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#3613 定期検診 : フェリチン14.0ng/ml Sep.15, 2017 [cancer]

  3か月ごとの定期検診、血液検査結果を聞きに行ってきた。フェリチン(貯蔵鉄)が18.1→14.0へ低下していた。1年前には13.1ng/mlだったから、まあまあだろう。
  フェリチンの基準値は男性が39.4-340ng/mL。女性は3.6-114ng/mL

*フェリチン:SRL検査案内書より
http://test-guide.srl.info/test/detail/011850602


  「フェリチンとは、血液中に含まれるたんぱくの一種」で、血液検査でフェリチンを測定し体内貯蔵鉄の指標として利用します。肝臓に蓄えられる鉄は900-1000mgくらいあり、血中の鉄分が不足すると肝臓から放出されて調整するから生命維持には不可欠。これが枯渇すると鉄欠乏性貧血となる。
(逆にフェリチンの値が基準値よりも高いと癌が疑われます。さまざまな癌でフェリチンが高くなるのでどの部位の癌かはこの検査ではわかりません。)
 なお、鉄欠乏性貧血の診断基準が備考欄に書いてありました。
鉄欠乏性貧血および貧血のない鉄欠乏の診断基準は12ng/mL未満です。[鉄剤の適正使用による貧血治療指針(日本鉄バイオサイエンス学会)]

  薄いピンク色のビタミンB12と鉄剤(フェジン)を静注してもらった。今年初めのころは1.5か月に一度打ってもらったが、また3か月に一度に戻っている。主治医が検査結果を確認しながら適切に補充を指示してくれる。
  中性脂肪が基準値を少し超えていたが、痩せているからそれぐらいのほうがいい。別海牛乳で毎日500gヨーグルトを作って食べているので、中性脂肪が基準値オーバーなのはそのせいだろう。
   500g×3.5%×30日=525g/月
  1か月にバター525gだから、 太る心配はない。体重は [60±1kg] あたりにほぼ収まっている、BMIは20.0だ。四葉牛乳も美味しいけれど、別海町の牛は摩周湖の伏流水をたっぷり飲んで育つから味がよい。別海牛乳が200円以下で手に入ると知ったら、首都圏に住んでいる人たちはうらやましいだろう。240円くらいの値段がついている。

  スキル酔眼と巨大胃癌の併発で胃を全摘したebisuは放っておけば体内貯蔵鉄が枯渇して鉄欠乏性貧血を起こすから、定期的なチェックがあると安心、そして主治医がいるのは心強い。主治医は岡田優二先生、感謝。
 帯広市に住んでいる人は、東木野クリニックの後藤幹裕先生がいい。消化器外科医として11年前に手遅れ状態だったわたしの手術を執刀して(当時は釧路医師会病院勤務)命を救ってくれました。後藤先生は消化器内科専門医でもあります。

*フェリチン(検査ブック♪へ)
http://www.kensa-book.com/manabi/ferritin.html

*フェリチン(ベストメディテクへ)
http://www.bestmeditec.net/k_protein/ferritin.html


<余談>
  ビタミンと鉄を静注してもらいながら、看護師さんと話した。
 「家の前に白チョークで引いてある線はなんですか?」
 「ああ、あれ、8の字に10cm幅の線を引いて、線に沿って自転車をコントロールしてるんだ」
 「アウトドア好きですね、ときどき自衛隊の周りを走っているの見かけます」
 「壊れぬ程度に体力維持を心がけてます、ポンコツだから、アハハ」

  今日も8の字のコースを50回ほどまわった。バランスをとり、ゆっくり走るために両手の指二本ずつで前輪と後輪のブレーキコントロールをしながら、体を曲がる方向とは反対側に傾ける。無限ループだから次の円に移ると時計回りは反時計回りとなり、体重を逆側へ移動、これをスムーズにやり続けながら、10cm幅のコースから前輪をはみ出さずに運転する。書くとえらくややこしいが、やるのはそうでもない。身体を動かしてやると、首が肩が腕が指先が胴体がお尻が腿が膝が足首が土踏まずが、一斉に喜んでいる。その声を聴くのが気持ちいい。

*#3551 フェリチン 10⇒18ng/mLへアップ June 8, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-06-08


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#3551 フェリチン 10⇒18ng/mLへアップ June 8, 2017 [cancer]

  胃癌になるかもしれない人胃癌で最近胃を全摘した人は読んでください、たぶん参考になるでしょう。

  わたしは2006年7月にスキルス胃癌と巨大胃癌を併発して、胃の全摘、転移したリンパ節切除、浸潤した大腸の一部切除、胆嚢切除をしています。11年目経ちますが、その後再発はありません。
  2006年6月6に日、初診に訪れたわたしに内視鏡で癌の診断をつけ、入院先を手配してくれた主治医(消化器内科専門医)のO先生、そして釧路医師会病院へ入院、若き外科医であるG先生(その後音更町で木野東クリニックを開業)が執刀してくれました。「アケトジ」が当たり前の症例でした。命を救ってくれたお二人とそのスタッフの皆さんに感謝。

*木野東クリニックホームページ
https://www.kinohigashi-clinic.com/

  外科手術を担当してくれたG先生によると、典型的な「アケトジ」の症例で、開腹して確認すると癌が広がっており手遅れと判断して手が止まってしまったそうです。見ていたベテラン外科、院長の手術続行指示で気を取り直して6時間の仕事をやり遂げてくれました。外科医はたくさん切って場数を踏まなきゃ腕が上がりません。手術の際に肝臓に触ったら、肝転移が疑われる感触がしたので、1か月後にまた手術になると思うと、術後一週間目の外科医ご託宣だった。主治医のO先生も冗談なのか本気なのか「助かるはずのない症例だった」と教えてくれました。幸運だったと思っています。だから、命の残りはなるべく世のため人のためになることに使おうと素直に思えるのです。ブログを書くこともそういう手段の一つです。

  3か月に一度血液検査をして、主治医がしっかりチェックしてくれています。先週採血してもらった検査結果を聞きに行きました。
  6か月に一度やっている腫瘍マーカー2項目は基準値内、フェリチンは前回10ng/mLだったのが18ng/mLに上がっていました。うれしい結果でした。

 フェリチンの基準値は男性が39.4-220ng/mLですから、まだ半分以下ですが状況は改善しつつあります。

*フェリチン:SRL検査案内書より
http://test-guide.srl.info/test/detail/011850602

  12ng/mL未満が鉄欠乏性貧血と診断されます。貧血症状は30ng/mL未満から現れるようです。わたしの場合は20ng/mLを切ったあたりから、散歩していても息切れがしていましたが、次第に慣れてしまいました。さすがに10ng/mLをあたりでは息切れ症状が出てしまうし、寝ている時に息が苦しい感じがしてきます。肺に酸素がいきわたらない感じがします。それとスタミナがなくなり、疲労感が強くなるのです。ぐったりして、朝の食事の後で30分ほど睡眠、昼食の後で1.5時間睡眠、そうしないと体力が持たない。脳のスタミナが切れ、思考が続けられません。

  体内の貯蔵鉄がアップしたので、一安心です。血液中の鉄分が不足したときに、体内貯蔵鉄の放出によって補えなければ、ちょっと危ない。仕組みは以下のURLをクリックしてください。

*フェリチン不足ナビ
http://フェリチン.net/#feri-03


 以前は「かんでおいしいチュアブル鉄 プルーン味」を毎日1錠(鉄分5mg)を飲んでいましたが貯蔵鉄が減少していくので、3月に東京へ行ったときに、マツキヨで「ヘム鉄 with バイオペリン」という商品を見つけて、3袋買って毎日1錠飲んでいます。「1日2粒目安」と書いているので半分の量です。これと雪印の「プルーンFe 1日分の鉄分飲むヨーグルト」を併用しています。2か月と2週間ほど飲んだことになります。効果は書いた通り、貯蔵鉄が上がってきました。

  今週は3日間でサイクリング30㎞しています。大腿部の筋肉をつけることで体重を増やそうと目論んでいます。筋肉量を増やさないと体重は増えません。2-4月に3kgの体重減少がありましたので体調は絶不調でした。体重を増やすためにサイクリングの頻度を上げています。自分の力で風を切って走るのは気分がよいのです。毎週30-50㎞走れたらいい。平地走行で時速40㎞出るようになりました。そのときはもちろん息切れしていますよ。(笑)


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#3486 あれから十年:巨大胃癌とスキルス胃癌の併発を超えて Dec. 21, 2016 [cancer]

<更新情報>
12/21 午前0時35分 
12/21  午前8時50分 <余談:臨死体験>追記


< 10年前のこと >
 診察券の発行日付を見ると2006年6月7日になっている。胃癌だと思うので内視鏡検査をしてほしいと、消化器内科専門医の岡田医院で受診した日である。
 前日午後から食事が摂れず、ベッドの横になると午前中に食べたウドンが逆流していた。食べられたことから胃の上部は通過できていた、だから下部が詰まって胃から腸へ送り込めないのだろう、症状から考えて腫瘍があって胃から腸への通路のどこかがふさがっていることは明らかだった。半年ほど前から、自覚症状はあった。1月恒例の芭蕉同窓会のときに気がついた。食べる量や飲む量が減っていた、飲んだり食べたりするとすぐに膨満感があったので、いままでとはどこか違和感があった。年齢による変化もあるので見分けがつかないのである。それが、6月になって急に通らなくなり、ようやく胃癌に気がついた。(苦笑)
 はっきりした胃癌症状だったので、なおさら病院へは行きたくなかった。「昨日から食事も摂れないのに、どうして病院へ行かないの!」と女房殿に叱られた。行ったら、すぐに入院、そして死亡退院だろう、家系的(男系遺伝子)にそう思わざるをえない事情があった。
 不思議なことはあるもので、5月の連休に釧路へ行ったときに、幣前橋を走っていたときに丘の上にある白い建物が見えて、「ホテルかな?」と呟(つぶや)いたら、「病院よ」と眼のよい女房殿の返事、「そうか綺麗そうだね、入院するなら眺めのよいあの病院がいいな」と思わず呟いたら、1ヵ月後に入院、まるで予言。
 オヤジとオヤジの兄弟3人は、みな癌で亡くなっていた。原発部位がそれぞれ違っていた。だから、わたしはだれも罹っていない胃癌だろうと40代半ばから漠然と考えていた。これもその通りになったのであるが、時期が早すぎた。だれも五十代で癌になっていない。癌の診断が下りてから2年生きたのはオヤジだけ、そのオヤジも2年で再発し、2度目の手術は全身転移、「アケトジ」で4ヶ月後に亡くなった。オヤジの兄弟たちはみな癌で入院したまま亡くなっていた。
 食べたものが胃を通過できないだけではなかった、やっかいなことにスキルスだという直感と微細な自覚症状があった。
 胃の出口をふさぐほど大きな腫瘍が見つかっても、粘膜を走るスキルスがあると思うので胃粘膜を採って病理検査を追加してもらいたいと、内視鏡での癌診断画像を見ながら若先生にお願いした。外科的処置のできる設備のある病院でなければ粘膜採取ができないと説明があった。緊急性があったので、同じ出身大学の先輩が副院長をしている釧路医師会病院ならすぐに入院調整可能だと連絡を摂ってくれた、ありがたかった。釧路市立病院は1ヶ月待ちだった。市立根室には消化器外科医はいなかった。6/7は期末テストの2週間前だったので、入院は試験の始まる日、23日でお願いした。食事も摂れないのに無理だとドクター、しかし、どうしても試験の前日まで授業をしてから入院したかった。これから期末試験までが最後の授業になるかもしれないので心残りをしたくなかった。わがままな患者でした。
  生徒たちには、「お腹にオデキができたので、釧路の病院に入院して取って来るから、1ヶ月お休みします」と告げた。「先生、お腹にオデキできたの、ウッソー」と大笑いだった。爆笑に送られて釧路医師会病院へ入院した。幸せだった。その中の一人は今春に根室に戻って来て幼稚園の先生をしている。来春には二人が看護師さんになって、病気と戦う患者の皆さんを助ける。

 入院して検査を続行した。3週間かかって内科的検査でスキルスが見つかった。どういう自覚症状があったのか、これから胃癌になるかもしれない人のために書いておく。
 冷たい異物がじわじわ広がっていくのが感じられたのである。冷たくて重い気味の悪い感触で、エイリアンが胃の辺りで成長しているような構図を考えてもらいたい、微細な信号だった、呼吸法の鍛錬やヨーガの独習で身体の声を聞くことに慣れていたから感じたのだろう。
 担当外科医の後藤幹裕先生は30歳前後だった。術前にいろいろ説明があったが、広がっていれば膵臓も脾臓も摘出するかもしれないと告げた。承諾書に判を押さなければ手術はしてもらえないので、すぐに判を押した。手術の数日前に股関節の動脈穿刺の必要があり、看護師さんがやるのかと思ったら後藤先生が来た。動脈穿刺は医師の業務なのだそうだ。「いきます」というや、まっすぐに針を突き立てて、ブスリと一発、迷いがなかった。「人の動脈だと思って、思いっきりいきましたね」と笑って言うと、「動脈穿刺は簡単なんです、外科医には(動脈が)見えてますから、それに太い、外しっこないんです」、にっこり笑って応えた。おおらかないい笑顔だった。あの笑顔でやられた。

 7/20、手術当日、開腹して臓器を診たがすでに手遅れで、後藤先生が手術をあきらめ「アケトジ」しようとしたら、ベテラン外科医の院長が、続行を命じた、「ざっくり全部とればいい」、もう手遅れだから助からない、若い外科医はたくさん切らなければ腕が上がらない、練習が必要だった。それでいいと思っていた。助からなくても、この先生の腕を上げるのに役に立つならそれでいい、そう思っていた。わたしの命を救ってくれた外科医の後藤先生は、その後首都圏で数年、内視鏡操作のトレーニングを積んで、音更町で「木野東クリニック」を開院している。帯広の市街地から橋を渡ってすぐ右手側にある。ふるさとに戻って医療に携わる医師が増えてくれるのはありがたい。

 山崎豊子の書いた『白い巨塔』という小説がある。田宮二郎が主人公の癌専門医の財前五郎を演じ、1966年に映画化された。その後1978年にフジテレビで連続ドラマで放映された。その主人公の財前がスキルス胃癌で亡くなるのである。スキルスは進行性癌の代名詞のようなものだった。
 入院して3週間点滴と栄養液だけですごした。毎日ストレッチをして、数学の問題集を1冊半解いた。診療記録を小さいノートにつけて淡々とした毎日だった。
 入院中にこころが波立ったことが一度ある。中学時代からの友人が心配して手術直前に釧路の病院まで見舞いに来てくれた、長い付き合いだがこれがYと話をする最後かもしれないとふと思ったら万感胸に迫るものがあった。Yは「人っ子のいいやつ」なのだ。

 6時間の手術で巨大胃癌とスキルス胃癌を胃袋ごと取り除いた。大腸への浸潤もあったし、リンパ節への転移もあった。どちらも部分切除した。炎症を起こす恐れがあるというので胆嚢も除去した。あれだけの手術で、出血はたった700cc、30歳前後の担当外科医は若いが腕がよかった。手術は7月20日、術後2週間で退院した。摘出した胃とリンパ節と大腸はわたしが仕事をしていたSRL八王子ラボへ送られた。検査報告書には「巨大胃癌とスキルスの併発」となっていた。分厚い眼鏡をかけた病理検査課のN取課長はわたしだと気がついたかもしれない。
 2006年8月10日、金刀比羅神社のお祭りを見物した。
 抗癌剤治療は副作用が強くてきつかった。主治医と相談して何度か再発覚悟で薬の量を減らした。

< 最近数ヶ月間のこと >
 話はいまに戻る。数ヶ月前から倦怠感が強く、食事をした後、午前中は床暖房のあるリビングで寝ていることが多くなった。寝ていると気持ちがよい。オヤジが家を新築するときにオンドルをつけるつもりだった。満州にいたことは知っているが朝鮮にもいたのかもしれない。結局セントラルヒーティングで床暖房にした。大腸癌の手術をした後に、身体が冷えるのかリビングで毛布をかけて横になっていることが多かった。親子で似たようなことをしているのである。25年の時の隔たりがあるだけ。
 倦怠感が強いことから身体に異常を感じながら、昼に食事をしてからまた1時間半ほど寝て、それから食事をして授業をしていた。
 ベッドに横になると、感度が鋭敏になるのか呼吸が苦しいのが感じられる。呼吸をしているのだが、酸素が体内に吸収できない感覚がする。年に1・2度東京へいくが、住まいが丘の上にあるので、散歩で下ると帰りは上りだ、そのときに呼吸が幾分苦しいことがある。「行きはよいよい帰りはつらい♪」というやつだ。呼吸の変化に合わせてゆっくり歩くか、坂の途中で数分休めばいいだけだから、それほど不自由はない。20代後半から呼吸法のトレーニングやヨーガの瞑想をしていてよかった、役に立った。

 一月半ほどヨーグルトを自製して食べはじめた。別海牛乳を電子レンジで45度くらいに暖めて、小どんぶりに入れ、森永ビヒダスヨーグルトを大匙3杯加える。下にお皿を敷いてタオルで包んで保温し、床暖房の余熱で5時間放置すれば新鮮なヨーグルトのできあがりだ。できたてのヨーグルトは乳酸菌の生命力が強い気がする。
 毎日500gほど食べていたら、中性脂肪が109から200にアップした。基準値をオーバーしたがまあいいだろう。体重が1kgほど増えたので身体がらくだ。乳脂肪分の摂取量を計算してみよう。

 500g×3.8%×30日=570g/月

 1ヶ月に570gのバターを食べた計算になるから、中性脂肪があがるわけだ。HDLとLDLには変化がない。ドクターからは、フェリチン定量が9.1に落ちたと告げられたが、気にしてなかった。
 12月7日に3ヶ月に一度の定期血液検査をした。その後で結果報告書のコピーをいただいた。
 美人の看護師さんにフェジン(鉄剤)とビタミンB12を静注してもらいながら話をしていたら、「(定期検査の)間に来れば注射できるようにしておきますから」、そういう主治医からの伝言をいただいた。
 おや、そんな必要がどうしてあるのかなと考えたら、「フェリチン定量」が下がったと言われたことを思い出した。フェリチンはたんぱく質でその内部に鉄を貯蔵できる。つまり体内の貯蔵鉄が減ったのである。鉄は血清中の鉄と体内の貯蔵鉄の2種類があり、血清鉄が不足すると、体内貯蔵鉄を血清に放出するようにできている。ヘモグロビンは血清鉄から鉄分を補給している。血中の鉄が一定に保たれなければ、貧血を起こすから、貯蔵鉄が血中に放出される。
 貯蔵鉄が涸渇すれば、血清鉄が減少しても、補うものがなくなる。血液中の鉄が不足すれば、酸素の運搬能が落ちる。貧血で倒れるか意識障害がでるだろう。メカニズムを考えるとなんだか危なさそう、あまりいい状態ではなさそうだ。3ヶ月に2度、フェジンとビタミン12を静注して、補うべきなのだろう。

 プルーン味の5mgの鉄剤を毎日1錠飲んでいるが、別のグミの鉄剤を1錠追加して3ヶ月ほど様子を見ようと思う。
 鉄剤を増やしてもフェリチンはたんぱく質だから、鉄剤にフェリチンを増やす効果はないが、フェリチンに蓄える鉄の量は増やせるだろう。鉄剤は貯蔵鉄と血清鉄を増やして、体内貯蔵鉄の減少を緩和することができる。貯蔵鉄が増えればいいのだが、そう簡単ではなさそうだ。これから数ヶ月、身体を使って実験してみることになる。結果はブログへアップするので、必要な人は利用して体調管理をしたらいい。

 胃癌で全摘手術をした人は、血中の鉄を減らさないように日常生活と食事に気を配らなければならない。血清鉄が不足すれば、フェリチンに貯蔵されている鉄が放出されて減る。体内鉄はいつか涸渇するのだが、それを先へと延ばせる。
 手術前に65-130だった血圧は50-90になった。10年間ずっと変化なし。看護師さんが測り間違えたかと、再測定することがある。首をかしげて測りなおそうとするタイミングを見計らって、「低いんでしょ、間違いでありません」というようにしている。

 最近半年の血液検査フェリチン定量の推移を書いておく。胃癌で全摘した人はいずれこういう時期が来ることを承知しておいたらよい。油断してはならない。
       フェリチン定量    鉄
 6/9 ⇒ 13.8ng/mL   114μg/dL
 9/13⇒ 13.1ng/mL    88μg/dl
 12/7⇒  9.1ng/mL   109μg/dL
 3月 ⇒  ?ng/mL

 鉄(Fe)は基準値が60-210だから、異常なしだ。血球数と血色素も基準値内に収まっている。
 アウトなのはフェリチン定量だ。フェリチン定量の基準値は21~282ng/mLであるから、基準値下限の半分以下。ネットで検索したら測定限界は4.9ng/mLである。それ以下を検出しても臨床的な意味はないのだろう。
 フェリチン定量が基準値半分以下でも、血清鉄が基準値に治まっているから、鉄欠乏性貧血ではないのだろう。6ng/mLにまで下がれば、日常生活に支障が出るのだろうか。身体が発する声に耳を傾けながらしばらく様子見だ。どういう変化が現れるかは個人差もあるのでわからない。

 うっすらとした自覚症状としては記憶の糸を手繰るのが面倒になることがでてきている。年齢のせいなのか鉄欠乏のせいなのか、初めての経験なのでよくわからないというのが率直なところ。
 身体が慣れてしまうのか、ベッドで寝るとき以外は呼吸が苦しいという自覚はない。寝るときに少し気になる程度だ。たしかに、自覚の回数は増えた。
 死ぬのは怖くありませんが、鉄欠乏で脳がダメージを受けて生きているのは嫌ですね。本音を言えば、食事を摂らずに緩慢な死が迎えられたら本望です。でもまだ当分死にません。(笑)

 身体を動かすと気持ちがよいので、ベッドでストレッチ5~10分ほどしてから起きている。ゆったりした呼吸で、身体を伸ばしてあげる、あちこちの関節をゆっくりまわしてみる。実に気持ちがいいのです。生きててよかったと感謝しながら、息を吐ききり、吸い込みます。
 毎日、1.4kgの素振り用木刀を3回ほどに分けて100回ほど振っています。四股踏みも数回に分けて50回ほどやっています。回数は決めていません、結果としてそれくらいの回数になっているだけ。その日に身体が気持ちいい範囲でやります。散歩は面倒なので滅多にしません。

 胃の全摘手術を受けた人の参考になれば幸いです。

*木野東クリニック
https://www.kinohigashi-clinic.com/
https://www.kinohigashi-clinic.com/guide/


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< 余談-1:臨死体験 >
 手術は予定の3時間を越えて6時間かかった。開けてみたら、癌がずいぶん進行していたからだ。術式が複雑になった。食道と胃の全摘、胆嚢切除、リンパ節切除、大腸一部切除。患者は薄い手術着1枚、手術室の室温は低めに保たれているから、低体温症になった。手術が終わるときに、翌朝まで目覚めないように麻酔が追加された。
 集中治療室へ運び込まれて少したってから、身体は体温を回復するために震え始めた。その辺りからはっきり憶えている。眼下に自分が横たわっており、身体が蝦のようにはねていた。身体の震えというよりも激しい痙攣が起きていてとまらない。身体の中にいる自分が「危ないな」そう感じていた。もう一人の自分が上から眺めており、「助からないかもしれないな、手術直後で縫い合わせたばかりなのによく内臓が飛び出さないものだ」、痛みは伝わってこない。
 看護婦さんの一人が叫んだ「身体押さえて!」、そのままではベッドから落ちてしまう。数人の看護婦さんが身体を押さえてくれた。そうした経過を身体の中にいる自分と上から見下ろしている、ふたつの自分が同時に存在して、体験しているのである。「電気毛布もってきて!」と誰かが叫んだ。少したつと身体が温かくなった。痙攣が治まり、ああ、これで助かったと思った。その瞬間に上から見下ろしていた自分が身体の中に戻った。瞑想しているときに、意識が身体から離れることがあった、あれは怖かった(戻れないのではないかという怖れが急に沸き起こり、すぐに中断した)。
 あのときに、身体の中の自分も、上から観察していた自分もちっとも痛くなかったし、怖くなかった。ああ、死ってこういうもの、安らぎなんだ、そういう実感があった。それ以来死ぬということに恐怖感がなくなった。死をそのまま受け入れたらいいだけ。
 助けていただいたみなさま、主治医のO先生、外科医の後藤先生、術場の看護師さん、術前と術後に看護してくれた数人の看護師さん、スキルスの内科診断をつけるために親身な検査を繰り返してくれた副院長のT田先生、手術の続行を指示してくれたA川院長、同じ病室で術後のことをいろいろ教えてくれた入院患者の先輩たち、実地研修で数日担当してくれた看護学校の生徒さん、普段お世話になっている岡田医院の看護師さんたち、・・・、数え上げたらずいぶんたくさんの人たちのお陰で命がある。
 だから、すこしは皆さんのお役に立つことをしてから、お迎えを待ちたいと思う。病気によって私心がいくぶんか薄くなった、この点だけは病気のメリットだった。神様はちゃんと埋め合わせしてくれている。
 

< 余談-2 >
 今日、岩波書店から復刻された斉藤秀三郎の『熟語本位英和辞典』を1冊買いました。美しい和語の訳文が載っています。
 学生時代は岩波書店の分厚い英和中辞典をかばんに入れて、時事英語の講義を聞きました。東京の自宅の書棚に載っています。岩波書店の英和辞典はこれで2冊目、最初のものを購入してから48年の歳月が流れました。
 学ぶことは相変わらず楽しい。(笑)
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*#2129 胃癌切除 6年後の鉄欠乏性貧血症状:鉄剤服用開始 Nov. 15, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-14-1


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#3400 気がつけばペースダウン Aug. 28, 2016  [cancer]

 今月はこれで18本目のアップ、先月は33本アップしている。毎月25~30くらいが平均値だろう。このところ昼寝の回数が増えた。起きていると体がなんとなくけだるく横になっているうちに寝ている。

 オヤジが大腸癌の手術のあと床暖房のあるリビングで横になっていることが多くなった。癌細胞の増殖にエネルギーが奪われ衰弱してくると散歩すら億劫になる。リビングのドアの1cmの段差に脚をとられて転倒したことがあった。思ったように脚が持ち上がっていないのである。反応速度も遅くなっていたから、手が出ずに顔から突っ込む。だれも自分がそういう風になるとは思わないだろう、だけど家を建てるときには自分のためにバリアフリーを考えるべきだ。
 2年で再手術だったが、肝臓へ癌が転移しただけでなく骨にも肺にも広がっており、再手術は「アケトジ」だった。肝臓は衣服の上から触ってみたらまるで板が入っているかのように硬くなっていた。
 退院してから二ヶ月ほどは散歩にも出られない様子。たまたま、自転車に乗って曙町交差点から市総合文化会館前まで来たときに、オヤジによく似た人が帽子のつばを持ち上げて店を仰いでいるところをみた。誰だろうと近づくとオヤジだった。
「散歩できるんだ」
 あのときオヤジがなんと応えたかは思い出せない。それからときどき散歩していた。散歩できるようになってから2ヶ月ほどで市立根室病院へ入院して亡くなった。釧路市立病院で再手術してから6ヶ月の命だった。希望通りに、みんなに看取られて静かに亡くなった、平成5年9月のことだった。「根室の土になる」そういっていた。

 こんどはebisu自身の話である。昨夏に比べると、また一段と体力が落ちた。筋力を維持しようと木刀の素振りと四股踏みをはじめた。最初は素振り200回、四股踏み50回くらいだったが、100回、20回に減り、そして途切れ途切れになっている。億劫なのである。生徒に勉強しろと言いつつ、自分の気力の衰えには抗しがたいと弁明している、なんとも情けない。
 今年の夏は雨ばかりで、鬱陶しい。体力の低下が気力の衰えとなっているようだ。後3年半、私塾を続けようと思っていたが、身体に訊いてみたら「どうなるのかわからぬ」との返事。
 肺の機能が衰えて、呼吸が年々浅くなっている。鉄欠乏性貧血だから、酸素の運搬能が健常人に比べて小さい。浅い呼吸でさらに酸素を吸収しづらくなっているのでそれがよくわかる。
 3ヵ月毎の定期検査では癌再発の兆候はまったくないが、肺機能の低下は自覚症状としてある。体力低下が老化によるものなのか、歩かないので足の筋力低下によるものなのか不明だ。何しろ初めて「老人」になったのだから、経験のないことはわからないものだ。(笑)
 老化によるものなのかそれともなにか進行性の病気によるものなのかの判断がつけにくいから、躊躇しているうちに病気が重くなるのだろう。いやなことは先延ばししたいのは人間の性(さが)。自分のことは棚に上げても、生徒には「いまやるべきことを先にやれ」と言い切る。彼ら・彼女たちは残り時間が莫大にあるから、いまやるべきことをやれば、将来の負担が小さくなる。

 さて、どうしたもんかのう、歩けるところまで歩き、これ以上は無理と判断したら切りのよいところで私塾はやめることになろうが、まだしばらく大丈夫だろう。(笑)

 蓮如上人の「白骨の御文」は手厳しい。
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それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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 体力の低下に合わせてブログのアップ頻度も勝手に低下している。きつかったら数ヶ月休止や、頻度が週1くらいに落ちることがあるかもしれない。身体の声を聞きながら、マイペースでいこう。

#3399より
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 門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 一休宗純の狂歌だったと思うが、調べてみたが、83年に読んだ西田正好著『一休 風狂の精神』(講談社現代新書477)には見当たらない。こちらの道歌が載っていた。

 門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊まり屋もなし

 正月になって新しい年を祝うが、人生の時間は確実に過ぎ、残り時間が短くなっていく。人生の旅には、馬や駕籠(かご)という便利な乗り物はないし、休むことのできる旅館もない、ただただ死へ向かってたんたんと進むのみである。また一年残り時間が少なくなったという道しるべの門松を通り過ぎてしまった、めでたいなんて浮かれる気分にはなれぬ。
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 今日もまた雨である。南下していた台風10号が反転して、関東へ向かっている。


*#3399 アルツハイマー型認知症の発症は防げる? Aug. 27, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27


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#3323 「スキルス胃癌+巨大胃癌」:お蔭様で術後11年目が迎えられました  June 9, 2016 [cancer]

<更新情報>
6/10 朝10時 冒頭部分と余談を追記


 ほとんど助からない病だったのですが、主治医の消化器内科医、執刀をしてくれた若き消化器外科医、(開腹して癌がリンパ節へ転移、大腸へ浸潤の状態を確認できたところで「アケトジ」しかないと判断した執刀外科医に)術場でオペ続行を指示されたベテラン外科医の釧路医師会病院S川院長、スキルスの診断をつけてくれた消化器内科医の副院長、術後の再三の歯のトラブルを救ってくれた根室と東京のお二人の歯科医の先生、術場の看護師さん三人、病棟看護師のみなさんに助けられ、生徒たちに元気をもらい、10年間生きてきました。いま振り返ると、すばらしいチームに支えられました、あのタイミングでこれだけ必要なスキルをもった人たちが助けてくれたことは奇跡です。57歳からのわたしの人生はたくさんの人に支えられ、すこしずつできることの範囲が広がりました。本当にありがたい。
 これから胃癌を患う人たちやその家族の皆さん、そしてその友人の皆さんに術後の10年間の様子の概略をお伝えすることで、わたしのささやかな経験がいささかでも人様のお役に立つことを願っています。


 2006年の6月6日だと思っていたら、O田医院の診察券の発行日付が6月7日、これが初診日。今日、3ヶ月に一度の定期検査、採血をしてもらった。「一般検査項目+腫瘍マーカ2種」、そして「フェジン+ビタミンB12」静注。検査データをみなくても鉄欠乏はいつものことだから、先に「鉄分補給」をしてもらい、来週検査データを確認。このごろ息があまり苦しくないのは、オリヒロ(株)「チュアブル鉄」の錠剤1錠のほかに雪印メグミルクプルーンFe 1日分の鉄分飲むヨーグルト」を飲んでいるせいだろうか?呼吸をしても酸素が入っていかないことが頻繁に起きるようだと鬱陶しいが、しばらくそれがないのはうれしい。

 10年前のあの日、前日のお昼に食べたうどんが逆流して夜中まんじりともせず、ついに朝食もまったく摂れなくなった。症状から胃癌と確信していた。スキルスの自覚症状もあった。冷たい異生物が広がりつつあるのが感じられたのは、ヨーガや呼吸法を10代のころから独習していたからではないかと思う。身体の声が聞こえる、とでも表現したらお分かりいただけるだろうか。

 「胃癌だと思うので、内視鏡検査をお願いしたい」と診察の際に優二先生に申し入れた。
 オヤジがお父さん先生に平成3年に大腸癌の疑いがありとの診断をしてもらい釧路市立病院で手術を受けて2年後に再発、全身転移して亡くなっていたから、それから15年後に息子のわたしが、若先生のお世話になることになるとは、これも運命のなせる業か。
 内視鏡で癌の診断はすぐについた。「スキルスもあると思うので検査を続行してもらいたい」とさらに頼んだ。スキルスは粘膜を走る癌だから、自覚症状が出にくい、スキルスの自覚症状があると訴えた患者は、後にも先にもわたし一人だろう。6月23日に釧路医師会病院に入院して、スキルスの診断がつくまで3週間かかった。消化器内科の副院長はガストロ造影で診断をつけてくれた。ずいぶんと丁寧な診察に頭が下がった。

 スキルス胃癌と幽門部近くにできて腸への通路を塞いでいた「巨大胃癌」(SRLの病理検査報告書)の摘出手術を7月20日にしてもらって、いま生きている。執刀外科医が若い研修医でなくて、40歳代のベテランだったら、手遅れですから「アケトジ」だった。手遅れだと判断した後藤先生の手が止まったところで「ざっくりとればいい」と術場に立ち会っていたベテラン外科医のA川院長の指示がなければ助からなかった。たくさん切らないと外科医は腕が上がらないから、助からぬものならやるだけやって腕を上げてほしかった。次の患者を救うだろうと、術前のさまざまなリスク説明を聞きながら患者のわたしは考えていました。「あけてみないとわからないので、転移の状況によっては、脾臓、膵臓、肝臓の摘出もありうる」と淡々と説明してくれました。「おいおい、そんなに内臓とったら手術は成功したが、患者のわたしは死にましたということになるだろう?」、そういう状況だったのです。でもね、この若いドクターだからこそ、何か起きると予感していました。崖っぷちにいるのにちっとも恐怖がわいてこず、なんとかなるような気がしていたのです。ヘンでしたね。
 手術を担当してくれた若い外科医後藤先生は2年半前からふるさとの音更町に戻り「木野東クリニック」を開業しています。6時間の手術、よく助けてくれました。
 胃の全摘、周辺リンパ節切除、浸潤していた大腸の一部切除、胆嚢摘出。空腸を喉まで引っ張りあげて食道と吻合、十二指腸の付け替え、動脈の処理、...。あとで輸血の量を訊いてみました、ゼロという返事、これにも驚きました。これだけの大手術で出血量はわずか700cc、技術の進歩と外科医のスキルはすごいものだ。

 抗癌剤(TS-1)治療がきつかった。白血球がぎりぎりまで下がり、免疫が落ちて何度か抗癌剤の量を減らしたり、期間を開けさせてもらった。主治医の優二先生は再発リスクを説明してくれたが、続行も命にかかわるような状態が半年以上続いた。白血球数のデータを見ながら、薬剤をコントロールしていただいた。2年間ほどは抗癌剤の副作用で身体がとってもきつかった。

 術後は血圧が50-90に下がった。体重はマイナス12kgから3kg戻した。血糖が下がることがあるが、なんとなくわかる。身体がふわふわするのである。そういう時はチョコレートやオレンジやバナナを急いで食べる。
 一度、2月に日専連ビルの教室から家へ戻ってきて、車を車庫に入れて、ちょっとだけ除雪しようとして、低血糖症状を起こし、膝が崩れて派手に転倒し立ち上がれなくなったことがありました。女房が東京へ行っていたときだったので、危うく死ぬところだった。何度も立ち上がろうとするのだが、ガクンと膝が折れて転倒する。倒れたままでは服が地面に凍り付いてしまう。
 何度か試しているうちに起き上がれたが、玄関の方向がわからない。明かりのついているほうがそうだろうと空中を泳ぐような朦朧とした意識で、玄関から這い上がって、仏壇にあったオレンジをがつがつ食べて、リビングで倒れてしばらくじっとしていた。
 後でみたら、スーツのズボンが何箇所か破れていた。

 胃の全摘をした方は、低血糖症状に気をつけてください。冬の寒いときに家の外で低血糖症状を起こせば命にかかわります。ブドウ糖粉末をポケットにいれて持ち歩いたほうがいいですよ。チョコレートでもいい。
 
 食事は日に6回、小分けにしてしょっちゅう食べていないといろいろ不都合が起きます。たとえば下痢、よく噛んで唾液と混ぜてやらないと腸が炎症を起こして下痢をします。とたんに体重が減り、体調を崩します。胆嚢切除で胆汁が出っ放しになっているので、食べ物を送り続けないと、胆汁液で腸が炎症を起こすのでしょう。
 日に6度の食事と、果物入りのヨーグルトが口内環境を悪化させました。3カ月おきぐらいに虫歯治療していました。虫歯になると歯が痛くて、噛む回数が減ります。腸が炎症を起こし、口内炎が起きます。体重が減り、体力が奪われます。
 この3年間ほど、口内炎が起きなくなりました。インプラント治療で、噛むのが楽になったのです。それと、年に一度歯のチェックをしてもらって、ダメになる前に治療してもらっています。歯のほうの主治医である東京の歯科医院はセレックというドイツ製の義歯作製機を導入しています。コンピュータで取り込んだ3次元レントゲン画像をもとにして、工業用の純度の高いセラミックス・ブロックから削りだして義歯を作製します。作製は1日でできます。価格は3~6万円くらいです。純度の高い工業用のセラミックス・ブロックから削りだすので従来のものより強度が大きいようです。3月にやっていただいたときには3本ブリッジで12万円でした。従来の手作りのセラミックス義歯だと最高級のもので1本12万円、その次が9万円ほどでした。
 歯を削る治療をするときは必ず仮歯を入れてくれますから、治療中も食事に不都合がありません。その仮歯は丈夫で、セラミックスの歯が日程的に間に合わないときには仮歯をしっかりくっつけてくれるので1年間はもちます。次回行ったときにセラミックス製の義歯と交換すればいいのです。
 東京・聖蹟桜ヶ丘の林歯科医院のドクターとはもう18年ほどのお付き合いになります。7-10日くらいの滞在期間中に、無理を言って、治療していただいています。

 術後5年間は、東京へ行けませんでした。いつ下痢を起こすか不安なのと、体力がもつのか不安だったのです。最初はへとへとになりましたが、毎年いくうちに慣れてきました。でも一人では無理ですね。一人で行く旅行は釧路までが精一杯です。

 優二先生に内視鏡で癌の診断をつけていただいてから、6月7日で10年が過ぎました。地元に消化器内科の専門医のドクターがいることは患者にとってとっても心強いものがあります。
 執刀していただいた外科医の後藤幹裕先生も東京で数年間、内視鏡技術を磨き、2013年12月にふるさとの音更町で木根東クリニックを開院して、すでに2年半経ちました。
 お二人にステージⅢ-bのほとんど助からぬ命を救っていただきました、ありがとうございます。
 10年間を振り返ったこの駄文が、不運にしてこれから胃癌を患う人たちにいくばくかの参考になれば幸いです

 お二人の消化器専門医のドクターの健康と、それぞれの医院が地元の患者の皆さんに末永く愛されますよう、心よりお祈り申し上げます。

*「まちマイNEWS 音更編 今日の話題「郷土愛」 木野東クリニック院長 後藤幹裕さん」
http://www.tokachi.co.jp/feature/201402/20140202-0017626.php 



〈 余談-1 : 食後 〉
 食事をした後は、1時間ほどは外出できません。いきなり腸に食べたものが入っていきますから、腸が圧迫されます。歩いたり車に乗ると身体に振動が起きますから、食べたものが腸内の残留物を圧迫して痛みが生じます。振動が数分間続くと、下痢を起こしてしまいます。
 対策は、出かける2時間前に食べ終わっておくことです。でも食べ終わって3時間もすれば次の食事をしないと低血糖を起こしかねません。だから出かけるときは、果物を入れたヨーグルトや果物を持っていきます。途中で少量食べて補給します。なんどかそうやって持たせます。そういう事情もあって術後5年ほど東京へ行けませんでした。下痢を起こさないためには食べなければいい、しかし食べなければ低血糖症状や、血圧が50-90ですから貧血を起こしかねません。危険なのです。羽田から日野市の自宅までの移動に電車を使うと、ホームの階段の上り下りが何度もあります。同じ流れの速度で歩けないのです。だから、羽田からは聖蹟桜ヶ丘まで直行のバスを利用しています。30分おきにあるので助かります。

 
〈 余談-2 〉
 恥ずかしながら、臭い話をします。(笑)
 消化を助けるために、ビール酵母「エビオス錠」を毎食後2錠服用しています。他社の製品に比べてやわらかめで、噛み砕いてもインプラントの歯には影響なし。ブログ仲間のHirosukeさんが薦めてくれたので、他社のビール酵母から切り替えました。
 術後数年間は消化不良のせいか腸内で異常発酵、便もオナラもとっても臭かった。9時に仕事が終わってから夜10時ころに食事を終わるので、お風呂に入って寝たころに異常発酵が盛んになります。寝室が別でよかった、窓を開けて換気することがありました。(笑)
 下痢も頻繁にしていました。現在は、ずっとよくなりました。歯が大事ですね、よく噛まないとエビオス錠だけではダメなんです。下痢は月に数回まで減少しています。異常発酵が減ったようで、オナラの臭気も1/4以下になりました。何かで測定したわけではありません、そのくらいだろうという主観的な評価に過ぎません。
 この2週間ほど、数度に分けて合計毎日100回ほど素振り用の木刀を振っているのですが、すこし食事の量が増えました。握力もだいぶ戻ってきました、以前は左右ともに60-65kgありました。

(石炭ストーブやお風呂に石炭釜を使っていた小学生のときに、大きな鉞(まさかり)を振り回して古材を割って焚きつけにしていたので、握力が強くなったのでしょう。鉞を振り上げて後ろの地面にまでつけて、背をそらしながらゆっくり頭上まで遠心力を感じながら持ち上げ、そこからさらに遠心力を加速して、ぶつかる瞬間に斧を全力で握り締めて、古材を叩く。身体全体のエネルギーが斧の刃に集中していくのが感じられます。4寸角の角材が1-2発で叩き折れることがあります。握力がないと、角材に当たる歯の角度を90度に保てませんから、ガチンととはじかれます。何度も何度も叩くことになります。毎日やっているうちに、左端を5cmほどの高さの石の上におき右端は地面に敷いた板の上に載せ、少し斜めになっている角材に垂直に歯を当てることができるようになります。スリムな体つきでしたが、中学3年生のころには背筋力が170kgほどありました。
 薄い板を手刀や拳で叩き折るときも、角度や速度、力を入れるタイミング、千回も2千回もやるうちに自然に身についてきます。ときどき生木が混じっているので、しなやかな弾力に負けないスピードとと叩き方が呑み込めてきます。生木を叩き折れるようになれば、顔面を叩いたときには骨が陥没してしまいます。胸を叩けば胸骨が数本折れます。枯れた木材は誰でも叩き折れますが、生木はトレーニングを積まないと無理です。瓦を割るのとはわけが違います。十分なスピードがなければ木はしなり、地面を叩くことになります。
 東京の有楽町に事務所を構えて40年以上のH勢は高1のときの同級生でした。21歳で税理士試験に合格した秀才です。腕相撲をしたことがありますが、細身の体つきのくせに、手を組んだ瞬間わかりました、家の仕事の手伝いをいままでしっかりやってきたのがわかりました、引き分けでした。彼は沖根婦の昆布漁師の息子、獲れたての水かをたっぷり含んだ昆布を船から浜に揚げて石の上に並べるのは重労働で、腕の力と腰の力を鍛えます。何度やってもよくて引き分け、何度かに一度は負ける、そう感じました。2回目はありませんでした。勉強のほうで勝負をつけました、圧勝とは行きませんが毎回「辛勝」だったかな?(笑)
 外にあるお隣と共同の井戸からお風呂の水汲みもしていたので、まるで空手部で修行していたような6年間でした。18歳のときに新宿で高校の同級生の総番Kと副番Mと三人でパンチボールを叩いて何kgでるか試したことがあります。踏み込まずに身体のひねりだけで180kgだったか200kgだったか、二人がびっくりしていました。あのころは普通の人の顔面を殴っていたら殺しています。高校のときに2度危ないことがありました。切れそうになったのですが、我慢しました。やったら人生が終わりです。小学生のころに身体を鍛えておくことは大事なことのようです。)

 スクワットも一日おきくらいにやっています。気まぐれですからやっていると自慢できるほどの回数はしません。合計して50回もやっているでしょうか、それでも健康維持にはいいんです。階段を下りるときの足の踏ん張りが利きます、よろける回数が減ります、無理せずほどほどでいいんです。歩くほうがいいのですが、面倒くさい。テレビを見ながら退屈になるとスクワットか椅子の上にあがったり降りたりしてます。
 一昨日、リビングで正座して1.4kg・115cmの素振り用木刀を振っていたら、「危ないから家の中で振らないで!」と女房殿に叱られました。術後の大変な時期に面倒見てくれた女房殿には頭が上がりません。

 
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#3269 江戸屋猫八さん進行胃癌で死去 Apr. 13, 2016 [cancer]

<更新情報>
4月13日 10時30分 「余談」追記他

4/14 朝9時半 ステージ3Bについての解説と「おひつ」の話を追記


 3月末に四代目江戸屋猫八さんが進行胃癌で21日に亡くなっていたとの報道がなされた。

*「江戸家猫八さん死去 動物鳴きまね芸人」朝日デジタルニュース
http://www.asahi.com/articles/ASJ3051MQJ30UCLV00J.html

 団塊世代のわたしは、三代目の方がなじみがある。四代目も3代目同様に動物の鳴きまねが上手で、とくに指笛を使った鶯は親子で名人芸だった。
 四代目が「鶯の練習をたくさんしたので指にたこができちゃった」と三代目に言うと、きれいな指の三代目が「まだまだだ、俺はたこがなくなるくらい練習した、見てみろこの指」と言ったそうである。

 1月に癌だとわかって3月だからあっという間だ。ネットで調べみたら、スキルスとは異なる「進行胃癌」という分類があるようだ。
 癌とは無縁でいたいというのがみんなの願いだが、不幸にして癌を患う人は少なくない。癌になったときのために、ステージを例示しよう。

 ⅠA期⇒ⅠB期⇒Ⅱ期⇒ⅢA期⇒ⅢB期⇒Ⅳ期

*「癌辞典」より
http://www.kaiteki-bb.com/box/cancer/stomach.html

 猫八さんはまことにお気の毒だった。手遅れだったのだろう。癌と診断されてからわずか2ヶ月で亡くなった。

<義父とオヤジとわたしの癌3症例>
 2006年6月にわたしは、巨大胃癌とスキルス胃癌を併発した。毎年恒例の根室高校芭蕉同窓会(1月)のときにお酒が進まず、胃が少しおかしいという自覚症状があった。6月になって、膨満感がひどくなり、食べたものが胃に滞留して、逆流性胃炎の状態になった。食べ物が通らない。女房殿に叱られた。癌だと自覚していたからなおさら行きたくなかった。でも、食べられなくなったので、検査して入院するしかないと覚悟を決めた。
 消火器内科の専門医である岡田医院の若先生に「胃癌だと思うので内視鏡で診てほしい」と診察をお願いした。上に示したURLに、胃のイラストが載っているのでごらん戴きたい。巨大胃癌は幽門部近くにあって、排出口をふさいでいた。診察前日のお昼に食べたうどんが腸へ移動せず胃に滞留していた。内視鏡検査のときに胃の中に食べ物が残っていたら見づらいだろうと考えて、空にするために前日午後から絶食していたのだが無駄だった。うどんの海の中へもぐった内視鏡がドンドン深く沈んで行った。「あっ!」とドクターが小さくつぶやき、「・・・鉗子(かんし)ください」と看護師さんへ指示を出した。内視鏡に鉗子を通して病理検査用組織標本を採るのだなと察しがついた。癌だと思うから診てくださいと初対面の患者が言い、内視鏡を入れてみたら、ほんとうに癌が見つかったなんて事例は滅多にないのだろう。

 これが若先生との初対面だった。ビリヤードのほかに焼き肉店をやっていたオヤジから、中学生のころの若先生の話をよく聞いていたので知っていた。「食べっぷりのよい子どもだ」とそういっていた。お父さん先生がよく連れてきたのだそうだ。中学時代に1年間で20cmも身長が伸びたことがあったという。わたしは1年間で12cmが最高だった、1年間で20cmというのは聞いたことがない。
 オヤジはいい仕入れルートをもっていた。根室で同じ品質の肉を仕入れることはできない。仕入れルートは昔の個人的な関係でつながっていたものだから、その人がなくなってルートが失われてから、いくつか試したが、それまでのような肉を仕入れることができず、焼き肉店「酒悦」を閉めた。納得できるものが提供できないなら、商売をやめる豪胆さをもっていた。二束のわらじだったからこそ可能だった。ビリヤード店のほうに専念すればよかったのである。
 当時の根室のお客さんたちは東京銀座の焼き肉店で提供される肉よりも品質のよいものを食べていたのである。わたしは親父が店を占めてから、三鷹や池袋や銀座の焼肉専門店で味を思い出しながら食べ比べてみたが、親父が手切りした肉以上のものにに出遭うことができなかった。

 そのときに採取された病理標本は北大に送られた、もちろん病理診断でも癌だった。
 内視鏡検査では腫れ上がって幽門部手前で胃の出口をふさいでいる癌組織の写真も撮って、診察後に見せてくれた。若先生うつむき加減で「癌です」と教えてくれた。「やはりな」、そう思っただけでとくに感慨はなかった、事実を事実として受け止めただけ、ただ、女房にどう伝えたらよいものかそれだけだった。女房のお父さんが「人間ドック」検査で大腸癌が見つかり、その3ヵ月後の平成2年に8月に亡くなっていたし、わたしの父は岡田医院のお父さん先生の診察を受け、大腸癌の疑いありということで釧路私立病院に平成3年の3月に入院して大腸癌で手術を受け、それが再発して平成5年の4月に再手術、全身転移で「開け閉じ」、9月に亡くなっていた。親子2代で岡田医院のお世話になった。

 義父は晩飯は酒を飲みながら魚を2品食べていた、ご飯はあまり食べない。オヤジは毎日ビール大瓶6本か日本酒を1升呑んでいた。肉が好きで、肉が酒の肴にあれば、それだけで充分だった。やはりご飯をあまり食べない。食生活の偏りが、共通していたが、それが癌に関係があるかないかはわからない。遺伝的な素因や発癌誘引物質(イニシエータ)の影響もあるからだ。

 オヤジの兄弟たちも全員癌で亡くなっている。原発の器官はオジキたちやオヤジは肝臓・肺・大腸とみな異なっていたが、ようするに「癌=死」の家系なのである。術後2年生きたオヤジが最高記録で、オジキたちは「入院=死」だった。老化に伴いいずれかの癌抑制遺伝子が傷害されるタイプなのかもしれない。そういう背景があるので、これは伝えるのが難しいと思ったが、淡々と事実を告げた。

 癌と診断される1ヶ月前の連休に釧路へ行って、丘の上に立つ白い建物がホテルかと思ったら、遠くがよく見える女房殿が「病院だよ」という、「入院するならああいう眺めがよくてきれいな病院がいいな」とつぶやいたのを覚えている。一月半後の6月23日にそこへ入院することになった、生まれてから初めての入院である。あの病院へ入院することを天がわたしの口を通して教えてくれたと勝手に解釈している。

 わたしは趣味でヨーガや座禅、呼吸のコントロールなどを十代の頃からやっていたので、自分の身体の声を少しだけだが聴くことができる。冷たくて重いものが胃の辺りで広がりつつあるのがよく感じられたので、「スキルスもあると思うのでそちらの検査もしてもらいたい」と内視鏡の診察後に若先生に申し出た。胃の粘膜細胞を採取して検査するので、消火器外科のある病院でなければ検査ができないと説明してくれて、若先生は釧路市立病院と釧路医師会病院のどちらでも紹介できるので、すぐに入院検査すべきだと言われた。6月6日のことである。何かを食べても腫瘍が邪魔をして胃から腸へ通過できない。期末テストが23日からだったから塾の授業を休むわけには行かなかった。ほとんどヨーグルトだけ2週間しのいだ、なせばなるものだ。入院は23日に調整していただいた。田宮二郎主演のテレビドラマ『白い巨塔』(1978-79年)で主人公の財前五郎教授がスキルス胃癌で死ぬのを見ていたから、スキルスが悪性の進行癌でほとんど助からないことはよく承知していた。生徒たちには「お腹にオデキができた、恥ずかしいから手術するので、1ヶ月間休みます。期末テストの結果はメールすること」、そう言っておいた。オデキと聞いて何人かの生徒が笑ってくれた、それがうれしかった。癌手術での入院、しかも末期だから事実を生徒たちに告げたら、テスト前2週間の大事な時期にこころが揺れる。オデキの切除だとほんとうに信じて笑って「先生行っておいで、1ヶ月勉強してまってるよ」と言ってくれた、ありがたかった。メンコイ生徒たちにどれほど助けられたかわからない。

 釧路医師会病院へ入院して検査して、内科の副院長が丁寧な検査を繰り返してくれて、巨大胃癌とスキルス胃癌の診断がつき、手術のために消火器内科病棟から消火器外科病棟へ移された。
 わたしの場合は3ヶ月前から自覚症状はあった。でも、微弱な自覚症状ではなかなか病院へ行く気がしないものである。胃薬だって必要だとは思わなかったのだから・・・

 胃の全摘手術をすることになった。開けたらすでにリンパ節へ転移、大腸へも浸潤していたからステージⅢBであった。「癌辞典」のステージⅢBの解説は次のようになっている。

「胃の筋層を超えて漿膜まで達しており、第2群リンパ節に転移が認められる状態。または、癌は胃の漿膜を超えて多臓器に浸潤していて胃に接したリンパ節への転移も認められる状態。」

  手術前に担当外科医の後藤先生から、「幽門部をふさぐ大きな悪性腫瘍と胃体部を下から上に走るスキルスがあるから、裏側の膵臓や脾臓への浸潤が考えられるので、そうなっている場合は膵臓や脾臓の摘出をする可能性があることに同意してもらわなければならない」と説明があった。そんなにとったら手術が成功しても命は1年あるかなと考えながらそんなことを訊いても人のよさげな若い外科医は答えるのが辛いだろうと質問はしなかった。同意書に判を押さないと手術はしないルールだから、この儀式は「参加者」の一人として滞りなく済ませた。わたしは、若い外科医が気に入っていた、腕を上げそうなオーラがみえたからだろう。
 (毎日仕事をして腕を磨く職人は職種に関わりなくすばらしい。小学生低学年のころ根室に一軒だけあった鳴海公園近く(青柳薬局の隣)の桶屋さんの仕事を飽きもせずに何時間も仕事場の窓越しに眺めていた。職人さんってすごいな、木を特殊な鉋で削り、竹や銅製のタガをはめて、洗濯桶や風呂桶、ご飯を入れる「おひつ」を造る、木を張り合わせているだけなのに水が漏らない。小学生のころは家のお風呂は木桶で石炭をくべて沸かした。井戸水を汲むのと風呂を沸かすのは長男のわたしの仕事だった。面白いので焚きつけ割りを空手でやっていた。木桶の「おひつ」に炊き立てのご飯を移すととってもおいしい。移すときに湯気が適度に飛んで、蓋を閉めるとうまみ成分はおひつの中を循環する。うっすら漂う木の香りも味をよくする。いまの子どもたちは「おひつ」に移したご飯の味を知らない、「おひつ」を見たことすらないだろう。写真が載っているので、知らない人はご覧ください。
*おひつ http://matome.naver.jp/odai/2137308026547402101

 実際に手術が始まると、外科医の後藤先生(現・木野東クリニック院長(音更町))は手遅れだと判断して「あけとじ」しようと考えたそうだが、そばにいたベテラン外科医の院長が「ざっくりとったらいい」と示唆、それで手術は続行となった。
 わたしは幸運だった、若い外科医だからこそベテラン外科医の院長は手術続行を指示した、50前後のドクターが担当医なら、院長は口を出さなかっただろう、そして担当外科医はやるだけ無駄だと合理的に判断した。「アケトジ」のほうが体力も温存できるので余命を延ばせる。若い外科医もベテラン外科医と同じ結論を下し、手術を中止しようとしたのである。
 若い外科医はたくさんの症例をこなさなければ腕が上がらない。そういう眼で見たら、わたしの症例は外科医としての腕試しにはおあつらえ向きの症例だった。院長の判断は正しかった。この患者は手術をしてもしなくて命の残りは少ない、だったら腕を上げるよい機会である。わたしの方も、スキルスだから助からない確率が高い、このドクターが腕を上げてくれたら、その後に何人もの患者を救ってくれる、それでいいと思っていた。

 摘出した胃やリンパ節、一部切除した大腸等の検体は古巣のSRL八王子ラボ病理検査部へ送られた。病理検査の外注先がSRLだったのである。病理検査室のN取課長とは仲がよかったので、仕事で用事がある都度、病理検査室に出入りしていた。ブロック分けも、ミクロトームでの薄切作業も病理検査室で何度も見ていた。報告書には「巨大胃癌とスキルス胃癌」と書かれていた。N取課長はわたしが術後数ヶ月で死んだと思っているだろう、彼ももう定年になったはず。俺は生きてるぞ!
 抗癌剤のTS-1は副作用がきつくて辛かった。体力を根こそぎもっていかれるからとっても疲れる。手術するにはもう手遅れで放射線治療を続けていたK藤が、見舞いに行くと1時間おきに「15分寝てくるから帰らないでくれ」と言ったときの体力が実感できた。抗癌剤はとにかく疲れる、体力をごっそりもっていかれる感覚があった。
 白血球数が基準値の半分以下となり、一時期は抗癌剤の量を減らしてもらった。O先生は再発リスクが高いので心配な顔をされた。量を減らしても白血球数はなかなか上がらずに無菌室へ逆隔離寸前の状態が半年ほど続いた。塾生たちに教えることで元気をもらっていたのだろう、何とか乗り切った。仕事がなかったら滅入って生きる気力を失っただろう。日本人は生きてある限りは仕事がしたい。

<SRL同期入社の友人K藤のケース>
 1991年9月にオヤジが大腸癌の再発で亡くなり、四十九日の日にSRLで上場準備要員として同期入社したK藤が癌で亡くなった。葬儀にはいけなかったので、四十九日の法要が終わってから、線香をあげに行った。
 あいつは会社を辞めて健康事業関係のコンサルタントビジネスを立ち上げた。独立して3年目、順調に業績を伸ばしていた。経営コンサルタントの800万の仕事を取引先から依頼されたと相談があった。わたしはそちらの仕事の専門家でもあったので、相談に乗り、一緒に取引先へ行って仕事を手伝ってあげた。その後、そういう仕事が何件か持ち込まれた。土日なら手伝うことは可能なので、SRLの人事部へK藤の会社の役員(非常勤)へ就任し、土日ならOKかとお伺いを立てたら、「ノー」の返事。会社を辞めて副社長として手伝ってほしいと誘われたが、会社買収の面白い仕事を2件担当していたので断った。もう一度今度は事業を丸ごと引き継いで社長でやってほしいと請われたが、K藤にそういうことではない、これは君の事業でわたしがやりたいと思っている事業ではない、わたしは業界ナンバーワンのSRLでやるべき仕事がまだあるから断ったのだと説明して納得してもらった。あいつはすぐに4人の社員へ事業を有償で分割譲渡した、素早かった。
 慰労をかねて4月初旬に新宿で会って酒を飲んだときにちょっと風邪気味だと言った。
 3月にオヤジが2度目の手術をして「あけとじ」のすぐ後の四月に会ったので気になり、5月に電話したら、なんだか調子がおかしそう、軽い咳を電話の向こうでしていた。「微熱が続いているなんてことはないか?」と問うと、「ある」との返事。いやーな予感がした、「癌かもしれない、大きな病院で検査してもらえ、おまえの年齢では進行が早いから助からないかもしれない、そのときは入院せずに自宅で通院治療しろ」と薦めた。どうしてこういうことがわかってしまうのだろう?
 胸部に癌ができていて、末期で手遅れだった、あいつはわたしの薦めどおりに自宅で療養して通院治療を開始した。放射線治療が始まると暑中見舞いの葉書が来た。「余命あと3ヶ月」と書かれていた。福島県郡山市の臨床検査会社への資本出資交渉を担当して、その後その会社の社長に請われて役員出向したが、三度横浜のK藤を見舞う機会があった。すっかり毛がなくなった頭には夏だというのに毛糸の帽子が載っていた。冷房が効いているから頭が寒いのだそうだ。1時間も昔話をすると疲れて「15分寝てくるから、帰らないでくれ」といった。将棋を指したいというので三度だけ指した。あいつは本格的に将棋を始めてから半年くらいでアマチュア4段のN川に三度に一度勝てるようにあんったら、N川はK藤と指さなくなった。1番指しては、もう一度やりたいから15分寝てくると繰り返すから夜になって奥さんが帰ってくるまでいた。横浜済生会病院で、末期癌患者の通院治療は初めてのケースだったようだ。あいつは医者を説得した。朝、奥さんへ「もうだめだ、病院へ連れて行ってもらいたい」と告げ、入院して翌日亡くなった。苦しむ必要はないから、最後はモルヒネを使ってもらえと言ってあったが、それもその通りにしたと奥さんから聞いた。奥さんは東大理Ⅲの才女で、有名海外メーカの化粧品事業の開発部長をしていた。数学が好きなわたしに、奥さんのお薦めの数学問題集を2冊戴いたことがあった。書き込みはなかったから新たに購入してプレゼントしてくれたのだろう。

 K藤の場合も、わかったときには癌は末期で手遅れだった。

<軽い自覚症状だからわからない>
 初期に癌が見つけられた人は運がよい、微弱な自覚症状だから、自覚症状があってもわからないのである。だから、わかったときには末期癌のことが多いのだろう。
 癌になったときに、死ぬべきときが来たら死ぬだけのことと思った。
 入院してから検査に3週間ばかりかかっている間も「冷たく重い」幹事を伴いスキルス胃癌は広がっていったので、手術時間は大幅に延長、予定時間の2倍の6時間かかった。手術で身体が冷えて、集中治療室に移されたときには低体温症で、身体が海老のように跳ねた。見ていた女房殿がその様子を見てもうだめだとおもって、集中治療室から出て行った。意識がないのだが、上から海老のように跳ねる自分の身体を見ていた。「危ないな、身体はあんなに跳ねているのにちっとも苦しくない、このまま死ぬのもいいかもな、死ってこういうものなのか」、そんな風に観察していた。看護婦さんの誰かが「電気毛布もってきて」と叫んだ。何人かで身体を押さえつけている、抑えていないとベッドから転がり落ちてしまう。身体が温まりはじめたら意識が身体に戻った。「ああ、温かいこれで助かる」、そう感じた。そしてその通りになった。
 
<余談:>
 スキルス胃癌とわかっても、こころが動揺を見せなかったのは、生き方にあったのではないかと思われるので、説明しておきたい。
 わたしはいつのころからか人生を三つの季節に分けて考えていました。勉学に没頭する季節と仕事に没頭する季節、そして世のため人のために何かをする季節の三つです。ふるさとに戻って最後の季節を過ごしたいと願っていました。人生を三つの季節に分けていたのは、インド哲学の影響が多少はあったのかもしれません。
 小さな私塾を開いたのは18歳まで育ててもらったふるさとに恩返しをしたいからでした。世のため人のための仕事をふるさとでしたかったのです。
 事業拡張の意図はまったくなく人は雇わず自分だけで教えられる範囲に限定して13年間仕事してきました。
 世のため人のためということから、志を同じくする釧路の三木さん(社会保険労務士、明光義塾愛国教室、現釧路西ロータリークラブ会長)に誘われて「釧路の教育を考える会」の創設メンバーになって釧路と根室管内の教育改革を志す皆さんともお仲間になれた。釧路市議会でそぎを組織して教育改革の旗を振り続けた月田釧路市議会議長は同じ大学・学部・学科の後輩であると2回目の飲み会でわかってお互いにびっくり何てこともありました。
 北海道教育文化研究所の立ち上げにもお誘いいただき、ボランティアの輪が広がっています。

 「一時猶予」していただいた命の灯を利用させてもらい、昨年1月にライフワークである「資本論と21世紀の経済学」に手をつけました。今年と来年を使って第3版が書けたらいいなと思っています。四百字詰め原稿用紙で600-800枚くらいになる予定です。すでに600枚以上書いてアップしています。経済学を公理公準に遡り、西欧で生まれた経済学に根本的な欠陥が公理にあることを解説しています。西欧の「労働観」を日本的仕事観に入れ替えると、まったく別の経済学が可能であることを示しました。頭の固い経済学者たちには30年間は理解されないかもしれません。でもいつかはわかります。経済学部で学ぶ学生たちに読んでもらいたい。ガロア群論を理解できなかったフランスの数学者たちのようなものです。ガロアが何を成し遂げたのか理解するのに、200年もかかっています。30年くらいどうってことはありません。

 半年間中止していた、koderaさんご依頼の、世のため人のための仕事第4弾の進路をふさいでいた障害物を3日に釧路で仲間と飲んだときに、アイデアをいただいたので、再開します。やればかならず高齢化社会が進行する日本のみなさんのお役に立てます。

 もうひとつ、30年前の8月にSRLで「臨床診断支援システム」事業を提案して、創業社長に200億円の投資を認めてもらい、NTTと何度か打ち合わせをした結果、コンピュータの性能と通信速度が要求仕様を満たすのは30年ほど後になるだろうとの結論がでたので、事業家案は中止した案件を復活させる仕事が見えてきました。これが最後の仕事になるでしょう。めどがついて、アップしたら、天がわたしの命を召し上げるでしょう。楽しみです。

 臨床診断支援システムは全国の大学病院と専門病院をネットワークにつなぎ、臨床診断アルゴリズムを持続的に更新していくものです。このシステムを成立させるには臨床検査項目コードの標準化が必要条件であったので、それだけは病理学会の櫻林郁之助教授と臨床検査大手六社の産学協同プロジェクトを立ち上げて、数年間検討作業を続け、日本標準となってもう20年近くも全国の病院で使われています。
 市立根室病院も、根室のO医院も、お世話になった消火器外科医の先生の音更町の東木野クリニックも、コンピュータの内部の臨床検査項目コードは病理学会の臨床検査項目コードで動いています。
 この臨床診断支援システムが完成すれば、CAE(Computer Aided Education)機能を使って分野によっては専門医の育成が数分の一の期間でできるようになります。診断精度は飛躍的に上がります。総合診断機能をサポートできるAIすら可能です。
 30年前の提案書を弊ブログでそのままアップします。チャートが何枚かありますが、それは箇条書きするしかありません。
 そして、30年経った現在のコンピュータの性能と通信速度を前提に、書き直しを試みてみたいと思っています。いくつかいまになって視界に入っている大きな問題もありますから、後に続く人たちのために言及して整理しておきたい。ブログにアップすれば、志を引継ぎ、だれかがやってくれることを信じます。
 天はこれらの仕事をする猶予をわたしに与えてくれてました。ありがとう、感謝です。


記事:#2635 蟹江敬三さん胃癌で死去:ステージ3、病診連携が奇跡を起こすこ..


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#3220  二様の死に思う:竹田圭吾氏の死と15名のバスツアー事故死 Jan. 18.2016 [cancer]

 風が強くなっていましたが、9時になってから吹雪に変わりました。東北に3つの低気圧が横一線に連なっています。今朝東京に雪をもたらした低気圧が北上中。
 一番東側の低気圧が発達しながら明日、960hpaで北海道沖を北上するから、根室では高潮被害にそなえて、梅ヶ枝町と緑町商店街に土嚢が積まれている様子がテレビで報道されていました。
 市内の学校は明日は休校のようです。

 ジャーナリストの竹田圭吾さんが膵臓癌で亡くなりました。急激に痩せ、癌患者に特有の「癌相」が現れていたので、もう助からないのだろうなと思っていました。劇痩せした姿にどなたかに「死相が現れていると言われて、ムッとした」とご本人が言っていたようです。
 わたしも2006年にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で40日間入院し、退院して3週間後から授業を再開したので、13kgほども体重を失っており、「先生、やせて骸骨みたい」とある生徒に言われて苦笑せざるをえませんでした。鏡に映った自分を見て、自分でもちょっと気色悪いと思いました。よくあのような状態で授業ができたと思います。普通のものが食べられるようになるまで、3ヶ月はかかりました。何もしないで家で寝ていたら、そのまま体力が衰えてしまったかもしれません。でももう一度やれといわれてもできません、本音です、気力がいるのです。(笑)

 30年前に比べると血液検査技術や検査試薬、検査機器がずいぶん進化してほとんどの癌が感知できます。治療薬(抗癌剤)の性能ももよくなりました。抗癌剤は免疫が低下するので実際には命がけであることもよくわかりました。再発リスクがあっても、何度か薬の量を減らしたり、とめたりせざるをえない状況に陥りましたが、主治医の助けがありなんとか乗り越えられました。
 手術すれば、余命がどれくらいかも、当たり外れはありますが、予想がつくようになって来ました。

 いつころ死ぬかわかるわけです。だから準備もできます。そういう意味では、癌で死ぬことはありがたいことかもしれません。死へ向けてやり残していることがあれば、体力さえ残っていたらやる時間が与えられています。
 わたしは、そういう時間を使って、ちょうど1年前にライフワークである「資本論と21世紀の経済学」を書き上げ、ブログで公表しました。すでに2版、四百字詰め原稿用紙600枚ほどになっています。根っこから、アダム・スミス、ディビッド・リカード、そしてマルクスの経済学を斬新な視点(公理系の書き換え)でひっくり返しました。人類を救うことができるかもしれない新しい経済学を子供たちや孫の世代へ残せます。生きてきた証はそれで充分です。
 さいわい、授業をしたり、文を書いたりするぐらいの体力はまだあるので、当分こういう生活が続くのでしょう、ありがたいことです。
 爆弾低気圧のせいで、吹雪になっているので、明日は吹き溜まった雪と格闘です。へとへとになりますが、それも生きている証ですから、ありがたく疲れを頂戴します。
 家の前はちゃんと開けておきますから、来る生徒がいるかもしれません(個別指導ですから、授業の振り替えは希望日の希望時間にできますから、無理はしなくても大丈夫です)。三年生は私立高校受験生数名が最後の追い込みに入っているので、毎日来て勉強している生徒も居ます、さて、どうなるか楽しみです。

 軽井沢でバス事故がありました。運転手2名と若い乗客10名が亡くなりました。ほとんどが18~22歳、バスに乗るときに、スキーツアーのバス事故で死ぬなんて思った人は一人もいなかったでしょう。冬休みを利用して日帰りスキーツアーを楽しむはずが、突然の死はかわいそうです、とてもとてもお気の毒です。
 人の死というのはほんとうにわからないものです。今日無事であっても、明日にはどうなっているかわからない、いま無事でも1時間後にどうなるかだれにもわかりません。そうした現実の怖さをバスツアー事故は教えてくれています。一人ひとりが、たくさんのやりたいことがあったはずです。他人事ではありません、とても残念です。
 そうした現実を見つめつつ、わたしたちはいまをどう生きればよいのでしょう。

 2006年にスキルス胃癌の手術をしてからちょうど10年目にあたります。いま思うことは、癌も悪いことばかりではないということです。死が身近になりました、身近になると同時に怖いものではなくなったのです。あたりまえのものとして受け入れるこころができました。それもこれも、いまは天の配慮のような気がしています。
 何かしらの意味を見つけて生きる、人間とはそういうものなのかもしれません。

 ジャーナリストの竹田圭吾さんと、バスツアー事故で亡くなられた15名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 合掌


*竹田圭吾さんの訃報
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-9531.html

*バスツアー事故 朝日デジタルニュース
http://www.asahi.com/articles/ASJ1J43P4J1JUTIL00N.html

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#2784 百年後のコンピュータの性能と人類への脅威 Aug. 22, 2014 ">


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  #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015  

  #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015  

  #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015    

  #3213 グローバリズムを生物多様性の世界からながめる(Aさんの問い) Dec.28, 2015 

  #3216 諸悪莫作(しょあくまくさ)  Jan. 3, 2016

 #3217 日本の商道徳と原始仏教経典  Jan. 7, 2016

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#3198 メディカル・チェック Dec. 8, 2015 [cancer]

 3ヶ月に1度の割合で、メディカル・チェックを受けている。2006年7月にスキルス胃癌の手術をしてもらってから10年目、不安なくすごせるのは主治医のお陰です。
 肝機能も脂質も血糖も問題なし。ビタミンB12は276⇒358に上昇、フェリチン定量は基準値下限の半分だが9.3⇒9.7に上昇し貯蔵鉄も改善傾向を見せているから、日常の体調管理をこのまま続ければいいということ。
 しばらく腫瘍マーカー検査をしてなかったので、CEA、CA19-9、SCC抗原の3項目を測定しました。これも問題なしです。

 歩くと息切れがするので、あまり散歩したくないのは、肺機能が落ちているからでしょう。もともと気管支が弱いので、東京生活35年間で弱いところがダメージを受けました。昭和40~50年代の東京は大気汚染がひどかった、北京の画像を見ていると40年前の東京が思い起こされます。東京の空気はきれいになり、すっかり改善されました。車のエンジン性能と排気ガス処理技術向上の勝利です。
 26歳のときに風邪を引いて病院へいったら、公害病(大気汚染による)の認定を受けられるといわれたことがありました。風邪を引くと咳がなかなかとまりません、空気の温度変化に敏感で軽い咳が出ます。2001年ころから、駅から家までの登り坂を上がるときに肺が苦しい自覚症状がありました。肺機能の低下で酸素が十分に取り込めなくなていました。いまはこれに鉄欠乏性貧血が加わっているので、散歩は気持ちがよいが億劫なのです。
 2000年に勤務していた病院でレントゲンを撮ってもらってドクターの所見を伺ったら、繊維化して肺が白っぽく写っているとの診断でした。風邪を引くと気管支炎を起こし、夜ベッドに入り身体が温まると、咳がひどくなります。癌を患ってからどういうわけか風邪を引かなくなりました。抗がん剤を飲んでいた1年半は抗ウィルス剤なので、インフルエンザウィルスにも効いているのかななんて勝手に考えていました。理由はともかくとにかく風邪を引かなくなりました。

【放射線研究者のN科さんこと】 
  福島県郡山市の臨床検査会社と資本提携話をまとめ、15ヶ月間出向したおりにお付き合いいただき、RI検査についていろいろ教えていただいた方がいます。ebisuよりも一回り年上の丑年、福島県南相馬に住むN科さんは、フクシマ第一原発事故による放射能汚染をなんとかしたいと、植物による放射能の除染研究をしていました。子どもたちや孫たちのために、古里のために最後の仕事をしていたのでしょう。肺気腫を患っていましたが十月初旬に突発性肺線維症で亡くなりました。78歳、穏やかな人柄の放射線研究者でした。ご冥福を祈ります

【長生きはほどほどに・・・そう思うようになりました】
 肺に問題を抱えているわたしも自分自身のことがちらっと気になったのです。しかしこれはどうにもならないから、無理をしないことにしています。若いころは150歳まで生きてやるなんで言ってましたが、そんなに長生きしたいと思わなくなりました。心境の変化です、いつお迎えが来てもにっこり微笑むことができそうです。(笑)
 子や孫のために、そして後世のために、ライフワークと考えていた『資本論と21世紀の経済学』を書いてしまったからかもしれません。アダム・スミス、ディビッド・リカード、カール・マルクスの労働価値説をひっくり返して、日本的な職人仕事観に基づく経済学がありうることを明らかにしました。人類を救うことのできる経済学です。

   「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」+「働く人よし」

 


*#3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
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 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


『資本論と21世紀の経済学』 <目次>

       3097-0 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02 

    序   2

       3097-1 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-2

Ⅰ. 学の体系としての経済学      6

1. <デカルト/科学の方法四つの規則とユークリッド『原論』> …6
2.<体系構成法の視点から見たユークリッド『原論』> …8
3.<マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかを読み解く> …10
4.<資本論体系構成の特異性とプルードン「系列の弁証法」> …11
5. <労働観と仕事観:過去⇒現在⇒未来> …13
 
       3097-2 ↓
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6.
<公理系書き換えによる21世紀の経済学の創造> …14 
 ○ 資本論の公理系の析出
 
 ○ 公理系書き換えによる新しい経済学の創出
7. <経済学体系構成原理は四つ> …19           
8. <『資本論』の章別編成> …20
9. <マルクス著作の出版年表> …21

       3097-3 ↓
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Ⅱ.第1の公理を巡って:マルクスの労働観と日本人の仕事観 
 …23

10. <対極にあるもの:ヨーロッパの労働観⇔日本の仕事観> …24
11. <日本人の仕事観:仕事が楽しい!> …25
12. 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやく> …32
13. <労働者ではなく「教育の職人」としての誇り> …33

       3097-4 ↓
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. 経済学とは何か   35

14. <経済現象と日本> …35
15. <円安はいいことか?:80120/$の威力>  36
16. <経済学の定義> …40


       3097-5 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-03-1


Ⅳ.日本経済の現状と人類の未来(人口減少と高齢化を見据えて)45

17. <人口統計から見える未来>…45
18. <「経済成長の天井」:日本総研山田久調査部長の論> …48
19. <馬場宏二「過剰富裕化論」> …52


       3097-6 ↓
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20.
<相対的貧困率上昇と金融資産1億円超の富裕層増大> …55
21. <『21世紀の資本』トマ・ピケティの空想的所得再分配論> …56
22. 2015年度政府予算案と公共性あるいは公益性について> …61 
23. <村落共同体と税:自由民と農奴について> …63


       3097-7 ↓
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24.
<文部科学大臣下村博文「教育再生案」について> …67
25.<人工知能の開発が人類滅亡をもたらす:ホーキング博士> 69


       3097-8 ↓
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26.
<利便性の追求の果てに何があるのか> …70
27.<外国人持ち株比率3割の意味するもの(金子勝慶応大学教授)> …75


       3097-9 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-05



28. <安保法制と日本の軍需産業と成長路線は一体のもの:東野圭吾著『禁断の魔術から>…77

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       3097-10 ↓
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(注-1)「コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実」…82

(注-2「生産性向上事例」)…83
(注-3「総合偏差値による経営分析システム:5つのディメンション(指標群)と27指標」…86
(注-4「財政破綻と公務員制度改革」)…87
(注-5「民間企業の生産性向上の実例」)…87 
(注-6「繰延税金資産について」)…88
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#3143 川島なおみさん(54歳)が肝内胆管癌で逝く Sep. 25, 2015 [cancer]

 突然の訃報。
 肝内胆管とは胆汁液の排出口である。胆管でつくられた胆汁液はそこから胆嚢へと運ばれる。わたしは医者ではないからよくはわからないが、スキルス胃癌で入院したときに、胆管にトラブルを抱えて入院加療中のO屋さんと同室となり親しくさせてもらった。お腹からチューブで胆汁液を排出してビニール袋に溜めていた、緑色の消化酵素である。
(私自身も、巨大胃癌とスキルス胃癌の併発で、手術の際に胆嚢も切除している。残しておくと術後に炎症を起こす例が多いのだそうだ。摘出した濃い緑色の胆嚢は健康そのもので、とてもおいしそうにみえたとはワイフの言。)

 便に茶色い色がついているのは、食べたものに濃い緑色をした胆汁液が混ざって消化を促進するからで、胆汁液がなければ便は白っぽくなる。
 肝内胆管癌になると、胆管切除、ひょっとしたら距離が近い肝臓も一部切除や胆嚢切除もしたのではないか。転移が怖いからそういう手術になるだろう。12時間の手術(2014年)だったそうだ。
 胆管切除をしたら、胆汁液が産生されないから、ひどい消化不良を起こすから予後が苦しかったと想像する。食べたって満足な消化は期待できない。劇痩せの原因はそういうことだったのだろう。

 あるところを越すと、生きていることがつらくなる、「もういい」、そういう感情が芽生えるもの。生き続けることに疲れてしまう。消化不良で体力が弱ってくれば、案外苦しくない。
 24日午後7時55分、胆管がんのため、都内の病院で亡くなった。

  いまにして思うと、9月7日の記者会見は、ファンへのお別れのメッセージだったのだろう、みんな女優の演技に見事にだまされた。チャーミングな人だ。

 映画は一本も見たことがなかったが、何度もテレビ出演していたから、その姿は記憶している。
 54歳、あでやかな女優であった。
 ご冥福を祈ります。


*#2635 蟹江敬三さん胃癌で死去:ステージ3、病診連携が奇跡を起こすこともある  Apr. 7, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-07


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#3081 9年目の定期チェック:検査値  July 14, 2015 [cancer]

 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発、そして胃全摘・リンパ節切除・大腸一部切除・胆嚢全摘手術を2006年7月20日に受けてから、あと1週間で満9年がたつ。胃の全摘手術を受ける方や最近受けた方の参考になればと、検査値やふだん健康に留意してやっていることをブログに書き綴っている。

 昨日は混んでいたので、今日10時半にO医院へ検査結果を伺いに行った。
 5/12の検査ではフェリチン定量が「4.9以下」だったが、7/8の検査では「8.5」に上がっていた。フェジンとビタミンB12を検体採取後に静注してもらったので、血清鉄の値はさらに上がっているはづ。
 ドクターの所見では、度ビタミンB12は4ヶ月に一度補充すればいいとのこと。玄米を食べていることもあって鉄吸収が悪いので、静注してもらうのがいいようだ。
 調剤薬局で出してくれる鉄剤は飲むと吐き気がするので、「ワダカル 鉄分&葉酸」を毎日1錠(鉄分7.5mg、葉酸200μg、カルシウム100mgなど)飲んでいる。最近1ヶ月はオリヒロ「かんでおいしいチュアブル鉄」(5mg)も1錠飲んでいる。先週からはオリヒロを休んで雪印メグミルク製品の「1日分の鉄分飲むヨーグルト プルーンFe」を1日おきに飲んでみた。プルーン味で飲みやすいので、鉄とビタミンB12と葉酸がセットになったこのヨーグルトを1日おきに摂取してみようと思っている。9月のデータがどうなるか様子見だ。
 この手の健康食品は身体への相性があるので、試してみないとわからない。結果はブログに書くので、どなたかの参考になるなら幸いである。

 中性脂肪が85⇒165に上がったのは、避けていた脂肪を摂るように切り替えたからだろう。オリーブオイルやバターを積極的に使うようになった。以前は消化不良を起こして下痢が心配で、なるべく少なくしていた。極端な低脂肪食だった。下痢をすると体力を失うので、ずいぶん気を使っていた。このごろ、パンにバターを塗るくらいなら心配ないことがわかった。

 次のチェックは9月に予定している。 

<余談>
 順番をまっている間、大野晋『日本語の教室』(岩波新書2002年9月刊)を読んでいたら、長身のすらりとした若い女性から声を掛けられた。「おじちゃん、風ひちゃった、元気そうだね・・・」、マスクをしていたので誰かと思ったら姪だった。「土曜日にお墓に花を供えてくれただろう?」と訊いたら、やはりそうだった。「そろそろハイハイしているかな、子どもに風邪を移さないように・・・」、そういっておいた。でも、軽い風邪を引きながら丈夫に育てばいい。日曜日の花は叔母のようだ。



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<余談-2>
 紀元前20年頃のタミル語と日本語には生活や情緒に関わる単語に共通するものが多い、それだけでなく、助詞や助動詞も共通するという。
 「タミル語は紀元前2世紀ごろから400年間の詩集サンガムを持っています。そこには2400種の歌があり、一首一首が長いので、その言語の量は、4500首の『万葉集』の数倍はある。そこに実例を求めることができるようになるわけです」 p.58
 サンガムは日本の短歌や俳句と同じ五七調の詩である。『サンガム』と『万葉集』の語彙の比較研究ができるということは、日本語の起源をおおよそ800年間も遡れるということ。日本語特有と思われていた「あはれ」「すき」などが同じ発音、意味でタミル語にあるという。
 この本は大野先生の言語比較研究がどのような偶然の連続でなしとげられたのかを、簡潔に説明している。サンガムの研究者との出遭いがなければ、これほどの研究の深化はなかっただろう。比較言語学に興味のある人には楽しい本である。

日本語の教室 (岩波新書)

日本語の教室 (岩波新書)

  • 作者: 大野 晋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書


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