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#3602 日野皓正 Jazz for kids : 昭和は遠くなりにけり Sep. 1, 2017 [時事評論]

   600人が入ったコンサートで、ソロパートを予定の40秒を過ぎてもやめない中学生のドラマーからスティックを取り上げて投げ捨て、それでも手でドラムをたたいてソロをやめないので指導監督の日野皓正が顔をひっぱたいた。40秒のソロパートを2分叩いてもやめなかったらしい。スティックを取り上げられても、なお手でたたいて演奏し続けたのだから、殴られて当然だ。

  こんなことがニュースで取り上げられ問題になっている。団塊世代が中学生のころなら、親はそろって「お前が悪い」というだけ。ニュースにはならぬ。
  学校で先生に殴られたと家に帰って言ったら、「また、何悪さしたんだろ」とオヤジやおふくろから拳骨が飛んだという話はあった。悪さをしたら家でも学校でも殴られて当然という時代。
  中学校の技術の授業の時のこと、機械室で先生が説明を始めたのに、悪ガキ二人が後ろのほうで話を聞かずに遊んでいたことがある。先生はそばにあった角材を握るとつかつかとその二人のところへ行って、無言で頭をたたいた。スコーン、スコーンとふたついい音が響いた。もちろん角が当たらぬように加減はしていたが、大きなタンコブができていた。それ以降、その二人はその先生の話をちゃんと聞くようになった。機械室は電動鋸など危険な電動工具がいくつもあるので、事故を未然に防ぐにはそれぐらいのことは当たり前。いつの時代もいくら言っても言うことを聞かぬ生徒は一定数いる。
  昨今は生徒を殴るとなんでも、「体罰=暴力」というらしい。これら二つは同じではないだろう、「体罰=暴力」の図式はちっとも教育的ではない。
  教育評論家の尾木ママがこの件で「暴力や体罰は絶対にいけない、身体的、心理的苦痛を与えるだけ」と発言しているが、では自分ならどういう指導をするのかということへの具体的言及がない。無責任な発言に聞こえるのはわたしの耳が耄碌したせいかもしれぬ。

  救いは、その中学生のお父さんが「自分の息子が悪い」と言っていること。当事者の中学生も自分が悪いと反省していること。素直さが残っていればなんとかなる。
  わたしが親で、コンサート会場にいたて、事情が呑み込めたらその瞬間にゴツンと殴る。あの振る舞いは身勝手が過ぎた。
  おおらかだった時代が懐かしい、昭和は遠くなりにけり。


<エピソード-1>
  世話になった人に、「先生、孫が言うこと聞かなかったら殴っていいからなんとかしてくれ」と頼まれたことがある。おだると止まらない孫の性格をじいちゃんは心配していたが、孫がかわいいから、自分は叱ったことがない。このままではいけないと思っていたから、わたしにお願いしたわけだ。ズルいよと思ったが、引き受けた。あるとき何度制止しても言うことを聞かないのでゴツンとやったことがあった。反抗期だったから自分の行為は棚に上げむっとした表情でわたしを睨んだ。それでも塾をやめずに来た。今では見違えるようで、高校に入ってずいぶん大人になったと感じたのはじいちゃんの一周忌の4か月ほどあとだった。教えながらじっとまっていたら勝手に成長したというのがほんとうのところだろう。じっと心の成長を待たねばならない場合がある。

  あるとき本人へ訊いた、「じいちゃんはよく小遣いくれたろうけど、一度も叱られたことはないだろう」、「ないよ」とニコニコしながら答えた。
 損な役回りだったが、仕事だからしかたなし。自分で設定した学力目標を達成したら塾をやめて部活に専念してよいと宣言してあった。ちゃんと目標を達成した。「先生、やめていいか?」「約束だからいいよ、よくがんばった」、少し前に塾をやめて部活を楽しんでいる。人の孫でもめんこいもの。

<エピソード-2>
 1960年代の末頃のこと、新宿ジャズ喫茶「ピットイン」で何度か日野皓正の演奏を訊いた。新宿伊勢丹の裏手の通りにあった狭い店。汗とツバキが飛んでくるような距離で聴いたジャズ。11時ころ店を出るとシーンと音がしていた。大音量に鼓膜が馬鹿になっていた。あのころは熱かったな。
  セッションは阿吽の呼吸で、演奏者同士がコミュニケーションができなければ成り立たない。わがままが過ぎればセッションが成り立たぬ。
  件(くだん)の中学生は才能があるらしい。日野はこの性格を直さないと、ドラマーとして大成しないと感じたのかもしれぬ。皓正の弟が名ドラマーだった。本気で叱らないと伝わらないときもある。「石火の機」*だから、場所を選んではいられぬ。
  老トランペーッターは黙して語らず、気の毒だ。世間の反応にあきれ、ばかばかしくなって教えるのをやめるかもしれない。本物との出遭いは人生にとってかけがえのない糧になりうるのに…

*「日本辞典」より
http://www.nihonjiten.com/data/40902.html
[石火の機]
打突の機には間もスキ間もなく、心の留まるべき間のないことをいう。


**内田樹研究室「機の感覚」より
http://blog.tatsuru.com/2008/01/20_0938.php
「石火の機」「啐啄の機」、呼び方はいろいろあるけれど、散文的に言えば「情報入力と運動出力のあいだに時間差がない」ということである。

9/2追記 日野皓正氏の釈明会見
*http://news.livedoor.com/article/detail/13553920/
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日野皓正「俺とアイツは父と息子なわけ」“中学生ビンタ”を釈明

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