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#3642 根室高校 総番制度の終焉の事情 :1966年の人間模様 Nov.19, 2017 [根高 総番制度]

<更新情報>
11/20 朝9:15 <余談:複雑な人脈、意外な場所>追記

  日曜日、今日は3時ころ20分ほど大粒の雪が降り、夜になってまた雪が降っている。最低気温は2日続けてマイナスになった、いよいよ冬だ。あなたはタイヤ交換しましたか?ebisuは今週中に替えなくては…あたふた。

  根高総番制度は対外的な必要があってできた制度であることを最初にお断りしておく。それなりの格式があり、総番には人格、度胸、覚悟、腕っぷしなど、要求されるものが多い。一つだけ絶対的な資格要件があった。根室商業時代にできた制度だから、共学になり根室高校となってからも総番長は商業科であることが外せない要件であった。伝統というものはそういうところにこだわる。
  総番は多少やんちゃでも性格が温厚で統率力に秀でていなければなれない。周りが統率力に優れた者と認めることも要件である。与えられた権限は、重い仕事と責任を伴っていた。必要があってできた制度だが、伝統を受け継ぐ人材が枯渇したために廃止せざるを得なかった。そのあたりの事情を具体的に述べていくつもりだ。

  根室高校は明治39年に北海道庁立根室実業学校として設立され、大正4年に根室商業学校へ、そして昭和25年に男女共学となり北海道立根室高等学校となったから、根室商業の期間が34年間ある。
  総番制度がいつできたのかはわからないが、根室商業の時代からの伝統であるようだ。大正6年生まれの根室商業の大先輩である長身の歯科医のTa先生は、線路に立って汽車をとめて乗った「豪傑」。まだビリヤード台に背が足りない小学生低学年のころから、よくお相手をさせてもらった。往時は根室商業の学生だからとそういう行為を大目に見てくれたそうで、おおらかな時代、根室商業卒は根室のエリート層だった。根室商業は男子校だったからいわゆるバンカラの校風、戦後に男女共学になっても昭和40年まで男子は詰襟・黒の学生服に頭は丸刈り、制帽着用と校則で決まっていた。全員丸刈りの坊主、信じられますか?中学三年生の冬休み明け、わたしもはじめて丸刈りの坊主にしました、頭が寒かった。みんなお互いの頭をみて大笑い。「おまえ、絶壁だ」「形いびつ」など勝手なことを言いあってしばし大騒ぎ。観賞にたえる形の良い坊主頭はなかなかないもの。(笑)

  数名の登場人物を一部名前で、ほとんどはイニシャルで書こうと思う。同じイニシャルの場合があるから、母音をつけたして区別したい。51年もたったのだから、関係者にご迷惑は掛からないと思うが、いま具体的な名前が推定できる形で残しておかないと根室高校の総番制度がなんであったのか、どうして廃止されたのか後輩たちは知るすべがなくなるだろうから、記録としての意味をもたせたい。

  ebisuは根高昭和42年卒業組、親戚のお兄さんに"まこちゃん"がいる。5歳年上で根室高校野球部のキャプテンであった。夏の金刀比羅神社のお祭りの時だったと記憶するが、足駄(歯が10cmほどある高下駄のことをアシダと呼んでいた)を履き制帽をかぶって家の前の歩道を歩いてきた。数歩下がってトッポイ(不良っぽい)のが10名くらい歩いてくる。そのときは"まこちゃん"が根高総番長だとは知らなかった。いつもと雰囲気の違う怖い顔をして歩いてきたので、声をかけられなかった。年に一度、総番グループのデモンストレーションだったのかもしれない。隊列を組んでいたのだが、こういうときはメンバーは総番の数歩後ろを歩くのがルールだったようだ。
 ビリヤードの常連客の一人のやくざの親分がいた。使いっぱしりで来た若い衆に、「ここは〇〇さんの店だから、おまえたちは出入りしちゃいけない」と言ったのを覚えている。Taさんは幹部4人だけ出入りを許していた。言葉使いはとてもよかったし、声を荒げるようなことは一度もなかった。常連の皆さんとはビリヤードのお相手をしたが、このTaさんだけは一度もわたしとゲームしなかった。根室に帰ってきてから、おふくろと昔話をしていたら、高校生の時に「Taがトシ坊になんかあれば言ってくれ」と言っていたと笑った。家業を手伝っていたし、1年間ほどは頼まれて珠算塾のバイトもやっていたので、小遣いは多かった、それでスナックに何度か出入りした。スナックのお姉さんたちは高校生だとわかっても野暮は言わない、面白がって飲ませてくれる。そこそこの広さの店でビールを飲んでいたら、端っこにいた威勢のよさげな若い衆から因縁をつけられた。相手にしないで放っておいたらグチグチいってしつこい、喧嘩になりそうだった。喧嘩を買おうか買うまいか迷っていた、そういう時は買わぬがいいのである。そこへ顔見知りのTaさんの組の若頭のKirさんが来た。入ってくるなり雰囲気を察して「トシ坊、どうした?」と訊くので、「カウンターの向こうの...」と説明が終わらないうちに、その人のところへ行って一言二言やりとりがあって、おとなしくなった。「話はつけたから」とKirさん、高校生がスナックへ出入りしていると、そのうちトラブルに巻き込まれる。Kirさんに迷惑をかけてはいけないから、「夜の社会科見学」はそれで終わりにした。
 漁師町で威勢のよい若い衆がだくさん出稼ぎに来る。町は若いエネルギーでにぎわっていた。昔はやくざ屋さんと元気のよい根室商業の生徒がもめ事を起こしたこともあったようだ、酒を飲んで酔っ払った勢いで喧嘩が始まる、相手はやくざの若い衆かもしれない。なるほど、よくわかった。

  根室高校へ入学してから、まこちゃん本人から総番であったことを聞いた。そのときに小さく折りたたんだ紙を出して見せてくれた。それには、セリフが書てあった。
 「お控えなすって、さっそくお控えなかって下ってありがとうござんす。てまえ生国発しますところ、…」

  じっさいにやって見せてくれた。左手を後ろに回し、右手を前に出して腰を落として一気にセリフを言う。歯切れよくよどみない見事なものだった。先代の総番からメモを引き継ぎ何度も何度も練習したという。どうしてそんなことが必要なのか尋ねた。根室高校生がやくざとトラブルを起こしたときは、総番がやくざと交渉しなければならない、だからやくざの挨拶の台詞はしっかり覚えなければならない。台詞を間違えたら殺されても文句は言えない、そう言い切った。あの時代はそこまでの覚悟がなければ総番を引き受けられなかったのだ。だから、その責を持たなくてよいメンバーは一歩下がって歩く。修学旅行で他の学校と同じ列車に乗り合わせた時はそれ相応の「挨拶」をするのは副番の役割。対外的な面で総番は根高を代表しなければならぬ仕事があったのである。もちろん、学校内の統率でも。総番の責任の重さをメンバー全員が知っていたから、総番には敬意を払った。

  わたしは根高へ入学した年の夏に足駄を履いて通学した。身長174cmあったから、当時は大きいほうだった。当然、上級生の番グループから眼をつけられる。ちゃんと呼び出しがある。わたしにも上級生3人から呼び出しがあった。生意気だと殴られるのだが、たいしたことではない、口の中が切れる程度の軟(やわ)なパンチを数発食らうだけ。翌日も足駄を履いて登校する。やるだけ無駄、あきれて二度目の呼び出しはない。二度目は危ないことをなんとなくわかっている。

  上の学年の総番グループとわたしたちの学年の総番グループが引継ぎを巡って抗争したことがある。13対7の喧嘩があり、北海道新聞の報ずるところとなった。「13対7の決闘」というようなセンセーショナルな見出しだった。7人しか集まらなかった3年生がぼこぼこにされて4人怪我をしていて病院へ行ったものだからばれたのだ。顔面数か所が腫れ上がったり、青あざになっているだけでたいしたことではなかった。あれは初冬で処分の出たのがテストの直前だった、関係者全員一週間の停学。羅臼のAbが下宿していて、学校にいけなくて寂しいというので、毎日あいつのところへ行って遅くまで花札をして遊んだ。テスト勉強はふだんもほとんどしないのだが、Abが「勉強しなくて大丈夫か?」と心配していた。毎日授業が終わった後数分黒板に書かれたことを頭の中に再現するだけで覚えられたから必要なかった。小学生の時から毎日家業のビリヤード店を2-3時間手伝っていたから、夏休みや冬休みや春休み以外は勉強する時間があまり取れなかった。珠算塾も高橋先生に頼まれて一年間ほど汐見町の塾を担当していた。アルバイトであるが、ビリヤード店を手伝って小遣いに不自由しなかったからバイトの必要ななかった。生徒会会計もずっとやっていたが、こちらは3年生になってからは指名した後輩Haに任せた。ようするに時間を有効に使うしかなかった。だから、集中力を上げて授業に臨み、授業の合間の10分間を使って数分脳内に黒板に書かれた事項を再現して復習を済ませていた。3か月間は記憶が維持できたから、試験前はざっと教科書を見て黒板に書かれた事項を思い出すだけ。
  花札三昧の一週間で退屈しのぎができたからAbは喜んだ。あの時も科目の2/3はクラストップだったから、Abが「ほんとうなんだ」とあきれていた。冗談だと思っていたのだ。Abは三年間同じクラス、昨年癌で亡くなった。15年前のいまころ根室へ戻ってきてから一度も会っていない。昔話がしたかった。

  総番のKoは『野球部、高校2年4月のクラス替えで一緒のクラスになった。2年G組は個性の強い生徒が何人もいた。扱いにくい生徒はG組に集めるというのが当時の学校側の生徒管理の方針。だから総番はGクラスと決まっていた。T山は三年間ずっと同じクラス、テレビ「11pm」に何度も出た女傑、美術部長。アンダーグラウンド業界では有名人、渋谷にビルをもっている。Kaは高3の9月に学校を中退して「ゴルゴ13」で有名な斎藤タカオの一番弟子になった劇画家。Diは社会人劇団で全国準優勝、G組には個性的で一癖あり面白いやつらが集まっていた。いや、よく集めてくれました。まじめな生徒も1/3はいました、その割合がとってもいいクラスだった。
  Koとは最初から妙に気があった。あいつと俺には似たところがある。自分の損得では動かないところだ。腕っぷしが強いだけでは根高の総番にはなれない。大きな権限は仕事の責任とセットだから、だれでもできるわけではない。上級生と同級生が認めなければなれない。Koは別格だった、なにより統率力がある。副番が3名いたが三人とも「格上」と認めていた。三人の副番のうち二人は大学へ進学している。一人は前回のブログで登場した同じクラスのMだ。もう一人はebisuと同じ大学で、あるテレビ局の取締役東京支社長をやった。静かな男だが、たまにぎらっとした眼付をすることがある、本人は気が付いているのだろうか、Tuも統率力と負けん気でのし上がったのかもしれぬ。Koが42年の3月下旬に突然家に来て、「一緒に代ゼミへ行こう」とわたしを誘った。あれがなければ、わたしは根室に残って家業を手伝いながら公認会計士二次試験を受験する道を選んだだろう。総番のKoは進路変更の恩人である。誘ったあいつは大学へ行かずに数年東京で暮らして根室へ戻って仕事に就いた。誘われたわたしはそのまま東京で大学、大学院へと進学することになった。

  1年生の時に授業に手抜きして雑談・将棋の自慢話ばっかりする数学のO先生とテストの回答のことでもめたことがあった。教卓を挟んで、テストの回答が間違っているので話し合ったが、埒が明かない。ふだんからいい加減な授業をやって面白くなかったし、自分のミスを認めようとしないのでカチンときて、「なに!」と声を荒げたらそれまでざわついていた教室が水を打ったようにシーンとなった。ここで殴れば怪我をさせるし、退学処分になる。こんな教師と刺し違えるのはごめんだと、一呼吸もしないうちにスーッと興奮から覚めた。踵を返して席に戻った。O先生は殴られると思って慌てて眼鏡を外した、速かったね。休み時間にAbが、「危なかったな、殴ると思ったよ」と心配してくれた。ふだんはいたって温厚な性格。

 2年生になってから、英語の先生が北大出身の沢井先生からH先生に変わった。この人の授業がひどかったのか後に釧路高専教授となった沢井先生の授業が素晴らしかったのか、雲泥の差、しかも手抜き、反省を求めて3回授業をつぶした。学生運動で「造反有理」という言葉が流行る2年前のことだった。「体育館見てきます」と宣言して教室から出ていく、バスケットボールをもってきて、「みんないくぞ!」と声をかける。Koが「オー」と応じて一緒に廊下を走り出す、続いて日和見していた同級生が立ち上がって体育館へ向かう。総番長のKoが席を立たなけりゃ男子の1/3はついてこない。
  H先生はこの件で「授業中に体育館で生徒を遊ばせる先生がいると」校長から叱責を受けた。ちゃんとした授業をしてくれたら、こんな嫌がらせはしない。しっかり教えてくれる先生にとってはebisuは品行方正ないい生徒だった。

  一年生の時に生徒会会計をやっているNa先輩から指名されて生徒会会計になった。当時の会計は部活や文化祭の予算配分を任されていただけでなく、帳簿の記帳もしなければならないし、決算業務もやらなければならないので、商業科3クラス150人のなかで検定試験で簿記がトップの生徒の指定席だった。2年になるとNa先輩から、「ebisu、お前が予算配分の折衝をやれ」と任されてしまった。本当は先輩の仕事であるから、わたしに任せてトラブルがあれば先輩の責任となる、思いっきりの良い先輩だった。ありがたかったから、活動状況を調べて予算折衝に備えた。各部の部長と副部長を生徒会室に呼び、個別に予算配分案を示す、前年の活動を踏まえてやるわけで、部長は3年生で上級生である。公平にやればいいだけだが、コミュニケーション能力が要求される。納得しない部長だっていても不思議ではないからね、相手はすべて上級生。学校内では財務大臣並の権限を握っていたのが当時の生徒会会計。これが社会人になってからずいぶん役に立った。2社で入社直後から予算編成の責任者を任されたが、高校生徒会での経験があったから余裕でできた。売上40億円規模の輸入商社と、当時売上300億円の国内最大手の臨床検査センターの予算編成を入社して間もなく任された。

  2年生は修学旅行が最大のイベント、当時は飛行機ではなく東京まで汽車でいった。東京まで28時間の列車の旅。11泊12日だが、車中泊が2日間。修学旅行はいいが東京へ丸刈りの坊主頭で行くのはみっともない。生徒会に拠点ができたので、校則を変える算段をした。仕事は差し建(段取り)が結果を左右する。校則改正は全校集会で採決が必要だった。校長が弱いのはPTAだから、そこから崩して全校集会にもっていくことにした。三年生は修学旅行がすんでいるから、関係なしと無関心派になってもらってはことが成就しない。生徒会内部から固めた。やりたいことを副会長の二人に説明すると、「よし、ebisuやってみろ」と任せてくれた。副会長のFuさんは室蘭税務署長で退職。もう一人のHaさんはヤクルト釧路支社長だったと噂に聞いた。
  髪は身体の一部、それを校則で丸刈り一本に決めつけるのは人権侵害だし、戦後という時代にそぐわない。そういう論調のアンケート用紙をでサインしてガリを切り、謄写印刷。生徒を通じて保護者へ配布。生徒会メンバー全員が手伝ってくれた。アンケート結果はこちらの予測通り、校則改正に賛成反対の集計をして全校集会を開く。すんなり校則改正へこぎつけた。修学旅行3か月前、何とか間に合わせた。同学年の男子は長髪で修学旅行に行けると大喜び。
  
  Koに仁義の台詞は伝わっているか訊いたことがあるが、伝わっていなかった。たぶん、一つ上の先輩たちも受け継いでいない。統率が取れていなかったのは総番長の仕事と責任の自覚がないからだろう。下の学年も小粒なのばかり。ワルはいたけど、Koのような器の大きい者がいなかった。限界だったのだ。共産党のAoとわたしとKoの三人で相談して決めたとAoが言うが、そのあたりの記憶はあまりない。Koとは阿吽の呼吸でやっていたからだろう。自分の利害は度外視だから、「やるぞ!」と言えばKoは「おう!」と応える、いつもそんなもの。案を煮詰め相談したのは三人でも、総番制度を廃止したのはKo一人の仕事だ。続けたかったワルが何人かいたはず。Koはよくやった。副番二人がサポートしたから体制が決したのではないかと思う。テレビ局の東京支社長をやったTuは昨年の同窓会で、Koに「格が違っていた」という意味のことを言っていた。Koはなりたくてなったわけではない、副番三人が格の違いを認めたから総番となり、そして数十年続いた根高伝統の総番制度を廃止した。大したものだ、好い友人が身近にいた。

  統率力に優れていたKoは水産会社で働いて取締役になった。勉強だけではないが、されど勉強。たくさん見てきたが、勉強のできる奴は少なくないが、統率力に優れた奴は滅多にいない。社会に出た時に統率能力にすぐてている者はそれを武器に世の中を渡っていける。統率力のある者の周りには自然に人が集まってくる、人間的な魅力があるからだろう。

<余談:複雑な人脈、意外な場所>
 共産党の青年部に「民青」という組織がある。民主主義青年同盟というのかもしれない。そことのかかわりを意図的に省いた。1年上の総番グループ数名が共産党の専従のところに出入りしていた。数年前に共産党市議をやめたSさんが専従だった。総番制度廃止に同級生の友人である共産党のAoが出てくるのはそのあたりも関係している。あいつはもう一つ上の総番グループに兄弟を通じて人脈をもっていた。わたしは一つ上のグループ数人に個人的な人脈があったから、一緒に遊んでかれらの人柄をすこしは知っている。今回はこれくらいにしておく。
 おふくろがやっていた居酒屋「酒悦」のお客さんに道庁勤務の組合関係者がたくさんいた。その中のKakさんから誘われて、彼の家で餅つきしたことがある。あれは1965年、矢臼別演習場での民青主催のキャンプがあった、キャンプが大好きだったのでKakさんからそれに誘われて参加した。その折に集合写真を撮ったのだが、そのネガは現像に回したら消えていた。1枚だけ消えていたのである。全道から参加したメンバーが写っていた。ネガには番号がついているから1枚抜けたらすぐにわかる。その写真屋さんはとっくにない。公安警察もなかなかやるもんだ、それがあってからはキャンプ参加をやめた。わたしの撮った写真を情報収集源にできると喜んだのだろうか?ずいぶん間抜けな情報活動だったから、バレバレ、二度目はない。大きく引き伸ばしてネガを戻しておけば気がつかなかった。
 当時、根室には私立明照高校というのがあった。Kitさんが生徒会長だった。三年生との基だったと思う、彼と話して生徒会同士のコミュニケーションをはじめた。同じ根室市内の高校同士だから、親睦を深めようとしただけの話だったが、公安には何か別のものに映ったかもしれない。女子バレー部の試合を組んだ。中学時代は同じバレー部に所属した友達同士が、高校では二つに分かれた。どちらかというと明照高校のほうへ運動神経の良いものが集まっていた。ところが明照側が惨敗した。やってみなければわからぬもの、意外な結果だった。原因は普段練習に使っている体育館の天井の高さだった。明照高校は大徳寺境内にあり体育館が狭く天井が低かった。教室3つ分くらいをぶち抜いて作ったような体育館、天井が低くトス練習ができない。根室高校の体育館でトスを上げたら天井が高いので頭がくらくらしたという。感覚が違ってお話にならなかった。運動する環境の差が大きいことを思い知らされた親善試合だった。生徒の側から明照高校体育館新設運動を起こすというような発想はなかった。きわめて穏健な親睦に限定された生徒会同士のコミュニケーションだった。kitさんも異論はないだろう。当時の明照高校生徒会長は9月の市議選に再立候補しなかったKitさんである。
 こういうことをやる人間だったから、公安から根室高校学校長へ「連絡」が行っていただろう。
 3年生の副会長から、応援演説をやってやるから、おまえが会長に立候補しろと言われた。その旨生徒会顧問へ話したら、生徒会会計をやっているから駄目だというヘンな理由で拒否された。じつは校長が強硬に反対していた。危険人物視されていたようだ。過大評価だった。相手が校長だから喧嘩を打ってもよかったが、間に挟まれた生徒会顧問の先生が説得できなかったと窮地に立たされる。会長でなくても生徒会は動かせるし丸刈り校則改正は生徒会会計でもやれた。あとはもっとやりやすいように段取りをすればいいだけ、ebisuは柔軟に対応した。立候補をとりやめを決意、1年生のときの同じクラスの友人Haに話して副会長へ立候補させ、事情を話して先輩の副会長お二人に応援演説をお願いした。快く引き受けてくれた。わたしが立候補しなかったので、オサムが会長になった。わたしは生徒会で一番の古株、事情を知らぬオサムはしばしば自分の意見が通らないことがあったが、わけがわからなかっただろう。しばしば学校側について孤立していた。ガタイのいいオサムは中学時代相撲部、たった一人の相撲部で、褌を占めて突っ張りの稽古に余念がなかった。だから、生徒会での孤立もなんてことはなかったのだろう。Koともそうだが、オサムともお互いに名前で呼び合う間柄だ。根室に戻ってきてから、テニス部だった同級生の女子Akのやっているスナックで数人の飲み会があった。オサムも来るという話なので「オサムは何時ころ来るの?」とAkに訊いたら、同席していた同級生のSが「生徒会長を呼び捨てするとは何事だ」と怒った。偉そうに言うので、「オサムが来たら訊いてみな、あいつも俺を名前で呼ぶ」と黙らせた。30分ほどしてオサムが来たので楽しく飲んだ。あいつの家は鮭鱒の漁師、リッチだったから高校3年の時に16段変速のロードバイクを買ってもらった。アナログのスピードメータがついていた。「オサム、自転車貸せ、一回りしてくる」というとカギを渡した。根室高校からセブンイレブン前までの直線は緩い下り、そこを思いっきり飛ばした、前をダンプが走っていた。メータが60kmを超して70に近づいたとたんに赤い光が目に入った。T字路でダンプがブレーキをかけた。タイヤが細いから急ブレーキをかければ滑ってダンプカーの下に飛び込むことになる、瞬間に身体を右側に倒してセンターラインを越えてカーブに突っ込んでいた。反対車線から車は来てなかった。来てたら即死、オサムは新品で載ってきたばかりのロードバイクをお釈迦にするところだった。気のいい奴で光洋中学時代あいつは隣の9組、英語の授業は同じクラスだった。
 高1の時だけ同じクラスだったHaは短大卒業の翌年、税理士試験に合格して、東京有楽町でずっと整理士事務所を営んでいる。四年制大学なら3年次税理士試験合格だから、とても優秀なやつだ。わたしの眼鏡に狂いはなかった。昆布漁師の息子である彼は夏場は家業の手伝い、家業を手伝っているところがわたしと似ていた。そんなに優秀でも簿記検定では3年間ずっとわたしの後塵を拝し続けた。高校時代は一度もわたしを追い越さなかった友達思いのいい奴だ。(笑)


  三人で新宿でパンチボールを叩いたエピソードが載っている。
*#3641 先生、ストレッチのし方教えてください!にびっくり Nov. 18, 2017


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#3641 先生、ストレッチのし方教えてください!にびっくり Nov. 18, 2017 [授業風景]

<最終更新情報>
11/19 朝8:35 「石火の機」を追記
         朝9:50  身体の声を聴くことの大切さとスキルス胃癌の診断


  昨日(11/17)の最低気温が今冬初めてマイナス、庭にあるスズメ用の水盆に氷が張っていた。
  体験入塾の中2の生徒が二人来た。ニムオロ塾は一クラス7人までの個別指導だから、数学と英語のワークを持ってきて質問をどうぞと伝えてあった。授業は他の生徒と一緒、ときおりやっている問題とノートを覗いてこちらから質問したり、質問を受けたりしながら、観察して学力レベルとどのあたりから躓いているのかを判断する。学習指導要領に縛られないから、生徒の学力に応じてヒントの出し方や説明内容が変わる、だから学校とはずいぶん趣の異なる授業になる。塾生の友人に体験入塾の一人が九時過ぎたよと促された。
  「あ、もう九時」
 そこでまた手を挙げた。

「ストレッチの仕方を教えてください」

  体験入塾でこういう質問、いやお願いは初めて。(笑)
  唐突で面白いので、なぜ、そして体のどこの部分のストレッチの仕方を教えてほしいのか訊いた。肩が固いので肩のストレッチを教えてほしいという。ピッチャーをやっているから、肩の柔軟性は選手寿命にも影響する、柔軟な肩ほど特定の腱への負荷を減らせるし球威を上げられる。彼にとっては大事なことなのだろうから期待に応えてみようと思った。
  ストレッチの話が出てきたのは前段があるのでそこから説明しておきたい。進路に合わせた指導をしたいので、授業の合間に将来の夢を尋ねることがある、問うとその生徒はプロ野球の選手になりたいときっぱり。成長期は骨が先に伸びて腱や筋肉は後追いでそれに見合ったものに成長するから、負荷を特定の部位にかけ続けたら、腱が壊れてしまう。中学時代は基礎基本トレーニングに徹して、地区大会ぐらいで勝ちたいからと無理しないように話した。この中学校はわたしが知っている限りで、4番打者のピッチャーを二人つぶしている。投げさせすぎてピッチャーを断念せざるをえなくなった。一人は武修館へ進学して甲子園に出場した。わたしはユウトに甲子園で投げさせてやりたかった。中1のときに助言しなかったことに忸怩たる思いがある。1学年上のもう一人は野球部をやめてバド部に、そして高校ではお姉さんと同じ陸上部へ。三つの部でそれなりの実績を残した。運動神経抜群の生徒だった。水泳で全道2位の成績を残したS君と学力で競い合っていた、常にS君の後塵を拝していたが文武両道、釧路公立大学を卒業している。S君は室蘭工大を卒業している、北大には少し届かなかった。
  野球に関しては、小学校と中学校の部活指導にスポーツ医学への配慮が欠けている。野球部やバド部の顧問を引き受けたら、スポーツ医学のイロハぐらいは勉強しよう。子どもたちの未来を左右しかねない仕事だ、仕事には報酬と権限と責任が伴っている。引き受けたからにはそれなりの努力しよう。ちゃんとやるのはたいへんだね。
  体験入塾の生徒へ、プロになりたいのなら、本格的なトレーニングは身長の伸びが落ち着いた高校に入ってからでいいと助言したのである。そうした会話の延長線上に「ストレッチのやり方を教えてください」発言が出てきた、どうやら勘の鋭い子のようだ。自分にいま必要なものを塾長がもっていると確信した発言に聞こえてしまったから、「石火の機」で反応した。石を打ちつけたとたんに火花が出る、その瞬間の判断だから、思惟が介在しない。大事なことはあれこれ考えるよりも石火の機に生じた判断を受け入れたらいい。自分の損得が介在したら判断を誤り、碌な結果にならない。

 さて、ストレッチの基本は呼吸が大切なのでそれをやって見せるために、机を少しずらして場所を確保した。開脚して胸を床にぴったりつける動作をやって見せる。息をゆっくり吐きながら自分の体重を頭の先に乗せて倒していく。3回息を吸って吐くと胸が床にぴたりとついた。実技で見せるのが一番だ。
「おお!胸が床についている」
 と声が上がった。子どもは正直だ、ebisuは団塊世代の爺さんだから、胸は床につかないと思っていたのだろう。57歳で胃癌の手術をするまではブリッジしてそのまま立てた。背中も柔軟だったが、術後は切った跡が引き攣(つ)れる気がしてブリッジをしなくなったら、いつの間にかできなくなっていた。肩も硬くなっていた。使わない部分は退化するのである。使い始めたらある程度は戻るし、機能低下をなだらかなものに制御できる。使いすぎて筋肉にストレスをため続けたら炎症を起こして固くなるが、そのあたりをコントロールできたら体の柔軟性はいくつになっても維持できる。毎朝、ベッドの上で10-15分くらい4種類のストレッチ運動をしてから起きている。ストレッチをすると、身体のあちこちが気持ちいいと声を上げる。身体を動かすたびに、身体が発する声を聴けばいい。自分の身体がどういう状態かよくわかる。
(わたしは2006年に巨大胃癌とスキルス胃癌を併発したが、初診の時に岡田先生に「胃癌だと思うので内視鏡検査をお願いします」と告げた。すぐに内視鏡検査をしてくれ、胃癌の診断をつけてくれた。幽門部の手前に大きな胃癌があり通路を完全にふさいでいた。診断結果を聞きながら、スキルスもあるはずだから、検査を続行してほしいとお願いした。外科のあるところでないと粘膜標本は採れないので、釧路の病院への入院を勧められた。3週間ほど内科的な検査を続けてスキルス胃癌の診断が下りた。なぜスキルスのあることがわかったのか種明かしをしておこう。身体の声を聴くことに慣れていたからだ。胃の裏側のほうに冷たく広がりつつある「何か」があると身体の感覚が告げていたのである。わたしの知識の範囲では、それはスキル膵癌だった。その通りだったのである。身体の声を聴くことに慣れたほうがいい。なによりうろたえずにすむ。)

  体重の重みを感じながら、ゆっくり息を吐いて倒していくだけ。息を吸うときには動きは止める。息を吐き始めたらまた体重を感じながら倒していくだけ。決して勢いをつけたり反動をつけたりしないこと。それをやると筋肉が切れてしまうことがある。切れたらやけどの引き攣(つ)れと似たようなことが筋肉に起きる。その部分が結合織となって固くなる。肩のストレッチもやっり方は同じで、左手で右手の肘を抑えて息を吐きながらゆっくり息を吐きながら左側へ倒して筋肉を伸ばしてやる。前かがみにならないようにやるのがコツ、小指の先と親指の先をくっつけると力を抜きやすくなる。かならず逆側もセットでやること。
 もう一つ大事なことを教えた。体をひねる動作である。やり方は一緒、やっているうちにだれでも体をひねる角度が180度は開くようになる。ひねりの可動域が大きくなるとボールを投げる時に腕に無理をかけずに投げられるようになる。体のひねりを指先に伝えることができるようになれば、球威は格段に増す。腕で投げるのではなく腰の回転で投げる。それができるようになったら、足の裏から腰の回転そして指先までエネルギーを伝えながらボールを投げられるようになったら素晴らしい。

 「真人の息は踵(かかと)をもってなし、衆人の息は喉をもってなす」(『荘子』)

  ebisuは小学生時代から長柄の鉞(まさかり)で廃材を叩き割って石炭ストーブの焚き付けをつくっていたから、背筋と腰が強い。18歳の時に東京新宿で、高校で同じクラスだった友人のKとMと三人でパンチボールを叩いたことがある。100円入れて叩くやつだ。KとMが叩いたあとにわたしがやった。二人は150-160kgあったから、なかなかのもの。
(根室高校にあった総番制度の幕引きをした最後の総番長がK、三人の副番長の一人がMだった。ひと月ほど前にMが根室に来た。Kから二人で飲んでるから来ないかと電話をもらったが、授業中で外せなかった。50年ぶりで三人で飲みたかったな、三人そろって飲んだのは18歳のとき、高円寺だった。二人ともちょっだけやんちゃだったが性格は温厚、人はとってもいいのである。何十年たっても気分は高校時代のまま、あいつらも生涯の友。)
 ああ、パンチボールの話だった、ebisuは踏み込まずに腰の回転だけで叩いたのだが180㎏を超えていた。当時はプロボクサーのパンチ力がどの程度か知らなかったが、それを知っている今は並のプロボクサーよりも破壊力のあるパンチだったことがわかる。身体が柔軟で、可動域が広かったからである、背筋が強かったこともある。体は細かったが背筋力も200kgほどあった。長柄の鉞で四寸角や五寸角の廃材を叩き割っていた効果は大きい。腰の回転が腕を伝って拳まで届かせることができれば破壊力が大きくなるのは当たり前。動き始めは力を抜いてゆっくり、当たる瞬間に速度と気力がマックスに達するようにやればい。1万回もやっていればそういうタイミングを体が覚えてしまっている。小学生低学年の時から、面白半分に拳や手刀で焚き付けを1万本以上も割っていたから、中学生になったころには拳は空手を数年やった者たちよりも硬く重かっただろう。踏み込んで叩いたら頭蓋骨を粉砕骨折することになるから一度も人を叩いたことはない。大概のことでは腹を立てぬ人間になっていたのは、怒りに任せて力を解放すれば人殺しなる、それが怖いからだろう。

<試用期間>
  昨日来た生徒は、午前中に母親から問い合わせがあった。「子どもが塾に行きたいと言っているので電話しました、どういう風にやっているのですか?」、親が塾に行けと無理やりのケースは効果が薄いが、本人が学力を上げたくて塾へ行きたいと言っているなら、部活がきつくても文武両道を貫けるだろう。最初が肝心である。だから、初回はきついことを言う。でも、学力が低いことを理由に断ったことはない。中学時代はとんでもなく伸びるやつがいる、だれがそうなるのかはわからない。成績が急激に伸びる生徒たちには、ちゃんと塾に来て、問題が解けるようになると楽しそうに夢中で勉強するという共通項がある。百点満点で30点取れていたら見込みがある、数英のいずれかの科目がクラス一番になるかもしれない。そういう生徒が十人に1~2名くらいの割合で現れる。だから面白くて、体力が続く限り塾長はやめられぬ。
  入塾後3か月間は試用期間、文字通り「お試しの期間」である。部活を理由に疲れたからと休む生徒は3か月間だけ。お金と時間が無駄になるからやる気が起きた時にまた来たらいい。3か月間来るべき日に定められた時間を守って通塾できたら合格、正式に入塾を認める。昨年から方針を変えた。受け入れるのは学力を上げたい生徒だけ。体験入塾の日に伝えることにしている。今年は二人ばかり伝え忘れた生徒もいた。ちょっと手を焼いている。(笑)

  一緒に来たもう一人に確認したら、「友達に誘われたので来ました」とはっきり。月に2回やっている日本語音読トレーニングは次回が12/5だから、参加するなら斎藤隆著『日本人は何を考えた来たのか』(祥伝社)をリライアブルブックスで注文したらいいと伝えた。帰りに本屋によって注文していこうと誘っていた。
 「俺たち、三人塾メンだ」
 おいおい、そんなに簡単に決めなくていいぞ、他も試してみたらいい。

  親の仕事の都合で送り迎えの時間が定まらない場合は、生徒のせいではないから、相談に応じることにしている。迎えが遅くなるから3時間というケースもある。小さい塾だから臨機応変にそういうこともできる。小さいことはいいことだ。

*#2635 蟹江敬三さん胃癌で死去:ステージ3、病診連携が奇跡を起こすこともある  Apr. 7, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-07


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#3640 心情を表す語彙が課題 Nov. 18, 2017 [語彙力と「読み・書き・そろばん」]

  11月9日に中学1・2・3年生の学力テストが実施されたが、2年生のある生徒の国語試験問題と答案を見比べて気が付いたことがある。

  何に気が付いたかというと、「押し黙った」とか「口をつぐんだ」というような、人の心の状態を表す句の意味を問う問題が3題出題されていたが、三つとも間違っていたこと。出題形式は四択だった。前後を読めばわかりそうなものだが、そういうジャンル語彙を知らなかったのである。
  音読トレーニングで取り上げたのは2冊とも「論説文」である。論説文には人間の感情や心の揺れを表す語彙はほとんど出てこない。そうした語彙は万葉集や『源氏物語』の時代から文学作品にふんだんに出てくる。心情表現の語彙の大きさの順に並べると次のようになるだろう。

   論説文 < 小説 < 文学作品

  随筆は論説文と小説の間に入るだろうし、短歌や俳句はもちろん文学作品に含まれる。芭蕉の句に「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮」があるが、夕日に暮れなずむ景色の中に一点烏の黒が全とぃの風景を引き締める役割を果たしているのことに気が付くだけでなく、読み手がその時どのような心境だったのかについても伝わってくる。こういう風景に託した心情表現という高等技術は外国の文学作品では見たことがない。表現として短歌や俳句は語彙の問題の地平をを超えているところにある。
  この句は、数学者の藤原正彦が『国家の品格』109ページで採りあげて論じているので、興味がもてたら新潮新書で200ページ足らずの本なのでお読みいただきたい。

  ところで、この生徒は日本語音読授業を4月からやっている。月2回のペースでいま2冊目をやっており、 一つ目は斎藤隆著『語彙力こそが教養である』(角川新書)、二つ目は『日本人は何を考えてきたのか』を取り上げ、今週127ページまで読み進んだ。90分の音読授業で毎回40ページのペースで読んでいる。贅沢な話だが、二人か三人での輪読あるいは同期音読トレーニングだから、60分を過ぎたあたりからヘロヘロになり、呂律が回らなくなってくると助詞や名詞の誤読も増えてくる。90分間気を緩めずに先読みをしながらの音読は、集中力と気力の維持が必要なのだ。集中力が切れた瞬間に誤読が起きるから指導する側にはとてもわかりやすい。だから、60分でやめたこともある。集中が切れた状態で続けると、だらだら読みが癖になりかねないから、そういう状態になったと感じた瞬間に中止、残りの時間は読めなかった漢字の書き取りをやらせる。読めない漢字や誤読した漢字が出て来たときは、音読をストップしてルビを振らせている。「細かい」と「「細い」は送り仮名で読み方を判断しなればならないがこういう類のものや、何通りかの読みがあるが文脈との調和からどの読みがベストか判断しなければならないものもある。読み方には読み手の教養の範囲やスキルの程度が明瞭に出るもの。だから、半年、一年と続けていくと、そのあたりに変化が生じてくるので、聴いていると腕の上がったことが伝わってくる。そこに音読トレーニングの醍醐味がある。そういうわけで、毎月2回水曜日の音読トレーニングは楽しいからやっている。本気で取り組む生徒は必ず上達するし、上達させることができなければ指導する側の問題で、それはそれでその都度考え、効果的な方法を考えて試してみればいい。指導する側も指導技術が上がっていくからキリなく楽しめる。音読トレーニングは楽しい。
  英語もこういうスタイルの朗読授業は効果が大きいだろう。

  この生徒が学力テストで90点台の得点をするためには、文学作品を読まなければならない。だが、部活が忙しくて、そういう時間の余裕がない。80点台から90点台の得点へと踏み込むためには、間違えた個所のうちどこで点数をとるのか検討しなければならない。検討した結果、M君には課題がはっきり見えた。心情を表す表現の多い文学作品を濫読すれば、国語は90点以上とれるようになる。古典も課題だ。
  部活や自主トレを優先し続ければ、文学作品や古典を読む時間など取れるはずもないから国語の点数は頭打ちになる。どうするかは本人の選択。学力テストで国語80点台ならそれで十分という選択もある。私はもったいない気がするが、本人の選択の問題だから、点数をアップする具体的な方法を旨告げるだけで、どうしろとは言わない。
  文武両道はそのバランスがなかなかむずかしい、一部(10-20%)の人間ができるのみ。どうしてよいかわからぬ時は、より困難な道を歩め。

#3539 落葉樹の対義語は? Nov.12, 2017 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-11-12

#3607 同期音読トレーニング Sep. 6, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-09-06

 #3509 数学のセンス(2):「同型性」と「拡張」⇒どのように考えるのか Feb. 19, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-02-19


〈 音読リスト:#3405より 〉
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< 国語力アップのための音読トレーニング >
 中2のトップクラスのある生徒の国語力を上げるために、いままで音読指導をしてきた。読んだ本のリストを書き出してみると、
○『声に出して読みたい日本語』
○『声に出して読みたい日本語②』
○『坊ちゃん』夏目漱石
○『羅生門』芥川龍之介
○『走れメロス』太宰治
○『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
 『五重塔』幸田露伴
 『山月記』中島敦
●『読書力』斉藤隆
●『国家の品格』藤原正彦
 『日本人は何を考えてきたのか』斉藤隆
 『語彙力こそが教養である』斉藤隆 ⇒現在音読中、2017年3月中旬読了予定

 これから読むものをどうしようかいま考えている。
●『すらすら読める風姿花伝・原文対訳』世阿弥著・林望現代語訳
 『福翁自伝』福沢諭吉
 『善の研究』西田幾多郎
 『古寺巡礼』和辻哲郎
 『風土』和辻哲郎
 『司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質』文春文庫
 『伊勢物語』

(○印は、ふつうの学力の小学生と中学生の一部の音読トレーニング教材として使用していた。●印の本はふつうの学力の中学生の音読トレーニング教材として授業で十数年使用した実績がある。音読トレーニング授業はボランティアで実施、ずっと強制だったが2年前から希望者のみに限定している。)
・・・
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語彙力こそが教養である (角川新書)

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日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす

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#3639 落葉樹の対義語は? Nov.12, 2017 [語彙力と「読み・書き・そろばん」]

  中3の学力テストに落葉樹の対義語を問う問題があったが、「できなかった、習っていない」とある生徒、なにやら不満顔。ああ、意識の差があるんだと気がついたしだい、今回はそれについて書いてみる。

  試験には習ったことしか出ないものだと思っている様子、なるほどそう思い込んでもしかたのないような状況が根室市内の中学校にあるのも事実。定期テスト問題には教えたことしか出題しない先生がほとんどだろう。国語を教えている先生が最近、定期テストで半分くらい初見の問題を出題したが、その先生は例外、見上げたもの。他の教科でもそういう先生が一人いらっしゃる、教え方に自信がなければそういうテスト問題はつくれない。ebisuが知りうるのは狭い範囲だから、他の学校でもそういう先生が10-20%くらいいるのかもしれぬ。しかし、ほとんどの先生が教えたことだけを出題している。しかも教科書準拠問題集からそのまんまのケースが散見される。これでは成績上位層の生徒はつまらない。
  だが、学力テストは教えている先生が出題するわけではないから、習っていないことが出るのは当たり前と考えるのが普通ではないか。

  団塊世代が中学3年生の時に全国一斉学力テストがあった。社会の問題で国際機関名が略号で6個ぐらい出題されたが習っていなかった。北海道新聞を読み、これらの略号が出てくるつど元の正式名称を辞書で確認していたから全部正解できた。だから、1学年550人中で社会の点数が一番高かったことがある。習っていない問題で差がついただけ。参考書や問題集をいくら消化しても、同じ学年に550人もいれば、学年一位はまぐれでしか取れない。実力差でもぎ取るには、そういうレベルと超える勉強をふだんからしておけばよい。それが北海道新聞を読み、国語辞典と漢和辞典と英和辞書を引くことだった。試験の成績を上げたくてやっていたわけではない、面白いからやっていただけ。新聞を読めば地図帳で場所を確認もする歴史も地理も公民も国語も英語も計算も科学も、ひとつの新聞記事でつながってしまう教科横断的な思索あるいは各教科のクロスオーバがしょっちゅう生じる。役に立たない勉強はない。世の中で何かが起きたら、それを総合的に理解するには中学・高校で習うすべての教科の知識が必要になる

  落葉樹の対義語は常緑樹であるが、迷った生徒が多かったのではないか。たとえば、「針葉樹・広葉樹・落葉樹」と並べると、頭一文字だけが違っているから、同じものを三つに分類したようにも見える。
  漢字の字義から判断すると、落葉樹とは葉っぱが落ちる樹種をいう。乾燥期を生き残るために葉っぱの大きい樹種は葉を落とし休眠状態になる。そうしないと枯れてしまうからだ。自然とはじつに精妙にできているものだと感心する。針葉樹の葉っぱはとがって面積が小さいから、乾燥期でも葉っぱからの蒸散量が少ないから、葉を落とす必要がない。しかし、針葉樹でもカラマツのように葉っぱを落とすものがあるからこれらの用語の相互関係はややこしい。用語を整理すると次のようになるだろう。

  ① 常緑樹 ⇔ 落葉樹
  ② 針葉樹 ⇔ 広葉樹

 葉っぱが落ちるか落ちないかを基準に分類すると①になり、葉っぱの形状に注目すると②の分類ができる。
 そして、この両方の分類には関係がある。落葉樹は広葉樹の真部分集合である。数学記号を使うと紛れがない。

  落葉樹 ⊂ 広葉樹

  ややこしいのは、針葉樹の一部にカラマツのように落葉樹があること。専門用語や概念は対義語を一緒に覚え、別の基準での分類や上位・下位概念との関係もしっかり押さえておきたい。これがごちゃごちゃだと論理的な議論が成り立たない。中学生になったら、用語の定義とか概念についてはこういう整理を常日頃から心がけたいもの。

  国語の問題として出題されたが、わたしが社会科の教師なら、針葉樹林帯や広葉樹林帯の地図記号が出てきた時に、常緑樹や落葉樹の説明もついでにしておく。理科の教師なら裸子植物と被子植物のあたりで言及するかもしれない。
  生徒たちのボキャブラリーが貧困化している。教科書を独力で読み、予習できない生徒が国立情報研究所の最近の調査でも25%いる。根室の中学校では20-35%である。学校学年によってばらつきがあるのは当然だが、小学6年生用の語彙力テストで50点以下がそれくらいいるということ。

<朗読授業のススメ>
  学力の基礎は「読み・書き・そろばん(計算)」にあり、三つの技能は重要な順序に並べられている。
  小学校で朗読授業を週に1時間でいいからやってもらいたい。朗読は語彙力を拡張するのに役立ち、日本語読解力を大きく伸ばす。朗読は小学校の時期が旬である。『赤毛のアン』を読んでいたら、隔週金曜日に小学校で朗読授業のあることが書いてあった。

「それから金曜日は、一週間おきに、暗唱の授業があって、みんなで詩を吟唱したり、芝居や小説の対話劇を演じたりするんですって。ああ、考えると華やかな気持ちになるわ。」 p.274

  Every other Friday afternoon she has recitations and everybody has to say a piece or take part in a dialogue.  Oh, it's just glorious to think of it.      p.153

  松本侑子訳は日本語の格調が高く原文のもちあじと釣り合っているように感じた。原文は小学生が読むような語彙レベルのものではなく、大人の読み物である。

  週一ぐらいで、英語の朗誦授業があってもいいのではないか。例えば、小学生ならマザーグースを、中学生なら1500語レベルぐらいの短編小説や詩という風に。

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#3638 学力テスト総合C:顔で笑って心で泣いて Nov. 11,2017 [さまざまな視点から教育を考える]

<最終更新>
11/17 朝8時 「日本語読解力=読みの正確度×読みの深さ×読む速度」を追記

  木曜日(11/9)に学力テスト総合Cがあった。数学の問題にむずかしくて手が付けられなかったと生徒がいうので、問題を見た。「どの問題ができなかった?」と問うと、大問が6題あり、「大問3」の2次関数の(2)は放物線上の四点を結んでできる正方形1辺ABの長さを出す問題と「大問5」の正三角形とその内部にできた三角形の面積比問題を指さし、「この二つです」と自信喪失の体(てい)
  なぜ「大問5」の図形問題が解けなかったのだろう、どうやったのか聞き、原因を探っておく必要がある、どちらも標準レベルの問題にすぎない、こんなレベルの問題をミスる生徒ではない。五科目合計点で1年生の時からずっと学年トップ、数学でトップをとれなかったことは初めてかもしれぬ。五科目合計点の目標値は270点超だった。3回とも260点台で270点には届いていない、手を伸ばせば届く位置にいたのだが、自分で立てた目標に届かなかった。学年一番だけでは気が済まない、彼にとっては自分が立てた目標値との勝負なのである、それに負けた。精神面の弱さが出たことが原因であることは自分自身が一番よく分かっている。だから顔で笑って心で泣いている、なにより眼がモノを言っていた。悔しくないはずがないし、不甲斐ない自分に腹を立てている。
  悔しくて悔しくて、大泣きするぐらいだと、それはそれで将来がとっても楽しみなのだが…

<できなかった問題は平凡なものだった: なぜ?>
  2次関数は類似問題がシリウスにも載っているし、いま数1問題集の2次関数の最後のほうの問題をやっているから、簡単なはず。問題集はシリウスの標準を使っているから難易度はセンター試験レベルである。中3の問題集も『シリウス』だった。難易度は首都圏で標準レベルだろう。『シリウス発展編』の難易度を知りたくて調べるために取り寄せてみたが、難易度の高い問題のオンパレード。発展編の問題集は無理と判断し、標準問題集を採用した。『シリウス発展編』は数1を始めて勉強するのに難関国公立・私大受験用の『赤チャート問題集』を使うようなもの。出版元の営業マンに電話で聞いてみたら、道内の塾でこの問題集を使っているところはないそうだ。
  ようするに、いままでやってきた問題集のレベルは北海道の学力テストよりもレベルが上のものということ。

  具体的に見ていきたい。「大問3」の2次関数は次のような問題だった。これは標準レベルで、ありきたりのもの。

  大問3: y=1/4 x^2 と y=-1/2 x^2 がある。それぞれの放物線上に左上から反時計回りにABCDと点をとるときに、四角形ABCDが正方形になるとき、線分ABの長さを求めよ。

  B(t、1/4t^2)として縦横の長さを t を用いて表し、等号でつなぐと t に関する2次方程式になるから、お定まりの基本問題である。何の変哲もありゃしない。この生徒は t は解いたのだが、答えが分数になったので間違っているかもしれないと思い、どうしようかと逡巡している間にベルが鳴り、時間切れ。線分ABの長さは放物線が y軸に対して線対称だから、t の値を2倍すればいいだけ、そこに気がつかなかった。
  こういうときは「とりあえず答えを書いてから考える」と指導している。座標平面上に2つの2次関数が描かれているから、そこに正方形になるように3回書きこんでみたらいい。3回目にはだれでも十分な精度で程よい位置に正方形を描くことができるだろう。バイナリーサーチの応用である。システム技術の一つだが、黒板を使えば簡単に説明できる。描けたら点Bのx座標がどれくらいになるか読み取り、答えの分数がそれに近ければ正解と考えてよい。あるいは出た答えに近い点を記入してみる、そこを起点に正方形になればOKだ、こういうやり方は適用範囲が案外広い。計算のし直しではチェックのできないことがある。チェックは違う方法でやるのがいい。ある情報の信頼度を判断するには、まったく異なるソースあるいは経路からの情報とぶつけてみる。一致していたら信頼性が高い。重要な仕事はこういうふうにして確度を上げる。勉強の仕方は社会人になった時に仕事に通じるものだ。

  あまり簡単なので、解説を聞いてショックだっただろう。むずかしい問題ならともかく、典型的な標準問題だし、最近やっていた過去問でも放物線の外側に正方形のできる問題があった。それは一次関数との複合問題だったから、そちらのほうがすこし難易度が高い。

  二つ目の「大問5」は次のような問題である。テスト問題用紙がないので記憶で書いているから、そのままではないが、必要な条件は漏れていない。問題には図がついているが、このエディターでは描けないので読者は自分で作図してほしい。

  大問5: 正三角形ABCがある。辺ACを2対1に分割する点をPとせよ。辺ABに平行に点Pから線を引き、辺BCとの交点をRとせよ。辺AB上にQをとる。Rを通り辺ACと平行な線と辺ABとの交点をQとせよ。∠BPR=∠BPQであるとき、次の問いに答えよ。

 (1) ∠PBR=m度とするとき、∠AQPをmを使った式で表せ。
 (2) Rを通り辺ACと平行な線と辺ABとの交点をQとするとき、△PQRは△ABCの何倍か。

  (1)は∠Aが60度だから、△AQPの注目すれば、∠APQが出れば残りの∠AQPが出せる。∠BPR=∠BPQという条件がついているから、こちらから攻めろというのが、出題者の意図。もちろん、∠RPQのほうから攻める手もあるが、出題者の意図にそって∠QPAのほうから攻めるのが本筋。
  この問題はできたと思ってた、泥臭いやり方でやれる、単に文字式の計算力を問う問題である。特別なひらめきは必要ない。金曜日に別の生徒がやはり大問5が解けなかったというので、黒板でやってみた。もっとスマートな方法があるかもしれないので、思いついたら報告してと伝えた。全部を提示する必要はない、指導の要点は生徒が自らやる余地を残しておくこと。
(11/15 午後七時追記: ハンドルネーム @tさんが投稿欄へ二種類の解法を書きこんでくれましたので、答と解説はそちらを参照してください。)

 さて、(2)だが、この問題は簡単である。AC//QRだから、P点を点Cに移しても面積は変わらないから、等積変形の応用問題とみることができる。辺QRを底辺と考えれば高さは△ABCの1/3であることは見ただけでわかる。底辺は2/3で高さが1/3だから、面積は掛け算で2/9と暗算できる。これが一番スマートな解き方だろう。
  わたしは問題文を読み終わって10秒たらずで解けたので、問題文を読み直して、提示された条件をもう一度じっくり吟味してみるように勧めた。制限時間は10分間。相似な三角形が三つあることに気が付いていないので、ヒントをあげたらできた。平行四辺形に目が行ったようだ。それと∠BPR=∠BPQにも目がいってしまった。この条件は(1)の問題に必要なだけで、(2)には関係がない。一か所に目の焦点があってしまうとそれをリセットするのはなかなかむずかしい、そこにとらわれていたら解けないから、そういうときに先入見をリセットする能力を培うにはふだんの問題演習で試して慣れたらいい。十分に留意して指導していたつもりだが、足りなかった。集中するのは簡単だが、それを解除するのはとっても難しい。意識的にトレーニングするしかない。わたしがそういうことをコントロールできるようになったのは20代になってからだった。でも、適切な指導があれば中学生でもある程度マスターできる。

  等積変形の応用問題と捉えたこの解き方のポイント(わたしは「問題のヘソ」と名付けている)は、斜めの辺QR底辺とし、その底辺に対する高さに注目することにある。底辺PRと辺ABは平行だから、頂点PをCに移動しても面積は変わらない。高さは△BCAの1/3だ。
 底辺QRに対してそれに対応する△ABCの底辺はACだから頂点の位置関係がさかさまになってしまう。頭の中で図形を反転させる操作ができないとむずかしい。女生徒はこういうイメージ操作がなかなかできない。この生徒は図形イメージを脳内で動かすトレーニングはしてきたし、できるようにはなっていたが、パニックに陥ったことで培った技能が使えなかったようだ。不安の心がわくと脳が突然に「金縛り」状態へ移行する。「この問題はむずかしい問題だ、とてもできない」という心の状態が生じたら、もう解けない。
  しかし、等積変形の応用問題だと気が付かなくても別の方法がある。△ABCから△RPCと△BQRの面積を引き算する方法だ。残りは平行四辺形になるが△APQはその半分。△PRCは辺の比が1/3だから面積比は1/9、△BQRは辺の比が2/3だから面積比は4/9、この輪を1から引くと4/9、それが平行四辺形の面積、求める三角形はその半分だから2/9ということ。こちらも単純だから暗算で30秒あれば十分だ。デカルトの『方法序説』には科学の方法の四つの規則が挙げられている。その中に、「必要なだけの小部分に分割する」という項が出てくる。この場合は元の正三角形ABCをその中にある正三角形二つと、平行四辺形の三つに分割すればいい。複雑な問題は必要なだけの小部分に分割することで、単純な問題に還元できる。これも繰り返しトレーニングを積んできた。それが発揮できなかったのはあることがプレッシャーとなったからだろう。半年後にはそういうプレッシャーが常時かかるので、今回試す必要があった。その結果、学力テスト総合Cでメンタル面に課題のあることがはっきりした300点満点で学年2位との差がいつも50点開いているし、五科目全部が学年トップのことも何度もあったが、メンタル面に懸念があったので確認したかった。そういうときに機会が向こうのほうから訪れた。

 なぜこちらの方法が見えなかったのか?それは△ABCと△BQRと△RPCが相似であることに気が付かなかったからだ。一つの問題に3通りくらいは解法があることはふだんの勉強で何度も解説しているからわかっていたはず。だから糸口が見つからない問題なんてめったにないのだ。社会人になったら仕事では糸口の見つからないものがいくらでもある。それを見つけるのはある種のセンスだ。"the 6th sense"
  これからも良問に出喰わしたら、問題集にある解法とそこに載っている別解のほかにスマートな解法を時間をかけて何度も研究してみることだ。
 そういう作業を繰り返すことで十分勉強したから必ず解けるはず、というところへ気持ちの切り替えができたらすばらしい。お化けは出てこなくなる。

<不安がお化けを生む>
  なぜこういう見落としミスが続けて起きたのか?心に不安があったからだと思う。「シリウスと学力テストは問題傾向が違う」と言った。ふだんからそう感じていたようで言い出しにくかったのだろう。遠慮は無用なのだよ。学力テストで問題傾向が違っているからできない問題があり、そのせいで数学満点が取れないと思い込んでいたようだ。(それでも学力テストでは一度だけ数学満点を取ったかな、もちろん難易度の低い定期テストでは何度も100点をとっている。)
  こうした勘違いの思い込みは怖い。心の不安は、その不安が種となり、芽を出し、現実となる、それが心の作用の怖いところ。

  使っているシリウスの標準問題集は都立高校(進学校=毎年10人前後の東大合格のレベル)受験でも十分対応できる難易度だから、これを消化して北海道の学力テスト問題でできない問題はない。それでも同じ問題集を3ラウンドやらなければ「わかる」から「できる」状態にならない。標準問題は考えなくてもできるところまで練習しておけば、新傾向の問題に遭遇した時に考える時間的余裕がもてる。そういう「糊代(のりしろ)」を確保しておくことが受験には重要なのだ。2ラウンド目はマークを付けた1/10から1/20くらいの問題をやればいだけ、3ランド目は1/30くらいの問題にしかマークがついていないから、初回の1/30の時間で消化できる。初回に1年かかった問題集なら、2ランド目は1か月でやれる、3ラウンド目は2週間だが、それをやっていなかったということ。なぜやれなかったかは理由がある。この生徒固有の問題が潜んでいるので、あとでちょっとだけ触れるつもりだ。
 不安があるから「お化け」を見てしまい、パニックになる。じつは簡単な問題がトレーニング不足から解けないだけ。出題傾向が違うせいではない。今回の2次関数の問題も図形の問題もありきたりで、標準的な難易度の問題に過ぎないことはいままでの解説で明らか。納得いくように繰り返しテスト問題の具体例で説明してやればいい。

 ところで、この生徒の場合、不安が起きるとすぐに体が反応し体調に現れる。昨日来たときは、寒気がして抜けない様子、免疫が下がって風邪をひいたのだろうか、ストレスに敏感な質(たち)だ、神経が繊細なのは長所と考えよう。長所を維持しながら、ストレスに強くなれたらいい。

<心のコントロールはどうやればいい?>
  心を心でコントロールはできない。体と呼吸を整えたら、心は自然に平常心へ回帰するもの。もっているスキルがそのまま自由自在に使える。呼吸を数えながら歩くもよし、短い木刀を毎日100回振るもよし。歩きながらやるなら、吸気しながら3歩あるき、息を吐きながら5歩あゆむ。それに慣れたら、歩数を増やしていく。5歩あるきながら吸い、10歩あるきながら吐く、息は流れるようよどみなくする。とくに吐く息に注意し、全部吐き切る、そうすれば吸気は自然に起きるから、新鮮な外気が肺を満たす感覚を味わう。呼吸に意識を置くことで雑念が消え、平常心になる。慣れると、教室で数回ゆっくり深呼吸するだけで平常心を取り戻せるようになる。心は呼吸でコントロールする
  「家にある短い木刀を毎日100回無心に振れば精神が強くなる」と伝えたが、笑って相手にしない。「そんなことありえないよ、先生」と生徒。言ってもわからない時があるから時期が訪れるまで待つだけ。受け入れる準備ができたらもう一度話してみたい。
 頑固なところがあるのはいいことだ、あはは。

<不安の種を探る>
 不安が兆す原因はわたしの診るところではもう一つある。この生徒は1年先行学習をしている、つまり、中3で高校1年の数1・Aや高校英語教科書を使って勉強している。数学はセンター試験レベルだし、英語は高校教科書は使っているが、単なる材料で大学受験を超えた精読をしている最中だ。
(中3のシリウス英語問題集をやり終わって、9月から始めたが、予定通り3か月で1年生の教科書を終わりそうだ。2年と3年の教科書はそれぞれ4か月かける。11か月で高校教科書を終わった後は、ジャパンタイムズ記事を教材に取り上げる。ついでといってはなんだが、大学院入試レベルが到達目標である。あ~あ、わたしが中学生になってニムオロ塾に通いたい。)
  そういうわけで、学力テスト範囲は1年前に終了しているから、テスト2週間前から問題集に印をつけてある問題だけをもう一度やっている。3回やれといっているが時間が不足してやれていない。テストの前だけテスト範囲のみをやる。どうしてこういうことになるのか理由がある。土日は基本的に勉強時間が取れないからだ。平日の毎日3時間勉強するとして、土日を8時間ずつやれば、週に31時間である。土日ができなければ半分の15時間しかできない。これでは先行学習して印をつけた分の復習が十分にやれない。印がついているのは1/10から1/20程度だ。学年トップをとりたければ他の科目もやらなければならないから、平日の勉強はそちらに割かれる。時間に無理があるのだが、土日に勉強時間が取れないのは家庭の方針だから、それはそれでいい、失うものがあるが得るものもある。しかし、そうした生活習慣を変えない限りこの生徒の不安の種は尽きない。変わるときが来れば、自然に変わるものだから、無理はしない。そこいらあたりはebisuはとってもルース(緩い)なのだ。型にはめられるのが嫌いだから、生徒を型にはめるのもいや。

<心の不安を消すには?>
  中学生になってから最初のテスト2回は500点満点の五科目合計点で2位との差が1点、2点だった。あのころに比べたらこの生徒はずいぶんと学力を伸ばした。弱点だった国語や社会も学年一位のことが多くなっている。3年生になってからは300点満点で学年2位との差が50点に拡大している。これらは100%本人の努力のたまもの、立派な実績である。
  そういう過程を経ていまがあるのだが、ステージが上がって次の問題が見えてきたことも事実である。テスト範囲の相似の章は自力で予習しながらやったが、何とか理解できただけ。複合問題になると相似は難問がつくりやすいから、センスが働かなければ糸口が見つけられずまったくお手上げになることがあることがわかった。理解した後、標準問題を軽々と解けるようになるには、トレーニングが必要だが、その時間が十分にはとれない。だから、心の奥底に不安が芽生えてしまう。時間が足りないことは本人が一番よく分かっているから、お化けはそこから出てくる。
  心の弱さは誰にでもあるから、大学受験に合わせてその欠点をカバーするつもりで教えている。高校2年中ころまでに、センターレベルの数1Aと数ⅡB、そして数Ⅲを終わっておき、2年生の秋ころから印をつけた問題を3ラウンドやると同時に、難関大学向けの問題集を3ラウンドやり切ったら盤石の自信が生まれる。そこに焦点を合わせて指導をしていた。だから、「中学時代は学年1位にこだわるな」と言いつづけてきたが、よい意味で頑固者だから先生の言うことは聞かぬ。自分の我を押し通すが、思春期をまっとうに通過しているだけだからそれでいい。心の成長にはこういう過程が必要だ。この時期に親の言うことも先生の言うことにも素直に従って育ったのでは、弱い心のまま大人になる。真っ当に育っている。
 よく東大理Ⅲに子どもを3人とも入れましたという母親がテレビに出ているが、分刻みでのスケジュール作成・管理でがんじがらめにする育て方はわたしには阿呆にしか見えない。社会に出てから大丈夫か?長年やっていたことは習慣となり性格の一部になってしまっている。社会人になってから仕事のスケジューリングや管理をできるのか、やったことがないことはなかなかできないもの。そして習慣化したものや性格の一部になってしまったものを取り除くのは容易なことではない。

  昨日は中3シリウス問題集をもってきた。2週間後に定期テストがあるから万全の準備をしておきたいと主張するから、納得がいくまで徹底的にやったらいい、それまで高校数学は中止でいいと伝えた。大学受験に焦点を合わせて欠点を克服する戦略が崩れるリスクはあるがここは辛抱だ、臨機応変に手を考えたらいいだけ。ふんわり受け止めてやるのみ。さて、いままでの勉強のスタイルでは限界がはっきりした。生活習慣も含めてどうやって乗り越えるか、ここから先は本人の問題、成長が楽しみだ。

<それぞれの悩み:学年トップでも学力に関する悩みはある>
  学年トップが勉強に悩みなんかあるはずがないと思っている人が多いだろう、そうではないのだ、悩みのない人間はいない。学力に優れていてもそれはそれで悩みがあり、ときに深い。他の学校の学年トップもそれぞれの悩みを抱え、自分と闘いながら日々勉強しているのだろう。
  学校の授業は低学力層に焦点が当たっているから、学力上位層はスポイルされている。したがって、独力で勉強するしかないから、他の学校のトップレベルがどの程度の点数を取り、どういうことで悩み、どのような学習の仕方をしているのかを知ることでさらなる学力アップへの道を切り拓くことができれば幸いである。
  ブログを書きながら、そういう人たちが大学を卒業して十数年都会で能力を磨き根室に戻って来れるようになったらいいなと、夢見ている。


<2年生の数学の問題がむずかしかった>
  中2の生徒が数学の問題がむずかしかったと言っていた。テストはまだ返却されていないので見ていないが、学年トップが60点(百点満点)だという。この生徒はB中学校。 英語が苦手で点数がとれなくなって1年生の12月に入塾した生徒M君だが、すっかり弱点を克服した、いやそれどころか得意科目に変えた。英語は学年トップのことがある。部活が忙しいので勉強時間が確保できないのが悩み。
  本を読む時間的余裕もない。本は時間の余裕のある時に読むべきものなのか、本を読む時間を様々なことよりも優先させて時間を作るべきものなのかは、個々人の生活スタイルや価値観に依存している。
 ニムオロ塾では月に2回(90分×2)日本語音読トレーニングしているが、最近ずいぶん上手になった手ごたえがあったM君は結果を出した。そして課題も具体的な形をとって現れた。他の人たちへの参考になるだろうから、その課題については稿を改めて書くつもりだ。M君は学力テストの国語の点数が60点台から初めて80点台へアップしている。日本語読解力が強化されたことによるので、他の科目へもきっとよい影響が出る。国語も数学も社会も理科も英語も教科書を予習するときに必要な力は日本語読解力である。
   日本語読解力=読みの正確度×読みの深さ×読む速度
  日本語音読トレーニングは、読みの正確さをチェックしながら読む速度をアップするトレーニングである。ときどき解説を入れて、読みに深さの違いを体感させている。

<急成長中の3年生の生徒>
  C中学校の中3数学は、7月半ばから来ている生徒がどうやら数学だけ学年トップだったようだ。四月学力テストと比較すると数学と英語はそれぞれ10点以上アップしている。ここまではわたしの予想した通りの展開。ここから先のステージは自分で切り開かなければならないから本人次第、塾先生にやれるところはほとんどない(笑)。苦手科目の理社から逃げているが、そろそろ問題集1冊選んでやらなければ、五科目合計点の伸びが頭打ちになる。さて、苦手科目から逃げる怠惰な自分とどう向き合って成長するか楽しみだ。K君、期待に応えてもらいたい。

  ニムオロ塾では生徒それぞれの問題点や課題そしてチャレンジの具体的なやり方については、授業の合間に対話している。もちろん進捗状況もチェックする。


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