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#3583 おふくろの七回忌 Aug. 17, 2017 [つれづれなるままに…]

<更新情報>
8/18朝8時10分 <余談:ありがたきこと>

  今日(8/17)が母の命日である、開法寺から恰幅の良いお坊さんが来て、朗々と七回忌のお経を挙げてくれた。いいお声だ、ありがたい。

  平成20年ころだったか、レビー症候群が出始めると、しだいに認知症がひどくなり徘徊が始まった。おふくろは昼夜逆転して夜徘徊するから介護する方は寝られない。あるとき深夜に台所で何かやっているようなので2階から下りて見に行った。冷蔵庫に入っている材料をありったけ入れて大鍋で味噌汁を作っていた。大鍋のうえ1cmくらいまで入っていて火はかけっぱなし、間もなく噴きこぼれて、ガスの火が消えそうだった。消えてしまえば、火力の強いプロパンガスが漏れて、そのうち冷蔵庫のサーモスタットが作動して爆発を起こし火災になる。このときほんとうに危険を感じた。
  本人に何しているのと尋ねると、朝だから味噌汁を作っていたという。真っ暗な真夜中なのに朝だと思っていた。「ごくろうさん、疲れたろうから横になるといいよ」とベッドへ連れて行く。そのころになるとシモのほうも自分で始末できなくなった。感覚がないのだ。書けないことがいくつかある。実際に徘徊老人の介護を経験した方は書かなくてもわかるだろう。3人に一人くらいはそうなるのだろが、在宅介護は介護するほうが命を削るようなことになりかねない。
  この「事件」の後で、どうしたらよいのか女房と相談して、台所との境の引き戸に鍵をつけ、夜中は鍵をかけた。おふくろは8畳間にベッドを置いて寝ていたが、隣の仏間へは4枚の襖(ふすま)だから、自由に行き来できる。トイレもいける。わたしは2階のトイレを使う。大工さんの意見を入れて2階にトイレをつくっておいてよかった。仏間から玄関へ出る引き戸にも鍵をつけた。こうして夜中は閉じ込めたのである。とても心苦しかった。台所への境の引き戸のところへ来て15分ほどドアをたたき続ける。かわいそうだが開けない。あきらめてベッドにいった気配がするのを待つ。
  認知症患者は老健施設では預かってもらえない。特別養護老人ホームはたくさんの人が入所待ちしていて急には入れない。グループホームが受け入れ施設としてよいが、簡単にはいかぬもので、相談に行っていた北浜町のグループホームでは空きができるまで半年くらいはかかると言わた。一月半経って、たまたま空きができて入居できるとケアマネージャから電話をいただいた。わたしはスキルス胃癌で胃の全摘、浸潤していた大腸の一部切除、胆嚢切除で体力が著しく奪われて、1日6回に食事を分けて摂らなければならず、女房に大きな負荷がかかった。介護疲れで女房も私も倒れる寸前だったから心底ほっとした。グループホームは施設も新しかったし7畳ほどの個室で、窓も大きくて明るい、居心地の良い施設だ。それでもおふくろは最初のうちは嫌がった、そりゃあ自分のうちのほうが居心地がいい。見舞いに行っても顔をそむけることがあった。でも、次第に慣れてにこにこすることもあったから救われた。ボケはまだら模様である。時々正気になるからそういう時は施設に入れてと怒った表情になり、顔を背けることがあった。2年ほどして、脳梗塞を起こして食事がとれなくなったのでグループホームを退所。そこから江村病院にお世話になった。なくなるまで半年ほど点滴で命をつなぎ、みんなに見守られて静かに逝った。平成23年8月17日、あれからもう七年目になる。

  60歳以上で母を「酒悦」のお母さんとして知っている人は少なくない。1960年に開業した当時は根室で一番安く飲める「居酒屋」だった。日本酒の販売量は市内ナンバーワン、20年ほどたってから「居酒屋+焼肉の店」へ業態転換。居酒屋のほうには手を出さなかったオヤジが包丁を握って「酒悦」の主役となった。肉は釧路のトサツ場から厳選した品質のよいものだけを直接仕入れていたから、ずいぶん繁盛した。銀座の焼肉屋でもあれほどの肉は仕入れられないだろう。たまたま親父は伝手(つて)があった。兄弟子が屠場の責任者だった。親父は兵隊に入るまでに30ほど職業を変えた。運動神経がよくて器用な人だったから、人の半分の期間で一人前になってしまう。だから兵隊になった時にもトンツーをすぐに覚え通信兵になり、「命のいらないもの集まれ」という秘密部隊の募集に応じて落下傘部隊員となった。合格できたのは運動神経が抜群に良かったからだろう。ボクシングもやっていたし、競輪の選手もやったことがある。忙しい男だ。肉屋で修業したのも3年ほどだっただろうが腕は確かだった。道具に凝る人でドイツ製のカッターを購入したが、すぐに使うのをやめて、全部手切りしていた。筋肉組織は切る方向によって味が違うのだそうだ。鮮度の良い肉を仕入れて、丁寧に下処理して、自分で手切りした肉だけをだす、職人気質の徹底した男だった。兄弟子が亡くなると、同じレベルの肉が仕入れられなくなった。仕入先を変えて試したが同じレベルの肉を仕入れることはできなかった。数か月試行錯誤すると、あっさり見切りをつけ、同じレベルの肉がお客さんに提供できないなら店をたたむと焼き肉屋を廃業した。納得できない仕事はしない男だった。そのあと数年間、ビリヤード店だけをやっていたが、それも38年目に店を閉めた。大腸癌の手術をする1年前のことだった。運命の跫(あしおと)は聞こえないものだ。
  わたしの主治医のお父さんが掛かりつけ医だった。お父さん先生に大きな病院での入院検査を勧められ、生まれ故郷の釧路の病院を選んで入院検査し、大腸癌が見つかり平成3年に手術をした。告知はしなかった。術後の外科医の説明の通りに2年後に肝転移から全身転移を起こして、2度目の手術は「アケトジ」。五月に退院してきて、8月に市立根室病院へ入院し終末医療をうけた。苦しまないようにモルヒネで眠るように逝った。平成5年9月12日が命日。「根室の土になる」、そう言っていた親父もおふくろとともに市営墓地の墓で土に還っていく。
  ビリヤード店は38年間、居酒屋と焼肉の店「酒悦」は30年間、たくさんのお客様に支えられて営業が続けられた。ビリヤード店は小学生の時から店番をして手伝ったし、「酒悦」のほうは、20本入りビールケースと日本酒1升瓶が10本入ったケースを何箱も毎日カウンターの中へ入れて並べるのを手伝った。結構重いのだ。おふくろは現金で仕入れていた。理由があって掛け取引が嫌いだった。それはお店の経営方針にも表れた。
  家業だから高校卒業まで毎日手伝った。いま、根室にビリヤード店がないのが寂しい。あればときどき行きたい。セミプロの技術をだれかに伝えることができたらいい。書きためた図面やノート類が50枚ほどある。その中にはスリークッション世界チャンピオンの小林先生に図面を書いて質問し、教えてもらったものもある。プロの町田先生に教えてもらった技術をたくさんの図面に落としてある。町田先生の息子さんの町田正さんはアーティスティックビリヤード、世界2位であるが、ボークラインを3ゲーム相手していただいたことがある。もちろん全部わたしの負け、国内トッププロとは技術レベルが違いすぎる。昭和天皇のビリヤードコーチだった吉岡先生は札幌にお住まいだったが、18歳の時に札幌を彼女と駅前通りの左側を大通公園に向かって歩いていたら、「としぼー」と大きな声がしたので誰かと思って振り向いたら、吉岡先生だった。ライオンズクラブで献血のボランティア活動をしておられた。白髪の上品なおじいさんだった。ニコニコしながら「献血していけ!」という。即座に「はい!」と答えると嬉しそうな顔をした。小学生のころ、吉岡先生には根室に来られるたびにかわいがってもらった。ビリヤード大好き少年だったからだろう。

  おふくろの命日でいろいろなことを思い出した。人生の最後を住み慣れた根室の病院で迎えられるのはいいものだ。家族や知人に看取られながら静かに旅立てる。
  根室っ子が年老いたときに、根室で終末医療が受けられるように、根室の地域医療がこれ以上悪化しないことを願う。

    小欲知足
    売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし

<余談:ありがたきこと>
  お店が繁盛したおかげで、高校受験の時には大学進学なんて夢にも見たことがなかったのだが、高校3年生になってそれが経済的に可能になった。一生懸命に店番をした甲斐があった。働き手が一人抜けることに多少の申し訳なさを感じながら、三年生の12月になってオヤジとおふくろに大学受験していいかと問うと二つ返事でOKしてくれた。繁盛が続き、大学院まで行かせてもらったが、オヤジとおふくろが一生懸命に働いてくれたからだ。そしてお客さんがたくさん来てくれたからだ。
  ブログでたまにはとっても言いにくいことを書くが、これは育ててもらった故郷へのご恩返しのつもり。耳にうるさいことを書くときは、ふるさとのため世のため人のためとそういう視点から書いている。自分の利害損得は棚上げ。
  顧みれば店番をしながらビリヤード場の「としぼー」はさまざまな職業の大人たちに育てていただいた。鬼籍に入られた方々がほとんどであまりに多すぎて一人一人お名前を挙げないが、あらためて育ててくれたみなさんに感謝申し上げる。

   有漏地より 無漏地へ帰る 一休み 雨降らばふれ 風吹かばふけ 
        一休宗純

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コメント 2

tsuguo-kodera

 今までに別の日に書かれた記事で読んだことのように感じましたが、まとめを一気に読むと改めてエビス先生の想いが良く分かりました。ありがとうございます。
 余談です。客商売は店主の心次第と毎日思うこの頃です。30年、40年、客商売を続けられたご両親の息子さんだったのですね。レベルが違う人と昔おもったのは間違いではありませんでした。
 私は今30年バドクラブを続けました。あと8年続けましょう。仏様か神様に許されるなら。子供や孫のためにも。また目標ができました。ありがとうございます。
by tsuguo-kodera (2017-08-18 09:42) 

ebisu

koderaさん

バドクラブはもう30年になるのですか。30年というと万日です、万日やってようやく見えてくるものがあるのかもしれませんね。これから8年やれるとしたら、幸せこのうえなし。
貴兄のますますのご健勝をお祈り申し上げます。
by ebisu (2017-08-18 21:59) 

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