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#1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」  May 31, 2012 [ポジティヴ&ゆめ]

 根室支局の栗田記者がやってくれた。いい取材記事だ、最高!北海道新聞根室地域版のシリーズ記事のことである。「歯舞 コンブの浜 春(下)」に二人の青年が大写しになっている。タクヤとカズキだ。二人とも身長180センチを超える大男だ。タクヤのほうが背が高い。体重は二人とも軽くはないから秘密にしておこう(笑い)。

 デビュー 父の背中に満船の夢

 4月の高校を卒業したばかりの双沖のコンブ漁師が6月1日の歯舞群島貝殻島コンブ漁解禁でデビューする。19歳と18歳、隣同士で歯舞中学まで同級生だった二人だ。

 二人がニムオロ塾に来たのは小5のときだ。一度市営グラウンドでの野球を見に行ったが、一人中学生がベンチに座っている。よくみたら小5のタクヤ君だった。あのころは目がぎらついていた。アブナイ光が目の奥にあるのが気になった。中学時代にそういうタイプの友人がいたからそのままではどうなるか想像がついた。大きな身体で負けん気が強かったから、感情をセーブできずに腕力を振るっても大事になる。勉強よりもそちらの方をなんとかしたいと思った。
 白鳥先生が毎日出す算数の手作りの宿題プリントをやるのみで塾用問題集にはときどき手をつけるだけ。中学生になっても英語の勉強を嫌がった。
 「船に乗るには小型船舶免許がいる、気象とか天体とかそういう勉強もしないと合格しない、いずれ勉強しないといけないことになるからそのためにいましっかり勉強しておけ」
何度も言ったがその都度のらりくらりと逃げた。英語だけは本当に嫌そうだった。いまにして思えば家業を継ぐから勉強などする必要はないとあのころから心に決めていたのだ。
「防水機能付・GPS機能付の携帯が開発されるだろうから、漁に出るときはバッテリーを確認してもっていけ、落ちてすぐに連絡すれば助かるかもしれない」
 言ってた当時はそういう機能を兼ね備えた携帯電話はなかったが、かれらが漁に出るいまなら、そういう携帯電話が商品化されて発売されている。明日はしっかり身につけて出漁するのだろう。

 カズキは手のかからぬ生徒だった。授業中にタクヤと冗談を言い合いながらも勉強はしていた。ゲームに嵌っている時期があった。カズキはすこし太っていたがじつは筋肉の塊で運動神経もヨサコイに参加して踊っているのをみるかぎり悪くない、悪くないどころかリズム感があり潜在的身体能力の高さを感じた。高校へ進学するのをよして相撲部屋に入ったらと勧めたことがある。親に相談してみろと言ったら親はいいと言っているが自分が嫌だとはっきりした返事。性格的に穏やかで格闘技は嫌いなのだ。もったいない。家がコンブ漁をしているとコンブ干しを手伝うので腕力が鍛えられ強くなる。海から引き揚げたばかりの濡れたコンブは重い。腕力が強く運動能力のすぐれた彼ならいい相撲取りになったかもしれない。

 タクヤとカズキは隣同士だから塾へも一緒にきた。たぶん歯舞のある人の紹介だったのだろうと思う。あれから8年だ。
 タクヤは数学以外勉強せず、カズキはコツコツ勉強して成績を上げた。タクヤは根室西高校へカズキは根室高校普通科へ進んだ。カズキは高校へ入学してから数ヶ月間塾へ来ていた。
 あるときタクヤから電話が入った。
「先生、小型船舶免許をとりたいのですがどうすれば勉強に集中できますか?勉強に集中できないんです」
 入学して数ヶ月のことだ。どうアドバイスをしたが覚えていない。必要になれば勉強はするものだからこうなるときを待っていた。ちょっと遅かっただけ、家業を継ぐという責任感はしっかり持っていた。それから3ヶ月ほどして教室へ来た。
「先生、小型船舶免許試験合格しました」
「やったか・・・合格おめでとう」
 
 うれしいものだ。
 目の奥にひそんでいたぎらつきは中学生になってから次第に薄れ、中3のときには優しい目つきに変わっていた。たとえていうと「熊にまたがる金太郎」のようなまなざしだった。勉強はともかく、これで大丈夫だと思った。
 根室西高校へ入学してわずかの間にこれほど成長を見せるとは、「想定外」だった。生徒たちの潜在力はどうやってもはかり知ることができないものだ。本人の名誉のために書いておくが、あれほど嫌いだった英語もずいぶん勉強したらしく、塾先生のわたしに報告できるようないい点数をとっていた。
(私は高校2校体制の存続を願う。根室西高校の維持に根室市の予算から毎年1億円の予算を投入してもいい。14億円近くもなっている病院の赤字を毎年数億円減らす手立てはあるから浮かした費用を投下すればいい。根室西高校という畑でないと育たない作物もあるということ。根室西高校という畑でも家業を継いでしっかり根室を担う若者が育っている。養分の異なる土を持つ二種類の畑(高校)が必要だ。人材を育てることこそが根室のマチの最優先課題と言っていいのではないだろうか。)

 185センチほどもあるタクヤがサッカー部でがんばっていたのは知っていた。3月のある日授業をしていたら教室のドアのすりガラス窓に大きな影が映った。誰だろうと思った。
「先生、今日卒業したので挨拶に来ました」
 西高校の制服を着たタクヤだった。
 これにはまいった、きちんと背筋を伸ばして大人の挨拶だった。
 ああ、"卒業"したんだ、子供の時代が終わって大人への脱皮を感じた。

 家業を継ぐことに迷いがなかったタクヤ、迷いながら家業を継ぐほうの道を選んだカズキ、その二人が並んで写っている。塾へ来た当時の童顔が瞼(まぶた)にだぶる。

  明日6月1日は歯舞群島貝殻島コンブ漁の解禁日だ。ノサップ岬のすぐ目の前に見えるわが国の領海へ出漁するのに採取料を支払わねばならぬ現実を味わってくるがいい、そして考えろ。明日のコンブ漁を、そして根室と北方領土問題を。君たち二人の本物の勉強は明日からはじまる。塾長からのエールだ。

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 こういう若者が根室に残ってくれる。根室の将来もまんざら捨てたものではない。牧の内のオホーツク海沿いには1学年うえのしっかりした生徒がやはり漁業の家業を継いでいる。先日、日曜日のサイクリングのときに網を干す仕事をしているところを見かけたので声をかけた。
 仕事の手伝いを小さいころからしていると、筋力が強いから、運動能力が高い者は個人競技なら管内ナンバーワンとなるケースがある。家業を手伝わなければあれほどの筋力はつかない。
 3年前に北海学園大学に進学した女子生徒を前任記者が取材して載せたことがあった。塾を開いた12月に入塾してきた三人の小6年生のうちの一人である。一人は法政大学へもう一人は看護専門学校へ進学した。三人で授業中は雑談なし、競うように勉強していた。
 21歳で税理士試験に合格し20代から東京有楽町で税理士事務所を開いている同級生のH・Kがやはり新聞に載った二人と同じフタ沖で生まれ育った。高校1年のときに同じクラスだったが、腕相撲をしたときその力の強さに驚いたことがある。友知の同級生ヒロシは卒業した年の8月16日に交通事故で亡くなった。いい奴だった。あれから45年もたった。45年後に隣同士のタクヤとカズキがそれぞれの息子と元気にコンブ漁をしていることを祈っている。
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*#1954 味わいのある記事:「歯舞 コンブの浜 春」 May 30, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30

*cccpcameraさんのブログ紹介
 右側の「リンク」や「カテゴリー」に北方領土関係があるのでそこをクリックして閲覧してください。根室の北方領土関係団体のホームページと見比べたらいい。「領土問題(217)」「歴史問題(177)」「日露・日ソ関係(159)」・・・
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/

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#1914 フレシマの野鳥と風車(北海道新聞道東版より) Apr. 20, 2012 [ポジティヴ&ゆめ]

 標記の記事は#1906で取り上げた取材記事への担当記者の感想である。根室支局でこの記者だけ面識がない。女性記者らしいいい記事である。パトリオットのebisuは若い女性記者が根室へ赴任して1年、寂しさを噛み締めながらだんだんと根室のよさにも目が向いてきているのをうれしく感じている。

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 根室市民になって1年が過ぎた。根室が野鳥観光に力を入れるのしたがって、バードウォッチングをする機会も増えてきた。
 取材ではあちこち駆け回るが、一番好きなのは布団の中―というインドア派な私。正直根室に車では大通公園で戯れるハトを遠巻きに見るぐらいで全く興味がなかった。むしろ小さなハトさえ、集団で突然襲ってきそうで怖かった。
 だが最近、鳥の種類がわかるようになることが小さな楽しみになりつつある。休日の探鳥会に参加し、公園を散歩することも気持ちがいい。ここにしかいない野鳥がみられるという「レア感」がいいのかもしれない。
 そんな野鳥の楽園・根室のフレシマ地区に風力発電所の建設計画が持ち上がっている。
 東日本大震災の福島第一原発事故以降、自然エネルギーに注がれる熱視線。私たちの生活は伝記がないと成り立たないのは事実だ。
 ただフレシマは車などで簡単に立ち入ることができないため手つかずの自然が残され、オジロワシや丹頂などの営巣地もある。風車ができれば野鳥がぶつかり、犠牲になる可能性も高い。
 私たちの生活と二度とは戻らない自然。本当に大切なのはどちらか。根室市民にもっと関心をもってもらえるような報道をしていきたい。(笠原悠里)

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 ノサップを取材したときの掲載写真に取材対象と記者の指だけが写っていた。どんな記者さんが来たのかなと、あれはなかなか思わせぶりでよかった。(笑い)
 これからも根室中をかけずりまわっていい取材を重ねてください。

*#1906 【政策矛盾】野鳥の王国に風力発電計画  Apr. 14, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-14

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#1781 北の勝:碓氷勝三郎商店 :"トップの決断 北の経営者たちより" Dec. 23, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 12月22日付北海道新聞14面経済欄シリーズ「トップの決断 北の経営者たち」に碓氷勝三郎商店が採り上げられた。言わずと知れた北の勝、根室の老舗企業である。
 
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<トップの決断>
  《北の経営者たち》
 
碓氷勝三郎商店店主 碓氷ミナ子さん(68)
  「香りが弱い」 本醸造を出荷停止
   
うそをつかず真剣勝負
 「香りが弱い、うちのお酒ではない」―。1999年6月初旬の午前。酒蔵のタンクから茶碗に注いだ清酒「北の勝」本醸造の利き酒の瞬間、そう直感した。
 杜氏は「少し違う程度と思いますが」と言い、十分商品になる味だったが、どうしても納得できなかった。卸売り、小売業者そしてファンの顔が浮かぶ。「やっぱりやめます」。出荷停止はその日一人で決めた。…

 新潟県出身の初代・碓氷勝三郎氏(1854~1916)が値の張る本州産に対抗し「地場で安くうまい酒を」と始めた。明治時代に九つまで増えた港町根室の酒造業の草分けだ。漁業やタラバガニなどの缶詰製造に乗り出し、国後、択捉島に漁場や工場を広げ、牧畜業も手掛けた。碓氷家は根室を象徴する大実業家だった。
 しかし、敗戦後、北方四島の資産や漁業権、牧場の多くを失う。そして、4代目勝三郎を襲名し根室商工会議所会頭も務めた父(1915~88年)が設立した缶詰製造「日本合同缶詰」が76年、円高やオイルショックの直撃を受けて倒産。連帯保証人だった父はその直前に過労で倒れた。
 当時は関連会社ホクトタクシー社長として経営に携わっていたものの、若干33歳。突如二十数億円に上る負債が4代目の一人娘にのしかかった。
 債権者から矢のような催促、法外な返済要求もあった。帳簿類を読み込み、債権を持つ企業の担当者が返済した金を横領していたことを見抜いたこともあった。「活きるか死ぬかの修羅場」のような日々は、88年の5代目就任後も13年ほど続いた。
 缶詰製造を失ったが、初代から続く屋台骨の酒造りは守り抜いた。その中で得たのは、トップがいいふりをしない、うそをつかない組織は事業も人もまっとうだという教訓。12年前、本醸造出荷を停止した決断の底には経営者として磨き上げてきた信念がある。
 ・・・(栗田直樹)

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【いい取材記事だ】 
 全道版なのだが、検索しても記事が出てこないので、抜粋して紹介した。私は赤でハイライトした部分がたいへん気に入った。根室支局の栗田記者はこういう取材がうまいのだと得意分野がわかった。記者はそれぞれ自分の問題関心のあるところで構想を温め記事を書くこともある。いわれてやる仕事とは違う味が出る。赴任してから1年半をすぎたが、いい嗅覚をしている。やるもんだな。北海道新聞根室支局ここにあり。

【造り酒屋は家業であるという自負】
 会社形態をとらない理由について記事中で直接の言及はなかったが、株式会社であってもいい規模である。
 私の勝手な憶測だが、造り酒屋の部分は"家業"としての意識が強いのだろう。株式会社化して資本を集める必要などこの商店にはない。敗戦で北方領土にもっていた財産を失ったとはいえ、根室市内に潤沢な不動産を有し堅実な経営に戻り経営が安定しているから、株式会社化の必要がないのだ。
 そして商店経営の良さを体現した企業であることは間違いがない。商店は店主がいて店主の考えを熟知している番頭さんがいる。確認をしたわけではないが規程類は法律上必要なものを除きほとんどないだろう。

【経営の基本】
 一例を挙げておきたい。この商店の定年は65歳である。店主が従業員に"当店の定年は65年です"とそう言えば、それは確実に守られる。明文化した規程よりも、店主の口約束の方がはるかに思い、そういう企業である。だから、明文化した規程類はそもそもこの企業には必要がない。この企業は「うそをつかない組織」、誠実な信頼関係に結ばれた人間関係を維持している。約束したことは必ず守るという店主のお人柄もあるだろう。
 "碓氷勝三郎商店"だから働いている人たちは"店員"と呼ぶべきなのだろうか"職員"なのだろうか、どちらで呼んでも実態とあわぬ。家族的な雰囲気のある企業でありながら息苦しくなく、個々の判断・裁量は従業員に任されている。もちろん、大きな組織ではないから日常の仕事を通じて相談・報告は丁寧に行われ、店主と従業員に経営に対する考え方に齟齬が生じないようになっている。
 店主は家業の経営の安定と取引先の利益と従業員の生活の安定を基軸にものごとを考える。店主だったらどう判断するかというのが、この企業で働く従業員の基本姿勢だ。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」という経営判断を誠実に重ねている企業である。老舗の歴史は重い。

【三方善しの老舗経営】
 限定生産で量を増やさないから幻の銘酒「搾りたて」という銘柄がある。毎年1月に発売するがすぐに売り切れるから手に入れるのは至難の業だが、私はこの企業に長く勤める同級生に入手を頼んだことは一度もない。頼んだところで丁寧に断られるに決まっているし、親友を困らせたくはない。だから市内の小売店から入手している。碓氷勝三郎商店は「メーカー⇒問屋⇒小売店」の販売ルートを決して崩さない。私が頼んでも直接売ってはくれないが、それは老舗の三越デパートが北海道物産展を開くので売ってほしいと申し込んでも同じことだ。「問屋さんからお求めください」とうことになる。長年の取引先に悪影響が出るようなことは、どんなにおいしそうに見えても、断る勇気をもった企業である。商売でずるいとか卑怯なことは絶対にしない、長年の取引関係を大事にする。ebisuのようにそういう生真面目な経営姿勢に喝采を送っているファンも少なからずいる。
 私は注の①②③にこの企業に係わる具体的なエピソードを書いている。そちらをあわせ読んでいただければ、この老舗のよさのいったんがわかるだろう。

【ebisu絶賛!】
 私は上場企業を目指す企業で働き、企業の株式上場がどういうものであるかを経験した。公開企業のよさを充分に知っているつもりだが、それでも碓氷勝三郎商店の経営を絶賛せざるを得ない。高校時代のごく親しい友人がこの企業で働いているから褒めているのではない。私はそういうことをしない人間である。悪いものは悪いと言うが、良い物は良いと素直に言う姿勢はこれからも崩さないつもりだ。

【店主は自分の利害を優先せず、正直に誠実にその歴史を刻む】 
 店主は問われたら正直にはっきり物を言う根室には珍しいタイプの人。言動に老舗企業の誇りを感じるが、目線は高くなく横柄さや威張ったところが微塵もない。目に優しさをたたえ、どこにでもいる町のおばさん風の気さくさもある。
 この女性経営者に匹敵する男が根室にいるだろうかと探しても一人も思い浮かばぬ。身近な経験から学んだ言葉には真実がある。トップがいいふりをしない、うそをつかない組織は事業も人もまっとうだ、こう言い切る経営者が続出してほしいもの。地元企業経営者たちの中に胸に手を当てて考え恥ずかしいと思う者があれば、今日からきちんとすればよい。
 正直で誠実な仕事、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」を積み重ねたからこそ、敗戦の荒波にも、日本合同缶詰の倒産にも耐えて125年の歴史を刻むことができたのだろう。

 老舗企業は造るものだけがいいのではない。銘酒北の勝を造る碓氷商店、根室ナンバーワン、孤高の名門企業である。

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*ジャパンタイムスが碓氷ミナ子さんへ取材した記事を採り上げた。
 ①#258「長文読解夏季特訓が終わって 」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-16

 芭蕉同窓会での北の勝「搾りたて」談義
 ②#052「芭蕉同窓会」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-01-21

 S20年の根室空襲のときの碓氷商店の炊き出しについて書いてあります。500人あまりが死にました。着の身着のまま生き残った人たちが協力し合ってリヤカーにご遺体を積んで海に流したそうです。団塊世代が小さな頃海岸で遊んでいると人骨が砂に混じっていました。
 ③#024「基本トレーニングは頭でするな、身体で覚えろ 」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2007-12-15

  ④日本酒は世界最古の細菌純粋培養技術で造られている
 #047「幻の銘酒:北の勝「搾りたて」本日発売」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-01-15


 右側の欄外の最下段に検索ボックスがある。そこに「碓氷」と入力すると、折に触れて書き溜めた記事が20本ほどリストされるので、興味のある人だけお読みいただきたい。

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#1746 ドキュメンタリー映画「普通に生きる」(2) Nov. 22, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 miopapaさんがご指定のマドンナさんのブログを紹介します。映画のことが詳しく解説されています。

http://madonna-dream.blog.so-net.ne.jp/archive/20111115
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miopapaさんが 素晴らしいドキュメンタリー映画のことを教えてくれました。
miopapaさんブログ 「直にして和」
http://kids-dream.blog.so-net.ne.jp/

『普通に生きる』〜自立をめざして という映画です。
映画公式HP
http://www.motherbird.net/~ikiru/


「普通に生きる」ダイジェスト版 予告

普通に笑っている・・・それだけなのに・・なんで涙がでちゃうんだろう・・・
ぽろぽろ ほほをつたう涙が 止まらくなってしまいます・・・

私も考えてました。まこちゃんの障害発症のとき・・・放心状態で上をむいたまま・・・
口をつたわって落ちて つーーー つーーーーと 落ちてくる よだれをみたとき・・・
私は ことばにならない声をあげながら まこちゃんの身体を前後にゆさぶっていました・・・
「やめて・・おねがい・・やめて・・わたしをからかっているんでしょう・・
 うそでしょう・・・お願い もとにもどって  まこちゃん・・まこちゃん・・・」
私は 泣き叫んでいました・・・
わたしのそばには 後ろ向きのまま 何の反応も無くして、私が母親であることさえ わからなくなってしまった まこちゃんがいました・・・。
うう〜うう〜〜ああ〜ああ〜しか言えなくなった まこちゃん・・
「パパ〜ママ〜 大好き〜♪」と満面の笑顔で両手を広げて飛び込んでくる姿を見ることは もう不可能なことでした。
私の地獄のような生活の・・ まこちゃんの苦難に満ちた毎日のはじまりでした・・・
「いっしょに死のう・・」そういった私の顔を まこちゃんは じっと見ていました。
まるで何かを決心したかのように・・私は まこちゃんを抱きしめて泣きました・・・
そして・・・市役所に電話をして 助けを求めたのです。
とても障害が重くて 将来を考えられないくらいの私達は・・・何の夢も希望もありませんでした。
6歳半で 療育に出会うまでは・・・

私達のような母子を もうつくっちゃいけない・・わたしたちのような思いをさせたくない・・・
私達が 特別支援教育にかける思いの・・これが原点です。

私の友達のママさん達は とてもバイタリティがあって、社会福祉法人の身体障害者のデイサービスを私財をつぎ込んで創ったママや、親たちが共同で出資しあって パウンドケーキを作る作業所を創ったり・・・パワフルな先輩ママ達がいます。

重度のお子さんをもち、車いすがかかせない・・移動がとっても大変な 重い障害のあるお子さんは 特別支援学校の高等部を卒業後に みんなと笑える場も ふれあえる場もなくなってしまう・・・
私の親しいママ友も苦悩していたし、同じ社宅のママ友も 小学生のお子さんの車いすを押しながら悩んでいました。

この映画は たくさんの人に夢や希望を与え、そして インクルージョン社会を創るために とても大切な映画だと思います。


futuu-2.gif

出産時の事故や、生まれつきの病気や難病など様々な事情によって身体的に負担の大きい人たちが「普通に生きる」ことが困難なのは言うまでもない、と多くの方が思われることでしょう。実はこの映画には、~自立をめざして~というサブタイトルがついているのですが、「まさか、こんなに重い障がいを持った人たちが、普通に生きるどころか、自立だなんて・・・」と、違和感を覚えたり絶句して眉をしかめる方は、意外にも、ボランティアや地域福祉に精通されている方、社会福祉の要職につく方にも多いのでした。

 しかしこの映画に登場する人たちは「どんなに重い障害を持っていても、地域の中で普通に生きられる社会をつくる」ことを理念に、不屈の信念で理想を目指し、夢を実現してゆきます。重い障がいを持った子をもつ親たちに対して、多くの人が普通に抱くイメージの暗さや偏見を見事に打ち破り、親たちは柔軟かつ大胆な発想で、自らの道を切り拓き、明るく自己実現を果たしてゆきます。

 はじめは、我が子のために、親なき後の未来を案じて始めた活動がきっかけでしたが、親たちが獲得した"場作り"は、やがて障がいをもった子はもちろん、親自らと、地域社会をも豊かに育んでゆきます。

 富士・富士宮市で親たちの努力によって作られた重症児の通所施設を五年にわたって追ったこの作品は、重い障がいを持った人たちの世界だけをテーマにした映画ではなく、大きな意識変革によって社会を突き動かした、普通の親たちの、優しく、熱く、力強い行動の記録です。親たちや地域が、成果として得たものが何だったのか。それをぜひご自身の目で確かめてください。そして、成熟した社会づくりのために力強く今も闘い続けている、小さな町の大きな動きをぜひ、心に焼きつけていただきたいのです。

 日本は今、厳しい試練に立たされています。繁栄の陰で現代社会が失ってきたものの大切さと、生みだしてしまった「いのちの格差」の問題が顕わになり、今こそパラダイムシフトが必要な時であることを、この映画に登場する人たちが教えてくれます。被災されている多くの方々と、それを支えようとしている人たちが、明日と向き合う勇気を再び強く得るためのヒントも、この映画の中に見出すことができます。そして、多くの親たちが、生まれてきた我が子に障がいがあるとわかった時から、深い深い絶望の淵を彷徨い、死を想い、やがて笑顔を取りもどしてゆく過程で気づいた価値観の変化にも、未来へと明るく生き抜くヒントがあるように思います。

 災害だけでなく、事故、病気・・・と、誰の身にも明日、何が起こるかわかりません。今の社会のままで、今の意識のままで、身に起こるすべてを受け止め、最期まで「普通」に笑顔で生きられるでしょうか。

 媒体や発言する場をお持ちの方は、ぜひ、ご意見を発信してください。映画を飛び越えて、舞台となった施設や映画に登場する人々を取材していただけたら、制作者として本望です。
 私たちは映画を携えて、こっそりと、可能な限りそのお手伝いをさせていただきます。
 プロデューサー : 貞末麻哉子


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#1745 ドキュメンタリー映画「普通に生きる」 (1) Nov. 22, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 世の中にはさまざまな障害を抱えて生きざるを得ない人々がいます。そしてそうした子どもをもつ親たちがいます。
 福島原発事故を境に、世の中には事実を正しく知っておかないといけないことがあることを思い知らされました。
 事実を知ること、人の痛みや悩みを知ることが住みよい社会を築く素であるのではないでしょうか。

(かく言う私も、5年半前にスキルス胃癌と巨大胃癌を併発し胃の全摘、胆嚢切除、大腸一部切除という手術を受けて命を助けていただきました。大丈夫ですよ、健常人に比べれば日常生活にそれなりの注意が必要ですが命を助けていただいたことに感謝しながら元気に暮らしています。)

 お互いのブログを読んで交流している方の一人に、ハンドルネームmiopapaさんがいらっしゃいます。ご自身も事故で障害を得てますが、重度障害者の就労支援を13年間おやりになっている方です。
 昨日アップされた記事に障害児を持つお母さんたちの切実な悩みの一端が取りあげられていました。そして標題の映画の紹介が載っています。
 ebisuはできるだけ多くの人に知ってもらいたくなりました。現行法では救いきれていない現実も知ってもらいたい。
 以下に転載しますので、ぜひお読みください。

http://kids-dream.blog.so-net.ne.jp/archive/20111121
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普通に生きる ・ ・ ・ [育む]

今の取り組み/重度障害者の就労支援を始めて13年
当初は、成人を対象にすすめていたのですが

平成18年に自立支援法が施行され、
中で、就労継続・移行という文言のもとに急速な動きが始まって以降、
良い面から云えば、
そうした動きが、障害当事者の中に、
「働きたい!」 「働かなくては!?」 という意識の高揚につながり
様々な障害をもつ人達からの相談や応募が増えてきました ・ ・ ・

反面、
決められた訓練や研修を終えても、受入れ先/社会整備の遅れにより、
働くことが出来ない人達の存在/問題も大きく見えてくると同時に
そうした以前に、
重度の障害をもつ子の親御さんたちからの、
我が子の将来、誰一人として口にこそ出されないものの
親亡き後のことに対する不安や悩みには計り知れないものがあり
でも!
現行法では、何故か? そこが抜けていて ・ ・ ・

数年前から、そうした親御さんからの相談を受ける中
とにかく、自分たちでやれる、手のつけられることからと模索する中で
圧倒的に、一般的な子育てに終わっていた県の制度を利用し
昨年に続き今年も、重い障害をもつ児童ならびに保護者を対象とした、
「QOL向上のための学び・体験の場(塾)」を開催する中で
何名かの親かさん達から、

私達も頑張ってやるから、是非力を貸して欲しい!!

と、具体的な企画案まで差し出され
何時も、第一歩を踏み出すまでに時間のかかる私は
お母さん達の熱意に、尻を叩かれつつも、ついつい考え込みがちな中
先日、県内の特別支援学校とPTAの主催による福祉振興大会の中の
「地域との連携を目指す」と言う分科会に、
これまた、何故か? 助言者という、
自分でも驚くような立場で参加の機会をもらい、

556-0 特別支援学校PTA研修会.JPG

行ってきましたが、
やはり、此処でのお母さん達の話し合いの中に出てくる切なる思いと、
きっと、我が子のことを思うが故に自然に生まれてくるものだと思うのですが
イザ! その場に立たせてもらってみると、
その、いったい、どこから生まれてくるの!? と云いたくなるほどの
熱い、あつい思いと心がヒシヒシと伝わってきて、
ともすると受け止めきれないくらいのプレッシャーと、
でも!!
やってみるかぁ~ ・ ・ ・
   やらないとなぁーーーーー!!
と言う、とても熱いものが心の中に湧いてきて、
自分自身に踏ん切りがついたのと、とても良い刺激と勉強に ・ ・ ・


その時、会場に来られていた一人のお母さんから手渡されたのが

556-1 普通に生きる01.jpg


私も、少し前に知り、取り組みの中で是非一度見学に行きたいと思って居た

静岡県にある、重度障がいの子を持つ親さん達が立ち上げられた 
「社会福祉法人 インクル富士の取り組みを、5年間にわたり密着取材した
ドキュメンタリー映画の自主上映会の案内でした ・ ・ ・

その映画を、
13日の日曜日、早速観てきました ・ ・ ・

やはり映画の中でも・・・と言うか、
”インクルふじ ” を立ち上げられたお母さん達始め、
これまで相談を受けてきたお母さん達の、
   我が子の、学校卒業後の生活の場/居場所と、
   そこでのケアーのあり方/質を求める気持ちは共通していて

例え働くことが出来なくても、
自分の思い・心を大切にし、生き甲斐を見いだせる場所の大切さと、
笑顔一つしかかえせなくても、そこに人としての役割のあること、
生きていることが、周囲に力を与え大きな価値を生み出すこともある ・ ・ ・

親は子の幸せを願い 子も親の幸せを願い、
それが当たり前の、お互いに自立した生き方であり、そうならなくては ・ ・ ・

そして、
お金をもらうことだけが「働く」ことではない ・ ・ ・

と、とにかく
障害をもつ子だけでなく、
親や、周りで関わる行政や支援・指導の立場の人も含め
様々な角度/視線から見つめ・考えられるように捉えるられていて、
恐らく、
私のみならず、家族に何らかの障がい等のある人を抱えてみえる人や
福祉・教育・医療・リハ等々に関係のある人は
日頃、漠然としつつも、心の奥にしこっていた何かが、溶けていくような ・ ・ ・

私も、一緒に行った妻も、
いえ! 
会場に来られていたお母さん達はじめ、
今回、講師としてとしてこられていた、当取組み/取材先の
中心的人物・存在でもある所長さんまでもが、
自分の所のことなのに、涙をボロボロこぼしてみえ、
   (上映後の所長さんとのお話の中で判ったのですが、
    映画の中に登場している子供達の中に、既に何人か無くなった子も・・・・・)

とにかく、言い表しようのない感動と、
この所、何かと挫折感にさいなまれ、投げやりになりそうだった自分の心に、
それが、まだ何なのかもつかめていませんが、
とにかく、 熱いもの を感じ、
早速、11/30日に見学をお願いして帰ってきました ・ ・ ・ ・ ・



  ----------------------------

※ この映画については、
   少し前から親しくさせて頂いています 
    ☆ 星に願いを ☆ の MADONNAさんが、
   とても解り易くご紹介頂いていますので、
   是非、
   http://madonna-dream.blog.so-net.ne.jp/archive/20111115
   へ!!

  ----------------------------

   ドキュメンタリー映画 「普通に生きる」 を制作した
   ” マザーバード ” のHp

   http://www.motherbird.net/~ikiru/

      ※ 検索 「普通に生きる」 からもみられます。


  -----------------------------

   《 今日の時計 》

556-2 長良特別支援学校の時計.JPG

             映画を上映した特別支援学校の受付の壁に掛かっていた時計



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 ebisuは一生懸命に、正直に生きている人が好きです。そういう人の輪が広がることを祈ります。

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#1547 釧路市議会基礎学力問題研究議員連盟 Jun. 9, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

  標記の議員連盟が釧路市議会にできた。
 釧路の小中高生の学力が低下し、帯広や北見との格差が広がりつつある現状に業を煮やした議員が立ち上げた。幸いにして賛同する市議が多く、釧路の町の将来に一条の光を見る思いがする。
 学力の低下を食い止めなければ、労働力の質や中小零細企業主の質の劣化を招き、釧路の地域経済はますます衰退せざるをえなくなるという危機感がバネになっている。
 6月9日9時半から記者会見だから明日の新聞記事、道新の釧路地域版や釧路新聞には載るだろう。

 「釧路の教育を考える会」「釧路市議会基礎学力問題研究議員連盟」、二つの柱が立った。


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教育改革関連記事
「釧路の教育を考える会」の中心メンバーのブログです。
*「不熱心な面々」⇒情熱空間より
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/3511711.html

「釧路の子ども達の基礎学力問題について、色々な所でお話をさせていただき、また多方面の方々と意見交換を重ねた上で実感することをまとめてみます。経済界の方々はおおむね好反応です。雇用の場の現実を日々目の当たりにしているわけであって、共感できる部分が多分にあるからでしょう。子育てが現在進行形の方も同様です。しかしながら、その手の話をするとソッポを向きたがる方が少数ながら確実にいらっしゃいます。私が思うに以下の順です。・・・」

 あとは本文を読んでのお楽しみです。

**「釧路発の快挙!(基礎学力問題研究議連)」6/10
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/3518368.html

***「第1825回 基礎学力問題研究議連」6/9、月田市議ブログより
http://blog.livedoor.jp/gekko946/archives/51602659.html

「趣旨に賛同して集まった議員は11名。
 月田光明(公明) 松永征明(政進会) 高橋一彦(自民ク) 
 続木敏博(自民ク) 鶴間秀典(政進会) 梅津則行(共産) 秋田慎一(公明) 森 豊(自新ク)
 金安潤子(市政ク) 三木 均(自民ク) 山口光信(自民ク)」

 まさしく超党派、根室も真似しよう。 


#1530 根室の過去・現在・未来(2):老舗家具店の閉店 May 28, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 5月28日付北海道新聞によれば1949年創業の根室家具センターが破産手続きに入った。
 根室には高級家具店の苅部家具店というのがあったが8年ほど前に閉店した。根室家具センターはニトリなどと商品が競合するから経営がたいへんだったのだろう。
 車の燃費もよくなっており、釧路・根室・中標津は商圏としてはもはや独立してはいないようで、相互に顧客が行き来する複合商圏をなしている。

 帝国データバンク調べで負債額は7400万円となっている。最近、店の前を通りかかったら閉まっていたので、ちょっと気になっていた。
 これで根室の町から家具店が消えてしまった。ニムオロ塾の机と椅子はこのお店から購入した。勧められて東京都立高校仕様の机を選んだ。
 さびしい限りであるし、これからを考えると不便でもある。なくなってからそのありがたみがわかる。
 ギリギリの経営を続けている商店や会社は他にもあるのだろう、なんとか智慧を絞って経営を続けて欲しい。

【地元企業経営の課題】
 わたしは規模の小さい会社(10人)から社員数200人の中小企業、従業員数3000人超の大企業まで規模と業種の異なる企業5社で働いた経験がある。規模の小さい企業は別として大方は経営企画・管理部門と本社管理部門(経理部、管理部、システムなど)で仕事をしてきた。企画の具体案を実行するのは企画部門ではないから、実際にその部門で仕事をする必要があるケースが多い。だから、実行不可能な企画案は作らないが、他人任せにできず自分でやらざるを得ない場面が何度かあった。縁があって関係会社や合弁会社の経営も経験もさせてもらった。
 株式上場については基礎作りを含めて3社で経験がある。会社は社会の公器である。そういう気持ちに経営者がなれたら株式公開すればいい。株式公開には経営者の人としての成長が必要であるように思う。
 
 会社の規模が大きくなるに連れて個人経営から会社経営に脱却しなければならない時期が来るものである。規模拡大しなければそれなりに現状維持は可能なのだろうが、事業には潮が満つるがごとく拡大チャンスの来ることがある。しかし10社に8社は規模が大きくなってつぶれていくのが実態である。
 個人経営を脱した企業が安定して成長することになる。1970~1980年代までは境界域がおおよそ売上規模で30億円だった。そのハードルを越えられた企業はおおむね売上高100億円以上の大企業へと変身していった。
 その会社で働く従業員の幸せを省みず社長一族の繁栄のみを考える企業、あるいは浮利を追う企業は一時の繁栄はあるが淘汰されてしまうもののようだ。天が見ているようでなんとも不思議である。

 車の燃費がよくなり、釧路・根室・中標津は今後ますます複合商圏の様相の度合いを強めており、根室だけの狭い視野で経営していたらジリ貧となり、次の世代へバトンを引き継げる企業は減少する。
 釧路・根室・中標津の複合商圏の中では、根室の企業の資本力の貧弱さも乗り越えるべき課題の一つとして挙げられるのだろう。
 基本はきちんとした企業経営に徹することだ。そこそこの規模にある地元企業は個人経営を脱して会社経営へ切り替えを急ぐべきで、企業倫理もより高いものが求められる。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営をしよう。

 あなたの勤務する会社あるいはあなたの経営する会社は
●決算を従業員に公開しているか
●利益の配分方式について社内ルールはあるか
●退職金規程があり、毎年いくらになっているか従業員へ通知しているか
●経理規程があり社長も厳格に守っているか

 会社経営のチェックポイントはほかにもある。

 経営根室の町が活性を取り戻すには、地元の中小企業が複合商圏で戦い抜ける企業に変わらなければならぬ。働く人が安心して働ける職場でなくてはならぬ。若い人たちが働くに値するオープンな経営の中小企業群があれば根室の人口減は食い止められるし、市税収入も増える。
 企業経営について専門知識や経験のある人材は根室には少ないから、何か知りたいことがあればいつでも連絡をしてくれればいい。ボランティアとしてふるさとの町のために役立つなら労は厭わぬ。


*#1389 根室の過去・現在・未来(1):総論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-21

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#1461 さわやかな挨拶 Apr. 4, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 先週金曜日(4/1)、受験生の一人が挨拶に来た。第一志望の北大経済学部は残念ながら届かなかった。負けは負け、素直に認め、後期日程で北海道教育大札幌校を受験し合格。すべりどまらなかった場合の覚悟も決めていた。腹の据わった奴だ。
 教育大では職業が学校の先生に限定されると考え少し悩んだようだ。無理もない。だが、それは子供の考えで、幼い。現実はそれほど短絡するものでも単純はものでもない。
 もともとの希望はの第一段階に公認会計士二次試験がある。公認会計士2次試験の受験勉強は結局は一人でやるものだ。それで合格できない奴ならそれだけのこと。教育大だろうが北大経済学部だろうが関係ない。1日10時間を1年間継続できるか否かだ。
 そして日本商工会議所簿記検定1級に合格できれば、教育大出身だって1部上場会社の財務部くらいには就職できる。私が人事部長なら、そういう異色の人材は大歓迎だ。会社で未知の分野にトライさせても可能性が大きいと判断する。商学部出身の公認会計士なぞ、たかが知れている。同じ公認会計士なら、わたしは商学部出身者よりも教育大出身者のほうに可能性を感じる。私の知っている大手監査法人の公認会計士に京大理工学部出身者が一人いた。この人だけはできがよかった。ちょっと異色と感じたので、聞いてみたらやはり文科系の出身ではなかった。
 教育大に合格した彼は高校1年(普通科)の11月に商工会議所簿記検定2級に合格している。全商簿記実務検定1級相当である。根室高校始まって以来の記録だった(日商簿記一級受験は禁じた)。商業科でも1年生、11月の日商簿記検定試験で2級合格者は商工会議所簿記検定が始まっていらう一人もいない。中学時代に同級生だった事務情報科の生徒がそのあとの2月の試験で彼に続いた。事務情報科の生徒は全商検定6科目1級ホルダーになって卒業した。これも根室高校はじまって以来の快挙である。入学時の点数は凡庸だったから、生徒の成長には驚かされる。高校時代に能力は飛躍的に伸び、頭はよくなる。だから一心不乱に勉強しろ。受験勉強を超えたところで勉強しろ、「覚えるよりも考えろ」。

 挨拶に来たので少し話しをして、教室に置いてあった岡本清『原価計算論』と武田隆二『財務諸表論』をあげた。この手の仕事はもうしないから、私には不要のものだ。不用品処分で申し訳ないが受け取ってもらった。
 最後の挨拶が気持ちがよかった。居合わせた生徒たちは勉強になっただろう。こう言ったのだ。

   「6年間お世話になりました」

 深々と一礼して教室を出て行った。わたしは視界の隅にその姿を確認して「おう!」と小さくつぶやいて背を向けた。そのあとの「がんばれよ」は声にならなかった。

 

*#1442  うれしい知らせ :北海道教育大札幌校合格の電話あり 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-24

*#1370 「うれしい知らせ:小樽商科大学合格」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-05

#1367 「看護専門学校はむずかしいな」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-03



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#1389 根室の過去・現在・未来(1):総論  Feb. 18, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

  根室を住みよい町にするために必要な最初のステップは旧弊を廃することだとわたしは考えている。
 話しはあちこちに飛ぶが辛抱いただきたい。ゆっくりと一つの連環が姿を現すことになるだろう。

 根室は漁師町である。いろんなところへ漁師町としての性格が影響している。町には老舗がいくつかあったし、いまもいくつかは残っている。
 碓氷勝三郎商店を残っている老舗の筆頭に挙げることに異論のある根室人はいないだろう。創業百数十年(132年?)の歴史をもち、経営も安定している。わたしはその経営の中身についてそれほど知っているわけではないが、地元だから仄聞することもある。有名デパートから申し入れがあっても地元の問屋を通してしか売らない。インターネットでの販売もしない。直販を始めれば問屋が困るからやらないのだろう、昔からの取引先を大事にするということか。目先の利益には目もくれない頑固一徹さがある反面、新商品の開発にも粘り強さを見せた。「搾りたて」や「純米酒」がそうである。軌道に乗るまでは辛抱の時期があったと友人に聞いた。この碓氷勝三郎商店は本をただせば北方領土最大の水産加工会社を経営していた。レンガで造られた工場はいまもロシアが使っているそうだ。  
 根室最大の水産加工会社であった日本合同缶詰(株)*の社長も先代がしていた。最盛期には根室市内だけで4工場1000人の従業員がいた。崩壊の兆しは昭和36年頃から現れた。本社機能が麻痺しており、工場の現場監督がやめると、有能な男工さんたちが次々にやめていった。青森や全道から来ていた女工さんたちも集まらなくなっていた。人の使い方がヘタだった。
 元々はシャケ缶詰やタラバ缶詰を主体にした根室でとれる水産物を缶詰にしていた会社(根室の加工業者が数社合同してできた会社)だったが、後に根室・中標津・標津・釧路・岩内の中小の缶詰会社が集まってさらに大きくなった。当時その生産量は全道一だった。
 人材が揃わなければ企業規模が大きくなればつぶれる。企業合同した元の会社のマキが好き勝手なことをしていたし、社長がワンマンだったから本社にはイエスマンしかいなかった。現場の工場を預って危機感を感じて具体的な改革を提案する者は辞めるしかなかった。現場から核になる部分が抜けていくとあらゆる場面で調整が利かなくなる。経営が急速に悪化するのは当然だった。
 後始末はすべて4代目碓氷勝三郎とその一人娘がした。この会社の借金に当時社長だった先代が個人保証をしていたのだろう。この日本合同缶詰についてはいろいろ見聞きして知っていることがあるが、これ以上具体的なことは書かぬ。根室の旧弊・恥部の一つをなしていたとだけ書いておく。本社スタッフも各工場長も自分のことしか考えない者たちが多すぎた。そういうところから有能な者たちは離れていく。いくらでも経営改革はできたのである。

 北の勝の碓氷勝三郎商店は根室で一番歴史の古い企業である。経営に男酒の北の勝と共通の香りを漂わせる名門企業と言ってよいだろう。「歴史の古い企業=旧弊」とは限らない好例である。

*上富良野町の機関紙郷土を探る第15号「缶詰工場」に日本合同缶詰富良野工場の顛末が載っている。私には"新事実"である。桃とさくらんぼの缶詰工場を建設し、果物缶詰分野へ事業を広げた。そして、昭和51年9月26日に負債額38億円を抱えて倒産した。
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/151129kanzume.htm

*明治37年に根室で和泉庄蔵が根室で蟹缶詰を試作し、翌明治38年に国後島古釜布に碓氷勝三郎と缶詰工場を「着業」したとある。
 小樽商大「小林多喜二伝 補遺2」14ページ倉田、稔著
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/665/1/RLA_106_23-58.pdf

 喫茶店の「かおり」は戦後すぐにできた店だから老舗に入れてよい。戦後十年ほど並び立っていた喫茶店モンブランのシェフの開発したエスカロップはメニューに載せていない。違う名前で載っている。カツピラフだったか?これも「意地」である。名前だけではない、味も負けていない。品の良さは創業当時はもっと際立っていただろう。それには理由がある。言葉である。この店の創業経営者は品の良い言葉を話した。当時の根室では十数人だっただろう。私たちは使う言葉にもっと注意したい。金のあるなしではない育ちのよさは使う言葉に出るものだ。根室幼稚園と小学校で同じクラスだった友人のお姉さんが経営している。
 記憶に間違いがなければ根室売炭所という名前だったヒシサンも戦前からの会社だろう。当時の暖房燃料の石炭をほとんど独占のような状態で売っていた。いまはホームセンターや水産加工にまで手を広げている。
 ヤマレンは一度つぶれて再生したのではなかったか。その店主は長く根室商工会議所会頭を務めた。老舗の一つだろう。
 なくなった店もある。呉服店の飛澤、緑町の「やすやすや」、時計の老舗奥田時計店、みどり菓子店、喫茶店カッコー、水産加工のガリバー「日本合同缶詰」。
 仲買、水産加工会社たくさんの商店や会社が生まれては消えていった。

 さて、話は変わる。根室の会社で就業規則、給与規程、退職金規程、経理規程をもっている会社はどれほどあるだろう。そうした規程を社員へ公開し、守っている会社がどれだけあるだろう?決算を社員に公開している会社がいくつあるのだろう?

 中小企業あるいは零細企業はオヤジが好き勝手なことをし、退職金もオヤジの腹一つなんてことがよくある。そういう会社にはなかなか人材は集まらない。
 自分さえよければいいと勝手気ままに振舞う社長、社員の将来のことを考えて手を打たない会社にどれほどの人が本気で仕事をしてくれるのか?

 個人経営を脱し会社経営に切り換えないと売上が大きくなったらその重みでつぶれる。日本合同缶詰はいくつかの水産加工会社が合同してできた道内最大の水産加工会社だったが、会社経営に切り換えられず、幹部に恣意的な振る舞いが過ぎてつぶれるべくしてつぶれた。その二つの壁(売上の大きさと会社経営への転換の壁)を乗り越えた地元企業はまだない。
 
わたしはタイムマシンに乗って当時の根室へ行き、ふるさとの未来を変えてみたい。ダメな者たちが幹部には多かったが、現場で働いていた者たちの中には男気があって有能な者たちも少なからずいたのである。そうした有能な者たちをあの会社は活かし切れなかった。

 株式上場の審査ポイントは会社としてきちんと運営されているかどうかである。恣意的な運営がなされるような会社は株式公開の資格がない。

 わたしはしばしば恣意的な市政運営、病院事業経営、地元経済界と市政のもたれあいについてブログで取り上げてきたが、なぜか?恣意的な運営の組織には発展性がないからである。そしてそういう企業が大半をしめる町にも発展はないと考えるからである。

 話しを戻そう、旧弊の話しをしなければならぬ。根室は漁師町、商店と漁師の間には「定価販売&付け買い」という商慣習があった。漁が悪ければ支払は翌年である。そうしたリスクを抱えると同時に定価販売というウマミのある商売に根室の商人たちはどっぷり浸かっていた。このウマミのある商圏を守るために根室の商人は閉鎖的になり、競争力を失っていった。そうした雰囲気は形を変え、時代を超えて受け継がれている。
 仕入れに努力しなくても利益はツケ・定価販売で確保できたのである。それが品質がよくて安く仕入れるという当たり前の努力から根室の商人を遠ざけた。毎日やることは習慣となり、いつしか根室商人の伝統となってしまっていた。周りがみんなそうだから、商売の基本である仕入れ先開拓、いいものを安く仕入れる努力をみんなしなくなっていた。値段のつけ方も他地域に比べて高いものとなった。競争の小さい根室ではそれでも売れたのである。
 商店の多くは便利な「道内仕入れ」に依存して、仕入先の開拓を怠ったのである。根室で地元資本による「ファミリーデパート」や「マルシェ」が失敗した原因の一つは仕入先の開拓の拙さがあったのではないだろうか。忘れるところだった、もうつぶれてしまったがシーサイド(現在のサッポロコープの店舗)も地元資本だった。
 マルシェは仕入れルートを確保するためにJRの傘下に入った。中標津の東武は仕入先の開拓に力を注ぎ続けてきたという。根室の商人とはっきり差がついたといってよい。
 仕入で汗をかくのは商人として当然のことであるが、根室の商人はそうした基本的な努力を長年怠ってきたか、他地域に比べて努力の程度が半端たっだ。そうした企業は長い目で見ると自立できない。

 H市政を支えている「オール根室」の諸君の会社で、決算書を社員に公表している会社はどれだけあるのだろう?就業規則、給与規程、退職金規程、経理規程をもうけて厳格に守っている会社がどれほどの割合であるのだろう?

  さてちょっとだけ病院建て替え事業に触れたい。総合評価方式による入札ははじめから落札業者がわかっているようなもの、あれでは大相撲の八百長を笑えない。3千万円も入札価格に差がありながら、地元貢献度のたった2点の差(合計点は114点)で逆転し、政治力の一番強い業者がもっていった。
 たった2点で3千万円の差を逆転できる評価方式なんて世間常識ではインチキそのものと言うのではないだろうか?市民常識からはかけ離れた「彼らの村の常識」にだまされてはいけない。除雪に協力しているから地域貢献度が高いということだったが、それも市から受注した仕事にすぎない。市と関係の深い業者が勝てるような仕組みは市にとってもその会社にとっても危険である。市は高い価格で発注することになるし、取引業者はイージーな営業で一時的に利益を確保できても長期的には弱体化する。
 市と関係のある業者たちがこぞって「オール根室」で市長を応援している。市長もことあるごとに「オール根室」の支持を謳いあげる。12日に商工会館で「長谷川市長と語る市民の集い」があったそうだが、集められたのは一般市民ではなく「支持者」、それもたったの320人。人口の100分の1強に過ぎない。
 市議会は市政の追認機関と化している。こういう恣意的な市政運営が行われても今度も問題にはならないだろう。いままで、病院建て替え関係で市側はニホロ案や現地建て替え案と右往左往した。建て替え後の損益見通しすら公表していないのに、共産党を除いて一人も市議会で反対票を投じた議員はいない。こういう市議会に存在理由があるのだろうか?

 正しくないことは正しくないと言う、それがふるさとのためだ。根室の未来を託す子供たちに大人が範を示せ。根室の町は「オール根室」以外の99%の市民がつくるという自覚をもちたい。

 地元経済界の人びとよ、市政と癒着するのはやめよう。それは地元企業から競争力を殺ぐことになる。甘い経営はゆっくりと会社をダメにする。相互批判をなくしたら、どちらも衰退せざるをえなくなる。

 決算書を社員へ公表し、諸規程を整備しよう。経営者は社員に夢を語り、その実現に努力しよう。自社の発展と根室の町の発展のために努力しよう。正直に誠実に仕事をしたほうが楽しいし、長い目でみればそのほうが会社も繁栄する。

 自分の会社だけがとか、経営者だけがよくなればいいというケチな根性は捨て、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営を実践しよう。そして夢を語れ


*諸規程の整備の仕方がわからなければebisuへ連絡をくれればいい。ふるさとのためだ、知っていることは惜しみなく教えてあげる。
 社員やお客様や世間に信頼される立派な会社を築き上げるためにはそれなりの努力がいる
 知らないことは知っている者に訊けばいいのだ。素直な心が自分の会社を大きくし、社員へ安心感を与え、ふるさとの町をよくする。根室から1社ぐらい上場企業が出てもいい。市税収入も増える。もたれあうのではなく、発展することで市政をバックアップすればいい。

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#1344 第80回芭蕉同窓会と「ふるさと納税」の話  Jan. 18, 2011 [ポジティヴ&ゆめ]

 1月16日午後4時から9時まで、グランドホテルで恒例の根室高校芭蕉同窓会があった。約400人分の席はびっしりと埋まっていた。団塊世代が満60歳で昨年東京根室会の幹事当番だった。そのメンバー20人ほどが根室の芭蕉同窓会に出席した。ステージの傍のテーブルが二つ「招待席」となっていた。
 当番幹事代表は挨拶が下手だったがあとはよくできていた。もっとまとまりのない長い挨拶をした者もいるから、総合点で90点は上げられる。例年通り当番幹事の面々は立派にその役目を果たした。よくわからない意味不明の「断髪式」もたぶん気合の表現だったのだろう。当番幹事生に誰かが訊いていたが「わかりません」という答だった。
 代表を務めたA君を同席している一人がずいぶん褒めた。「言うことはしっかりしているし、商売のセンスもよい、なかなかの奴だ」という。滅多に人をほめない厳しい奴の言うことだから、なるほどそういう面もあるのか。
 人生は長い、成長する時間はたくさんある。本もたくさん読んでしっかり育ってふるさとの将来を支えて欲しい。

 二次会は「俺ん家」、三次会は同期の市議の経営するスナックへとなだれ込んだ。

 43年ぶりで再会した者もいる。小学校で一時期同級生であったことすら忘れている者もいる。4年前の9月に癌で亡くなった同期の家に数人で押しかけて線香をあげてきた者も。
 ワイワイガヤガヤ、ひんぱんに席を入れ替わって話に花が咲いた。東京根室会の当番幹事代表を務めたOが、2時間きっかり収めたと満足げに報告話をしていた。3次会で乾杯の挨拶をしてもらったら、なるほど簡潔でなかなかうまい。

 ちょっと話しをしていいかと同級生の一人。病院に勤務しているが4年前に私が内視鏡検査を受け、癌の診断があったときに、「もうだめだ、助からない」、検査データをみてそう思ったという。何人かの友人にわたしの病状を伝えたかった、助からないと、でも患者のプライバシーに関わることだからいかに同級生とはいえ口外できない。モンモンとして私の病状を気にかけてくれていた。
ところが4年たったがぴんぴんして一緒に酒を飲んでいる私を見て納得がいかない様子で、
「うち先生の診立てが違っていたのか?」
「そうではない、診立て通りだったよ、たしかに手遅れだったし、執刀医もそう思ったはずだ。典型的な「アケトジ」の事例だったようだがよく手術してくれた。手術に立ち会っていたベテラン外科医の院長から一言あったようだ。術後にドクターから話しがあって肝臓へ転移していたら1ヵ月後に切ることになると言われたよ。肝転移の疑いが濃厚だった。病理検査でもリンパ節転移ありだったし、大腸に浸潤して癒着していた。なにがどうなったのか俺もわからぬ、巨大癌とスキルスの併発でさらに転移があっても何とかなるケースもあるんだな。運のよいことに腕のよい若手の外科医にめぐり合ったし、TS1という「特効薬」もあった。地元に専門医がいてくれて、適切な診断と入院手配をしてくれた。病状は悪かったが何もかもが奇跡的に揃っていた」
 数ヶ月に一度診察で病院を訪れても同級生の彼は私の視線を避けるようにそそくさと前を通り過ぎた。
「助からないと思っていたので、どうしても声をかけられなかった」
 視線を避けてそそくさと前を通り過ぎていた理由が今日ようやく分かった。家が歩いて2分の距離、小学校で何年間か同級生だっただけで、中学・高校と同じ学校でもクラスがずっと離れていて一度も話しをする機会がなかった。話しているうちに経過した時間がゼロになる、同級生とはうれしいものだ。ずいぶん心配をかけたようだった。

 術後2週間で退院して根室へ戻った日の夜が高校の同級生のお母さんの通夜だった。青ざめた顔でふらふらしながら参列した私を見て、根高最後の総番長だったKが「顔色悪い、胃をとったのか、もう長くないな」とはっきり言う。長くないから、やりたいことをいまのうちにやれと言うつもりなのだが、口下手な男だから言い様がぶっきらぼうだ。歌舞伎役者のような男前で、野球部、勉強はしないが人望があった。高校時代と卒業してから1年間はうまがあってよくつるんだ。我慢強く切れたのを見たことがない。「(4年前の)あのときはもうダメだと思ったよ」と言いながら目が笑っている。根室商業時代から連綿と受け継がれてきた総番制度を当時廃止したのがいいことだったのかいまとなっては分からぬが、あいつはそれを成し遂げペナルティにも一人で耐えた。いまだに人望が厚いのは当たり前だろう。

 横で聞いていた一人が「おれも2回心臓が止まったことがある」という。ゼネコンで仕事をしていたという。桂木の浜から花咲小学校まで歩いて片道40分はかかっただろう。当時は車のある家なんてなかったから歩いて通った。吹雪くと街中でも遭難しそうになったくらいだから、通学するだけで根性は鍛えられただろう。素朴な人柄のいい奴だ。

 中学時代に一人で相撲部を背負っていたHも40代で肺を一部切除したという。高校では生徒会長だった。私の高校時代は傍若無人、好きなとき好きなことをやった。それまで男子生徒は校則で丸坊主が義務付けられていたが、父兄にアンケートをとって全校集会を開き修学旅行の3ヶ月前に校則を変えた。この件は2年の夏休み直前だっただろうからHが生徒会長になる前のこと。一級上の会長と副会長2名が好きにやらせてくれた。その後、生徒だけに名札をつけさせるという職員会議の決定があったがそれもみんなで潰した。当時は1学年350人、全学年で1000人強だったから、生徒の数も多かったが先生の数も多かった。生徒の側も名前を知らない先生が多数いたから、一緒につけようと言ったら、教員側が嫌がったと記憶する。目論見どおりの反応、こちらの作戦勝ちだった。生徒会が強い時代だった。当時は校則改正や他にも大きな問題が起きて校長先生や生徒会顧問の先生をまとめて敵に回すことがあったから、生徒会長の彼は立場が微妙だった。
 中学は1学年550人、私は10組、彼は9組だった。一人でマワシをつけ黙々として「テッポウ」を続ける姿を見たことがある。高校に相撲部はなかったから中学時代のことだろう。相撲部は他にはメンバーがいなかった。孤独に耐えて努力のできる男だった。高校時代はすこしばかり優柔不断なところがあったが、放課後一人で黙々とテッポウをしていた姿が重なって、それなりに認めていた。そしていまでも認めているのだろう。
 明大ラグビー部出身の新任教師が来たのでチャンスとばかりに友人をけしかけてラグビー同好会をつくらせ、校則に従って翌年ラグビー部に昇格させた。あのときが強いラグビー部を根高につくる絶好のチャンスだった。
 ぶっそうな話しはいくつかあるがブログネタにはできない。
 成り行きで心ならずも生徒会長の彼をきつい立場にたびたび追い込み苦労をかけたが、あいつはわたしにクレームも愚痴も言ったことがない。お互いに腹の中はわかっているから、何十年たってもいい友人である。
 仲が良い同期とはお互い苗字あるいは名前で呼び捨てで、さん付けも君付けもしない。
 
 昨年はめずらしく同期で物故者がひとりもなかった。そうしたら「今年はまとめて3人くらい出るかもな」とぶっそうなことをいう奴がいる。次は誰だと顔を見合わせ、おかしくてふきだした。自分の番などと思う奴は一人もいない。65歳になったらまたみんなで飲もうということになった。

【ふるさと納税】
 ところで、書いておかねばならないことがひとつある。彼女も中学のときはHと同じ隣の9組で、記憶にないくらいだからおとなしい生徒だったのだろう。高校時代は少し目立った生徒会の役員。そしていまは品よく老けた細身の美人、その彼女が「ふるさと納税」の話しを私にした。鳥取県米子市には全国からふるさと納税の申し込みが殺到していると仕組みを簡単に解説してくれた。そして水産資源に恵まれた根室でも類似の仕組みを応用できるのではないかというのだ。仕組みを説明したURLと説明文を貼り付けておくので読んで欲しい。東京組みの中にもふるさとのことを気にかけている者がいる。
 

*米子市のふるさと納税について
http://d.hatena.ne.jp/furusato_nouzei/20090607/p1
米子市では、平成21年度から「ふるさと納税」をされたかたに、「ふるさと納税記念品」として米子市特産品等を贈呈します。
ふるさと納税記念品には、3,000円以上の寄附をいただいた方に贈呈する【無償提供記念品】と、1万円以上の寄附をいただいた方に贈呈する【
タイアップ記念品】があります。(1万円以上の寄附の場合は、両方とも贈ります。)
【無償提供記念品】は、地元企業4社5品+市・水道局による2品の計7品全部(定価合計3,000円以上)です。その名のとおり、地元企業から無償提供をいただきました。
【タイアップ記念品】は、地元企業13社からの提供商品18品のうちから希望される1品を選んでいただきます。これは、「ふるさと納税の推進」・「地元特産品の広告宣伝」タイアップ事業として募集し、市と地元企業がほぼ費用折半により設定した、すべて定価5,000円以上の地元特産品等です。
記念品はどちらも、「ふるさと納税の推進」と「地元特産品等の広告宣伝」をあわせて行うことに賛同された地元企業から、自社商品(地元の銘品・優良サービス)の提供をいただきました。
米子市ご出身の皆さま、米子市への「ふるさと納税」と米子市の「地元特産品等」を、どうぞよろしくお願いします。(ふるさと納税は、米子市ご出身でない方もすることができます。米子の特産品に興味を持たれた方も、どうぞよろしく!)

**鳥取県米子市ホームページ、「ふるさと納税の仕組み」へジャンプ
http://www.yonago-city.jp/section/shiminjichi/furusato.htm


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