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#2938 『資本論』と経済学(4) : 「経済学とは?」 Jan. 27, 2015 [資本論と21世紀の経済学(初版)]


3. <経済学とは?> 

 経済学を云々する前に、そもそも「学」あるいは「学問」とはなんだろうか?日本語では経済学は社会科学の一分野とされており、自然科学と対置される。英語はscience(科学)、ドイツ語ではdie Wissenshaftという語を充てている。英語のscienceという語に「学問」の訳語を充てることにすくなからぬ違和感があるので、国語辞典の定義を参照する。
学問:一定の原理によって説明し体系化した知識と理論的に構成された研究方法などの全体をいう語。(中世・近世には「学文」とも書かれた) 
人文科学:広く人類の創造した文化を対象として研究する学問。哲学・文学・史学・語学などが入る。文化科学。   『大辞林』
 辞書に分類が載っていないが、日本では学問を三分類(人文科学・自然科学・社会科学)している。どれも「科学」の語がついている。人間の文化に関する学問だから人文科学というのだろう。Scienceは「自然科学」だと思っていたが、もっと意味が広いようだ。 
 英語のscienceの項をCambridge Advanced Learner’s Dictionaryで引くと、次のような説明がある。
science: 1. (knowledge from) the systematic study of structure and behaviour of the physical world, especially by watching, measuring and doing experiment, and development of theories to describe the results of these activities.: pure/applied science.2. a particular subject that is studied using scientific methods: physical science. Economics is not an exact science. (経済学は厳密科学ではない)1. 物質界の構造と性質に関する体系的な研究(からえられた知識)、とくに観察・測定・実験によって裏付けられたもの。そしてそれらの(研究)活動(観測・測定・実験)結果を包摂して記述する進化した理論(からえられた知識)
2. 科学的な方法を用いて研究されている特定の学科目: 物理科学。(物理学はphysics
 「純粋科学の物理学」と「経済学」とは異なるというのが英語のscienceという語の基本的な定義と感覚。まるで注文したかのように、面白い用例が載っている、「経済学は厳密科学ではない」というのがそれだ。
 CALDの説明では科学を「物質界の構造と性質に関する体系的な研究」として、純粋科学と応用科学に分類している。対象は「物質界=physical world」であって、これでは人間の文化は対象外になってしまう、この定義では人文科学を含めることができない、おかしい。Oxfordを引いてみたら、4番目の定義に探しているものが見つかった。
Science: 4 [singular] a system for organizing the knowledge about a particular subject, especially one concerned with aspects of human behaviour or societya science of international politics
 この定義には人文科学が入っている。でも4番目だから「広い意味」でのscienceということ、基本的には英語でscienceは自然科学を意味している場合が多い。
 
人文科学を英和辞典で引くと、the humanities, human science, literal artsの三つが載っている(ジーニアス『和英辞典』)。英語のscienceに対置される語はarts(芸術・技術・人文)やtechnology(技術)である。芸術・技術と対比される(狭義の)scienceとそれらを含んだ上位概念としての(広義の)scienceがあると了解しておきたい。ついでだから後で何度も出てくる「職人」もartに関係しており、派生語にartisan(職人)がある。何年もの修業によって確かな技術を身につけた者がartisan(職人)である。
 
CALDは、経済学は科学でなくある種の技術であるといいたいようだ。科学を狭義に捉えたらそういうことになる。確かにケインズの有効需要政策は政策技術論であるし、乗数理論は数学の応用である。リフレ派の主張するマクロ経済理論や計量経済学も技術論か数学の応用に属するから、事実として認めたい。
(ケインズ辺りから経済学は科学ではなく、技術(政策)論の分野に重点を移し、特定の経済現象に潜む法則性やメカニズムが経済政策に利用できるに足るだけわかればいいということになった。1929年の大恐慌後の経済立て直しのために、経済学が利用され、公共事業で有効需要を増すことで景気回復を図った。ところが、公共事業に乗数効果が小さいことはすでに証明済みで、巨額の財政赤字の原因となり、いずれ経済を破壊する副作用をもつことが経験的に知られている。)

 
では、ドイツ語のdie Wissenshaftはどうだろう。Wissenは「知」や「知識」を意味しており、shaftは抽象名詞語尾であると辞書(相良『ドイツ語大辞典』)にある。
 
『漫言翁 福沢諭吉』『続漫言翁 福沢諭吉』『明治廿五年九月のほととぎす』の著者、遠藤利國氏から128日にsciencedie Wissenshaftに関するコメントをメールでもらったので紹介・追記する。もともと哲学が専門だから、こういう話題には適確な解説をしてくれる。あいまいなところや調べ切れていないことを教えてもらえる、ブログはこの辺りが便利でありがたい。
基本的にはこの二つの言葉は意味するところは同じで現に独英辞典でWissenschaftの項をひくとscienceとなっています。かつてscienceにも学問という意味を持たせていた時代がありました。多少古い英和辞典には<学問全般(廃)>としてあるものもあります。scienceはラテン語の動詞scio(知る、理解する)に由来する言葉で、名詞はscientia(知識、学、原理、理論等)となります。英語とフランス語ののscienceはこのラテン語が語源です。ではドイツ語ではなぜWissenschaftになったのかといえばscioに相当するwissenという動詞があったので、それに名詞をつくる語尾を加えたということなのでしょう。ヨーロッパの言語はラテン語を語源とする語と自前の語が共存していますが、これは漢字の音読みと訓読みの違いと思えば当らずといえども遠からずといったところでしょうね。
日本ではscienceに科学というニュアンスがつよくて学問全般という意味合いが希薄に感ぜられるのは、明治以降の学問移入の歴史によるものかもしれませんね。日本語で学問といえば江戸までは儒学でしたが、明治以降はデカンショになってしまい英語で学ぶ学問は影が薄くなってしまったことが尾を引いているのかもしれません。

  デカンショの件(くだり)は説明が必要ですね。デカルト、カント、ショーペンハウエルの三人の哲学者のことですが、デカルトはフランス人、カントとショーペンハウエルはドイツ人、つまり幕末から明治初期にかけては洋学の主流は英米の経験論だったのが次第にデカルトに始まる大陸の合理論、とくにドイツ哲学にとってかわられたという事情を述べたのでしょう。

 「知る」という語幹では英語のscienceとドイツ語のdie Wissenshaftはラテン語由来で同じ意味だった。
雑然とした知識の寄せ集まりではなく、整然とした知識体系がdie Wissenshaftの語感であり、人文科学・自然科学・社会科学すべてを包摂する概念である。マルクスがdie Wissenshaftというドイツ語のイメージで、整然とした体系構成をもつ経済学を考えていたのだろう。

 
 経済学がいかなる学問であるかについて、さらにCALDと「大辞林」の説明を見よう。
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economics: the way in which trade, industry or money is organized, or the study of this.経済学とは貿易、産業あるいは通貨を系統立てて叙述する方法、あるいはその研究をいう。 

経済学:人間社会の経済現象、特に財貨・サービスの生産・交換・消費の法則を研究する学問。法則を抽出する理論経済学、理論の応用である政策学、経済現象を史的に捉える経済史学に大別される。『大辞林』
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体系的に整序されたものが経済学だとしても、それは純粋数学のような体系をもちうるのかという議論はなされたことがない。『大辞林』は理論経済学を「法則を抽出する」ものと定義しているが、これは自然科学の物理学における法則(たとえば、万有引力やE=mc^2)を想定してのことだろうから、体系の叙述の方法は問わないことになる。万有引力の法則やE=mc^2が実験結果や観測によって証明されればいいだけである。
 
では、なぜ学の体系構成を意識した分類がなされていないのだろうか、それは純粋数学のほかに事例が一つもないからだ。純粋数学だけは他の諸科学とはまったく別物だという思い込みがあり、経済学が数学と似たような体系構成が可能なはずがないと経済学者も思い込んでいる。だが、そうした思い込みは正しいのだろうか?
 
経済学は実証科学だというのが多くの経済学者に共通した理解である。たとえば、経済史の分野で著名な学者に増田四郎先生(元一ツ橋大学・学長)がいる。38年前に院生3人で特別講義をお願いしたら、リスト『経済学の国民的体系』を読もうということになり、月に一度くらいの頻度で授業の後に、国分寺駅近くのビル4階のガラス張りの眺めのよいお店でビールをご馳走になりながらお話を聞いた。その折に、イタリア留学から帰ってきたお弟子さんの阿部謹也氏のことを、目を細めて何度も話してくれたから、阿部謹也著『中世の窓から』もそのときに増田先生の著作数冊とともに読んだ。阿部氏はその後、ヨーロッパ中世に関する本をたくさん書いているからイタリア留学中に目を通した中世の文献資料からえたものが大きかったのだろう。増田先生は阿部氏の研究スタイルが気に入っていたようだ。阿部氏は後に一橋大学長になっている。もちろんお二人とも優れた実証研究者である。
 
テレビによく出演して反原発をコストの面から具体的な数字を挙げて理詰めで解説する慶応大学経済学部の金子勝教授もまた違った学風の実証研究者である。世の中の経済学者は理論経済学者の一部を除けば他はすべて実証研究者と言ってよいだろう。たくさんのデータや資料を読み込んで、そこから帰納的に規則性や法則性を抽出する。抽出した法則は假説であり、それをまたデータで論証するというのが、オーソドックスな研究スタイルとなる。
 
観測データ⇒規則性を帰納的に抽出⇒假説設定(&未知の特定現象の予言)⇒実データで検証

 後で、馬場宏治先生の過剰富裕化論を取り上げるが、馬場先生は理論経済学者であると同時に、米国経済のすぐれた実証研究者でもあった。経済学が数学と同じタイプの演繹的体系構成をもつ学問であるという理論経済学者は残念ながらわたしのほかはいまのところ一人もいないから、数の上からは絶望的なほど分が悪い、はっきり言って数の上では勝ち目がない。しかし、「学」のタイプとしては二種類あることは事実なので、二つの見解を並べて対比してみたい。

     経済学は経験科学である「純粋に理論を探求する科学に対し、経験的事実を対象として実証的に諸法則を探求する科学。実証科学」 …『大辞林』 経験科学は観察から得られたデータのみに依拠し、そのデータ群の中から諸法則を帰納的に導き出し、それを假説としてデータで実証する。
     経済学は数学のような規範学であるさまざまなデータから帰納的に法則が導かれるのではなく、経済学は数学のように演繹的な体系構造をもつ。

 
経済学が経験科学であるという立場の対極にあるのは、経済学は数学と同じ独立した演繹的な体系構造をもつ学問という立場である。後述するが、マルクスが『資本論』でやって見せた。後にも先にも、数学以外の分野で、このようなことを試みた学者はプルードンとマルクス以外にはない。 

 
[時代状況の違い]
マルクスの時代(国民国家成立による帝国主義の時代の幕開け)と現在は大きく異なる。当時はなかったものをいくつかランダムに挙げてみる。
①多国籍企業
②グローバリゼーション
③コンピュータ
④インターネット
⑤いくら売っても減らない商品の出現。たとえばCDDVD、ゲームソフト、さまざまな名簿情報等々、これらはデジタルコピーすればまったく同じ品質のものがいくらでも生産できる。 

 
マルクスはサイバー空間や今日のスケールの世界市場を知らない。マルクスの時代の資本主義経済社会と現在の資本主義経済社会は異なる発展段階にある経済社会と見るべきで、21世紀の経済学は①~⑤も網羅しなければならない。サイバー空間が加速的に拡大して、現実空間に多大な影響をあたえている現実を経済学は包摂する必要がある。機械とコンピュータとネットワークの融合した21世紀を、わたしは2次産業革命の時代とネーミングする。わたしたちはその渦中にいるから、大きく時代が変わるのをなかなか意識できない。30年後に振り返ってみたときに2000年を境に産業社会が大きく変わったことに気がつくのだろう。
 少子化と高齢化の同時進行による人口縮小という時代の大きな転換点に立っているからこそ、いま経済学は何かとその意味を問う必要がある。経済学が経験科学であることは多くの経済学者の業績がそれを証明しているから議論の余地がない。では経済学は演繹的な体系足りうるのか? 


*#2935 『資本論』と経済学(1):「目次」 Jan. 25, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-25

 #3015 人工知能の開発が人類滅亡をもたらすホーキング博士(資本論と経済学-補遺1) Apr. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-04-02


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