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#2944 『資本論』と経済学(9) : 「何をやりつつあったかは残された文献に聞け」 Jan. 29, 2015 [資本論と21世紀の経済学(初版)]


8. <マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかは残された文献に聞け>

 マルクスが資本論で何をしようとしたのかについては定説がない。マルクス自身が資本論第1部を書いて、そのあと草稿を書き散らしただけで、どのようにまとめたらいいのかわからないと吐露している。だから、1858年に書かれた『要綱』段階のマルクスの構想で資本論を整理してはいけない、マルクス自身が1866年に体系の見通しが立たなくなったとエンゲルス宛に書いているのだから、その言を尊重すべきであり、マルクスがなぜ行き詰ったのかを合理的に説明できなければならない。この大きな謎を解いた経済学者はいない。謎を解く鍵はヘーゲル弁証法にある。経済学体系構成にヘーゲル弁証法を利用したのはプルードンとマルクス二人だけである、後にも先にも例がない。

 マルクスは研究が行き詰ったことをエンゲルスへの手紙で吐露しただけだから、彼が資本論で何を目論んだのか本当のところがわからないままである。だから、エンゲルスが古い構想に基づいて第2部以降を編集したように、他の経済学者が資本論を読んで独自の理論体系を構築する余地が残された
 
たとえば、マルクス経済学では宇野シューレが最大派閥であるが、宇野弘蔵は理論構成を三段階(原理論・段階論・現状分析論)に分け、資本論を経済学原理論と位置づけた。『要綱』日本語版が出版されていない段階での研究だから、マルクスがやって見せた下向分析の過程を丹念に追わずに、結果の『資本論』を徹底的に読み込んで自分なりの思考を重ね、別の理論体系をつくってしまった。これはこれで面白い。
 
宇野氏は『資本論初版』序文にある、次の章句を何度も読み返し、塾考を重ねたのだろう。

 「物理学者は、自然過程を観察するにさいしては、それが最も内容の充実した形態で、しかも撹乱的な影響によって不純にされることが最も少ない状態で観察するか、または、もし可能ならば、過程の純粋な進行を保証する諸条件の下で実験を行う。この著作で私が研究しなければならないのは、資本主義的生産様式であり、これに対応する生産関係と交易関係である。その典型的な場所は、今日までのところイギリスである。これこそは、イギリスが私の理論的展開の主要な例解として役立つことの理由なのである。」 

 
マルクスの『資本論』を読めば読むほど迷路を彷徨うことになる、高校2年生のときにそういう強烈な体験をした。大きな森の中に入り込んで方角を失ったのである。それ以来、この巨大な知の森にもう一度分け入り、通り抜けてみたいと思い続けた。見通しがつくまでなんと約40年も掛かってしまった。
 大御所の宇野弘蔵はマルクスが『資本論』を書いている途中で、肝心の体系構成の方法論で破綻したとは考えなかった。マルクスは『資本論初版』第一部を書き上げて気がついてしまった。だから、エンゲルスにも第2部以降の体系化はとても無理だと手紙で書き遺した。実際に、第2部以降の体系化作業をマルクスがやることはなかった。


 資本の原始蓄積が最初に始まったのは18世紀英国で資本主義の最初の典型例であった。その後百年たった19世紀中葉の米国では北部工業地帯で原始蓄積が始まり、南部の奴隷を工場労働者として労働市場へ投入する必要が生じた。いま資本の原始蓄積過程にあるのは中国やインドである。原始蓄積が始まれば、労働者の雇用数が増大し、賃金が高騰する。だが、それは資本蓄積を阻害することのない範囲であると、マルクスは「第七編 資本の蓄積」で指摘している。資本蓄積の進行は労賃変動の根源である。英国が研究対象となったのは当然である。
宇野『価値論』は読むほうが辟易するくらいしつこいが、しつこいからこそ独自の理論体系を造り、大きな学閥となりえた。わたしは宇野氏の『価値論』の論理展開しつこさに辟易すると同時に敬意を払いたい、学者はあれぐらいしつこくなければいけない。

 
宇野弘蔵『経済学方法論』について、宇野学派の俊英、馬場宏治先生が感想をもらしている。
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「方法論なんてものもね、型にはまった図式化できるのが方法論だとは僕は思っていない。俺何やってきたってあとから考えてみて、こうなっていたのよってのが方法論じゃないかと思う。宇野先生の『経済学方法論』、宇野さんの書いた中で一番つまらない、あれは病気のせいもあるだろう。だけどそうじゃないんで宇野さん、本当の方法論書こうと思ったからしんどかったんじゃないか。教科書風な、変な書き方、堅い書き方になっていますよね。」(青森大学研究紀要第33-1号 20107月「社会科学を語る(続)」馬場宏治・戸塚茂雄)

 方法論については馬場先生のいう通りだと思う。マルクスもヘーゲル弁証法を真正面に押し捲ったが、研究が進んでくるとヘーゲル弁証法とは違うところにでてしまった。あとから自分の研究過程をみて、方法はこうだと書けばよかったのだろう。 マルクスに代わってその作業を試みるのがこの論考の主要な目的の一つである。
 
宇野氏が数学に興味があるかあるいは『要綱』が出版されていれば、丹念に読んで別の理論体系を構築した可能性はある、それにしても、宇野氏はドイツ語を読むのにそれほど困難があったわけではないから、『要綱』をドイツ語版で読めばよかったのだ。『経済学批判』と『資本論』を読んでいれば十分だと判断したのだろうか、わたしにはその点が疑問である。   


*#2935 『資本論』と経済学(1):「目次」 Jan. 25, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-25


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