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#3576 牧ノ内2往復 + HP35s素数ジェネレーターの話 Aug. 6, 2017 [サイクリング]

<更新情報>
8/7朝9時 <余談:HP35sの時間関数機能解説>
8/8朝8時半 : 素数判定プログラミングについて追記
8/9午前11時40分:<余談-3: プログラミング教育>へ追記
8/9午後11時45分: 新規項目の受注予測と価格政策マトリックスと利益管理システムの連動について追記



  薄い霧が出ていて走りやすそうなので、半袖のTシャツにサイクルパンツで出かけた。なんとなく身体がかったるいが、走り始めたら調子が出てきた。

   11時の気温17.5度、北北西の風3.5m/s、湿度92%

  根室高校前からサイクルコンピュータのストップウオッチ機能をオン、ドロップハンドルの一番低いところを握って低い姿勢で走り始める。原野は霧が出ており、風はアゲインストだが強くない。5100mを10分58秒かかった。

   5100m/10分58秒= 465.0m/m= 27.9km/h
                                 分速            時速

  昨日空気圧を7 bar にセットしたから、路面抵抗が小さくペダルが軽く滑るように走る。冷たい北風が気持ちいい。道路脇のフキの群落が黄色くなり始め、季節の移ろいを感じる。T字路について水筒の水を飲み、今日は2往復と決めた。
  根室高校の前まで来て時間を見ると、26分21秒だった。

  10200m/24分10秒= 422.1m/m=25.3km/h

 往復では最短時間かもしれない、平均時速が25kmを超えた。脚力に余裕が残っている、ドロップハンドルの低いところを握りしめ、ペダルに力をこめる。姿勢が低いとアゲインストが気にならない。2往復の平均時速を計算してみる。

 20400m/47分21秒= 430.8m/m= 25.9km/h

 平地走行だと30km/hだから、これくらいで走るとスポーツサイクルしている気がする。(笑)
 もとはチューブラタイヤだったので、時速40kmを超えて走っているときに、道路の亀裂の幅が5cmくらいで段差が3cmもあるとパンクしやしないかとドキドキだった。こういう亀裂を通過するときは尻をサドルから持ち上げ
て通過している。2年前に車輪とタイヤを変えてからは少々の亀裂は気にならない。一か所だけ幅が10cmほどのくぼみがあり、土が流れてしまって穴になっているので、ここだけは気を付けるようにしている。光洋町の5階建て団地脇の道路でも一か所 20cm×30cm ほどの陥没があって危険だったが、1か月ほど前に補修された。
  タイヤを替えて正解だった、チューブラタイヤは路肩の小さな砂利をはじいてもパンクすることがあった。

  今日の走行距離 27km
  今週の走行距離 ロードバイク 91km (累計走行距離 3145km)
                       MTB            ゼロ   (累計走行距離 1242km)


<余談-1:HP35sの時間関数機能解説>
ー高校生と大学生におススメー 
   ⇒プログラム機能付き科学技術計算用計算機

 わたしが使っているプログラム機能付き関数電卓HP35sは時間関数機能がついていているので、その使い方を具体的に説明する。

   5100m/10分58秒=  27.9km/h


 この計算をするキー操作の手順は次のようになる。

① 5.1 [enter]  
② 0.1058
③ [HMS⇒] :0.182778
④ [÷]:27.902736

① 時速を「km/時」で計算するから、距離はkm単位で 5.1 と入力する。数値を入れて[enter]キーを押すと、距離はXレジスタからYレジスタへ移る。
② 時間の入力:整数部は時間、少数第2位までが分、第3位と第4位の二ケタが秒、つまり小数部は二ケタずつ分と秒に仕切られている。10分は'0.10' 、58秒は '0.0058' だから10分58秒は '0.1058' と入力する。
③ [HMS⇒]キーを押すとXレジスターにある「分と秒」の数値が時間に換算される。この場合は「0.182778」と時間に換算表示される。ちなみに、この計算機には XYZT の4段のスタックがある。数値レジスターが4段の引き出しになっていると考えたらいい。四則演算(加減乗除)や指数計算はXレジスタとYレジスタの数値で行われる。慣れてくると、各レジスタ内に格納されている数字が「見える」ようになる。
④ 演算子[÷]キーを押すと、割り算が実行される。「Yレジスタの数値÷Xレジスタの数値」

 答えは時速「km/時間」で表示される。

 なお、この計算機は分数モード[FDISP]*があり、このモードに切り替えると分数がそのまま入力できて、加減乗除の計算結果も分数表示される。
*Fraction DISPlay mode

<余談-2:素数ジェネレーター>
  素数であるかないかの判別プログラムがHP35sマニュアルに載っています。素数であるかもしれないが判断がつかない数を入力すれば、素数でないときは入力された数より大きい素数で一番最初に出てくる数が表示されます。面白いプログラムでしょ。プログラミングの心得のある人は正解を見ないで数日試行錯誤してみたら面白いですよ。
  わずか23ステップのスマートなプログラムです、「17-6から17-9」「 素数ジェネレーター」に載っています。

<余談-3:プログラミング教育>
  高校数学でプログラミングが選択科目としてあれば楽しい、基礎的なプログラミングなら導入可能ではないのか?
  小学校でプログラミング授業を導入するなんてことはやめて、高校で数値処理中心の理系向きのコンパイラー言語を教えたらいい。小学校では必要になった時にコンピュータ関係の専門書を読んで理解できるように、国語と算数をしっかり教えてもらいたい。
 高校理系で使うプログラミング言語は Fortran か C++がいい。Fortran は1950年代にIBMが開発した古典的なプログラミング言語だが、その後何度もバージョンアップされており、ベクトル型スーパーコンピュータに使われている。コンパイラーが無料で手に入るから高校で使いやすく、数値処理言語として優れている。パソコンに搭載するソフトなら圧倒的にC++のシェアが高い。1990年代初頭にパソコン用のMoM値(出生前検査)に関する仕様書をパソコン前提に書くことにしたので、C言語の機能を知りたくて少々学習した。そのあと90年代半ばに、臨床治験の子会社の管理系役員として経営を任されて、システム部門も任されたので、BolandC++のコンパイラーを購入していじってみたことがある。何でもやってみるもので、事務系の言語との違いがよくわかった。事務系マシン用言語にあった数値処理機能に関する制限が取っ払われている。
  文系もコンピュータの利用が進んでいるから、文系向きの事務処理用プログラミングも選択科目として導入したい。こちらは簡易データベース言語であるACCESSがいい。業務用サーバから必要なデータを抜き出して、ユーザー側で加工するというニーズは大きい。

 わたしは1978年9月に産業用エレクトロニクス輸入商社へ中途採用で就職して経営管理と経営改善を任され、経営データを分析する時間を短縮するためにプログラム機能付きの科学技術計算機HP-67とHP-97を使ってプログラミングを覚えた。経営分析には統計計算が必要で、HP-67は数値処理に優れておりニーズにあっていた。電卓でやると一日中電卓をたたいていないといけないが、HP-67だとデータを入力してしまえば、あとは自作したプログラムを走らせたら5分ほどですべての計算が終わってしまう。なにより計算ミスの心配がない。計算過程のチェックが不要となり、チェックは入力したデータだけでよくなった。さまざまなデータを組み合わせて線形回帰分析をしたがこちらはパッケージソフトがあり、データ入力しただけで必要な基本統計量が自動的に算出される。このマシンがなければ、25項目、5つのディメンションをもったレーダーチャートを1979年の時点で開発できなかっただろう。総合偏差値も計算できたから、どのような会社にしたいのか、総合偏差値と、それを5つのディメンションと25項目に分解することで経営の目標管理が容易になった。予算実績管理システムや円定価システム、受注残・納期管理システムと連動して劇的な経営改善が進んだ。
 中途入社1か月目くらい、10月だったと思う、米国出張から戻ったS社長からHP-67(11万円)を渡された。1cm×8cmくらいの磁気カードにデータとプログラムが保存できる優れもの、数値計算機能がたくさんあるから400ページほどの英文マニュアルが2冊あった。合計800ページを超えていたが、夢中でこれを3日で読みすぐに使い始めた、「習うより慣れろ」である。家に帰っても没頭しているから気がつくと朝になっている。三日間は毎日2時間ほどしか寝ていなかった。面白かったのである。
 12月初旬にはプリンタ付きのHP-97を渡された。これは当時22万円もする科学技術用計算機だった。機能は同じだが、プリンタでプログラムやデータの出力ができる。プログラムチェックもデータチェックもずっと楽になった。画面上でやるよりも感熱紙に出力したものでやるとずっと楽、S社長の配慮がありがたかった。経営改善のための5つの員会の委員を委嘱されていたが、どの委員会も実務をやるのはebisuのみ、委員は役員と部長そして課長職は改善テーマに関係のある二人のみ、仕事量は多かったが、次々に必要なプログラミングやシステム化をして実務を変えて省力化し、空いた時間で新たなテーマを設定して仕事をした。
 二番目のプログラミング言語は、会社にあった三菱電機のオフコン用の言語 COOLである。ダイレクトアドレッシングのきわめて原始的な言語だったが理解しやすい。アッセンブラに似たプログラミング言語だった。1ラインが12ケタの数値、オペコードが3桁、オペランドが3桁×3個で構成されていた。事務系の言語だから数値の数学的な処理には向いていない。三日間の講習がすむと、業務上必要なプログラムを10本ほど作った。HP-67で50本ほどもプログラミングをやっていたから他言語を理解するのは簡単で、それぞれの機能の特徴も使ってみながら比較するとよくわかった。半年ほど後でコンパイラー言語 ProgressⅡの三日間の講習を受講した。これもマシンが会社にあったのですぐにプログラミングしてみた。Stractured COBOL は本を読んで独習した。
 並行して、システム開発関係の専門書を30冊ほど5年間かけて読み漁ったのでスキルは上がった。オービックの担当SEが優秀だったから、輸入業務と利益管理の連動システムを二つ開発し、一緒に仕事しながら彼から技術を盗んだ。S沢さんはのちにオービック開発担当取締役になっていた。統合システム開発のときには日本電気情報サービスのNo.1SEであるT島さんが担当となった。三菱のオフコンから日本電気の汎用小型機へ変更するにあたって、No.1 SEを担当させることがS社長の出した条件だった。1983年の時点で輸入商社で統合システムを開発している会社は国内には存在しなかったから、最先端の仕事だった。このSEは外部設計と実務設計を全部わたしに任せ、自分は内部設計と割り切っていたようだ。日能方式の事務フロー図で統合システムの実務設計をし、出力帳票類の外部設計も全部やった。T島SEの要求は水準の高いものだった。厳しい条件で仕事をすればスキルは大幅にアップする。学校で学ぶのとはケタが違う。
  臨床検査会社のSRLへ転職してすぐ東証2部上場用の統合システム開発を担当した。1984年当時富士通製の国内最大規模の汎用大型機を使って統合システムを開発することになった。臨床検査が絡んでおり、日量10万テスト・データだったから、データ量が大きかったのである。検査データは原価計算や購買在庫管理システム、売上債権管理システムにつながっている。
 輸入商社で統合システム開発をしていたから、臨床検査業の統合システム開発も問題はなかった。必要な技術はすべてそろっていたのである。米国で先端の会計情報システムがどうなっているのか知りたくて、専門書を探したら、あった。翻訳が出ていないので600ページの大著'Accounting Information Systems  Theory and Practice' Written by Fredirick H. Wuを原書で読んだ。管理会計学とシステムの複合分野の本であるが、今日に至るまで、この手の専門書は翻訳されていない。両方の分野を理解できる学者がいないからだろう。
 先端でシステム開発をすると英語で書かれた専門書を読まなければ仕事にならない。担当した会計情報システムは2か月の並行ランを含み8か月でシステム開発を終了し本稼働。実務設計と外部設計仕様書を書くのに1か月、原価計算システム、購買在庫管理システム、売上債権管理システムとのインタフェイス設計仕様書を書くのに1週間。すぐに暇になったので、固定資産管理システムの作り直しも並行してやった。これには検査管理部のO形とH間の二人と購買課のF田さんが協力してくれた。3日かけて八王子ラボの固定資産をひとつ残らず実地棚卸して、問題点を整理して、3階層構造の機器分類コードを設定した。同じ種類の機器であるにもかかわらず、固定資産台帳担当者が検査機器の知識がないために、さまざまな名称が付される、あるいは誤表記されるということが起きていた。たとえば、「腐乱機、フランキー、恒温槽、孵卵器」という具合に。
 経理担当役員のI本さんから、予算の減価償却費が1億円以上過少になるので、精度アップを頼まれていた。「1千万円以内ならOKですか?」と訊くと了解してくれた。利益が1億円もずれるようでは上場審査場問題になるということだった。これも投資案件予算データを入力することで解決した。投資案件についても申請の仕方も含めて予算精度をあげる必要があったから、実務設計をしなければならない。全社予算管理にかかわるので、部門別にデータを収集してそれを整理して入力しなければならない。固定資産分類コードが実地棚卸やシステム構築のカギだった。
  ところで、この固定資産分類コードは思わぬ副産物をもたらした。分類コード昇順にソートして出力すると、資産コード順にどの部署にいくつ同じ機器があるかがわかった。たとえば、マイナス80度の冷凍庫がラボ内にいくつあるのか分類コード順リストを見ればすぐにわかった。三階層の分類コードだったから、冷凍庫は温度帯ごとに細分類されていた。マイナス20以上、~マイナス40度、~マイナス60度、~マイナス80度、マイナス80度以下。蛋白質が変性しないのはマイナス80度だから、ラボに一番多いのは血液を出し入れしやすいマイナス80度の縦型の冷凍庫だった。固定資産分類コードを設定することで正確な台数が初めて把握できたのである。いまは倍以上に増えているだろうから、百台を超えているかもしれない。一番温度の低いのは研究部にあった横置き型のマイナス150度の冷凍庫だった。こういう超低温になると冷媒が問題で、当時国内では日立だけだったように記憶している。
  入社したのが1984年2月1日、この年に練馬の子会社SRL東京ラボで東レ富士バイオの取締役とCA19-9の翌年の納入価格交渉をしたことがあった。CA19-9はいまでも使われている腫瘍マーカーで、超大型新規導入項目だった。東レ富士バイオは親会社の製薬メーカの子会社だから、上場準備中のSRLは合理的な価格算定をして輸入試薬のCA19-9の取引価格を決めなければならなかった。入社数か月のわたしにその仕事が任されたLは面白い会社で仕事はできるものに任せる会社だった。ふつうは上場準備で中途入社した社員に年間十億円ほどにもなる検査試薬の価格交渉権限を与えるはずはないのだが、経理担当取締役のI本さんは経理課長を無視してわたしに「まかせるから、相手は東レ富士バイオの〇〇取締役だ、電話で連絡しておくから来年の仕入価格を決めて報告してくれ」とげたを預けた。練馬の子会社ラボに出向いた折に、ミニコンDEC(1台3000万円)を2台導入したが、親会社のシステム部門がシステム開発に失敗し、使っていないことがわかった。この年に固定資産の管理体制をちゃんとしたものにするためにSRLの全資産を固定資産棚卸台帳と突き合わせた。親会社側の資産だったから、子会社に設置してあったDECのミニコンも仕事上の権限で現物を確認していた。わたしはそれまでUNIXマシンを使ったことがなかったので好奇心から経理担当役員へ使用許可を願い出たが許可が下りなかった。1984年のことだった。システム部門が扱いきれなかったUNIXマシンを当時財務部経理課に所属して、システム開発と全社予算編成・管理担当だったわたしが使用するのは権限上無理があるのは承知していたが、使っていないのだからUNIXマシンでどの程度のことができるか試してみたかった。システム部門が扱えないマシンを管理部門のわたしが使いこなすとシステム部門の顔をつぶすことになる。組織とはときに便利、ときに不自由で面倒なものなのである。
  なぜUNIXマシンを使いたかったかというと、HP-67で開発したレーダチャートと総合偏差値を、原価計算や予算システムと連動させて強力な利益管理システムへと化けさせてみたかった。SRLには明確な価格政策がなかったし、新規導入項目の原価計算も現場の担当者が鉛筆をなめなめ試算し、価格設定するというものだった。今でもそうかもしれない。新規導入項目の受注推計をマトリックスでパターン化してやるつもりだった。月別の受注推計と原価推計をUNIXマシンで統計学を駆使してやってみたかった。自分でデータをいじれば、合理的なシステムが見えてくるものだ。それには科学技術計算に強いプログラミング言語で走るミニコンが必要だった。自分で使って試行錯誤してどの程度のことができるか確認したかった。1984年の時点で汎用大型機とミニコンの併用による統合利益管理システムを構想していた。原価計算システムを作り直す機会があればやるつもりだったが、そのチャンスが一度訪れたが、ある出来事があり自分のほうから捨てた。学問的には原価計算の概念を価格政策と連動させて統計学的な根拠をもつ利益管理へと変える大胆な試みだった。日本の原価計算学は30年以上前に時代遅れになっていたのである。
(わたしは高校生の頃から原価計算が大好きだった。だから大御所である番場嘉一郎そして岡本清量先生の『原価計算』をそれぞれ読んだことがある。もちろん、ほかの先生の本も数冊読んだし、SRLで仕事を通じて原価計算システムについても熟知していたから、公認会計士レベルの専門知識はある。)

  産業用エレクトロニクス輸入商社のセキテクノトロンでやった円定価システムがヒントになっていたのだろう。商品ライン別に売上粗利益のコントロールをやった。わたしが知る限りで最優秀営業課長のE藤さんのアイデアだった。セキテクノトロンの営業マンは全員が理系大卒だった。取扱商品が世界の最先端の産業用エレクトロニクス製品だった。様々なマイクロ波計測器、水素メーザやルビジウム時間周波数標準機のオシロクォーツ、質量分析器のフィニガンマット、液体シンチレーションカウンター、最終ユーザ防衛庁の軍事関係エレクトロニクス製品などなど、欧米50社の総代理店をしていた。東北大学の助教授を講師に社内講習会が毎月開催されていたし、新商品説明会も毎月のように開かれていた。これらすべてに出席して五年間勉強させてもらった。輸入先であるメーカ50社からはエンジニアが派遣されて営業マンに新製品説明をしていた。文系出身のわたしには絶好の勉強の機会だった。機器制御系やデータ処理系に適した科学技術計算用パソコンがそれぞれに機器に搭載されていたから、コンピュータを中心に理解することで、商品知識を充実させていった。ディテクターの種類と、ディテクトする周波数域が異なるだけで、理化学測定器はどれも似たような構成だった。ディテクター、機器制御とデータ処理部のコンピュータ、インターフェイスの3つの部分に分けられる。そういう知識があったから、SRLで八王子ラボの検査機器を全点棚卸したときは好奇心の塊だった。検査機器はインターフェイスが著しく遅れていた。1984年当時双方向インターフェイス、GPIBを持ったものは一つもなかった。マイクロ波計測器の世界では、GPIBが標準インターフェイスだった。

  長々と書いたが結論である。プログラミングは日本語の読解力と数学と英語ができれば、いつでもスキルを身に着けることができるもの。この三つがそろえば、時代の先端の専門知識を独力で学べる。小学校でプログラミング授業をやるのは時間の無駄、高校では理系の学生に数学の選択科目でプログラミングを教えておいたほうがいい。
 本気で経済成長を考えるなら、数学と工学とコンピュータサイエンスに特化したカーネギーメロン大学のような国立大学が一つできてもいいのではないか?


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*HP35s scientific Calculator: 仕様の概要解説あり
http://www8.hp.com/jp/ja/products/calculators/product-detail.html?oid=3442988



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