So-net無料ブログ作成
検索選択

#3570 中標津町立病院は年間15.2億円の赤字: 根室は? July 22, 2017 [市立根室病院経営改革メモ]

<更新情報>
7/23 朝8時25分 <余談-1:地域医療とebisuの人材育成>へ追記
7/24 朝8時35分 <余談-2:「読み・書き・そろばん」>へ追記
7/26 朝8時30分 <余談-1>へ「日本的情緒がこころのセンター」を追記
7/27 朝8時10分 <余談-2>へ追記 「構造化数値シミュ
レーション」

  北海道新聞7月22日の根室地域版にお隣の中標津町の町立病院赤字問題が載っていた。
  中標津支局の古谷記者さん、地域医療の現実問題とそれに真正面から取り組む中標津町民を取材したいい記事だね。よい比較材料だから、根室支局の記者さんも市立根室病院の経営問題をとりあげてもらいたい。継続して両方の支局でとりあげ、シリーズ記事になれば中標津町民にも根室市民にも、そして両方の公立病院経営改善にも役に立ちそうだ。
  地域医療がどうなるかは町の未来にとって大きな問題である、関心を失ってはならない。

=============================
  町立病院 利用実態把握へ
    中標津 町民アンケートを実施
      町議会特別委 運営委員と懇談

【中標津】町立中標津病院の財務改善や医療スタッフの安定的確保に向けた調査を行う、「病院の近未来を検討する特別委員会」(鈴木克弘委員長、7人)は21日、町役場で第4回の会合を開き、町の諮問に基づき病院経営に提言する町民らでつくる運営委員会のメンバーと懇談した。
 同病院の経営は厳しく、2016年度には町の一般会計から15億2856万円を繰り入れている。鈴木委員長は6月に西村譲町長や丁子清院長と懇談し、常勤医の不足や病床利用率の低迷など同病院が現在抱える課題を確認したと報告。運営委員会の実施状況などの聞き取りを行った。
 運営委員からは「チェック機関である議会が経営改善に向け、厳しい目を向けることが必要」「病院の悪口をいうだけでなく、問題意識を共有することが大切」との意見が出た。鈴木委員長は「解決には時間がかかる」運営委員会を後押ししながら、町民間に病院を応援するという機運を高めていきたい」と述べた。
 特別委員会では、同病院の利用実態や要望を把握するため、町民向けにアンケートを実施する。アンケート用紙は町内会や商工会、農協などを通じ、随時配布される。8月中に集約し、実態把握や改善策の検討に役立てる。(古谷育世)
=============================

  市立根室病院は建て替え後、年間17億円前後の赤字が出続けているから、毎年一般会計から赤字相当額を繰り入れて補填している。9月に市議選が行われるが、18名の現市議の一人(共産党)が引退、新人一人が立候補の予定だという。このままだと全員無投票当選になる。根室の停滞を打ち破る意志と気力のある若い人が3名ほど立候補してくれたらありがたい。
  求職活動中の若者も市議立候補を考えてみたらいかが?


<余談-1:地域医療とebisuの人材育成>
  病院問題をとりあげることがめっきり減ったので、コメント欄で読者の一人から数か月前にお叱りをいただいた。もっともだと思うが、すこし弁解をしておきたい。
  ebisuはふるさとのためにいまできることをやろうと思っている。年間5億円程度の赤字縮小なら、必要な権限があれば可能だったかもしれない。10年で50億円だから長期的に考えれば少なくない。4種類の業種5社の経営改善を経験しているが、その都度やり方が違っていた。現場に入って見れば何をどうすれば経営改善ができるのか自然に具体策が見えくる。仕組みややり方を変えることで赤字会社を高収益会社にできたケースがほとんど。赤字会社は赤字になるような仕組みややり方で仕事をしている。ようするに経営のやり方がまずいのである。ダメな会社に共通するのは具体的なビジョンのないこと。そしてビジョンを実現できる複数の分野に専門知識をもつ仕事人がいないこと。結果を出すのに三年以上かかったことはないから、機会があれば協力しようかと思ったこともあったが、こういう仕事はもう体力的に無理、時間切れである。だから、病院経営問題への興味が薄れそして発言が減った。問題を指摘するときは、その解決の具体策も同時に考えることにしている。故郷に戻って15年目、齢を重ねることで守備範囲が狭くなった、みったくないから無理はしない。
  現在の仕事は塾稼業、地域医療に関しては看護専門学校や薬学部、医学部進学希望の生徒を育てることで故郷における自分の役割を果たすことができたら幸せと考えるようになった。
  安定した収入が得られるから看護専門学校志望の生徒は途切れることがない。看護専門学校へ奨学金制度(根室市条例)の充実(月額10万円×36か月)のお陰で、看護学校への進学を薦めやすくなった。根室高校から看護専門学校へ進学する生徒は毎年15名ほどに増え、そのうちの1-3割は戻ってくるだろうから、市立根室病院は正看護師の不足に悩むことがなくなった。
  運のよいことに、医学部進学希望の生徒を三年半前(2014年1月4日)から指導している。中3の現在も学力は順調に伸びており、最近の定期テストでは五科目合計点493点をとった。初体験だった四月の300点満点の学力テストは270点に少し足りなかったがこんなもので十分だ。難易度の低い北海道の学力テストでこれ以上点数を上げる必要を感じない。学年一番にこだわるなと言い続けてきたが、本人はどうしても気になる様子で、中学校の定期テストと学力テストはずっと学年1位を続けている。田舎の中学校で学年トップをとることにさしたる意味はなく、最難関大学医学部受験に焦点を絞って勉強させたいのだが、頑固な生徒でebisu先生は手こずっている。(笑)  わたしは首都圏での自分の経験と最適と思う教育戦略にもとづいて指導するが、指導を受ける側の生徒にも自分の考えや意地がある。そういうわけでぶつかるのは仕方がない。摩擦を起こしながらその都度折り合いをつけている。
  国立難関大医学部への進学には小4から勉強をスタートするのが標準的教育戦略である。そういうスケジュールから見るとこの生徒はスタートが2年遅れた。しかし、頑張って遅れを取り戻しつつある。
  現在、数学はセンターレベルの数1問題集をやっており、首都圏の中高一貫進学校とほぼ同じ進捗状況だろう。高校2年生で数Ⅲを終了するスケジュールだ。まだずいぶん先のことだが、高校最後の1年間は難関大学受験用の問題集や視野を広げるためにそれをすこし超える大学教養レベルのテクストで好奇心のままに学習したらいい。
  英語は高校受験用の問題集を夏休み中に終了する予定で、そのあと高校教科書3年分を9-12か月で消化する。並行して中級レベルの英文法問題集「Grammar In Use」をやらせるつもり。そのあとは、ジャパンタイムズの面白そうな記事を選んで一緒に読むことになる。量をこなさなければ読めるようにならない。
 日本語音読トレーニングは13冊目で、レベルを上げて福沢諭吉『福翁自伝』を使用している。それが終われば和辻哲郎『古寺巡礼』『風土』、哲学書である西田幾多郎『善の研究』を読むことになる。中学生全員が対象だったが、自分が中高生ならこういう授業をしてほしいというところに焦点を合わせてやる補習授業に2年前に切り替えた。ところで、この生徒の弱点は、文学作品や短歌や俳句を読んでも、言葉から情景が浮かんでこないことである。こころのセンターには情緒があるが、この生徒の心のセンターには日本的情緒が希薄に見える。どういうことかというと、「古池や カワズ飛び込む 水の音」「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮」という句を読んでも、「それがどうしたの?」となる。こころのセンターに日本的情緒が希薄になっている生徒が増えているように感じる。こういうタイプは、文学作品や短歌、俳句を読んでもこころの琴線に触れるものがないので感動も好奇心も生じない、したがってこういう作品を読んで楽しむということがない。古典講読が弱点になるので、ほうっておいたらセンター試験の国語で90%超の得点は無理、なんらかの対策が必要となる。いまのところ打つ手が見つからぬ。読ませてもつまらないし、問題集を解かせても苦痛になるだけ。「子曰く、これを知る者はこれを好むものに如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』 子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者)。国数英、三科目すべからくこのようにありたいものだ、さて、どうしたものか?
(日本人のこころのセンターに日本的情緒があることは藤原正彦『国家の品格』の「第四章 情緒と形の国、日本」「第六章 なぜ情緒と形が大切なのか」や大数学者である岡潔先生の著作を参照。数学研究の鍵も日本的情緒にあり、同感。)
  読書速度を2倍、読解力を2倍に引き上げることができれば、標準的な受験生の1/4の時間で半分くらいの科目が学習可能になる。だから音読トレーニングで学力全般が上がらないはずがない、当たり前のことをやっている。
 来年高1になって7月の進研模試で国・数・英の三科目でそれぞれ80%超が当面の目標だ。それをクリアできれば、3年次にはセンターレベルの難易度なら三科目とも90%を超えるだろう。
  最難関の大学医学部へ60%程度の合格率までもっていけたら、どこを受験するかは当人次第。根室の医療の三十年後は、優秀な生徒たちをいまどのように教育するかで大きな部分が決まるのではないか。
  20年後にどのような構想で地域医療の充実に挑むかも、授業の合間にwhat if question で伝授できたら面白い。この生徒が根室やその周辺の地域医療を変える大きな構想を温めていたら実現できるチャンスがいつの日か訪れる。地域医療の未来にいままでにはなかった選択肢を20年後に一つ残すためには…わたしが故郷でこの数年のうちにやっておくべきことが見えてきた。

  自分が納得のできる仕事をすること、誇りのもてる仕事をすること、生き甲斐をもって仕事に取り組むこと、仕事の手を抜かぬこと、それがプロではないか。そこへ日々近づけたら嬉しいが、理想と現実に大きな距離を感じながらの精進。最近は体力の衰えから脳のスタミナが短時間で切れ、限界を感じている。齢をかさねるとどこかで体力の範囲内で勝負せざるをえなくなる。

<余談-2: 「読み・書き・そろばん」>
  最近2か月間に学習意欲の高い中学生が3人入塾した、どれほど化けるか楽しみだ。6月に入塾した二人は期末テストで苦手だった数学で実績を上げ、数学に自信がついたようす。よかったね。
 先週入塾した生徒はスタミナがありそうだ。12月に入塾した珠算3段の中2の生徒と『語彙力こそが教養である』をテクストに隔週の音読トレーニング授業を受けている。これは1時間半ノンストップだからかなりきつい、気持的には気が抜けないから「格闘技」である。並行して毎週20分ほど『福翁自伝』の音読トレーニングにも参加している。
 基礎学力を上げるにはこのように迂回したほうがいい。「読み・書き・そろばん」の「読み」のスキルを上げるには音読トレーニングの効果が高い。音読スキルがアップすると国語と社会科の点数がはっきり上がる。読書スキルとこれらの間に何か因果関係があるのだろう。
  計算スキルは「読み・書き・そろばん」だから、文字通りそろばんが一番効果が高い。根室高校から東大現役合格を初めて果たしたY田さんは高校時代に商工会議所珠算能力検定1級に合格している。Y田さんのお父さんは根室支庁長から根室市長となった人である。
  ebisuも高校時代に日商珠算能力検定1級に合格しているから、計算は抜群に速いし、数字のセンスもよいほうだ。高校2年の時には半分の時間で合格点をとれた。小学生にはそろばんを習わせたらよい。日商珠算能力検定1級の問題を半分の時間でやれたらおそらく全珠連3段相当だろう。ebisuよりも5歳年下の女の子たちは数人全珠連5段がでている。根室の珠算は曙町の高橋珠算塾塾長が全道トップレベルに育て上げた。わたしはその塾で2番目の日商1級合格者であった。社会人になってから経営管理で暗算スキルがたいへん役に立った。What-if Questionで3ケタの概数で経営シミュレーションを暇ができると頭のなかで頻繁に繰り返していた。数字が関連をもって頭のなかに配置され、どこかの数字が動けば関連する数字を書き換えていく、暗算だからいつでもどこでもできる。あるていどまとまると、紙やホワイトボードに書きだしてKJ法方式で相互の関連を確認した。頭のなかをホワイトボードに書きだし、対象化することであらためて気がつくこともある。ここまでやっておけば、具体的な実行プランを PERT chart に展開できる。システム化に伴う実務設計もそれによって浮く人員の使い方も、新規事業に必要な投資や人員の手配もこうして日常的に頭のなかで繰り返される構造化数値シミュレーションに支えられていた。
こうした数値の構造化は事業部単位や部門単位の予算編成管理を20代のころから責任者として経験させてもらったことやKJ法や PERT chart に習熟したために起きた干渉現象だったのかもしれない。ある程度の規模の会社の予算編成は「全社⇒事業部門⇒部門⇒課・営業所」などの組織構造を反映して構造化されているので、予算編成、予算管理、月次経営分析、四半期経営分析、半期経営分析、年次経営分析、5年間年次経営分析、長期計画などの実務を担当することで、自然にそうした思考パターンができあがっていったように思える。産業用・軍事用エレクトロニクス輸入商社のセキテクノトロンでさまざまな管理手法を開発した。25ゲージ、5つのディメンションで構成された経営分析レーダ・チャートは1979年にHP97とHP67を利用して開発した。25項目の経営分析指標をベースに総合偏差値を計算して経営評価のできるシステムである。この経営分析システムはSRLでは1991年に子会社経営管理に役に立った。79年に開発したシステムをEXCELに乗せ換えたのである。これでレーダ・チャートを手描きする必要がなくなった。各社の経営総合評価が総合偏差値で可能であり、それを5つのディメンションと25項目に分解できるから、目標管理にも使えた。SRLは1984年に中途入社早々から上場準備の統合システム開発と全社予算編成・管理を任せてくれた。仕事があってこそスキルや能力が伸びる。異質な仕事を同時にやるのが能力開発に効果的だったように思える。
  こうした仕事のスタートは根室高校の部活予算編成と部長や副部長を呼んでやった予算折衝だった。当時の生徒会会計は予算編成と帳簿の記帳、決算実務を一人で担当していた。2年生の秋に次年度の予算編成作業がはじまる。交渉相手は1年先輩の各部の部長と副部長、よいトレーニングになった。その延長上に数十億円規模や数百億円規模の企業の予算編成・管理実務があった。規模が違ってもわたしには同じに見えたから、仕事を任されるたびに古巣へ戻ってきた気がした。産業用エレクトロニクス輸入商社統合システム開発と並行して予算編成管理・経営分析をしていた期間が5年、SRLでは最初の2年間やはり上場準備の統合システム開発と並行して任された仕事である。20代、30代はいくらでも仕事ができる。やり方を変えればルーチンワークの仕事量は業務によっては1/100、全体で見ても1/3以下にできるものというのがわたしの実感である。だから、仕事で「忙しい」と言ったことはたぶんない。のめりこむので楽しい。のめりこめずにブツブツ不満をつぶやいたり言い訳に終始する人が気の毒だった。
  年商1000億円の会社なら億円単位でのコントロールでしっかりした経営管理ができる。事業部別や部門別予算管理も3ケタの精度で必要にして十分である。年商100億円なら1千万円単位でOK、年商10億円なら百万単位のシミュレーションで経営管理ができる。上場会社の経営管理はおおむねそれくらいの精度でなされている。


     70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村


<最近音読トレーニングで読んだ本3冊>

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/20
  • メディア: 新書
日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす

日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2016/03/01
  • メディア: 単行本
語彙力こそが教養である (角川新書)

語彙力こそが教養である (角川新書)

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2015/12/10
  • メディア: 新書
  音読授業ではとりあげなかったが、『国家の品格』を読み終わった後に、『世にも美しい数学入門』をあげた。好奇心をくすぐる良書であるから、数学が好きな生徒諸君にぜひ読んでもらいたい。

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/04/06
  • メディア: 新書
  大数学者岡潔先生の『春宵十話』は中学生にはちとむつかしいが、数学好きな生徒におススメします。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2014/05/24
  • メディア: 文庫



<これから音読トレーニングで読む予定の本>
  気が変わるかもしれません。
  最初の本だけ、音読トレーニング現在進行中。


新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

  • 作者: 福沢 諭吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/10
  • メディア: 文庫
古寺巡礼 (岩波文庫)

古寺巡礼 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/03/16
  • メディア: 文庫

この辺り(『風土』)から、たぶん普通のレベルの理系大学生の手に負えなくなります。ハイレベルな読解能力を必要とします。

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/05/16
  • メディア: 文庫

  これは哲学書ですから、西洋哲学の周辺知識が必要です。思考力や読解力を研ぎ澄ますトレーニング材料と思えばいい。

善の研究 (1979年) (岩波文庫)

善の研究 (1979年) (岩波文庫)

  • 作者: 西田 幾多郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/10
  • メディア: 文庫

#3569 散歩: 歩幅・速度の計測 July 22, 2017 [サイクリング]

  サイクリングで距離のわかっているコースを歩き、歩数をカウントして時間を測った。大股で歩くことを心掛けたら、片道1060m、時間11分、歩数1080であった。

  1060m÷1080歩=0.981m/歩    (98.1cm/歩)
  1060m÷11分=96.4m/分   (時速5.8km)

  54年前のある日、同級生のY岡と光洋中学校前から競争しながら歩いて帰った。開法寺まで14分だった、これが最高速でおおよそ分速140m、一人で歩いたらあんなに速くは歩けない。友達とはいいものだ。

  光洋中学校から開法寺までは当時3つの経路があった。

バス通りコース:コープサッポロ前を通り、花咲小学校手前の交差点を左折して市立病院前を通って開法寺へ出る道。
②成央小学校付近は牧場と松林だった。湿地に小川が流れており、その小川に沿って歩く道がついていた。車は入ってこれない。「ナカセン」と呼んでいた道である。坂を下るまで住宅はなかった。畑の横に肥溜めがあって、冬でもその上だけは真っ先に雪が融けていた。1mほどの深さの肥溜めは冬の厳寒のなかでも発酵して発熱するから上を覆っている雪はすぐに融ける。
③光洋中学校前の教員住宅の横を通って線路を横断するS字カーブの1車線の砂利道があった。そこから上がって現在のたこ焼き通りに出る。いまある跨線橋がなかったから、成央小学校前の道路は花咲街道から跨線橋手前までしかなかった。「シモセン」と名前がついていた。

  Y岡とよく競走したのは「ナカセン」である。走ったら負け、あいつは歩くのが速いのでいつもしんどい勝負だった(笑)。ほとんど同着かわたしが十数歩遅れた。半分が同着、半分はわたしの負けだっただろう。
  散歩しながら懐かしいシーンを思い出した。


  先々週は143kmサイクリングした。一月で600kmを超えたので疲れがたまった様子。この2週間は3度しか走っていない。2週間の走行距離をメモしておく。

 ロードバイク  29km (累計3037km)


<余談>
 用事があって、お昼ころに友人のY口のところまで行ってきた。先週だったか北大病院へ行ったとある人から聞いていたので、「その後順調か?」と訊いたら、にっこり笑って「順調だよ」と答える。メラノーマで手術をしたのはもう3年前だったか、「トシ、おれもトシと同じ、癌になっちまった」と聞いた時にはショックだった。ありがたくない「癌仲間」、そこまで俺につきあわなくてもいいのに。
  メラノーマは厄介な癌である。道内では北大病院だけがインターフェロン療法をしていたので、3か月に一度札幌まで行って、数日の入院治療をしているようだ。もうインターフェロンは終わったのかもしれない。お互いに相手の健康を確認して安心している。死に損なった同級生二人。(笑)
  どちらが先に逝くかは神のみぞ知る。それまでゆったりと、やるべきことをやり人生を楽しむ、ありがたい。


     70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

#3568 『プロ倫』対話(1) July 12, 2017 [『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』]

<更新情報>
7月18日午前11時 <3-S>追記 
7月22日午後11時 <5-E>追記


このところ根室も異常に暑い、今日の最高気温は13時25分28.2度、今夏最高気温を更新しました。一番遅い桜であるアッツ島の小ぶりの桜の花びらが2週間ほど前に散り、ハマナスが10cmほどの大輪をいくつもつけて強い香りを放っています。

  マイスター制度と1800年代後半の時代状況を踏まえて、後志のおじさんから興味ある仮説が提示されました。コメント欄からピックアップして後ほど紹介します。

 『プロテスタンティズムと資本主義の倫理』を取り上げて、それぞれの問題関心から対話をしていきます。後志のおじさんがドイツ語版も並行して読んでいるようですから、英語版を追加します。したがって、取り上げるテクストは以下の三つ。

 ①マックスウェーバー著/大塚久雄訳『プロテスタンティズムと資本主義の精神』岩波文庫
 ②Max Weber Die Protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus  2009 Anaconda Verlag GmbH
 ③Max Weber The Protestant ethic and the spirit of capitalism  Translatedby Talcltt Parsons with a forewordby R.H. Tawney  DoverPublications, INC.  

  読者の便宜のために引用文にはそれぞれのテクストのページ数をつけます。①は日本語訳、②はドイツ語原典、③は英訳です。重要な key words 以外は大塚久雄訳の文庫本で議論します。

仮説-1S
中世末期、プロテスタント成立前に、マイスター制度の元では一人前の業を身に付けるに至った「人材」の受け皿が社会的に存在せず、19世紀型の工業資本主義下での生産過程がそうした人材の受け皿になったに過ぎないのではないか?という、余りに大胆な仮説が思い浮かんでしまい…

*コメント欄からコピーした後、文章の修正や追記をしている場合は、次のようにプライム記号を付けます。 
         <2-E>' 。
 オリジナルはコメント欄にあるので必要に応じて参照してください。

#3535コメント欄からアップ
===============================
<1-S>
Weber を読む前に、前提であるマイスターを再確認しようと、阿部謹也先生の著作を読み返すなかで「中世を旅する人々」を改めて読んでみると昔は気づかなかったWeber の視点に関する仮説が思い浮かんでしまい苦慮しています。

阿部先生は、ご自分の著作の中でも折に触れて「更なる研究が必要」と書かれていますので著作の中の事例が全てではないとします。
が、中世末期、プロテスタント成立前に、マイスター制度の元では一人前の業を身に付けるに至った「人材」の受け皿が社会的に存在せず、19世紀型の工業資本主義下での生産過程がそうした人材の受け皿になったに過ぎないのではないか?という、余りに大胆な仮説が思い浮かんでしまい、身動きが取れなくなりました。

プロ倫ドイツ語版も入手しました。が、しばらくドイツ語から遠ざかっていたのでボロボロですね。「彼の人」が英語を読むレベルよりは遥かにましですが、スピードが全然無くなっています。

自分でもまとめきれないのでとらえどころのない文となりました。ebisu さんの研究の中に何か活かせるもの、或いはテーマの匂いがありましたら指摘して下さい。

泥沼に足を捕られている、そんな感触です。
by 後志のおじさん (2017-07-07 23:19) 
===============================
<2-E>'
史実としてどうであったかは、阿部謹也先生のような西洋経済史家に任せるほかありません。

工場長や幹部職員として、読み書きができて、なんらかの専門スキルがあり、そしてマネジメントのできる人材が工場経営に不可欠であることは『プロ倫』に書いてあります。
そういう人材は当時の経済社会ではマイスター制度でトレーニングを受けた者たちしか存在しなかったか、あるいは圧倒的にマイスター制度で育った者たちだったとうことではないでしょうか。わたしたちの議論はそこから出発していいのではないでしょうか。

親がマイスターなら、それを継承することができますが、多くはそうではなかった。独立起業するのはいまよりずっと困難だったでしょう。他のマイスターのもとで働かざるを得なかった。当然収入面では大きな期待ができません。
工場の幹部職員への採用は収入の面でマイスターとして独立するよりもずっと魅力的だったのでしょう。共同経営者への道も開けるのですから。この辺りも『プロ倫』に書いてありました。

19世紀の米国や日本の状況と比較すると面白いことになります。ドイツの特殊事情が浮かび上がります。それと対比することでたぶん米国の奴隷解放の役割と米国資本主義の特徴も。もちろん、国民の7割以上が「読み書きそろばん」能力のあった日本の特殊性も鮮明になります。

マルクスは熟練労働を捨象していますから、マイスターの理解はマルクス経済学を崩す一つのファクターです。
何らかの専門スキルをもち、マネジメントのできる人材なしには工場経営は不可能です。現実の経営という側面マルクスの視点からは抜け落ちています。
ウェーバーの魅力の一つはマイスター制度に光を当てていることです。

議論していくうちに、いろいろなものが見えてくることになるでしょう。

by ebisu (2017-07-08 09:54) 
===============================
<3-S>

歴史的背景を三回にわけて整理してから「プロ倫」そのものにかかりたい、と考えます。

「プロ倫」は、1920年。ドイツ統一1871年から50年足らず。職業倫理や生活規範を視るには余りに短い。

今回はドイツ、次に中世マイスター、三回目にプロイセンに関して、ざっと(高校世界史程度)確認しておきます。


15世紀までに、中世型の経済の成長頭打ちとなる。

15世紀末以降、大航海時代。財の流入。

1555年Augsburg 宗教和議
     「諸侯」に新旧の選択権。領民は領主の宗派。

1648年ウェストファリア条約
     ドイツ諸侯に完全な主権。→分立
     30年戦争により、人口激減。経済停滞。

18世紀プロイセン勢力を伸ばす。

1834年プロイセン中心のドイツ関税同盟
     プロイセンは既にライン川流域の工業地帯や資源の豊富なシュレジレンを領有。

※南部バイエルンやザクセンはオーストリアの勢力圏。

1866年普墺戦争
→プロイセン中心の北ドイツ連邦。ザクセンは加入。バイエルンはオーストリア勢力圏に留まる。

1870年普仏戦争

1871年 ドイツ帝国成立。

時間ができしだいpostingします。薪ストーブから一歩進み、かまどで炊事をするようにしたので、生活がスローながらやることたくさんとなっていますもので。

by 後志のおじさん (2017-07-17 14:18)
===============================
<4-E>

竈(かまど)をつくったのですか、火の神様が降りて家内安全を守ってくれます。
せっかくですから、少し脱線します。
阿部謹也先生の『中世の窓』に竈についての解説があります。

------------------------
 家の中心はいうまでもなく竈でした。ニュルンベルクでは15世紀には表面にタイルを張ったしゃれた竈が一般的になってゆきます。冬の寒さが厳しいヨーロッパでは竈が生活の中心になりましたから、近代にいたるまで竈を単位に家に課税していたのです。・・・
 竈は古来ゲルマン人の火の祭祀の場として重要な場でした。かつては家の外にしつらえてあったのが、都市では家の中におかれ、家長は竈の枠に手を触れながら家内の平和を宣言し、客を迎えたといわれています。一度おこした火は夜も灰のなかに埋めて翌朝まで消えないようにしましたから、竈は家のなかで最も神聖な場所でした。太古の昔には、竈とは地中にあけた穴のことであって、地の女神の秘所とみなされていました。このなかに火をおろし、地の男神の火の精子を燃えあがらせるのだといわれていたのです。・・・
------------------------
  同書28ページ

  いいタイミングで竈をしつらえましたね、長年の構想を実現したのでしょう。
  夢がかなうのはうれしいもの、そしてそういう話を聞くのも楽しい、よかったですね。

by ebisu (2017-07-18 12:19)
===============================
<5-E>

  朝4時ころに目覚めてNHKラジオを聞いていたら、NPO法人「三方よし研究所」の女性が近江商人の商道徳を解説していた。三方よしとは「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」である。売り手には生産者が含まれるが、株主や取締役はもとより、現場で働くものすべてが働くことが楽しく生き甲斐がなくてはならない。もちろん、下請け企業やそこで働く人々もそうである。
 そうしてみると、トヨタ看板方式とはずいぶんと日本の伝統的商道徳から外れたやりかたである。トヨタ本体が巨額の利益を上げて、下請けが青息吐息ではとても「売り手よし、買い手よし」とは言えぬ。村山工場を閉鎖売却して人員整理を断行した日産カルロスゴーンは毎年巨額の報酬を手にしているが、従業員は幸せだろうか?
  企業経営者はもっと小欲知足であるべきではないのか?
  日本では近江商人の商道徳に代表されるようなこうした商道徳が歴史の古い企業に家訓として連綿と受け継がれている。
  どこかでドイツと対比して論じてみたい。

*NPO法人「三方よし」研究所
http://www.sanpo-yoshi.net/study/idea.html

by ebisu (2017-07-22 23:26)
===============================

===============================


<ebisuメモ>
  章単位でやると百ページ以上になるので、よろしければ節単位か、節単位でも長すぎるときはそれを30ページぐらいに分割して議論したいと思います。

  仮説や重要な論点はebisuの判断でとりあえず附番していきます。全部を読み終えた後で、それらを整理して議論すると面白いものになりそうです。
  どのような興味を抱いて学生時代に『プロ倫』をお読みになったのか、そして現在の時点でどのような興味と関心を抱いて読むのか、わかりやすい対話になることを願っています。

  プロ倫はカテゴリーを設定してあるので、左側のカテゴリー欄にある『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をクリックすれば、アップ済みの弊ブログ#3488、#3489、#3491がつながって表示されます。


     70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村



プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

  • 作者: マックス ヴェーバー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/01/17
  • メディア: 文庫
Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

  • 作者: Max Weber
  • 出版社/メーカー: Anaconda Verlag
  • 発売日: 2009/03/31
  • メディア: ハードカバー
The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Economy Editions)

The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Economy Editions)

  • 作者: Max Weber
  • 出版社/メーカー: Dover Publications
  • 発売日: 2003/04/04
  • メディア: ペーパーバック

#3567 今週の走行距離は143㎞ July 9, 2017 [サイクリング]

  昨日は暑すぎて走らなかった。暑すぎといっても昨日の最高気温は25.6度、今日は25.7度なのだが、胃のない私は水分補給が追い付かなくなるので、こういう日はやめたほうが無難である。今日は気温が22度に下がった午後3時半から1時間走ってきた。

 このごろよく走るコースは、

  根室高校生徒玄関前スタート
⇒ [2600m]牧の内左折
⇒ [2300m]オホーツク海へ出て右折
⇒ [2600m]海岸通りを納沙布方向へ走り牧の内へ右折
⇒ [3400m]原野の中を走り右折(昔の女子マラソンコースの折り返し地点、通称「牧の内T字路」)
⇒ [5100m]根室高校生徒玄関前へ


  合計16kmのコースである。風が強い時は平均時速22.0km、無風に近い時は平均時速23.5㎞である。信号がないから軽快に走れる。とくにオホーツク海への2300mは半分が直線、残りも緩いカーブのくだりだから、平均時速40km、最大瞬間速度52kmでは冷たい風がうなり路面から強い振動が伝わって来て生きている実感がする。
  今日もそのコースを走ってきた。航空自衛隊分屯地もL字コースも一周したので合計23㎞である。

 今週の走行距離
  ロードバイク  139km  (累計 3008km)
  MTB                 4km  (累計 1242km)

  6/1から39日間の走行距離はロードバイクが580km、MTBが59km合計639km、2年分くらい走ったかな。上半身も筋肉量がすこし増えたようだ。
  赤いミラーレンズのスポーツ・サングラスをかけ、サイクルパンツで走っている。格好は若作りだが、中身はポンコツ間近の爺。自分の脚力で風を切って走れるうちが花。(笑)   

  サイクリングするなら、信号のない16kmコースのある根室がいいよ、何より涼しくていい。23時の気温は18.9度です、うらやましいでしょ。夜の気温はこれくらいが1年間の最高気温です。全国のサイクリング・ファンのみなさん、夏休みには1週間ほど根室へどうぞ。

(移住促進用住宅が格安で借りられるので、1か月休みの取れる人は根室市役所へ問い合わせて見たらいかが。根室暮らしは新鮮な魚(トキシラズ、紅鮭、サンマ、オヒョウ、マツカワ(鰈)、タラ、コマイ、チカ、カジカ)やカニやホタテやマツブやタコ、イカ、ウニも魅力です。
  歯舞産のオヒョウは刺身にしてもフライにしてもおいしい、癖のない湾中産の牡蠣も絶品。8月からはサンマが獲れだします。朝陸揚げされたサンマを昼食に焼いて食べるときのうまさと言ったら、たとえようもない。産地でしか味わえないでしょう。一生に一度の贅沢をしてはいかがですか。鮮魚店は古い順に並べると、「魚信(緑町)」「茂勝」(梅ヶ枝町)「海鮮市場」(駅前)の三店舗あります、ネットで注文できる店もあるようですから、どうぞごひいきに。)


      70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

#3566 中学校体育祭:生徒数204名 July 9, 2017 [根室の話題]

  根室の市街化地域の3中学校は今日が体育祭。例年は霧が出たり、冷たい北風が強かったりで、冬の防寒着か毛布を体に巻いて観戦する人が多い。今朝は7時から20.0度、今年3度目の記録だ。風がほとんどない、正午には23.8度、暑い暑い暑い、根室人にとってはとっても暑い、好天の体育祭となった。

  光洋中学校の体育祭を見てきた。市街化地域で一番生徒数が多いのが光洋中学校、その全校生徒数は204人である。団塊世代のわたしのときは10クラス550人いたから、全校生徒数は1500人。1/7のサイズに縮小。
*光洋中学校生徒数
http://www.gaccom.jp/schools-38714/students.html

 午後の最後のゲームは生徒たちとPTAの綱引きだった。PTの参加が少ないので女の先生がマイクで参加を何度も呼びかけ、ようやく勝負になりそうな人数が集まった。
  開始の号砲がなったが、綱の中心点は動かない。PTAのほうが波のように息が合いだしたが、それでも綱の中心点は動かない。
  1分ほどたっただろうか、終了の号砲が鳴った。正面テント横から見ていたが、どちらの勝ちかわからないほど接戦だった。判定の男の先生がマイクを握っていた女の先生の所へ駆け寄ってきて、マイクを受け取り、「生徒の勝ち」を宣した。

  いい勝負だった。

<余談>
  午前中に市営墓地までいって墓の掃除をしてきた。女房殿がしばらく留守なので昨日と今日の2日かけて一人で掃除、気持ちはすっきり。
  サイクリングは今週も100km超えた。昨日と今日は暑いのでちょっと休憩。6月から650㎞ほど走った。


        70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村 

#3565 監視社会は始まっているか : 前川元文部事務次官 July 6, 2017 [時事評論]

  前川元文部事務次官が「あったことをなかったことにはできない」と発言すると、読売新聞は彼が出会い系バーに通っていたことを「絶妙のタイミング」で報じた。情報源は内閣官房だと噂されている。では、内閣官房のどなただろう、そしてその出身は?
*<問われるメディア>マスコミが取り上げない恐るべき前川発言
http://lite.blogos.com/article/231863/?axis=&p=2

  ことは文部事務次官時代のことで、昨年12月に前川氏が杉田内閣官房副長官から注意を受けたことがわかっている。杉田氏の経歴を見ると平成6年に警察庁警備局長に就任している。公安警察のトップである。戦時中なら特高警察の親玉、そういう経歴の人が平成24年から内閣官房副長官である。
  前川氏が出会い系バーに通っていたことが公安警察からのリーク情報だったとしたら、怖い話である。時の政権と公安警察が結びつけば戦前・戦中の悪夢がよみがえる。
*杉田氏の経歴
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/meibo/daijin/sugita_kazuhiro.html

**警察庁警備局とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%82%99%E5%B1%80

  米国からNSCが使っている監視ソフト Xkeyscore が日本政府へ提供されていると、エドワード・スノーデン氏が公表した。簡単に紹介すると「治安警察用のグーグル」だという。メール、住所録、SNS閲覧記録、サイト閲覧記録…なんでもござれという具合。
*https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9tb3JpdGFrZXVlLzEwNDM1ODMxLmh0bWw-

  特定秘密保護法案、共謀罪と続けざまに治安警察用の強力なツールが整備された。内閣官房でこれらを進めているのは公安警察のトップであった杉田和博官房副長官であることは想像に難くない。ネットワークや監視ソフトの機能強化が進んでしまった現在では、特定秘密保護法案や共謀罪の機能は戦時中の治安維持法の比ではない。家族や親戚、友人・知人の中に監視対象者がいれば、あなたも自動的に監視対象にならざるを得ない。ブログやツィッターやFB、インスタグラムはいうに及ばす「いいね」をクリックした記事やネット通販での買い物、閲覧したサイトの記録、スマホをもって移動すれば移動記録など、発言内容と行動のすべてが記録され検索可能になる。

  警察につながっている監視カメラは道路のNシステムが代表例で4-5万台と言われているが、それらとは別にそれぞれの目的で町中に監視カメラがセットされている。コンビニ、駐車場、マンションののエントランス、駅、空港、公共施設・・・、すでに百万台以上の監視カメラが存在している。これらがインターネットにつながれるのも時間の問題である。利便性を追求すればそういうことになる。人工知能と画像認識ソフトを組み合わせることで、治安機関はリアルタイムで国民全員の行動を自動的にトレースできる。大事な要点はそれらが低コストで可能になることにもある。この分野では人工知能が絶大な役割を果たす。
  セコムのセキュリティシステムの契約者は自分の家内部に設置したカメラからの画像をインターネットを通じて随時見ることができる。ネットを通じて見ることができれば、それは Xkeyscore システムでも随時見ることができるし、治安機関は任意の画像情報をピックアップして保存可能ということ。家族が家に居るのか居ないのか、一目瞭然である。出かける前にセットするから、それらの記録も入手できる。いちいち裁判所の令状をとってやるだろうか?
  わたしは臨床検査会社SRLに勤務していた時に、帝人との合弁会社の経営を任されていたことがあるが、親会社の社長であるKさんへの重要な報告には e-mail を使わなかった。社内メール便を使い、封筒にいれて封緘して送っていた。なぜそうしたか?親会社のシステム管理部門の担当者が興味本位で読んでいることを知っていたからである。人間が管理する限り、こうしたことはいつでも起きるし、起きているだろう。仕事上で「管理者権限」をもつ担当者は必要だが、その担当者の心をコントロールすることはできない。好奇心をとめることはほとんど不可能。だからそれを前提にして動くしかない。

  いつ・どこで・誰が・何をしていたのか、画像認識技術と監視カメラ画像から容易に検索できれば、国民のプライバシーはなくなる。そういうことを意識して日常生活を送るのはたいへんなストレスである。ネットで何を検索し、いつどのサイトを閲覧したのか、いつ・誰にどのようなメールをだしたのか、あるいはSNSで「いいね」をクリックしたリストの一覧など、すべて検索可能になる。だから、「いいね」を押す前に監視の目を意識することになり、行動や発言が委縮する。監視する側は人手で検索するのではなく、人工知能が何かをキーにしてあらゆるビッグデータへ触手を伸ばして自動的に検索するようになるだろう。

  先々週だったか、キャノン社のさまざまなタイプの監視カメラと画像認識ソフトがNHKの特番で紹介されていた。ハンマーで叩いても破壊できないカメラが製品化されていた。機能強化と低価格化が進めば、監視カメラの設置台数はさらに急激に増大し、インターネットにつながれビッグデータとして蓄積されるようになる。
  幼児のころからのサイト閲覧データや物品の購入データ、行動データを人工知能が読み込むことで、思想や行動が高い精度で予測され、監視される。

  政府と強力な監視ツールとそれを合法化する法律で武装した警察が結びつくと、誰かが政府に都合の悪い発言をしようとしたら、あるいはしたら、その人のプライバシーを丸裸にして、脅すことができる。いやな世の中だね。

  わたしはそういう世界で暮らしたいとは思わない。
  わたしは30年後の世界の住人ではないが、このまま放置したらいまよりずっと息苦しい社会になっていると思わざるをえない。
  国家に治安機関は必要だからこそ、その在り方について広く議論して、数年をかけて国民の合意を形成すべきだ。急ぐ必要はない、ゆっくりでいい。

*際立つ前川氏の誠実さ(ブログ:オータムリーフの部屋)
http://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/b129634f87e1fe53ce2d777bac53c933


< 余談:一色(ひといろ)のリスク > 7月6日 朝6時半追記
  地下鉄でサリンをまいたオウム真理教の信者たちは理系出身者が多かった。オウム神仙の会というのができたころわたしもヨーガや瞑想法や呼吸法、健康法、意識構造などに興味があって、ヨーガや中国仙道房中術、医心方、に関する本やフロイトとフロイトの異端の弟子であるライヒの諸著作を読み漁っていた時期がある。
  1970年代のことだが、オウム真理教の教祖の麻原の出した本を渋谷の本屋で手にした時のことを鮮明に覚えている。いわゆる「空中浮遊」と称する写真が本のカバーになっていた。結跏趺坐して髪が上のほうへなびいていた。ふつうにみれば結跏趺坐して1mほどの台の上から飛び降りるところを写真に撮ればあのようなものになる。ああ、インチキだ、この程度のトリック写真でだまされる奴が何人いるのだろうとあきれてページをめくっただけでこの本は買わなかった。だが、実際にだまされた人はたくさん出た、それもまじめな理系大学生に多く出た。熱心な女信者たちは競って教祖に身を投げ出した。信者たちは教祖が指示するままに麻原彰晃の著作しか読まないようになっていった。こうして自己洗脳のサイクルが始まった。教祖の予言(ハルマゲドン)を実現するために、信者たちは富士山麓の上九一色村に大きな教団施設をつくって共同生活をはじめ、人殺しやサリンの製造に疑問をもたずに地下鉄サリン事件まで突き進むのである。オウム真理教の信者たちはブレーキのない暴走車のようだった。

  人はさまざまな価値観を若い時にインプットしたほうがいい。様々な価値観や生き方、生活を知るにはたくさんの人の話を聞くとか、さまざまな人が書いた本を読むしかない。そういう過程で、健全な思想的免疫システムが出来上がるのだろう。

 国家が一つの価値観のもとに思想統制をしたり、異論を排除するには警察権力を利用するのが手っ取り早いことは戦前・戦中の特別高等警察(いわゆる「特高」)や憲兵、そして治安維持法の果たした役割を見ればわかる。あらゆる出版物が検閲を受け、報道の自由はなくなる。コンピュータとネットワークはまもなく社会の隅々までいきわたり、すべてをその中に取り込んでしまう。そして人工知能が監視装置の頭脳の役割を果たす。この三十年間の発達をみれば、その性能は指数関数的に改善されて、人間の想像力の限界を超えてしまっている。人工知能を生み出した人類には、近未来に何が起きるかまったくわからないのである。
  これから起きることは戦前・戦中の比ではない、監視社会を招来してはならぬ。



        70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村 



1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1972/02
  • メディア: 文庫



  『幕末明治 女百話』には幕末明治の庶民の生活の一場面や風俗を女の目からとらえた話説が満載である。日本人が江戸の町で何を育んできたかいまではスッカリ失われてしまった。江戸情緒がよくわかる。「明示は遠くなりにけり、鴎外虚子もいまはなく…」、そう慨嘆したのは誰だったか。とにかく幕末明治はとっても興味深い、ぜひ暇つぶしに読んでみてほしい。
幕末明治 女百話 (上) (岩波文庫)

幕末明治 女百話 (上) (岩波文庫)

  • 作者: 篠田 鉱造
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/08/19
  • メディア: 文庫
幕末明治 女百話 (下) (岩波文庫)

幕末明治 女百話 (下) (岩波文庫)

  • 作者: 篠田 鉱造
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/09/16
  • メディア: 文庫



#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2, 2017 [北方領土]

更新情報
 7月4日夜 <余談-4>追記
 7月5日朝 <余談-5>追記

  7月2日13時から道立北方四島交流センターで標記講演会が行われた。これは北方領土遺産発掘・継承事業講演会として行われたものである。「語り部」は択捉島蘂取(しべとろ)村出身の山本昭平氏(89歳)。
  同名のノンフィクション(昭平さんの家に寄宿した軍医との心の交流が描かれた)小説が北海道新聞夕刊に連載中で、最新の6月30日が67回目、7月で連載が終了するという。ビザなし交流で同じ船に同乗したロシア語通訳の不破理恵さんが昭平さんの話を聞いて資料として残すべきだと思ったのが、この連載小説のきっかけである。最初の内は小説になるとは思わなかったそうだ。十年をかけて不破さんは埼玉県に住む昭平さんを訪ねて取材した。不破さんの話ではあの小説は昭平さんが話したままをテープ起こしを中心にして書き上げたという。本は不破さんの自費出版。
 昭平さんは記憶の良い人のようだがなにぶん古い昔のことなので、記憶の糸を手繰るのがたいへんだっただろう。本の出版に関しては次の弊ブログで取り上げた。
*#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-02-07 

  根室空襲前後の話から始まり、ソ連が進駐してきたときの実話、そして1947年7月にトッカリ湾から引揚げ船が出ていくときの状況までが話された。飼い犬が一頭海に飛び込むと、次々に6-7頭があとを追ったという。そのあたりの事情は十数年前にジャパンタイムズが山本昭平さんに取材した記事が載ったので、時事英語授業で使ったので覚えている。叔母に記事をあげたら、翻訳してほしいというのでWORDで作成したから、古いパソコンのどこかにあるだろう。

  講演会が終わった後で、運よく昭平さんがこちらのほうへ歩いて来てわたしの近くにいた人と話し終え、視線が合ったので一歩前へ出て、右手を差し出しながら「サダコの長男です、母に話を聞いていたのでお会いしたかった」と挨拶した。とてもびっくりしていた。そこへ11歳年上の叔母と岩田宏一氏(元花咲小学校長)が来た。叔母が岩田先生に「サダコお姉さんの長男」だと紹介してくれた、56年ぶりにお会いした。昭和20年は昭平さんは17歳、叔母は7歳である。岩田先生は友子叔母と同学年だったはずだから昭平さんと同じくらいだろうか。東京大空襲で大学は授業ができない状況だったので、昭平さんは大学進学をあきらめてエトロフ島へ帰るために根室で船の出港を待っていたのである。

  末っ子の叔母にとっては14歳離れたお姉さんがわたしの母「サダコお姉さん」であるが、岩田先生にとっても昭平さんとっても「お姉さん」のようなもの。
(ここでは血縁関係を正しく表すために「叔母」と書くが、一度も「おばさん」とは呼んだことがない。小学生のころから名前を冠して「○○お姉さん」と呼んでいたから、向こうも「おばさん」の意識は薄いだろう。)

  山本さんは択捉行きの船にお父さんと妹さんと三人で乗船した。制海権を奪われていたので船は夜中に出港するのが常になっていた。ところがその夜は軍の命令で出港を止められ、港を出て弁天島の横で停船していた。そこへ根室空襲が起きた。シュッという音でロケット弾が発射され十畳ほどの2等船室を直撃し、そこにいた十数人で生き残ったのは、昭平さんと妹の徳恵さんの二人だけ。その後バリバリとすごい轟音とともに船は機銃掃射を何度も受けた。周回してきて撃つから、どの方向から狙ってくるのか弾痕の入り口と出口から、方向と角度が計算できたという。機銃弾が防げるはずもないと思うが、畳を持ち上げて弾除けにしたという。助かってから見ると、船はマストを海上に残して沈んでいた。弁天島のすぐ近くだったから、浅かったのだろう。
  根室空襲は港を中心として扇形に焼夷弾を落とし、逃げ道をふさいでから、扇の中に取り残された住民を機銃掃射したり、焼夷弾を落として焼き払った。東京空襲と同じ方式である。日本全国の都市が米軍の空襲に見舞われたが、戦意をくじくために市民を多数殺すことを目的としていた。
  母はハッタリ方面、ホロムシリまで逃げたという。働いているところの息子の手を引いて「扇の外」へ逃げたのはなんの偶然だったのだろう。内側に逃げた人たちのほとんどが焼き殺された。母は何も持ち出せなかったそうだ。空襲の翌日に戻ってくるとけが人や黒焦げの死体だらけ。けが人を病院に運んだり、処理しきれないので弥生町の海岸までリヤカーに死体を積んで海に流すのを手伝ったという。出稼ぎの人たちも多かったので、死者数は判然としない。一説には五百人ともいう。小学生のころ弥生町の浜で遊ぶと小石や砂に交じって手の甲のような白い細い骨があった。大人になって母親から根室空襲の話を聞いてなるほどと思った。
 昭平さんと妹の徳恵さんは沈没する船からばらばらに脱出したが、船が弁天島のすぐ沖に停泊していたので助かったという。昭平さんは足を撃ち抜かれていることに、停泊していた別の船へ泳ぎ着くまでわからなかったという。大混乱の中では自分の足の大けがにすら気が付かない、戦争の現実だ。

  昭平さんの妹の徳恵さんが「さだちゃんがわたしの名前を呼ぶ声を聞いた」という。空襲の後の混乱の中でどこかですれ違ったようだ。

  軍医が蘂取村に着くと、寝泊りするところがないので、広い山本家へ寄宿の申し入れがあった。お父さんを空襲で亡くした昭平さんは17歳で家の主となっており、母親と弟と2人の姉妹だから軍医を迎え入れたほうが安全だと判断して受け入れたのだという。
  山本家というのは択捉島蘂取村の裕福な商家だった。季節ごとに東京三越や高島屋のカタログが来て、洋服などほしいものがあればそれで注文すると船便で品物が届く、戦争が始まってしばらくは砂糖にも不足したことがなかったという。択捉島は根室の三倍の漁があり、漁業権をもった漁師たちが裕福だったから、物の買い方も豪勢だった。
  昭平さんのお父さんは根室商業卒業ということを今回知った。昭平さんのおじいさんの長兄である山本忠令氏は黒田清隆の副官である。当時の村長や町長人事は北海道開拓庁で任命していた。昭平さんのおじいさんが根室町長に交渉事があって面会に出向いたときの面白い話があるが一度書いた。町長にけんもほろろに扱われたおじいさんはカンカンに怒りそのまま札幌まで汽車でいった。戻ってきたときには町長へ開拓庁から電報が届いており、助役など町役場の幹部が駅の改札口に並んで出迎えたという。お袋が昭平さんのおじいさんから直接聞いた話だ。あの時代は町長は公選ではないから北海道開拓庁の意向次第で首が飛ぶ。

  山本家には蓄音機があったしラジオもあった。お父さんの勝四郎さんは写真が好きで、蛇腹の旧式のカメラで撮った写真が残されている。ピントも現像もしっかりしている、腕はプロ。写真には「k.Yamamoto」と刻印してあるので、誰が撮影したかわかる珍しいもの。わたしも高校時代、現像道具一式を持っていたのでモノクロ写真の引き伸ばし経験があるが、昭平さんのお父さんの残した写真はプロの技術だということがよくわかる。道具一式をもって現像液や定着液や印画紙を手に入れて写真を残しているころからも、文化的な水準の高さと裕福さがわかる。エトロフ島に不時着したリンドバーグ夫妻の写真や報知新聞が講演した太平洋横断飛行機(1931年)の写真もあった。エンジンの不調で紗那に降りたのでその時に撮った写真だ。そういうわけで山本家は択捉島蘂取村でも特別の存在だったようだ。
 (トッカリ湾から船に乗った後、樺太へ送られて、そこでしばらく足止めを食らう。そこでずいぶん悲惨な話がある。昭平さんの弟や引揚げ者数名の方がビデオで述べている。千島歯舞居住者連盟のホームページを検索すれば何人もの人の証言を聞くことができる。)

  択捉は根室の三倍の漁があったので、出稼ぎ漁師の間では「宝島」と形容されていた。戦前のエトロフ漁業はとっても豊かだったのである。
  ソ連進駐後の生活はソ連軍のドクターが居候していた山本家と他の蘂取村民とは生活実感にだいぶ隔たりがあるようだ。昭平さんは、根室商業ではなくて、大学進学のために旭川の旧制中学へ進学していた。現在の旭川東高校である。

  お袋から何度も話を聞いていたので、昭平さんには一度会いたいと思っていたが、今回それがかなってうれしい。叔母が昭平さんを入れて四人で写真を撮ろうというので撮ってもらった。叔母は新聞社の人に撮影をお願いした。北方領土返還運動関係で知っている人なのだろう。
 叔母はこの数年ロシア語の勉強に余念がない。近々また国後島と択捉島に行きロシア語で交流するという。アニメになった「ジョバンニの島」の得能さんや軍医との心の交流があった昭平さん、こういう話がいまの日本の北方領土政策にとって都合がいいのだろう。
  実際の当時の住民感情の代表例とは言えないかもしれない。連盟ホームページにある引揚げ者の証言ビデオを見たらもっともっと厳しい現実のあったことがわかる。

 長谷川根室市長が経済交流・調査を目的とした渡航リストから外されて島へ行けなかったと、最近テレビや新聞報道がなされた。根室市議会は抗議の声明を公表している。
  ロシアはもう領土返還の話などする気はないからだろう。領土問題は棚上げして、国後島や択捉島、そして東シベリアの経済開発に協力するという合意が、日本政府とロシア政府の間にできているような気がする。外務省は長谷川市長の渡航拒否の理由を明らかにしていない。明らかにしたら不都合な真実が明るみに出るからだろう。二島返還だと騒いでいた安倍首相と外務省、あれは何だったのか。
  不都合な真実には口をつぐむ政府と外務省、そして簡単にだまされ続ける北方領土関係団体、人が好過ぎはしませんか?


< 余談 >
 お袋の兄は満州で国境警備の任に当たっていたが、ソ連軍が侵攻してきたときに戦って戦死している。満州の荒野に一本だけある木の根方に埋められている。初夫というが、その人にわたしが似ているそうで、初夫さんを知っている何人かの人によく言われた。六尺(180cm)近い身長で運動能力の高い人だったそうだ。母は漁師の長女である。権利は叔父貴が引き継いで記録があるようだ。戦争がなければ、蘂取村で家業を引き継いで漁師をしていたことだろう。秋になると川にはシャケがいっぱいで、竹竿が立つほどだという。
  お袋がオヤジと結婚を決めたのは、落下傘部隊だったオヤジが降下訓練で右腕複雑骨折をして戦後しばらくの間は右腕を挙げることができなくて、食事をするときには口を腕のほうにもっていって食べていたからだと聞いた。兄が戦死しているので、戦争でケガをした兵隊さんの役に立ちたいと思ったという。兄の初夫が満州で戦死しなければオヤジとの結婚はなかっただろうし、わたしも生まれていない。
  運命の糸は複雑だ、戦争は何もかも変えてしまう。

< 余談-2 >
  母は霊感の強い人だった。知人が亡くなるとすぐにわかる人だった。亡くなると会いに来るのである。映像としてはっきりと見える場合と気配がする場合と2種類に分かれる。そんなときはそっとお酒を窓際に置いたりする。そういう母親を知るわたしは、根室空襲の際に唯一の脱出口だったハッタリ方面へ避難したのは単なる偶然とは思えない。
  寅年生まれの叔母トクさんが姉妹の中で一番霊感が強かった。父親が亡くなる1か月前から泣いているのである。病気の父親だけでなく、元気だった母さんもすぐに死ぬと一月前から泣いているような子供だった。実際に父親が亡くなって1週間後に母親が死んだ。都合の悪いことに、よいことも悪いことも自分の意思とは関係なく、ときどき未来が見えてしまう。自分のことだけでなく他人様のことも見えてしまう。

  高校生の時に同級生の柔道部員のN西君が腎臓病で亡くなった。同じ部活で仲が好かった。釧路の病院で治療を受けていて7月に戻ってきていて鳴海公園近くの道路ですれ違い「おー、治ったのか?」と聞いたら笑ってうなずいたので「よかったな」と声をかけた、それから数日後に亡くなった。人工透析のない時代だったから治療法がなく手の施しようもなく戻ってきていたのである。二階が住まいになっていたので、夕方6時近くにゴーという音がして敷布のような白いものが窓のすぐ近くを飛んでいくのが見えたので、窓を開けて見たが何もない。窓は縦に曲面が走っているガラスだった。近くに座っていたトク叔母に「みた?」と訊ねたら、「見た」と言った。叔母は気味悪がられるので見えたことを言わないようにしていた。わたしに関わりのある誰かが亡くなったことを見抜いていたのだろうが、トク叔母は「見た」としか言わなかった。ちょうどその時間にN西君が亡くなってた。そのことを知ったのは翌々日に入った死亡通知の折り込み広告を見たときである。わたしのアンテナは鈍感なようで、それ以来一度もそうした経験がない。自分の未来ももちろん見えないことはじつにありがたい。
  霊感が強すぎることはその人の人生に暗い影を投げることになる場合がある。未来が見えないからこそ希望をもって生きることができるとわたしには思える。母の母、わたしのおばあさんが霊感の強い人で、若いころにお坊さんから成田山新勝寺での修行を勧められたという。女系に霊感の強い者が出る事実から、どうやら「霊感遺伝子」は女系で伝わっているようだ。姉にはたまにはっきり映像として見えてしまうことがある。アンテナの感度が標準よりも高いのだろう。面白いこともあるが、そうではないこともあるから、本人にとっては迷惑な話だ。


<余談-3 :昭平さんとわたしの母親サダコ>
  わたしの母親が餌取不蘂取村の漁師の娘であることはすでに書いた。父親は青森の腕のよいヤンシュウ(出稼ぎ漁師)だった。漁場の権利を持っていたばあさん(もちろん当時は若かった)と一緒になって一男一女が生まれるが、青森の両親の具合が悪くなり、農業の手伝いが必要で1年ほど戻っていた。その間に、ばあさんは再婚させられたのである。蘂取村の漁業のボスはKさんというアイヌ人だった。よそ者に資源が漁業権がわたるのを嫌い、籍を入れることができなかった。そして爺さんが青森に戻っていた間に再婚させられたという。エトロフの前浜の漁業権は大きな財産だった。その後に女の子が4人、男が一人生まれた。サダコとは異父姉妹弟である。長男と長女は新しく来た父親とはそりが合わなかった。まだ幼かった長男の初夫が新しい父親によく殴られていたそうだ。そういう光景を目にしているからサダコの心が新しい父親になじむはずがない。そういう事情を斟酌して、ばあさんはサダコを商家の山本家に行儀見習いに出した。そうしてサダコは山本家で東京標準語と行儀作法を身に着けた。同じ家で暮らしたから、山本家の子どもたちは弟や妹のようなものだった。
 40歳のころに(ebisuの)オヤジが大腸癌になり2度目の手術の後根室へ帰郷した折に、お袋が市役所に用事があって電話するのをそばで耳にしたことがあった。実に見事な電話で、全国コンクールでも優勝を争えるくらいの水準であることにその時気が付いた。SRL八王子ラボに勤務していた時に、取引先のオリンパス宇津木台研究所を見学したくて職権を利用して電話で依頼したことがあった。そのとき電話に出た女性社員の応対が見事だった。オリンパス宇津木台研究所は電話応対のNTT全国コンクールでそのころ優勝したことがある会社だった。それと比べてお袋の電話の掛け方が遜色なかったのである。オフイッシャルな場ではスイッチを切り替えたように、お作法通り上品にふるまえる人だった。それは山本家にいた数年間のお陰だろう。母親の一生の財産となっていたと思える。暇な折には山本家にある本を読ませてもらい、介護が必要になったおじいさんの世話をしたという。母はよく本を読む人だった。黒田清隆の副官だった山本忠令の弟だったお爺さんには可愛がられたようで、村長を決めるときの話などお爺さんを通して当時の村内の事情をよく知っていた。
  母はオヤジと結婚してから中学生の従弟を数年間引き取ったことがある。親戚のおばさんが再婚してその従弟は新しい父親になじめなかった。そして蘂取村で自分の兄にあったのと似たようなことが起きていた。見ていられなかったのだろう。姉も妹も一時期一緒に暮らしたその人を「お兄さん」のように思っている。体の弱かったトク叔母は仕事を変わる都度数か月間根室に滞在した。トモ叔母も1か月ほど滞在することが何度かあった。釧路のばあさん(オヤジの母親)を1年間ほど引き取っていたことがある。根室高校野球部キャプテンで総番長であった5歳上の親戚も、事情があって高校卒業後1年間ほど一緒に暮らした。総番長に代々伝わる「仁義の口上」をやって見せてくれた。根室高校生がヤクザともめ事があったら、総番長が出て行って話をつけないといけない、そのときに必要だというのである。口上を間違えたらその場で殺されても文句は言えない。小さく折りたたんだ口上書を手渡されたが残っていない。腰をかがめて右手を前に出し、左手を後ろに回して「お控えなすって、さっそくお控えなさって下さってありがとうさんにござんす。手前生国発しますところ…」というあれである。総番長には責任が伴っていた。お祭りのときには目つきが鋭くてトッポイ高校生が5-6人一歩後ろをついて歩いていた。そのころは気の優しい彼が総番長だとは知らなかった。あとで確認したが、わたしの前の代にもわたしの友人の総番長にも仁義の口上は伝わっていなかった。総番長にはすでに肩書に伴う責任がなくなっていた。そこが総番制度を終わらせるわたしの動機だったかもしれない。2年生になった時にクラス替えになり総番長のヒロシと同じクラスになった。妙に馬が合った。あいつは野球部だった。総番制度の廃止は共産党のA野とヒロシと三人で決めた、まったく面白い組み合わせだった。ヒロシには苦労を掛けた。もちろん内部でもめたはずである。とばっちりはあったが、あいつは一人で背負った、いい男だ。人望がなければ総番長はつとまらぬ。大学進学は3年の12月に決めたが、ずっと店(ビリヤード店)の手伝いをしていたし、大学進学のつもりがなかったので受験勉強していなかった。受験は失敗した。そんなときにヒロシが3月に来て「ebisu、代ゼミに一緒にいくべ」と誘ってくれたのである。これも不思議な話だ。1年前に担任の富岡先生に金融機関に就職希望を伝えると、釧路の日銀を受けろ、学校推薦するからと言われた。都市銀行ならどこでもOKだが、ebisuが受験すれば一人いけなくなる同級生がでると言われて、銀行への就職を見送ってしまった。
  総番長のヒロシがいなければ、わたしは根室で店番をしながら、公認会計士受験をしていただろう。独力で勉強して合格するくらいの学力とガッツはあった。高校2年生の時から公認会計士二次試験参考書を使って独力で勉強していた。試験科目の中では原価計算と経済学が特に面白かった。ヒロシはわたしの運命を変えた友人である。大学へ進学してから経済学への興味がさらにわたしの人生を変えることになる。

  幼少期にオヤジもお袋も家庭的な苦労が大きかったから、人の苦労がわかる人だった。昭和の30年代は日本中が貧しい時代だったが、食べ物に困ることはなかったから、いつまでいてもOKだった。そういうわけで親戚の出入りの多い家だったと言える。あんなことは苦労の少ないわたしにはできない。
  オヤジも母も苦労人である、若い時の苦労は人を磨く。

< 余談-4:蘂取の言葉 > 7月4日追記
  蘂取には営林署関係者(公務員)やお寺さんなど言葉のきれいな人が少なくなかったようだ。一般に道内の漁師町は言葉が荒い。函館や根室を基準に考えてもらえばわかる。たとえば、根室っ子には北海道訛りがあるが、本人たちは自分の訛りに気がつかない。蘂取には訛りのない、つまり、きれいな東京標準語でしゃべる人が少なからずいたようだ。山本家だけが特別だと思っていたが、そうではないようだ。
  わたしのいう東京標準語は威勢のよい江戸っ子言葉とは違う、下町ではなく山の手で話されていた言葉をイメージしている。
  根室高校を卒業してからわたしは35年間東京で暮らした。根室に戻って友人たちを会うと根室の語彙やアクセントで話している。東京へ戻ると東京弁でしゃべる。意識しているのではなく、無意識に語彙やアクセントが切り替わるのである。「場」に応じて自動的に切り替わるもののようだ。他の人でも同じだろう。不思議だ。

< 余談-5: 戦前の根室町と蘂取村の繁栄 > 7月5日朝追記
  昭和41年だったと思うが、高校生のわたしはひょんな縁から根室のある呉服屋の棚卸の手伝いをしたことがある。正確に言うと「手伝いの手伝い」である、断れない事情があった。帳簿に仕入原価と売値が記載してあった、それを集計する。着物は仕入原価の2倍、小物類は3-4倍の売価設定になっていた。当時の根室の呉服屋ではこういう価格設定が当たり前だったのだろうと思う。
  根室は漁師町だから、商慣習のベースは大きな得意先である漁師がつくった。ツケ買いをして、漁があった時にまとめて支払う。だからその分根室の商人は資金負担が大きいというデメリットと利幅が大きいというメリットがあった。呉服も雑貨も食料品も同じ。
  昭和30年代後半には「やすやす屋」という安売り販売のお店が緑町にあった。根室商人としては異色だった。2階建てで天井近くまで商品を積み上げて安売りをした。ずいぶん繁盛したお店だが、経営者は仕入に大きな努力を払ったと思う。規模を大きくして潰れてしまった。そうしてみると、中標津町のサウスヒルズの経営者は仕入に並々ならぬ努力を払った経営者であることがわかる。そういう商人が根室という町からは出なかった。昭和40年代まで努力する必要がなかったからだ。
  雑貨類は道内仕入が当たり前で、それをベースにして売値を決めていたから、根室の商品は釧路に比べても高かった。だが、それでも売れたのである。利益率を維持するために地元業者間の「団結」が強くなった。それは反面、他の地域の業者の参入を排除するという排他性にもつながったのではないか。わたしは「オール根室」にそういう影を見る。

  昭和50年代に入り、普通の家庭でも車をもてるように経済社会が変化した。「高度経済成長」「所得倍増」「生産性アップによる急激な製造原価の低下と売値の変化」「幹線道路の整備の進行」、こうした変化に根室の商人は対応できなかった。それまでイージーな仕入と価格設定に慣れすぎたためである。西浜ショッピングセンター、マルシェ、イオン、札幌コープの4店舗あるが、地元資本は一つもない。
  イージーな仕入が習慣となり何十年も続くと、遺伝子として後継者に受け継がれてしまう。それが根室資本の経営改革を阻み、今日の衰退を招いたとわたしは分析している。だから、ふるさと納税の悪影響を心配する。三十数億円のふるさと納税への返礼品に地元産品が使われているが、地元業者は一定量の売り上げが確保できる。それが地元資本の経営改革を阻むことにならなければよいのだが、わたしの目にはふるさと納税はアヘンのようなものに映っている。

  さて、戦前のエトロフ島蘂取村も商売のやり方や商慣習に関しては根室と似たようなものだったと想像する。客の大半は漁師であり、それも根室の3倍の漁がある漁業関係者である。根室よりもさらに仕入に努力する必要はなかっただろう。仕入コスト低下ではなく品ぞろえが大事だった。エトロフ島は漁業資源が根室とは比較にならぬほど豊かだったから、根室の3倍の漁は3倍の収入を保障したということ。蘂取村の大店だった山本家の繁栄を支えたのは蘂取村の漁師の経済的繁栄であることは想像がつく。
  蘂取村の漁業者の側から見たら、ソ連軍進駐による政治支配や生活がどのようなものであったのか、聞いてみたい気がする。叔父貴が引揚げ者であることを数日前まで知らなかった。ソ連の支配下で漁をした経験があるようだが、聴く機会があるだろうか。




*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28



*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14



        70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村 

#3563 今週は171km走った July1, 2017 [サイクリング]

  今日は天気が良かったので、牧ノ内T字路まで往復10㎞を5回走り、航空自衛隊分屯地周回コースを1周、合計61㎞走った。風を切って疾走すると、生きている実感が濃くなる。

  11時 気温21.3度  南南西の風9.2m/s  湿度78%

  今朝は7時に20.4度あった、今年初めて7時の気温が20度を超えた。最高気温は11時38分の23.4度、サイクリングには絶好の日和である。半袖のTシャツ、アーム保護カバーをつけた。平均時速が30kmを超えると冷たい風が心地よい。
  水曜日に納沙布岬までサイクリングして50km走って、今日(土曜日)は61㎞、足に筋肉がついたのかペダルが軽く感じる。根室高校前からラップタイムを計測した。
  行き: 9分24秒   平均時速31.7km
  戻り:13分10秒  平均時速22.8km

  距離は5000m、10分を切ったことがなかったので、やはり速くなっていた。午前中に3往復した。市営球場では社会人野球をやっていた。「太平洋コンクリート」とアナウンスが流れた。大型バスが2台道路に停まっていた。野球が盛んだ。

  午後3時過ぎにもう一度走った。T字路のところでチョコレートを食べ水を飲んできゅけいしていたら、ゴルフ場のほうからランニングしてきた人が声をかけてきた。高校の生徒会長だったH作に似たガタイのがっしりした人で、デュアスロンに出るつもりでトレーニングしていると言っていた。デュアスロンとはトライアスロンからスイミングを除いて、ランニング2回、「ランニング⇒ロードバイク⇒ランニング」という競技だ。わたしよりも20歳若い人だった。
  訊かれたので、10年前に胃癌で胃の全摘手術をして体力が衰えたのでロコモティブ・シンドローム(運動器症候群)にならないようにサイクリングしてるんですと説明した。今日の走行距離61kmはいままで最高、距離に慣れてきた。ひばりが草叢で鳴いている、カッコーものどかな声を響かせる。原野には紫色の花や白い花黄色い花がそこここに群生している。
  4時ころに原野は霧で包まれ始めたので、サイクリングを切り上げた。霧の中の走行は追突される危険が大きいのでさっさと切り上げるのが賢明だ。
  今日の瞬間最高速度は46.3km。ロードバイクで時速50kmはオートバイならそのスリルは時速200kmに等しいかも。砂や細かい砂利、小石、陥没穴、路面状況から目を離せない。

  牧の内T字路コースは昔の根室高校女子マラソン10キロ・コースである。1965年に28度の炎天下で熱中症が続出して、不幸にして女生徒が一人亡くなった、それ以来根室高校で全校生徒のマラソンが行われたことはない。当時は、水を飲んではいけないというのが「常識」だったから、水を飲まずに走り切ってゴールしたとたんに意識がなくなる生徒が続出してしまった。もうそういう「常識」はない、炎天下では水分を十分にとって熱中症にならないようにして運動しろと先生たちも指導しているだろう、根高全校マラソン復活してもいいのではないか。クラス対抗で男子20km、女子10kmである。順位に応じて加点、男子は2時間以内にゴールしなければ減点になる。ebisuは途中の牧場で井戸水をたらふく飲ませてもらい、走るとおなかがぽっちゃんほっちゃん揺れて走れたもんじゃなく、途中しばらく歩いたので時間外15分、減点対象となった。走るのが得意な奴らはあんな炎天下でも張り切って走り切った。お見事。時間外になった者たちを誰も責めない、そこが我がクラスのたくさんあったいいところのひとつだった。
  みんなの嫌がる柔道と剣道の両方に出たから免罪符だったのかも。柔道は少し経験があったが、剣道は竹刀の握り方すら知らなかった。小学校から中学生まで、薪割で大きな鉞をふりまわしていたから、大上段からの連続面攻撃をすると恐怖で相手の腕が上がってくる。面をかぶっていてもあのお勢いで叩けば失神するかも。5回も全力で面を打っているうちに相手の腕が上がってくる。そこを胴を抜いたり、小手をとって一本。剣道なんて一度もやったことがなかったが鉞を9年間思いっきり振り回していたのが役に立った。薩摩示現流と同じだったかも。(笑)


 

  今週の走行距離
    ロードバイク 167km (累計走行距離 2869km)
    MTB               4km (累計走行距離 1238km)


       70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村 

メッセージを送る