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#3682 味覚がもどってきた Jan. 20, 2018 [cancer]

 元旦から尿路結石で腹痛、食欲不振あり。結石のせいか左側の腎臓が腫れている。結石は5日には出てしまったようだ。味覚がおかしい、戻らない。
 食事がほとんど摂れないのに加えて、水もおいしくないので摂取量が減った、そういう状態が3週間近く続いた。食事と合わせてもせいぜい800cc/日くらいなもの。
 小寺さんの勧めで、ウィダーインゼリープロテインを19日にセブンイレブンで買ってきて飲んだ。このゼリーは胃癌の手術の後、3か月くらい授業中に飲んでいた。当時、固形物を摂るのは仕事が終わって帰宅してからだった。百回噛んで唾液と十分に混ぜ合わせてから呑み込む。あのころは修行のような食事だった。

 19日午前中にゼリーを飲みビーフジャーキーを食べ続けた。たんぱく質を摂らないと、身体が温まらない。小さく切ってよく噛む。そんなことを数時間して、6時ころにキビ茶を飲んだら美味しいと突然に感じた。天然水も美味しい、喉を水が通っていく、おいしいのである。3週間ぶりに飲み物がおいしいと感じた。少しずつ1リットルほど飲んだ。身体が水を求めているのがよくわかった。身体の水バランスが戻り始める。ああ、助かったと思った。あんなペースで飲んだら、下痢するのが当然だが、下痢しない、身体が吸収したがっているのがわかる。心地よかった。
 コープで750円の寿司を買って食べた。おいしそうに見えたら、食べても美味しかった。味覚が正常だというのは実にありがたいこと。人はおいしく感じるから食べられるのである。セックスも同じこと、気持ちがいいという感覚が伴うから人はそれに執着がわく。セックスが快感を伴わなければ、セックスする人間がいなくなり、人類は滅亡する。
 食事がおいしいと感じる味覚は、エクスタシーと同じくらいに大事なのである。

 どうやら、危機的状態は脱したようだ。体重も水分補給ができたので1㎏戻った。58.2kg。ゼリーを勧めてくれたkoderaさん、ありがとうございます。

 木曜日に、生徒たちへ「体調が悪いので、来週1週間休塾します」と宣言したときには、再開できないだろうと覚悟していた。味覚が戻ったので、金曜日には、「来週の授業はやれる、テスト前の大事な週だ、味覚が戻ったからなんとかなる」、そう宣言。高校生は昨日全国模試だった。

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#3681 癌手術後11年間風邪ひかず:1週間ぶりのブログ更新 Jan. 17, 2017 [cancer]

 cancerというカテゴリーはわたしの経験を書くことで、ほかの方々の参考になればいいな、そういう気持ちで書き綴っている。

 2006年6月初旬に岡田病院で内視鏡検査をしてもらい、癌の診断がついた。胃の出口に近いところに癌があり、ほとんどふさがっていた。ものを食べても通過しないのである。そういう状態なのですぐに入院を勧められたが2週間のばしてもらった。6月23日だったか、中学校の期末テストの日に、釧路医師会病院へ入院。自覚症状(体の感覚)からスキルスがあるはずだからと、検査続行をお願いした。胃の側部から裏側にかけて重く冷たいものが広がりつつあるのがはっきり感じられていたのである。映画『白い巨塔』で田宮二郎が迫真の演技で財前五郎役を演じていた、あのスキルス胃癌が体内にあり広がっているのがわかった。結局、巨大胃癌とスキルス胃癌の併発だった。はっきり言って助かる可能性は限りなくゼロ、アウトである、そう判断したから期末テストが始まるまで入院を2週間延ばした。2週間は食事がとれず、ヨーグルトだけ。最後の授業のつもりだった。「じゃあ、来週月曜日テストだから頑張ってね、点数の報告はメールできる人はメールで知らせて」
「それから、内緒だけどおなかにオデキができちゃったんだ、こっそりとってくるからね、1か月休ませて」
 そう告げると、数人が爆笑。「先生、おなかにオデキができたんだ、待ってるから」
 笑いで生徒たちに送られた。もう会えないかもしれないのに、なんだか元気をもらったみたいであの笑い声はほんとうにうれしかった。
 検査している間も癌はどんどん進行していた。7月20日、胃全摘、胆嚢摘出、リンパ節切除、大腸一部切除、6時間の大手術になった。出血量はたったの700㏄、輸血なしだった。担当外科医の後藤先生、開腹して状態を確かめ、あきらめて閉じようとしたときに、ベテラン外科医の浅川院長が、「ざっくりとりなさい」と指示、それで手術続行となった。肝転移も疑われていたのである。
 術後の抗癌剤治療は1年半くらい続いたろうか、しんどくなって主治医の相談して、数回薬の量を減らしたり、休止期間を長くとった。白血球が減少しすぎて、日和見感染症で重篤になりかねないので「逆隔離」寸前の状態が半年ぐらい続いた。薬への感度がよかったのかもしれない。TS-1だったかな抗癌剤の名前は、ウィルスに効くから、インフルエンザにかからない。まさか、それが11年間も有効だなんて思わないが、とにかく11年間風邪をひいたことがなかった。

 正月から腰がダル重くて下腹部が痛い。下腹部が痛くなったのは最後のほうだ。CTを撮ったら尿管結石だった。膀胱へ結石が落ちているのが確認できた。1/5のことだ。
 そういうわけで正月以来、食事がとれない、普段の1/5程度である。全く食欲がない、そういう時は無理に食べないようにしている。食事の量を極端に減らせば、体力が落ちる、落ちれば風邪をひきやすくなる。12年ぶりに風邪をひいてしまった。今日は日本語音読授業の日だが、休みにした。

 果物なら食べられるので、リンゴやブドウを食べている。昨夜は3日ぶりにお風呂へ入り、今朝がた寝汗をかいた。朝は1/2量くらい食べられた。なんだか大丈夫そうだ。
 体重は57.9kgである、こんなに減ったことはない。普段は60.5-61.0㎏ある。食べないと回復しないということだろう。

 ようやくブログを更新する気になれた、ありがたい。
 いつどうなるか、まったくわからぬ、人生それでいいではないか。わからないから今日やれることをしっかりやっておきたい。

<1/17夜8時追記>
ようやく1食分食べましたが、直通です。腸内菌叢が壊れているようです、消化できません。まだ食べてはいけないようですが、困ったな。これ以上体重が減ると未知のゾーンへ突入することになる。体のほうに食べる用意が整わないと、食べても下痢するか、吐くことになる。水分補給をしながら待つしかない。この水分補給がなんとも難しいのである。貯めておく胃がない、消化する大腸が一部切除で機能が弱い。200㏄飲むのに1時間かけないと下痢をする。
 まだ体力は残っているようだから、なんとか乗り切りたい。



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#3680 CT画像:膀胱に光る宝石あり Jan.10, 2018 [cancer]

 10日11時ころに岡田医院へ行き、診察していただいた。5日午前中にやった血液・尿の結果を聞きながら同日の午後に撮ったX線CT画像を見せてもらった。上から順番に輪切りされた体をサーチしていくと、スキルス胃癌手術の際の吻合部も画像に現れた。ずっと下がっていったら、膀胱に真っ白く点が映っていた。それが結石だという、とても分かりやすい。石だからX線は通過しないので真っ白に輝いているように見える。痛みの正体は光り輝く宝石だった。
 4日は7時間ほどオシッコするときに尿道が痛かったから、大半は出たのだろう。5㎜ほどのがひとつだけ残っていた。尿管部には結石が認められなかった。尿路は「腎臓⇒尿管⇒膀胱⇒尿道」の順で並んでいる。左側の腎臓が少し腫れているという。血液検査で炎症反応がはっきりでていたようだ。検査項目はCRPかな?尿検査してもらったが、潜血反応が出ていた。血尿というほどのものではないだろう。いや血尿かな、薄茶色のオシッコだった。50㏄ほどしか出なかったので、検査室の小窓を開けて「これしか出なかったけど大丈夫?」と訊いたら「大丈夫だ」と答えてくれたのは、小学校の同級生のAだ。家が歯科医院の田塚先生の隣で、近かったので何度も遊びに行ったことがある。あいつは品行方正・学業優秀だったから鶴木(先生は昨年お亡くなりになられた)学級の級長だった、頼りになる友人の一人だ。

(中学校の同級生のユウジの訃報が入った、あいつは光洋中学校野球部から野球がしたくて北海高校へ進学した、それ以来会ったことがないが、戻ってきて一度だけ電話で話した。ひょんなことから根室へいるということがわかったからだ。一緒に酒を飲みたかったが、食道癌を患っており術後の調子があまりよくなさそうだったので、誘えなかった。3年10組では一番とっぽかったけど、ユウジが喧嘩したのは見たことがない。見てくれがとっぽかっただけで、性格は案外温和な奴だったのかも。高校の同級生のヒロシが葬儀副委員長になっている、水産会社の関係でそうなったのだろうが、ヒロシは柏陵中学校野球部(⇒根室高校野球部)だったから、中学時代からユウジは知っていただろう。硬式野球部は根性がないと続かない。どちらもそういう根性はしっかりしていた。人のつながりとは不思議なものだ。旧友の冥福を祈る。)

 3日間は痛いのと腰がだるいのと一緒に来てたから、眠れなかったが、いまは嘘のようにぐっすり眠れる。ありがたい。

 さっきまで暇だから、HP-35sをつかって対数の問題を解いていた。指数や対数の分野はプログラマブル科学技術計算用計算機HP-35を使うと、2-3倍ほど消化速度がアップする。手計算でも計算速度は速いから、いまさら速度アップトレーニングは必要ないので、計算機をつかってやろう。どういう使い方をしているかは稿を改めて解説したい。理系の大学へ進学したら、これくらいの計算機を使うのは当たり前、文系進学者も使えたほうがいい。仕事で統計計算するときはEXCELを使うよりもずっと簡単にやれる。わたしは1979年からHP社のプログラマブル科学技術計算用計算機をずっと利用している。HP-35sは5台目である。

 結石が尿管にとどまっていた時はとても問題を解けるような状態でなかった。だるさと痛みで集中できなかった。原因不明の痛みが続くのはつらい。主治医は症状を聞いて、「尿路結石だろうから、X線CTを撮って確認しよう、ついでに病変部がないか、念のために腸閉塞がないかも診ておきます」、前立腺の石灰化が進んでいることがわかったがいまのところOKだ、使わぬ機能はダメになるようにできている。わたしはわけのわからぬ痛みに苦しんでいた時に、主治医に症状を訴え、病名をつけてもらってずいぶん気が楽になった。(笑)
 わけがわかれば、痛みがどれくらいで済むのか見当がつくし、癌ではないので命に別状もないようだと納得できて、気が楽になったのだろう。痛い、苦しいのは御免こうむりたいが、これは体が異変を教えてくれているのだから、ありがたいと受け止めたい。そして症状を聞いて診断をつけてくれる主治医がいる。主治医のありがたさが身に染みた。
 いま思い出したが、主治医のお名前も「ユウジ」である。


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#3675 尿路結石の疑いアリ:痛い! Jan. 5, 2018 [cancer]

 2か月前くらいから腰がだるいことがあった。昨年は1800㎞も自転車に乗ったので、腰にきたのかなと思った。元旦になり、腰のダル重いのに加えて下腹部が痛み出した。ときどき痛みが薄れることがあったが、痛み出すと姿勢をどのように変えてみても痛い、眠ることもできないし、食べるのも嫌になった。1/5量も食べられない。

 胃の全摘手術をしたときに胆嚢も切除したので、長い時間食べない状態が続くと、胆汁液で腸が炎症を起こしてしまう。
 あんまり苦しいので、主治医のO先生に電話をした。症状を伝えると、「尿路結石の疑いアリ」だという。あまり痛いようなら、救急車で病院へ、我慢できるなら5日に診察しますという返事だった。
 12月に3か月定期検診をしたばかりで、腫瘍マーカは陰性、だから癌の心配はなかった。便もおならも出るから、腸閉塞ではないようだ。茶色い尿が出ていないか聞かれた。その時は出ていなかったし、排尿時の痛みもなかった。
 4日になって午前10時35分の排尿時に最初の痛みがあった。それから数回排尿時に痛みがあったが5時が最後だった。6時の排尿時には痛みがまったくなくなり、下腹部の痛みも消えた。おしっこと一緒に結石が流れたのか?

 5日、朝一で岡田医院へ行って診察を受けた。状況を説明した後、尿を採取したら、うす茶色だった。5年ばかりX線CTを撮っていないので、撮ることにした。尿路を見てくれるという。腸の閉塞があればそれもわかるのだろう。以前のCT画像を見てくれたが、1㎝刻みなので、腸閉塞があるかどうかはっきりしないようだ。
 市立根室病院のCT室は、左側奥にあった。2時の予約だったので、少し早めの1時25分に到着したら、すぐにやってくれた。フィリップス製のCTがあったがデザインはほとんど一緒だが以前とは少し違う感じがしたので訊いてみたら、建て替え時に新しい装置に買い替えたという。以前のものよりも高性能だという。以前のものは道東でナンバーワンの高精度のCTだった。CTの係の人は前とは違う人、10歳くらい若いかな。丁寧な対応で、すぐに終わった。CT検査室は以前よりも2倍くらいの広さがあった。

 来週、結果を聞きに行く。痛みがないので食べ物がのどを通るようになった。痛くて痛くてどうしようもない4日間だった。食べられない眠れない4日間がいまは嘘のようだ。

<追記:嵐の前>5日19時45分
 主治医から連絡があった。CT画像で膀胱内に小さな結石が確認された。尿管にあった結石が膀胱内に落ちたので、痛みがなくなったのだ。腎臓でできる結石は珊瑚状をしている。SRLにいたときに仕事で結石のサンプルをたくさん見た。肝臓でできるビリルビンの結石は茶色だったかな、コレステロールは琥珀のような半透明の黄色、宝石のようだ。腎臓結石だけは艶がなく違っていた。
 1980年代の後半にSRLで結石検査の前処理ロボット開発を検査管理部のO君と一緒に担当したことがある。実際の開発は業者がやるのだが、業者と検査部のつなぎがわたしたちの役割である。使用機器の調査・選定、申請書の審査、予算確保、開発進捗状況の確認、問題が生じたときのトラブル処理などが担当業務だ。機器の開発案件は現場任せにしたら、成功率は2割以下、業者との癒着も起きやすいから、第三者の目がいる。3年間で十数件担当したが、失敗は1例だけ。申請してきた機器の構成を見て、この機器のネットワークでは制御ができないので失敗することがわかっていたが、強情なので言ってもわからないからやらせた。すぐに頓挫、パソコン50台、使用せずにそのまま廃棄させた。問題にならないように臨床検査部長にも経理部長にも話をつけて3年間保管後廃棄処理してやった。摘みあがったパソコンの箱を3年間見つめてもらうことになったからつらかっただろう。たまに自分の技術力を勘違いするものが出る、技術力が低いのでやろうとしていることと選んだ機器の性能にギャップがあることに気が付かない。高性能な機器を使えば、技術力は数段高いものを要求されるから最初から考慮に入れない。かわいそうだが、もっと大きな失敗をやらないために、小さな失敗を経験させる必要がある。SRLは面白い会社で、現場の失敗をとがめない。だから、いろんなことがやれる。あまり、厳格にすると現場は委縮して、技術開発を提案しなくなる。だから匙加減が必要なのだ。ラボにいて機器を担当し、本社経理部や副社長に直接パイプを持つものは、わたししかいなかった。わたしは本社と八王子ラボの潤滑剤になればよかった。本社では予算編成と管理の統括業務をしていたから、ラボでは自分がやりたいことも自由にやらせてもらった。八王子ラボの予算平成と管理は組織を超えてわたしが実質的に握っていた。電話一本で副社長や経理部ちゅと話がつくから、あとは書類をちゃんとした形で上げればいいだけ。上場前だったから、作成した社内職務分掌と権限規程通りにやっていた。あとから書類を見てもどこからもけちのつかないような形式になっていた。
 それまでは本社とラボにはヘンな反目があった。相互に相手のことが理解できないからだ。わたしは産業用エレクトロニクスの輸入商社で5年間毎月社内講習会や勉強会に出席して、最先端のマイクロ波計測器やミリ波計測器、質量分析器、液体シンチレーションカウンターなどの勉強をさせてもらった。臨床検査機器はずっと遅れていた。双方向のインターフェイスバスをもつ臨床検査機器は80年代にはなかったが、マイクロ波計測器の世界では双方向のバスが標準だった。ヒューレット・パッカード社の社内規格HPIBが国際規格GPIPになっていた。70年代終わりごろからマイクロ波計測器にはGPIBが標準装備されていた。SRLがDECのミニコンを使って、細胞性免役課のリンパ球の分析器を双方向バスをもつコンピュータで開発するのは1990年だったかな、それが最初だった。HP社の機器制御用のパソコンを使えば、コストは1/10にできただろう。しかし、いいのだ。ミニコンを扱えるようになり技術レベルが上がったのだから収穫はあった。技術力を上げるためなら、コストはいくらかけても構わない、東証1部上場前まではそういう会社だった。
 結石検査用の事前処理ロボットは、精工舎製のアームロボットで砕いて攪拌して、穴の開いた五円玉状の金属板の中心に砕いた試料を固めるのである。それを赤外分光光度計にかけて、ライブラリーとぶつけて結石成分を確定する。成分が分かれば、それに応じた薬を処方できる。
 結石は体質や食生活と関係があるので、何度も再発するケースが多い。いまのいままでは他人事だったが、今夜からは自分事になってしまった。おちんちんを通過するとき、あのギザギザの珊瑚状の石が尿道に引っかかりながら出てくる、痛いだろうな。(笑)


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#3643 医療用ホッチキス10針 Nov. 22, 2017 [cancer]

 事の経緯はおくとして、貴ノ岩を日馬富士が殴ってケガを負わせたという事件がテレビを賑わしている。医療用ホッチキス10針というのはどれくらいのけがだろう?

 わたしは11年前に胃癌(スキルス+巨大胃癌)の全摘手術をしているが、手術の翌日に目が覚めてみてみると、お臍の上から肋骨の合わせ目のところまで13cmを23個のホッチキスの針が並んでいた。等間隔で並んだホッチキスの針を見て、若い担当外科医が几帳面な性格であることを知った。(笑)
(ホッチキスの針の跡は1年たつとだんだん薄くなって、2年くらいで消えた。切った跡も3mmくらいの幅の引き攣れが縦にあるだけ。術後1年間くらいまでは温泉に入るときに傷跡が気になったが、いまは気にならない。傷跡を見ながら、外科医の後藤幹裕先生そして術場の三人の看護師さん、よくやってくれたなと感謝の気持ちが起きる。手遅れなのに手術続行を命じてくれた浅川院長、よくぞ言ってくれました。いろいろな人のおかげでいま生きている。)

 針は術後1週間後に外したが、指でも外せそうなくらいゆるゆる、痛くもなんともなかった。あれは便利だ。大きな手術で23針、だから頭部裂傷で10針というのは素手で殴っただけではできない傷だろう。硬いもので殴ると、頭皮は硬い頭蓋骨との間にあるので、簡単に切れてしまう。

 幸いにして医療用ホッチキスのお世話になったことのない人のほうが圧倒的に多いだろうから、10針と23針、興味本位で並べてみた。

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#3613 定期検診 : フェリチン14.0ng/ml Sep.15, 2017 [cancer]

  3か月ごとの定期検診、血液検査結果を聞きに行ってきた。フェリチン(貯蔵鉄)が18.1→14.0へ低下していた。1年前には13.1ng/mlだったから、まあまあだろう。
  フェリチンの基準値は男性が39.4-340ng/mL。女性は3.6-114ng/mL

*フェリチン:SRL検査案内書より
http://test-guide.srl.info/test/detail/011850602


  「フェリチンとは、血液中に含まれるたんぱくの一種」で、血液検査でフェリチンを測定し体内貯蔵鉄の指標として利用します。肝臓に蓄えられる鉄は900-1000mgくらいあり、血中の鉄分が不足すると肝臓から放出されて調整するから生命維持には不可欠。これが枯渇すると鉄欠乏性貧血となる。
(逆にフェリチンの値が基準値よりも高いと癌が疑われます。さまざまな癌でフェリチンが高くなるのでどの部位の癌かはこの検査ではわかりません。)
 なお、鉄欠乏性貧血の診断基準が備考欄に書いてありました。
鉄欠乏性貧血および貧血のない鉄欠乏の診断基準は12ng/mL未満です。[鉄剤の適正使用による貧血治療指針(日本鉄バイオサイエンス学会)]

  薄いピンク色のビタミンB12と鉄剤(フェジン)を静注してもらった。今年初めのころは1.5か月に一度打ってもらったが、また3か月に一度に戻っている。主治医が検査結果を確認しながら適切に補充を指示してくれる。
  中性脂肪が基準値を少し超えていたが、痩せているからそれぐらいのほうがいい。別海牛乳で毎日500gヨーグルトを作って食べているので、中性脂肪が基準値オーバーなのはそのせいだろう。
   500g×3.5%×30日=525g/月
  1か月にバター525gだから、 太る心配はない。体重は [60±1kg] あたりにほぼ収まっている、BMIは20.0だ。四葉牛乳も美味しいけれど、別海町の牛は摩周湖の伏流水をたっぷり飲んで育つから味がよい。別海牛乳が200円以下で手に入ると知ったら、首都圏に住んでいる人たちはうらやましいだろう。240円くらいの値段がついている。

  スキル酔眼と巨大胃癌の併発で胃を全摘したebisuは放っておけば体内貯蔵鉄が枯渇して鉄欠乏性貧血を起こすから、定期的なチェックがあると安心、そして主治医がいるのは心強い。主治医は岡田優二先生、感謝。
 帯広市に住んでいる人は、東木野クリニックの後藤幹裕先生がいい。消化器外科医として11年前に手遅れ状態だったわたしの手術を執刀して(当時は釧路医師会病院勤務)命を救ってくれました。後藤先生は消化器内科専門医でもあります。

*フェリチン(検査ブック♪へ)
http://www.kensa-book.com/manabi/ferritin.html

*フェリチン(ベストメディテクへ)
http://www.bestmeditec.net/k_protein/ferritin.html


<余談>
  ビタミンと鉄を静注してもらいながら、看護師さんと話した。
 「家の前に白チョークで引いてある線はなんですか?」
 「ああ、あれ、8の字に10cm幅の線を引いて、線に沿って自転車をコントロールしてるんだ」
 「アウトドア好きですね、ときどき自衛隊の周りを走っているの見かけます」
 「壊れぬ程度に体力維持を心がけてます、ポンコツだから、アハハ」

  今日も8の字のコースを50回ほどまわった。バランスをとり、ゆっくり走るために両手の指二本ずつで前輪と後輪のブレーキコントロールをしながら、体を曲がる方向とは反対側に傾ける。無限ループだから次の円に移ると時計回りは反時計回りとなり、体重を逆側へ移動、これをスムーズにやり続けながら、10cm幅のコースから前輪をはみ出さずに運転する。書くとえらくややこしいが、やるのはそうでもない。身体を動かしてやると、首が肩が腕が指先が胴体がお尻が腿が膝が足首が土踏まずが、一斉に喜んでいる。その声を聴くのが気持ちいい。

*#3551 フェリチン 10⇒18ng/mLへアップ June 8, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-06-08


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#3551 フェリチン 10⇒18ng/mLへアップ June 8, 2017 [cancer]

  胃癌になるかもしれない人胃癌で最近胃を全摘した人は読んでください、たぶん参考になるでしょう。

  わたしは2006年7月にスキルス胃癌と巨大胃癌を併発して、胃の全摘、転移したリンパ節切除、浸潤した大腸の一部切除、胆嚢切除をしています。11年目経ちますが、その後再発はありません。
  2006年6月6に日、初診に訪れたわたしに内視鏡で癌の診断をつけ、入院先を手配してくれた主治医(消化器内科専門医)のO先生、そして釧路医師会病院へ入院、若き外科医であるG先生(その後音更町で木野東クリニックを開業)が執刀してくれました。「アケトジ」が当たり前の症例でした。命を救ってくれたお二人とそのスタッフの皆さんに感謝。

*木野東クリニックホームページ
https://www.kinohigashi-clinic.com/

  外科手術を担当してくれたG先生によると、典型的な「アケトジ」の症例で、開腹して確認すると癌が広がっており手遅れと判断して手が止まってしまったそうです。見ていたベテラン外科、院長の手術続行指示で気を取り直して6時間の仕事をやり遂げてくれました。外科医はたくさん切って場数を踏まなきゃ腕が上がりません。手術の際に肝臓に触ったら、肝転移が疑われる感触がしたので、1か月後にまた手術になると思うと、術後一週間目の外科医ご託宣だった。主治医のO先生も冗談なのか本気なのか「助かるはずのない症例だった」と教えてくれました。幸運だったと思っています。だから、命の残りはなるべく世のため人のためになることに使おうと素直に思えるのです。ブログを書くこともそういう手段の一つです。

  3か月に一度血液検査をして、主治医がしっかりチェックしてくれています。先週採血してもらった検査結果を聞きに行きました。
  6か月に一度やっている腫瘍マーカー2項目は基準値内、フェリチンは前回10ng/mLだったのが18ng/mLに上がっていました。うれしい結果でした。

 フェリチンの基準値は男性が39.4-220ng/mLですから、まだ半分以下ですが状況は改善しつつあります。

*フェリチン:SRL検査案内書より
http://test-guide.srl.info/test/detail/011850602

  12ng/mL未満が鉄欠乏性貧血と診断されます。貧血症状は30ng/mL未満から現れるようです。わたしの場合は20ng/mLを切ったあたりから、散歩していても息切れがしていましたが、次第に慣れてしまいました。さすがに10ng/mLをあたりでは息切れ症状が出てしまうし、寝ている時に息が苦しい感じがしてきます。肺に酸素がいきわたらない感じがします。それとスタミナがなくなり、疲労感が強くなるのです。ぐったりして、朝の食事の後で30分ほど睡眠、昼食の後で1.5時間睡眠、そうしないと体力が持たない。脳のスタミナが切れ、思考が続けられません。

  体内の貯蔵鉄がアップしたので、一安心です。血液中の鉄分が不足したときに、体内貯蔵鉄の放出によって補えなければ、ちょっと危ない。仕組みは以下のURLをクリックしてください。

*フェリチン不足ナビ
http://フェリチン.net/#feri-03


 以前は「かんでおいしいチュアブル鉄 プルーン味」を毎日1錠(鉄分5mg)を飲んでいましたが貯蔵鉄が減少していくので、3月に東京へ行ったときに、マツキヨで「ヘム鉄 with バイオペリン」という商品を見つけて、3袋買って毎日1錠飲んでいます。「1日2粒目安」と書いているので半分の量です。これと雪印の「プルーンFe 1日分の鉄分飲むヨーグルト」を併用しています。2か月と2週間ほど飲んだことになります。効果は書いた通り、貯蔵鉄が上がってきました。

  今週は3日間でサイクリング30㎞しています。大腿部の筋肉をつけることで体重を増やそうと目論んでいます。筋肉量を増やさないと体重は増えません。2-4月に3kgの体重減少がありましたので体調は絶不調でした。体重を増やすためにサイクリングの頻度を上げています。自分の力で風を切って走るのは気分がよいのです。毎週30-50㎞走れたらいい。平地走行で時速40㎞出るようになりました。そのときはもちろん息切れしていますよ。(笑)


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#3486 あれから十年:巨大胃癌とスキルス胃癌の併発を超えて Dec. 21, 2016 [cancer]

<更新情報>
12/21 午前0時35分 
12/21  午前8時50分 <余談:臨死体験>追記


< 10年前のこと >
 診察券の発行日付を見ると2006年6月7日になっている。胃癌だと思うので内視鏡検査をしてほしいと、消化器内科専門医の岡田医院で受診した日である。
 前日午後から食事が摂れず、ベッドの横になると午前中に食べたウドンが逆流していた。食べられたことから胃の上部は通過できていた、だから下部が詰まって胃から腸へ送り込めないのだろう、症状から考えて腫瘍があって胃から腸への通路のどこかがふさがっていることは明らかだった。半年ほど前から、自覚症状はあった。1月恒例の芭蕉同窓会のときに気がついた。食べる量や飲む量が減っていた、飲んだり食べたりするとすぐに膨満感があったので、いままでとはどこか違和感があった。年齢による変化もあるので見分けがつかないのである。それが、6月になって急に通らなくなり、ようやく胃癌に気がついた。(苦笑)
 はっきりした胃癌症状だったので、なおさら病院へは行きたくなかった。「昨日から食事も摂れないのに、どうして病院へ行かないの!」と女房殿に叱られた。行ったら、すぐに入院、そして死亡退院だろう、家系的(男系遺伝子)にそう思わざるをえない事情があった。
 不思議なことはあるもので、5月の連休に釧路へ行ったときに、幣前橋を走っていたときに丘の上にある白い建物が見えて、「ホテルかな?」と呟(つぶや)いたら、「病院よ」と眼のよい女房殿の返事、「そうか綺麗そうだね、入院するなら眺めのよいあの病院がいいな」と思わず呟いたら、1ヵ月後に入院、まるで予言。
 オヤジとオヤジの兄弟3人は、みな癌で亡くなっていた。原発部位がそれぞれ違っていた。だから、わたしはだれも罹っていない胃癌だろうと40代半ばから漠然と考えていた。これもその通りになったのであるが、時期が早すぎた。だれも五十代で癌になっていない。癌の診断が下りてから2年生きたのはオヤジだけ、そのオヤジも2年で再発し、2度目の手術は全身転移、「アケトジ」で4ヶ月後に亡くなった。オヤジの兄弟たちはみな癌で入院したまま亡くなっていた。
 食べたものが胃を通過できないだけではなかった、やっかいなことにスキルスだという直感と微細な自覚症状があった。
 胃の出口をふさぐほど大きな腫瘍が見つかっても、粘膜を走るスキルスがあると思うので胃粘膜を採って病理検査を追加してもらいたいと、内視鏡での癌診断画像を見ながら若先生にお願いした。外科的処置のできる設備のある病院でなければ粘膜採取ができないと説明があった。緊急性があったので、同じ出身大学の先輩が副院長をしている釧路医師会病院ならすぐに入院調整可能だと連絡を摂ってくれた、ありがたかった。釧路市立病院は1ヶ月待ちだった。市立根室には消化器外科医はいなかった。6/7は期末テストの2週間前だったので、入院は試験の始まる日、23日でお願いした。食事も摂れないのに無理だとドクター、しかし、どうしても試験の前日まで授業をしてから入院したかった。これから期末試験までが最後の授業になるかもしれないので心残りをしたくなかった。わがままな患者でした。
  生徒たちには、「お腹にオデキができたので、釧路の病院に入院して取って来るから、1ヶ月お休みします」と告げた。「先生、お腹にオデキできたの、ウッソー」と大笑いだった。爆笑に送られて釧路医師会病院へ入院した。幸せだった。その中の一人は今春に根室に戻って来て幼稚園の先生をしている。来春には二人が看護師さんになって、病気と戦う患者の皆さんを助ける。

 入院して検査を続行した。3週間かかって内科的検査でスキルスが見つかった。どういう自覚症状があったのか、これから胃癌になるかもしれない人のために書いておく。
 冷たい異物がじわじわ広がっていくのが感じられたのである。冷たくて重い気味の悪い感触で、エイリアンが胃の辺りで成長しているような構図を考えてもらいたい、微細な信号だった、呼吸法の鍛錬やヨーガの独習で身体の声を聞くことに慣れていたから感じたのだろう。
 担当外科医の後藤幹裕先生は30歳前後だった。術前にいろいろ説明があったが、広がっていれば膵臓も脾臓も摘出するかもしれないと告げた。承諾書に判を押さなければ手術はしてもらえないので、すぐに判を押した。手術の数日前に股関節の動脈穿刺の必要があり、看護師さんがやるのかと思ったら後藤先生が来た。動脈穿刺は医師の業務なのだそうだ。「いきます」というや、まっすぐに針を突き立てて、ブスリと一発、迷いがなかった。「人の動脈だと思って、思いっきりいきましたね」と笑って言うと、「動脈穿刺は簡単なんです、外科医には(動脈が)見えてますから、それに太い、外しっこないんです」、にっこり笑って応えた。おおらかないい笑顔だった。あの笑顔でやられた。

 7/20、手術当日、開腹して臓器を診たがすでに手遅れで、後藤先生が手術をあきらめ「アケトジ」しようとしたら、ベテラン外科医の院長が、続行を命じた、「ざっくり全部とればいい」、もう手遅れだから助からない、若い外科医はたくさん切らなければ腕が上がらない、練習が必要だった。それでいいと思っていた。助からなくても、この先生の腕を上げるのに役に立つならそれでいい、そう思っていた。わたしの命を救ってくれた外科医の後藤先生は、その後首都圏で数年、内視鏡操作のトレーニングを積んで、音更町で「木野東クリニック」を開院している。帯広の市街地から橋を渡ってすぐ右手側にある。ふるさとに戻って医療に携わる医師が増えてくれるのはありがたい。

 山崎豊子の書いた『白い巨塔』という小説がある。田宮二郎が主人公の癌専門医の財前五郎を演じ、1966年に映画化された。その後1978年にフジテレビで連続ドラマで放映された。その主人公の財前がスキルス胃癌で亡くなるのである。スキルスは進行性癌の代名詞のようなものだった。
 入院して3週間点滴と栄養液だけですごした。毎日ストレッチをして、数学の問題集を1冊半解いた。診療記録を小さいノートにつけて淡々とした毎日だった。
 入院中にこころが波立ったことが一度ある。中学時代からの友人が心配して手術直前に釧路の病院まで見舞いに来てくれた、長い付き合いだがこれがYと話をする最後かもしれないとふと思ったら万感胸に迫るものがあった。Yは「人っ子のいいやつ」なのだ。

 6時間の手術で巨大胃癌とスキルス胃癌を胃袋ごと取り除いた。大腸への浸潤もあったし、リンパ節への転移もあった。どちらも部分切除した。炎症を起こす恐れがあるというので胆嚢も除去した。あれだけの手術で、出血はたった700cc、30歳前後の担当外科医は若いが腕がよかった。手術は7月20日、術後2週間で退院した。摘出した胃とリンパ節と大腸はわたしが仕事をしていたSRL八王子ラボへ送られた。検査報告書には「巨大胃癌とスキルスの併発」となっていた。分厚い眼鏡をかけた病理検査課のN取課長はわたしだと気がついたかもしれない。
 2006年8月10日、金刀比羅神社のお祭りを見物した。
 抗癌剤治療は副作用が強くてきつかった。主治医と相談して何度か再発覚悟で薬の量を減らした。

< 最近数ヶ月間のこと >
 話はいまに戻る。数ヶ月前から倦怠感が強く、食事をした後、午前中は床暖房のあるリビングで寝ていることが多くなった。寝ていると気持ちがよい。オヤジが家を新築するときにオンドルをつけるつもりだった。満州にいたことは知っているが朝鮮にもいたのかもしれない。結局セントラルヒーティングで床暖房にした。大腸癌の手術をした後に、身体が冷えるのかリビングで毛布をかけて横になっていることが多かった。親子で似たようなことをしているのである。25年の時の隔たりがあるだけ。
 倦怠感が強いことから身体に異常を感じながら、昼に食事をしてからまた1時間半ほど寝て、それから食事をして授業をしていた。
 ベッドに横になると、感度が鋭敏になるのか呼吸が苦しいのが感じられる。呼吸をしているのだが、酸素が体内に吸収できない感覚がする。年に1・2度東京へいくが、住まいが丘の上にあるので、散歩で下ると帰りは上りだ、そのときに呼吸が幾分苦しいことがある。「行きはよいよい帰りはつらい♪」というやつだ。呼吸の変化に合わせてゆっくり歩くか、坂の途中で数分休めばいいだけだから、それほど不自由はない。20代後半から呼吸法のトレーニングやヨーガの瞑想をしていてよかった、役に立った。

 一月半ほどヨーグルトを自製して食べはじめた。別海牛乳を電子レンジで45度くらいに暖めて、小どんぶりに入れ、森永ビヒダスヨーグルトを大匙3杯加える。下にお皿を敷いてタオルで包んで保温し、床暖房の余熱で5時間放置すれば新鮮なヨーグルトのできあがりだ。できたてのヨーグルトは乳酸菌の生命力が強い気がする。
 毎日500gほど食べていたら、中性脂肪が109から200にアップした。基準値をオーバーしたがまあいいだろう。体重が1kgほど増えたので身体がらくだ。乳脂肪分の摂取量を計算してみよう。

 500g×3.8%×30日=570g/月

 1ヶ月に570gのバターを食べた計算になるから、中性脂肪があがるわけだ。HDLとLDLには変化がない。ドクターからは、フェリチン定量が9.1に落ちたと告げられたが、気にしてなかった。
 12月7日に3ヶ月に一度の定期血液検査をした。その後で結果報告書のコピーをいただいた。
 美人の看護師さんにフェジン(鉄剤)とビタミンB12を静注してもらいながら話をしていたら、「(定期検査の)間に来れば注射できるようにしておきますから」、そういう主治医からの伝言をいただいた。
 おや、そんな必要がどうしてあるのかなと考えたら、「フェリチン定量」が下がったと言われたことを思い出した。フェリチンはたんぱく質でその内部に鉄を貯蔵できる。つまり体内の貯蔵鉄が減ったのである。鉄は血清中の鉄と体内の貯蔵鉄の2種類があり、血清鉄が不足すると、体内貯蔵鉄を血清に放出するようにできている。ヘモグロビンは血清鉄から鉄分を補給している。血中の鉄が一定に保たれなければ、貧血を起こすから、貯蔵鉄が血中に放出される。
 貯蔵鉄が涸渇すれば、血清鉄が減少しても、補うものがなくなる。血液中の鉄が不足すれば、酸素の運搬能が落ちる。貧血で倒れるか意識障害がでるだろう。メカニズムを考えるとなんだか危なさそう、あまりいい状態ではなさそうだ。3ヶ月に2度、フェジンとビタミン12を静注して、補うべきなのだろう。

 プルーン味の5mgの鉄剤を毎日1錠飲んでいるが、別のグミの鉄剤を1錠追加して3ヶ月ほど様子を見ようと思う。
 鉄剤を増やしてもフェリチンはたんぱく質だから、鉄剤にフェリチンを増やす効果はないが、フェリチンに蓄える鉄の量は増やせるだろう。鉄剤は貯蔵鉄と血清鉄を増やして、体内貯蔵鉄の減少を緩和することができる。貯蔵鉄が増えればいいのだが、そう簡単ではなさそうだ。これから数ヶ月、身体を使って実験してみることになる。結果はブログへアップするので、必要な人は利用して体調管理をしたらいい。

 胃癌で全摘手術をした人は、血中の鉄を減らさないように日常生活と食事に気を配らなければならない。血清鉄が不足すれば、フェリチンに貯蔵されている鉄が放出されて減る。体内鉄はいつか涸渇するのだが、それを先へと延ばせる。
 手術前に65-130だった血圧は50-90になった。10年間ずっと変化なし。看護師さんが測り間違えたかと、再測定することがある。首をかしげて測りなおそうとするタイミングを見計らって、「低いんでしょ、間違いでありません」というようにしている。

 最近半年の血液検査フェリチン定量の推移を書いておく。胃癌で全摘した人はいずれこういう時期が来ることを承知しておいたらよい。油断してはならない。
       フェリチン定量    鉄
 6/9 ⇒ 13.8ng/mL   114μg/dL
 9/13⇒ 13.1ng/mL    88μg/dl
 12/7⇒  9.1ng/mL   109μg/dL
 3月 ⇒  ?ng/mL

 鉄(Fe)は基準値が60-210だから、異常なしだ。血球数と血色素も基準値内に収まっている。
 アウトなのはフェリチン定量だ。フェリチン定量の基準値は21~282ng/mLであるから、基準値下限の半分以下。ネットで検索したら測定限界は4.9ng/mLである。それ以下を検出しても臨床的な意味はないのだろう。
 フェリチン定量が基準値半分以下でも、血清鉄が基準値に治まっているから、鉄欠乏性貧血ではないのだろう。6ng/mLにまで下がれば、日常生活に支障が出るのだろうか。身体が発する声に耳を傾けながらしばらく様子見だ。どういう変化が現れるかは個人差もあるのでわからない。

 うっすらとした自覚症状としては記憶の糸を手繰るのが面倒になることがでてきている。年齢のせいなのか鉄欠乏のせいなのか、初めての経験なのでよくわからないというのが率直なところ。
 身体が慣れてしまうのか、ベッドで寝るとき以外は呼吸が苦しいという自覚はない。寝るときに少し気になる程度だ。たしかに、自覚の回数は増えた。
 死ぬのは怖くありませんが、鉄欠乏で脳がダメージを受けて生きているのは嫌ですね。本音を言えば、食事を摂らずに緩慢な死が迎えられたら本望です。でもまだ当分死にません。(笑)

 身体を動かすと気持ちがよいので、ベッドでストレッチ5~10分ほどしてから起きている。ゆったりした呼吸で、身体を伸ばしてあげる、あちこちの関節をゆっくりまわしてみる。実に気持ちがいいのです。生きててよかったと感謝しながら、息を吐ききり、吸い込みます。
 毎日、1.4kgの素振り用木刀を3回ほどに分けて100回ほど振っています。四股踏みも数回に分けて50回ほどやっています。回数は決めていません、結果としてそれくらいの回数になっているだけ。その日に身体が気持ちいい範囲でやります。散歩は面倒なので滅多にしません。

 胃の全摘手術を受けた人の参考になれば幸いです。

*木野東クリニック
https://www.kinohigashi-clinic.com/
https://www.kinohigashi-clinic.com/guide/


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< 余談-1:臨死体験 >
 手術は予定の3時間を越えて6時間かかった。開けてみたら、癌がずいぶん進行していたからだ。術式が複雑になった。食道と胃の全摘、胆嚢切除、リンパ節切除、大腸一部切除。患者は薄い手術着1枚、手術室の室温は低めに保たれているから、低体温症になった。手術が終わるときに、翌朝まで目覚めないように麻酔が追加された。
 集中治療室へ運び込まれて少したってから、身体は体温を回復するために震え始めた。その辺りからはっきり憶えている。眼下に自分が横たわっており、身体が蝦のようにはねていた。身体の震えというよりも激しい痙攣が起きていてとまらない。身体の中にいる自分が「危ないな」そう感じていた。もう一人の自分が上から眺めており、「助からないかもしれないな、手術直後で縫い合わせたばかりなのによく内臓が飛び出さないものだ」、痛みは伝わってこない。
 看護婦さんの一人が叫んだ「身体押さえて!」、そのままではベッドから落ちてしまう。数人の看護婦さんが身体を押さえてくれた。そうした経過を身体の中にいる自分と上から見下ろしている、ふたつの自分が同時に存在して、体験しているのである。「電気毛布もってきて!」と誰かが叫んだ。少したつと身体が温かくなった。痙攣が治まり、ああ、これで助かったと思った。その瞬間に上から見下ろしていた自分が身体の中に戻った。瞑想しているときに、意識が身体から離れることがあった、あれは怖かった(戻れないのではないかという怖れが急に沸き起こり、すぐに中断した)。
 あのときに、身体の中の自分も、上から観察していた自分もちっとも痛くなかったし、怖くなかった。ああ、死ってこういうもの、安らぎなんだ、そういう実感があった。それ以来死ぬということに恐怖感がなくなった。死をそのまま受け入れたらいいだけ。
 助けていただいたみなさま、主治医のO先生、外科医の後藤先生、術場の看護師さん、術前と術後に看護してくれた数人の看護師さん、スキルスの内科診断をつけるために親身な検査を繰り返してくれた副院長のT田先生、手術の続行を指示してくれたA川院長、同じ病室で術後のことをいろいろ教えてくれた入院患者の先輩たち、実地研修で数日担当してくれた看護学校の生徒さん、普段お世話になっている岡田医院の看護師さんたち、・・・、数え上げたらずいぶんたくさんの人たちのお陰で命がある。
 だから、すこしは皆さんのお役に立つことをしてから、お迎えを待ちたいと思う。病気によって私心がいくぶんか薄くなった、この点だけは病気のメリットだった。神様はちゃんと埋め合わせしてくれている。
 

< 余談-2 >
 今日、岩波書店から復刻された斉藤秀三郎の『熟語本位英和辞典』を1冊買いました。美しい和語の訳文が載っています。
 学生時代は岩波書店の分厚い英和中辞典をかばんに入れて、時事英語の講義を聞きました。東京の自宅の書棚に載っています。岩波書店の英和辞典はこれで2冊目、最初のものを購入してから48年の歳月が流れました。
 学ぶことは相変わらず楽しい。(笑)
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*#2129 胃癌切除 6年後の鉄欠乏性貧血症状:鉄剤服用開始 Nov. 15, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-14-1


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熟語本位 英和中辞典 新版 CD-ROM付

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  • 作者: 斎藤 秀三郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
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#3400 気がつけばペースダウン Aug. 28, 2016  [cancer]

 今月はこれで18本目のアップ、先月は33本アップしている。毎月25~30くらいが平均値だろう。このところ昼寝の回数が増えた。起きていると体がなんとなくけだるく横になっているうちに寝ている。

 オヤジが大腸癌の手術のあと床暖房のあるリビングで横になっていることが多くなった。癌細胞の増殖にエネルギーが奪われ衰弱してくると散歩すら億劫になる。リビングのドアの1cmの段差に脚をとられて転倒したことがあった。思ったように脚が持ち上がっていないのである。反応速度も遅くなっていたから、手が出ずに顔から突っ込む。だれも自分がそういう風になるとは思わないだろう、だけど家を建てるときには自分のためにバリアフリーを考えるべきだ。
 2年で再手術だったが、肝臓へ癌が転移しただけでなく骨にも肺にも広がっており、再手術は「アケトジ」だった。肝臓は衣服の上から触ってみたらまるで板が入っているかのように硬くなっていた。
 退院してから二ヶ月ほどは散歩にも出られない様子。たまたま、自転車に乗って曙町交差点から市総合文化会館前まで来たときに、オヤジによく似た人が帽子のつばを持ち上げて店を仰いでいるところをみた。誰だろうと近づくとオヤジだった。
「散歩できるんだ」
 あのときオヤジがなんと応えたかは思い出せない。それからときどき散歩していた。散歩できるようになってから2ヶ月ほどで市立根室病院へ入院して亡くなった。釧路市立病院で再手術してから6ヶ月の命だった。希望通りに、みんなに看取られて静かに亡くなった、平成5年9月のことだった。「根室の土になる」そういっていた。

 こんどはebisu自身の話である。昨夏に比べると、また一段と体力が落ちた。筋力を維持しようと木刀の素振りと四股踏みをはじめた。最初は素振り200回、四股踏み50回くらいだったが、100回、20回に減り、そして途切れ途切れになっている。億劫なのである。生徒に勉強しろと言いつつ、自分の気力の衰えには抗しがたいと弁明している、なんとも情けない。
 今年の夏は雨ばかりで、鬱陶しい。体力の低下が気力の衰えとなっているようだ。後3年半、私塾を続けようと思っていたが、身体に訊いてみたら「どうなるのかわからぬ」との返事。
 肺の機能が衰えて、呼吸が年々浅くなっている。鉄欠乏性貧血だから、酸素の運搬能が健常人に比べて小さい。浅い呼吸でさらに酸素を吸収しづらくなっているのでそれがよくわかる。
 3ヵ月毎の定期検査では癌再発の兆候はまったくないが、肺機能の低下は自覚症状としてある。体力低下が老化によるものなのか、歩かないので足の筋力低下によるものなのか不明だ。何しろ初めて「老人」になったのだから、経験のないことはわからないものだ。(笑)
 老化によるものなのかそれともなにか進行性の病気によるものなのかの判断がつけにくいから、躊躇しているうちに病気が重くなるのだろう。いやなことは先延ばししたいのは人間の性(さが)。自分のことは棚に上げても、生徒には「いまやるべきことを先にやれ」と言い切る。彼ら・彼女たちは残り時間が莫大にあるから、いまやるべきことをやれば、将来の負担が小さくなる。

 さて、どうしたもんかのう、歩けるところまで歩き、これ以上は無理と判断したら切りのよいところで私塾はやめることになろうが、まだしばらく大丈夫だろう。(笑)

 蓮如上人の「白骨の御文」は手厳しい。
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それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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 体力の低下に合わせてブログのアップ頻度も勝手に低下している。きつかったら数ヶ月休止や、頻度が週1くらいに落ちることがあるかもしれない。身体の声を聞きながら、マイペースでいこう。

#3399より
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 門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 一休宗純の狂歌だったと思うが、調べてみたが、83年に読んだ西田正好著『一休 風狂の精神』(講談社現代新書477)には見当たらない。こちらの道歌が載っていた。

 門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊まり屋もなし

 正月になって新しい年を祝うが、人生の時間は確実に過ぎ、残り時間が短くなっていく。人生の旅には、馬や駕籠(かご)という便利な乗り物はないし、休むことのできる旅館もない、ただただ死へ向かってたんたんと進むのみである。また一年残り時間が少なくなったという道しるべの門松を通り過ぎてしまった、めでたいなんて浮かれる気分にはなれぬ。
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 今日もまた雨である。南下していた台風10号が反転して、関東へ向かっている。


*#3399 アルツハイマー型認知症の発症は防げる? Aug. 27, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27


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#3323 「スキルス胃癌+巨大胃癌」:お蔭様で術後11年目が迎えられました  June 9, 2016 [cancer]

<更新情報>
6/10 朝10時 冒頭部分と余談を追記


 ほとんど助からない病だったのですが、主治医の消化器内科医、執刀をしてくれた若き消化器外科医、(開腹して癌がリンパ節へ転移、大腸へ浸潤の状態を確認できたところで「アケトジ」しかないと判断した執刀外科医に)術場でオペ続行を指示されたベテラン外科医の釧路医師会病院S川院長、スキルスの診断をつけてくれた消化器内科医の副院長、術後の再三の歯のトラブルを救ってくれた根室と東京のお二人の歯科医の先生、術場の看護師さん三人、病棟看護師のみなさんに助けられ、生徒たちに元気をもらい、10年間生きてきました。いま振り返ると、すばらしいチームに支えられました、あのタイミングでこれだけ必要なスキルをもった人たちが助けてくれたことは奇跡です。57歳からのわたしの人生はたくさんの人に支えられ、すこしずつできることの範囲が広がりました。本当にありがたい。
 これから胃癌を患う人たちやその家族の皆さん、そしてその友人の皆さんに術後の10年間の様子の概略をお伝えすることで、わたしのささやかな経験がいささかでも人様のお役に立つことを願っています。


 2006年の6月6日だと思っていたら、O田医院の診察券の発行日付が6月7日、これが初診日。今日、3ヶ月に一度の定期検査、採血をしてもらった。「一般検査項目+腫瘍マーカ2種」、そして「フェジン+ビタミンB12」静注。検査データをみなくても鉄欠乏はいつものことだから、先に「鉄分補給」をしてもらい、来週検査データを確認。このごろ息があまり苦しくないのは、オリヒロ(株)「チュアブル鉄」の錠剤1錠のほかに雪印メグミルクプルーンFe 1日分の鉄分飲むヨーグルト」を飲んでいるせいだろうか?呼吸をしても酸素が入っていかないことが頻繁に起きるようだと鬱陶しいが、しばらくそれがないのはうれしい。

 10年前のあの日、前日のお昼に食べたうどんが逆流して夜中まんじりともせず、ついに朝食もまったく摂れなくなった。症状から胃癌と確信していた。スキルスの自覚症状もあった。冷たい異生物が広がりつつあるのが感じられたのは、ヨーガや呼吸法を10代のころから独習していたからではないかと思う。身体の声が聞こえる、とでも表現したらお分かりいただけるだろうか。

 「胃癌だと思うので、内視鏡検査をお願いしたい」と診察の際に優二先生に申し入れた。
 オヤジがお父さん先生に平成3年に大腸癌の疑いがありとの診断をしてもらい釧路市立病院で手術を受けて2年後に再発、全身転移して亡くなっていたから、それから15年後に息子のわたしが、若先生のお世話になることになるとは、これも運命のなせる業か。
 内視鏡で癌の診断はすぐについた。「スキルスもあると思うので検査を続行してもらいたい」とさらに頼んだ。スキルスは粘膜を走る癌だから、自覚症状が出にくい、スキルスの自覚症状があると訴えた患者は、後にも先にもわたし一人だろう。6月23日に釧路医師会病院に入院して、スキルスの診断がつくまで3週間かかった。消化器内科の副院長はガストロ造影で診断をつけてくれた。ずいぶんと丁寧な診察に頭が下がった。

 スキルス胃癌と幽門部近くにできて腸への通路を塞いでいた「巨大胃癌」(SRLの病理検査報告書)の摘出手術を7月20日にしてもらって、いま生きている。執刀外科医が若い研修医でなくて、40歳代のベテランだったら、手遅れですから「アケトジ」だった。手遅れだと判断した後藤先生の手が止まったところで「ざっくりとればいい」と術場に立ち会っていたベテラン外科医のA川院長の指示がなければ助からなかった。たくさん切らないと外科医は腕が上がらないから、助からぬものならやるだけやって腕を上げてほしかった。次の患者を救うだろうと、術前のさまざまなリスク説明を聞きながら患者のわたしは考えていました。「あけてみないとわからないので、転移の状況によっては、脾臓、膵臓、肝臓の摘出もありうる」と淡々と説明してくれました。「おいおい、そんなに内臓とったら手術は成功したが、患者のわたしは死にましたということになるだろう?」、そういう状況だったのです。でもね、この若いドクターだからこそ、何か起きると予感していました。崖っぷちにいるのにちっとも恐怖がわいてこず、なんとかなるような気がしていたのです。ヘンでしたね。
 手術を担当してくれた若い外科医後藤先生は2年半前からふるさとの音更町に戻り「木野東クリニック」を開業しています。6時間の手術、よく助けてくれました。
 胃の全摘、周辺リンパ節切除、浸潤していた大腸の一部切除、胆嚢摘出。空腸を喉まで引っ張りあげて食道と吻合、十二指腸の付け替え、動脈の処理、...。あとで輸血の量を訊いてみました、ゼロという返事、これにも驚きました。これだけの大手術で出血量はわずか700cc、技術の進歩と外科医のスキルはすごいものだ。

 抗癌剤(TS-1)治療がきつかった。白血球がぎりぎりまで下がり、免疫が落ちて何度か抗癌剤の量を減らしたり、期間を開けさせてもらった。主治医の優二先生は再発リスクを説明してくれたが、続行も命にかかわるような状態が半年以上続いた。白血球数のデータを見ながら、薬剤をコントロールしていただいた。2年間ほどは抗癌剤の副作用で身体がとってもきつかった。

 術後は血圧が50-90に下がった。体重はマイナス12kgから3kg戻した。血糖が下がることがあるが、なんとなくわかる。身体がふわふわするのである。そういう時はチョコレートやオレンジやバナナを急いで食べる。
 一度、2月に日専連ビルの教室から家へ戻ってきて、車を車庫に入れて、ちょっとだけ除雪しようとして、低血糖症状を起こし、膝が崩れて派手に転倒し立ち上がれなくなったことがありました。女房が東京へ行っていたときだったので、危うく死ぬところだった。何度も立ち上がろうとするのだが、ガクンと膝が折れて転倒する。倒れたままでは服が地面に凍り付いてしまう。
 何度か試しているうちに起き上がれたが、玄関の方向がわからない。明かりのついているほうがそうだろうと空中を泳ぐような朦朧とした意識で、玄関から這い上がって、仏壇にあったオレンジをがつがつ食べて、リビングで倒れてしばらくじっとしていた。
 後でみたら、スーツのズボンが何箇所か破れていた。

 胃の全摘をした方は、低血糖症状に気をつけてください。冬の寒いときに家の外で低血糖症状を起こせば命にかかわります。ブドウ糖粉末をポケットにいれて持ち歩いたほうがいいですよ。チョコレートでもいい。
 
 食事は日に6回、小分けにしてしょっちゅう食べていないといろいろ不都合が起きます。たとえば下痢、よく噛んで唾液と混ぜてやらないと腸が炎症を起こして下痢をします。とたんに体重が減り、体調を崩します。胆嚢切除で胆汁が出っ放しになっているので、食べ物を送り続けないと、胆汁液で腸が炎症を起こすのでしょう。
 日に6度の食事と、果物入りのヨーグルトが口内環境を悪化させました。3カ月おきぐらいに虫歯治療していました。虫歯になると歯が痛くて、噛む回数が減ります。腸が炎症を起こし、口内炎が起きます。体重が減り、体力が奪われます。
 この3年間ほど、口内炎が起きなくなりました。インプラント治療で、噛むのが楽になったのです。それと、年に一度歯のチェックをしてもらって、ダメになる前に治療してもらっています。歯のほうの主治医である東京の歯科医院はセレックというドイツ製の義歯作製機を導入しています。コンピュータで取り込んだ3次元レントゲン画像をもとにして、工業用の純度の高いセラミックス・ブロックから削りだして義歯を作製します。作製は1日でできます。価格は3~6万円くらいです。純度の高い工業用のセラミックス・ブロックから削りだすので従来のものより強度が大きいようです。3月にやっていただいたときには3本ブリッジで12万円でした。従来の手作りのセラミックス義歯だと最高級のもので1本12万円、その次が9万円ほどでした。
 歯を削る治療をするときは必ず仮歯を入れてくれますから、治療中も食事に不都合がありません。その仮歯は丈夫で、セラミックスの歯が日程的に間に合わないときには仮歯をしっかりくっつけてくれるので1年間はもちます。次回行ったときにセラミックス製の義歯と交換すればいいのです。
 東京・聖蹟桜ヶ丘の林歯科医院のドクターとはもう18年ほどのお付き合いになります。7-10日くらいの滞在期間中に、無理を言って、治療していただいています。

 術後5年間は、東京へ行けませんでした。いつ下痢を起こすか不安なのと、体力がもつのか不安だったのです。最初はへとへとになりましたが、毎年いくうちに慣れてきました。でも一人では無理ですね。一人で行く旅行は釧路までが精一杯です。

 優二先生に内視鏡で癌の診断をつけていただいてから、6月7日で10年が過ぎました。地元に消化器内科の専門医のドクターがいることは患者にとってとっても心強いものがあります。
 執刀していただいた外科医の後藤幹裕先生も東京で数年間、内視鏡技術を磨き、2013年12月にふるさとの音更町で木根東クリニックを開院して、すでに2年半経ちました。
 お二人にステージⅢ-bのほとんど助からぬ命を救っていただきました、ありがとうございます。
 10年間を振り返ったこの駄文が、不運にしてこれから胃癌を患う人たちにいくばくかの参考になれば幸いです

 お二人の消化器専門医のドクターの健康と、それぞれの医院が地元の患者の皆さんに末永く愛されますよう、心よりお祈り申し上げます。

*「まちマイNEWS 音更編 今日の話題「郷土愛」 木野東クリニック院長 後藤幹裕さん」
http://www.tokachi.co.jp/feature/201402/20140202-0017626.php 



〈 余談-1 : 食後 〉
 食事をした後は、1時間ほどは外出できません。いきなり腸に食べたものが入っていきますから、腸が圧迫されます。歩いたり車に乗ると身体に振動が起きますから、食べたものが腸内の残留物を圧迫して痛みが生じます。振動が数分間続くと、下痢を起こしてしまいます。
 対策は、出かける2時間前に食べ終わっておくことです。でも食べ終わって3時間もすれば次の食事をしないと低血糖を起こしかねません。だから出かけるときは、果物を入れたヨーグルトや果物を持っていきます。途中で少量食べて補給します。なんどかそうやって持たせます。そういう事情もあって術後5年ほど東京へ行けませんでした。下痢を起こさないためには食べなければいい、しかし食べなければ低血糖症状や、血圧が50-90ですから貧血を起こしかねません。危険なのです。羽田から日野市の自宅までの移動に電車を使うと、ホームの階段の上り下りが何度もあります。同じ流れの速度で歩けないのです。だから、羽田からは聖蹟桜ヶ丘まで直行のバスを利用しています。30分おきにあるので助かります。

 
〈 余談-2 〉
 恥ずかしながら、臭い話をします。(笑)
 消化を助けるために、ビール酵母「エビオス錠」を毎食後2錠服用しています。他社の製品に比べてやわらかめで、噛み砕いてもインプラントの歯には影響なし。ブログ仲間のHirosukeさんが薦めてくれたので、他社のビール酵母から切り替えました。
 術後数年間は消化不良のせいか腸内で異常発酵、便もオナラもとっても臭かった。9時に仕事が終わってから夜10時ころに食事を終わるので、お風呂に入って寝たころに異常発酵が盛んになります。寝室が別でよかった、窓を開けて換気することがありました。(笑)
 下痢も頻繁にしていました。現在は、ずっとよくなりました。歯が大事ですね、よく噛まないとエビオス錠だけではダメなんです。下痢は月に数回まで減少しています。異常発酵が減ったようで、オナラの臭気も1/4以下になりました。何かで測定したわけではありません、そのくらいだろうという主観的な評価に過ぎません。
 この2週間ほど、数度に分けて合計毎日100回ほど素振り用の木刀を振っているのですが、すこし食事の量が増えました。握力もだいぶ戻ってきました、以前は左右ともに60-65kgありました。

(石炭ストーブやお風呂に石炭釜を使っていた小学生のときに、大きな鉞(まさかり)を振り回して古材を割って焚きつけにしていたので、握力が強くなったのでしょう。鉞を振り上げて後ろの地面にまでつけて、背をそらしながらゆっくり頭上まで遠心力を感じながら持ち上げ、そこからさらに遠心力を加速して、ぶつかる瞬間に斧を全力で握り締めて、古材を叩く。身体全体のエネルギーが斧の刃に集中していくのが感じられます。4寸角の角材が1-2発で叩き折れることがあります。握力がないと、角材に当たる歯の角度を90度に保てませんから、ガチンととはじかれます。何度も何度も叩くことになります。毎日やっているうちに、左端を5cmほどの高さの石の上におき右端は地面に敷いた板の上に載せ、少し斜めになっている角材に垂直に歯を当てることができるようになります。スリムな体つきでしたが、中学3年生のころには背筋力が170kgほどありました。
 薄い板を手刀や拳で叩き折るときも、角度や速度、力を入れるタイミング、千回も2千回もやるうちに自然に身についてきます。ときどき生木が混じっているので、しなやかな弾力に負けないスピードとと叩き方が呑み込めてきます。生木を叩き折れるようになれば、顔面を叩いたときには骨が陥没してしまいます。胸を叩けば胸骨が数本折れます。枯れた木材は誰でも叩き折れますが、生木はトレーニングを積まないと無理です。瓦を割るのとはわけが違います。十分なスピードがなければ木はしなり、地面を叩くことになります。
 東京の有楽町に事務所を構えて40年以上のH勢は高1のときの同級生でした。21歳で税理士試験に合格した秀才です。腕相撲をしたことがありますが、細身の体つきのくせに、手を組んだ瞬間わかりました、家の仕事の手伝いをいままでしっかりやってきたのがわかりました、引き分けでした。彼は沖根婦の昆布漁師の息子、獲れたての水かをたっぷり含んだ昆布を船から浜に揚げて石の上に並べるのは重労働で、腕の力と腰の力を鍛えます。何度やってもよくて引き分け、何度かに一度は負ける、そう感じました。2回目はありませんでした。勉強のほうで勝負をつけました、圧勝とは行きませんが毎回「辛勝」だったかな?(笑)
 外にあるお隣と共同の井戸からお風呂の水汲みもしていたので、まるで空手部で修行していたような6年間でした。18歳のときに新宿で高校の同級生の総番Kと副番Mと三人でパンチボールを叩いて何kgでるか試したことがあります。踏み込まずに身体のひねりだけで180kgだったか200kgだったか、二人がびっくりしていました。あのころは普通の人の顔面を殴っていたら殺しています。高校のときに2度危ないことがありました。切れそうになったのですが、我慢しました。やったら人生が終わりです。小学生のころに身体を鍛えておくことは大事なことのようです。)

 スクワットも一日おきくらいにやっています。気まぐれですからやっていると自慢できるほどの回数はしません。合計して50回もやっているでしょうか、それでも健康維持にはいいんです。階段を下りるときの足の踏ん張りが利きます、よろける回数が減ります、無理せずほどほどでいいんです。歩くほうがいいのですが、面倒くさい。テレビを見ながら退屈になるとスクワットか椅子の上にあがったり降りたりしてます。
 一昨日、リビングで正座して1.4kg・115cmの素振り用木刀を振っていたら、「危ないから家の中で振らないで!」と女房殿に叱られました。術後の大変な時期に面倒見てくれた女房殿には頭が上がりません。

 
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