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#3043 コミュニケーション能力とは何か(3):理系と文系のコミュニケーション May 16, 2014 [仕事]

<更新情報>
 □5/16 8:30 NECシステム開発シリーズの専門書等について追記
 □5/16 23:00 HP-41CX、HP-48GX、HP-35Sの画像とコメント追加
 □5/17 0:00 追記及び文章校正作業 対象「余談-1」


 企業内でのコミュニケーションでむずかしいものの一つに、理系と文系職種間のコミュニケーションがある。わたしの体験が普遍性をもつかどうかは、お読みになった皆さんが判断すればいい。

 1979年9月にAは軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入専門商社に中途採用された。経理のスキルがあったので「経理担当取締役付き」のスタッフ採用。

 二代目社長のSさんは自分が旗を振る財務委員会の下に次の6つの委員会を設けた。
 ①長期経営計画委員会
 ②資金投資計画委員会
 ③収益見通し分析委員会
 ④為替対策委員会
 ⑤利益重点営業委員会
 ⑥電算化推進委員会

 各委員会は、役員全員と部長が一人、課長が東京営業所長と女性の業務課長の2名、そして中途入社したばかりの社員のAで構成されていた。このうち⑤の利益重点委員会を除いた5委員会の実務がAに任された。簿記1級はもっていたが、大学院で理論経済学(マルクス経済学)を学んだことを承知で、これだけの仕事を任せてくれた2代目社長、大きな賭けだったのだろう。40歳代半ばで、経営者としては自力での財務体質の変革と経営改善に限界を感じていたようだ。負荷の大きな仕事をいきなり任されたので、わたしは自分の能力を大きく飛躍させるチャンスをいただいたのである。どんな会社を選んだとしても、これだけの仕事を任せてくれるオーナ社長は日本で彼一人だったと確信している。二代目社長の放った矢は見事に的を射たのである。会社の財政状態と経営成績はその後3年間で劇的に変わった。
 委員会は全部所期の目的を果たして、2年後に解散した、次の段階は企画を実行に移すことだった。
(業務単位で独立に開発したシステムを統合してしまうことも大きな課題となった。そのために会社は1983年に電算室を新設し、わたしを管理部から統合システム開発要員として電算室への異動を命じた。たった一人の新設部署だった。さらに大きな経営改善をするために統合システムの開発が必要だったのである。)
 利益重点委員会はE藤東京営業所長が実務を担当した。円定価システム開発だったので、そちらも手伝った。受注時の為替レートと仕入レートと決済レートが異なるために、為替変動の影響を受け、円安になると為替差損を出し赤字転落、円高になると為替差益で利益が増えるという経営構造の会社だった。だから、まじめな努力が実を結ばない、ばくちをやっているような経営状態だったのである。
 為替変動から会社の業績を切り離すための円定価システムであると同時に、営業マンが見積書を提出するために時間の半分を割き、営業活動時間が少ないことを改善するという目的もあった。円定価表を元にして見積書が簡単に作成されるようになった。それまでは営業マンが納期やその間の為替変動を考慮してそれぞれ勝手な為替レートを使って見積もり計算をしていた。E藤東京営業所長はそこに目をつけていたのである。営業事務改善がやれる営業課長はめったにいない。営業でも実力ダントツのナンバーワン、某メーカから10年間50億円の受注を狙って獲得するような凄腕の持ち主だった。徹底して考え抜く姿勢は数年勤務していた京セラの稲盛さんの薫陶かもしれない。

 この会社の営業は一人の高専出身者を除いて、全員が理系の大卒である。販売した機器の修理と新規商品の開発を担う技術部門がある。技術部門の責任者はN臣課長で営業部門に出色のE藤課長がいた。わたしが一緒に仕事をした中では、このE藤さんの右に出る営業マンはいない。気があった。

 Aは当初1年間は経理部長付きのスタッフだったが、1年後には新設された管理部所属となり、さらに1983年には新設の電算室へ異動、統合システム開発を任された。

 収益見通し分析委員会の仕事はAが一人で担当。5年間のB/S、P/Lをベースに5つのデメンション、25項目の指標を使った当時最先端のレーダチャートモデルをつくった。このレーダチャートは目標設定用に使えるものであり、もちろん結果についても検証可能なツールであった。5群の目標偏差値を設定し、その結果(到達度)を同じゲージの25のレーダチャート指標にブレイクダウンした偏差値で確認できる優れものである。経営管理ツールとしては最強だった。1979年に開発したものだが、これに匹敵するツールを開発して経営管理をしている会社は日本にはいまだにないだろう。

<3プログラミング言語の習得>
 モデル構築には科学技術計算用のプログラマブル計算機HP67とHP97(HP67にプリンタの機能の付いたもの)を使ったので、逆ポーランド方式のプログラミングを覚えた。レーダチャートは線形回帰分析を多用し、25指標は尺度が標準偏差で調整され、25指標を5群に分けて群単位で偏差値評価のできるモデルだった。HP-67は、電卓で計算しているAを見かねて入社、1ヶ月目に社長が買ってくれた。Aは1週間後にはプログラミングをマスターして使いこなしていた。この製品には400ページを超える英文のマニュアルが2冊ついていた。1週間で使いこなしたのを確認した社長は11月の米国出張の「お土産に」プリンタ付きのHP-97を買ってきてくれた。ある朝、机の上にHP-97がおいてあるので、秘書に訊くと「社長がAさんにとおっしゃっていました」、うれしかった。入力データやブログラムをプリントしてチェックできる。作業効率はさらに上がった。
 中途入社翌年の1980年には三菱製のオフコンの言語、COOLを習得した。ダイレクトアドレッシングの原始的な言語で、3桁の数字ブロック4つでコマンドとオペランドが構成されていた。このコンピュータも、三日間の講習会へ行かせてもらい、自分でプログラミングするようになった。その後、コンパイラー系のマシンを導入し、1981年にはコンパイラー言語のPROGRESSⅡという言語をマスターした。

<統合システム開発:必要な技術書群の読破>
  この会社にいたのは5年と4ヶ月間だったが、三つのプログラミング言語を習得しただけでなく、システム開発の専門書を数十冊読んで、統合システム開発に利用した。NECから出版されていたシステム開発シリーズ本は5~7冊はあったと思うが全部読んだし、岩波書店からも2度コンピュータシリーズが刊行されたので、それらも全巻そろえて必要な巻には目を通した。統合システムという当時は先端システムの開発だったので、翻訳がまだされていない米国で出版されたソフトウェア工学専門書も読んだ。
 Software Engineering, Martine L. Shooman, McGRAW-HILL, 1983).
  興味に任せて、人工知能関係の専門書、Artificial Inteligence (Elaine Rich、McGRAW-HILL, 1983)を読むと同時に、チョムスキーの構造言語学関係の翻訳のない著作を数冊読み漁った(文法工程指数の高い圧縮された英文を日本語にするときに、チョムスキーの生成変形文法がいまでも役に立っている。生成変形文法は大学院受験の際に板橋区立図書館で勉強するときに書架の中から見つけて、10日くらいかかって1冊読んだのが最初である)。
 大野照男:『変形文法と英文解釈』 千城書房 1972年刊
 Andrew Ranford:Transformational Syntax,  Cambridge Textbooks in Linguistic  1988
 V. J. Cook:Chomsky's Universal Grammar, An Introduction, Blacwell 1988
 Knowledge
 Noam Chomsky: Kowledge of Language Its Nature, Origin, and Use PRAEGER 1986

 システム開発で大事なことはスケジュール管理である。目標期限どおりに本稼動するためには厳格なスケジュールの管理をしなければならない。だからこの分野ではRERTの専門書を読み、その技術を利用した。Program Evaluation and Review Technique の略である、この本は日本で出版されているものを読んだ。strutured codingに関する本もプログラミング以外でも役に立った。実務フローチャートは日能方式と産能大方式の両方をマスターした。たまたま組んだソフトハウスが異なる方式のものを導入していたので、それぞれに合わせた。相手に使う技術を合わせることは、大きな目で見て成長を助ける。だからこういう方面ではこれでなければ嫌だというようなことは決して言わない。
 システム開発はさまざまな技術の集合でその質が決まる。個別のシステム開発関連技術の習得をおろそかにしてはいけないのである。輸入商社の5年間と、臨床検査センターSRLで統合システム開発を担当した最初の1年間は、ずいぶんとシステム関係書物を読んで、それらの技術を片っ端から実務で利用していた。SRLに入社した1984年に統合システム開発を担当して、課長から「必要ないだろう?」の一言で、それまで1年間ほど大手監査法人のシステム担当公認会計士を切った。役に立たぬ素人だったのである。課長は同じ大学出身で3年次で公認会計士に合格したK本さんと同期だったが、よく見抜いていた。Aは両方の専門技術をマスターしていたから、経理もシステムも応援は不要だった。

<仕事では業界トップレベルのSEとお付き合い>
 統合システム開発という仕事に関することだけでも国内で出版されている本では間に合わなかったのである。したがって、外部設計だけでなく、内部設計の知識も実務で使えるくらいあった。3言語のプログラミングを習得していので、内部設計に関する専門書も難なく読めたのである。
 仕事でお付き合いしたSEはオービック、日本電気情報サービス、NCDと3社あったが、それぞれトップレベルのSEとのみ仕事した。オービックのSEもNCDのSEもどちらもほどなく取締役となっている。そういうSEでなければ当時は統合システムを開発することはできなかった。パッケージは存在せず、全部作りこみをしたのである。私の役割は実務フロー設計をすること、外部設計書と外部設計に関わる部分のプログラミング仕様書を書くところまでで、内部設計はそれらの担当SEにお任せした。
 システム開発で期限を守れなかったとか、トラブルがあったことはない。一発で完全な立ち上げになるような仕事の段取りができたからである。テスト仕様書を書きテストデータまで作成したこともある。
 1984年2月初旬に臨床検査会社のSRLへ転職して、統合システムのうち財務及び支払い管理システムを任されたときには、米国で開発された会計情報システムの中身を知りたくて、Accounting Information Systems  Theory and Practice, Fredirick H. Wu, 1984 を読んだ。大判の600ページのこの本は実際の開発業務に役に立った。 

<会社取り扱い製品の専門知識の習得>
 この会社(輸入商社)は海外メーカ五十数社の総代理店契約があったので、毎月さまざまなメーカがエンジニアを派遣し、新商品説明会を開いてくれた。もちろん英語である。マイクロ波計測器、ミリ波計測器、光計測器、時間周波数標準器、質量分析器、液体シンチレーションカウンタなど扱う製品はさまざまだったが、基本的にはどの機器も、ディテクターとデータ処理部とインターフェイスで構成されていたから、データ処理部のコンピュータを中心にデータのやり取りを見ていくだけで、おおよその機能は理解できた。共通パターンがわかってしまえば、理解は速くなるし、相互の特徴を比較できるから理解は深くなる。

<基礎技術の定例勉強会と営業や技術部社員とのお付き合い>
 営業系の社員の95%は理系大卒、そして技術部の社員も全員理系大卒だった。毎月一度東北大学の助教授がマイクロ波計測器についての原理的な講習会を開いていたので、それも参加した。営業と技術の人間のみ、管理部門からの参加はAのみであった。そのうちにデータ処理部や機器制御用コンピュータにかんしてわからないことがあると、Aに訊く営業マンが出だした。
 予算を統括しているのは通常経理部長だが、この会社はAに長期経営計画の策定と年次予算編成を任せた。管理部門の社員は技術的なことはわからないのが普通だから、会社の取り扱い製品を熟知しているAは営業からも技術部員からも飲み会へのお誘いが増えた。仕事の話が通じるのである。技術課長のN臣さんやA木君、1980年ころにマルチチャンネルアナライザーを開発者し後に独立したN中さん。東京営業所長のEさん、大阪営業所長のS藤さんなど、皆さん理系の人だが会社の取扱商品に関する知識が深まるにつれて、コミュニケーションがよくなった。仲間の一人として認めてくれる。これには、技術課長のN臣さんと東京営業所長のE藤がAを自分たちの部署の飲み会に頻繁に引き回してくれたことが大きい。「Aさん、放課後30分時間ある?」E藤さんがそういうときは決まって午前様になった。

<輸入商社向けパッケージシステム開発でのオービックSEからのお誘い>
 オービックのSEとも専門用語で話が通じる。S沢さんは後にオービックの取締役になった。S沢さんから輸入専門商社をやめてから1ヶ月目くらいに、取引先の輸入商社にわたしが開発したシステムが20セットほど販売可能だから、パッケージにしないかとお誘いを受けた。開発した統合システムは受注時の換算レートと仕入れ時の換算レートをある数式で連動させて、それに為替予約を組み込むことで、為替変動から会社の業績を切り離すことに成功し、毎期2000万円ほどの為替差益が出るような仕組みのものだったのである。売上高粗利益率(SMR)は2年間で28%から38%に10ポイントも拡大した。40億円の売上規模で利益が4億円も増えてしまった。最終的には43%ほどの粗利益を組み込むことができる優れものだった。出た利益は社員と株主と内部留保に三等分することを提案し、オーナ社長の了解をもらい、取締役会で決定して社員にアナウンスした。b-ナスが安定すると同時に、うんと増えたから、家が買えると社員が喜んでいた。社内の活気がまるで違った。円定価システムで営業事務量が数分の一になったので、売上も増大したのである。
 S沢さんからのせっかくのお誘いではあったが、職を辞して1ヶ月で新宿西口にあるニッセイビルの22階、SRL本社に転職していたので、お断りした。同じ業界に関わる仕事はしたくなかった。
(他にもS部長から、帝人のエレクトロニクス子会社へ就職紹介があったし、日商岩井出身の総務部長からも紹介があったが、リクルート社を通してすぐに再就職先を見つけたので、ありがたいが丁重にお断りした。二つとも課長ポストを用意してくれていた。ある件でオーナー社長と意見が衝突して、とづぜんの辞職に何人かの人が心配してくれたのである。)

<異分野コミュニケーションの土台はたしかな基礎学力>
 こうしてみると、異分野の人々との仕事のコミュニケーションは相手の専門分野を理解する能力をもっていてはじめて成り立つものだということがわかる。専門用語での会話が成り立つと、実に短時間で誤解のないコミュニケーションが成り立つ。極端な例を挙げると、3日掛かることが15分ですんでしまう。
 相手の専門分野を理解できる基礎的学力が仕事上でのコミュニケーションには欠かせない。

 SEの上にKEという職種があるが、異分野の相手と一緒に仕事をして1年間もすると、相手と同等の専門知識を身につけている人のことをいう。知識エンジニア。
      Knowledge Engineer

 近い存在であったとはいえるが、わたしがKEであるとは言わない。ここで大事なことは、相手の専門分野について専門用語の基礎的知識があるだけでも異分野コミュニケーションは実にスムーズに行くという事実である。その程度のことならAにも可能だったというわけ。

<余談-1>
 マイクロ波計測器に関する知識は、臨床検査会社で購買課機器担当になったときや学術開発本部スタッフとしてラボ見学担当になったときに絶大な力を発揮した。臨床検査に使われている理化学分析器の基本的な構成はマイクロ波計測器と一緒だったのである。臨床検査に使われる理化学機器は制御系やデータ処理部に使われるコンピュータの性能が10年以上も遅れていた。特に機器制御とインターフェイスが致命的に遅れていた。さまざまな検査機器の大きな違いはディテクターの周波数が異なるだけ。RI、490nmの蛍光、赤外線、原子吸光、ガスクロとさまざまだった。
 RIの統計的なデータ管理システムも資料に目を通して、現場で確認しただけで理解できた。ほとんどがすでに知っていたのである。学術開発本部のI神取締役がAに海外のからのお客様のラボ見学を担当させると言ったときに、ラボ見学を担当していた学術情報部の担当者三人が反対した。3000項目もある臨床検査の関する適確な説明を、3年前には全社予算の統括をやり、1年前まで購買課機器担当だった男にできるわけがないというのが理由だった。I神取締役は、一度Aを三人のラボ見学に同行させた後、次に三人がA同行してAのラボ見学案内の様子をモニターして結論を出すことを提案した。
 いきなりお客様を連れての2時間のラボ見学案内をAがやったあと、I神取締役は担当3人に聞いた、「それでどうだ、やれないか?」、「いいえ、大丈夫です」と答えたようだ。I神取締役は笑っていた。この人は理系のドクターで、青山学院理工学部で有機化学を教えていたことがある。そもそもAを学術開発本部に引き抜いたのはAが仕事時間中に暇をもてあまして、チョムスキーのKnowledge of Languageを読んでいたのを目撃したからで、彼が管理していた図書室にも頻繁に出入りして、海外の医学雑誌を読み漁っていたのを目にしていたからである。
 ラボ見学案内担当の3人の内の一人は営業出身で、慣れるまでずいぶん苦労したようだから、自分を基準に考えたのだろう。最初の内は営業からなんどもクレームが入っていたのを知っていた。
 Aは用意されたマニュアルに一通り目を通して、そこにはない説明をベテランの三人を同行してさまざまな検査部門でやってのけたのである。結石分析の前処理ロボットはラボ管理部のO形君(室蘭工大)と検査部門の担当者の仕事だったが、購買課で業者との調整をしていたのはAだったし、フィルタ方式の液体シンチレーションカウンタの世界初導入は、AがメーカのファルマシアLKBから特別なコネで引っ張ったものだった。RI部の真っ白いデザインのよいガンマーカウンターもAがファルマシアLKBにSRL仕様での市販を促したものだった。栄研化学のLX3000は開発最終段階の製品のインスタレーションテストをSRLでやり、半年間の独占使用を認めさせたものだが、これは栄研化学の上場準備作業に対する協力御礼として、営業マンを通じて栄研化学の取締役が配慮してくれたものだった。いままでだれにも言ってない。
 LX3000のインスタレーションチェックはデータの再現性が悪くて途中で暗礁に乗り上げた。現場からは使い物にならぬという声が上がっていた。両方から事情を聞いて、解決案を具体的に指示してことを収めた。時間周波数標準機の知識が役に立った。時間周波数標準機は水晶、ルビジウム、水素メーザなどがある。火(電源)を入れて1ヶ月ほど暖めないと規定の性能が出ない。ようするに暖めておけばいいだけのこと、必要な箇所の電源を切らないように回路を変えてもらった。そうして問題を回避しながら、再現性が悪い真の原因を取り除く時間稼ぎをしたのである。役に立たぬ勉強はないものだ。原因を取り除いてLX3000は市販にこぎつけた。SRLでデータの比較チェックをしなければ、市場に出てからクレームの嵐となっただろう。栄研化学にとっても上場間際の大事な時期だったから、大型の新製品が完全な形で市場の出せたのはうれしいことだった。こういう仕事を通じてあちこちに人脈が広がるのである。
 検査項目を度忘れしたが、細胞性免疫のリンパ球の解析装置と検査サブシステム開発も現場とメーカの間に入って見ていて、検査手順や機器の機能や監査サブシステムとのデータのインターフェイス仕様を熟知していた。
 染色体画像解析装置も処理がなぜ速いのか機器の構成をラボ管理部の担当者と共に英国メーカの技術者に質問して確認していたから説明は簡単だった。検査の処理手順についてもそのときに調べて熟知していた。
 問題が起きる都度、各検査部門に出入りして自分の目で確認し、調整していたので、どの検査部門に行っても歓迎された。必要な機器も世界最高性能のものを調べて予算をとってあげた。入社当初に全社予算編成の統括責任者をやったから、経理取締役に一言電話しておけばなんでも通してくれた。会社にとって将来必ず利益になるからである。廊下を歩いていると、検査現場から「あれがAさんだ」とまで言われた(ラボと本社のつなぎの役は果たせた。それまで本社部門とラボはなんとなく気分的に対立があった)。
 大学病院関係者のラボ見学対応をした後に応接室で雑談すると、「ところでAさんはどの検査部門でお仕事していたのですか?」と質問されるようになっていた。「上場準備のための統合システム開発」と予算編成と管理がこの会社でのわたしの元々の仕事です。入社当初は全社予算の統括責任者をやっていました、SRLの大蔵大臣でした」と告げると「え!検査部門の人ではないのですか」と言われる始末。「やりたいのですが、会社はわたしに一度も検査をやらせてくれません、そのうちにやる機会があればうれしいですね」と何度か話したがついに検査を担当する機会はなかった。

 ここでも、理化学分析器やデータ処理用コンピュータやインターフェイスに関する専門知識があることが、お客様とのコミュニケーションでも、検査現場とのコミュニケーションでも、学術開発本部内での学術情報部のラボ見学担当との間のコミュニケーションでも役に立ったのである。それらの専門知識も本をただせば、基礎学力の高さがものを言っている。どんな分野の専門書も英語と数学がある程度できれば独力で読破し、ただちに仕事で使うことができる。専門書に書いてないことが起きても、全部自前で処理できるのである。場数を踏む、経験を積むというのは大事なことだ。たいがいのことにはたじろがぬ自己が練りあがってしまう。

<余談ー2>
 軍事用・産業用エレクトロニクス輸入専門商社(セキテクノトロン)の初代は三井合同で働いていた。財閥解体に関与して最後に自分もやめて、独立した。スタンフォード大学卒であり、HP社創業者のヒューレットとパッカードの二人と同じクラスだった。その縁で日本総代理店をやることになった。横河電機とHP社の合弁会社YHPには参加せずに独立の道を歩む。二代目がわたしが仕えた社長である。慶応大学大学院経済学研究科卒、英語に堪能で品のよい人だった。その後店頭公開を果たしている。三代目はわたしが職を辞したときに一浪した後東大生だった。
 セキテクノトロンは2010年にコーンズドットウェル社の完全子会社となり、2012年に吸収合併されて消滅。業績が悪化して店頭上場廃止目前での子会社化と吸収合併だったようだから、社員は気の毒だ。この会社は2回チャンスがあったが、二つとも見送ってしまった。社長は有能な社員を使える器がないといけない。
 

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*HP-67
 実に使いやすい科学技術用プログラマブル計算機だった。シンガポール製品で信頼性が高かった。中国製品に変わってから品質が比較にならぬほど劣化した。グラフィックス機能のあるHP48GXは1年ほどで壊れたし、現在使っているHP35sもテンキーのうち「0」が強く押さないとはいらない。1990年ころ、米国から取り寄せたデータからMoM値の計算式をカーブフイッティングするのに使ったHP-41cxは1984年に経理部所属で統合システム開発をしていたときに買ったものだが、これは健在である。ROMメモリー(HP-67とHP-97は1cm×8cmほどの薄型プラスチック磁気カードにプログラムやデータを保存できた)の統計パックを含めて5万円を超えていた。これは現在も元気に動いているから、シンガポール製品だろう。
 値段は高くてけっこうだから、高機能の製品はシンガポールや日本で製造してもらいたい。

1979年の国内販売価格はHP-67が11万円、HP-97が22万円だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/HP-67/-97
Hp 67 powered.jpg


*HP-97画像
http://www.keesvandersanden.nl/calculators/hp97.php

この製品が一番使いやすかった。データとプログラムは左上のスロットからプラスチック製の磁気カードを差し込んでロードしたり、ストアする。キーが大きいのでブラインドタッチでデータ入力ができたから、作業時間を短縮できた。入力データは感熱プリンターで打ち出して、チェックできる。入社2ヶ月で二代目社長のSさんが米国出張のお土産だといってわたしにくれた。当時22万円。おかげで統計処理作業が短時間で済むようになり、時間が空いたので為替差損を回避する仕組みや為替予約をどういうタイミングでいくらやれば、実際の決済をカバーできるのか、そういう研究をする時間的余裕ができた。オフコンのプログラミング習得や、システム開発関連の専門書も近くの日本橋丸善まで出かけて、よさそうな本を片っ端から読んだ。管理会計関係の洋書は社長がやはり「お土産」として買ってきてくれた。500ページを超えるような先端の良書だった。本気でわたしに会社の経営改善をやらせるつもりだった。


<HP-41cx>
この製品はシンガポール製で、1984年に購入していまだに故障知らず、優良品である。メモリーは磁気カードから、ROMになった。ROM容量が大きいので統計パッケージはROM1個に収まる。統計パック込みで5万円くらいした。これはSRL経理部で会社の経費で購入してもらった。MoM値のカーブフィッティングに威力を発揮した。


<HP-49GX>
 この機種から中国製品、1990年ころ自分で買ったがすぐに故障した。4万円程度だった。
Hewlett-Packard 48GX Scientific Graphing Calculator.jpg
<HP-35s>
 10000円ほどで買える。表示が2ラインになっているので使いやすい。4段のスタックは慣れれば1ラインしか表示されなくても頭の中では見えているからなんの不都合もないが、初めて使う人にはこのほうが親切だ。2008年ころに購入したものだが、中国製だからゼロキーの調子がよくない。強く押さないと入力できないことがよくある。最初の3機種でこういうトラブルはまったくなかった。
Hp35s Calculator.jpg

<おまけ情報>
 HP社製の電卓は科学技術用計算機からダウンサイジングしたものだから日本製に比べて性能がいい。入力した数値を200ラインほど記憶しているから、入力データのチェックがディスプレイ上でできる。たとえば、簿記の検定試験で試算表の合計が合わないときは、ボタンを押して一つずつ入力データを呼び出して確認できる。もちろん、間違えたラインを消去して、正しいデータを再入力できるから、商業科の高校生は使ってみたら良い。値段は国産電卓製品と変わらない。
 ただ、キーが大きくて、サイズに難がある。日本の電卓と同じくらいのサイズの製品を出してもらいたい。HP-97のテンキーくらいの大きさが良い。

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*#3041 コミュニケーション能力とは何か?(1) May 10, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-10

 #3042 コミュニケーション能力とは何か(2) :<事例-2>  May 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-11


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#3042 コミュニケーション能力とは何か(2) :<事例-2>  May 12, 2015 [仕事]

 □更新情報 5/12 11:35更新 追記アリ
 □5/12 15:30 「余談」を追記
 □5/13 10:50 エピソード二つ追記
 □5/13 23:00 追記
 □5/14 0:10 余談へ検査試薬輸入ルート追記


 少し限定して論じたい。民間企業で必要とされるコミュニケーション能力とは何かというように。

 便宜上、コミュニケーション能力を二つに分割して考える。一つは、上司の言うことには異論を唱えないとか、出世がしたいので上手にゴマをするとかという類のコミュニケーション能力で、これをAタイプと定義する。
 専門知識をベースとして問題解決に役立つコミュニケーション能力をBタイプとしよう。どちらも必要な能力だろうが、社員が全員前者のようなコミュニケーション能力しかなければ、その企業はすぐに消えてなくなる。企業体質を強化し対外的競争力を高めるには後者のコミュニケーション能力を持った社員が3%もいれば十分である。

 1984年春のある日のことである。臨床検査会社に東証Ⅱ部上場準備要員(統合システム・財務及び支払管理システム開発要員)として中途採用された入社3ヶ月目の社員Aがいたとしよう。その臨床検査会社は親会社であるFR社という製薬メーカの子会社TFB社経由で新規開発項目のCA19-9用のという検査試薬材料を輸入してた。大型の新規開発項目で、この腫瘍マーカは31年後の現在でも使われている。この臨床検査会社は証Ⅱ部へ上場するので、関係会社との取引に公正なルールを設定しないと、利益移転の疑いがかかるのでどこからもケチのつかない客観的な方法で取引をしたい。こういうルートになっていた。
 海外メーカ ⇒ TFB ⇒ 日本RI協会 ⇒ SRL
 放射性ヨードで標識するので、TFBが輸入した検査試薬材料を日本ラジオアイソトープ協会で放射性ヨードで標識して臨床検査センターのSRLが購入する。TFBが輸入する検査試薬材料の$価格にいくらの換算レートを適用するか、ルールを決めるということ。恣意性が入ってはいけない。

 TFB社取締役と、臨床検査最大手のSRL社購買課長、経理課長が3ヶ月間打ち合わせを重ねるが、具体案が作れない。上場準備を担当している証券会社からはさっさと具体案をつくらなければ間に合わぬと矢のような催促。困った経理部長は、中途採用したばかりのAに三人の話を聞いて何とかしろと指示。
 Aは会議の席上で関係者から話を一通り聞いた。そしておもむろに「来週の会議には実務フロー及び必要な帳票の具体案を提示します」と宣言しミーティングを終了させた。30分と掛かっていない。関係者は顔を見合わせて目をぱちくりしている。
 翌週の会議には約束どおり、産能大方式での輸入業務に関する事務フロー・チャートと輸入業務に関する帳票、仕切り価格に適用する換算円ドルレートに関するメモとTFB側の取り分に関するメモが提出された。
 適用する円ドル換算レートは、市場終値の月平均値を用いることに決定。各部門の担当者を決め、来月から提案された帳票を使って実務を開始することも決定。そして取引基本契約書を作成し取り交わすことも決めた。今度も会議は30分で終了した。
 実務はこの日の提案通りになされ、爾後トラブルはない。この案件に関する上場要件もクリアした。

 輸入業務や実務設計の専門知識がないと、何人集まって何度会議を開いてもまともな実務具体案はできぬもの。検査試薬の輸入に関わる関係者が集まって具体案を作るためには、必要な専門知識と経験が不可欠となる。
 日本語がうまく話せますとか、波風立てないように口を慎みますとか、上手にゴマをすれますという類のAタイプのコミュニケーション能力は、企業では新たな価値を何も生み出さない。不生産的コミュニケーション能力である。

 このことからわかるのは、仕事で必要とされるコミュニケーション能力とは、複数の分野の専門知識と経験がベースになったものだということ

 設計された帳票は、コンピュータシステムに載るように設計してあった。上場準備で購買在庫管理システムを開発中だったから、それに載せることも考慮してあったのである。Aは入社3ヶ月だが、「財務及び支払い管理システム」開発責任者だから、「財務会計および支払管理システムにもつなぐことを考えて実務設計や帳票設計をしていた。さらに半年後には全社予算編成を任され統括管理することになった。実質的な「財務大臣」である。SRLというのは面白い会社だった。社歴数ヶ月の30歳代の男に、いきなりいろんなことを任せられる会社だった。

 試薬輸入業務設計に必要な専門知識は、輸入実務に関する知識、外国為替管理に関する知識、実務設計に関わる知識、経理知識、コンピュータシステム開発の5つである。そしてこれらの5分野の専門知識を一人の人格に統合するためには、これらの分野の専門書を読み、理解する基礎的学力が要求される。
 ようするに、基礎的学力が高いことが、必要な複数分野の専門書を読み、問題を解決し、生産的なコミュニケーションをするための基礎的条件である

 1984年の実際の事例を再現。 



<余談:腫瘍マーカCA19-9 創業社長F田さんそしてあとを継いだK藤さん>
 O田医院へ行って来た。前回が昨年6月だったので、まもなく1年近くになる。呼吸が苦しくないのでついつい足が遠のいていた。体内のビタミンB12が枯渇するころなので、静注しないと危ない、悪性貧血になってからではまずいので、こんなに期間をあけてはいけませんと叱られた。行こう行こうと思いながら、延び延びにしてしまった、反省。
 ところで、今回は身体の状態を見るために血液検査もしてもらうのだが、一般検査項目の他に腫瘍マーカが3つあり、その中に1984年に輸入実務をデザインしたCA19-9も含まれていた。この検査項目は寿命が長い。「1年ぶりですから腫瘍マーカも入れておきます」と主治医。同じ行に並んで、CEAとSCCがあった。CEAも腫瘍マーカだからSCCもそうなのだろう。SCCという検査項目は知らないのでネットで調べたら、扁平上皮癌のマーカで、食道癌を引っ掛けることができる。婦人科系の扁平上皮癌もわかるようだ。
 HbA1cも懐かしい項目だ。1ヶ月くらいの血糖値を図る。SRL八王子ラボの臨床科学2課の一室には、1986年ころ30台ほどグリコHbA1cの測定器が並び、24時間機械が動き続けていた。担当者の顔まで思い出した。彼もそろそろ定年だろう。2課の課長だった沖縄出身のS袋さんとは、10年ほどあとで、練馬の子会社で一緒に仕事をした。彼はラボ部門の責任者、私は管理部門の責任者だった。下地作りが終わりこれから考えていたことが実行できるところで、帝人との治験合弁会社の立ち上げが暗礁に乗り上げ、本社社長から呼び戻され、そちらを担当することになった。それはそれで大変面白い仕事だった。赤字の部門を出し合って、会社を作り、3年間で黒字にしろという指示だった。他に2つ実に明解な指示があった。相手側から株を引き取り合弁の解消(完全子会社化)と帝人の臨床検査会社買収・子会社化だった。どういうわけか三つとも期限内にやり終えた、スタッフがよかったからだろう。同期中途入社のH本さん(原価計算システム担当:現在新規上場会社の監査役)は、「ebisuさんのことだから、3年なんてかけないでしょう」と合弁会社への出向が決まったときに、笑いながら言った。福島県郡山市の臨床検査会社への資本参加交渉と、創業社長とY口副社長がボツにした劇的経営改善案のことを、わたしと入れ替わりに出向したから誰かから聞いたのかもしれない。売上高経常利益率が20%になる具体案だったから、事前にアナウンスしてあったのに、お二人は「聞いていない」とおっしゃった。染色体検査事業に関わる改善案だった。仙台にある遺伝子研究所の現場を見て管理者の説明を聞き、ポイントになるところを確認した。前処理の培養技術と人的生産性にかなりの差があった。ニコンの子会社とSRL染色体検査課の染色体画像解析装置の開発中止とIRS社(英国)染色体画像解析装置導入に購買課の機器担当として関わっていたから染色体検査についてはよく知っていたのである。入社当時は経理部所属、そして統合システム開発と全社予算の統括を担当していたから、創業社長もF銀行出身のY副社長もわたしが一部の検査技術に詳しいことをご存じなかったのだろう。関係会社管理部で資本提携交渉を担当してそのまま出向、そして1年間でそういう具体的な経営改善案ができるとは思うはずがない、それが普通の思考だ。直接話を聞いたときにもできっこないからやらせておけと考えたのだろうが、相手が悪かった。「聞いていない」と二人で口裏を合わせて言うので、理由が飲み込めた。その案を実行したら、郡山の会社の社長を本社役員にしなければならなくなる、それを嫌ったのである。赤字の関係会社が子会社、関連会社でダントツに利益率の高い会社に化けてしまう。面白いものだ、仕事をしすぎてはいけない。「わかりました」とあっさり引き下がったら、二人でびっくりして顔を見合わせていた。わたしが引き下がるはずがないと身構えていたのだろう。この二人には何度も直接報告を入れていた。ことが重要なので、直接会うか電話でSRL郡山営業所から電話で報告していたのである。お二人の真意が即座に飲み込めたので聞きたくもなかった。郡山の会社の社長はSRLのカラーにそぐわないことは、私も承知していた。小さくない波乱を必ず生じる。創業社長と副社長の判断は当然のことでもあった。わたしが創業社長でも同じような判断を下しただろう。F田社長はその後この会社のことでJAFCO本社と交渉をしたのだが、私を本社社長室に呼び、社長室内ではなく、みんなの見えるテーブルで二人だけで小一時間も話をした上で、わたし一人を同道した。テーブル席での話は3分、JAFCOと激しいやり取りをすると主張した。あるルートから情報が筒抜けになるのでやめるようにと私の案を話したが、聞き入れてくれない。本筋の話はたった3分、その後50分ほども小声で雑談だけ(F田さんがみんなの見えるテーブルで小一時間も社員と打ち合わせをしたことがなかったので、あとから何を話していたのかあちこちから訊かれた)。F田さんは役者である、この人俳優になってもそれなりに大成した人だと思えた。浜松町駅で電車を降り、JAFCO本社へ歩いていく途中で、「どうしたらいいですか?」と唐突にebisuに問う。再度「情報が漏れますので、わたしの案どおりに穏やかにやってください」そう告げると、「そうしましょうか」とあっさり受け入れてくれた。最初からわたしの案を呑むつもりだったのである。交渉は見事だった。なにしろ二つの会社を東証一部上場した社長は、F田さんだけ。言葉少なにゆっくり話して、間をおく、その間のおき方が凄い。向こうも役員が対応しているのだが、空気が張り詰め、圧力が増す。次の言葉を固唾を呑んでまっている。名優の芝居を隣でみているようだった。きちんと報告していたのに、「聞いていない」ととぼけて経営改善案を拒絶したことに対するお返しだったのだろう。だからわたしの案を丸呑みしてにっこり笑って見せ、交渉ごとはこうやるものだと、問わず語りにわたしに教えてくれたのだ、腹芸である。F田創業社長は、交渉ごとに関するコミュニケーション能力がとても高い方だった。
 交渉が終わって、JAFCOの役員が私に問う、「お車はどちらに?正面玄関へ回すように手配しますので」。「電車で来ましたので電車で帰ります」というと、一部上場会社の社長なのだから電車は拙いですと向こうが慌てていた。F田社長は面白い人で、あるときA専務が羽田に迎えに行った、タクシーで社長を送りつつ仕事の報告をしようとしたら、「社員が電車で移動しているのだからわたしもタクシーは使いません」と怒ってさっさとモノレールに乗ったとか。朝も8時前に会社に来て8時過ぎには営業所や客先訪問に外出する。日直よりも先に来て鍵を開け、日直が来ると「おはよう、出かけます」と一言告げて出かけてしまう。
(入社2年目のときに、F田社長は200億円の臨床診断システム開発提案の稟議書に資料を見ただけでOKをだしてくれた。お陰ですぐにNTTデータ通信事業本部などと予備調査を開始できた。1985年だったから、通信回線やパソコンの処理速度が当分の間追いつかないことが判明し、棚上げした。画像解析データの転送がどうしても必要だったが、3000万円クラスのミニコンでも処理速度が不足していたし、光回線がまだなかったから転送速度もとても無理だった。10年後におおかたが解消できるとは予想できなかった。コンピュータの処理速度と回線の性能向上はこの40年間つねにわたしの予測を超えていた。)

 歴代の役員の中では、そういうことがやれるのは日本生命から出向してきたT内常務だけだっただろう。この人は一橋大学出で、能の名手である。人間国宝級をずらりと並べた舞台で仕手をつとめるのを一度だけ見た。製薬メーカとの価格交渉のときにタッグを組んだことがあり、隣の席で彼の交渉を見させてもらった。力量を見たくて、事前打ち合わせだけして、一切口を出さずにみていた。交渉を終わった後で「どうだった?」と訊かれて、「舞台の呼吸そのものでしたよ」と応じると、満足そうな笑みを浮かべ頷いた。間のおき方と声の出し方が独特で巧かったのである。
 この人は余計な仕事をしなかった、超然としていたと言ってよいだろう。要所要所で、資金をニッセイへ流す役割だけはしっかり果たした。一ツ橋にはなかなか個性的な人物がいる。知っている4人の内ではこの人が最高だった。一人は人格と仕事の両方でまるでダメだった。もう二人はコメントする必要がない。

 創業社長のF田さんからバトンを渡されたK大医学部出身のK藤社長、この人は論理的で裏表のないいい人だった。お坊ちゃんの育ちのよさがそのまま出ていた。この人への報告はほとんどが文書である。20本くらい進捗状況を報告したのではなかったか。e-mailは使わなかった。社内のシステム部門で管理権限のある人間数人が閲覧していることを知っていたからである。
 重要なことはすべて紙の文書で報告した理由は、前回の郡山の会社の件での失敗に懲りていたからでもあった。K藤さんは三つの課題の進捗状況をモニターして、要所要所で本社担当役員を動かし、バックアップしてくれた。だから三課題とも期限内完了できた。K藤社長へは主として文書でのコミュニケーションで、大事な局面ではお会いして報告した。だから、文書作成能力がコミュニケーションの基礎をなしていたと言いうる。このあたりのコミュニケーション能力は、もう複数の専門知識のレベルではない。それを超えている。お互いの気心や本音を知るために何度か「ノミュニケーション」のお誘いも何度かあった。
 百年を超える歴史のある一部上場企業との合弁事業はSRLとしては初ケースだった。自分の会社の力量がどれほどのものかを測るには、格上の会社の胸を借りるのもよい。帝人は紳士的な会社であるというのが私の印象である。常務のI川さん、専務のMさんとは経営方針の説明で何度かお会いした。洗練された感じを受けた。帝人本社エリートは東大や一ツ橋が多く、早慶だとかなり肩身が狭いのが実情である。
 K藤社長と仕事を支えてくれたスタッフ、満足のいく仕事だった。課題を三つとも期限内に終えたらある種の「卒業」という気分になっていた。K藤さん、とてもいいタイミングで使ってくれた、ありがとう。


*#3041 コミュニケーション能力とは何か?(1) May 10, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-10

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#2994 大学時代に何をしておくべきか(1) Mar. 8,2015 [仕事]

 大学生から面白い質問をもらった。「#2993 本年度大学受験対策授業終了」へ次のような投稿があった。
*http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-07
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お久しぶりです。ebisuさんの考える、社会でやっていく(就職、就職後)ために大学時代にしておくべきことは何ですか?私も経済学部に進学希望(大学の都合上今は教養課程で2年の後期から専門の学部に進学する仕組みになっています)なので簿記くらいはとっておこう、と思い2級を取得いたしましたが、将来のことを考えると学歴だけではとてもわたっていけないよなあ、と考えるととても不安です。
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  前にもらった投稿はずいぶん長いものだったが、論旨の明快なしっかりした文章だった。今回は短いが学生でこれだけ書ければかなり優秀なほうだろう。
 経済学部の学生ということに限定してわたしの意見はすでに投稿欄に書いたので、あとで引用紹介する。
 簿記検定試験は三種類あって、日本商工会議所、全国経理学校協会、全国商業高等学校主催のものがある。難易度は並べた順になっており、日商2級がそれ以外の団体主催の簿記1級に相当する。
 日商簿記2級は商業簿記と工業簿記の2科目あり、両方の合計点で合否が判定される。全経協や全商は2級は商業簿記のみである。
 製造部門を有する会社の経理は原価を集計するために工業簿記(原価計算)が必要になる。だから、商業簿記と工業簿記が組み合わされた、日商2級や全経協1級、全商1級が経理関係の仕事に就くための最低条件となるのである。
 日商簿記一級は商業簿記・会計学・工業簿記・原価計算の4科目からなり、25点ずつの配点で合計100点満点、70点が合格ラインである。商業簿記と工業簿記は計算システムだから、その技能(速度と計算精度)が要求されるが、会計学と原価計算は論述式の問題が主体だから、示された問題テーマについて知りうるところを簡潔に作文する技術が求められる。それゆえ、日商1級は日商2級と比べて難易度が大幅に高くなる。

 専門学校出身で日商2級(日経協1級、全商1級)レベルでは中小企業の経理マンだろう。大企業では能力不足だ。日商1級なら専門学校出身であろうが大卒であろうが差はない。大企業でも人事部宛てに中途採用希望を経歴書を同封して送っておけば、5社に一つぐらいはなんらかの返事があるだろう。
 専門学校出身者で日商簿記2級あるいは全商1級は能力不足と判定される。専門学校まで行っても日商1級の論述式の問題に対応できなかったのだから、基礎学力に問題ありと判断されるだろう。そしてほとんどがその通りで、その他大勢の経理屋さんの一人として使われるだけ。

 わたしは1979年に輸入商社の経理部に中途入社し、いくつかの会計システム周辺の輸入業務・納期管理・外国為替決済管理システムなどの開発をした。そのあと1984年に大手臨床検査センターで東証Ⅱ部上場準備要員として中途採用され、統合システム(基幹系情報システム)開発を担当した。当時は基幹系情報システムの開発は日本国内ではほとんど事例がなかっただろう。
 その6年(1979~84年)ばかりの間に、システム関係の専門書を読み漁り、仕事で次々に使って技倆を磨いた。
 現実の統合会計システム開発は、会計学とシステム開発、予算管理、経営管理、原価計算、購買実務、売上債権管理などの専門知識や実務知識が必要である。この段階になると、それぞれの専門知識を短期間に習得するために基礎学力の高さが問題になる。
 日本の会計学者たちはシステムの専門知識がないから、会計システムについての本を書いた会計学者は当時は日本国内に一人も存在しなかったし、そうした専門書の翻訳すらできなかった。だから、原書で読むほかなかったのである。会計システムに関する時代の最先端の専門書を読破する必要があった、そしてその通りのことをした。1984年に必要を感じて600ページばかりの会計システム専門書を読んだのである。

 Accounting Information System, Theory and Practice, written by Frederick H. Wu, McGRAW-HILL INTERNATIONAL BOOK COMPANY, 1984

 とっくに時代遅れで絶版になっている。この本は会計学や原価計算の知識のほかに、コンピュータシステム開発の専門知識がなければ読めない。ファイル・フロー図や処理フロー図がふんだんに使われているから、それらの記述ルールを知らないと何をしているのか具体的なイメージが湧かないだろう。実際の統合システムは百を超えるファイルを生成してさまざまな処理をやって動いているから、問題が生じたらそれらの処理フロー図全体をみて理解・判断できなければならなかった。この本を読む前に、5年間でシステム関係の専門書群20冊ほどに目を通していたから理解できた。

 この本を参考にしながら会計情報統合システムの核である経理・支払い管理システムを開発期間8ヶ月でトラブルなしに稼動させた。この本がなかったら、確信をもって仕事できなかっただろう。ソフトハウスの優秀なSE3名を使ってやり遂げた。彼ら(一人は女性)が優秀だった、当時のあの業界ではトップクラスの技能をもっていた。

 それに比べて、日本の会計学者は能力が落ちる。システム開発は理系分野だから文系出身者のかれらは手が出せない。原価計算学者も同じだ。世の中の原価計算はコンピュータシステムを利用してなされているが、いまだにそうした原価計算の本がない。実務に比べて原価計算学者は時代遅れになっている。原価計算学の遅滞は一橋大学が癌だろう。
 企業で働くということは、文系・理系のクロス・オーバーする世界で仕事をするということだ。だから、「読み・書き・そろばん(計算)」能力の高さがシビアに問われる。「読み」には英語で書かれた文系・理系の専門書群も入るのである。

#2993コメント引用
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おや、また来てくれましたか、学年末試験はとっくに終わっていますね。

経済学部に進学希望ですか、それで簿記2級をすでに取得した、立派なものです。日本商工会議所簿記能力検定試験2級でしょうか?全商簿記実務検定や日本経理学校協会の簿記検定試験なら2級では就職の武器にはなりません。日商3級相当ですから。
日商2級がすでに1年生で取れているなら、1級を目指すべきです。
日商簿記検定1級を独力で合格できたら、公認会計士2次試験が射程に入ります。

普通科出身の2学年先輩が、1年生の11月の試験で日商1級合格という例があります。昔は今と違って公認会計士2次試験は難関でしたが、3年生のときにその先輩は合格しています。大手監査法人の京都の責任者をしていました。

四年制大学でしかも商学部会計学科ではない経済学部で日商1級とれたら、将来上場企業の経理担当役員も可能性がありますよ。
あとはシステム専門能力を磨くことですね。プログラミングはできたほうがいい。コンピュータで会計処理をしていない会社はありませんから。

これからは基礎学力の高さが物を言います。その会社の商品に関する専門知識も必要です。理系の専門書であってもバリバリ消化できる基礎学力があれば鬼に金棒です。数学の勉強もしておいたほうがいい。無駄になる勉強なんて一つもありません。
企業で困難な問題はつねに文系と理系のクロスオーバした領域で生じます。しかし、両方ができて問題解決のできる人材は千人に一人くらいしかいないのが現実です。
謙虚に学び続けたら、就職も就職後も心配ありません。

ところで、暇があったら、カテゴリー欄の「資本論と経済学」をクリックして、お読みください。予告してあった経済学の論文、四百字詰め原稿用紙で300枚ほど書いてアップしてあります。マルクス資本論をようやく超えました。ピケティの『21世紀の資本』と比較して読んでいただいたらいい。彼のは分配論、分配を変えることに議論が集中していますが、わたしは生産の仕組みと貿易の仕組みを変えること、経済学の公理公準を書き直すことで、人類が生き残ることのできる経済学を提案しています。ピケティよりは百倍面白いですよ。本人が言うのだから間違いなし(笑)
by ebisu (2015-03-08 00:03)
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<余談>
' Accounting Information Systems'はとっくに絶版になっているし、たとえあったとしてももう古いので参考にならない。1983年当時は仕様書を書いて全部作りこんだから、輸入商社用の汎用パッケージシステム開発をやったようなものだ。84年に大手臨床検査会社に転職して、統合システム開発を担当し、コアの部分の財務・支払い管理システムを8ヶ月で稼動させた。予算管理システム、購買在庫管理システム、検査原価計算システム、販売管理システムとのインターフェイス仕様書も一週間で書き上げ、配布した。
 古い本の替わりに、シェアーの高いパッケージシステムに関する本を紹介しておく。柔軟なシステムではあるが設定が大変らしい。

SAP ERP Financial Accounting and Controlling: Configuration and Use Management

SAP ERP Financial Accounting and Controlling: Configuration and Use Management

  • 作者: Andrew Okungbowa
  • 出版社/メーカー: Apress
  • 発売日: 2015/04/08
  • メディア: ペーパーバック


*#2993 本年度大学受験対策授業終了 Mar. 7, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-07

 #2994 大学時代に何をしておくべきか?(1) Mar. 8,2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-08

 #2995 大学時代に何をしておくべきか(2) Mar. 10, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-09

 #3003 大学時代に何をしておくべきか(3) :簿記学習開始8日目 Mar. 18, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-18-1

 #3004 大学時代に何をしておくべきか(4) :簿記学習開始9日目 Mar. 20, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-20

 #3005 大学時代に何をしておくべきか(5) :簿記学習開始10日目 Mar. 20, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-20-1

 #3008 大学時代に何をしておくべきか(6) :簿記学習開始11日目 Mar. 22, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-22

 #3011 大学時代に何をしておくべきか(7) :簿記学習開始12日目 Mar. 23, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-03-23



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#2986 五種類のスキ・バサミ と職人魂  Feb. 26, 2015 [仕事]

 すっきり髪を刈ってもらった。髪を一度梳いたあとで鋏を替えて今度は先端のほうを軽く梳いた。聞いたみたら、癖が出ないように梳きバサミを数回替えて、場所と角度を考えて梳いているという。どうりで癖が出ないわけだ。わたしの髪は長くなると癖がでるが、それが2週間ほど違うことは腕がいいからだと感じてはいたのだが、職人はいくつになっても工夫と腕を磨くことを怠ることはないのだと感心したしだい。一つの仕事で万日の修業(30年)、怠らずやり遂げたものは名人の入り口の域にたどり着ける。
 5種類の隙バサミは歯の間隔や隙間の間隔、そして厚みがそれ異なる。道具と会話して使いなれ、指に馴染むまで半年かかるそうだ。梳き歯に縦に溝のついたものも2本あった。同じ梳きバサミという名前がついてはいるが、それぞれ形状が異なり個性的な顔をしていた。一人ひとり髪の質も癖も違うから、お客の「髪の毛」と相談しながら磨いた腕を振るうのだろう。

 髭そりのあと、クリームを塗って顔をマッサージしてくれたが、心地いい。客が疲れていると顔の筋肉の硬直しているのが指先で感じるのだそうだ。数分マッサージすると、コリがほぐれるのが指先の感触でよくわかる、そういうときは終わった後の表情がかわるんだそうだ。リラックスしたいい表情になる。

 指先がセンサー、そして技術の練磨を怠らぬ、塾の先生のわたしは教育の職人。いくつになっても、仕事しているからには技術の練磨を怠ってはならぬと戒めた。
 刈り終わって、「ありがとう、勉強になりました」と挨拶、若い人に教えてもらった。


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#2782 手仕事と職業観そしてシツケ Aug. 20, 2014 [仕事]

 昨夜はベッドの中に入ってから幸田露伴『五重塔』を音読してみた。最初の数ページは読みにくかったが、すぐになれた。なれると露伴の文体は妙に舌になじむ、調子がいいのである。
 親方源太とのっそり十兵衛が五重塔の普請請負を競うが、和尚は意外な裁定を下す。二人で相談して決めろというのである。決めたら檀家を説得してその通りにしてやると。和尚は二人を前にお経の話をする。川に丸太を渡してあるが、向こう側へ行くのに兄がわたるときは弟が丸太を揺らし川へ落とし、弟がわたるときは兄が丸太を揺らして川へ落とす。お互いにずぶぬれになるという話だ。仕事がこんなことになっては和尚が困る。どちらの腕もたしかだ。さあ、二人で遺恨を残さぬように話し合って結論をもってこいというのである。職人の腕の見極めも利く、なかなかの和尚だ。

 前置きはこれくらいにして本題に入ろう。大工は徒弟制度の中で教育されてきた。
 明治以降の日本の教育は二つの柱で支えられてきた。ひとつは学校教育であり、もうひとつは徒弟制度である。
 学校教育は先生が教えるものであるが、徒弟制度の教育は教えられるものではなく、師匠や親方の技を見て盗むことで学ぶのである。学んでやるぞというつもりのない者はハナからダメだ。
 同じことを毎日毎日繰り返して身体に技をじっくりしみこませていく。5年10年と修行を続け、道具を使い続けるうちに、その職にふさわしい手ができあがる。身体もまたその職業にふさわしい身体につくり変えられる。

 親方の技を学ぶには、親方のやることをコピーする。弟子入りしたら同じ家で一緒にご飯を食べ、親方の身の回りの世話や掃除、食事の支度などをしながら、技も考え方も生活の仕方も学んでいく。親方は教えない、やって見せるだけである。見てわからなければ「何を見ていたんだ」と檄が飛ぶ。親方の仕事を見て、真似てやってみる、そして違いがなぜ生ずるのか考え、試行錯誤をしながら親方の仕事に近づいていく。一つ一つの仕事の微妙な手加減など口で教えられるものではないそうだ。繰り返し身体に覚えこませてはじめてわかってくる。

 同僚や兄弟子への口の利き方、仕事の依頼主への態度や口の利き方、用材ごとの品質の見極め方、材木屋との応対の仕方、他の職人への仕事の割り振り方など、全てが学ぶべきことになる。一人前の職人となったときに、自分ができなければならないからだ。
 こうして、親方の仕事の仕方や挨拶の仕方、取引先との口の利き方、応対の仕方、兄弟子との口の利き方など、シツケ全般がなされる。一人前の職人とは仕事の腕だけではない、用材の見極め方、回りの関係者との口の利き方、挨拶の仕方、応接の仕方、食事の仕方や酒の飲み方、遊び方を含めて、一人の職人としてきちんと処して行ける術を身につけているということだ。
 5年、10年したら技倆に応じて責任ある仕事が任される、そうして仕事に対する責任の重さと、それを引き受けてやりきる度胸も学んでいくのである
 仕事の依頼主には大工仕事の目利きがおり、そういう目利きは仕事相応の代価を支払ってくれる代わりに仕事を見る目も厳しい。そういう目利きの批評や期待に応えて仕事をすることも腕を上げる力になる。職人が精根込めてつくり上げた品物を高い値段で買ってくれる消費者がいないと職人仕事が成立たぬのは道理だから、そう考えると、大量生産大量消費、大量廃棄のいまの生産方式は、職人と品物の価値を見分け、いい品物には高額の代価を支払う目利きたる消費者をまとめて絶滅に追いやっている。
 職人たちが受け継いできた職業観も大量生産時代のなかで急速に失われつつある。中高生達が職業観をもてないのは回りにそういう職人達の姿が消えうせたことが大きく影響しているに違いない。見ていないものはわからないのだ。

 5年、10年の修業が終わる頃には手は職人のそれとなり、口の利き方、仕事への責任感のあり方などがしっかり身についている。それで一人前のお金のとれる職人となる。

 修業期間は学ぶ期間だから、昔は小遣い程度しか対価は支払われなかった。あたりまえだ、最初の内はお金の獲れる仕事ができない、ただで一人前の職人にしてもらうのだから、一人前の給料が出るはずがない。最低賃金法はそうした徒弟制度を日本経済社会から根こそぎ取り除いてしまう。いま昔のままの徒弟制度で内弟子をとり、育てたら法律違反になるのである。無批判に西洋の制度を日本に移植するとこういうとんでもない文化破壊が起きて、気がついた時には、日本経済を支えてきた徒弟制度というすぐれた教育制度を失ってしまった。
 職人の給料は腕と速度で決まる。どんなに丁寧な仕事でも、人の倍も時間がかかるようでは半分しか稼ぐことができないし、半人前の仕事すらできない見習い修行の者に払える賃金などありはしないのである。職人の手間賃は弟子を何人も抱えて、貴重な材料を使わせて給料を支払えるほど高くはない。自分の生活を切り詰めないと内弟子を抱えることはできないのが普通だった。

 中高生を見ていると、どんな職について飯を食っていくのかさっぱり考えていないものが多い、考えられないのだろうと思う。
 コツコツ努力を積み重ねて手仕事を身につけようなんて価値観が軽視されてしまっている。それは職人文化が消えつつあるからだろう。
 たとえば古典落語ならそれなりの修業期間を要したのだが、最近のお笑いは禄に修行もなしにでてくる。そしてそういう中には年間億を超えるような金額を稼ぐ者たちが出ている。青年実業家と称する者たちの中にも粉飾決算までして濡れ手で粟をつかむことをよしとする類の者が増えてきている。こんなものをもてはやしていたら、日本の行く末は危うい。

 周りに職人が少なくなってきている。工場で機械を使った大量生産品が安く出回り、そういうものを消費者が買う。工場の機械を操作するコンピュータに名人クラスの職人の経験智をデジタルデータにして入力してしまえば、その瞬間は見た目で区別がつかぬほどそっくりなものができ上がる。しかし、大工仕事に関していえば、木の癖までも見抜いてさまざまな用材を使い分けている名人クラスの大工の作ったものは何百年ともつが、工場生産した材料は正確に刻まれていても、組み上げて数年経ったら木が思わぬ方向に反り、建物は軋みを生じて長持ちしない。
 再生可能な自然素材を使った手仕事の品物が失われていった。職人もいなくなってしまった。だから、職人がもっていた文化や職業観もまた失われつつあるのだろう。

 わたしはいくつか業種の異なる会社で、経営管理や経営企画、そしてコンピュータシステム開発、実際の経営などをやってきた。システム業界では30年ほど前にKE(ナレッジエンジニア'knowledge engineer)という職種がSEの上の階層に位置づけられたことがあるが、いまそういう用語がつかわれることはない。
 わたしは自分を事務仕事の職人だと思っている。必要な技術はその都度自分で学んできたし、学んだものはどういうわけかすぐにそれを使うような仕事が舞い込むようなめぐり合わせになっていた。直接現在の仕事に関係のない分野の専門書も興味の赴くままに読み漁ったのだが、準備が整うのをまっていたかのように、そうした専門知識がないとチャレンジできない仕事を任される、不思議だった。仕事があれば本で習得したスキルを磨くことができる。大工さんの請負仕事と同じで、一切合財任されてやってみることで度胸がつきスキルが上がる。
 管理会計の専門書群、経営管理の専門書群、マイクロ波計測器に関する本や大量のカタログ、システム開発技術の専門書群、言語学の専門書、医学関係の専門書など、その都度仕事のかかわりのあるもの、ないもの両方を興味の赴くままに読み漁り、仕事に使って腕を磨いてきた。
 そして正直に誠実に渾身の力で仕事をするのが最善であることを仕事を通して学んだ。会社の経営はお客様を大事にすることだけでなく仕事に関わる取引先も、そして何より大事なのは会社を支えてくれている社員を大事にすることでうまくいくことも仕事を通して学んだ。

 昔とは異なるタイプの職人が日本に生まれつつあるような実感がある。新しい分野だから師事すべき'親方'はいない。わたしは30年早かったのだ。日本人はそろそろ大量生産・大量消費・大量廃棄社会を卒業すべきときに来ている。団塊世代の中には新しいタイプの職人が少なからずいるはずで、仕事を通じて磨いたそのスキルを30代に引き継がなくてはならない。それをうまくやれるかどうかで日本の30年後100年後が変わる
 再生可能な材料を使い、自国でつくれるものは自国で生産し、生産者の顔の見えるものを使う内需中心の経済社会を創るべきだ。人口は3000万人まで減少していい。戦争をしなければ人口を増やす必要はない。しばらくの間は少子高齢化と人口減少時代が進行し、百年経たぬうちに少子高齢化は終わる。そうした変化にふさわしい社会、職人仕事を中心に国内に仕事を確保してやっていく道を探せばいい。強い管理貿易(鎖国)がふさわしいとebisuは考えている。昔の鎖国と違うのは、飛行機や船で海外へは自由に行き来できることだ。(笑)

 『失われた手仕事の思想』 塩野米松著

 この本のふたつの章をお読みいただきたい。
 「第三章 徒弟制度」
 「第四章 手の記憶」

 著者はさまざまな分野の職人仕事の取材を積み重ねてきたジャーナリストである。この二つの章を読めば、大きく変わりつつある日本の経済社会の現状がみえてくる。ebisuとは違って文章の品もよい。
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「職人が消えそれを支えた社会も変質しようとしているが、よい道具やよい品物をそれなりに評価する智慧は社会の底流として残るものである」 289㌻
「手の時代の倫理や職業観、経験を尊ぶ社会は暮らしやすさを求めたうえに生み出されたルールであった。これらは手仕事の時代であった。」 289㌻
「 携帯電話やパソコンのように手仕事の時代の後から出てきたものは、その使い方にマナーが出来上がっていない。以前の手仕事の時代の倫理では間に合わないことが多くなってきているのだ。このことは、前の思想がほころんでしまったことを証明してはいないだろうか。
 これらの横行が暮らしづらいことであれば、いずれルールが生まれてくるだろう。
 常にその時代の倫理は、一生懸命生きることから生まれてくる。
 安易に簡便さを望み、それだけを追い求めれば、混乱の時代が続くかもしれない。
 現在は、作り手が見えない、経験がいらない、積み重ねが不要の時代である。送り出されてくる機械は、手もいらず、肉体も必要としない。名もなく、実を追うものばかりである。人間不要の時代であるように思える。
 そうではないと思う。
 改めてその時代に適した「人間」という概念が生み出されるのだろう。
 手の仕事の時代が終わり、手を失った時代の思想は?
 それはこれから決まってくるものである。まだ橋はできていないが、いずれできる。そこでの倫理や職業観は、行きやすい方向へ行くはずである。そういうものは生活の智慧だから必ず行きやすいところに行き、低みを見つけ水が貯まるように、そこに安定を見つけ出すだろう。そして、そこが安定の場所でなければ、また水を移すであろうが、落ち着くところに落ち着く。
 そこには新たな倫理や人の生き方が築かれるだろう。
 そのときに、私たちが立ち会った職人が活躍した「手仕事の時代」の倫理や職業観が、新たな道を模索するときの指針になるだろう。」 290㌻
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失われた手仕事の思想 (中公文庫)

失われた手仕事の思想 (中公文庫)

  • 作者: 塩野 米松
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/03/23
  • メディア: 文庫


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#2745 ベネッセの顧客データ流出事件を考える July 22, 2014 [仕事]

 流出データ数が当初の数百万規模から増え続け2260万件に達した。ベネッセの方で流出件数の確定ができないようだ。つまり、防ぐこともそのあとの流出データの確認もままならないということ。

*朝日デジタルニュース
http://www.asahi.com/articles/ASG7Q0154G7PUTIL01Y.html
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ベネッセ流出2260万件に 新たに通販サイトからも
・・・この事件では、不正競争防止法違反容疑で逮捕された外部会社の元システムエンジニア(SE)松崎正臣容疑者(39)が、顧客情報を私有のスマートフォン(スマホ)に転送して取得したことが判明。ベネッセがこのスマホに6月17日と27日に保存されたデータを解析した結果、判明した。

 ベネッセHDはこれまで、26サービス計760万人分の流出を名簿業者から取得した情報から確認し、最大2070万件に及ぶと説明していた。
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 このSEは会社からデータ管理のためにベネッセの子会社に派遣されていた。テレビで住居情報が流れたが、狭いところに家族と住んでいた。借金があったという報道も流れている。

 一般的な話だが、企業の命ともいえる重要情報の管理に外部SEを使うのはじつにまずいと思う。ベネッセホールディングスとシステムを管理していたベネッセの子会社にも大きな給与格差があるだろうし、その子会社に派遣されていたSEがもらっていた給料はさらに格差があったに違いない。
 企業機密に関わる重要な仕事をしながら、給与格差の大きな子会社の社員やその親会社の社員と一緒に仕事をする。派遣されたSEの方が技術的には上というのはよくあるケースだが、給与は比較にならぬほど低い。これは大きなストレスであると同時に、データを保有している当該企業にとってはリスクである。
 データ管理という仕事は、さまざまなデータへのアクセスを付与されて成立する。その気になったらいつでもでーたのコピーの方法は見つかるものだ。
 わたしは1980年頃にプログラミングを覚えて、経理システムと納期管理・決済システムデータの管理を担当していたが、管轄外である給与データの管理が大丈夫か試したことがある。プログラムを組んでデータを画面にアウトプットすると、ファイルの中のレコードの長さやデータタイプがわかってしまう。あとは簡単だ。三菱電機のオフコンだったが、どんなにコンピュタの性能がよくなっても、データにアクセスする権限のあるものがデータをコピーしようと思ったら簡単にできる。内部でも不心得者がいればいつでも興味のあるデータを閲覧できるし、コピーもとれる。COOLというダイレクトアドレッシングのユニークな言語を使ったプログラミングは社内に他には誰もできる者がいないのでデータの安全性は確保されていた。給与プログラムが保存されている8インチフロッピーがなければわたしの他はだれも給与ファイルを閲覧できない。それは業務を担当していた役員が自分の机に鍵をかけて保管していた。社員数200名弱の会社だったから、コンピュータ関連業務に携わっている社員は5名ほどだったから安全管理は容易だった。社員数が1000名を超え、従業員総数が200名を超えるような大企業ではそうはいかない。独立のシステム部門があって、国内最大の汎用大型機(84年当時)を運用していたから、業務に携わる社員も多かった。人数が増えればセキュリティのやり方も規模に応じたものに整理していかなければならない。それにしてもこの35年間のコンピュータとそのシステムの発展はすさまじい。問題を予測して対応していても予測外の問題が出る。ましてやセキュリティをあまり考えていないシステム部門責任者や経営者のいるところでは、あぶない。システム・セキュリティは人事や経営方針、システム部門の責任者の資質の問題、システム部門の役割認識などトップマネジメントにかかわる部分が少なくないからである。
 安全性を考慮したら、全国模試を実施している教育関連企業は、強力な管理者権限を付与せざるを得ない仕事を外部委託してはいけないのだろう。

 こういう仕事はリスク管理上ベネッセホールディングスの社員が担当すべきで、派遣社員も子会社社員も使ってはいけない。ベネッセはシステム部門を別会社化したのだろうが、教育産業で顧客情報の価値が高いからコアの部分は別会社化してはいけないのだろう。
 では内部に有能なものがおらず、外部の優秀な技術者が必要になったらどうするか。
 移籍についてその会社と交渉すればいい。その社員の年収の2年分くらいを払ってやれば移籍交渉はまとまるだろう。引抜を露骨にやるとその企業にダメージをあたえ恨みを買うから、それなりの金銭で話しをつければいい。 
 年収が1.5倍~2倍になるだろうから、移籍した人に忠誠心が生まれることが期待できる。生活がいい方へがらりと変わる。問題がないわけではない、長く勤務している他の社員とのバランスを考え、処遇がむずかしい。
 関係者はみんな得をする、あとは社内に不和が生まれないような処遇の仕方を工夫すればいい。

 強力な管理者権限を伴う仕事は本社にコアのシステム部隊を残しておくべきで、そこで処理できる体制をつくっておけというのがebisuの結論。実務の振り分けはなかなかむずかしいだろう。

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< 余談 >
 わたしがいた大手臨床検査会社は、会計情報システムの開発と管理は外部委託していた。自社のシステム部隊は業務系システム専用のメンテナンス部隊で、会計情報システム開発能力もメンテナンス能力もなかったからである。
 一人だけ先の見える課長が居た、Kさんという。三代のシステム部長とはそりが合わなかっただろう。三人ともシステム屋ではなかったからだ。職人の世界とはそういうものだ。Kさんはデファクトスタンダードとなった臨床検査項目コード作業で重要な役割を果たしてくれた。ebisuが入社2年目に企画書を描いて経営会議で創業社長のOKをもらった臨床診断支援システム開発(全国の主要大学病院および疾患別有力病院をネットワークでつなぎ、疾患ごとの診断手順をシステム化するもの。途中からNTTデータ通信事業本部と一緒に検討)を十余のサブプロジェクトに分けていたが、そのひとつに日本標準検査項目コードの開発と普及があった。臨床病理学界の臨床検査項目コード検討委員会を立ち上がったばかりの大手6社の臨床検査項目コード検討委員会と合流させた。産学協同の検査項目コード検討委員会にK課長がシステム部長の反対を押し切って臨床化学部長と一緒に参加してくれた。いま日本全国の病院の院内システムがその標準コードで動いている。コード管理事務局はいまでもわたしがいた会社が担っているだろう。
 この企画書を描いた時点(上場準備要員として転職2年目)の私の所属は経理部管理会計課だった。統合会計情報システムを8ヶ月で開発完了し、全社の予算編成および管理を統括し、固定資産管理実務フローの作成とシステムの作り直しをついでに担当していた。予算で作成した減価償却費が1億円も実績差異が出てしまうので、なんとかしないと上場要件を満たす予算精度がクリアできなかった。不思議な会社で、平社員前者予算管理の統括という大きな権限が与えられていた。85年当時で300億円ほどだった。東証Ⅱ部上場準備中で、やるべき仕事が満載だったから、やれる者なら誰でも使えという時代だった。上場準備で組織権限規程を整備してからはその規程に基いた運用がなされる。84年という実に面白い時期に中途入社したと思う。飛んで火に入る夏の虫のようなもの。

 1984年に開発した会計情報システムは経理(予算・決算)および支払業務システム、購買在庫システム、原価管理システム、販売および請求業務システムから構成される統合システムの一部だった。当時富士通最大規模の大型機を使用し、時代の先端システムだった。業界内で統合システムを開発できた会社はかなったし、日本全体で見ても少なかっただろう。
 一番の難所は各サブシステム間のインターフェイス仕様だった。これら四分野の業務に精通しているのはもちろん、深い専門知識が要求される。もちろんシステム開発に関する専門技術もかな備えていなければ、SEに外部設計仕様書を書いて渡すことなどできない。インターフェイスが決まらないと各サブシステムの開発がストップする。5つの開発チームの合同会議は暗礁に乗り上げていた。他の全チームからの依頼で、一番最後に上場準備要因として入社したebisuが担当することになった。経理・支払管理システムと他のシステムとのインターフェイス仕様書を1週間で書き上げてそれぞれの開発チームへ手渡しした。
 各システムについてebisuには前の会社で専門知識と経験があったのである。魔法でも使うように暗礁に乗り上げていた仕事を引き受けて次々に解決するので「悪魔くん」というあまりかんばしくない渾名がついたが、前の会社で何をやっていたか喋らなかったので知られていなかっただけのこと。最後の頃はまだ50歳前なのに合弁会社で「苗字+爺」と呼ばれていた。「○○じい」このニックネームはえらく気に入っていた。五人がこのあだなで親しみを込めて呼んでくれた。(笑)

 開発および運用委託先のNCDさんのSEたちとは個人的に年に数回お酒を飲んでお付き合いをしていた。担当SEが5名ほどいたが腕は業界トップレベルの職人、信頼できる人たちだった(危ないと判断したら、それなりの対応をとっていただろう)。
 わたしのいた臨床検査会社は圧倒的な品質を誇っていたので、顧客情報が流出しても買い手がない。なぜなら個別ユーザごとの取引単価を知っても役に立たないからで、他の検査センターに比べて取引単価が高いことは業界の常識だったからデータを盗む意味もなかった。
 受託している約3000項目の検査項目の内、2700項目は採算の合わない検査だった。しかしその2700項目の赤字項目を受託するおかげで残り300項目が全国の大学病院を中心に圧倒的に高い価格で取引してもらえた。主力300項目で売上の7割くらいを稼いでいた。
 ある検査会社の顧客取引情報が流れていたことは郡山の会社に出向したときに知っていた。顧客マスターには病院別・検査項目別の取引単価が載っているから、それより少し低く設定してそれぞれの病院と交渉したら売上を容易に増やすことができる、経営力の弱い会社の戦略としては有効だろう。しかし、どこかがそんなことをし始めたら、他の会社もやりだすから業界全体にとってタメにならない。臨床検査会社の経営者に良識があれば、顧客マスターが流出しても、流通しない(買い手は現れない)のである
 自社のSEでデータ管理をやっても処遇が悪ければ情報漏洩を完全に防ぐことはむずかしい
 最後は人だ、好い加減な人間を雇えばそれまで。その会社の社員一人一人が、処遇に満足し仕事に誇りをもっているかどうかが大切だ。
 ズルをしない、品質を守ることを最重要と考える経営方針を社員に周知徹底できるかどうかが問われる。精神論だけではダメで、処遇も技術レベルに応じていなければならぬ。好い加減な経営方針で好い加減な処遇をしたら、仕事に誇りをもてぬ社員がいたるところに存在してしまう。
 笑い話になるが、合弁会社の役員をしていたときには、本社社長へ重要な報告は社内e-mailを一切使わなかった。システム部にはe-mailの管理権限をもっている社員が何人もいた。面白半分に読む可能性があったからである。機密事項を知れば「内緒の話だけど・・・」と尾ひれがついて面白おかしく伝わる。トラブルを未然に防ぐ必要があった。別の会社に出向したときに本社取締役会資料ですらコピーが業界内に流出しているのを知っていた。だだ漏れするのはコンピュタデータだけではないのである。だから三つの課題に関しては定期的に報告文書を作成して専用封筒に入れて封緘して社内メール便で届けていたが、最重要な情報は本社社長に直接会って報告していた。課題の進捗状況は文書で毎月のようにしていた。判断を仰ぐ事項が発生しない限り、「業務進捗連絡」である。仕事の進捗にしたがって、親会社のそれぞれの関連部署との調整事項が発生する。ラボ担当役員を中心にスムーズに調整作業がなされた。
 三年間という期間をきって三つの課題を片付けるようにというのが合弁会社発足時の本社社長の指示だった。三年間三つという数字を見て、システム専門家ならこの指示の見事さがわかるだろう。この時点で課題は期限通りに達成されることが保証されたようなものだった。こういう面ではじつに勘のよい人だった。馬が合ったのである。
 創業社長のあとを継いで社長に就任したKさんは、元厚生省の医務技官、課長補佐の職から創業社長に誘われての転職だった。創業社長は小児科医だったがKさんも医者。弊ブログカテゴリー欄に「養老牛温泉夜話」というのがある。そこに7本ぶら下がっている。地域医療と教育について語り明かした。

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#2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   [仕事]

 民間企業だけという報道はほとんどなかったように思うが、公務員には適用しないという。大手都市銀行だって企画部門にこの制度の適用はやらないだろう。人材が集まらなくなる。

 おかしな話だ、こういうときは原理原則にもどって考えたらいい。公務員は除外、民間会社だけ適用する。民間会社の中には適用する会社とそうでない会社が混在する、ほんとうにおかしな話だ。
 法の下の平等なんて考えがハナからないらしい。ようするに特定分野の一般職の社員にだけ労働基準法36条の適用除外が合法化され、しかもそうするかしないかはそれぞれの会社が決める。さらにいうと、同じ会社の中で特定分野の職種にだけ成果主義を適用して残業代支払を合法化するというのである、こんな不平等はない。不平等だらけの経済社会だから、せめて法の適用だけは公平であってもらいたい。

 正規雇用を減らし非正規雇用割合を増やして人件費をカットして利益を増やしただけでは飽き足らず、さらに残業代のカットを合法化しようというのだ。無能で強欲な経営者層からの要求を呑み、日本を強欲な資本主義に変えようとする仕掛けである。
 日本国民はそういう強欲な資本主義経済社会への改変を望んでいるのか?そうではないだろう、もっと穏やかな欲望を自制した環境とも共存できる資本主義経済社会を望んでいるとebisuは思う。小欲知足、国内で生産したものを消費する、貿易は強い管理貿易(鎖国)に変えて、国内に雇用を確保する。そんなことが可能な国はいま世界に日本しかない。高い理想を掲げてやって見せるべきだ。

 わたしのいた国内最大手の臨床検査会社は成果主義による評価制度を90年代中ごろに導入したが、管理職がメインの評価制度だった。特定の一般職だけに限定して成果主義を適用して残業代を削ろうなんて発想はなかった。もちろん一般職といえども業績評価シートに計画として挙げている項目が期限どおりに達成できなければ賞与の評価に反映されるが残業代の支払は保障されている。管理職が管理職手当てがついているから、当然のことだ。
 ホワイトカラー・イグゼンプションに胡散臭さを感じたのは、特定の職種にだけ限定するということにあったようだ。管理職も役員も戦略目標にそって自部門の年度課題を設定して、それが達成できなければそれ相応の責任を負う(賞与や役員報酬の減額)がなければ、納得の行くものではない。
 会社全体が成果主義にもとづく評価制度を導入していることが前提条件だろう。

 この制度を導入する企業に特定の分野の能力に秀でた社員が集まるはずがない。一定期間はリスクの大きい新しい分野の仕事にチャレンジさせなければ人材は育たぬ。それが20代後半になってとつぜん残業代の出ないスタッフ部門へ異動になったら、家庭不和のもとにはなるし、本人自身の仕事への意欲が失われる。評価を気にして上司の顔色をうかがうようになる。
 経済界からの要望が強いからと、こういう好い加減な制度を導入したら、日本の競争力が低下してしまう。

 どうしてもやるというなら、法の下の平等を確保するために公務員からやればいい。そこで問題点を分析して改良版を練り上げ、3年後くらいに民間企業への適用をはじめるべきだ。
 こんな強欲な制度導入はやらないのが一番いいことを記しておく。
 この20年間で経営者の年収は2倍になったが、勤労者一人当たりの年収はほとんど増えていない。そういう中でさらに特定分野の一般職の所得を切り下げようというのである。こんなに独りよがりで身勝手な制度はない。安倍政権は経営者達に迎合するのもいい加減にしたらいい。
 正直で、誠実で、公平な制度を望みたい。こんな制度を導入したら、日本が滅ぶと自民党の中から反対論が出ていい。

 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」



*#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

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#2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  [仕事]

 標記についての森永卓郎氏の論を紹介する、卓郎君の卓見だからなるほどなるほどと肯いてもらいたい。(6月6日NHKラジオ「ビジネス展望」、朝7時43分からの8分間ほどのテレフォンインタビュー番組)

 産業競争力会議が公表したこの制度の内容は次の三つにまとめられる。
①生産性を上げる
②弾力的な働き方を可能にする
③職種は特定の専門職に限定する

 一番目について生産性向上が必要なのは発展途上国であって、日本のように世界のトップレベルの生産性を誇る国が生産性向上を目標にするというのは経済発展段階を無視した議論であると森永氏はいう。
 二番目の論点については、労働時間の弾力的な運用はすでに裁量労働制で可能になっているので、あえてホワイトカラー・エグゼンプションを導入する理由がない。
 三番目の論点についてはまやかしであると断じている。労働者派遣法でも当初は同時通訳などの専門職に限定されていたし、製造業については絶対に適用しないとまで言っていたが、結果は1999年に禁止リストにない職種は原則自由(ネガティブリスト化)ということになり、2004年には聖域だったはずの製造業へ拡大された。だから、当初は限定された職種だという政府の説明は信用できない。

 残業については労働基準法36条に規定があるが、これは歯止めにならないと森永氏はいう。使用者側のほうが圧倒的に力が強いことを理由に挙げている。

 もうひとつ、成果の評価の問題にも触れている。成果によって報酬額を決めるのだが、成果についての公平な評価は不可能であると森永氏はいう。評価はボスが決めるのだが、ボスの好き嫌いで部下の報酬額が決まることになるので、次のような人間が社内に増えるというのだ。
a 上司への取り入り方のうまい者
b 同僚の脚の引っ張り方のうまい者
c 同僚の手柄を横取りする者
 成果主義による評価は結果としてこういう人材が社内に跋扈するようになるというのである。結果として仕事の質が落ちてしまう。
(普通の会社ならそうなるだろうが、わたしのいたある東証Ⅰ部上場企業は職種ごとに難易度を設定し具体的な年次目標設定をすることで成果主義に基く評価制度を実施していた。達成時期が不明とか「がんばります」というような評価不能な抽象的あるいは精神的な目標設定は拒否される。管理職は戦略目標実現のために、いついつまでに何をどのようにやり、どのような効果が期待できるのかを具体的に記述しなければならない。こうした成果主義の評価制度を導入するには、評価制度の運用についてのトレーニングが必要になる。評価結果については社内のネットワークで評価項目と共にオープンすることで公平性を担保することも可能だ。評価について部門を越えた"speak out"を保障することで、恣意的な運用を防ぐことができる。やりかたを教えてやるから、根室市役所で導入したらいかが?)

 ホワイトカラー・エグゼンプションはタダ残業を強要する制度であるが、日本は米英とともに残業の多い国だから、残業時間を少なくする方向へ誘導するような制度改革ならわかるが、これはそういう方向とはまったく異なるものであり、働く者の幸せにつながらない。豊で幸せな暮らしを保障するどどうしていえないのかというのが森永卓郎氏の言いたいことのようだ。
 国民の幸せにつながらないような制度導入を急ぐ安倍政権は経済政策の方向を誤っている。
 

*残業代の割増率については日本は25%だが、米国は50%。
 割増率が低いことが残業を増やす誘引となっている。そのうえにただ働き残業を追加したら、なおいっそう残業が増えることになるのはebisuには自明に思える。いずれ正規雇用だけでなく弱い立場の非正規雇用にまで拡大されることを強く懸念する。国民を不幸にする政策の上に企業の繁栄をもたらそうというのだろうか?
 経済政策のベクトル(方向)の間違いに気がついてもらいたい。こんなことまでしないと実現できぬ成長路線、歴史的に見れば日本は高度経済成長時期をすぎて、経済縮小時代に突入したという理解の上にたった経済政策を立案・実行すべきで、こういう無理に無理を重ねても、結局もとの木阿弥となり、残るのはマイナス成長と大きな財政赤字である。安倍政権のブレーンはいい大人たちのはずだが、考えの基本的なところをまちがえている。経済政策の前提条件の認識に基本的な誤りがあるのだ。

**#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10




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#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 [仕事]

 産業競争力会議をいうのがあるようだ。そこでホワイトカラーエグゼンプションを検討しているという。理由は生産性を上げることで競争力を強化しようということのようだ。残業代を支払わなければ産業の競争力が強化できるのだろうか?

 言葉の定義からみよう。

 exemption: permission to ignore something  such as a rule, obligation, or payment
   ・・・Macmillan English Dictionary for advanced learners

  兵役「免除」や税金の「控除」をあらわす言葉のようだ。「法や義務あるいは支払のようなものを無効にするもの」だから、徳政令も含む概念なのだろう。ようするに一部の法規制を無効にすることをいう。

 white-color exemptionとはホワイトカラーに限定された法規制(労働基準法)解除ということ、「労働時間規制適用免除制度」という訳語が充てられている。
 免除されて誰が得をするのだろう?残業代を支払わずにすむのだから雇用者側あるいは株主が得するように見えるが長期的に考えるとそうではない。

 残業代を支払わないことがどうして生産性向上につながるのかがわたしには理解できない。高度な専門職については労働時間ではなく成果で給料を支払うというのがいままでとは違うところだ。成果の客観的な評価はとてもむずかしい。よほどの人格者でなければ、自分の好みが評価に大きく反映するものだ。きらいなやつの評価は低くなるから、大方は評価者であるボスにゴマをする者を増やすことになる。
 管理職については管理職手当てがついており残業代は支払われないから、一般職の者たちが対象ということになる。管理職が7時頃に帰宅して、能力の高い一般社員が給料も安いのにタダ働きで終電間際まで仕事をするわけがない。難易度の高いいい仕事を次々にやらせることで優秀な人材を育てることができるが、タダ働きではそうした機会をなくすことになる。

 5/28MSNニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140528/biz14052809220035-n1.htm
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政府の産業競争力会議が進める労働規制の見直しで、労働時間規制を適用しない「ホワイトカラー・エグゼンプション」の対象職種を限定する方向で検討していることが、27日わかった。

 労働者が仕事を自らの裁量で調整や管理ができる企画部門の会社員や金融機関のファンドマネジャーなどの一部の専門職を対象とする。28日の競争力会議で民間議員が提案する。

 民間議員の提案では、労働者側に一定の裁量がある専門性の高い職種に限定して、本人の同意を前提に導入を可能とする一方で、小売店での販売職やトラックの運転手などは対象外とするとしている。労働時間と成果の関係に応じて対象職種を線引きし、労働者側から懸念されている、なし崩し的な導入を防ぐ狙いがある。

 また、長時間労働を防ぐために、労働時間の上限や休暇の最低限の取得日数といった労働者の健康管理を行う仕組みも併せて導入。長時間労働を強要するなどの悪質な企業への指導や罰則も強化する。
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 わたしは20代後半から産業用エレクトロニクスの輸入商社で、「高度な専門職」に該当する仕事を五年間やっていたことがある。中途入社したての三年間で為替変動に左右される業績を為替変動から切り離す仕組みを営業課長のEさんとつくった。そのほかに利益を拡大する仕組みをいくつかつくり、システム化もした。役員中心の6つの委員会に属して仕事のほとんどは単独でやり遂げた。
 もし、あの三年間にホワイトカラー・イグゼンプションが実施されたいたら、バカバカしくなっただろう。週に3日間は終電近くまで残業し、土日のいずれかは10時間ほども書斎に閉じこもってシステム関係や管理会計や経営管理関係の専門書を読み漁った。時代の先端を駆け続けるには日本で出版された本ではとても間に合わず、米国で出版された最新の専門書を何冊も読まざるをえなかった。利益管理の統合システムを実現するにはそれぐらいの負荷がかかった。売上高経常利益率は平均して10%程度あがった。その仕組みのあるおかげで、その会社は後に店頭公開を果たした。
 臨床検査会社へ転職してから、東証二部への上場準備で統合システムのサブシステムである会計システムを担当したが、監査会社から派遣されていた会計システム担当の公認会計士を外すことに同意した。200万円/月支払っていたのだが、技術レベルが低いので困っていたら当時の課長が提案してきた。Ⅱの部に適合する会計システムと支払管理システムの仕様書を3週間ほどで書き上げ、1週間漏れやミスがないかチェックしていた。予算システム、原価計算システム、購買在庫管理システム、販売会計システムとのインターフェイス仕様書は3日間で書き上げた。着手9ヶ月でシステムは2ヶ月の並行ランを含めて無事に本稼動した。会計分野の専門知識とシステム技術レベルの低いものがやったら2年かけてもトラブル続出だっただろう。1984年のことだ。担当してくれたNCDのSE二人もこの分野では一流だった。
 会計とシステム両方の高度な専門知識を有する技術レベルの高い一般職はたまにいるし、仕事に恵まれた少数の者が会社の利益構造を劇的に変える。そういう修業時代を潜り抜けて、赤字会社を高収益の黒字会社へ転換できる強い経営者が育つ。複数の分野の専門知識が必要な困難な仕事がなければ人は育たぬ。

 能力が群を抜いて高い平社員に残業代を支払わずに働くことを強要したら、成果は出ないし、優秀な社員を育てられない。タダ働きしろというなら、だったらまず管理職や役員がやってみろということになるし、ばかばかしくてそんなことを言う会社への忠誠心は失われる。
 こんなものを制度化したら、日本企業から活力が失われ、人材が育たなくなる。亡国の制度導入が始まろうとしている。どうして安倍政権は頓珍漢な政策ばかりとりあげるのだろう?いいと思ってやっているのだろうが、経済や仕事音痴も度がすぎている。

 森永卓郎氏が6/6日の朝のNHKラジオ番組「ビジネス展望」で標記についてめずらしく実務に即した正統な解説していたので、続編「~②」を書こうと思う。

*#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10

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#2688 AKB48 障害事件を考える:「売り手よし、買い手よし、世間よし」を守れ May 27, 2014 [仕事]

 AKB48の握手会場で20代の男がメンバーに折りたたみのノコギリで切りつけたという事件が起きた。

 AKB48のCDを買うと握手券がついてくる。お気に入りのメンバーと握手がしたいために同じCDを何枚も買う。これはファン心理を逆手に取った悪質商法だ。
 投票権もCD1枚につき、投票権が1票与えられるようだが、これも悪質商法そのもの。なぜ悪質かというと、CDは1枚で充分なのにファン心理を利用して何枚も買わせるからである。投票や握手が終わればCDはいらないということになる。つまり、要らないものを買わせている。前から胡散臭い、いやアクドイことをやるものだと思っていた。

 売上縮小に悩んだメーカが苦し紛れのドギツイ悪質商法に打って出たというのが真相だろう。まともな経営者はこういう商売の仕方をしないもの。典型的な浮利を追う商法だ。
 ファン心理を煽り、人の心を弄ぶ商法はよくない。
 若い人たちも何枚もCDを買うのはやめよう。
 大人たちはダメなこと(悪質商法)をダメと言おう。

 商売は正直に誠実にやるべし。
 要らぬものを買わせてはいけない。
 浮利を追ってはならぬ。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」


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