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#1030 nationalism とpatriotism :遠藤利國訳・幸徳秋水『帝国主義』May 17, 2010 [経済学ノート]

 前回のブログ*で遠藤利國訳・幸徳秋水著『帝国主義』を採り上げたが、そこにナショナリズムとパトリオティズムは異なる概念であると書いた。
 数学者藤原正彦のナショナリズムとパトリオティズムの二つの用語の使い分けについて『国家の品格』から該当箇所を引用して補足しておく。

「愛国心」ではなく「祖国愛」を
 私はいつぞや、アメリカ人の外交官に「お前はナショナリストか」と訊いたことがあります。そうしたら、「オー・ノー」と否定されました。そこまではよかった。
 ところが「パトリオットか」と訊いてしまった。そしたら「もちろんだ」といって今度は怒り始めた。自分が生まれ育った祖国の文化、伝統、自然、情緒をこよなく愛することは、当たり前中の当たり前である。外交官でありながら、そんな質問をされたことを侮辱ととったのです。明治になってから作られたであろう愛国心という言葉には、初めから「ナショナリズム」(国益主義)と「パトリオティズム」(祖国愛)の両方が流れ込んでいました。明治以降、この二つのもの、美と醜とをないまぜにした「愛国心」が、国を混乱に導いてしまったような気がします。言語イコール思考なのです。
 この二つを峻別しなかったため、戦後はGHQの旗振りのもと、戦争の元凶としてもろとも捨てられてしまいました。わが国が現在、直面する苦境の多くは、祖国愛の欠如に起因するといっても過言ではありません。・・・ 私は愛国心という言葉は、意識的に使いません。手垢にまみれているからです。そのかわりに「祖国愛」という言葉を使い、それを広めようと思っています。言葉なくして情緒はないのです。(藤原正彦著『国家の品格』114ページ)

  『国家の品格』が260万部も売れているのは単なる流行だけではなく、しっかりした論が展開されているからだろう。 

 手元にある辞書2冊をみると定義は次のようになっている
Nationalism: 2 a great or too great love of your own country
Patriotism: When you love your own country and are proud of it
     (Cambridge Advanced Learners Dictionary)

Nationalism: 2 the belief that your nation is better than other nations
Patriotism: strong feelings of love, respect, and duty towards your country
     (Macmillan English Dictionary)

 ナショナリズムはtoo great love of your own country(度を越した祖国愛)だったり、他国を省みない排他的なニュアンスがあるが、パトリオティズムにはそういう負のイメージはなく、生まれ育ったホームタウンへの素朴な郷愁や誇りにすぎないしかしそれも程度問題で、容易に排他的愛国主義(ジンゴイズム)へと転化しかねない危うさももっている。
 Patriotism can turn into jingoism and intolerance very quickly. 


 現代語への書き換えを担当した遠藤は、1975年当時早大大学院で哲学専攻し、ヴィトゲンシュタインを読む傍ら、ギリシア語やラテン語を勉強していた。私は彼のそういう姿勢にいい意味であきれてしまった。流行を追うと同時に流行から離れて長大な迂回生産をはじめていたのだ。西洋哲学の諸概念を検討するにはラテン語やギリシア語をやらなければ、深いところで疑義がどうしても出てしまう。自分をごまかすことはできないものである。

 その当時わたしは、東京経済大学大学院でユークリッド『原論』、マルクス『経済学批判要綱』『経済学批判』『資本論初版』『資本論第2版』『資本論フランス語版』、A.スミス『諸国民の富』、リカード『経済学及び課税の原理』、プルードンの系列の弁証法を研究していた。主要テーマは学の体系としての経済学である。基本的な経済学の諸概念相互の関係と、体系構成上の演繹的な関係を整理することが知的興味を掻き立てた。その結果、従来のどの学説ともまったく異なる結論に達してしまったが、古典派経済学やマルクス『資本論』を超えるような経済学の可能性については一望だにすることができなかった。西欧経済学を離れなければ、見えてこないものがあることは漠然と理解していた。
 30年弱のサラリーマン生活を経験し業種の異なる企業経営に何度もタッチしたいまならなんとか見える。日本的伝統、情緒に基づく商道徳や西洋とはまったく異質の労働観を基本概念に据えた経済学があることを。それを書くことがわたしのライフワークとなるだろう。
 
 さて、訳者はパトリオティズムについてどのように考えているのかメールで訊いてみたので、彼の解説を披露したい。遠藤はラテン語に詳しいから、語源学的な話しを交えた解説は話しを面白くする調味料の役割をするはずだ。大学生や高校生には勉強の仕方について示唆を与えてくれているに違いない。
 以下はメールからの引用である。
 
 藤原氏の「峻別して使う」という話はもっともです。patriotはギリシアの都市国家の時代から使われていた語で<父祖の地、あるいは国>というような意味ですから、祖国愛というのであれば良い訳語ですね。nationはラテン語系統で血筋とか出生等の意味する言葉ですが、ローマ人が祖国愛というような意味合いで使う時は、やはりギリシア人から受け継いだpatriotを使ったようです。nationalismという言葉は近代になってからの言葉なのでしょう。もっとも秋水は愛国主義の語にパトリオチズムのルビを振っているので困ってしまうのですが、おそらくジンゴイズムとかショービニズムとの区別を、あるいは語そのものを知らなかったのかもしれません。
 
藤原氏の引用された文の中に「明治の人達はこの区別を曖昧にした云々」とありましたが、曖昧にしたのではなく知らなかったというのが実情でしょう。なにしろ戦国の遺風そのままの感覚で西欧と向き合ったわけですから、「やるか、やられるか」以外に判断の基準があるとは思わなかったのでしょう。「ほととぎす」でも引用した樺山海相の蛮勇演説も、漢語が混じっているので意味が不鮮明になっていますが、簡単な話がヤクザのミカジメ料を脅し取るときのセリフ、「ここでノウノウと商売できるのは誰のお蔭だ」と同じですから、当然、言われた方も「やるか、やられるか」の感覚で大騒動になったわけです。
この区別が分っていたのは福沢諭吉ぐらいなものでしょう。

 樺山海相「蛮勇演説」のくだりは注をつけておかなければ事情がわからないだろう。『明治廿 五年九月の ほととぎす 子規見参』205ページから引用しておく。

 「薩長藩閥といわれた頃のことである。民党側の薩長横暴の非難に業を煮やした海軍大臣樺山資紀が帝国議会の衆議院予算本会議で、「維新以来内外の多難に贏(か)ち得て、国民を安んじ、国家の安寧を保ち得たるもの、所謂薩長政府の力にあらずして何ぞや」(『明治天皇紀』)という「蛮勇演説」をやらかして大騒動がもちあがり、議会解散となったのは、ハーンが熊本に転任した翌年の12月22日のことである。」

 明治期に諸学のさまざまな概念が日本語に翻訳された。基本的には漢字への翻訳である。明治期は漢学の素養が基本的教養としてあったから、翻訳に際して選んだ漢字のセンスがいい。

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 【5月28日遠藤氏から追加情報あり】
  前回、秋水はjingoismとかchauvinismという言葉を「帝国主義」の時点では知らなかったのではないかと書きましたが、秋水の書簡を見ていたら、明治39年の英文書簡に始めてjingoismという語が出てきました。
 
これは秋水がアメリカから帰国してから海外の友人に宛て日本の事情を説明した書簡に出てきたのですが、この語はやはりサンフランシスコに半亡命していたときに始めて知ったように思えます。

 
 明治39年になってからjingoismという用語を使っているのだから、明治34年の『帝国主義』出版前にjingoismとかchauvinismという言葉をその時点で知っていたかどうかは判然としない。
 いずれにせよ、いい辞書が簡単に入手できる現代と幸徳秋水の時代を同列に論じることは公平さを欠く。愛国主義にpatriotism とルビを振ったところから言えるのは、排他的愛国主義を意味するjingoismと区別がなかったということだ。藤原氏の言うように、あるいは辞書に載っているように、現代のわたしたちはこれらの用語あるいは概念を分けて考える必要がある。


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【有理数と無理数について】
 しかし、中にはとんでもない誤訳もある。つい先ごろも中3の生徒から次のような質問があった。

「先生、無理数って何? ぜんぜんわかんない」
「ああ、それかい?分数にするのが無理っていう意味だよ」

 半分ゴマカシだが、遠からず当たってもいる。
 もともとの語はirrational numberである。このirrationalをir+ration+alと理解したようだ。「無+理性+形容詞語尾」だ。ところが、これはir+ratio+nalで「比で表せない数」つまり「整数比で表せない数=分数で表せない数」という意味を取り違えて翻訳したものであるらしい。
  間違いなら正しい用語に改めればよさそうなものだが、永年使われてきた学術用語はおいそれとは変更できないものらしい。
 私見を述べさせてもらえば、「有理数」は「分数」に、整数に対して従来の分数は「素分数」という訳語を当てれば生徒の混乱は避けられるように思う。
 素数が「1と自分自身以外に約数をもたない数、ただし1は除く」と定義されているから、「素分数」も「整数比で表される数で、ただし、分母が1の場合を除く」とすれば、整数ときれいに分けることができる。

 まとめると次のようになる。実数は分数(有理数)と非分数(無理数)に分類し、さらに分数(有理数)を整数と素分数に分ける。素分数の定義は分数のうち分母が1の分数を除くと定義すれば整数との交わり部分がなくなる。すっきりしていると自画自賛。

 学術用語は名が体を現すような命名が正しい。ただし、これはわたしの「ゆるぎない信念」にすぎないのだから、世間一般の人や専門家が了解してくれるとは限らない。
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 この例からもわかるように、明治期の学者たちは西洋の学問を導入するのに懸命になって日本語への翻訳を試みてはいるが、数ある中には稚拙な理解もあるようだから、そういう辺りをきちんと整理してさらりと解説してもらえれば、知的興味は倍加するように私には思えるのである。
明治期の知性の西洋学問理解の「貪欲さと限界」を一度整理してみる必要はあるのだろう。

 さて、『帝国主義』の読者は、幸徳秋水がパトリオティズムとルビを振った箇所を探して、じっくり眺めていただきたい。本を読む楽しさが増したら幸いである。

 訳者・遠藤氏のメールでのコメントに感謝したい。ブログへ載せることについては本人の快い了解をもらった。

*#1029 『現代語訳 帝国主義』幸徳秋水著・遠藤利國訳 May 16, 2010
  http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-16
 


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