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#1940 職人技という視点から授業力を考える:C中学校フリー授業参観感想記  May 19, 2012 [教育問題]

 昨日(5/18)11時少し前から12時過ぎまで授業参観させていただいた。学校側のご厚意に感謝申しあげる。

 私が見学を終了したときに参観者リストに記名のあった数は16名である。ずいぶん昔(1991年ころ)東京日野市の中学校の授業参観をしたときに後ろのスペースが参観者でびっしりだったのを思い出す。ふだんの授業参観も同じだとしたら根室は参観者数が都会の5分の1以下だろう。それがそのまま教育への関心の低さを表しているとしたら、教育への関心が異常に低い地域といえそうである。保護者や地域住民が教育に関心がなければその地域の学力は下がる。学力の高い地域は父兄や地域住民の教育への関心も高い。

 1年と2年の数学の授業を4コマ見たが、教え方についてはさすがベテランの先生、お二人ともおじょうずだった。とくにお一人は動作も板書も無駄がなく、必要最小限で完璧にまとめていた。もう一度中学生にもどって授業を受けてみたい気がする。
 2年生の数学の授業を見学したときに、2クラスのうち1クラスが円の面積や角柱の体積の単元をやっていた。あれは1年生の2学期の後半か3学期当初にやるべきところなのだが、なぜいまごろやっていたのだろう。やりのこしたのだとすれば、授業スケジュール管理がとがめられていい。
 学校の授業は校長先生ですらアンタッチャブルであるから、授業はすべて教科担当の先生に任されており、「積み残し」や「すっとばし」があってもだれも咎める人がいない。授業は担当の先生の「聖域」となっている。
 民間会社で類似のことがあれば叱責の対象で、ボーナス査定や昇給昇進に大きな影響が出る。放置したら担当者が叱責されるだけではすまぬ、その上の管理職が責任を問われるから、こういう事態はほとんど起こるはずがない。学校運営システムの重大な欠陥がここに露呈している。一般社会と隔絶していることに先生たちは気がついているのだろうか?

 教科書は東京書籍を使っているが、改訂されて四月から3年生は50ページも増えている。1年生も同程度増えているのだろう(2年生のみ分量に変化なしだ)。学習指導要領が「指導すべき最低限を現した基準」とされて、教科書の内容が豊かになったのはいいのだが、土曜日は休みのまま、放課後補習はやらないでは、消化できるはずがない。

 たまに4月・5月に積み残した部分をやっている学校がある。一部の学校を除いて大半の学校は教科書の半分が終わるのが12月である。残りの半分を3ヵ月半でやったことにしている。前半の計算問題に時間をかけすぎ、1年生なら方程式の文章題や図形の問題を短期間ですっ飛ばしてやったことにする。2年生はむずかしい証明問題や確率問題をすっとばしてやってしまう。順列や組み合わせは、高校で教えるnPrやnCrを使ったほうが理解が速いからニムオロ塾では「行きがかり上」中2の授業で教えている。学習指導要領は最低限の指導内容を規定したものなのだから、中学校の先生は高校の範囲まで踏み込んでいいのだが、「長年やりなれた授業」が癖になっていて、その呪縛から逃れられない。「積み残し」や「すっとばし」は3年生も同様だ。数年前の教科書では2次関数が一番最後になっていたが、2月になってからやる時間がなくて「自分でやっておけ」とほったらかしにした教師がいた。これはB中学校の先生たったお一人だけで他に例がないほどひどいもの。しかし似たようなすっ飛ばしのケースは三分の二をはるかに越えているから、学力テストの平均点が下がるわけだ。1月に終了して2月3月は総復習とレベルの高い問題をやらせればいい。根室市内の中学校の先生たちには「すっ飛ばし」が常識かもしれないが、学力の高い地域でそういうことはまれだろう。ほとんどの人事異動が管内でなされるから知らぬ間に世間が狭くなっていることに気がつかないのである。

 積み残しをすると翌年の学力テストの平均点が下がるのはあたりまえだ、むずかしい単元の方程式の文章題や図形の問題をすっとばされて教えられたら、大半の生徒が学力テスト問題の約半分を解けない。それどころか基礎計算問題ですら満足に解けない生徒が三分の一を超えている。自力で解けるのはデキのうんとよい生徒か塾でそれなりのトレーニングを受けた生徒たちだ。
 積み残しは英語も同じこと。こうして数学も英語もヒストグラムを描くと山が二つあるフタコブラクダになる。他の科目でフタコブラクダの分布を示すものはない。自分たちで『得点通知票』を作成しているのだから、統計の専門書をみながらその特徴をきちんと分析してみたらいい。出しっぱなしではなさけない。

 あれだけ無駄のない授業をしていた先生は普段もあの通りなら教科書が50ページ厚くなっても教えきるだろう。でも、そういう力量のある先生は少数派だろう、おそらく2割といない。
 2年生の授業で1年の図形のところをやっていたもう一人の先生がもし積み残したところをやっていたのだとしたら、厚くなった教科書を消化するのはとうていムリだろう。その結果、平均点に大きな差がつくのではないだろうか?積み残しではなく、生徒たちが苦手だからたまたま2年生の授業で1年生の重要事項の復習をしていたのだと思いたい。

 英語の授業でこういう文が板書された。
 Have you played the piano for three hours?
  いくぶんの驚きや非難を込めて「三時間(も)ピアノをひいていたのですか?」というときに使うのだろうが、たんに「三時間ひいていたのですか」とたずねるなら、現在完了進行形を使うのがふつうだろう。
 Have you been playing the piano for three hours?
 中学校の学習指導要領には現在完了進行形が載っていないから、いままでなら教えなくてもよかっただろう、しかし、学習指導要領はいまでは「教えるべき内容の最低基準に格下げ」されたのだから、現在完了進行形は中学校でも教えるべきなのである。教えるべき例文が出てきたら行きがかり上教えてしまえというのが、いまの文科省の方針だと考えていい。英語の教科書も30ページほど厚くなっているが、現場の先生たちがまだ学習指導要領記載の項目が指導すべき事柄のすべてであるという意識から抜け出ていないようにみえる。
 そしてわたしは授業で教科書を読まないのが気になった。たまたま今日だけなのか普段もそうなのか、音読トレーニングが中学英語の基本だろうと思うのだが、それがないのは意外だった。教科書を読めない生徒はたんに英語が苦手だからと思っていたのだが、授業での音読トレーニングの貧弱さも主要な原因にあげていいのではないだろうか?英語が苦手の生徒は教科書を読めない例が多い。

 わたしは私塾で教えているから、東京で教えていた院生の時代も、その後民間会社でサラリーマン生活をして35年ぶりに根室へもどって塾を開いて授業をするときも、学習指導要領はまったくの無視。「小・中・高・大・社会人と一気通貫の視点」で、行きがかり上教えるべき項目が出てくれば中学生でも高校レベルや大学レベルの内容に踏込み教えてしまう。きちんと説明すれば大半の生徒が理解できるのである。そこも教える側の技術だろう。成績のよい生徒はそういう知識に飢えているし、成績の悪い生徒も便利なツールがあったほうがむずかしい単元は理解しやすくなる。中学生に高校の範囲まで踏み込んで教えてはいけない理由はどこにもない。

 お二人の数学の先生、そして英語の先生の授業を見ていてわたしは上手だなと思いつつどこか違和感と窮屈なものを感じた。後で考えてみると学習指導要領や指導用赤本の範囲を実に見事にこなしておられることがわたしには異様に映ったのだと気がついた。
 学習指導要領を金科玉条に祭り上げて教えることになれた先生ほど「学習指導要領は最低限の基準」と肩透かしを食らった現在、長年の「癖」を外せずにもがいているように見える。毎年毎日繰り返すことが習慣となり、ほとんど無意識に学習指導要領の範囲にしばられた授業しか展開できないようになってしまっていることにベテランたちは気がついているだろうか?

 あえて踏み込んで書いたほうがいいだろう。学習指導要領に厳格にしたがって無駄なく精緻につくり上げられた授業は所詮プレハブ住宅をつくる職人として腕があがっただけだ。できた部材を組み立てているだけ、大工のレベルとしては下だ。そういう授業を目指していたら百年たっても揺るがぬしっかりした家は建てられぬ。部材に墨付けし切込みを入れて鑿で削って鉋で磨き、一つ一つ組み立てる技倆は永遠にもてない。
 生徒が社会人になっても、仕事で困難にぶつかってもくじけず戦えるだけの力(基礎学力と智慧)をつけてやること、その一点を考えて今日の授業に打ち込み己の腕を退職する日まで磨き続ければいいだけではないのか。
 そんなにむずかしいことではない、基本に忠実にやり続ければいいだけだ。先生自身が勉強することだ。専門書をたくさん読み日々考えることを繰り返す。そういう先生の授業は10分もみればすぐにわかる。そういうレベルをプロの技というのではないのか、プロのお代(給与)をいただいてアマチュアの技倆で満足してはいけない。

 わたしは大事なことを言っているつもりだ。小学校の先生が九九や分数や小数の計算を教えそこなうとしよう。そういう生徒に中学校の先生が学習指導要領どおりきっちり教えたらどうなるか?中学校では九九や小数位取りや分数計算の基本を教えない、生徒の学力テストの平均点が30点台で、基本計算が理解できていなくても中学校の学習指導要領にはないのだから、教える義務はないと考えるのは先生の意識のない「教育労働者」の道理だ。
 目の前の生徒が基礎計算すらできないのを知っていながらほうっておく、そのような無責任なことが、小学校と中学校で行われている。根室西高校の先生たちが毎年繰り返しそれをカバーしている。小学校や中学校で落ちこぼされた生徒たちに分数や小数の計算を夏休み前の授業で教えざるを得ないのである。
 その一方で、できる生徒には「教えるべき最低限の内容を規定した学習指導要領」を超えて高校の内容を教えていい。前(小学校で教えるべき基礎計算)も後ろ(主として高校で教えるべき高度な内容)もみて、中学生に教えるべきなのである。私はそれを「一気通貫の視点」と呼んでおく。
 学習指導要領をみるまえに、目の前にいる生徒を見て、教え方を考えろと言いたい。放課後補習をすれば救える生徒はたくさん見つかるだろう。もちろん高度な内容を教えるべき生徒も見つかるはずだ。それが先生たちの本業ではないのか?ブカツは本業の片手間にやれ。本業をないがしろにしてブカツに狂奔するバカな先生たちやそれを歓迎するおろかな保護者が多過ぎる。そうした状況がこどもたちの学力を下げる装置として機能しているに違いない。

 社会の先生が面白い授業をしていた。温帯性気候を説明するのに「温暖湿潤」と板書して、一語一語その語のもつ意味を解説していた。生徒の大半は語彙が貧弱で「温暖湿潤」を理解できないからこういう授業は効果が大きい。生徒のレベルをよく理解した授業だと感じ入った。
 中2になっても「形容詞は名詞を修飾する」と英語の授業で説明しても意味がわからず、「修飾」と黒板に書いても意味がわからぬというのが普通の成績の中2の生徒なのだから、日本語語彙の説明は国語以外の教科でもやらざるを得ないだろう。国語の授業をやっている教室の板書が廊下を歩いているときに目に入ったが、たいへん難しい言葉が書かれていた。昨日のことなのになんだったかその用語が思い出せないが、説明をしないとほとんどの生徒が理解できないレベルの用語だった。2年の国語だった。たぶん言葉の意味を授業で説明していたのだろう。国語辞書すら引かない生徒が多いから、まして漢和辞典を引いて基本漢字の意味を調べようという生徒はまれだ。基本漢字でつくられた熟語の意味すら解説しなければ意味が理解できないほど中学生の漢字能力や語彙能力が低下している。おそろしいことだ。
 社会の先生の授業の話にもどそう。ユーラシア大陸の東側が温帯性気候だと説明したあとでなぜそれらの地域が「温暖湿潤」なのかを生徒に問いかけ、季節風から説明していた。授業ではそこまでだったが、夏の太陽の位置や大陸中央部の気圧と海の気圧配置から説明すれば理科に踏み込むことになるが、それでいいのだ。学際領域はどんどん踏み込んで教えていい。
 わたしは高校社会の一級免許だが、この先生の方が説明が巧そうだ。美しい黒板の字を見て文字や言葉を大切にしている先生と感じた。

 共通して言えることは授業内容が学習指導要領に縛られすぎてはいないだろうかということだ。文科省がいいと言っているのだから小中高一貫したfar-sightedな授業に切り換えるべきではないのか?小・中・高の先生たちが根室の生徒たちの学力を上げるためにそれぞれがどうすべきか話し合うべきだ。

 先生たちが気の毒だと思えるシーンもあった。1年生が一番熱心に授業を受けていたので先生たちは授業がやりやすいだろう。しかし2年生のクラスに授業態度がなっていない生徒が何名かいた。家庭の躾けの問題が浮かび上がってくるようなシーンに出遭った。姿勢は悪いA、立って歩くB、説明を聴いていないCDE・・・。あきれて先生もあまり注意をしない。注意しても言うことをきかないのだろう。うちでもおそらく親の言うことを聞かない、そんな風に見受けられた。社会の先生は4時間目の授業で後ろの席で寝ていた生徒を名指しで叱り、席までいって注意した。生活習慣に問題アリかも知れぬ。団塊世代のわたしが小学生のころ、家の仕事を夜遅くまで手伝って毎日のように一番前の席で机に突っ伏して寝てしまう女の子がいたが、家庭の事情を知っている先生は一度も注意しなかった。授業を聴いていなければ成績は1のままだから教えている先生はつらかっただろう。
 わたしは、体力のない生徒がブカツで疲れて眠ったときは15分間ほうっておく。眠って休憩を取ったほうが問題をたくさん解けるからだ。
 体力と気力に勝る生徒はブカツでどんなに疲れても授業中に眠ることはないがそういう生徒はまれだ。大事なことは、毎日決まった時間にちゃんと来て、最初から最後まで気を抜かずに勉強し続けるということだ。それが習慣になればどうってことはなくなる。辛さは一時のことで乗り越えられるから最後は自分との戦いだ。つまでも自分に甘えるな、自分を甘やかすな。

 2010年12月の北海道新聞の取材ではこの学校はずいぶん荒れていたが、1年生と3年生はよくなったのかもしれない。それでも1年生のお迎えテストで4科目平均点(英語がないので4科目)が80%を越えた生徒はたった一人だけ(受験者数は53人となっていたが今日の授業の出席者を数えたら59人いたようだ)。
 7年前にはこの中学校の1学年の人数はおおむね80~90人で、学力テストの5科目平均点が80%を越える生徒は20人前後いたのである。いまでは学力テストの平均点80点超の成績上位層がすっぽりいなくなりまるで別の学校である。ブカツを優先して低学力層をほうっておくと短期間でこれほど変わってしまうことに驚く

 こういう現状を踏まえてこの中学校もさまざまな取り組みをしていたり、これからするはず。野付小学校のように学校のホームページ上で保護者や地域住民にアッピールしたらどうでしょう?もちろんそういう取り組みは弊ブログでも取り上げたいと思います。学力向上に意欲的な学校が増えることが私の願いです。

*#1307 教育再考 根室の未来 第2部 低学力④:荒れる中学校 Dec.19, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19-1

 #1935 フリー授業参観に行こう  May 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-14


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#1939 根室高校野球部試合登録復活  May 18, 2012 [教育問題]

 昨年3人まで部員が減った根室高校野球部は4月になって新入生が入部し、久しぶりに試合登録が可能となった。しかし、一年生主力のチームで練習も一月弱では現実は厳しい、釧路江南高に13対0で負けた。

 これから一年間の練習の積み上げでどれほど成長できるか、練習メニューのナカミが問題だ。来年は実績をあげてその成果を示してもらいたい。
 三人に減ってもめげずにたんたんとトレーニングし続けた努力を認めたい。団塊世代の一人に回しをつけてテッポウをやっていた友人がいた。たった一人の相撲部員だった。逆境に強い精神力を鍛えることはできたのだろう。性格はまるで違うのだがなんとなく気が合う。「オサム元気か?」、親しい仲間内ではお互いに名前で呼ぶ。

 1学年5クラスで定員割れするようになったから、野球部以外にも部員集めに苦労している団体競技のブカツがある。高校のブカツは7時半までやっているから、勉強との両立に二の足を踏む生徒が多い。地元での就職がむずかしくなっているからなのだろうか。

 生徒たちを通して入試の得点を観察しているので、この数年間の高校新入生の学力低下が著しいことにおどろく。市内の中学校の取り組みをみるかぎり、今後数年間さらに下がり続けるのだろう。小手先ではダメ、小学校も中学校も放課後補習をきちんとやるべきだ。
 高校の先生たちは今日も「進学講習」と称して基礎と応用クラスにわけで複数科目の放課後補習をやる。こうした試みを根室高校普通科は年中やっている。
 どうして中学校にできない?仕事はできない言い訳をしていたらいつまでたってもできないものだ。「仕事ができない言い訳を聞くために雇っているのではない、言い訳ではなくやる工夫をして相談に来い」、民間会社の経営者ならそういうだろう。  


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#1938 お酒の飲み方・しつけの仕方:小樽商大アメフト部員急性アルコール中毒 May 17, 2012 [教育問題]

 お酒の飲み方は親元にいるうちに、つまり高校生のうちに家庭で躾けないと様々な事故のもとになります。小樽商大生の急性アルコール中毒事件やずいぶん前ですが女子学生を酔わせて何人もで強姦などというひどい事件がありました。
*平成15年早稲田大学イベントサークル「スーパーフリー」による集団強姦事

 若い女性がどの程度飲めば自分がどうなるかを知らないで酒を飲むのが危険なことはだれでもわかるでしょう。飲酒は20歳以上と法律で決められていますが、実際には18歳で高校を卒業すると飲む機会があります。
 だから、高校生のうちに親がお酒の飲み方をしっかりしつける必要があります。何も躾けず無防備で都会へだしてはいけない。世間には酒の飲み方飲ませ方をしらない先輩も多い、悪い奴らもどこにでもいます。

 私は高校の入学式当日にオヤジにこう言われました。「高校生になったから今日からうちで飲んでもよし、ただし酒は楽しく飲め」と一言。さすがは元落下傘部隊、言うことが大胆・簡潔で要を得ているのがやたらうれしかった。
 躾けはたった一言でいいんです。お陰で3年間でしっかり飲み方を覚えましたよ。うちでいくらで飲んでも高校時代に酒に関して小言は一切なし。もちろん家業の手伝いはほとんど毎日、夏休みや冬休みや春休みの時間のとれるときには家業を手伝いながら一日10時間を超える集中的な勉強もしました。その上での酒でした。仕事(家業の手伝いと勉強)と酒は別、どちらもきちんとやる、大人の自覚(?)がありました。飲んでも崩れず楽しく飲むにはどうしたらいいか、どこまで飲めば二日酔いになるか、急性アルコール中毒にならないようにペース配分も含めてありがたく「トレーニング」しました。週1ぐらいでやる飲酒が自然なトレーニングになったんですね。経験から学べることは多いものです。
 「いっぱいやるか?」「おう!」、親子の阿吽のコミュニケーション。東京へ進学したら親子で飲む機会はめったにないから、貴重な三年間でした。
 いくら飲めてもウィスキーのがぶ飲み(一気飲み)は急性アルコール中毒を引き起こす可能性が大きいのでやらせてはいけません。こういうことは種類の違う酒を実際に飲んで酔いを試してみないとわからないものです。躾けは大筋だけ、細かいところは自分で判断させる。
 当時は高校生にお酒を認めている家庭は2割はありましたね。タバコの方は10%程度はあったでしょう。おおらかなものでした。半分大人扱いです。

 法律論を棚上げにした乱暴な話しですが、酒の飲み方は男の子も女の子も、高校生のうちに家庭で親が躾けるしかないと思います。子供が可愛いならそうするしかない。他に子供を守る方法がありますか?

 18歳を成人とすべきでしょうね。高校生に酒を飲ませるのはいかがかと・・・そう思っているあなたには正月を利用して躾ける手がありますよ。正月くらい息子や娘に飲ませていいでしょう?飲酒の危険も含めて飲み方をしっかり教えましょう。誰だって自分の子供は可愛い。

【高校生や専門学校生・大学生の幼児化】
  お酒の飲み方ぐらい親に教えられなくても高校生のうちに自分で学べと言いたい。そういう能力が失われていっているような気がします。わたしは高校生や大学生の幼児化が気になります。戦後一貫して高校生や大学生の幼児化がとまらない。手をかけすぎですね、残念ですが利用の仕方を間違えるとわたくしども学習塾もそうした装置のひとつとなります。
 勉強は本来自らやるもの、塾でやるのはぜいぜい2科目、あとは自分でトライする部分を残しておくべきです。普段から主要5科目全部塾任せにしたらどんな大学に合格しても(高い確率で)社会人となってから使いものにならない人間に育ってしまうでしょう。他人の指示がないと何をどうしていいのかわからない使えない人、"指示待ち人間"をお金と時間をかけてつくりあげることになります。なんともおろかな所業ですが、実際にはよくある話しです。手のかけすぎはいけません、一律には行きませんがどこかで判断してストップ、ほどほどがいい。大人が確固たる信念をもたないと子供のしつけができません、むずかしいものですね。選択肢のあることに自ら気づかせ、どちらに進むべきか方向を間違えないようにコンパスをもたせるようなもの。ebisuは幼児化を助長しないような教え方をこころがけています。

*小樽商大アメフト部 飲酒で学生一人重体、未成年7人含む男女9人病院搬送(5月8日産経ニュース)
 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120508/crm12050810170007-n1.htm

 

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#1937 看護師志望の学生へ:近視の意外な事実 The sunny side of myopia May 16, 2012 [高校生のためのJT記事]

 5月13日付のジャパンタイムズ紙の社説に近視がとりあげられている。昨日のBS放送での古い西部劇映画では"shorsighted"と言ったように聞こえた。myopia(マイオゥピア)は医学用語で馴染みがないからわかりにくい。
 看護師志望の学生はこういう医療関係の記事一般的な科学記事は読みなれておいたほうがいい。
  いつもどおり著作権の関係上冒頭部分のみ紹介するが、URLを記しておくのでダウンロードしてプリントアウトしておけばいい。根室はキオスクでもジャパンタイムズが買えない。なるべくハンディを小さくしてあげたい。
 http://www.japantimes.co.jp/text/ed20120513a1.html
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Sunday, May 13, 2012

EDITORIAL

The sunny side of myopia

A new comprehensive study of eyesight around the world has found that 80 to 90 percent of secondary school graduates in East Asia suffer from nearsightedness, or myopia. The new study, published in the Lancet medical journal recently, found that neither genes nor increased time reading and writing were to blame for the worsening rate of poor eyesight. The real cause was more basic — lack of sunlight.

The worst eyesight was found in major East Asian cities in China, Taiwan, Hong Kong, Japan, Singapore and South Korea. The rates of myopia there were consistently 80 to 90 percent throughout East Asia, with 10 to 20 percent of those affected suffering from high myopia, a condition that can ultimately lead to severely impaired vision and blindness.



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 ランセット・メディカルジャーナルに載った最近の研究論文によれば明るい日光の下で遊ばないことが近視の主要な原因。
 近視の割合は地域別に特徴があり、次のような分布になっている。
 ①中国東岸の主要都市、台湾、香港、日本、シンガポール、韓国が80~90%、その内の10~20%が強度の近視で深刻な視力障害もしくは盲目になる可能性のある状態。
 ②英国は30~40%
 ③アフリカ諸国はたったの2~3%
 ④世界平均値は10~20%の間
 勉強しない国の近視の割合は低いというふうにも読める。英国型は一部のエリートだけが勉強して国をリードすればいい(英国とフランスに共通する教育観と思っていいだろう)、大衆は勉強しなくていい。アフリカ諸国は小学校すら満足に整備できていない国がほとんどで、水汲みを手伝ったり、仕事を手伝ったりしてこどもたちは日光の下で活動しているから、数字の低さにうなずかざるをえぬ。

 こんなことが書いてある。
 東アジアのこどもたちは学校から帰ってきて、勉強するかテレビ、コンピュータかゲームスクリーンをみる、そういうことが近視の原因だと以前の研究では考えられてきたがそうではなかったというのが新しい研究成果。
 昼間、外で遊ぶことが心身の発育と健康にだいじだというあたりまえの結論である。うちの中で勉強する時間だけ日のあたるうちに外で遊び、バランスをとれということだ。
 団塊世代が小学校低学年、テレビが普及する前の時代がまさにそうだった。暗くなったら外での遊びは終了、さようならとそれぞれ家路についた。テレビもパソコンもゲームスクリーンもなかったし、もちろん学習塾なんてものもなかった。夕食後は用事がなければ自然に勉強する習慣が身についた。
 わたしは家業の手伝いを夕食前後2時間ほどやっていたが、それも生活習慣の一部だからあたりまえのことだった。勉強時間が充分にとれなかったから、短時間で効果を上げたくて集中力がついた。

 タイトルも洒落だが、終わりの文もシャレのめしている。

"The current practice of letting children grow up inside is severely shortsighted."

(ニムオロ塾ではジャパンタイムズ紙の記事を使った高校時事英語授業をやっているが、この社説も授業でとりあげる予定。写しのほしい高校生がいれば誰にでもさしあげますからとうぞとりにお越しください。)

*社説は二つ載っていて、もう一つのほうも高校生に読んでもらいたい。家庭内虐待(暴力とネグレクト(無視))の経験が既婚女性の32.9%もある。

"Married women as abuse victims"
 
http://www.japantimes.co.jp/text/ed20120513a2.html

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#1936 経常黒字の落ち込み最大:Surplus in '11 logged biggest fall on record  May 15, 2012 [高校生のためのJT記事]

  5月11にジャパンタイムズに載った記事である。経済学部を受験する生徒は目を通しておいたほうがいいだろう、それくらいの重要性のある記事。
 全文の引用はできないので、冒頭部分のみ抜粋。URLを記しておくのでダウンロードしてプリントアウトしてゆっくり読んでもらいたい。日本がどういう状況にあるのか自分の頭で考えてみよう。

http://www.japantimes.co.jp/text/nb20120511a1.html
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Friday, May 11, 2012

Surplus in '11 logged biggest fall on record

Kyodo

Japan's current account surplus logged the sharpest fall on record in fiscal 2011, as slower exports, growing imports, the strong yen and higher prices for crude oil and other commodities conspired against it, the Finance Ministry said Thursday.

The balance of payments, the widest gauge of a country's international trade, totaled ¥7.89 trillion for the year that ended March 31, a 52.6 percent plunge from the previous year — the largest fall since comparable data became available in fiscal 1985.

The total surplus was also the lowest seen in 15 years, but would have been even worse if not for increased income from companies' portfolio and foreign direct investment, the ministry said in a preliminary report.

Exports dropped 2.8 percent to ¥62.63 trillion, the first decline in two years, while imports surged 14.0 percent to ¥66.08 trillion, marking the second straight year of growth. The balance of trade in goods clocked a deficit of ¥3.45 trillion, the largest since data began to be compiled in fiscal 1972.

……
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  surplus:(この場合は)経常収支の黒字、経常黒字という
 経常収支=貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支

 2011会計年度(2011年4月1日から2012年3月31日)の経常収支の黒字額が対前年度比52.6%もの大幅な落ち込みをみせた。比較可能な1985年以降のデータでは最大の落ち込みである。原因は輸出減速、輸入増大、円高、原油および他の商品(天然ガス、穀物等?)の値上がりによる。つまり、貿易収支の赤字転落が経常収支の黒字大幅縮小の主要な原因。
 今日の前場の日経平均は8900円を割っている。


 5月10日配信の毎日新聞記事のURLを書いておくので、訳したあとで数字の関係をつき合わせてみたらいい。
 「<国際収支統計>経常黒字52%減 15年ぶり低水準」
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120510-00000025-mai-bus_all

【ebisuのコメント】
 数字の関係が正確に読み取れていれば"◎"である。貿易収支が赤字となり(所得収支黒字は増え続けているが)、経常収支の黒字が急速に縮小し始めている。これは東北震災などの一時的なものではない。日本は縄文時代から1万2千年の歴史をみても経験したことのない人口縮小の時代に突入してしまった。この大きな変化を見落としてはいけない。
 一人当たり所得が同じでもGDPは30年後には現在の500兆円から300兆円へと縮小するだろう。良質な労働人口は労働力市場から去りつつある。人口縮小とあわせて雇用形態も変わり労働力の質的低下が続いている。教育(学力)の国際競争力も低下がとまらぬ。これらを考え合わせると、これから数十年間は日本に経済成長はありえない。日本のGDPはまもなく縮小へ転ずることになるが、避けられないことだ
 わたしたちは小欲知足、ワーキングシェアーをして一時的には生活レベルを切り下げなければならないのだろうか。人口が60%くらいに減少してしまえば、貿易政策(国際的な孤立を恐れずに食料については自由貿易をやめ徹底した国産優遇の管理貿易へ転換する)や農業政策次第で食糧の自給はほぼできるだろう。
 幸いに原油に代わるメタンハイドレートは数百年分も排他的経済水域内の海底に埋蔵資源がある。日本は国土の8倍もの排他的経済水域をもち、ここには膨大な資源が眠っている。だからエネルギーやその他の天然資源を外国に頼ることなく管理貿易をしてそれなりの安定した経済社会が展望できるはずだ。その間にメタンハイドレートが枯渇したときの手を考え、準備しておけばいい。
 未来を創るのは現在の20代、30代の人々、あるいは(これから生まれ出ずる人も含めて)それ以下の年齢の人々だ。
 小欲知足、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の商道徳、そして正直・誠実な職人仕事をしてこの日本で世界に模範となるような経済社会を築いてほしい。

【計算お遊び:20世代、40世代、4000世代後】
  人類の生存が危ぶまれるような人口増大と生産力の増大、そして大規模な環境破壊。そういう時期に日本の出生率が1.3に落ち込み、草食系男子が増え続けて、出生率がさらに下がる。1.3で40世代(1000年後)経過すると、1億人の人口は3人に減少してしまう。これは日本人の遺伝子が自らが生き延びるために仕組んだプログラムの発動かも知れぬ。

  100,000,000人*0.65^20=18,124人…20世代、500年後
  100,000,000人*0.65^40=3.3人…40世代、1000年後

  ははは、ご心配めさるな、ただの計算である、わたしもこれを読んでいるあなたもとうに生きてはおらぬ。だが、千年後も「使用済み核燃料棒」は崩壊熱をだし続けている。専門家のご意見によれば10万年のかなたまで管理しなければならぬ、なんと40世代の百倍、4000世代も延々と「使用済み核燃料棒」を管理しなければならないが、日本人はいるのだろうか?
 そうだね、小学生にもわかる理屈だ。責任がもてるわけがないのだから、原発再稼動はあかんということ。

[16日夜10時半追記]
  計算が違っていました。総人口の話ではありません、生まれてくる赤ん坊の数でした。出生率が1.3人なら次の世代で生まれる数が65%となり、3世代目には0.65^2、…、40世代目に生まれるのは0.65^39です。

 いま年間110万人生まれているとすると、1000年後の40世代目に生まれる赤ん坊は、
  1,100,000人*0.65^40=0.036人≒0人
 100年後の4世代目に生まれる子供の数は?
  1,100,000人*0.65^4=196,356人
 250年後の10世代目に生まれる子供の数は?
  1,100,000人*0.65^10=14,809人
 500年後の20世代目に生まれる子供の数は?
  1,100,000人*0.65^20=199人

  実際に1985年(143万人)から、2009年(107万人)の24年間で出生数は73.4%に減少している。出生率1.3の世界というのは人口減少にスピード感がある。出生率が1.3のままだと、250年後には日本の総人口が300万人を大きく超えることはないということか。危機的な状況になれば、いまは眠っている遺伝子のどこかの部位が活性化して出生率拡大がなされるのかもしれぬ。減るだけ減れば遺伝子は草食系男子を減らし肉食系男子を増やすという戦略をとるのだろうか。タイムマシンで千年後の日本列島を見てみたいものだ。(笑い)



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#1935 フリー授業参観に行こう:啓雲中学校  May 14, 2012 [教育問題]

 生徒の保護者だけでなく広く地域住民に授業参観を公開する試みが行われている。市教委のほうからのプッシュもあるのだろう、歓迎したい。

 生徒たちからの情報によれば、5月18日は啓雲中学校のフリー授業参観日だそうだ。10時半までは校内弁論大会だから、3,4時間目の授業参観が可能だ。

 啓雲中学校はこの数年すいぶん「荒れた」、火災報知機はしょっちゅう鳴るし、授業をサボる生徒も昨年までは多かったらしい。4月からどうだろうか。
 学力テストで400点以上がゼロの学年も何度かあった。

 いま学校では数学だけ習熟度別のクラス編成で2クラスを3クラスに細分したり、十数人のクラスに分けたりして教えている。1学年70人前後でも4人も数学教師を配置している中学校もある。
 そこまでやりながら、放課後補習をやる学校はない。生徒の学力を上げるには教えている先生自身による放課後補習が一番効果がある。自分の授業の欠点をチェックできるからだ。

 保護者や地域住民がもっと学校教育に関心をもたないと、根室の子供たちの学力低下は防げない。さあ、せっかくのフリー授業参観日を啓雲中学校が提供してくれる。時間のある市民は参観させていただこう。
 そして全国最低レベルの学力の北海道で14支庁管内中(日高支庁と並び)最低レベルの根室のこどもたちの学力を上げるにはどうしたらいいか考えよう。

 参観だけでなく先生たちと地域住民が話しあえる時間をつくってもらえたらうれしい。根室のこどもたちの学力向上には家庭の躾けや地域住民の協力もひつようなのである。彼が何をどうやれば効果が大きいのか、忌憚のない意見を交換したいものだ。学校もがんばっている、みんなで応援しよう。

 当日はスリッパを用意して、職員玄関から一声かけておじゃましよう。

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【提案】
フリー授業参観は学校ホームページでスケジュールをアナウンスしたらどうだろうか。
 啓雲中学校はホームページがない。
 光洋中学校はあるが学校行事が載っていない。
 柏陵中学校は学校行事が載っているが昨年8月17日の学級レクのあと更新がない。

 学力向上のために意見交換の場があればなお面白い。案ずるより産むが易しというではないか。
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【2年前の状況】
 2年前にどういう状況だったのかは北海道新聞根室支局の記者が取材しているので、弊ブログをお読みいただきたい。わたしは記事中でとりげられた中学校は一番古い中学校である私の母校だと思ったが、そうではなかった。「先生、道新の記者さんが取材に来たよ」って生徒が教えてくれた。一番新しい学校の生徒である。思わず「このごろそんなにひどいの?」って驚いた。
*#1307 教育再考 根室の未来 第2部 低学力④:荒れる中学校 Dec.19, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19-1

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#1934 新鮮な魚 ゆたかな海の恵みに感謝  May 13, 2012 [酒と肴]

 すてきな晩御飯だった。材料は新鮮、内容は豪華でコストは格安、ふるさとの海のめぐみをいただいた。

 日中の気温は10度ぐらい、夜になって6度に下がった、今夜も床暖房が心地よい。寒いので湯豆腐で一杯やっているうちにオヒョウのフライがでてきた。
 渋谷の駅(ハチ公の反対側)近くのレストランでよく食べた「ヒラメのフライ」はじつはオヒョウのフライだった。ヒラメは値段がオヒョウの2~3倍だから、味・食感の似ているオヒョウを使うのだそうだ。それぐらいオヒョウのフライが美味しいということ。根室の魚専門店のアラは刺身をとったばかりの鮮度のよいものだから身がシコシコして渋谷のそれよりもっとおいしい。熱々のオヒョウのフライには手作りのマヨネーズが似合うがそういう贅沢はなし、いつもどおりキューピーマヨネーズでご馳走さん。玉葱のスライスと薄切りトマトにはRINGO WORKのアップルビネガーをたっぷりかける。賞味期限が先月末で切れているが寒い根室だ大丈夫、これがあっさりしておいしい。賞味期限切れで熟成し(?)ますます美味しくなったのかもしれない。(笑い)

 半合はいるぐい呑みで酒を飲みながら箸が舞いすこしずつ腹におさまっていく。ご飯は健康にいい玄米、よく噛むと白米よりもずっと美味しい。
 最後に好物のオヒョウのアラ汁がでてきた。これが絶品、品よく透明で高級料亭のお吸い物よりだし汁がおいしい。半分食べたところで生協でとったハクサイのキムチを入れた。ちょっと辛くて味が変わった。
 お酒は桃川の搾りたて純米吟醸生原酒、胃のない私はぐい呑み一杯だけでいきなり腸で消化吸収が始まるから速効、すぐに酔えるのである。飲むのと酔うのに時差がほとんどない。この点だけはありがたい、飲み終わると30分で酔いが醒める。

 オヒョウのアラは駅前の魚屋さんでワイフが買ってきたもの。めずらしく身が一杯ついていたのでアラはアラ汁に、身は切り落としてフライにしたそうだ。レストランなら1.5人前の分量だが、なにせアラとして販売していたものだから値段が「たったの380円」とワイフは笑っていた。こんなに(材料新鮮)豪華で(値段が)質素な生活を可能にしてくれているふるさとの海のめぐみに感謝

 補助金で面をひっぱだき、反対派を押しつぶし、県知事が率先して陳情し、町議や村議がそして町長や村長が先頭に立って原発を誘致した結果がこれだ。こんなことになる可能性なんてこれっぽっちも電力会社は説明しなかった。そしてかれらも含めてふるさとの豊かな農地と海を失ってしまった。だまされたときがついたのは原発事故が起きた後だった。これからさき200年間ぐらいはダメかも知れぬという厳しい現実が福島にある。ほんとうに気の毒だ(事故を起こした東京電力は危険を承知しているから東京都内にひとつも原発をつくっていない)。
 そんな大災害を目の当たりにしたのにまだ原発再稼動を画策する首長が原発のある町村あるいは県や道にいる。人間の正常な判断力を狂わせるお金の力は大きくおそろしい。経産省出身の高橋はるみ北海道知事ももちろん原発推進派だが、このところ歯切れが悪くなってきている。だが、原発再稼動に反対しているわけではないからあぶない。泊原発や六ヶ所村の貯蔵施設で大きな事故が起きたら根室も被災する。福島第一原発から出た放射性物質でさえ根釧原野を広範囲に汚染してしまった。東京よりもその濃度は高いというシミュレーションがなされているから、実測値で検証し、サンプル採取地点と測定値の公表が早くなされることを期待したい。北海道庁の役割だろうが、原発推進派の知事さんでは及び腰にならざるをえないのだろう。

 根室の海はいまはゆたかだ。地元の魚はまだ放射能で汚染されていない。この海をそのまま次の世代へ渡すのが現役世代の義務だ。泊原発が事故を起こせば北海道はたいへんなことになる。偏西風で札幌は高濃度汚染地帯となり、放射性物質は日高山脈を越えて十勝平野や根釧原野に大量にふりそそぎ、大地を汚染する。
 青森の貯蔵施設には満杯の使用済み核燃料棒がプールの水で冷やされながら保管されている。崩壊熱で温められた「冷却水」は熱交換で海水を温め続けている。フランスで再処理済みの数トンの純度の高いプルトニウムも保管されている。半径10メートルに数分間もいたら致死量だ。原爆材料のプルトニウム239が主体だが240が20%強含まれているので、これを取り除いて7%以下にしないと原爆には使えない。現在の技術だと1.5kgで原爆1個がつくれるらしいから日本は数千個分の材料をもっていることになる。必要な周辺機器も国産ですべて揃うし、シミュレーションするスーパーコンピュータも世界最速レベルのものが国産であるから、必要があれば2年で大陸間弾道核ミサイルを組み立てることができるだろう。潜在的核保有国なのである。使用済み核燃料の崩壊熱をとめる術はない。数十年単位ではそのような技術が生み出される理論的可能性もない。人類は原発から生み出される使用済み核燃料のだす莫大な崩壊熱と今後十万年間対峙することになる。その莫大な量を考えるとき海水温が上がることはさけられぬ。小出裕章氏は原発をその実態は「海水温め装置」であると指摘している。電力を生み出すエネルギーよりも海水を温めるエネルギーの方が大きい効率の悪いシステムだというのである。

 危険はいっぱいあるが、次の世代に放射能汚染のないふるさとの海を手渡すために智慧を絞ってがんばれ電力会社がなんと言おうと、悪魔に魂を売った原発推進派の学者が安全だといっても、原発に反対する小数の学者たちの意見も聴いて、ゆっくり自分の頭で考えてみよう。だまされずにものごとを考え抜く学力が必要な時代に君たちは生きていることを忘れるな
 小学生も中学生も高校生も大学生も学生である間は一生懸命に勉強しろ。半端な勉強をしているとだまされるグローバリズムの時代に君たちは生きている。
 
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#1933 午後1時 気温9度 きたかぜ  May 13, 2012 [サイクリング]

 空気圧を前輪5.5bar後輪6.0に調整してから、雲と晴れ間と半々くらいの空の下1時ころ牧の内20kmコースにむかった。

 ヘルメットの下に綿の帽子をかぶりグローブは二重、北風が強いのでほほが冷たい。根室高校前からだと一回り18kmだ。根高のグラウンドではサッカーの練習試合をしていた。部員の一人の話だと員数が足りないチームには根室高校1年生のサッカー部員がまざってやることになっている。帰りに自転車を駐車場まで乗り入れてみたら、厚岸から来たマイクロバスが停まっていた。

 北風だから牧の内へ入ると左側からの強い風だ。ハンドルが少しふらつくだけで走行には差し支えない。時速25km~30kmで軽快に走れる。空気圧の調整はきちんとしておいた方がいいようだ。牧の内のT字路近くの上りもほぼ時速20kmで駆け上がる、いつもは15kmくらいに落ちてしまうのにトップギアのままで走り抜けた。
 T字路を左へ折れてオホーツク海へむかったとたんに向かい風で時速は10~16kmに落ちた。海岸通まで北へ向かう3.9kmのコースである。姿勢を低くしても時速16kmしかでない、下りになってようやく30kmだった。

 オホーツク海沿いに走る途中に元塾生の家がある。漁師をしているのだが小石を敷き詰めた場所に網は干してあるが人影は見当たらなかった。そのご膝の調子がどうなのか前を通るたびに気になる。頭がよくて運動能力の抜群に高い生徒だった。こういう生徒が家業を継いで地元に残ってくれるのはうれしい。

 オホーツク海沿いの海岸通から左に折れてまた牧の内のコースへ戻る3kmはずっと上りで時速10~15kmで上り続けるゆるい坂だが、今日は珍しくこのあたりに風がない。軽快に時毒20kmで駆け上がり、最後のゆるい上りを目一杯力んだらは時速40kmだった。空気圧を高めにするとこんなにも違う。

 気温9度の原野の草叢ではまだ虫が鳴かないし、鳥のさえずりもまばらである。ちょっと寒かったが自分の脚力ですれ違う車のない原野の一本道を走り抜けるのはきもちがいい。

 ここ数日の寒波で弟子屈や北見では7センチの積雪があったが、根室は雪にならなかった。オホーツク海と太平洋に突き出すように根室半島があるので、海水温の影響で内陸部ほど寒くはならない。

 釧路で人口股関節の手術をした姉が今日退院して様子をみせによった。痛みがなくなったと喜んでいる。うまくいってわたしもほっとしている。母の日だからと仏壇に花を上げていった。妹もきて花を上げていった。いい日曜日だ。あとで食事しながらゆっくりお酒を飲む。

  被災地のみなさんにもいい日曜日でありますように。

(冬には4時ころに日が沈んでいたのに、6時半が日没である。季節はゆっくりめぐっている。)

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#1932 第20回根室さんま祭り:根室水揚げサンマ信頼性向上のためにやるべきこと May 12, 2012 [根室の話題]

 昨夜(11日)9時半の気温は1.5度だった、寒い。今朝も2度くらいまで下がっていたのではないだろうか。

 10日付の北海道新聞根室地域版に標記記事が載った。さんま祭りは金比羅神社のお祭りと並びいまや根室の2大イベントの一つだろう。

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節目の第20回「根室さんま祭り」
  予算1.4倍、盛大に
    9月15,16日 来月までに目玉検討
【根室】秋の一大イベント「根室さんま祭り」を主催する協賛会(会長・大阪鉄夫根室漁業組合長)は9日、市内で総会を開き、20回目を迎える今年の日程を9月15日、16日に決めた。節目の開催を盛り上げるため、予算を約4割増やし、水揚げ日本一の根室サンマを広くアピールする。(栗田直樹)

 根室さんま祭りは1993年、市内の若手経営者らが港まつりの一催事として炭火焼サンマ500㌔を約400人に無料提供したのが最初。2回目からJR根室駅に会場を移し、2000年から再び根室港へ。現在の原型になる長さ約100mの焼き台でサンマ6㌧を振る舞い、来場者は一気に2万人台に。03年には過去最高の3万4千人を集めるなど、毎年1万5千~2万2千人が訪れる。
 総会では大坂会長が「さんま祭りは北海道を代表する味覚イベント。節目の今年は根室をさらに活気づけるものにしたい」とあいさつした。
 事業予算では滋賀負担金を前年の2.4倍の650万円とし、総予算も1599万円と前年比37%増。炭火焼きサンマ提供など従来のプログラムに加え記念行事の目玉は6月までに初会合を開く実行委員会で検討する。
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*「さんま祭り、予算4割増し 根室」道新ニュース
 
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/371234.html

【事実】
 市の負担金が2.4倍の650万円だそうだ。デフレスパイラルの世の中に予算が2.4倍もつけられるとはよほど資金が潤沢のようだが、そうではない。市の予算は数年前の140億円台から170億円に膨らんでしまっている。病院赤字特例債のように損失補填ができずに損失の繰り延べによって予算規模が膨らんでいるという側面もあるのだ。現に市役所は昼休みに南側の部屋の照明を消してまで経費節減に努力している。一般市民のわたしには「無駄遣い?」が許される状況ではなさそうにみえる。

 さて簡単な計算をしてみよう。
  650万円/2.4=270万円
 前年の市の負担金は270万円、つまり380万円増額したことになる。
 それではさんま祭りの予算総額はどうか?
  1599万円/1.37=1167万円
 さんま祭りの予算総額は432万円増えたが、そのうちの380万円は市の負担である。なんと増額分の87.9%が市の負担金で賄われることになるようだ。とにかくこうして「盛大な」さんま祭りが挙行される。

【試算】
 さんま祭りの参加者の95%は根室市民だろう。野外で炭火で焼くサンマは家で焼いて食べるものと違ってじつに美味い。会場では炭火でこんがり焼いたサンマに市民が舌鼓を打ち、笑顔の花畑のようになっている、いいものだ。
 無粋な話しだが6㌧のサンマ、1匹200円徴収すればいくらになるのだろう?計算を簡単にするために1匹200gとして計算してみよう。
  6㌧×1000kg×1000=6,000,000g
  6,000,000g/200g×@200円=6,000,000円

 これに諸経費300万円もあれば市民参加の「根室さんま祭り」は可能ではないか?何に総額1600万円もかけるのか情報が公開されていないからわからない。
 根室市商工観光課のホームページを見ても内訳がどこにもない、こういう情報はオープンであるべきだろう。イベントの予算と決算をホームページ上で公表すればいい。もちろん税理士さんがチェックして意見書添付してアップするくらいのこともやるべきだ。それが大人の仕事だ。根室市の協賛金を支出しているイベントは予算・決算・外部監査情報をネット上に公開するように条例をつくって義務付けたらいい。そうした有益な条例をつくり旧弊を改めることは市議たち本来の仕事だ。20人もいるのだからそれくらいはなんとかできるだろう。

(自分たちでお金を出し合って運営し公費が投入されていなければいくら使おうが勝手であるが、市の予算が投入されたらそうはいかない。きちんと情報公開すべきで、それがいやなら会場に集まりさんま祭りを楽しむ私たちに負担を求めたらいい。その場合でも予算と決算はブログを立ち上げてカンパしてくれた不特定多数の人々に公表すべきだし、それが大人の仕事のやり方というものだ。
 会場でカンパを募ってもいいのではないか?金比羅さんのお祭りも町内会を通じて協賛金寄付が回ってくる、各祭典区も寄付集めにまわってくる。一軒当たり数千円の負担になっているがそれでも祭りは続いている。寄付の集まる範囲でやるというのもひとつの見識である。
 根室にはやたらとイベントを主催する団体が多く、関係者は市の協賛金をほしがるし、市もすぐに出す。そういう一部の人間同士のなあなあの構造やイージーなやり方がマチの活性化を阻害してきたとは考えぬか?一部の人間だけの村落共同体となってイベントを運営し、一般市民に背を向けてきた。私はそれらをひっくるめて根室の旧弊と呼んでいる。規模を広げず、何らかの形で参加する市民に負担を求めるイベントもあるようだ。良識あるイベント運営が町の活性化の礎だろう。そろそろやり方を変えよう。)

 根室に活気を!そういう心意気はよしとしたい。
 根室サンマのブランド化なら大消費地の東京で開催するのがあたりまえだが、そういう目的ではないようだ。

【漁業組合によるサンマ放射能汚染データ公表】
 ひとつ気がかりなことがある。福島第一原発事故による放射能汚染の影響である。偏西風の関係から陸地よりも太平洋に落ちた放射性物質のほうがはるかに量が大きい。いまも川を通じて放射能汚染水が海へ垂れ流されており、これは防ぎようがない。
 サンマは回遊魚で紀伊半島沖や四国沿岸や九州沿岸で生まれ、稚魚となって房総沖や福島沖を通って餌を食べて北上する。今年とれる2年ものサンマはこうした汚染海域を3度回遊することになる。
 房総沖や福島沖のプランクトンや小魚は放射能に汚染されているから、それを捕食して北上してくるサンマがセシウムやストロンチウムに汚染されていると考えるのは当然のことだろう。消費者は漠然とした不安をサンマにも抱いている。

 少々の放射能汚染があっても還暦を過ぎた私は大好きな秋のサンマをがまんするつもりはない。ことしも安い大衆魚に感謝しながら美味しくいただこうと思う。

 仕事は誠実に正直にと私は常々ブログに書いている。ことしは獲れたサンマの放射能測定を週単位で行って逐一根室漁業組合のホームページ上で公表し、消費者に核種別放射能汚染数値を知らせるべきだろう。サンプリングの仕方から測定、公表の手順をあらかじめ決めておいて、インチキが入り込まぬようにドキュメントを残してデータをとっておこう。ますは「放射能測定手順書」をつくり、ホームページで公表しよう。サンマの時期が近づいている。こうした大人の仕事をだんどりよくやれる人材が根室漁業組合にいてほしい。歯舞漁業組合が柔軟で商品開発も上手だから、すでに放射能測定とデータ公表に向けてなんらかの計画を進めているかも知れぬ。落石漁業組合はどうするのだろう。太平洋側に港をもつのはこの3漁業組合である。東から順に、歯舞漁港、花咲港、落石漁港、これらの港にサンマが陸揚げされる。
 放射性廃棄物基準である100ベクレル/kgを超えるなんてことはないだろうが、値がいくらであろうと測定結果を毎週公表する体制をとるべきだ。データが低ければ根室水揚げサンマはそれだけで信頼を集めることになる。それが根室サンマに対する消費者の信頼を維持する最良の方策だろう。
 食品への漠然とした不安が蔓延しつつある昨今、根室の生産者は正直・誠実だと全国の消費者に知らしめたいものだ。
 福島第一原発事故で陸地よりも海のほうの放射能汚染がひどいにもかかわらず、サンマ水揚げ日本一を自称する根室がサンマの放射能汚染情報公表についてなにも議論をしないとか生産物の放射能汚染データを自ら公表しないというのでは消費者の信頼を裏切ることになりはしないか。
 まだ間に合う。避けては通れない問題、避けて通ったら信頼を失うような重大問題がここにある。

  
(昔は港祭りの花火大会は地元商店がお金を出し合ってやっていた。「○○商店、□□花火」とアナウンスがあり、しばらく待っているとシュルシュル・ドーンと上がったものだ。いつの間にか花火大会は市が丸抱えでやっているようだ。イベントは結構だが、次々に増やし、市の予算をふくらますのはいかがなものか、この辺でたちどまって考えるべきではないのか?夕張市が第三セクターを作って箱物を増やしていった図に似ていないだろうか?
 イベントを増やしても、ちっとも根室のマチの活性化につながらないことは夕張市でもわが町でも結論が出ている。市の予算を増やしてイベントを10倍にしたって人口が増えるわけではない。それに関連する業者が潤うだけで、市役所は職員の給与をカットし昼休みに電気を消して経費節減するという事態に追い込まれている。市立病院事業赤字は前年度ついに13億円を超え、今年度はさらに増えそうである。建物が新しくなれば減価償却が増えてさらに赤字額は15億円を超えるかも知れぬ。市役所建物だって老朽化して大きな地震が来れば危ない。とても無駄遣いをしている余裕はないように思うがちがいますか?)
  
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#1931 Twister ravages Tukuba, kills one May 11, 2012 [Japan Times から]

 5月6日日曜日は根室でも夕方近くにカミナリがなり、10分ほど雨が降った。雲が濃淡をつけてマダラ模様となって空をおおっていた。午後5時過ぎに牧の内からオホーツク海へサイクリングにいって海と原野にはまれた道路で雨とカミナリに遭いこわい思いをしたことは#1926に書いた。

 昨夜は1.8度まで気温が下がった。今夜は雪になるかもしれないという予報である。連休に雪が降ることは数年に一度あるが連休が終わり5月中旬になってからの雪は経験がない。ふるだろうか?
 天気図はみごとに冬型(=西高東低)の気圧配置になっている。

 上空の空気と地上の空気に40度以上の差ができると、局地的に積乱雲が発生し、あられ・雹(ひょう)がふり、竜巻やダウンバーストが起きたり、局地的な集中豪雨が生じる。いつ、何が、どういう順序で起きるかはそのときの積乱雲の発達次第、つまり予測は不可能。『沈黙の春』の著者は次のように言っていた。

そして、放射性廃棄物が川に流れ込む量はますます増えてきている。放射能のイオン化によって、元素の転移が起こりやすくなり、化合物の性質がかわり、予測もできないばかりか、私たちの手におえないようなことになる。」『沈黙の春』65ページより

 野放図な環境汚染と自然破壊、化石燃料の大量消費によって気象が不安定になりつつある。自然破壊や環境汚染により気候の「性質がかわり、予測もできないばかりか、私たちの手におえないようなことになる」と読み替えることができる。そういう状況が日本にもあらわれはじめている。
 日本ばかりでなく全地球規模で安定した気候が不安定な気候へ変移しつつあるのだろう。機構が不安定になり人類の手に負えないものとなる。わたしたちが安定した気候を凶暴な怪獣に変えつつある。
 便利な生活がいきすぎるととこういう結果を引き起こす。人口は減っていい、所得も減っていい、経済規模は縮小していい、貿易黒字もなくなっていい、日本人が今後千年に渡って安全にそして安心に、安定した暮らしを続けられるならそうとうの不便をがまんしよう。小欲知足の経済社会へ大きく舵を切るべきときがきていると思うのは私一人ではない、多くの日本人が感じていることだ。

 5月6に茨城県つくば市では竜巻が起こり大きな被害があった。今朝のNHKラジオでは196軒が全壊し1000軒の建物に被害があったと解説していた。被災者を収容しきれず空いている国家公務員住宅を転用する。

 5月8日付ジャパンタイムズが標記のタイトルでニュースを載せたので紹介したいのだが、検索しても検索のしかたが悪いのかみつからないので、高校生のためにweather channelの記事を紹介しておく。全文は引用できないので冒頭のみ、あとは次のURLをクリックしてダウンロードされよ。災害を通して自然の仕組みを理解し、自分たちの暮らしがどうあるべきか考えてみよう。自分の頭で考えることがなにより大切である。友人の合格先生はそれを"地頭"をよくすると表現している、うまいことを言うものだ。
http://www.weather.com/news/weather-severe/japan-tornado-20120506

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Tornado Near Tokyo Kills 1, Injures Dozens

TOKYO (AP) -- A tornado tore through a city northeast of Japan's capital on Sunday, killing one person, injuring dozens of others and destroying scores of houses.

Firefighters and medical teams rushed to the area after the tornado struck Tsukuba city, 40 miles from Tokyo. The city is a science center, with dozens of research and academic institutes, but the tornado appeared to be mostly in residential areas.
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 せっかくだからジャパンタイムズの記事も冒頭部分をタイピングしておく。

  48 hurt as tornado cut 15-km destructive path through neighborhood

   A tornado that ripped through Ibaraki Prefecture on Sunday, killing a teenage boy and injuring dozens of people, cut a path of destruction about 500 meters wide and more than 15 km long, police said Monday.
   The tornado and strong wind gusts in prefectures north of Tokyo, including Ibaraki and Gunma, have left 48 injured and caused damage to almost 900 houses and buildings, according of fire department officials.
   .....

  サブタイトルが数字ではじまっている、本来はルール違反だろうが見出しだからコンパクトにおさめるためにこういうことはよくある。
 500mの幅で1.5kmにわたって竜巻が通り抜けた。ここには書いていないがこの狭い区域内にあった建物が196個も全壊したのだからその被害のすさまじさにおどろく。米国のスーパーセルによるツイスターとそっくり。気象の不安定化に伴い、こんご日本でこういう竜巻が頻発するようになるなら、地下シェルターをつくるとか、窓を小さくしたりして防災のしかたを考えなければならない。同じ規模の竜巻が発生すれば国土が狭く人口が密集しているから被害は米国の比ではなくなる。
 なお中学生1人が死亡し48人が負傷した。あたりまえのことだが、警察と消防から取材した情報をそれぞれソースを明記しながら載せている。



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#1930  一日26時間ある根室:時間は資源だ May 10, 2012 [根室の話題]

 今朝は寒かった、気温4度・曇り、5月にこんなに寒いのもめずらしい。
 20年ほど前の8月に登った富士山の夜明け前は気温4度で風がびゅうびゅう吹いていた。日の出を待つ間、「ここ(富士山頂)は根室だ!」と隣で震えている群馬県川場村出身の友人に叫んだ。あいつはミズバショウの咲く尾瀬が好きで古里の近くだから雄大な尾瀬の自然が自慢でもあったが、尾瀬沼湿原の数十倍もある根室の原野にはミズバショウがそこここに咲いていて珍しくもないよというと驚いていた。彼の頭の中には尾瀬沼が数十もある広大な地域にミズバショウが咲いている天国のような風景が浮かんでいたのだろう。そこではのんびりお釈迦様が散歩なさっているに違いない。???って顔をしていた。(笑い)
 団塊世代が小学生のころ、花咲小学校のグラウンドの向こう側は人家のない裏山(?そう呼ばれていたが山はない。長い斜面があってそこでソリやスキーを楽しんだ)があり、湿地をぬうように小川流れていて夏になるとミズバショウが小川沿いに咲いていた。だがその白い大きな花がミズバショウとは知らなかった、こどもたちは"ヘビ枕"と呼んでいたし、歌(春が来れば懐かしい♪はるかな尾瀬♪野の小路♪・・・)にもある尾瀬沼のミズバショウと裏山の"ヘビ枕"が同じ花だとはだれも思わなかったに違いない。ちなみに裏のお婆さんは"ほとけぐさ"と呼んでいた。真っ白い清らかな花だから何かいわれがあるのだろう。

 5月9日付け北海道新聞根室地域版に「転勤族の皆さんへ 中標津ってこんな町」という記事が載っていた。その中で51歳の小児科医が、1993年夏にツーリング中に中標津-標津間でオートバイが故障して、中標津のバイク店で修理してもらったときに感じたやさしさにが縁で移住を決意したとある。写真のキャプションに次のようにあった。
「バイクが故障していなかったら中標津には来ていなかった」
 その小児科医が「都会のように長時間の通勤がない」ことを中標津町に住む利点にあげている。

(根室の自然にあこがれて永住を決めたドクターが何人かいたはずだが、クルクル変わる市の医療政策に後ろ足で砂をかけられるような仕打ちにあきれ町を去っていった。18歳から35年間根室を留守にした事情に疎い私ですら、そういう例が二つあったことを知っている。十数年間に2度繰り返してしまったが反省があるようには見えないから三度目があるのだろう。
 子会社に出向していたときのことだが、入社して一年ほどの女性社員が一人退職した。T医大のドクターと結婚してT医大が撤退するまで1年間ばかり根室に住んでいたことをあとで知った。
 地域医療に明確なビジョンと健全な相互批判がなければ医師不足と市立根室病院の経営難はますます深刻になるよ。市立病院事業赤字は長谷川市政になってから記録を更新し続けついに13億円を超えた。そして市の予算規模は140億円台から今年度170億円に膨らんでしまっている。すでに危険水域に突入していると判断すべきだろう。後年の予算規模を膨らませてしまうから今後は損失の繰り延べをやめるべきだ。
 過ちを繰り返したことはいまさら変えられない。三度目をやらないために謙虚に反省し改めればいいだけのこと。過ちを素直に認めて改めるこころがあるかないかで、マチの未来が大きく違ってくる。ねむろっ子が取り戻すべきはそういう素直で謙虚なこころと、ダメなことはダメだと公に言う勇気だ。
 ふれれば痛い現実だがいつまでも目を背けては根室の未来がしぼんでしまう。健全な批判とたしかなビジョンと損得抜きの行動なしに根室のマチの再興はないとebisuは思う。現職市長の長谷川さん、根室市議の皆さん、市民の皆さん、違いますか?)

【首都圏に住む人の通勤時間は往復3時間が多い】
 首都圏に住んでいると通勤時間はおおよそ1.5時間が普通だろう。往復3時間を通勤に費やしている。根室はほとんどの人が往復20分程度だろう。首都圏で働くサラリーマンに比べて一日26.5時間あるようなものである。通勤時間が首都圏に比べて2時間以上も少ないというのは"時間資源"に恵まれているということなのだが、住んでいるとあたりまえで気がつかぬ。
 ところでわたしたちはそういう時間(資源)を人生を豊かにするために有効に使っているだろうか?
 仕事の関連の専門書を読もうと思えば毎日2時間も都会人より読める。それが3年続けば圧倒的な能力差になるだろう、そういう有利な条件を根室に住む大人は活かしえているか?宝の持ち腐れになっていはいないか?

【全国一涼しい夏の根室という条件を活かす】
 沖縄は入梅した。連休で沖縄に旅行してきた塾生の一人が真っ赤に日焼けしていた。梅雨は蒸し暑く、それがあければ夏だ。東京では夜になっても30度を下らぬ日が続く。そういう中で小中高生が勉強している。
 根室の夏は全国一涼しい、涼しいというより寒い。8月でも夜になると気温は13度に下がる。日中に30度を超える日は数年に一度しかない。20度前後の日が多い。
 圧倒的に勉強に適した環境であるのに、夏休みに一心不乱に勉強する生徒がすくないのはどうしたわけだろう?
 涼しい夏というのもひとつの重要な資源であるからそれを宝の持ち腐れのようにしてはいけない。大人が時間資源を宝の持ち腐れにしている愚を子供が真似てはいけない。"涼しい資源"を自分と古里のためにそして日本と人類のために有効に活用してもらいたい。

【夏休みに1日10時間×14日集中勉強を敢行せよ】
 高校生は圧倒的に有利な夏休みに一日10時間を超える勉強を2週間連続してやってみたらいい。頭の回転速度が違ってくる。2週間連続でやると脳が暴走状態になり、ますます大量のインプットを要求するように変化していく。集中力が高まることで時間の流れは数倍に感じられる。あっというまに数時間がすぎているのを実感するだろう。
 日本で一番涼しい夏の根室に住んでいたらだれでもそういうことができる。中学生なら7時間×14日間をめどにチャレンジしたらいい。
 英語と古典の勉強の仕方は#1927で書いた。すべての教科の中で一番大事なのは国語だ。昔から「読み・書き・ソロバン(計算)」が勉強の基本だ。「読みと書き」は古典の勉強がいい。日本には良質な古典文学がたくさんある。読むべき古典が多い。

【脱線】
 『源氏物語』や『枕草子』や『和泉式部日記』は大人の恋愛、そしえそのお作法を描いているからHに関心の強い高校生にはたいへん参考になるだろう。(笑い)
 昔は健全でおおらかだから「恋愛=エッチ」なのだ。学校の数学や英語の予習をしない人も、これだけは「予習」のつもりでリサーチしてみたらいい。恋愛は楽しいだけではない、いろいろ悩みを抱え込むことでもあるんだ。いろいろなシーンでそれぞれどう対処するのが粋な男なのか、あるいは粋な女なのか、古典の名著はいろいろ教えてくれる。昔もいまも、千年たっても男女関係の真実はちっともかわらない、まなべ、まなべ、まなべ。まなびながら恋愛の泥沼をくぐりぬけ痛い思いをしながら人の世の真実をつかめ。惻隠の情とか憐憫の情はそうした経験からも培われるのだから・・・。

*#1927 古典と英語長文の勉強のしかた May 7, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-06-3

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#1929 放射能汚染 50年前の名著『沈黙の春』からの警告 May 9, 2012 [東日本大震災&福島原発事故]

 #1928「驚きの品揃え」で、化学物質による環境汚染問題を取り上げた古典的名著レイチェル=カーソン『沈黙の春』がツタヤ根室店に在庫があったことを書いた。
 本屋の誰かの意志がなければおけるはずのない本である。見識の高い店員がいるのだろう、とてもうれしかった。

 化学物質の複合汚染に放射能が加わると予測のできない化学反応が水の中でおきると海洋生物学者のレイチェルが警告していた。該当部分を抜粋する。50年の時を越えてわたしたち日本人に向けて書いているような気すらする。

「いろんな薬品を混合して、実験室では思いも寄らない物質を生み出す―化学薬品による水の汚染のおそろしさは、まさにこの事実にきわまる。川でも湖でも池でも、また夕食のテーブルに出されるコップの水でもかまわない。良心のある科学者なら、実験室でまぜることなど気がひけるような化合物が、勝手にまざりあい作用しあい、恐ろしい劇薬が生まれる―合衆国公衆衛生局は愕然とした。比較的無害な化学薬品がいっしょになっただけでも、このような反応は起こるのだ。また化学薬品と放射性の廃棄物が組み合わさっても・・・・・。そして、放射性廃棄物が川に流れ込む量はますます増えてきている。放射能のイオン化によって、元素の転移が起こりやすくなり、化合物の性質がかわり、予測もできないばかりか、私たちの手におえないようなことになる。」『沈黙の春』65ページより

 福島第一原発事故で大量の放射性物質が環境にばらまかれた。風の乗って茨城県や千葉県の房総半島を越えて東京にもふりそそぎ、さらに静岡県の茶畑まで汚染してしまった。風の関係で運悪く根釧原野にもふりそそぎその濃度は東京を越えていると試算されている。
 森や水田や畑や宅地や道路にふりそそいだ放射性物質は川へ流れて運ばれ、水源地を汚染し海を汚染した。原子炉をや使用済み燃料を冷やすために使われた冷却水は高濃度汚染水となってどれほど洩れたかも定かではない状態である。
 それらが環境汚染している大量の化学物質の予期せぬ反応をひき起こしていることが想像される。首都圏ばかりでなく根室に住むわれわれすらそういう汚染された水道水を飲まざるをえない。4千万人以上が影響を受けることは避けようがない。

 こんな途方もない重大事故を起こしてしまったという自覚が関係者にも政治家にも感じられないのはなぜだろう?
 四つのタ大陸プレートがせめぎあうところに日本列島がある。地殻がひずみ活断層だらけで世界中で地震が一番多い国に原発を作ればいつかこういう事故が発生することは避けられないことだった。日本に原発をつくってはいけないというあたりまえの声を原子力発電がらみでお金に目がくらんだ人たちが無視してきた。現実の危険を言わず、いいことばかりを主張してきた。実際に事故が起きても、それらの主張を切り返した組織も機関も企業も学者もだれひとり責任をとることもできないし、とらない。
 休止したとはいえまだ50基以上ある。安全に廃炉にするだけでも相当の技術と途方もない金額のコストがかかるのだろう。しかし、仕方がない。やらねばならぬのだ。

 海洋生物学者だったレイチェルがこれだけはっきり書いているのに、日本の海洋生物学者たちの声が聞こえない。大学や国の研究機関の研究者たちは研究費を獲得するためにものが言えないのだろうか?
 40年前のレイチェルの業績と勇気を称えたい。彼女はたった一人で巨大化学メーカーとそこから何らかの形で研究費をもらってメーカー擁護の発言を繰り返す学者たちと戦い続けた。
 福島第一原発事故になぞらえれば東電と「原子力村」の学者たち全部とマスコミを敵に回して戦ったのである。その勇気と業績と精神的強靭さをebisuはほめたたえたい。

*#1928 おどろきの品揃え:本屋の見識の高さ May 9, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-09


【中高生へのメッセージ】
 身銭を切ってこの本を買って読んでほしい。原著は1962年に出版されたからもう50年になる。団塊世代のebisuが中学2年生のときだ。英語が好きなら原著をアマゾンで注文して読んでみたらいい。若いときに古典的名著を読むことの大切さをebisuは身をもって知っている。だから、君たちにも勧めたい。

沈黙の春 (新潮文庫)

沈黙の春 (新潮文庫)

  • 作者: レイチェル カーソン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1974/02/20
  • メディア: 文庫

Silent Spring

Silent Spring

  • 作者: Rachel Carson
  • 出版社/メーカー: Mariner Books
  • 発売日: 2002/10/22
  • メディア: ペーパーバック



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#1928 おどろきの品揃え:本屋の見識の高さ May 9, 2012 [根室の話題]

 学校で使っている高3の数学問題集を注文するついでに、レイチェル=カーソン『沈黙の春』もお願いした。カウンターの端末でカチャカチャしたと思ったら、「在庫ありますから」といつも笑顔で対応してくれる店員さんがすぐにピックアップしてきてくれた。
 ずっと以前から読みたいと思っていながら読む機会がなかったが、急に読みたくなりツタヤで注文したのだが、この本を根室の本屋さんが在庫でおいているとは予想していなかった。ツタヤ根室店さんの見識・品揃えに脱帽である。

 昭和49年(1974年)初版(原著は1962年)だから化学物質による環境汚染の古典とも言うべき本だ。レイチェルは生物学者であり、化学物質による環境汚染を訴えた最初の人であった。大手科学メーカはお抱えの学者を総動員してレイチェルを潰そうとしたが、屈しなかった。ケネディ大統領が彼女の言を入れ、後押しをしDDTの全面禁止が実現した。
 化学メーカーを東京電力に、そしてお抱え学者を原子力村の住人(東大を中心とする原発推進派の学者たちやNHK)に置き換えれば相似な構造が見えてくる。日本にいないのはケネディ大統領を演ずる役者(政治家)だろう。
 私たち団塊世代は小学校のときに学校でなんども真っ白い粉のDDTを体中にかけられている。市販もされておりどこの家庭にもあった。当時はのみや虱がおおくその退治のために使われており、化学物質が環境を破壊するものだということを言う学者はいなかった。いつの時代でもそしてどこでも、良心的な学者は稀である。日本には「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な仕事の倫理がある。

*レイチェル=カーソン(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

 環境問題に興味をもち始めたのは1990年前後のことだが、公害や薬害、原子力発電の危険性を扱った本をはじめて読んだのは学生運動が急速にしぼんでいったころ、1970年2月27日のこと、
①武谷三男著『安全性の考え方』(岩波新書)
である。
 そのごカネミ油症についての本を読み溶媒として使われていたPCBやベトナム戦争で対象に使われた枯葉剤のダイオキシンに興味がひきつけられた。
 1990年頃に読んだ本は、
②"Global Warning The Greenpeace Report" 1990年
③石弘之著『地球環境報告』(岩波新書)
 いまよむと苦笑したくなるような幼稚な記述も散見されるが、時代状況を考慮してまあ、許容範囲に入れておく。③の本である、これだけはあまりお薦めしない。

 1997年に
④デボラ・キャドバリー著『環境ホルモン汚染の恐怖 メス化する自然』(集英社)
を読んだ。この本では内分泌撹乱物質としてPCBやダイオキシンがとりあげられている。高校化学程度の知識はあったほうが楽しく読める。基礎学力はいろんな分野の本を読むときに必要になる。わたしは一応の基準を高校の科目においている。高校程度の知識があればたいていの専門書(哲学と数学と経済学はムリだ)は読むことができる。

 1990代後半から2000年ぐらいまでの出版されたものでは、
⑤常石敬一著『化学物質は警告する』洋泉社新書、2000年
⑥宮田秀明著『ダイオキシン』岩波新書、1999年
⑦三橋規宏著『ゼロエミッションと日本経済』岩波新書、1997年
⑧武谷三男著『危ない科学技術』青春出版社、2000年

 原子力について危険性を言い続けた理論物理学者武谷三男には著作集がある。6巻のうち4巻もっているが『2原子力と科学者』がない。武谷氏には『原子力発電』(岩波新書、1976年)もあるがこれは読んでいない。かれは数少ない信頼に値する科学者の一人である。
 武谷三男の本はよく読んでいたのに、『原子力発電』(岩波新書)と著作集の『2. 原子力と科学者』を買って読んでいないことから判断して、当時の私は原子力発電に興味がなかったようだ。「文系」だから関係がないとでも思っていたのだろうか、だがそうではなかった。原子力発電所の事故の被害は文系理系を問わない、そんな簡単なことにすら気がついていなかった不明を恥じねばならぬ。

 いま小出裕章著『原発はいらない』幻冬舎ルネッサンス新書(2011年7月刊)を読んでいる。

原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-①)

原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-①)

  • 作者: 小出 裕章
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2011/07/16
  • メディア: 新書

沈黙の春 (新潮文庫)

沈黙の春 (新潮文庫)

  • 作者: レイチェル カーソン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1974/02/20
  • メディア: 文庫

メス化する自然 環境ホルモン汚染の恐怖

メス化する自然 環境ホルモン汚染の恐怖

  • 作者: 古草 秀子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1998/02/26
  • メディア: 単行本

安全性の考え方 (岩波新書 青版 644)

安全性の考え方 (岩波新書 青版 644)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1967/05/20
  • メディア: 新書

原子力発電 (岩波新書 青版 955)

原子力発電 (岩波新書 青版 955)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1976/02/20
  • メディア: 新書

原子力と科学者 (武谷三男著作集 2)

原子力と科学者 (武谷三男著作集 2)

  • 作者: 武谷 三男
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 1968/08
  • メディア: 単行本


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#1927 古典と英語長文の勉強のしかた May 7, 2012 [授業風景]

 先週の金曜日のことである。
 中1に英語を教えながら、一人来ていた高2の生徒が数学のプリント問題から3つの質問があったのでそれを片付けたら、しばらく問題に集中して、手が動いている。ああ、理解できたんだなと思っていたら、あとは自力で解けたようだ。数学の問題が終わった、次は何をやるのだろう?

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 ニムオロ塾は個別指導&演習方式を採用している。基本がぜんぜんわからない生徒が複数いるクラスは数人まとめてグループ指導することがあるが、原則は個別指導&演習方式である。だから、流れるようなきれいな説明授業は必要がない。
 みて回って生徒を観察して生徒の疑問を触発することと、素朴な質問や暗礁に乗り上げている問題へヒントを出すとか、解法の説明をすることが私の役割だ。具体的な問題を中心に生徒の疑問に次々答えていく、コミュニケーション重視の対話型授業と言ってもよいだろう。学校の集団指導授業のように一方通行(先生⇒生徒)が主体ではない。集団授業でも上手になれば双方向授業を適宜使い分けできるレベルの人たちがいる、TOSSがそういう集団であるらしい。「上手な授業」がいいと思いたいが、学校の先生にはわからないだろうが社会人となってからのことを考えると危ういところがある。完全無欠な授業はありえない。でも、真摯に技を極める姿勢は立派だ。
 いい機会だから授業についてebisuの私見をメモしておきたい。わたしは勉強は自分が(あるいは自分で)やるものだと思っている。いつまでも教えてもらうものではない。いつかそれは「教わるもの」から「学ぶもの」に変わらなければならない。そういう点から見ると日本の伝統的な教育システムである徒弟制度はよくできており、学べないものは脱落するしかないからダメな者を振り落としいい者だけを選び抜くフルイの役割をはたしている。
 学ぶという言葉には自主的とか自立的という雰囲気が漂う、受身の行為ではなく、自らつかみとるもの26年間のサラリーマン生活から中高生の勉強はどうあるべきかを考え抜いた上の結論である。中高生時代に自分の頭で考え抜くトレーニングをしてこなかった者が社会人となって自分の頭で考えることはほとんどない受験勉強がよくできたものほど頭が固くて、責任が重くなるほどつぶれていく。臨機応変に仕事に対処できないのである。だから、パターン練習のような学習はほどほどにしたほうがいい。過度にやるとそういう思考回路からぬけられない固い頭ができあがってしまう。固定観念でしかものごとをとらえられない、あるいは考えられない頭になっでしまう。中高生の6年間続けたらそれは習慣となり、頭脳の枠組みをがっちり形作ってしまう。社会人になってもはずせないよ、目に見えないから自分でも気がつかない、仕事のできない人間ができあがってしまう。
 高校時代印象に残る授業をしてくれた先生(英語のS先生と簿記のS先生)は説明が上手だったが、このお二人の授業は三分の二の生徒たちに理解できないものだっただろう。それでよかったのだろうと思う。高校生になったらわからないことはいくらでも本が出ているから、自分で選んで買って調べればいい。それくらいの授業でないと生徒の潜在能力をひきだすことはできない

 大学時代のゼミの恩師市倉宏祐先生は哲学者であったから、一般教養ゼミで読んでいる経済学のテクスト(『資本論』と『経済学批判要綱』)を解説してくれるわけではなかった。学生に好きなように議論させておいてときどき哲学の観点から問題を指摘されたり、そのあたりを自分の専門分野の土俵にあげて敷衍してくれたりした。あるとき眠そうなお顔をしているのできいてみたら「今朝までイポリットの本を翻訳していて少し眠い」などと自分がそのときにやっていることを披露してくれたりした。われわれは出版されるとすぐにイポリットの分厚い2冊の哲学書に眼を通すことになる。翻訳技術についても例を出して解説してくれることがあったが、これがいまでも役に立っている。哲学の本ゼミはサルトルの『弁証法的理性批判』をテクストにしていたが、そちらに参加させてくれたりもしたので、哲学ゼミの学生がどういう議論をするのか参考になった。ひとりこちらの方に参加した学生がいたがいま母校で哲学の教授をしている。4年の時にはゼミの先輩の院生が二人参加してくれたので、3年間の一般教養ゼミはコヤシになった。
 あとで倫理学会長になられた先生は落下傘部隊員だったオヤジと同じ年の生まれで、ゼロ戦の教官だった。少年兵を訓練して特攻として送り出したことを話してくれたことがあったが、寂しそうな表情をしていた。学内での地位とか名誉とかにはいっさい執着のない人だった。学生運動が吹き荒れ、ゼミ生からも退学処分者をだした。理事者側との対立も当時は厳しいものがあったと推察できる、先生は退学処分に深く心を痛めていたに違いない。卒業して数年たったときに、歩いていてマンホールのふたが開いていたのに気づかず、転落して骨折ししばらく入院していたことがある。先輩と一緒に自宅へうかがったときに笑って話しをしてくれた。あの当時はまだインターネットがなかったが、フランスで開発されたコンピュータ言語prologを独習しでパソコンをいじってらっしゃって好奇心の強さに驚いた。あの当時はパスカルの研究をしていたはずだから、何か考えながら歩いていてマンホールのふたが開いていることに気がつかなかったのだろう。

 大学院時代の授業で面白かったのは一つは西アフリカの地理の授業だった。記憶に自信が持てないのだが入江先生ではなかったか。奴隷貿易時代の西アフリカ史や国際経済と絡めて考えていかないと現在の地理が理解できない。学校のカリキュラムでは無理やり分けられているが、歴史や経済や地理は現実世界では独立のものではないのだ。こういう視点で地理をとらえられるのかと俄然地理という学問に興味がわくことになった。地理一つ教えるのだっていろんな分野の専門書を読まざるをえぬ。
 もうひとつは一ツ橋の学長だった増田四郎先生の授業が楽しかった。ただ楽しいのではないよ、毎回授業で目の前に智の巨人がいるわけだからたいへんなんだ。いるだけで院生三人は大きなプレッシャーを感じ、気の抜けない授業だった。リスト『国民経済学体系』を読んだのだが、とりわけなにかを解説してくれるわけではない。決められたところを読んでいって質問があればする、そうして先生の考えを聴くことができる。どの程度考えて質問が出ているかは先生には丸見えだからヒア汗をかくことが何度もあった。他の院生の質問にたいしてそれぞれ自分の意見を述べ先生がふんふんと聞いていることも多かったが、折々にどういう勉強の仕方をしてきたか昔話をしてくれることがあった。授業に出席するためにリストだけを読んでいればいいわけでもなく、同時代の他の学説やリストの『国民経済学体系』が出てくる時代背景についても他の本を渉猟しておくのはあたりまえのことだ。その深さや浅さが議論の中に如実に出てしまう。時間がなくて下調べが充分でないとき、先生は苦い顔をするわけではなく、いつもどおり淡々と授業を終わる。それだけで院生三人に大きなプレッシャーかけることができる。「今日の増田さん、まいったな、来週の授業の前にざっとピント合わせをやっておこうか」、こうして院生3人で事前に勉強会をしてから次の授業に臨むことになる。こういうやり取りがたのしい。毎月駅前の喫茶店でビールを奢ってくれながら、1時間ほど談笑、われわれ学生数人と会話を楽しんでいるように見えた。授業中や「放課後」に自分のお弟子さんの研究の話をうれしそうにすることがあった。イタリアへ留学していたお弟子さんがもどってきて本を一冊書いた、それを取り上げてよく脱線したので『中世の窓』という本も並行して読むことになった。とってもうれしそうな顔でそのお弟子さんの話しをする、よほど気に入っていたのだろう。もちろん学風が似ていた。
 そういう脱線もたいへん役に立った。実証的な研究をしっかり積み上げるという学問のやり方に影響を受けたことは間違いがない。変えろといわれたわけではないが、ああ、そういうものなんだなと勝手にこちらが納得した。ああしろこうしろとは決して言わない人で、親分肌の先生だった。文系の大学院というのはどこか徒弟制度に似ているような気がする、師は弟子が育ってくるのをじっと見ているところがある。もちろん要所要所で必要なサジェッションはあるし、問えばこたえてはくれる。しかし自ら学ばないものは脱落するしかない(スリークッション世界チャンピオンの小林先生にビリヤードを教えてもらったときもまったく同じだった、そのことはすでにブログに書いたから興味があったら検索してみるといい)。
 このほかにも木原先生とリカード『経済学及び課税の原理』をテクストにした授業が楽しかった。この授業の終わりに国際経済論について経済学の体系構造との関係から百枚弱の論文を書いたら、たいへん喜んでくれた。笑顔のいい先生だった。院生は一番多いときでたった9名だったから、ほとんどの授業が2~5名くらいの贅沢なものだった。

 こういう圧倒的な智の人を間近にみて、乗り越えてみたいと素直に思うのも学生の若さの特権である。だから、学校の先生は圧倒的な専門知識をもってそこに存在しているだけでいい。そういう師(先生)のありかたもあるとebisuは思う

 わたしは上手な授業という技を磨くことは否定しないし、下手な授業よりも上手な授業がいいことは認めたい。しかし、それだけでもないから話しはややこしい。そういう世界とはまるで別の世界もある。毎日十数時間、起きている間は食事をする以外はほとんど研究に費やす、考えて考えて考え抜くかけがえのない時間を数年以上もち、そして広い教養を兼ね備えた智の人にであえば自然に頭が下がるものだ。そういう人には何かを教えてもらうのではない、学ぶのである。「教える⇒教えられる」という関係ではなく、「智の人の存在⇒学ぶ」のである

 ある大学で教えている旧友のEさんが、中学校や高校の先生はもっともっと専門書を読み勉強すべきだとメールに書いてきたことがあった。専門分野を極める努力をしていれば自ずとにじみ出てくるものがある。そういうものに触発される生徒も少なからず存在している。そういう視点からは教師は圧倒的な専門知識の量を積み上げて生徒に対すべきだという論が成り立つ。受験参考書レベルの知識を切り売りするのでは情けないという価値観がそこにはある。それが正しいかどうかはわたしにはわからぬが、私はそうありたい。先生を通じて学問への熱い情熱に触れることの大切さを繰り返し言っておきたい。
 中高の先生たちは、授業スキルを上げると同時に教える専門分野についての学識を深めていくことの両方が大切なのだろう。たった4年間の大学時代の勉強などなにほどのことがある、問題はそのあとの研鑽だ。ブカツに明け暮れて自分の専門領域について過去1年間ひとつも読んだ本がないような教師は教える資格なしとは言いすぎだろうか

 手取り足取り教えられるのは中学校で卒業した方がいい。そんな癖がついてしまったら社会人となったときに困る。26年間東京でいくつかの業種でサラリーマン経験のある私がいうのだからいくもの具体的な事例に基いての結論だからしっかり聞いてほしい。
 「教えてもらう」のではなく「学ぶ」訓練を高校時代にはしておかないと、だめだ。自主的に自立した思考や行動を積み重ねることが大事なのだ
 中高生のときにそういうトレーニングを怠るとそれ以後に影響が大きい。中学校の先生たちも高校の先生たちもそうしたことに気がついていない。もちろん塾先生の多くもだ。大学生や院生になったときにも困ることになるのだが、社会人となり管理職となってから決定的にきつい副作用が出る。そのあたりについては弊ブログで具体例を何度かとりあげている。
 わたしはニムオロ塾が自分の頭で考え、自力で問題を解く道場の役割を果たせればいいと思っている
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【古典の勉強の仕方】
 高2の生徒が数学のプリントを終わり古典の問題集を出して解き始めた。
「古典面白いだろう?」
「いや、先生ぜんぜんわかんないっす、どうやったらわかるようになるんでしょう?」
「たいして読んでいないだろう?勉強時間がたりないよ、古典も日本語、ある程度の量を読まないとダメ」

 で、勉強の仕方だが、たとえば源氏物語を100ページほど読む。ただ読むのではない、ノートに書き写して、辞書を引いて、一語一語品詞や活用を確認していく。現代語訳も自分の訳を書いていく。けっして先に他人の訳を参照してはいけない。
 百ページそういう作業をしたら、今度は林望訳の『源氏物語』と自分の訳をつき合わせてみよう(突合せは10ページ単位でもいいよ)。いい勉強になるはず。この百ページをやれるかどうかが分かれ目だ。 

 これだけやれば、つぎの百ページは作業時間は四分の一になっているだろう。ほかの本を読んでもずいぶんわかるようになっているはず。興味のおもむくままに物語から日記物、随筆、短歌や俳句に手を伸ばして楽しめばいい。あまりやりすぎると文学部へ進学して就職で苦労することになる。(笑い)
 でもトコトンやるのはたのしいものだ。

【英語長文の勉強の仕方】
 英語の長文も同じだ。根室高校で学年トップでも英字新聞レベルは辞書を使ってもほとんど読めないのが現実だ。無理もない、理由は後のほうに書くことにする。
 英字新聞の記事を20ほど選んで、ノートに原文を写し、構文解析をしてみたらいい。複雑な句構造はセンテンスに落としてみれば意味がはっきりする。じっさいには生成変形英文法を知っていた方が構文解析に深みが出るからいいのだが、高校生にはムリだ。だれか知っている先生に手ほどきを受けたらいい。
 意味がわかったら、何度も原文を音読してみることだ。意味と原文が頭の中で幸せな結婚をすることになる。それが君のストックになる。
 興味のある記事を20個やればずいぶんと英字新聞記事が読みやすくなっているはずだ。
 大学へ進学したら同じやり方で専門書を100ページほど構文解析・精読・音読してみたらいい。スキルが格段にあがる。どこの大学院を受験しても英語は合格できるだろう。生成変形英文法は専門書に眼を通した方がいい。

 荒っぽい言い方をすると読解力は三つの要素からなる。
 ①書かれてあることの周辺知識あるいは専門知識
 ②構文解析力
 ③コンテキストを読む力

 書かれてある事柄にかんして周辺知識があるかないかで読解力に差がでるのはあたりまえのことだろう。経済記事は経済の専門知識がないと読めない。医療もそうだ、毒性の強いウィルスのインフルエンザ、SARS騒ぎで免疫系の説明が載っていたがこの記事を読むためには免疫系に関する専門知識が必要だろう。会計基準に関する記事を生徒と読んだことがあるが、専門用語の解説を逐一しないと理解できなかった。普通科の生徒よりも商業科や事務情報科の3年生の方がこういう記事は理解できる。
 すこしだけ脱線を許されよ。英語が得意な高校生の中には通訳を目指しているという生徒がいる、当塾にもほかの塾で学んでいる人が通訳になりたいと二人来たことがあるが、通訳の仕事がどういうものであるか説明して、英語の前に専門分野の勉強が必要と伝えると、びっくりした顔をしてそれっきりになる。嘘をつくわけにはいかないので、何人きてもわたしは同じ説明を繰り返すことになる。どういうことかというと、英語の勉強の前に通訳をする分野の専門知識が必要なことはもうおわかりだろう。どういう分野の通訳になるのかターゲットを決めてまずはひとつの専門を極めておいた方がいい。本職の通訳なら仕事上いろんな専門分野の本を大量に読まなくてはならぬ。専門用語がわからなければ通訳などできるはずもない。少し英語ができるぐらいで(英検2級レベル)でできる仕事はツアーの添乗員か派遣のCAくらいなもの。どちらも年収が低くてそのうえ安定しないからプロとして飯を食っていくのはたいへんだから覚悟しておいた方がいい、つまりそういうレベルの英語では仕事であまり武器にならぬ。
 たとえば、病理学の国際学会が開かれたとしよう、病理学の知識のない通訳では仕事ができるわけがない。事前に専門書を読み、専門用語について知識をえておかなければ仕事をひきうけられない。自分の専門外の分野でも仕事を引き受けるからには事前にその分野の専門用語に眼を通しておかなければならぬ。国際学会でとりあげられるのは先端情報であることが多いから出席者の最近の論文にも目を通しておくことはあたりまえだ。狭い業界だから半端な事前準備で失敗したら、もう次からその分野の仕事は来ない。ロシア語通訳の米原万里さんが著書の中でそういうことを具体的に書いていたから読んでみたらいい。エッセイは軽妙洒脱なうえにときどきエッチな話しもまぜて楽しい。
*米原万里(ウィキペディア)
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E4%B8%87%E9%87%8C
 意味がシンプルセンテンスにあることは生成変形文法上ハッキリしているから、複雑な句構造はセンテンスにおとせば意味が理解できる。私のいう構文解析はこうした手続きまで含む。英字新聞のセンテンスは高校教科書レベルよりも複雑である。だから、ある程度構文解析のトレーニングをうけないと歯が立たぬ。大学3年次でも辞書をつかって英字新聞記事を読めるなら、大学院の英語の試験は合格レベルにあると判断していい。専門書を読むのに語彙をのぞいて何の問題もないはずだ。
 ついで、段落ごとのコンテキストを読む力も文章全体の理解には必須である、これもあたりまえのことに属しているだろう。
 翻訳者をめざしているという高校生のために翻訳技術について言えば、4番目の要素としてさらに日本語の表現力をくわえなければならぬ。最後は日本語能力が物をいう。必要な専門分野の勉強をして専門用語を理解しておく、そして良質の日本語テクストをたくさん読んでおくことだ。英語の勉強だけしていてはいくら時間を費やしても読解力がつかないのは道理だよ、この点を勘違いしている大人が多い。高校生諸君、わかったかな。

 焦点を三つに絞ってトレーニングをすれば読解力は飛躍的に上げられる。

【まとめ】
 ようするに、近道はない、「学問に王道なし」はここでも真実だ。
 英語の勉強の仕方も古典の勉強の仕方も同じ方法でやりうる。
 夏休みを利用してとりあえず「毎日10時間×14日間」、古典でも英語でも集中的にやってみたらいい。違う地平をみることになるだろう。
 
 さあ、やりかたは公開した、あとは君の決断次第だ。やってみるかい?もちろんとってもきついよ。

 うっかり忘れるところだった、根室高校トップクラスの生徒でも英字新聞記事を辞書を引いても読めない理由だったね。3つの要素が揃わないからだ。もちろん適切な先生についてトレーニングをした生徒はその限りではない。

【余談】
(簡単な会話は別としてこういう英語能力を育てるのに小学校から英語を学ぶ必要がまったくないことが理解できただろう。小学校では良質の本を選び日本語の語彙を増やすべきだ。中学校では小学生時代に培った読書力で興味のある分野の本を片っ端から読む、そう濫読の時代だ。そういう時代をへてはじめて日本語でいろんな分野の専門書が理解できるレベルの知力を育てられる。必要に応じて特定の専門分野の本を消化できる能力は高いレベルの基礎学力を要求する。
 翻訳まで要求するなら日本語の良質のテクストをたくさん読んで日本語の語彙を増やすと同時に表現のセンスを磨いておかなければならない。英語の勉強に投下した時間よりもずっとたくさんの時間を古典を含めた日本文学を読むのに費やさなければならない。社会人になったら、あんがいそうした仕事が回ってくることがあるものだ。訳文をみただけでその人の力量が判断できるから怖い。きちんと勉強した人にはチャンス。
 日常会話程度(英検2級レベル)で年収の安定したプロとしてやっていけるような仕事はほとんどないというのが26年間東京で4つの業種で働いたebisuの結論だ。その程度の力で輸入商社に入社した英文科卒の社員が使いものになるのに3年間かかっていた。上司の指導の下で3年間トレーニングしないと使いものにならないのが仕事の世界だ。
 上司の指導というシステムを欠いた学校では新人の先生たちのスキルを磨いてくれる人は存在しないから、自分で磨くしかない。3年間はそれこそ次々と専門書を読破して知識を積み上げなければならない。授業のやり方も自分で工夫しなければならぬ。そんなことができるのは百人に三人程度だろう。最初の5年ぐらいはブカツに精を出す時間なんてないのだよ。本業への努力を怠ってブカツに一生懸命になっている、何たるおろかさ。本末転倒だが、これが根室の中学校の「常識」になっている。世間の仕事の常識とはずいぶんかけ離れているから、もっと学校外の人間と話しをしたほうがいい。)

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#1926 走っている右側、オホーツクの海に稲妻が落ちた May 6, 2012 [サイクリング]

 温かかったので今朝2度サイクリングに行ってきて、#1924に書いた。はんぱにサイクリングしたので体がうずうずして走りたがっている、夕方5時を過ぎてから牧の内からオホーツク海へ出るコースを約20km走ってきた。
*#1924 気温20度 国後島は見えず May 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-06


 空は雲が一面に広がっているが色の濃さが場所によってずいぶん違う。風も出ているがロードレーサーに乗って走り始めた。軽くて速いので気持ちがいい。車の性能がいいから向かい風でなければ時速25~30kmでる、ゆるい下りでは50km、風を感じながらとばすのは気分がいいものだ。耳に風の音がごうごうと響いてうるさいのもスピード感の一部だから気にならぬ。
 途中から路面に雨の黒いしみがぽつぽつ浮き出した、牧の内のT字路の少し前あたりだった。T字路から引き返そうか、オホーツクへ大回りしようか一瞬迷ったが、エイいってしまえと左へハンドルを切った。ここからは3kmほどゆるい下りでスピードは40kmを超えるたのしいコースだ。雲はまだらだからこのあたりを抜ければいいとあせってペダルをこぐが、雨はしだいに本降りになり5分ほど雨の中を走り続けた。オホーツク海へ出て海と並行して走っていたら、暗くなった空に太い稲妻が走った。きれいだったが太い光に危険を感じた。通常のカミナリ10個分以上ある、あんなものが直撃したら身体は真っ黒こげで原形をとどめないだろう、海と原野に挟まれ何にもない一本道、おもわずペダルを漕ぐ足に力がはいる。はやくここから逃げ出さないとヤバイ、さらに数分必死に走ったら雨を抜けていた。危険と背中合わせのときに生きているという強い実感が湧き上がるのは事実。

 カミナリは大好きで家の窓から眺めて楽しむことがあるが、原野と海にはさまれた道路で雷にあうのはごめんだ。こわかった。原野と海に挟まれて走る道路上では避雷針に乗って走るようなもの。人間なんて大自然の前では小さな存在、自然に生かされながら時折自然の脅威にさらされつつ生きている、人生なんてカミナリ一つでもいつどうなるかわかりゃしない、だからいまを精一杯。
 

 ロードレーサー:累計走行帰路数877.8km

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#1925 国内原発停止 May 6, 2012 [東日本大震災&福島原発事故]

 5月6日付北海道新聞朝刊の1面見出しは「国内原発 停止」だ。サブタイトルは次のようになっていた。
  「42年ぶり、泊3号機定検で」
  「再稼動見通し不透明」

  こどもの日の5日午後11時に国内最後の稼動原発泊3号機が出力ゼロとなった。こどもたちのためにも慶賀すべきできごとである。
 いろいろ議論がかまびすしいし、原子力村の関係者が停電の可能性に触れ再稼動を画策している。これだけ放射能汚染が広がって汚染地域に住む子供たちやそのまた子供にどういう影響が出るか知れたものではないのに、懲りない人々がいる。
 元に戻せるならいいが、福島第一原発事故で汚染された土地は除染不可能であることはチェルノブイリを見てもわかるだろう。福島県や栃木県、宮城県に広がる森林の除染はできないし、農業用地の除染もむりだ。栄養に富んだ表土をはがしてしまえば作物はとれぬのは農業をやったことのないわたしでも想像できる。10センチの表土を回復するのに100年かかるから畑や水田の除染は実際には不可能だろう。実際には放射性物質は静岡県にまで飛んでいって茶畑を汚染した。汚染されたのは茶畑だけではなくそこいら一帯の森林も広範囲に汚染されている。福島第一原発が撒き散らした放射性物質は北は北海道の根釧原野まで飛散して酪農王国を汚染してしまった。除染だけでほんとうにやろうとしたら500兆円のコストがかかるという説もあるがそんなものでほんとうにすむのか?途方もない話だ。ばら撒いている補助金や除染に要する費用、遺伝子を壊されてさまざまな病気を抱えて死んでいく人たちへの補償まで考えたら、原発の電力コストは東京電力が公表している数値の10倍でも足りないだろう。嘘で固めてあるのは原発発電コストだけではない、地震があっても大丈夫、絶対安全と言っていたはずだ。

 これだけ広い地域を放射能で汚染してしまったら現実問題として除染は不可能である。結局、わたしたちは放射能汚染された土地で生きていくしかない。根室に降り注いだ放射能は東京よりも多い、根釧原野も放射能で汚染された。濃度が低いのだろうが牛乳も放射性物質で汚染されていることは想像に難くない。

 国の汚染基準は100ベクレル/kgだがこれは福島第一原発事故前には食品ではなく放射性廃棄物の基準だった。法律はこれを超えるものは放射性廃棄物として分別して管理することを要求している。

 武田邦彦氏のブログによれば、千葉県の果実・野菜・ハーブから82~2000ベクレル/kgものセシウムが検出されている
*「千葉県の野菜、果物の汚染」
http://takedanet.com/2012/05/post_d1b2.html

 福島も宮城も千葉も茨城も栃木も汚染された、根釧原野ですら東京よりも高濃度で放射性物質に汚染された。放射能に汚染された食品が流通している。汚染範囲が大きすぎて汚染食品の流通は避けられない。繰り返すが現行の食品基準である100ベクレル/kgを超えるものは食品ではない、放射性廃棄物として管理すべき対象である。その10分の1を食品安全基準としたら、福島県、栃木県、宮城県、茨城県、千葉県、群馬県などの農作物の大半が基準外となるのではないだろうか。
 もう内部被曝を覚悟で食べるしかないのげ現実ではないか。そしてこどもたちにその影響が大きく出る。老人の癌も増えるだろう。日本は原発事故による被害の実験場になってしまった。

 よく考えてみよう。千葉県の人口が減少に転じたと数日前の報道、東京も多摩ニュータウンに見られるように高齢化や人口減少が進んでいる地域がではじめている。じきに首都圏全体の人口が減少に転じる。50年をかけて人口が1億3千万人から8000万人まで減るとすれば、一人当たり所得が同じとしたら経済規模はおおよそ60%に縮小する。電力も水の需要も減少していくということだ。
 原発がとまり、一時的に停電が起きたとしても、こども達や孫の世代が放射性物質の体内被曝によって遺伝子に障害がおきるわけではなく影響は一時的なものだし、それは節電や他の発電方式への切り替えで等で切り抜けることができるだろう。目先のことにとらわれて将来に禍根を残すようなことをしてはいけない。補助金に目を奪われて原発再稼動にいまも賛成している原発のある町村と同じことをしてはいけない。やってはならぬことはならぬもの。

 ついでだからモラルハザードの具体例をあげておく。
 どこの町村だったか忘れたが、原発があることで補助金が町の予算の4倍も出ていることが報道された。わかりやすくするために根室市にたとえて考えてみよう。
 根室の予算規模は最近数年間で140億円から170億円に膨らんだ。少し無理を承知でこれを基準に考えると、根室市の予算が原発補助金で850億円にも膨らむということ。これでは施設は作り放題、そこを管理するために○○館長や職員が必要になり、市役所幹部職員の天下り先となる。予算は使い放題となる。こういうことを原発誘致してからずっと続ければ感覚がおかしくなるのもあたりまえである。原発のある村や町で首長選挙があると決まって原発推進派の候補が勝つ、村や町ごと狂ってしまっていることに気がつこう、原発のなかった頃の貧乏な町でいいではないか。自然に囲まれ、僻地ではあっても安全な地だあったはずだ。そこで生まれて育った人々がふるさとの地で穏やかに死を迎えることができる町であり続けることが大事ではないのか?
 原発稼動停止で原発のある町や村から悲鳴が上がっている。しかし、多額の原発補助金が交付され、湯水のごとく潤沢な予算を使っていたいままでが異常なわけで、原発稼動停止は原発誘致以前にもどっただけでそれが自然な状態というもの。それでやっていけるようにいろんなものを縮小するのが当然のことではないのか。

 日本がすでに縮小経済社会に突入したことを自覚し、幻想でしかない「経済成長路線」とは決別しよう。

 小欲知足。正直に誠実に仕事しよう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な商道徳にもとづく経済社会をつくろう、それがいまを生きるわたしたちに課せられた仕事だ。

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#1924 気温20度 国後島は見えず May 6, 2012 [サイクリング]

 東京のアウトレットで買ってきたアディダス製ベストタイプの黒いウェアーを着て見たら、ずいぶん締め付けが強く身体にぴったりだ、こういうものなのだろう。桜ヶ丘の京王アートマンの無印良品で買ったグリーンに黒の縞模様の薄手の綿の帽子をかぶり、その上にヘルメット、赤い防風ウェアーに冬用のサイクルパンツをはいて、さっそうと(?)今年2度目のサイクリング。

 朝8時ころロードレーサーにのってオホーツク海までいってきた。天気は晴れ、気温16度、そよ風の中を走るのは気持ちがいい。気温が上がると国後島が見えない、大気中の水分含有量が増えるからだろうか?7km走った。ロードレーサーはペダルがじつに軽い。

 10時ころ気温は20度近くまで上がっている、根室にしてはこんなに温かい日はめったにない。こんどはマウンテンバイクで海まで下りてみた。標高差は44m、「行きはよいよい帰りは辛い」コースである。行きは下りっぱなし、帰りは上りっぱなし(笑い)のコース。MTBのほうは「ディスクブレーキ+太いタイヤ」だから制動距離もずっと短い。信号が多いマチノリにはMTBの方が楽だが、そのぶんペダルが重くなる。帰路はギアを落として体力に合わせてゆっくり走るからちっともかっこよくない。まあ、世の中いいことばかりではないということ。いいこと半分あれば満足しよう。
 オヤジは私の年齢のころ体協の指導員の資格をとり一輪車の指導をしていたし、釧路から根室までのサイクリングで30前後のメンバーと団子状態で先頭を走っていたのだからあきれる。親子でもこれほど違う。さすが「空の神兵さん」とよばれた元落下傘部隊員だ。体力と運動神経が並外れていた、オヤジに息子はかなわぬ。
 家の近くで二人連れとすれ違って、通り過ぎるときに顔が視界に入ったら高校3年の塾生だった。お母さんと散歩だったのだろうか?真っ赤なウェアーにサイクルパンツ、ヘルメットとサングラスで生徒は気がつかなかった、ふだんの先生の格好とはまるで違うから無理もない。スーツ姿の先生しか見たことのない生徒が多い。

 ロードレーサー:累計走行距離 858km
 MTB:累計走行距離 423km

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#1923 教育フォーラム開催(釧路の教育を考える会) May 5, 2012 [教育問題]

 釧路の教育を考える会が4月28日に釧路新聞と共催で学力問題に関するフォーラムを開いた。北海道教育委員会高橋教育長も講師で参加している。
 根室でもこういうフォーラムが開催できるといい。釧路よりも根室のほうが小中高生の学力問題はずっと深刻なのだから。

  釧路は地元経済団体(釧路は中小企業家同友会や商工会議所)や、市議会議員、市役所幹部職員たちが、学校の先生たちが「釧路の教育を考える会」に参加している。趣旨に賛同して地元新聞である釧路新聞も応援体制を組んでいる。

 振り返って根室をみてほしい。地元経済団体も市議会も教育問題に関して動かない、市教委を含め市役所職員にも動きはない。教育問題に関心はないはずがないのだが、地元新聞である根室新聞を含めてみなだまったままである。経済諸団体は自らの利益のみを考え旧弊を打破することに怯えて、小さく小さく固まろうとしている。10年後には人口は2.5万人を切っている、このままではジリ貧、地元企業の3割程度はつぶれていくぞ、そろそろ目を覚ませ。

 釧路の教育を考える会には、子供たちの学力を何とかしないと地域の未来がしぼんでいくという危機感を共有する人々が立場を超え、損得抜きで、手弁当で参加している。そういう会の創立メンバーの一人であることをebisuは誇りに思う。釧路も根室もない、地域経済と教育問題に関しては同じ問題を共有している兄弟だ。



 ブログ情熱空間より転載 (新聞記事をクリックすると拡大して全文閲覧できます)
 
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/5463131.html
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2012年05月05日

子どもの日に

今日(2012.05.05)の釧路新聞、巷論より。

おかげさまで、釧路から上がった「子ども達の基礎学力向上」の火の手が、中標津へ、根室へと飛び火を続けています。
この問題を年間キャンペーンに据えてくださった釧路新聞社さんに、改めて感謝。

今日は子どもの日。
釧路に生まれ、根室に生まれたことを、心底から誇りに思える子ども達が増えますように。

CCI20120505_00000









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#1922 村上春樹『1Q84』 May 5, 2012 [ゆらゆらゆ~らり]

 2度目のインプラント治療を受けていた東京滞在中(10日間)はヒマだったので本を読んでいた。そのうちのひとつは標題の4分冊の文庫本だ。

 物語は青豆という変わった苗字の女の殺し屋がタクシーに乗って首都高の渋滞につかまるところからはじまる。章立てを別けて並行してもう一つの物語が同時進行する。予備校講師であり小説家の卵である川奈天吾は17歳の美少女新人小説家の応募作品を編集者から書き直すように依頼される。黒子だから自分の名前は出ないが、自分の技倆を世に問うチャンスではある、しかし、詐欺でもあるから発覚したときのダメージが大きい、引き受けるべきか断るべきか、それが問題だ。29歳の彼は自分の技倆を試すチャンスという誘惑と新人作家の魅力に絡めとられていく。平行線のように見える二つの物語がどこでどういう展開で交差するのか著者の構想力に期待しながら読み進んだ。その一点を村上はどう書くのだろう。
 著者は服装とか持ち物を具体的に書き込んでいる。ふだんからそういう方面の観察力を鍛えていることがうかがわれて楽しい。気になるものがあればメモして小説の材料にしているのではないだろうか。

 青豆と天吾は10歳のときに鮮烈な思い出を共有している。数秒間の出来事だったが、二人の幼い心はしっかりつながってしまった。たいへん印象深い場面なのでそこはこの本を読んで確かめてもらいたい。似たような経験をもっている人は案外いるのではないだろうか。幼い恋心とそのときの自然の情景が鮮烈な印象となって心に刻み込まれてしまう、ある種のプログラムが心の中に書きこまれると言っていいだろう。10歳という年齢でなければありえない場面がしっかり描かれ、その後の展開に重要な意味をもつことになる。幼い純真な心に刻み込まれたプログラム・・・


 私は5年間勤務していた日本橋の会社に後先を考えず師走の風の吹くころに辞表を出し、一人で抱えていた輸入商社の統合システム開発という仕事の引継ぎに手間取り1984年1月末日でやめた。日本電気情報サービスのSEと仕事をしていたのだが、統合前のシステム開発を担当していたオービックのSEが自分の会社の顧客20社に販売できるからパッケージシステムを作らないかと会社をやめて一月ほどたったころ連絡をくれた。円定価サブシステムは友人の営業課長との共同作業、外貨決済や為替管理システムは業務課長に現行の業務フローを確認して、それまでとはまったくことなる実務設計をした。複数の専門分野に確かな見通しがあれば実務設計をがらりと変えて生産性と仕事の精度の両方を劇的に上げることができる。社長は途中入社したばかりの私にの一連のサブシステム群の開発をさせてくれた。為替変動に左右されていた会社の業績は為替変動から切り離されて売上高経常利益率が8%を維持できるように変わった。この統合システムは輸入商社の経営のノウハウそのものだったから、それをそのときに"流出"するつもりがなかった。感覚的になんとなく嫌だったのである。そういう仕組みを世の中に広めることはいいことだったといまなら考えられる、当時の私は考えが狭かったようだ。
 とにかく何にも考えずに"天の声"に従った、新天地で思いっきり仕事しようと決意、迷いはなかった。"天が決めたことだから天が何とかしてくれる"そういう気分だった、当時34歳。何度か転職したが自分で転職を決めたことはない。そういう状況になり、いつも"天の声"聞こえてしまう。ただのバカかも知れぬがそうであってもそれでいいとそのときは思った。
 年末近くに新聞広告で見つけていたリクルートの中途採用試験を受けて2月の2週目には東証Ⅱ部上場準備中の会社へ転職した。就活期間は1週間だった。7段階の最高ランクの会社の中途採用ファイルがオープンになったので、その中から選んだ。年収で判断すると2倍近い提示の外資系の会社もあったが、年収では選ばなかった。仕事とオフィスと会社の内容で選んだ。売上が毎年20%伸び、直近5年間の売上高経常利益率が12%の会社だった。収益的にみても財務的にみても超優良会社である。直接の動機を正直に言えば新宿駅近くの超高層ビルの22階に本社オフィスがあったことだ。超高層ビルのオフィスで一度仕事をしてみたかった。当時、都庁が移ってくる前の西新宿では一番家賃の高いビルだった。都庁のすぐ近く、新宿NSビル。
 管理会計のルーティン・ワークをしっかりやりたくてそういう約束で入社したが、上場準備のための統合システム開発で中核になる会計及び支払管理システムがほとんど手つかずの状態で担当を私に替えたいと上司から相談があり引き受けざるを得なくなった。スケジュールを確認し、足手まといな監査法人の会計システム担当を外してもらい、上場準備プロジェクトチームの会計・支払管理システムを一人で担当した。レベルの高い仕事人同士でないとデッドエンドが決まっている速度の要求される仕事は引き受けられない。このときの上司は同じ大学・学部出身者、1年先輩だった。「○○公認会計士は必要ないだろう?」とにやっと笑って私に返事を促した。一人の応援に毎月200万円支払っていた。
 すぐに問題が一つ持ち上がった。統合システムだから各サブシステムの内容が決まらないとインターフェイスが定義できない。インターフェイス仕様が決まらなければ4つの各サブシステムの仕様が決まらないという堂々巡りの状態に陥っていた。どのプロジェクトチームも仕様を定義できないということを確認してからお願いされる形でサブシステム間のインターフェイス仕様の記述を引き受けることにした。2週間でインターフェイス仕様書を書いて各サブシステム担当チームと担当SEへ配布した。プロジェクトチームのメンバーに統合システム全部を見渡すために必要な複数の専門分野のスキルをもっているメンバーがいなかったから数ヶ月もめていたのである。それぞれのPTメンバーが自分のところを理解するだけで精一杯のように見えた。
 社内で数ヶ月延々ともめ、暗礁に乗り上げていたことを一週間ほどで具体的な実務フロー設計をしてシステム化し解決することは他にもいくつも生じた。複数の異質な専門分野の知識と経験があればたいていのことは具体的な実務設計をすることで数日間で解決できる。関係部署の課長が会議を繰り返しても、メンバーの誰かが必要な複数のスキルを全部もっていなければ、何ヶ月も会議は踊るだけで解決の糸口が見つからぬもの。
 8ヶ月で開発を完了しシステムは本稼動、ノー・トラブル、きれいな立ち上げだった。事前にテストデータを作ってプログラムチェックをし、そのあとで実データを使ってさらにチェックして、本稼動だった。充分な準備をして仕事に挑めばトラブルは起きない。会計及び支払管理システムと購買在庫管理システムが先に立ち上がった。購買在庫管理システムは支払管理システムとデータのやり取りが生ずるので三分の一ぐらい外部設計を手伝ってあげた。ユーザー部門側2人、上場準備要員1人とSEがPTメンバーだった。原価計算システムがその翌年に、さらにそのよく翌年に請求及び販売管理システムが本稼動した。
 輸入商社の統合システム開発の経験が転職先の最大手の臨床検査会社で生きてしまった。おおよそ10倍の規模だ。
 もちろん会計及び支払管理システムを担当したNCDの三人のシステム屋さんは優秀だった。1ヶ月あまりで書き上げた百枚に近い外部設計仕様書を30分から1時間ほどミーティングで確認をしながら短期間で内部設計に落としてくれた。サブシステムごとにユーザ部門の担当者とSEと監査法人の応援部隊とでプロジェクトチームが組まれていた。
 統合システム全体で扱うデータ量が大きいので使ったマシンは富士通の当時最大の汎用大型機。その次の年にはシステムメンテナンスマニュアルを作成しながら引継ぎを行い、300億円の全社予算の統括責任者として仕事をしていた。相応の能力のあるものならだれでも引き継げるレベルに仕事を変えてしまえば、それに縛られることもなく次の仕事にチャレンジできる。だから担当する都度、引き継いだ業務は全面的に見直し次々に実務設計をしなおしマニュアルを残して引き継いだ。4人3ヶ月の仕事がシステム化でゼロになったこともある。この時はルーティンワークを変えて、固定資産税申告書が自動出力できるようにシステムを作り直した。減価償却費予算が1億円も外れるので東証Ⅱ部上場のボトルネックになっていたが、このシステムで精度が上がったので問題なくなった。統合システム開発の本稼動移行時の忙しいときにプログラム仕様書や外部設計仕様書を1週間ほどでまとめて担当の別の会社のSEさんに手渡した。あだ名のついたことがないのだが、その当時だけ一部の人に"悪魔君"と呼ばれていたようだ。理由はさっぱりわからぬ。
 経営や管理会計、コンピュータシステム等の専門知識と経験の両方兼ね備えていれば年収を上げて転職が可能ないい時代だった。
 1984年、まだインターネットのない時代、この年は私にとって人生の転機となった。


 小説の『1Q84』に話しを戻そう。第4分冊でスレンダー美人の殺し屋である青豆は死ぬが、「空気さなぎ」で10歳の少女としてよみがえる。著者は含みを残して物語の筆を擱いた。もちろん続編があるのだろう。

 この物語を読んでいて別の小説をふと思い出した。『デューン砂の惑星』というスケールの大きな17冊のSFシリーズである。本を貸してくれた人がいて1984年の終わり頃に読み始め、面白いので途中から自分で買って読み、87年に『デューン 砂丘の大聖堂(3)』が出版され、それが最終巻となってしまった。
 訳者が長い物語にそろそろ終止符を打ってはくれまいかとハーバートに問う。

「あまりにも長くて、訳者としては早くきりをつけてほしいんだが、というと、いやいや書きたい間は書きつづけるさ出版社に催促されるから書くのではない。書きたいからだよ。『大聖堂』の次の巻は、出来上がりかけている。といっていた。未完のまま発表されるのだろうか?」

 著者のハーバートは1986年2月11日に66歳で亡くなるが、シリーズ最後の方で老人の夫婦のような宇宙神の存在が暗示されていた。著者は何か新しい展開を考えていたように思えるが、シリーズが途中で断ち切られたのは読者として残念だ(改訂版が出されているが、絶版になっており数冊しか手に入らないようだ)。構想ノートでも書き残してあればよかったのだが、存在しないから、読み手が想像するしかない。
*デューン(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
**フランク・ハーバート(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88
 『1Q89』のリトルピープルがどのような存在になるのか村上氏の構想と次回作に期待している。読者をワクワクさせた責任が村上氏にはあるから続編を書き物語をしっかり完結してもらいたい。


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 文庫
1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 文庫
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫


デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))

デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))

  • 作者: フランク・ハーバート
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1985/02
  • メディア: 文庫
デューン 砂の惑星 (2) (ハヤカワ文庫 SF (83))

デューン 砂の惑星 (2) (ハヤカワ文庫 SF (83))

  • 作者: フランク・ハーバート
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1985
  • メディア: 文庫
デューン砂の惑星 (3) (ハヤカワ文庫 SF (88))

デューン砂の惑星 (3) (ハヤカワ文庫 SF (88))

  • 作者: フランク・ハーバート
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1985/02
  • メディア: 文庫
デューン砂の惑星 (4) (ハヤカワ文庫 SF (94))

デューン砂の惑星 (4) (ハヤカワ文庫 SF (94))

  • 作者: フランク・ハーバート
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1990
  • メディア: 文庫


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#1921 管内校長の資質にも大きな問題あり:生徒だけでなく教員の資質も最低レベルの疑い? May 4, 2012 [教育問題]

  明日はこどもの日だそうである。わたしたちはこどもたちのこと=地域の将来をきちんと考え行動しているだろうか?

 腹も立つし悔しいが、全国一斉学力テストデータによれば、根室管内の子供たちの学力は全国最低レベルである。小中学校の学校運営責任者である校長先生たちがこの現状をどのようにとらえ、なにをしているのかをレポートしたい。

【経緯(いきさつ)】
 #1919で「学力向上推進宣言」を取り上げた。根室管内の小・中学校校長会が作成したものだが、釧路新聞には載らなかった経緯を明らかにしておきたい。愛読している北海道新聞根室支局も学力問題に関心が高いのでもちろん取材したはずだが、あいにくと東京へ行っていてその間の新聞配達をストップしていたために記事を参照できぬ。

 昨年道教委が全国学力テストで3年間で平均値を超えるという目標設定をし、それが管内各市町村の教育委員会へ下達された。
①4月1日付「根室管内市町教育委員会連合会・根室管内市町教育委員会連合会教育長部会『将来の根室を担うこどもたちのために』」というメッセージが教職員へ向けて発信された。

 このメッセージを受けて管内の校長会が次の資料を作成した。
②「学力向上推進宣言作成に当たって」

 これらの業務指示の流れは次のようになっている。
   道教委⇒各市町教育委員会教育長⇒教職員

【学校と教育行政組織は指示待ち人間の天国】
 道教委の指示うけて慌て市町の教育委員会及び教育長が動いたようだ。自主的に動いたのではなく、道教委の指示によって動いたところが問題だ。指示がなければ動かないあるいは動くことのできない組織のように見える。
 ここにすでに大きな問題が一つある。市教委も教育長も校長も指示待ち人間の集団だということ。いま学校を卒業してきて就職して、受け入れる側が困っていることの一つに、じつに「指示待ち人間」が多いということである。生徒たちだけの問題と思っていたら、肝心の小中学校の校長先生たちが典型的な指示待ち人間であること、そればかりか、教育行政も丸ごとそうであるようだ。そういう学校教育という装置で育てられた児童・生徒たちが指示を待たずに自分の頭で考え動くことができるとしたら、こういう学校運営を反面教師として育ったということだろう。少ないわけだ。

資料1:「学力向上宣言作成に当たって」根室管内校長会

【事実認識の欠如とごまかし】
 読んでみると、次のような文言が出てくる。
「過去5年間連続して全国はもとより、全道平均をも下回る結果となっており・・・」

 おいおい、違うだろう、北海道は全国最下位レベル、その最下位レベルの北海道14支庁管内で日高支庁とともに最下位レベルにあるのが根室管内、端折っていうと「全国最低レベルにある根室管内のこどもたちの学力」事実をはっきりと書くべきだろう。ごまかしはいけない、仕事は正直に誠実にやるべきだと私はつねづねブログに書いているし、現役時代もそうして実績を上げてきた。不正直・不誠実な仕事は問題を先送りし悪化させるだけで、問題解決ができないということは仕事をしたことのある大人ならだれでも知っていることだ。人を教育する学校の運営責任者がこのテイタラクでははずかしい。

【問題に目をつぶる根室の悪弊】
 問題には目をつぶり、相互批判を避けるという根室の旧弊がここにもある。同一地域内にあり、中学校側で新中1年生の3分の1以上が分数や小数の加減乗除算が満足にできないという問題を知っていながら、放課後補習もせず、改善申し入れもしないで済ませてきた。出前授業という現実の問題とは関係ないことを繰り返し、現実の問題から目を背け続けてきた。出前授業に精を出している数学の先生たち、すこしは自分たちの果たしている役割に思いを寄せたらいい、ピエロだよ。

【小・中・高の先生たちのコミュニケーションゼロの現状打破】
 コミュニケーション能力の問題は生徒たちよりもじつは先生たちの方が深刻だ。先生たち同士で大きな声で朝の挨拶をしているかい?生徒たちとはしているかい?小学校の教育に問題があることは中学校の先生たちはテストのたびに痛感しているはずだが、同じ学区粋にある小学校に出かけて具体的な問題について話し合ったことのある先生は限りなくゼロだろう。生徒のコミュニケーション能力を云々する前に全国最低の学力問題で先生たちのコミュニケーション能力が問われている。
 テストを採点するたびに小学校の先生たちの授業に大きな問題があることを痛感しているだろう?学校行事で平気で授業時間を潰す。根室管内の小中高はそろって学校行事で授業を潰しすぎる。他地域から転向して来た生徒の親たちがあきれているよ。
 なぜ素直にストレートに問題のあることを言わない?それはあなたたちの仕事の一部だよ、ブカツにばかり熱を入れるんじゃなく、自分の受け持っている生徒の学力向上に情熱を注ぐべきではないのかね?どの先生のどの科目の授業に問題があるかは中学校へ入学してきた生徒たちをグループ分けしてみればすぐにわかることだ。健全な批判を素直に受け入れるこころが大切だ。
 もう少し具体的に書いてみるよ、高校へ送り出された生徒たちがたいへんなことになっている。根室西高校では半分くらいの生徒たちが小数や分数の計算から復習している。中には数学が得意な生徒もいるよ、実際に最後の学力テストでクラス1番をとった生徒が英語が嫌いで根室高校の受験を認めてもらえなかったことがあった。そういう生徒たちが少数混じっているのは事実だ。
 話し西高へもどすと、英語はアルファベットからだ。冗談を言っているのではないよ、西高校の先生たちは毎年苦労しているんだ。だから、分量も根室高校普通科の半分しか消化できない。数Ⅰはやるけど数Aは2年生でやっているんだよ、知っているかい中学校の数学の先生たち。アルファベットから学びなおす高校生は小学校でローマ字が書けなかった生徒たちだ。中学生になっても小学生のときにローマ字の書けなかった生徒たちの大半は英語の単語が書けないよ。
 小学校の先生、責任重大だね、それを知っている中学校の英語の先生たち、なぜ同じ区域の小学校へ出向いてクレームを言わない?具体的な学力問題を小学校の先生たちに伝えることは仕事の一部だよ。問題から逃げ、相互批判を避けてはいけない。問題を先送りするから、中学生になり、高校生になってから生徒はひどいことになる。社会人になったらもっと大きなツケが生徒本人に回ってくる。最低レベルの学力層は社会人となっても実際には職業選択の自由なんてないよ。あなたたちは「未必の故意」かなすべき仕事の手を抜くこと=「不作為」で生徒たちをそういう厳しい状況に追い込んでいる。領収書に相手の名前も漢字で書けないような学力では使わないでしょう?

【地域社会からの要請】
 「資料1」は高等学校で小中学校の内容の学び直しが生じていることや「商品の値段の計算ができない」、「基本的な挨拶や人間関係を構築できない」という地元経済界からのクレームにも言及している。今に始まったことではない、ずっとそうだったはずだが、手が打たれてこなかったことは校長会としても恥じるべきだ。車で10分以内に小学校も中学校も高校もあるのに意思の疎通を欠いてきた。ちょっと時間をとり、具体的な問題を話し合うだけで問題の共有ができ、解決への努力も生まれるのにそうしてこなかった罪は大きい。

【資料1のナカミの検討】
 さて、「オール根室」の意味であるが、ふたつ書いてある。
「PDCAサイクルに基く教育課程の改善充実」
「進行管理を位置づけた学校改善プランの改善」
 学校改善プランの改善は同義反復でお笑い種だが、根室市立病院の経営改善プランの改善を毎年繰り返しているところを見るとこれは学校運営のみならず、地方行政に共通したことなのかもしれぬ。
 
 さらに二つに分けてブレークダウンしている。
【指導方法指導体制の工夫】
 ・チームテーチングの拡大・充実
 ・習熟の程度に応じた指導の実施
 ・個別・集団指導方法の工夫
 ・小中学校の連携による工夫
【教員の資質能力の向上】
 ・仮説検証型の校内研修による授業力の向上
 ・小中学校の連携による研修機会の充実 など

【空疎な内容と仕事の基本に忠実でない校長会】
 ようするに全国学力テストデータを用いた学校別科目別の目標設定をしないということだ。「オール根室」で、つまり一山いくらで学力向上を目指すということらしい。PDCAの基本がお分かりでないようだ。
 この資料を読んで感じたのは、まともな民間会社なら校長会のメンバーの能力は係長以下だということ。これだけでも学校の人事システムに大きな欠陥のあることが推定できる。

 PDCAは全国学力テストデータを学校別・科目別に公表し、来年度それらを学校別・科目別にいくらアップするのかをセットし、そのために必要な具体策を実施して検証すればいい。難しいことは何もないのである。基本に忠実にやればいい、仕事は正直に誠実にやるべし。
 校長会で異論が噴出しなかったのだろうか、まだ信じられない思いで書いている。

(公務員ではないがわたしも25年間サラリーマンだったから、意気地がないと思いつつもこうした校長会の対応は理解できないことではない。文科省が学力テストデータの学校別・科目別公表を勧めていないし、市教委や教育長が認めるはずもないからから余計なことはしない方が無難というのがほんとうのところだろう。
 言われないからやらぬ、言われたことだけやればいいという考えに凝り固まった校長先生たちの運営する小・中学校でこどもたちは9年間育つ。一般の教職員も右へ倣えだ。怖いよ、こどもたちはそういう大人たちのずるさを自然に吸収してしまう。これでは自分の頭で考え行動するこどもたちが少なくなるのは当然のことだろう。授業を受け持っている先生たち、校長先生たちが自分の頭で考え、現場の状況を踏まえてしっかり具体的な行動をとれば勘のよいこどもたち案外見抜いていて、自分たちもそういう仕事のできる大人になろうと無意識層に刻み込むことになる。教師が聖職であるというのはそういうところにも理由がある、毎日の仕事をおろそかにせず、正直に誠実にやることだ。いまからでも遅くない。バカな宣言を出してしまったことを率直に恥じよう、そしてそれをカバーするように努力してみよう。小さいことでいいからできることからやってみたらいい。放課後補修でも、5時半以降のブカツ禁止、土日両方のブカツ禁止措置でもいい、基本に忠実にやってみることだ。)

【名誉挽回への期待】
 ブログのどこかで根室のこどもたちの学力が全国最低レベルなのは大人の学力レベルやこどもと躾けるレベルが全国最低レベルであることの反映ではないかと假説を提示しておいたが、管内校長会の対応をみていると假説が正しいように思えてきた。
 でも簡単に現状は変えられる。問題があるのだから小学校と中学校の先生たちが地域の子供たちの学力について具体的な問題を取り上げ話し合ったらいい。ぜひ名誉を挽回してほしい。

*#1919 学力向上推進宣言:根室管内小・中学校長会(4/26釧路新聞)  May 2, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-02-1

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