわたしの書いたものを見るよりも、ご自分が抱えている問題を観察すればよろしいのではないでしょうか。
先入見なしに事象をちゃんと観察するには、余計な情報を入れないほうが賢明です。

仕掛けとしては、あの分野の本はニーズが大きいので売れる可能性があります。鈴木さんの編集の腕はしっかりしています。彼の仕事としてふさわしいのではないでしょうか。

60代後半のわたしが「世に出る」必要はありません。わたしは自分の役割を果たすだけ、あとは天任せです。無責任のつもりはありません、それがベストだと判断しているからです。
上場会社の役員になるチャンスは3社で3度ありましたが、興味はなかったのです。企業でもそう、学問でも同じことです。

20代から人生を三つに区切って考えていました。
(1)学問に励む季節
(2)仕事の季節
(3)世のため人のために働く季節

いつまでも人のお役に立つことはできません。身体も脳も老いていきます。最後は人様のご厄介になりなるのでしょう、それができるだけ短いことを祈るのみです。

後ひとつ残っています、「追記」として書かれた部分です。
by ebisu (2016-06-18 12:09)

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<#9>ebisu

[ 6th ]

これがkoderaさんへの投稿へのお答えの最後になります。
(あとでまとめて本欄へアップします)

一億総批評家でいいのではないですか、立派なものです。

>追記です。一億層批評家の国だから、ましな国になりません。批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。

1億総批評家になれる国は日本だけです。それだけ国民の「読み・書き・そろばん」能力が高いということです。
わたしは肯定的に理解します、その基礎学力の高さが国力の源であるからです。

ここで、話は振り出しに戻ります。
1億総批評家であるとして、「空気」に支配されて「水を差す」論がでなくなることが大問題です。似たような論が10あろうが1億あろうが、意味ありません。山本七平氏は優れた社会学者でもあったのだろうと思います。日本と云う国の社会現象の本質を突き止めています。

>批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。

おおよそ千人に一人、0.1%の人たちが突き抜けた議論をしてくれたら十分ではないでしょうか。それが「水を差す」ことになればよい。

「グローバル経済社会」が自滅しなければ人工知能による人類絶滅の運命が待っていますから、そいう経済体制での生き残りを考える必要はなさそうです。オールオアナッシングです。
失業の拡大で一部の地域(たとえばヒマラヤの奥地)を除いて急激な人口縮小がおきます。絶滅に等しい、それがグローバル経済社会の近未来です。百年はかからないでしょう。
日本人にも人類にも暗澹たる未来が訪れる可能性があります。
あとは天の思し召し次第です。
やるだけのことをやったら、天任せですよ。

「資本論と21世紀の経済学」は3版を書くつもりです。だいぶ体裁がよくなるでしょう。第3版の必要がなければ天がわたしの寿命を召し上げます。日本人はたくさん居ますから、やるだけやれば、後の心配は要らないのです。

by ebisu (2016-06-18 12:38) 
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<#10>koderaさん

 まだ追記のコメントバックは見られていません。でもそれ以外は読みました。そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。
 Zapper先生でしょうか。その通り。でも一致があるかはダメでしょう。私はバドしかできないし、教育関連はバドだけです。私が言えるのは市民クラブ、ただで、父兄同伴で、バド、毎週の条件があります。一つでも欠けると話は全く別になる。4条件の小論技法も条件になります。6ではいけないのです。すみません。
 距離測度と言う言葉が間違っていたのかも。むしろ4次元空間と言うべきでした。違う空間なのです。彼の空間で考えると素晴らしいと認識できる思っています。彼はそのまま老いていけばいいと管理人さんの言う通りに思っています。悪しからず。
 さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。
 皆さんの迎合は上辺だけですよ。貴方が都合よい論旨を言っていそうだと理解できているでしょう。管理人様は性善説の人、甘いですね。 失敗の回数が私に比べて二ケタは下でしょうね。あまり騙されていませんね。
 ebisu先生の経済論はロボットたちが解析して有効利用してくれるでしょう。確かにそれも論旨の範囲。でも、私は人しか興味なし。
 だから親鸞であり、円了に憧れる。そう言えば二人とも野垂れ死になったようなもの。円了の教えなど誰も真に理解していない。だって誰もしていない。
 親鸞や偉い坊さんや偉い将軍の話は全部のちの世の誰かが自分のために書いた伝説と同じです。聖徳太子だって本当に存在したか分からないし、家光が偉かった、天下のご意見番がいたも私は信じられません。史記と同じです。論語すら怪しい。故事成語など都合よい解釈でよ。日本も中国も韓国もです。
(ebisu注:故事成語なかでも論語は人によってずいぶんと解釈に幅があります、それぞれご自分の人生観にひきつけた解釈がなされているようにわたしも感じます。時代を超えて伝わるものは、それぞれの時代に合わせて読み替えができるようなもののように思えます、それが「普遍性」と云うこと。)
 鈴木さんと一緒に私は歩まない。彼は一人で歩んでいるから、彼の要求条件を分析し解析し、課題解決策を定義しているだけです。ついでにお布施だけあげています。
 私はバドクラブと本の販売。昔の本のコピーでも良いのです。仕事で彼からお金を頂いておらず、私は市場調査費を払っているだけ。私の経費で。
 本が彼の本業であるかは彼しか分かりません。多分、生活費は別の業務でしょう。そちらが本業です。そう思ってあげないと彼に失礼になるからです。彼は親を二人面倒を見ています。田舎から認知症の二人を預かった。彼は娘のために働いています。奥さまは私の妻と同じ身障者です。彼が炊事洗濯の家事の管理をしています。
 私は親鸞のように誰も信じていません。依存しないのです。円了の真似をして世界各国講演をしてきたつもりです。腰が痛くてできなくなっただけです。誰にも依存はしたくない。寄付なら受けますが。でもその寄付は、お金ではなく、場と聴衆を作ってくれることです。
 場も聴衆もできないのは私の不徳、自業自得です。だから仕方ない。誰も恨まないし依存もしたくない。棺桶で救われるだけが望みで良いのです。私がお陀仏になるまで管理人さんに期待している、で良いのです。すみません。
by tsuguo-kodera (2016-06-18 13:15) 

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<#12>
koderaさん

>そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。

これはその通りです、わたしは貴兄のコメントを読んで理解しているだけで、マインドリーダではありませんから、心の内が読めるのかと問われたら、読めませんとお答えするしかありません。書かれた物に、お会いしてお話したときの印象を重ね合わせることができるのみです。

>さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。

厳しいご指摘ですね。
わかりやすい文章だと思うのですが、わたしの思い違いでしょうか?
過去40年ほどのコンピュータの発達に関しては、貴兄のブログへコメントをしました。5/21「スモールビジネスコンピュータ」というタイトルの記事へのコメントでした。
指数関数的な性能向上を具体的なチップの性能を取り上げて整理しましたが、あれには同意いただけました。このまま後30年指数関数的な性能アップがあれば、AIは人間の脳を超えてしまいます。人間を超える知性を人類は神と呼んでいます。
指数関数的な変化は時間が経つほど、人間の想像力を超える変化を生じることも過去の性能アップから容易に推測できることは理系の貴兄には言わずもがなでしょう。

道は二つあります。グローバリズムを推し進めて、AIの支配する世界へ突き進むか、日本の伝統的な価値観に基づく経済学を道標にして、クローズドな地域の連合として経済社会を再編成するのか、人類には二つの道があるとわたしは考えています。後者が選択できるように、わたしは自分のライフワークをもう一歩前へ進めます。それが「資本論と21世紀の経済学」第3版です。

SRL時代にわたしの書いたシステム関係仕様書や稟議書はわかりやすいことで定評がありましたが、「貴方の文章を理解できる人はいません」と言われたのは初めてです。頭のよい貴兄が誰にも理解できないと云うのですから、わたしの書き方、論理展開、論旨にどこか無理があるのでしょう。
理解できない箇所を数箇所指摘していただけたら、ありがたい、文章修行になります。

>私は親鸞のように誰も信じていません。

親鸞は誰も信じていなかったでしょうか?五木寛之の『親鸞』が北海道新聞に連載になったときに楽しく読みました。人への信頼がしっかり書かれていました。記憶が定かではありませんが、「つぶての弥七」とかいう人が出てきたでしょう。
そして貴兄には「中村師匠」がいました。
何人かの人に信頼を裏切られてことはあったのかもしれませんが、そんなことはどなたの人生でもあることではありませんか?
13時15分のコメントは、なんだかお疲れのご様子とお見受けしました。体調は大丈夫ですか?
by ebisu (2016-06-18 23:47)

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<#13>

後志のおじさん

懐かしい単語です、aufheben。1960年代後半に大学生の間で流行ったドイツ語です。高校生のために訳語を書いておきます「止揚」あるいは「揚棄」。1960年代後半は学生運動の季節でした。団塊世代が大学生だったときの流行語、ヘーゲル弁証法なんて読んだことがなくても、カッコつけたくて使う人が少なくありませんでした。

山本七平氏の著作を全部お読みになっているのですか、驚きです。社会現象を扱うのが上手な人ですね。アカデミズムの側の人間ではありませんが、社会学者に分類してよいのでしょう。アカデミズムの側の社会学者と比べても、かなり光っています。今日読んだ高校2年生の教科書にvery quite(かなり)がでてきました。(笑)

「日本人とユダヤ人」は書名は知っていましたが、経済学を中心に本を読んできたので、社会現象を扱った本はあまり読んでいませんでした。「わたしの中の日本軍」と2冊がお薦めですか、理由が振るっていますね。

>外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

開成高校の入試問題に続いてのお薦め、本を増やすと女房に叱られるので、読んだら生徒にプレゼントします。生徒はタイトル見ただけできっと「いらない」っていうんです。何か講釈をつけてその気にさせなければなりませんね。(笑)
2年ほどで、4000冊ほどある蔵書の半分ほど処分できたらいいのですが...
女房の要求では1000冊以下にしろと、なかなか厳しい注文です。

ドイツ語の単語をみて思い出したのですが、さきほど本を読んでいたら、ヨーロッパの初期仏教経典研究で非常に優れた本があると書いてありましたが、それはドイツ語出掛かれた文献でした。30年も前に買って、2/3ほど読んでそのままになっていましたが、また興味がわいて先ほど読み終わりました。

『「阿含経」を読む 近代仏教への道』増谷文雄著 角川書房昭和60年発行 260ページ

Oldenberg, 1854-1920
Buddha, sein Leben, sine Lehre, seine Gemeinde, 1881

読んでみたい本です。翻訳があるかな?英訳でもいい。塾をやめたら暇ができるから、そのときにドイツ語で読むのもいいかも。
本は読まないほうがいい、1冊読むと読みたい本が3冊殖えます。(笑)
by ebisu (2016-06-19 00:19) 
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<#11>後志のおじさん
Nobody knows me!

And then?

Anyone who uses the word , farmer, as a word for disdain, always concluding his or her comment sounds like a hypocrite to me, A farmer who is proud of being a farmer !


で、話を本論に戻しまして、

山本七平氏の著作はベンダサン名のものも含め全て読みました。何度も。

彼の社会学的考察は誠に鋭いものと、「百姓」の私には思われました。

が、私は「英語しか能がない」らしいですから、山本氏の世界の中での外国語の部分だけコメントしますが
(ebisu注:だまされてはいけません(笑)、英語のスキルだけではありませんよ。後志のおじさんは外交史の専門家です。某コンピュータメーカに勤務していましたが、いつからか存じませんが、後志管内で農業をする傍ら、近隣の子どもたちに英語を教えています。)

英語(というより外国語)に対する山本氏の見解の鋭さがベンダサン名での「日本人とユダヤ人」に述べられており、私はその見解をaufheben する形で自分の中の英語(というより外国語)の世界を組み立てた。とお伝えしておきます。

外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

「日本人とユダヤ人」「私の中の日本軍」は読んでみてください。

by 後志のおじさん (2016-06-18 22:05) 

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<#12>
koderaさん

>そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。

これはその通りです、わたしは貴兄のコメントを読んで理解しているだけで、マインドリーダではありませんから、心の内が読めるのかと問われたら、読めませんとお答えするしかありません。書かれた物に、お会いしてお話したときの印象を重ね合わせることができるのみです。

>さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。

厳しいご指摘ですね。
わかりやすい文章だと思うのですが、わたしの思い違いでしょうか?
過去40年ほどのコンピュータの発達に関しては、貴兄のブログへコメントをしました。5/21「スモールビジネスコンピュータ」というタイトルの記事へのコメントでした。
指数関数的な性能向上を具体的なチップの性能を取り上げて整理しましたが、あれには同意いただけました。このまま後30年指数関数的な性能アップがあれば、AIは人間の脳を超えてしまいます。人間を超える知性を人類は神と呼んでいます。
指数関数的な変化は時間が経つほど、人間の想像力を超える変化を生じることも過去の性能アップから容易に推測できることは理系の貴兄には言わずもがなでしょう。

道は二つあります。グローバリズムを推し進めて、AIの支配する世界へ突き進むか、日本の伝統的な価値観に基づく経済学を道標にして、クローズドな地域の連合として経済社会を再編成するのか、人類には二つの道があるとわたしは考えています。後者が選択できるように、わたしは自分のライフワークをもう一歩前へ進めます。それが「資本論と21世紀の経済学」第3版です。

SRL時代にわたしの書いたシステム関係仕様書や稟議書はわかりやすいことで定評がありましたが、「貴方の文章を理解できる人はいません」と言われたのは初めてです。頭のよい貴兄が誰にも理解できないと云うのですから、わたしの書き方、論理展開、論旨にどこか無理があるのでしょう。
理解できない箇所を数箇所指摘していただけたら、ありがたい、文章修行になります。

>私は親鸞のように誰も信じていません。

親鸞は誰も信じていなかったでしょうか?五木寛之の『親鸞』が北海道新聞に連載になったときに楽しく読みました。人への信頼がしっかり書かれていました。記憶が定かではありませんが、「つぶての弥七」とかいう人が出てきたでしょう。
そして貴兄には「中村師匠」がいました。
何人かの人に信頼を裏切られてことはあったのかもしれませんが、そんなことはどなたの人生でもあることではありませんか?
13時15分のコメントは、なんだかお疲れのご様子とお見受けしました。体調は大丈夫ですか?
by ebisu (2016-06-18 23:47)

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<#13>

後志のおじさん

懐かしい単語です、aufheben。1960年代後半に大学生の間で流行ったドイツ語です。高校生のために訳語を書いておきます「止揚」あるいは「揚棄」。1960年代後半は学生運動の季節でした。団塊世代が大学生だったときの流行語、ヘーゲル弁証法なんて読んだことがなくても、カッコつけたくて使う人が少なくありませんでした。

山本七平氏の著作を全部お読みになっているのですか、驚きです。社会現象を扱うのが上手な人ですね。アカデミズムの側の人間ではありませんが、社会学者に分類してよいのでしょう。アカデミズムの側の社会学者と比べても、かなり光っています。今日読んだ高校2年生の教科書にvery quite(かなり)がでてきました。(笑)

「日本人とユダヤ人」は書名は知っていましたが、経済学を中心に本を読んできたので、社会現象を扱った本はあまり読んでいませんでした。「わたしの中の日本軍」と2冊がお薦めですか、理由が振るっていますね。

>外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

開成高校の入試問題に続いてのお薦め、本を増やすと女房に叱られるので、読んだら生徒にプレゼントします。生徒はタイトル見ただけできっと「いらない」っていうんです。何か講釈をつけてその気にさせなければなりませんね。(笑)
2年ほどで、4000冊ほどある蔵書の半分ほど処分できたらいいのですが...
女房の要求では1000冊以下にしろと、なかなか厳しい注文です。

ドイツ語の単語をみて思い出したのですが、さきほど本を読んでいたら、ヨーロッパの初期仏教経典研究で非常に優れた本があると書いてありましたが、それはドイツ語出掛かれた文献でした。30年も前に買って、2/3ほど読んでそのままになっていましたが、また興味がわいて先ほど読み終わりました。

『「阿含経」を読む 近代仏教への道』増谷文雄著 角川書房昭和60年発行 260ページ

Oldenberg, 1854-1920
Buddha, sein Leben, sine Lehre, seine Gemeinde, 1881

読んでみたい本です。翻訳があるかな?英訳でもいい。塾をやめたら暇ができるから、そのときにドイツ語で読むのもいいかも。
本は読まないほうがいい、1冊読むと読みたい本が3冊殖えます。(笑)
by ebisu (2016-06-19 00:19) 

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*#3331 「空気」に「水を差す」  June 17, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-17


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